二話で終わらせたかったけど、だいたい三話が妥当なラインになるようです。
大なり小なり、人間社会は本音や建て前などといった――『嘘』によって成り立っている。
上司や同僚、家族相手であれ、自身の抱くものを全て吐き出す人間は少ないだろう。
不満や怒り、そういった感情を腹の奥底に溜め込み、張り付けた笑顔で上手いこと誤魔化す。そうすることで、人間はこの社会で折り合いをつけることができる。
もしも誰もが正直に、自身のやりたいことや言いたいことをところ構わず吐き出すようになれば、たちどころに人間関係は破綻し、社会全体が壊れていってしまう。
この世界で生きていく上で、『嘘』というものはある程度許容しなければならない不可欠な因子なのだ。
だが――最愛の人・安珍に騙された妖怪・清姫。『嘘』をなにより嫌悪する彼女にとって、そんな社会は決して理解できない。耐え難い苦痛に塗れたものであった。
生まれ変わった安珍を捜すため仕方なく大金を必要とし、ねずみ男と『嘘見破り相談室』なるものを立ち上げた彼女。だが、既にその我慢も限界に近づいていた。
嘘つきばかりの相手、自分も嘘をつく癖に他人の嘘を見破って欲しいと依頼してくる厚かましい人間たち。その全てが彼女の癪に障る。
みるみると膨れ上がる清姫の癇癪玉。それは徐々に、しかし確実に――
破裂するその瞬間を静かに待ち続けていた。
「……………ああ、イライラしますわね」
その日、最後の仕事をこなすべく、清姫はとある都内の大病院に訪れていた。この仕事を終えれば最初に定めた目標金額に到達する。
これ以上お金を稼ぐ必要もなくなり、安珍を捜すという自身の目的に慢心することができると、清姫はどうにか苛立ちを抑えていた。
彼女とねずみ男がこの病院に訪れたのは、誰かから依頼を受けたからではない。ねずみ男はこの病院の院長と秘密裏に面会し―—とても表沙汰にできないような案件を話し合っていた。
病院にまつわる黒い噂。医療ミスの隠蔽、反社会勢力との繋がりなどの真偽を清姫の力で見破り、それを公にしないことを条件に金を引き出す算段。
つまりは脅迫である。
立派な犯罪だが清姫は大した抵抗感もなく、ねずみ男の指示通り院長の嘘を見抜いて彼が金を搾り取れるように段取りを整えてやった。
清姫にとって『嘘』こそが『悪』。
弱みを握られるような秘密を隠し持っていた時点で院長の落ち度。同情の余地もなく、特に罪悪感を抱くことなく仕事をやり終え、病院の待合室で待機していた。
「……それにしても長いですわね。まだ終わらないのかしら」
とっとと帰りたい清姫は待たされている間、ずっとイライラしていた。相当ストレスが溜まっているのが傍目から見ても丸わかりなのだろう。病院関係者も患者も、誰もが腫れ物に触れるかのように彼女から遠ざかり、周囲を重たい空気が支配する。
「――ほら! あと少しよ! 頑張って!!」
「――う、うん。ボク頑張るよ!」
「……?」
そんな空気の中、誰かを励ます声と、その声に勇気づけられる少年のものらしき返事が響いてくる。
清姫がチラリとそちらに視線を向けると――そこには松葉杖をついて一人で歩こうとする少年、それを見守る医者と看護師の姿があった。
その少年は足を負傷してこの病院に入院したのだろう。再び己の足で歩くためのリハビリに励んでいる様子。それを見守る医師たちも真剣で、実に感動的な光景として周囲の人々の涙を誘う。
「…………」
だが清姫は、その光景を特に何を思うことなく眺めていた。すると彼女の視線の先で少年と医師が何やら言葉を交わしていく。
「先生……ボク、もう一度走れるようになりますか?」
「も、勿論だよ! リハビリを頑張れば……『また昔のように走れるようになる』さ!」
「…………」
その会話に――清姫は重い腰を上げ、少年の方へと近寄っていく。
「――ふぅ~やれやれ。ワシももう歳かのう……」
その日、腰を摩りながら歩く老婆――砂かけババアも、たまたまその病院を訪れていた。
妖怪として長いこと老人をやってきた彼女は、ここ最近腰痛で悩んでいる。その治療の薬など、昔は自分で調合したりしていたのだが、最近は人間の湿布や薬のほうが効果が高いことに気づいてしまう。
妖怪としてのプライドもかなぐり捨て、砂かけババアは素直に人間の医療を頼りに頻繁に診察に訪れていた。
「しかし……やはり、待ち時間が長いのが欠点じゃな……」
診察までの長い待ち時間に関して愚痴りながら、彼女は処方された薬を手に病院を後にしようとする。すると―—
「――な、何を言ってるんだ。君は!?」
「ん? なんじゃ騒がしい。静かにせんか! ここは病院じゃぞ――」
男性の悲鳴のような叫び声が院内に響き渡る。時間と場所を顧みない大声に思わず注意しようとそちらを振り返る。
「……って、あれは……清姫ではないか?」
だが視線を向けた先に見知った顔の少女、清姫の姿を見つけ思わず出かかった言葉を砂かけババアは引っ込める。清姫は病院の医師らしき男と対峙しており、二人の間には松葉杖をついた少年が困惑した表情で立ち尽くしている。
「ですから……先ほど申し上げた通りです」
清姫はうんざりした様子で、懸命にリハビリに励んでる少年に向かって平坦な口調のまま言い放つ。
「そちらのお医者様の言葉は『嘘』です。貴方の足は元には戻りません。お気の毒ですが、それが事実です」
「え? え、え?」
彼女は少年の主治医に嫌悪の感情を浮かべながら、嘘を見破る能力で知った事実を口にする。通りすがりの彼女から真実を告げられた少年は、何を言われたのか理解できないようで呆然としている。
「な、何を……部外者がいきなり……適当なこと言わないでくれたまえ!」
「あん?」
「ひっ!?」
隠していた事実を見抜かれ、医師は清姫を黙らせようと声を荒げるも、殺気だった彼女のひと睨みで逆に怯んでしまう。嘘つきな医師の戯言を黙らせ、清姫はため息を吐きながら続ける。
「まあ……私、医者ではありませんので怪我の具合に関してはっきりとしたことは申し上げられませんが、少なくとも――そちらのお医者様は貴方の足が元どおりになるなど、微塵も思っておりませんよ?」
清姫にとって『嘘』をつくことこそが『悪』なのだ。だからこそ、ありのままの事実を正直に述べる。
たとえ、その嘘にどのような意図があろうとも関係はなかった。
「おう! 待たせたな……って、なんだ? なんかあったのか?」
ちょうどその時になって、院長との話を終わらせたねずみ男が姿を現す。その場の緊迫した空気に何事かと彼が尋ねるも、清姫は何事もなかったように踵を返し、その場を後にしていく。
「また走れるようになりたいのであれば、転院をお薦めします。では、私はこれで……失礼しますので」
「………」
「………」
取り残された者たちがどのような思いを抱いていたかなど、まるで関心を示すこともなく。
×
「……それで? 話の方は上手くまとまったのですか?」
ねずみ男の運転する車内。後部座席で窓を流れていく景色を漠然と見つめながら、清姫は首尾を尋ねる。自分が不愉快な思いまでしてお膳立てしたのだから、その程度の仕事出来て当たり前だろうとやや上から目線に。
「ああ、バッチリよ! 口止め料に一千万は固いだろうな。ケケケっ!!」
運転席でハンドルを握りながら、ねずみ男は上機嫌に下品な笑みを浮かべる。院長への脅し――もとい、話し合いはつつがなく済んだらしい。
もっとも、ねずみ男の万事上手くいったという報告にも、清姫は特に喜色の表情を浮かべることはなかった。
「そうですか、それは結構……では、そろそろ今月のお給金を受け取りたいのですが?」
そのまま抑揚のない声音で清姫はねずみ男へ自身の取り分を要求する。彼女の催促にねずみ男は僅かに顔を顰め、分厚い札束の入った封筒を差し出しながら舌打ちする。
「ちっ……ほらよ。今月のお前さんの取り分だ」
「どうも。……念のため確認しますが、配当を誤魔化したりはしていませんね?」
「し、してねぇよ! 約束通り、儲けはお前さんと俺とで山分けだ……う、嘘なんかついてねぇぞ!?」
ねずみ男としてはビジネスで儲けた取り分を独り占めしたい、できることなら一銭たりとも清姫に払いたくないというのが正直な心情だ。
だが、もしも売り上げを誤魔化し、清姫への報酬を渋ればすぐにでも彼女の能力でそれが嘘だとバレてしまう。
清姫相手に嘘をつくことがどれだけ危険なことか。初対面の時から身に染みて分かっている。そのため、ねずみ男は腹の底で不服と思いながらも、儲けた金の半分を渡すしかないことに歯噛みする。
「いいでしょう。確かに……」
ねずみ男が取り分を誤魔化していないことを確認し、清姫は受け取った金を懐に大事そうに仕舞いこむ。
金そのものに執着はない彼女だが、その金は安珍を捜すために必要な出費だ。なくすわけにはいかない。
「では約束通り、今日で私の仕事は終わりです。適当な場所で降ろして下さるかしら? 後は自分でどうにかしますので……」
清姫はそう言い、ねずみ男に車を止めるように指示する。
安珍捜索のための必要な資金は既に集まった。これ以上、躍起になって稼ぐ必要もないと、当初に取り決めていた通り、清姫はねずみ男にこの商売を降りることを宣言する。
だがその意見に対しては、清姫の恐ろしさを知るねずみ男も素直に頷くことが出来ずにいた。
「ああ、それなんだけど……考え直さねぇか? ようやく商売が軌道に乗り始めたんだ。これからじゃねぇか!」
もっと儲けたい。もっと金を稼いでいい思いをしたい。
欲深いねずみ男がそのような気持ちを抱いたのは当然のこと。せっかく思いついた画期的なビジネス、ここで終わりにするのは惜しいと清姫に考え直すように引き留める。
「……別に私、お金が欲しいわけではありませんので。安珍様を捜すのに、これだけあればこと足りるでしょう」
だが案の定、ねずみ男の提案を清姫は突っぱねる。
既に携帯電話の契約も済ませ、彼女の手にはスマートフォンが握られている。ネットの情報から、探偵とやらに人捜しを依頼する相場がいくらくらいか調べておいた清姫はこれ以上稼ぐ必要はないと判断する。
今の嘘つきに囲まれた職場環境になど、微塵も未練はないと吐き捨てる。
「いや、でもよ……金はいくらあっても困らねぇし。安珍と一緒に暮らすのにも、もっと大金が必要だろう?」
しかし、こればかりはねずみ男も中々しつこく引き下がらない。あの手この手で、どうにか清姫を思いとどまらせようと必死に説得する。
だが、いくら言葉を重ねても清姫は頑なだった。「結構です」「しつこいですよ?」とねずみ男の執拗な勧誘にだんだんと苛立ちを募らせていく。
「――ちっ!! おい、いい加減にしろよ!!
もっとも、これに苛立ったのはねずみ男も一緒だった。ねずみ男からすれば『生まれ変わった安珍を捜すために金を稼ぐ』など馬鹿げている。そんな世迷言のせいでビジネスチャンスを逃してなるものかと。
彼はついに――勢いに任せ、口にしてはならない言葉を口にしてしまう。
「安珍だか知らねぇがそんなやつ、見つかる訳がねぇだろ!! そんなくだらねぇもんの為に金をドブに捨てるなんて――」
「――今……なんて仰いました?」
「――!!」
自身の言動にしまったとねずみ男が後悔するも、後の祭りである。
彼は恐る恐るとバックミラー越しに清姫の表情を窺う。
そこには瞳孔を開き、蛇のような舌をシュルシュルと出し入れする清姫の無表情な顔があった。
「あ、いや……今のは……その……」
一気に血の気が引き、青ざめた表情になるねずみ男。そんな彼に清姫は静かに告げていく。
「私の記憶が確かであれば……探偵に依頼した方がいいと、そう提案したのはあなたでしたよね?」
「あ……だから、それは……」
「それなのに、あなた自身は見つからないと……そんなことを思っていたわけですか?」
「いや……別に……悪気があったわけじゃ…………」
口に出さなかったからこそ黙っていられたが、ねずみ男自身は安珍が見つかるなど微塵も思っていなかった。
しかし人捜しに効率的だと、清姫に儲け話を持ち掛けたのは他でもない、ねずみ男である。つまり―—
「つまりあなたは…………私に――『嘘』を吐いた……ということですね?」
「ひぃっ!! ち、ちがっ……!?」
その裏切り行為こそ、清姫にとっては『嘘』をついていたも同然。
ねずみ男が言い訳する暇もなく、清姫の発する『熱』に車内の温度が急速に高まっていく。
それまで仕事のために抑え込んでいた怒りを、暴れられなかった鬱憤を晴らすかのように、彼女は怒りの炎を解放していた。
×
「――まったく、最後まで不愉快な男ですこと!」
消防車のサイレンが遠くから聞こえてくる。高く火柱を上げて炎上する車になど目もくれず、車ごと焼き払ったねずみ男の生死確認をすることもなく、清姫の思考はこれから赴く興信所へと向けられていた。
「しかし……これでようやく、安珍様を捜すことに専念できます。長かった……本当に長かったですわ!」
清姫にとって、ねずみ男との仕事は苦難の道のりだった。嘘つきを目の前にしていながら、手を出すことが許されず我慢しなければならない。彼女にとって、これほどストレスが溜まる職場もそうそうない。
だが、もうそんな我慢をする必要もない。やりたくもない仕事から解放された今、彼女を縛るものはもう何もない。
自然と足取りも軽くなり、鼻唄交じりに目的地へと向かう。
「確か、この辺りに……ああ! ありました、ありました!!」
予めネットで検索しておいた興信所――探偵事務所にたどり着く清姫。まずは一軒目、それから二軒三軒と、事務所をいくつかハシゴし、複数に跨って安珍捜索の依頼を出すつもりだ。
そのための軍資金は用意してある。清姫は意気揚々と事務所の門を叩き、輝かしい未来への第一歩を踏み出す。
「待っていてください、安珍様! 今、清姫が貴方様に会いに行きますから!!」
愛しい人への想いが溢れる清姫の笑顔――
しかし、三十分と経たない内――その笑顔は虚しく曇ることとなる。
「――そのような依頼をお受けすることはできません」
「……えっ?」
最初に訪れた大手の興信所。そこを本命と考えていた清姫だが、担当者の人間に依頼内容を説明したところ、すげなく断られてしまう。
「な、何故ですの!? お、お金ならありますのに!!」
報酬が足りないのかと、相場額の二倍、三倍の依頼料を現ナマのまま見せつけて清姫は食い下がる。
しかし、大金を目の前にしながら、冷静に首を振って担当者は答える。
「お金の問題ではありません。そのような途方もない依頼に大事な人員と時間を割くわけにはいきません。申し訳ありませんが――お引き取りください」
「なっ!? 何ですって!!」
口調こそ丁寧だが、担当者は呆れたような態度で清姫の依頼を頑に受けようとしない。その態度に腹を立て、清姫は顔を真っ赤にする。
「ふ、ふん! 別に構いませんよ! 興信所はここだけではありませんから!!」
ムキになってその場を立ち去り、次の探偵事務所へと足早に歩を進める。
だが――
「――申し訳ありません、当方ではお受けできません」
「――他をあたってくれません?」
「――冷やかしなら帰んな!!」
どこの探偵事務所に話を持ち込んでも、反応は似通ったものだった。時にはやんわりと、時には怪しむように、心底迷惑そうに清姫を追い払い、どこの興信所も彼女の依頼に応えようとはしなかった。
「何故? 何故、どこの事務所も私の依頼を受けてくださらないのですか?」
清姫は怒りよりも、戸惑いを強く感じていた。
せっかく苦労して報酬を用意したというのに、これではなんの意味もないではないかと。
しかし、考えてもみればこれは当然のことである。
清姫の依頼とは即ち――『生まれ変わった安珍様を捜し出してほしい』という、余人には理解しがたい類のものだ。人捜しを主な収入源とする探偵事務所でも、こればかりはどうにもならない。
仮に安珍とやらが本当に生まれ変わってるとして、いったいどうやって捜せというのか。
人相書きもなく、戸籍も分からない。どこの誰かも定かではない相手を、何の手がかりもない状態で見つけ出すなど、とても人間の調査能力の範疇ではない。
「いえ、まだよ。まだ、諦めるわけにはいかない!!」
しかし、安珍に会いたいと恋い焦がれる清姫に、そんな真っ当な理屈が通じる筈もなく。
彼女は挫けることなく、自身の望みを叶えてくれる探偵を求め、休むことなく興信所を虱潰しに巡っていく。
そして、ついに――
「――分かりました。その依頼、お引き受けしましょう!」
その依頼に応える探偵事務所の元に、彼女はたどり着いてしまった。
×
その探偵事務所は薄暗い路地裏の一角、こじんまりとしたスペースに設けられていた。
デカデカと看板が掲げられているわけでもなく、人で賑わっているようにも見えない。前もって調べておかなければ、とても探偵事務所だと判別できないような場所だ。
清姫も最初は然したる期待もせず、仕方なくその事務所を訪れていた。当たりを付けていた興信所全てに依頼を断られ、消去法でその事務所まで足を運ばなければならなくなった。
だからこそ、清姫もそこまで期待してなかった。どうせここでも断わられる、そんな面持ちで事務所の門を潜ったのだが――
「安珍様、という方の捜索ですね? ご依頼に応えられるよう、誠心誠意努めさせていただきます!!」
清姫に笑顔でそう答えたのは、その事務所の所長を名乗る男だった。
口元の笑みを絶やさず、目元をサングラスで隠した中年男性。彼は後ろに部下たちを控えさせており、その部下たちが清姫の依頼内容に戸惑う中、一人だけ平然と彼女の依頼を受けると豪語する。
「事務所の所員を総動員し、一日でも早く吉報を届けさせていただきますね!!」
「…………」
ようやく、自分の望みを叶えてくれるかもしれない相手との会合。
その言葉だけ聞けば、清姫は念願に一歩近づいたように思われる。
「……………」
しかし、清姫の表情に笑顔はない。
何故なら自身の能力により、彼女は気づいていたからだ。
所長の言葉が『嘘』であることを――。
彼が、安珍をまともに捜すつもりなどないということを――。
「だた……内容が内容だけに、若干経費はお高くなると思いますが……そこはご理解ください」
案の定、所長は遠回しに依頼料のかさ増しを要求してくる。まともな仕事などするつもりはなく、金だけ騙し取ろうという魂胆なのだろう。
――落ち着きなさい……落ち着くのよ、清姫……。
意外なことに、嘘をついた所長にいきなり襲い掛かるような真似をせず、清姫は一旦落ち着くように自身に言い聞かせる。
口先だけとはいえ、仕事を受けると宣言したのはこの事務所が初めてのこと。
このときの清姫はどんな小さな可能性でも構わないと、藁をも掴む思いであった。
「先に言っておきますが、報酬は全て依頼完了時に……。安珍様が見つからなければ、ビタ一文払うつもりはありません!」
清姫は牽制として、先にそのように宣言しておく。前金だけ頂こうという魂胆なら、これで直ぐに馬脚を露すだろう。だが清姫の言葉に動揺した素振りもなく、所長はニコニコと笑顔を浮かべたまま平然と言い放つ。
「ええ、勿論でございます!! 依頼料は全て成功報酬として……安珍様が見つかり次第お支払いしていただければと……」
「えっ……?」
これには清姫も目を丸くして驚く。『前金ではなく依頼達成時に報酬をいただく』その部分でのみなら所長は一切、嘘をついていなかった。
いったいそれで、どうやって自分からお金を騙し取るつもりなのか。
「……いいでしょう。依頼はひとまず……そちらに預けます」
清姫はその方法が何となく気になり、一旦依頼を所長に預けてその場から立ち去っていく。
そして――彼女はすぐさま引き返してきた。正面玄関からではなく裏口へと回り、清姫は窓からこっそりと事務所内の様子を覗き見る。
「……所長。どうするつもりです? あんな依頼受けちゃって……前金も要らないって金になんないっすよ?」
案の定、室内からは所員の困惑した声が聞こえてくる。今までに清姫の依頼を断ってきた事務所同様、彼らもこんな仕事は達成不可能だと思っているのだろう。
そんな中、所長はソファーの上に偉そうにふんぞり返りながら言う。
「――はっ!! バカか、テメェら?」
お客様である清姫に応対していたときと態度を百八十度替え、所長は威圧的な言葉遣いで部下たちを小馬鹿にする。
「久し振りの極太客だ。あれだけの大金、みすみす逃す手はねぇだろ、あん?」
「でも、成功報酬でしか払わないって……どうやって依頼を達成するつもりなんです?」
そう、所員が疑問を持っているように、それが清姫にも分からなかった。安珍を捜すことなく、いったいどのような手段で清姫から金を騙しとる算段なのか。
内心の怒りを押し殺しながら、清姫は続く所長の言葉を待つ。
「はっ! いいか? そんなんだから、馬鹿だって言ってんだ! ちょっと、待ってろ……」
すると、所長は自分の携帯でどこぞへと電話をかけ始める。電話向こうの相手に「久し振り!」や「ああ、またいつものカモだ!」などの台詞を口にし、電話は三分と経たぬうちに終了する。
手早く通話を切った所長は口元にいやらしい笑みを浮かべ、部下たちに向き直る。
「俺の伝手で男を一人手配する。そいつを『安珍の生まれ変わり』として紹介するんだ……それで依頼は完了っ! てわけさ……」
「――!!」
清姫の瞳孔が開く。
まさか、そんな安易な手段で自分を誤魔化せると思っているのかと、驚きと怒りで彼女の体からは静かに火の粉が零れ始めていた。
「なりすましって、ことですか? いやいや流石にバレるでしょ!?」
所員たちも、そんな方法では安直すぎると懸念を口にする。しかし――
「はっ! バーカ!! そもそもお前ら、あの女の言ってた『安珍がどうこう』なんて話……本気で信じてんのかよ?」
「………?」
所長の言葉にクエスチョンを浮かべる清姫。彼女がこっそり覗き見ているなどとも露知らず、所長は平然と口にしていく。
その言葉が――どれだけ彼女の怒りを買うことになるとも知らずに……。
「安珍? はっ! そんな奴、この世にいるわけねぇだろ? いいか? 安珍だか、生まれ変わりだか知らねぇが……ああいうガキは、そういった妄想の中で自分の理想の男を創造してるだけなんだ。運命の相手だの、白馬の王子様だの……適当なことぶっこいてるが、要はただの男漁りとなにも変わらねぇんだよ!!」
「――――――――」
「だから、『私が安珍の生まれ変わりです!』何て名乗る男の顔が良ければ、それで納得するんだ。『この人が私の運命の相手』……てなっ!」
「――――――――」
「俺らはその期待に応えて、いい男を紹介してやればいい! まっ、その相手がたまたま結婚詐欺師で、暫くすれば行方を晦ますことになるだろうが……そうなれば、また懲りずに理想の安珍様とやらを捜すことになるんだろうぜ。まったくご苦労なこった!!」
「――――――――」
「まっ、せいぜい利用させてもらうさ! 紹介料を勿論、安珍様とやらに適当に貢がせて、いい夢を見させてやる……ぷっ、プハハハハッ!!」
「――――――――」
所長の――不愉快な男の馬鹿笑いが木霊するが、今の清姫の耳には何も届いていない。
彼女の体は怒りに震えていた。暫くはその怒りを内側で我慢していたがついには耐え切れず、衝動的に事務所の窓ガラスをぶち破り、清姫は室内へと飛び込んでいく。
「なっ、なんだぁああ――!?」
音を立てて割れるガラス窓に事務所内の全員が一斉に振り返る。
「あ、さ、さっきの……!?」
そこに清姫が立っている姿を目に止め、所員一同は息を呑む。
「ど、どうなされましたか、お客様! 困りますよ……事務所の窓ガラスをっ!!」
所長も驚いてはいたが、すぐに清姫相手に営業スマイルを浮かべ取り繕う。
先ほどの会話を聞かれていないとでも思っているのか、所長はやや責めるような口調で清姫を糾弾する。
「あーあ……これは酷い、弁償ですね……。高くつきますよ、修理代?」
ほんの少し、粗暴な一面をチラリと覗かせ、所長は清姫へと強面な表情で迫る。
もっとも、そんなもので今更ビビる訳もなく、清姫は自身の今の心情をポツリと溢していた。
「――許さない」
――許さない、許さない、許さない!!
清姫は探偵事務所の所長――眼前の男に対する怒りで目の前が真っ赤に染まっていた。
『嘘』をついた。それだけでも清姫にとっては許し難き所業。
それを、この男は嘘をついただけでは飽き足らず、清姫の安珍に対する想いまでも『妄想』と侮辱したのだ。
これほどの屈辱と怒り、千年ぶりに復活して初めて――。
安珍に『嘘』つかれて裏切られて以来のことであった。
「――おい! 聞いてんのか!? 窓ガラス弁償しろって、言ってんだよ!!」
清姫が抱いている憎悪がどれほどのものかも理解できず、所長は尚も清姫に詰め寄る。だが――
「許さない、許さない、許さない……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない――嘘つき、嘘つき、嘘つき……嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき――」
「ひぃっ!? な、なんだお前っ!?」
病んだ目つきで繰り返し紡がれる憎悪の言葉に、ようやく清姫の持つ『異常性』に気づいたのか。
その時点になって、やっと所長は自分が踏んではならない虎の尾を踏んでしまったことに勘付く。
しかし――何もかもがもう遅い。
「嘘つきは絶対に――――許しません」
ここに来て、ついに清姫の怒りは頂点を迎え、その身を人の姿で保てなくなる。
化生としての本性――かつて安珍に裏切られた絶望が彼女を化け物へと変えてしまったときのように。
今再び、彼女の姿が巨大な大蛇へと変貌を遂げる。
これぞまさしく――『転身火生三昧』。
かつて愛しい相手を焼き殺した、青い炎の大蛇―—『安珍・清姫伝説』の再来である。
FGOも、もうすぐ第二部の五章が始まります。楽しみですね。
皆さん――石の貯蔵は十分ですか?