さて、今更ですが……このタイミングで『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品の紹介。
タイトルにもなっているヴァイオレットという少女が、自動手記人形——代筆屋の仕事を通じて成長していく物語。このヴァイオレットという主人公、かなり複雑な背景があり、最初の頃はそれが説明されることなく、いくつもの短編集を通して徐々に明かされながら物語が進んでいきます。
この短編集が一話一話しっかりしており、物語全体の完成度を高めている感じです。
今回のクロスでは、ヴァイオレットというキャラの背景を鬼太郎の世界観に合わせながら、それとなく彼女の生い立ちなど話の中に盛り込んでいければと思ってます。
それと、さらに今更ですがいくつか注意事項。
今作はテーマ上の理由から、差別的な用語ととられかねない単語が普通に出てきます。
人によっては不快感を覚えるかもしれませんので、ご注意下さい……。
それから、たいていの作品でスルーされている言語問題。
今作ではちょっとしたリアリティーを出したくて、日本語と英語と明確に分けています。
鬼太郎たちは普通に日本語で話していますが、ヴァイオレット側のキャラは通訳時以外は英語で話しているという認識でお願いします。
1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、1953年7月に休戦協定が成立したことでとりあえずの終息を迎えた。
南側と北側で一進一退の攻防を繰り広げたこの戦争は、休戦までの三年間で五百万人以上の犠牲者を出したと言われている。
休戦の申し入れ自体、1951年。開戦から一年後の時点で出されていたのだが、実際に休戦するまで二年もの月日を必要とした。
休戦までの間、少しでも有利な条件で停戦しようと両軍ともダラダラと戦い続けた結果だろう。
そんな泥沼の戦争に——『彼女』も参加していた。
開戦当初から彼女と、彼女が所属する米軍特殊攻撃部隊は朝鮮半島中を駆け回り、戦局を左右する重要な戦いに何度も参戦することになった。
まだ少女にもかかわらず人間離れした彼女の戦いぶりに、敵味方問わずに多くの兵士たちが畏れ、震え上がったされる。
あるものは、彼女を『化け物』と呼び——。
あるものは、彼女を『武器』と呼び——。
あるものは、彼女を『勝利の女神』と呼び——。
あるものは、彼女を『戦乙女』と呼び——。
あるものは——彼女をただの『少女』として扱い、彼女を愛した。
だが、休戦協定締結の間際。彼女が所属していた特殊攻撃部隊は、最後の作戦遂行の際に多くの戦死者を出し、彼女自身も深傷を負った。
その隊の指揮官であったギルベルト・ブーゲンビリア少佐も負傷。戦いそのものが終息したということもあり、部隊はそのまま解散となった。
元々、公的な記録には存在しない部隊であり、彼女の存在はその中でも特に機密事項とされていた。
果たして彼女がどうなったのか——その後のことは、当事者のみが知ることである。
1964年11月——東京。
「おお!! これは……すごい!!」
「こいつが……噂に聞く、機械鎧というやつか……!!」
「米国では、これほどのものが既に実用化されているのか……むむむ……」
パラリンピック。オリンピックの後に開催される障害者を対象とした競技大会。開会式が目前まで迫った現在、今年の開催国である日本には各国の関係者が集まっていたわけなのだが——。
とあるフロアの一角。選手とは関係ないところで、盛り上がっているものたちがいた。
感嘆の声を上げているのは、主に技術者たちだ。彼らは選手たちが装着する義手義足のメンテナンスのため、あるいは他国との技術交流のために選手団と共に来日していた。
それぞれが国を代表する技術者ということもあり、自分たちの技術にはそれなりの自信を持っていただろう。
だが、眼前にてお披露目されることになった、とある女性の義手の性能には各国の技術者たちも目を丸くするばかりであった。
「…………」
彼らの視線の先では見目麗しい淑女——ヴァイオレット・エヴァガーデンが黙々とタイプライターを打っていた。
名目上、通訳として選手団に同伴していたヴァイオレットは、日本語で書かれた書類を英語に訳してくれと頼まれたため、それをただ実行していく。
彼女からすれば、普通に職務を全うしているだけなのだが——それがデモンストレーションであることは、誰の目から見ても明らかだ。
ヴァイオレット自身が目立つ容姿というのもあるが、彼女の義手は精密な作業を難なくこなしていき、集まっていた技術者たちの視線を独り占めにしていく。
「いえいえ、それほどでもありませんよ!!」
「まだまだ課題も多くてね、がはははは!!」
そんな他国からの称賛や羨望、嫉妬などの感情に対して、ヴァイオレット本人ではなく同伴していた技術者たちが謙遜を口にしつつ、ご満悦といった表情で勝ち誇るように笑みを浮かべている。
わざわざヴァイオレットをパラリンピックという場に担ぎ上げた目的——『自国の技術力を見せつける』という目的は見事成功のようだ。
そんな、ヴァイオレットを利用した企みに——。
「ちっ……!!」
彼女と共に来日することになった青年——ベネディクト・ブルーが面白くなさそうに顰めっ面を浮かべていた。
「おい、ヴィー!!」
「どうかしましたか、ベネディクト? そのように苛立って……」
お披露目が終わったことで、通常業務に戻ろうとしたヴァイオレットにベネディクトが声を掛ける。ベネディクトは実に分かりやすく怒りを露わにしていたが、当のヴァイオレットにこれといって表情の変化はない。
そんな彼女の平然とした態度に、ベネディクトはますます苛立ちを募らせていく。
「お前、腹立たねぇのかよ!! あいつら、完全にお前のこと見世物としか思ってねぇぞ!?」
周囲に人がいなかったこともあってか、ベネディクトの怒声は一段と響いた。
彼は今回の依頼主——ヴァイオレットという人間をダシに、自分たちの技術力を見せつけて満足する人間たちへの不快感を隠し切れないでいるようだ。
「これも仕事ですから、別にベネディクトが怒るようなことではないでしょう?」
しかし、彼の怒りようにもどこ吹く風と、ヴァイオレットの表情に変化はない。寧ろ、何故ベネディクトがそこまで怒る必要があるのかと、彼女は不思議そうに首を傾げている。
「そもそも、ベネディクトが日本までついてくる必要性はなかったと思いますが……」
それどころか、ヴァイオレットは今更ながらにベネディクトがここにいる——彼が今回の仕事に同行していることに疑問を抱く。
一応、ヴァイオレットには通訳としての仕事があるが、ベネディクトにこれといった業務はない筈だ。にも関わらず、彼は今回の仕事に『護衛』という名目でついてきたのである。
「しょ、しょうがねぇだろ……他の連中は外せない仕事で……俺しか空いてるやつがいなかったんだからよ……」
これにベネディクトは照れくさそうに、顔を逸らしながら呟きを溢す。
他の連中——C.H社の面々は社長であるクラウディア・ホッジンズは勿論、社長秘書のラックス・シュビラも。ヴァイオレットと同じ自動手記人形である、カトレア・ボードレールも売れっ子で忙しいと。
他の社員たちも含めて皆が仕事を抱えており、同行したくても出来なかったとのこと。故に自分がついてきてやってるとばかりに、ベネディクトはいかにも仕方なさそうに言う。
「それに、俺にはお前を守る義務があるんだよ……次期!! 副社長としてなっ!!」
ついでに自分が同伴してきた理由に——わざとらしく『副社長』という言葉を強調する。
ベネディクトは社員の中でもまだ若い方だが、社長であるホッジンズとは会社設立以前からの腐れ縁であり、誰よりもホッジンズや社内のことを熟知していた。
粗暴な口調とは裏腹に意外にも面倒見が良いと、同僚たちからの評判も悪くない。そんなベネディクトを副社長にしようと、ホッジンズは彼に色々と教育を施している最中だという。
ベネディクトの日本行きを許したのも、彼に様々な経験して欲しいというホッジンズなりの親心のようなものがあったのかもしれない。
「そうですか……わざわざありがとうございます、ベネディクト」
ヴァイオレットも、ベネディクトのことを信頼しているのだろう。言葉からはあまり感情らしいものを感じられなかったが、その口元には僅かに笑みが浮かべられていた。
「お、おう……そ、そろそろ戻るか……」
そんなヴァイオレットの微笑みに、やはり少し恥ずかしそうにしながらもベネディクトは頷き、彼女と共に歩き出していく。
二人並んで歩くその姿は、まるで実の兄妹のようにも見えた。
「——あの……少し宜しいでしょうか?」
と、そのときだ。並んで歩く二人の背中に、キィキィと音を立てながら近づいてくるものがいた。
「あん? おっさん、誰だよ?」
「貴方は……確か、代表選手の……」
突然声を掛けてきたその白人男性に警戒し、ベネディクトは眉を顰めながら懐へと手を伸ばす。しかしヴァイオレットは彼の動きを手で静止し、その人物と正面から向き合っていく。
その人物は、一人器用に車椅子を動かしていた。見たところ義足などを装着している様子はないが、何らかの歩行障害を抱えているのだろう。
ヴァイオレットは、彼がパラリンピックの代表選手の一人であることを思い出し、その名前を口にしていく。
「ハンフリー・ゴードン様ですね? 車椅子バスケットボールの代表選手でいらっしゃる……」
×
車椅子バスケットボール。
下肢などに障害を抱える選手が車椅子に体を固定し、バスケットを行う競技である。使用するコートやリングなどは一般のバスケとほぼ同じ。四年前のローマパラリンピックから既に正式種目として採用されていた。
車椅子を自在に操る選手たちがコート上を駆け回り、激しい攻防を繰り広げる。スピーディな試合展開が魅力であり、パラリンピックの中でも特に花形と言っていいほどの人気競技である。
「それで……? その花形競技の選手が、ヴィーに何の用があるってんだ?」
「ベネディクト、言葉を慎んで下さい……失礼しました、旦那様」
そんな車椅子バスケの代表選手——ハンフリー・ゴードンに対し、ベネディクトは露骨に棘のある態度をとっており、それをヴァイオレットが嗜めていた。
ベネディクトが不機嫌そうなのは、まだ先の『見世物にされるヴァイオレット』のことを引きずっているからだ。
もしやこの男も、ヴァイオレットにそのようなことを要求しようとしているのではと怪しんでいた。
「い、いえ……こちらこそ、突然の申し出に関わらずこのような場を設けていただき……本当にありがとうございます」
しかし、ハンフリーは気を悪くした様子もなく、寧ろいきなり声を掛けた無礼を謝ってくれた。
礼儀正しい性格をしているのだろう、年齢も三十代後半から四十代前半くらいか。年相応に落ち着いた、大人な対応を見せてくれる。
「それで、私に何をお求めでしょう……お客様?」
ハンフリーの丁寧な対応に対し、ヴァイオレットも姿勢を正し——彼を『顧客』として扱う。
というもの、彼はヴァイオレットが代筆屋——有名な自動手記人形だと知った上で声を掛けてきたのだ。何かしらの代筆を頼みたいのだろう。誰の邪魔も入らない個室で、とりあえず彼の話を聞くことになった。
「私は……退役軍人でして。元々は戦闘機のパイロットをしておりました」
まずは自身の身の上を語るハンフリー氏。彼はアメリカ空軍に所属していた過去があり、そこで戦闘機のパイロットを務めていたという。
「ですが、朝鮮戦争のおり……人民解放軍の介入の際に撃墜されてしまいまして。何とか一命は取り留めたのですが、そのときに脊髄を損傷してしまい……それ以降、足が動かなくなってしまいましてね……」
朝鮮戦争において。
アメリカ——国連軍は朝鮮半島全域を支配下に置き、中国の領土付近まで攻め込んだことがあった。だがそれに焦りを覚えたのか、それまで支援に徹していた中華人民共和国は『義勇軍』という名目で兵士を動員したのである。
これが『中国の直接的な介入はない』と油断していたアメリカ側の意表を完全に突き、制空権を握っていた筈の多くのアメリカ軍機が撃墜されることになった。
その撃墜された戦闘機に、ハンフリーも乗っていたのだ。なんとか奇跡的に命は助かったというが、そのときの負傷が原因で——彼は二度と自分の足で歩けなくなってしまった。
「…………」
「…………」
ハンフリーの話が進んでいくうち、ベネディクトはその態度を徐々に軟化させていく。ヴァイオレットも同情からか、もしくは彼の『戦争』についての話に何かしら思うところがあるのか。
二人とも、静かに相手の話に耳を傾け続ける。
「実は……私は第二次世界大戦のときにも、パイロットをしていましてね……そのときにも、戦闘機を墜落させてしまったんですよ、ははは……」
このハンフリーという男。実は戦闘機のパイロットとして二度ほど、墜落の経験しているらしい。それで生き残ることが出来た幸運にも驚きだが、それを笑い話で済ませるあたり割と肝も据わっている。
だが問題は——その一度目の墜落のときに起きた、ある出来事に端を発していた。
第二次世界大戦、まだ血気盛んな若者だったハンフリーが配属されたのは『南方』だった。南方で彼に与えられた命令は、とある島内での制空権を維持すること。
南方に潜伏していた敵軍——日本軍を見張り、地上で怪しい動きをする敵兵がいたら上空から狙い撃ちにする。
それが任務であり、彼は何の疑問もなくその命令を実行に移していた。彼の機銃掃射で命を散らした日本人は、きっと一人や二人では済まないだろう。
「その日も……私は淡々と任務をこなしていました。ですが、戦闘機が突然不調をきたし……島内に墜落してしまったのです」
だがそんな日々の中、ハンフリーの乗る戦闘機が故障。彼は作戦区域であった南方の島に不時着することになってしまった。
「私が墜落したのは、日本軍と米軍が牽制を続けていた中間地点でした。さらに運悪く、機体に挟まれ動けなくなってしまい……」
墜落の拍子に、彼は機体から抜け出せない状態となってしまったとのこと。自力で動けない以上、味方からの救助を待つしかないが、敵兵が寄ってくる可能性もあった。
味方に助けられるのが先か、敵に見つかって殺されるのが先か。迫り来る死への恐怖から震えながらも、祈る思いで天命を待ったハンフリー。
そして——。
「——先に私を見つけたのは……日本軍の兵士でした」
運悪く、墜落した飛行機に最初に駆け寄ってきたのは、日本人の兵士だった。小銃を手にした敵兵の姿にハンフリーは死を覚悟したという。
「私は、咄嗟に家族の写真を握りしめ、家族の名前を叫びました……」
殺される。
そう悟った瞬間にも、彼は肌身離さず持ち歩いていたという家族の写真を握りしめた。最後の最後くらい、家族のことを思ったまま死にたい。人間であれば誰だってそう願う瞬間があるだろう。
彼は目を閉じて、己に『死』の瞬間が訪れるのを待った。
「…………?」
だがいつまで経っても、その瞬間は訪れない。ハンフリーは恐る恐る、閉じていた目を開ける。
「…………っ!!」
視界に飛び込んできた日本兵は、明らかに躊躇する様子を見せていた。その視線はハンフリーの手の中——彼の家族写真へと向けられていた。
たとえ人種は違えど、大切な人を想う気持ちは同じというわけだろう。
「——!!」
とはいえ、それも一瞬の気の迷いでしかない。戦場という場で情けは無用。日本兵は心を鬼にし、震えながらも小銃の引き金に指を掛けようとする。
「——敵兵だ!!」
「——撃て撃て!!」
だが、その僅かな時間で十分だった。味方からの救援が間に合ったのか、反対側から駆けつけてきたアメリカの兵士たちが、その日本兵に向かって牽制射撃を放つ。
「くそっ!!」
日本兵は悔しがりながらも、自分の命を優先してか慌てて退却していった。
「おい、生きてるか!?」
「すぐに救護班を呼べ!!」
アメリカ兵たちはそのまま敵を深追いすることなく、ハンフリーの元まで駆けつけて彼を救助してくれたのだった。
「——その日以来、私は敵兵を殺すことに躊躇いを覚えるようになりました。思えば、あれが私にとって初めて目の当たりにする、等身大の敵の姿だったのかもしれません……」
そのときの邂逅が、ハンフリーという軍人の意識を全く別のものへと変えた。それまでただ命令に従い、敵を殺めていた彼が『戦争』という行為に、初めて疑問を持つようになったというのだ。
あの瞬間、敵も同じ人間だと、本当の意味で気付かされたのかもしれない——。
「…………」
「ヴァイオレット、大丈夫か?」
そこまでのハンフリーの話に、何故かヴァイオレットの表情が徐々に曇っていく。
その表情を一言で表すなら——『罪悪感』に苛まれているかのよう。そんな彼女にベネディクトが気遣う様子を見せるが。
「大丈夫です。続けてください……」
それでも、依頼主の話を聞かなければとヴァイオレットは話の続きを促していく。
「——それから数ヶ月後、奇しくも私はそのときの日本人兵士と捕虜収容所で再会したのです」
その後、疑問を抱きながらも何とか任務をこなす日々において、ハンフリーは偶然にもそのとき出会した日本人兵士と言葉を交わす機会を得たという。
彼らが顔を合わせたのは、南方に建設された米軍の『捕虜収容施設』だった。
その施設にはそのときの兵士も含めて、多くの日本兵が捕虜として収容されていた。
「連合軍は一兵卒に過ぎない彼らを人道的に扱いましたが、日本の軍人は敵に捕まるくらいなら潔く死を選べ……という教育を受けるそうなんです。その教育のせいで、彼らは常に苦しんでいました……」
「何だそりゃ? せっかく助かった命なんだから、もっと喜べばいいのによ……」
捕虜となった日本人たちは、収容所の中でも常に軍人として——『捕虜の辱めを受けるくらいなら自決を』などという考え方を持っていた。そのため生き残ることに罪悪感を抱き、自ら命を断つものも決して少なくなかったという。
西洋人には理解しかねる感覚にベネディクトが呆れたようにため息を吐くが、日本兵にとってはそれが絶対的な規律だったのだ。
「彼も、そんな日本軍人の一人でした。生きていることを悩み、苦しんでいたと思います……」
捕虜となっていた彼も、そうした考えから常に苛まれていた。ハンフリーは彼に自殺などという安易なことをして欲しくなく、それとなく声を掛けたという。
「私は、通訳を通じて彼と何度か話をしました。あのときのことも、それとなく聞きましたよ……」
ハンフリーはその日本兵と様々なことを話したが、特にあのときのこと——自分を殺せるチャンスに、どうして躊躇ったのかを問い掛けていた。
『——知らん……そんなこと、俺にだって分からんさ……』
彼はそっけない口調で自分にも分からないと首を振った。きっと彼本来の人間性が、あの瞬間に引き金を引くことを躊躇わせたのだろう。
それからも、時間を見つけては何度か彼と言葉を交わした。その影響かは分からないが、彼は何とか前向きに生きようとしてくれるようになっていった。
やがて、戦争が終結したことで彼は日本へと送還されることになった。それっきり、彼とは会う機会もなくなったわけだが——。
「あれから、長い時が過ぎましたが……今でも私は彼のことが忘れられない。あの一瞬の躊躇いがあったからこそ、私はこうして生きている。そのお礼をこの機会に出来ればと思いまして……」
戦時中は敵と味方だった。そう易々と礼など言える環境でもなかったが、あれから十年以上も経てば素直に感謝を伝えたくなると言うものだ。
何の因果か日本へと来る機会もあった。あの日本兵にもう一度会って、改めてお礼を言いたいと言うのが、ハンフリーの望みらしいのだが——。
「なるほど、お話は分かりました。ですが……」
「会いたいつっても、そいつがどこに住んでるのかも……今生きてるかどうかも分からないんだろ? 普通に考えて無理じゃねぇか?」
ハンフリーの話が終わったところで、ヴァイオレットとベネディクトの二人が冷静に現状を分析する。
その日本兵と出会ったのが第二次世界大戦の最中なら、もう19年は経っているだろう。占領下の日本は色々と大変だったとも聞く、普通に考えて今の時代に生きているかも怪しい。
「つい先日のことです。日本を訪れた知人から……彼らしい人物を見たという話を聞きました」
無論、ハンフリーとてそんなことは百も承知だった。
だが、彼はその日本兵がこの東京に住んでいるかもしれないという話を耳にした。偶々日本を訪れていた知人が、彼の姿を目撃したというのだ。
「これは私の記憶を頼りにスケッチしてもらった、その日本兵の似顔絵です」
ハンフリーはおもむろに似顔絵のスケッチを取り出し、それをヴァイオレットたちにも見せた。
「よく描けていますね……」
「左目に傷跡、左耳もちょっと欠けてんな……」
その似顔絵は、ヴァイオレットやベネディクトも思わず唸ってしまうほどに完成度が高く、その人物の特徴を捉えていた。
日本人が西洋人の顔をなかなか見分けられないのと同じように、西洋人から見ても日本人の顔というのは似通って見えるものだ。だがその日本兵が戦場で負ったと思われる傷が、皮肉にも彼という人間の特徴を明確なものにしていた。
確かにこの特徴的な見た目なら、街中でチラッとすれ違っただけでも印象に残るかもしれない。
「それに、彼に直接会えなくても構いません……感謝の気持ちを伝えるためなら、それこそ手紙という手段でも構わないのですから……」
ハンフリーとしては是非とも彼と直接会いたかったが、滞在期間が限られている以上、それも難しいだろう。
だからこそ、彼はヴァイオレット・エヴァーガーデンという自動手記人形に——『手紙を書いてもらう』ことを思いついたのである。
手紙であれば、彼の知り合いでも見つけることが出来れば、それを渡してもらうように頼むことも出来るのだから。
「ヴァイオレットさん……どうか彼への手紙を、私の代わりに執筆していただけないでしょうか? 勿論、日本語で……」
ハンフリーは日本語が書けないため、その代筆をプロであるヴァイオレットに依頼する。だがヴァイオレットも通訳の仕事で忙しい。正直このような急な依頼、断っても誰も責めはしないだろう。
だが——。
「——かしこまりました。そのご依頼、お引き受けいたします……」
ヴァイオレットは迷うことなく、ハンフリー・ゴードンの依頼を受けることにした。
お客様がお望みならば——自動手記人形としての有り様を体現する、まさに彼女らしい律儀さであった。
「はぁ~……ところで、その日本兵……名前はなんていうんだ?」
そうして、またもや仕事を抱え込むことになったヴァイオレットにやれやれとため息を吐きつつ、ベネディクトは肝心なこと——手紙を送るべき相手の名を尋ねた。
「あれ……まだ言ってませんでしたっけ?」
既に話したと思っていたのか。少し間の抜けた返事をしながらも、ハンフリーはその日本兵——彼の名をヴァイオレットたちにも伝えていく。
「——彼は『水木』と名乗っていました。フルネームまでは知りませんが……」
×
「おい、水木!! 何をぼーっとしてやがる!! ちゃっちゃと手を動かせ、手をっ!!」
「……はっ!? す、すいません……!!」
東京都内のとある工事現場、オリンピックが終わった後も続く建設ラッシュの現場に——水木は働きに出ていた。
世界的に見ても、オリンピックという祭典は大成功に終わった。だがその後も日本の高度経済成長期は続き、その勢いに乗ろうと多くの工事現場で様々なものが建設されるようになった。
相変わらず現場の安全管理などはお粗末なものであったが、生きるためにも人々はお金を稼がなければならない。
水木も明日を生きていくための糧を得るため、額に汗水流して働いていた。
「はぁ……」
しかし、今の彼に以前のような気力はなく、現場監督からも気が抜けているとちょくちょく怒られていた。
毎日のようにため息を吐く日々。その原因が何であるかは——本人にも分かっていた。
「鬼太郎のやつ……今頃、どこで何をしてるか……」
そう、数ヶ月前に水木の元を去ってしまった少年・鬼太郎。
血の繋がっていない拾い子とはいえ、彼のことを水木は実の子供のように感じていた。そんな彼が自分の目の届かないところに行ってしまった。無事にいてくれればいいが、もしも怪我でもしていたらと。
そう考えるだけで、何も手が付かなくなってしまう水木であった。
一方その頃——。
「——髪の毛針!!」
深い森の中、少年の叫び声が木霊する。
そこは、普通の人間が決して足を踏み入れることの出来ぬ聖地——ゲゲゲの森。高度経済成長を遂げる人間たちの街が著しく発展を遂げる中、何一つ変わることのない古来からの自然がそこに溢れていた。
そんな雄大な大自然の中で、少年は自らの髪の毛を針のように飛ばし、ところどころに設置された『的』へと命中させていく。
「——リモコン下駄!!」
さらに、少年は自分の履いていた下駄を飛ばす。下駄はまさにリモコンで操作されているかのよう、木々の間を自由自在に飛び回り、最終的には少年の足元へと帰っていく。
無事、自分の元に戻ってきた下駄に対し、少年は「ほっ……」と安堵したように息を吐く。
「——良し!! なかなかいい感じじゃぞ、鬼太郎!!」
すると少年の一連の動作に、彼の頭からひょっこりと顔を出した目玉の小人——目玉おやじが感心したとばかりに頷く。
「そ、そうですか? 父さん……ふぅ……」
そんな実の父親からの賛辞に、少年——鬼太郎は少し疲れを見せながらも、嬉しそうに頬を綻ばせる。
水木の元を離れた鬼太郎は、ゲゲゲの森に身を寄せていた。その森の中で彼は妖怪としての戦闘能力を身につけるため、訓練に励んでいたのだ。
前回、初めて実戦において街中で暴れていた妖怪を退けた鬼太郎であったが、未だに自身の能力を十二分に発揮出来ているとはいえない。
自分の身は自分で守れるようにと、目玉おやじは鬼太郎に戦う術を教え、父親の教えを受けた鬼太郎も立派に幽霊族の一員として成長を遂げていく。
「——精が出るのう!! じゃが……そろそろ休憩にしたらどうじゃ?」
そうして、訓練に励む鬼太郎親子だったが——そんな彼らに、一人の老婆が声を掛けてきた。
「ほれ、茶でも飲むか? 握り飯もあるぞ!」
老婆は鬼太郎が根を詰めすぎないようにと、お茶を淹れて握り飯まで用意してくれたようだ。鬼太郎は素直にご厚意に甘え、一旦訓練を止めて近くの切株へと腰を下ろしていく。
そしてその老婆の名を呼びながら、恐縮したように頭を下げていく。
「あ、ありがとうございます……砂かけババアさん」
「そんな畏まらんでもよい! 気安く呼び捨てで構わんぞ……鬼太郎よ!!」
その老婆の名は——砂かけババア。ゲゲゲの森に住まう妖怪であり、今後も鬼太郎と長い付き合いになる仲間の一人であった。
「すまんのう、オババ。すっかり世話になってしまって……」
既に彼女と顔馴染みである目玉おやじも、砂かけババアへの礼を口にしていた。
このゲゲゲの森に鬼太郎たちが来てからというもの、ずっと砂かけババアに世話になりっぱなしであった。森の中を色々と紹介してくれたり、ご飯を持ってきてくれたり。
鬼太郎たちが今住んでいる家——通称・ゲゲゲハウスも、砂かけババアがずっと管理してくれていたものだ。
元々は目玉おやじが健在であった頃、彼が奥さんと暮らす前、独り身であった頃に住んでいた家なんだとか。もう何年と放置されていたその家を、いつでも帰って来れるようにと定期的に掃除してくれていたのである。
「なに、他でもないおまえさんの頼みじゃ!! それに……お主らも、色々と大変だったじゃろう……」
しかし、そのような気配りを特別誇るようなことはせず、寧ろ気を遣うように——目玉おやじたちの身に降りかかった『災難』に共感するよう、砂かけババアは気を落ち込ませていく。
「奥方のことは、残念じゃった……肝心な時に駆けつけられんで……本当にすまんかった……」
砂かけババアは目玉おやじの妻とも顔見知りだった。だからこそ、彼ら夫婦が苦しんでいるときに手助け出来なかったことを、心底から悔いていた。
もしも、自分が彼らの危機に駆けつけられていたら。それが無意味な仮定でしかないと分かっていてもそう考えてしまうのだろう。
「いや、おまえさんが気にすることではない。じゃが……ありがとうな、砂かけババア……」
そんな砂かけババアの後悔の言葉に、目玉おやじは気にするなと優しく声を掛ける。
目玉おやじとしては、その言葉だけで十分。砂かけババアが亡くなった妻のことを悼んでくれているだけでありがたいと、彼女への感謝を口にしていく。
「……お母さん……どんな人だったのかな……」
ふと、二人の話に鬼太郎がボソリと呟く。
二人がその死を悼んでいる、会ったことのない実の母親。果たして彼女がどんな人だったのか、息子としては気になるばかりであった。
「——ふぃ~……やれやれ、酷い目に遭ったぜ!!」
そうして、砂かけババアの淹れてくれたお茶やおむすびで鬼太郎たちが休憩していると——そこへ一人の男が顔を出してきた。
「…………」
既にその人物とも顔合わせを済ましていた鬼太郎だが、彼相手にどのようなリアクションを取るべきか、少し迷っている様子だった。
困っている息子に助け舟を出すかのように、目玉おやじがその人物に対する的確な対処法を実践してみせる。
「ねずみの……お前、また人間社会で何かやらかして来おったな?」
「今度はヤクザか……それとも借金取りか? いずれにせよ、碌な理由じゃあるまいて……」
目玉おやじが『ねずみ』と呼んだその人物は、ボロ切れを纏った見るからに小汚い男だった。
そんなあからさまにうそんくさい彼に対し、目玉おやじが冷ややかな視線を送る。勿論、砂かけババアも同様、彼への態度はぞんざいなものだった。
「おいおい!? 随分な挨拶じゃねぇかよ!!」
彼らの冷たい対応に心外だとばかりに叫ぶ男だが、それも仕方がないというものだ。
「あっちへ行ったり、こっちへ行ったり……そんなことを繰り返しておるから、半妖がどうだのと馬鹿にされるんじゃぞ!!」
砂かけババアの指摘する通り、このねずみなる人物は半妖——即ち、人間と妖怪のハーフなのである。
人間でもあり、妖怪でもある。
それを利用するかのように、彼は人間社会で問題を起こすと人間が立ち入れないゲゲゲの森へと逃げ込み、逆に妖怪たちの間で問題を起こせば、人間社会に紛れて身を潜ませる、などということを繰り返していた。
目玉おやじたちは半妖への差別意識があるわけではないが、このような男が半妖の代表例では色々と偏見が生まれそうだ。
「まったく、暫く見んうちに成長したと思ったが……中身はまるで変わっとらん。少しは大人になったらどうじゃ、ん?」
「いつまでも小僧ではいられんのだぞ、ねずみ男よ……」
目玉おやじは、彼という人物を小僧っ子の頃から知っていた。今ではすっかり大人の背丈まで成長したようだが、その性根は小僧の頃のままだと。
しかしいい加減、小僧から卒業したらどうかと。砂かけババアは、ねずみが一人前の大人・男になれという意味を込め——彼をねずみ男と呼んだ。
以降、小僧を卒業した彼を——妖怪たちは『ねずみ男』と呼称するようになっていく。
「けっ!! 旦那の方こそ、ガキが出来ちまったからか……すっかり口うるさいおやじになったもんだぜ。おやじ……目玉のおやじってか!!」
すると、変な呼び名を付けられたことに対抗するかのよう、ねずみ男は旦那と呼び慕っていた相手に皮肉るような呼び名を付け始める。
鬼太郎という子供をもうけてからというもの、すっかり父親としての側面が定着しつつある彼を、その姿形も含めて——目玉おやじと呼んだのだ。
以降、幽霊族として名を馳せた男は——多くの妖怪たちから正式な形で『目玉おやじ』と呼ばれ、慕われていくようになっていく。
「…………ねずみ男」
ふと、さっそく定着し始めた呼び名を呼び捨てにしながら、鬼太郎がねずみ男に問いを投げ掛ける。
「さっきは……何をそんなに慌ててたんだ?」
鬼太郎が気になったのは、ねずみ男の発言。彼が酷い目に遭ったと、何かから逃げてくるようにゲゲゲの森へと駆け込んできたことだ。
目玉おやじたちはいつものことと気にしていなかったが、鬼太郎はねずみ男と知り合ってまだ日も浅い。
いったい何が彼を焦らせていたのかと、細かいことながらも気になってしまう。
「そうそう……それなんだが、聞いてくれよ!!」
すると、鬼太郎の問いに調子づいたねずみ男がつらつらと事情を話し始める。目玉おやじや砂かけババアは、彼の話になどあまり興味を示さなかったが——。
「さっきまで、適当に街中をぶらついてたんだが……いきなり大通りの方がえらく騒ぎになってよ!!」
「……大通り?」
「おうよ! そんで見に行ったら……いきなり、自動車やらトラックやらが動き出して、盛大に玉突き事故を引き起こしやがったんだよ!!」
随分とテンション高めに言ってはいるが、それだけ聞くとただの交通事故だ。確かに危険はあっただろうが、特別気にするようなことではなかっただろう。ところが——。
「人間たちには見えてなかったみたいだが……ありゃ、妖怪の仕業だな……」
「なに……妖怪じゃと?」
ねずみ男の見立てによると、それはただの交通事故ではなく——妖怪の仕業によるものだというのだ。これには目玉おやじも、興味深げに彼の話に耳を傾けていく。
「あの妖怪……その辺の自動車に乗り移ったかと思ったら、車を炎上させながら爆走し始めやがったんだよ!! いや~、久しぶりに身の危険を感じたぜ……暫くはこっちで大人しくしてるつもりさ」
ねずみ男は自分が目撃したその妖怪の特性を述べ、その危険性から暫くはゲゲゲの森に引き込もると宣言する。
相手は妖怪だが、その特性は人間社会——主に自動車などに乗り移ることで被害を広げているというのだ。
自動車などがない、妖怪の世界の方が寧ろ安全だと。こちら側に逃げ込んできたというわけだ。
「自動車に乗り移る……もしや、それはっ!?」
「父さん!!」
ねずみ男のその話——人間社会で暴れているという妖怪の特徴に、目玉おやじと鬼太郎の二人がもしやと声を上げる。
それは数ヶ月前にも、鬼太郎たちが遭遇した妖怪の特徴と酷似したものだった。
そう、鬼太郎が水木の元を離れる決心を固めざるを得ない、そのきっかけを作ったといってもいい出来事。
彼にとっても因縁深い——とある妖怪の特性そのものだったのだ。
×
「お待たせしました、ベネディクト」
「おせぇぞ、ヴィー!!」
すっかり日も沈み、辺り一帯が暗くなった頃合い。ヴァイオレットとベネディクトの二人は待ち合わせ場所——選手村の入り口にて合流する。
東京オリンピック同様、パラリンピックの選手村は渋谷区代々木に建設された。そこには日本が占領下であった頃、アメリカ軍の居住地域『ワシントンハイツ』が存在していた。
日本が占領国でなくなった後も、アメリカ側の思惑もあって軍の居住区はここ最近まで存続し続けた。
だがオリンピックの開催に伴い、日本への返還が決定。ワシントンハイツ内にあった宿舎を整備し、選手村として代表選手やその関係者たちを広く受け入れることとなったのだ。
ちなみに、パラリンピックが終了したその後、その場所は『代々木公園』として整備され、市民たちの憩いの場として親しまれるようになる。
「仕事の方はもういいんだよな、ヴィー?」
「ええ、本日の通常業務は全て終了しました……これで、ハンフリー様の依頼に着手出来ます」
ベネディクトは、遅れてやって来たヴァイオレットに念を押すよう確認を取る。
パラリンピックの開会式は代々木の選手村にて行われ、何事もなく終わった。開会式の間、ヴァイオレットは通訳の仕事でずっと選手たちと付き添っていたため、他のことにまで手を回す時間がなかったのだ。
これは何も今日に限った話ではない。通訳の仕事で日本を訪れている以上、ヴァイオレットも昼の間はずっと選手たちに付き添う必要があり、自由な時間を取ることが出来ない。
故に、ハンフリーの依頼——『水木』なる元日本軍人を捜索する仕事は夜間にて行われる。
夜の間に東京の街中を巡って彼を、あるいは彼の関係者を見つけて手紙を託す。どちらにせよこのような大都市で、たった一人の人間を見つけ出すなど並大抵のことではない。
少しでも遭遇の確率を上げるためにと、依頼主であるハンフリーとヴァイオレットたちは別行動だ。彼は他の人たち、車椅子バスケのチームメンバー、その付き添い人たち一緒に東京を回るとのことであった。
「お手紙の方はハンフリー様から預かっています。あとは、水木という方を見つけることが出来ればよいのですが……」
既にヴァイオレットが代筆したハンフリーの手紙は用意してある。
これならハンフリーが直接水木と会えなかったとしても、彼に感謝を綴った手紙をヴァイオレット経由で渡すことが出来るだろう。
「ふ~ん、そうか……まあ、それはいいとして……ちょっと気になったんだが……」
とりあえず、依頼に関しては何の問題もないと、その件についてはベネディクトも何も言おうとはしなかった。
しかし、何か気になることでもあったのか、彼の視線が周囲へと向けられていく。
「——今日はどこへ行くつもりだい、ジョニー!?」
「——新宿でショッピングだよ!! 君は……仲間たちと呑みにでも行くのかい? 楽しむのは良いが、ほどほどにしときなよ!!」
「——渋谷楽しみだな、ハッハァ!!」
そこは選手村の入り口ということもあり、数多くの外国人たちが集まっていた。彼らも目的はヴァイオレットたちと同じ、東京の街に繰り出すこと。
もっとも彼らの目的は仕事ではなく、あくまでも観光だ。
明日からの競技でベストな成績を残すためにも、異国の地を巡って英気を養おうといったところか。基本的に外出届さえ出せば特に問題はなく、騒ぎを起こさなければ外で何をしようと自由であった。
「日本人の姿が見えねぇな……ていうか、あいつら部屋から出てこなかったけど……」
しかしその外出する中に、日本人の姿がないことにベネディクトは違和感を覚える。
選手村内には当然、日本人の選手たちも大勢いる。この国は彼らの自国なのだから、外出することに何も遠慮することなどないだろう。にも関わらず、彼ら日本人選手は外出どころか、自室からも出てこないのである。
選手村自体にも集会室などが設けられていた。そこで他国の人々と交流を深めてもいいようなものだが。
「聞いた話ですが……日本の障害者の方というのは、あまり表立って活動するものではないそうなのです……」
ベネディクトの疑問に、ヴァイオレットは聞いた話として——日本の障害者の現状を語った。
アメリカを始めとした西洋において、障害者の人間が健常者の人同様、手に職を持って社会的に活躍していることは何ら珍しいことではない。
パラリンピックの代表者として選ばれた各国の選手たちも、神父やセールスマン。会計士や弁護士といった特別な資格を有しているものも多かった。
しかし日本においては、障害者が手に職を持つという考え方自体があまり一般的ではなかった。
何かしらの仕事をしているものは、ほんの一握り。ほとんどのものたち療養所などの施設で世話になっている。
そういった背景もあってか、日本の障害者の人々は誰かに頼ってまで外出しようだとか、遊びに行こうとかいう考えには至らないのだという。他人に迷惑を掛けている自分が、誰かの手を借りてまでそんなことをするべきではない。
少なくとも、そんな考え方がこの時代にはあったのだ。
「どこの国でも、そういった問題はあるもんなんだな……俺らんところも、あんまり人のことは言えねぇし……」
そういった日本の障害者事情に、ベネディクトは複雑な心境でため息を吐く。
そもそもアメリカでも、障害者に対する差別がないわけではない。ただアメリカの場合は障害者というより、人種による差別。主に『黒人』に対する風当たりの強さが大きな社会問題となっていた。
学校やレストラン、交通機関などの公共施設の利用制限。白人による黒人への暴力など。それはこの時代の日本では想像も出来ないような激しい差別だったろう。
「ですが……もうすぐ、公民権法が施行されます。それで少しは何かが変わるといいのですが……」
しかし、そういった差別に対して何もしていないわけではない。ヴァイオレットは今年の議会で可決されることになった新しい法律に、彼女なりの希望を託す。
そう、奇しくもパラリンピックが開かれることになった1964年。アメリカ国内では人種差別を禁ずる法律——『公民権法』が圧倒的多数で可決されたのだ。
この法案に従うのであれば、アメリカは人種や宗教、性別や出身国といった違いによって人を差別してはいけない、そういう国に生まれ変わる筈なのだが——。
「どうかな、人間なんてそう簡単には変われない……それはヴィーだって、本当は分かってんだろ……」
「…………」
もっとも、そんなものは理想論だと。ベネディクトは彼女の希望的観測に、現実的でドライな発言を溢す。ベネディクトのその意見を、ヴァイオレットも否定することが出来なかった。
実際、法律が変わるからといって人々の意識がすぐに切り替わることはない。
法によって定められていようが、人は人を差別するだろうし、戦争や犯罪といった——『やってはいけない』ことが、この世からなくなることはない。
いったいいつになったら、この世から全ての不条理が消えてなくなるのだろう。そんな未来が果たして訪れるのだろうか。
この時代を生きるヴァイオレットたちも、そうした不安を抱えながら、日々を懸命に過ごしていたのだ。
と、少し暗い話題に気持ちを沈ませつつも、ヴァイオレットたちはハンフリー氏の依頼をこなすため、東京の街へと繰り出し、水木という男を捜すために聞き込みを開始していく。
「——すみません、少し宜しいでしょうか?」
「えっ……な、なに……?」
「が、外国人!? き、綺麗な人だな……」
街頭で人々に声を掛けるのは、主にヴァイオレットの役目だ。通行人は彼女のような見目麗しい外国人に唐突に声を掛けられ、最初はかなり戸惑っていた。
「実は、こういう方を捜しているのですが……」
「あらっ……日本語、お上手なのね……」
しかし彼女が流暢な日本語で話すおかげか、人々はヴァイオレットの話にきちんと耳を傾けてくれた。
言語の壁を克服することで、円滑なコミュニケーションを築く。彼女が通訳として選ばれたのは何も義手の性能を見せびらかすためだけではないと、その優秀さを証明するかのようだ。
「う~ん……ごめんなさい、ちょっと分からないわ……」
「この辺じゃ、見かけない顔だねぇ……」
もっとも、聞き込み自体は円滑でも——水木という人間の所在を突き止めることは、予想通り困難を極めた。
ヴァイオレットの手には水木の似顔絵があったが、やはりそれだけでは手掛かりとして心細く。ヴァイオレットの質問に答えようとしてくれた人たちも、心苦しそうに首を横に振るばかりだ。
「…………」
ヴァイオレットが聞き込みを続けている間、彼女の横ではベネディクトが警戒心を強めていく。
日本語が分からないベネディクト、彼はヴァイオレットに不埒な輩が近づかないかどうか、それのみに神経を研ぎ澄ませていた。
「へい、外人さん!! 日本語上手だね……今暇!?」
「せっかく日本まで来たんだ、俺らがいいところに連れてってやるよ!!」
実際、ヴァイオレットの美貌に鼻を伸ばしたチンピラが、彼女とお近づきになろうと声を掛けて来た。そういう輩にも、ヴァイオレットは律儀に聞き込みをしようとするのだが——。
「——
「へっ……? へぶっ!?」
そういった輩にベネディクトは失せろと英語で吐き捨てながら、実力行使に打って出る。
ベネディクトの言葉の意味を理解せぬまま、ヴァイオレットに下心を持って近づこうとしたチンピラが、容姿なくぶん殴られ一発で伸されていく。
「な、ななな……なんだコイツ!?」
「あ、危ねぇ奴だ!! こんな奴に関わっちゃなんねぇ!!」
言葉が通じず、狂犬のようなベネディクトの対応にチンピラたちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまう。
「ベネディクト……無用な騒ぎを起こすわけには……」
そういったベネディクトのやりように、ヴァイオレットがものすごく呆れた顔になる。
自分を守ろうとしてくれているのは分かるが、それでは逆に問題が大きくなるだけ。ましてや、ここは他国なのだからもう少し大人な対応をしてくれと、過保護な兄貴分を宥めようとする。
まさに、そんな時だった——。
「っ……!?」
「なんだぁ……爆発!?」
ヴァイオレットたちのいる東京の街に、突如として爆発音が響き渡った。
平穏な時間をぶち破る突然の騒動に、そこに住まう日本人たちも何事かと目を剥いている。彼らにとっても予想だにしなかった何かが、この街で起こり始めたのだ。
「……っ!!」
「お、おい……ヴィー!?」
すると何かの予感を覚えたのか。本来なら遠ざかるべきその騒動の中心点へと——ヴァイオレット・エヴァーガーデンが一目散に駆け出していく。
×
「うぇ~ん!! おっかぁ……おっかぁ、どこぉ……!?」
煌々と燃え盛る炎が、夜の東京を照らす。
母親と逸れたのか、幼い男の子が大通りのど真ん中で泣きじゃくっていた。いったい何が起きたというのか、そこでは多くの自動車が廃車と化し、激しく炎上していた。
逃げ惑う人々も、倒れている人も大勢いた。
そんな地獄の渦中にて、現在進行形で——自動車が泣いている男の子を轢き殺そうと迫る。
不可思議なことに、その自動車には誰も乗っておらず、どこから発火しているのか炎を纏っている。
そんな自動車と正面からぶつかっては、男の子の小さな体など無惨に吹き飛ばされ、燃え上がる炎によって炭クズと化してしまうだろう。
「ひぃっ!?」
男の子の惨たらしい最後を想像してか、その光景を見ているしか出来ない大人たちの悲鳴が木霊する。
「——っ!!」
だが、自動車が男の子を跳ね飛ばそうとした、その刹那。
その現場に飛び込んできた女性——ヴァイオレット・エヴァーガーデンが素早く男の子を掴み上げ、間一髪のところで彼を救いあげた。
恐るべき身体能力、普通の人間では彼女がどのような動きをしたか、それを捕捉することすら出来なかっただろう。
標的を見失った自動車はそのまま近くの建物へとぶつかり、全壊して動かなくなった。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
ヴァイオレットは安全な場所まで男の子を抱え上げ、彼に怪我がないかを丁寧な口調で尋ねていく。
「う……うわぁあああん!!」
ヴァイオレットの問い掛けに男の子は答えることが出来ず、ただひたすらに泣きじゃくった。よほど怖かったのだろう。
「外傷はありませんね、良かった……」
とりあえず、ヴァイオレットは自分で男の子に怪我がないことを確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
「ああ……坊や!! 坊や!!」
「おっかぁ!! おっかぁ!!」
そこでようやく、男の子の母親と思しき女性が駆け寄って来た。再会した母子は抱き合うことで互いの無事を確かめ合っていく。
「ありがとうございます!! 本当に……ありがとうございます!!」
息子の無事を確認した母親は、彼を助けてくれたヴァイオレットにものすごい勢いで頭を下げていく。
「無茶すんなって、ヴィー!! まじでヒヤッとしたぜ……」
少し遅れて、ヴァイオレットを追いかけて来たベネディクトが駆け寄ってくる。
彼はヴァイオレットの無茶を叱りつけるように声を荒げながらも、彼女が無事であったことに安堵の息を吐く。
「ベネディクト……これは、いったいどういうことなのでしょう?」
しかし、ヴァイオレットは自分の身が危険だったことなど気にも止めず、周囲の状況を見渡しながら、抱いた疑問をベネディクトにぶつけていた。
「——おい、大丈夫か!? 何があったんだ!?」
「——放水開始!!」
地元の警察や消防が駆けつけて来たおかげで既に騒ぎは収まり掛けていたが、現場には自動車の残骸が山のように転がり、その内の何台かは未だに燃え続けている。
「暴動でも起きたのか? それにしては……そういった連中の姿が見えないけどな……」
ベネディクトはその惨状を前に暴動、デモなどの可能性を思い浮かべる。
アメリカなら人種差別や、政治体制への不満から市民が暴動を起こすこともさほど珍しくはない。暴動が激しさを増せば、こういった惨状になることもあるだろう。
しかし、現場には暴動を起こすような集団の姿はなく、一方的に被害だけを受けた人間たちが蹲っているばかりだ。
「まるで……自動車が暴動を起こしたような惨状ですね……」
「おいおい!! 車が勝手に動き出したってのか!? 冗談キツいぜ!!」
ヴァイオレットは目の前の惨状を見た意見として——自動車が暴動を起こしたようだと呟く。実際、先ほど男の子を轢こうとした車も運転手が乗っていなかった。
だが、ベネディクトは常識的に考えてそんなこと起きるわけないだろうと、ヴァイオレットの発想を一笑に付す。
「そうですね……そうでしょうけど……」
ヴァイオレットとてそんなことは分かっていたが、ならば眼前の惨状をどう説明すればいいのかと。
「…………」
それまで感じたことのない、妙な感覚にただただ首を傾げるばかりであった。
「——ふふふ……はははは!! 人間どもめ、ざまあみろっ!!」
そんな混乱する人間たちを眼下に、ビルの上で声を上げて笑う影があった。
宙に浮く車輪の中心部に鬼のような顔を携えた——妖怪・片車輪である。
その能力——『回転するものに取り憑き、自在に操る』という特性を最大限に発揮し、片車輪は自動車のタイヤに憑依、車の暴走事故を引き起こしていたのだ。
ところが、妖怪を信じない今の現代人に片車輪の姿を見ることは出来ず、彼らには『自動車がひとりでに暴走した』ようにしか見えなかっただろう。
数ヶ月前も、そうやって片車輪は人知れず人間社会に甚大な被害をもたらした。今回も、片車輪はそれと同じことを引き起こして人間たちを苦しめていたわけだが——。
今回の件、数ヶ月前とは少しばかり事情が異なっていた。
「——片車輪さん、もういい加減になさい」
片車輪の破壊活動を咎めるように、一人の老人が声を掛けた。それは後頭部が妙に長い老人——妖怪・ぬらりひょんであった。
少し前までぬらりひょんは片車輪を唆し、暴れ回るように指示を出していた張本人だ。そのぬらりひょんが、今回の件に関してはあまりいい顔をしていなかった。
それは決して人間たちの心配をしているわけではなく、別に理由が存在していた。
「既にオリンピックが開催されてしまった以上、今更派手に暴れ回っても意味はありませんよ」
そう、ぬらりひょんが片車輪を暴れさせていたのは——『オリンピックという世界的な祭典を中止に追い込みたかった』から。
だがぬらりひょんの思惑は上手くいかず、オリンピックは無事開催。日本は世界に向けてその復興ぶりをアピールしてしまった。
ちなみに今の時期に開催されているパラリンピックを、ぬらりひょんは重要なイベントとは認識していなかった。
「今は雌伏のとき、じっくりと機会を待つときなのですよ」
故に、暴れるのならばより効果的なタイミングを図るべきだと。ぬらりひょんは暫くの間『地下に潜る』ことを決め、片車輪にもその時が来るまで耐え忍ぶように指示を出していた。
いずれ来るだろう、妖怪が表立って暴れ回れる時代——その日のために今は力を蓄えるべきだと。
「——知ったことか!!」
ところが、そんなぬらりひょんの考えなどどうでもいいとばかりに。片車輪は回転しながら、その身に纏う炎を激しく燃え上がらせていた。
「あの小僧、鬼太郎とか言ったか……奴に、あのとき受けた屈辱を返さなければ気が済まんのだ、俺はっ!!」
片車輪は自分の邪魔をし、あまつさえ傷をつけた相手——鬼太郎への復讐を画策していた。
人間たちを襲っているのも、鬼太郎が人間に味方をしていたから。もしも彼に人間を助けようとする意思があるのならば、いずれは自分のところまで来るだろうと。
そこを返り討ちにして、雪辱を果たす。そのためだけに、片車輪はここまで派手に暴れ回っていたのである。
「あのような小僧に何をそこまで執着するのやら……」
そんな片車輪の考えを、ぬらりひょんはくだらないと一蹴する。
ぬらりひょんにとって、鬼太郎などまだまだケツの青い小僧に過ぎない。あのような小僧一人のために『妖怪の復権』という、ぬらりひょんの壮大な計画全体にズレを生じさせるわけにはいかないのだと。
このときのぬらりひょんは——鬼太郎という存在が、いずれ自身の壁として立ちはだかることになるなどと、夢にも思っていなかった。
「まあいいでしょう、そういうことなら好きになさい」
だからこそ、言うことを聞かなくなった片車輪という厄介者を、ぬらりひょんは放置——見放すことに決めた。
使えなくなった手駒に用はないとばかりにその姿を眩まし、二度と片車輪と関わることはなかったのだ。
「ああ、好きにさせてもらうさ……ふんっ!!」
ぬらりひょんから見放されたことを特になんとも思わず、片車輪は叫んでいく。
「——さあ、いつでも来るがいい、鬼太郎!! 貴様が来なければ……さらに人間どもが苦しむだけなのだからな……ふふふ、はっはっはっは!!」
その瞳に宿るのは怒り、憎悪。
鬼太郎という小僧をどのようにして八つ裂きにするか、それのみを考え——片車輪は人間社会での破壊活動を続けていくこととなる。
人物紹介
ハンフリー・ゴードン
オリキャラ。話の都合上必要になった、パラリンピックの代表選手。
元軍人、戦争で負傷した怪我が原因で車椅子生活を余儀なくされている。
実際、昔のパラリンピックの選手には、こうした退役軍人が数多くいたという。
砂かけババア、ねずみ男
今作において、鬼太郎はこの時期にこの二名と顔を合わせているという設定です。
ねずみ男や目玉おやじといった呼び名も、この辺りで名付けられたといった感じ。
猫娘や子泣き爺といった面々とはまだ、今回の話の後に出会ったということにさせて下さい。
ちなみに、今作のエピソードを書くに辺り。
水木しげる先生の作品——『戦争と日本 敗走記』をちょっぴり参考にさせていただきました。
読む前は怖いなとか、なかなか読む勇気が出なかったのですが……一度読み始めるとどんどん引き込まれていく。
不思議な魅力の作品、日本人なら一度は目を通しておいて損はないかもしれません……。
次回で長かったヴァイオレット・エヴァーガーデンのクロスも完結。
どうか、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。