ゲゲゲの鬼太郎 クロスオーバー集   作:SAMUSAMU

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『私がビーバーになる時』、ディズニーピクサーの最新作観てきました!
いや〜……ディズニー映画なんて、久しぶりに映画館で観ましたけど、すっごく良かったです!!
最近のディズニーは色々と言われてますが……こういった作品を映画館で上映出来るのなら、全然大丈夫だと思いますので、今後も頑張ってもらいたいです!!

今更ですが、最近は『グノーシア』というアニメにハマってます。
最初はなんとなく流れで見ていたんですが、1話から最終話である21話までを続けて見ることで……全てが繋がっていく。原作ゲームにいない筈の、アニオリ主人公が違和感なく溶け込んでるのもすごい。

今回で『モノノ怪』とのクロスは完結です。
今作で原作に興味を持ってくれたのなら、5月上映予定の映画をぜひ劇場で!
三部作の最終章を皆で見届けましょう!!





モノノ怪 其の④

「はぁはぁ……そ、そんな、バカなことが……!!」

「こんなこと、あり得る筈が……あっていい筈がない……!!」

 

 少し時間を遡る。

 薬売りやまなたちが蔵の中で沢田家にまつわる秘密を聞かされていた頃。益子と安夫の二人は目の前の現実を受け入れられず、憔悴しきった表情を浮かべていた。

 

 二人は正子から沢田家の秘密を『聞かせるに値しない』と判断され、大人しく本館の方で待っているようにと申し付けられた。

 もう一人の分家である、野本伊世はしっかりとその言い付けを守り、薬売りが敷いた結界の中でじっとしていたのだが——益子と安夫はそれを破り、屋敷の外に出ようと試みたのだ。

 

 何が鬼だ、何がモノノ怪だ。そんなものいるわけがないと。さっさと警察にでも駆け込んであいつらを捕まえてもらおう。

 男二人を殺したのはきっとあの石動とかいう男で、純子やまながそれに関わっている筈だと。益子たちはそんな自分に都合の良い考えを浮かべていた。

 

「なんで……なんで出られないのよぉおおお!!」

「はぁはぁ、はぁはぁ!!」

 

 だが、どれだけ必死に脱出を試みようと、二人は一向に屋敷の敷地内から出ることが出来ないでいた。

 表口、裏口、非常口。どこからどんな方法で敷地の外に出ようとしたところで、いつの間にか敷地の内側へと戻されてしまっているのである。

 これこそ、まさにモノノ怪の仕業。沢田家全体が領域として囲い込まれているために起こる異常現象なのだが、やはりそれを信じることが出来ず。

 

「なんで……なんだって私がこんな目に……」

「はぁはぁ……ひぃ、ひぃ……」

 

 結局は何も出来ることはなく、すごすごと結界が張られている部屋へと戻ってくるしかなかったのである。

 

「だから言ったじゃん〜、いい加減諦めて大人しくしてろってさ〜……」

 

 そんな二人の醜態に、伊世はいつもの調子を保ったまま苦言を呈していく。

 鬼という尋常ならざる存在に殺されかけた彼女だが、今のところは努めて平静を装っていた。あの薬売りという男に任せておけが何とかなるという、理屈ではない妙な安心感があったため、どうにか心を冷静に保てていたのだ。

 

「う、うるさい!! お、女のくせに……ボクに指図するんじゃないんだな!!」

 

 ところが、そんな伊世の落ち着きようが気に食わないと。安夫は腹いせ、八つ当たりとばかりに彼女に向かって暴力を振おうとする。

 

「……ふんっ!!」

「あでっ……!?」

 

 もっとも呆気なく返り討ちにされ、無様に転げ回るという醜態を重ねるだけだった。

 

「あたし〜、こう見えて運動部なんで〜。アンタみたいな万年運動不足なおっさんに遅れなんて取るわけないじゃん〜」

 

 伊世は元護衛の男たちのような屈強な相手ならいざ知らず、安夫のように暴力すら他人任せだった男に負ける筈がないと。

 

「ボクは……ボクは沢田家の次期当主なんだぞ!! こんなことして、タダで済むと……!!」

「はっ!! アンタ、まだそんなこと言ってるわけ〜?」

 

 暴力が通じないと見るや、今度は懲りずに権力を笠に着ようするも、もはやそれすらも無意味だと伊世は安夫の台詞を鼻で笑い飛ばす。

 

「アンタが次の当主だってんなら、まなちゃんたちと一緒に蔵の中まで案内されてる筈でしょう〜? ここにいる時点で、アンタらはあたしと同じでただの分家でしかないんだよ〜、お分かり〜?」

 

 そう、安夫が次期当主として期待されているなら、こんなところで留守番などしていない。まなたちのように『認められた』ものらと一緒に蔵の中まで案内されている筈だ。

 今ここにいる時点で、自分たちに沢田家を継ぐ資格などないのだと。特にその地位を狙っているわけでもないため、伊世自身はこれといってショックを受けてはいない。

 

「そ、そんな筈がないわ!! 安夫以外の誰が……次の当主になれるっていうのよ!!」

 

 だが、よほどその事実を受け入れたくないのか、益子などがムキになって反論する。

 おおかた安夫が当主になれば、自分はその母親として権威を握れるとでも思っていたのだろう。

 

「まあ〜、普通に考えれば、次の当主候補は純子さん……そんで、その次がまなちゃん……ってことになるんだろうけどさ〜……」

 

 ならば、次の当主が誰になるかという話になるが。

 普通に考えるのであれば、正子の娘である純子。さらにはその娘であるまなが、沢田家を継ぐ資格があるということだろう。

 もっとも、本人らにその気はないだろうし、伊世もまなのような子がお家などに縛られて生きるのは忍びないと思っている。

 

 いずれにせよ、遅かれ早かれ沢田家は『お家断絶』という結末を迎えるだろう。

 栄枯衰退。どんなものにも繁栄があれば、終わりがあるということだ。

 

 

『——グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

「——っ!!」

 

 

 と、柄にもなく沢田家の未来なんてものに思いを巡らしていた伊世の下に凄まじい唸り声が舞い降りてくる。

 

「ひぃっ!? な、なんだなんだ、なんなんだよ!?」

「なんなの!? 今度はなんなのよ!?」

 

 伊世にとっては二度目ということもあって落ち着いていられたが、その絶叫を初めて浴びせられる安夫と益子の二人はみっともなく狼狽する。

 

 そんな人間たちの動揺する様を嘲笑うかのよう、沢田家の上空にぽっかりと『穴』が開く。

 まるで怪物が大口を開けたかのようなその穴の中から、再び『鬼』が這い出てきた。

 

 先刻同様、巨人とも呼べるサイズの鬼が上半身だけを穴の中から覗かせている。

 いや、心なしか先ほどよりも露わになった体面積が大きいように見受けられる。今にも下半身までもが飛び出し、その全身が穴の中から出てきそうな勢いである。

 

『——オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 飛び出した勢いに乗ったまま雄叫びを上げる鬼が沢田家の本館、伊世たちが待機している部屋に向かってその巨腕を伸ばしてきた。

 何も対抗手段がなければ、人間のような矮小な存在など部屋ごと握り潰されていてもおかしくなかっただろう。

 

『——!!』

 

 ところが鬼がその部屋に触れた瞬間、何かに弾かれるようその巨腕が退いていくではないか。

 

「札が……」

 

 伊世は薬売りが残してくれていた結界——部屋中に張り巡らされている無数の札に注目する。

 先ほどまでは白紙であった筈の札に様々な文字や文様が、目まぐるしい勢いで浮かび上がっては消えていく。

 結界の効果が発動しているのだろう。塩で引いた線も魔を退ける効力を発揮し、鬼の侵略を食い止めてくれていた。

 

『オオオオ……ウォオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 だが、それで退くほど鬼が——モノノ怪が抱く恨みは浅くない。結界など無理やりにでも破壊しようと、その巨腕を大きく振り下ろし始める。

 

「ひぃ……ひぃぇええええええ!?」

「ひゃああああ!?」

 

 結界に守られながらも、剛腕で叩きつけられる衝撃は結界内部にまで伝わってくる。

 その衝撃に、転げ回りながらみっともなく悲鳴を上げるしかない安夫と益子。その無様な醜態からも分かるように、彼らに沢田家の当主などとても務まらないだろう。

 

「お、落ち着け……落ち着け…」

 

 一方で、同じ目に遭っている筈の伊世は体を震わせながらも、じっと堪えていた。

 

「大丈夫、大丈夫……!!」

 

 決してヤケにはならず、大丈夫だと自身に言い聞かせながら祈るように手を合わせる。

 しかし彼女の祈りとは裏腹に、次の瞬間にも無数の札が焦げ落ちるように消失していく。結界が限界を迎えようとしているのだ。塩で引いた線も少しずつ削られている。

 

 

『グォオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 

 刹那、一際大きな絶叫と共にガラスが割れるような音が盛大に響き渡る。

 ついに結界を突破された。遮るものがなくなった鬼はギョロリと、憤怒に満ちた形相で獲物の隠れ潜む部屋の中を覗き込んでくる。

 

「ぎゃああああああああ!?」

「ひゃああああああああ!?」

 

 その恐ろしい形相を前に安夫と益子は情けない悲鳴を上げ、それを最後にその意識を手放してしまう。

 恐怖のあまりに気を失った彼らが、この騒動の中で意識を取り戻すことは終ぞなかった。

 

「——っ!!」

 

 伊世は気丈にも悲鳴を上げることなく耐えていたが、その表情は真っ青に染まっていた。

 抵抗するものが全てなくなった以上、あとは鬼の剛腕によって握り潰されるだけだと。その先に待つ『死』という未来が彼女の脳裏に浮かんでいく。

 

「——下がれ!!」

「——く、薬売りさん!!」

 

 だがそこへ颯爽と駆け付けてくれたのが、薬売りだ。結界が時間稼ぎをしてくれたおかげで間に合った彼の救援に、伊世の口元に自然と笑みが浮かぶ。

 そのとき、ほとんど初対面である薬売りの後ろ姿に伊世は妙な既視感を覚えたが——それが何であるかを彼女が理解することは最後までなかった。

 

 

 

「無事か?」

「は、はい!!」

「そちらのお二方は?」

「き、気を失ってるだけですから……」

 

 薬売りは手短に伊世たちの無事を確認し、意識を目の前の鬼——モノノ怪へと向けていく。

 

『オオオオオオオオオオオオ!!』

 

 眼前にて立ち塞がる薬売りに、鬼は苛立つような唸り声を上げながら襲い掛かる。

 それに対し、薬売りは袂から取り出した札を次々と投げ放つ。札は薬売りの正面に輪を描くように展開され、鬼の巨腕を受け止める結界と化す。

 

 結界の力は鬼の剛腕を真正面から受け止めるものの、それらの札もすぐに燃え尽きるように黒ずんでしまう。

 急拵えの結界では、そう長く持たないということだ。薬売りはそれでも必死に結界を維持し、その瞳に力強い意志を込めながら——鬼に向かって問いを投げ掛けていく。

 

 

「鬼よ、お前は何が許せない?」

 

 

 

×

 

 

 

 沢田正子から沢田家にまつわる秘密。鬼たちとの関わりを聞かされた薬売りであったが、その話の中に彼が求める『真』と『理』はなかった。

 

 勿論、モノノ怪の『形』にもなった鬼たちの恨みは理解出来る。

 何百年と沢田家に力を貸しながらも、一方的な都合で斬り捨てられ、一夜にして滅ぼされた彼らの無念、怨念は相当なものだろう。

 

 しかし、それだけでは『モノノ怪』には成り得ない。正子の話の中には、モノノ怪がモノノ怪たる所以——『人間の情念』が欠けていたのだ。

 妖が結びつくに足る、人間の情念——鬼たちの恨み辛みを惹きつけるほどの強烈な『何か』。

 

 だが、正子はそれ以上は語ることもないと言わんばかりに黙秘を貫いてしまった。ならば、あとは『当人』らに聞くしかないと。

 薬売りはモノノ怪と化した鬼たちの怨念に、その怒りの根源が何かを問い掛けたのだ。

 

『オオオオオオ……オオオオオオオオオオ!!』

 

 もっとも、怒りと憎悪で正気など既にないのだろう。薬売りの問いに答える気配などなく、鬼はただ暴れ回るばかりだ。

 

「——何をやってやがる!!」

 

 そんな鬼の暴虐ぶりを見かねて飛び出して来たのが、石動零だ。

 その両腕に鬼神纏わせ、既に臨戦態勢へと移行している。

 

「もう真も理もあるか!! 今ここで、こいつをぶっ倒すしかねぇだろ!!」

 

 もはや問答をしている余裕はない。真と理が不明なままであろうと、ここでモノノ怪を倒さなければ被害が広がるばかりだ。

 そこにはたとえ退魔の剣が抜けなくても、石動と薬売りが二人で組めばなんとかなるのではという、希望的観測も含まれていたわけだが。

 

「モノノ怪は、いまだ完全な姿ではない」

「なんだと……!?」

 

 ここで薬売りが驚くべき事実を口にする。

 

「あのモノノ怪は、この世とあの世を分かつ境にて留まっている状態だ……不完全な状態では、その力も十全には発揮できていないだろう」

「つまり……まだ全力の状態じゃなくて、これってわけかよ!!」

 

 薬売り曰く、モノノ怪はいまだ完全な状態でこの世に顕現していないとのこと。

 それは鬼が上空に開いた穴から、上半身しか出していないことからも窺い知れる。あの穴からその全身が出てきたときこそ、モノノ怪が本当の意味でこの世に姿を現すということだ。

 

「モノノ怪が真の姿を得れば、ますます手が付けられなくなる」

 

 そうなってしまったら最後、たとえ石動と薬売りが二人がかりで挑んでも勝機はないと。

 モノノ怪を完全に滅するためにも、やはり真と理を知ることが必要不可欠だと言えよう。

 

「だからって……どうしろってんだよ!!」

『グォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 だがそれが分かったところで、肝心の真と理が判明しなければ何の意味もないと。乱暴に吐き捨てながら、石動は荒れ狂う鬼との攻防を続けていく。

 もはやモノノ怪は狂ったように唸り声を上げるだけで、まともな会話など成立しないと——。

 

 

『——無礼者め!!』

 

 

 そのとき、空気を切り裂くように鋭い言葉が響いてくる。

 

「伊吹丸!?」

 

 声を上げたもの——それは石動の内で大人しくしている筈の鬼童・伊吹丸であった。

 

「だ、誰!? あっ……でも、ちょっとイケメンかも……」

 

 突然、石動の背後に幽霊のように出てきた伊吹丸の存在に驚く伊世だったが、彼が端正な顔立ちであったことからも、ちょっとばかり頬を赤らめている。

 

『我が名は伊吹丸!! 大江の山の鬼たちを従えていた酒呑童子、その息子である!!』

「お前、こんなときに何を……?」

 

 勝手に出てきた伊吹丸に石動も戸惑い気味だが、周囲の反応などお構いなしに伊吹丸はモノノ怪——その形の元となった鬼たちに向かい、命じるように言葉を発した。

 

『汝も鬼であれば最低限の礼儀を尽くせ!! いかなる道理があって我に牙を向けるか、その理由を明確に語るがよい!!』

「酒呑童子、鬼たちの大将か!! その息子とは、これはなかなかの大物が……」

 

 薬売りも伊吹丸という大物の登場に驚きながらも、彼が声を上げた意図を理解したのか感心したように息を溢していく。

 

 

 伊吹丸の父である酒呑童子は、鬼たちの中でも一際強大な力と知名度を誇った存在だ。

 その血を引いている伊吹丸も然り。本人は望んでいないが間違いなく鬼の首領としての風格、それを束ねる長としてのカリスマを備えている。

 そんな鬼の最高位。妖としてであれば、間違いなく格上であろう存在から問いを投げ掛けられているという状況。

 モノノ怪の形が鬼である以上、同胞として何かしらのリアクションがあるかもしれないと期待を抱かせる構図であった。

 

 

『————!!』

 

 狙い通り、伊吹丸の名乗りに巨大な鬼がピタリとその動きを止めた。

 

『……大江の鬼、伊吹丸よ。我らは裏切られた……』

 

 それまで唸り声しか上げることのなかった大きな口から、明確に意思のこもった恨み言が吐き出されていく。

 

『我らは騙された!! 裏切られた!! 殺された!! あれだけ我らの力に頼っておきながら……もはや我らは不要だと……その存在ごと斬り捨てたのだ!!』

「…………」

 

 それはまさに正子の口からも語られた、沢田家の歴史の闇に葬られた鬼たちの末路だ。

 異なる点があるとすれば、『滅ぼした側』と『滅ぼされた側』という視点の違いだろうか。

 

『許せぬ!! 許せるものか!! 我らを裏切った沢田の血筋を!! 我らを滅ぼした法師たちを!! 我らは決して許さぬ!!』

 

 当然、滅ぼされた側である鬼たちの憎しみはとどまることを知らない。自分たちをあんな目に遭わせたもの、その全てを許さぬと絶叫を上げる。

 

「ちっ! 俺も入ってるのかよ……」

 

 石動は許せない存在の中に法師たちの一団——つまりは鬼道衆の一員として、自身が含まれているという事実に舌打ちを鳴らす。

 

『許さぬ!! 許せない!! …………どうして?』

「むっ……?」

 

 そこからも、モノノ怪はやはり恨み言を吐き続けるばかりであったが、一瞬だけ明らかにそれまでとは違うトーンで言葉を発した。

 それは、よくよく耳を澄まさなければ拾えぬほどにか細い声であったが、確かに薬売りには聞こえていた。

 

 

『——どうして……わたしたちまで、こんな目に……』

 

 

 それは恨みや憎しみ以上に、悲壮感というものが前面に出た呟きだった。

 

「今のはモノノ怪の、理か……」

 

 薬売りは今の呟きにこそ、退魔の剣を抜くに必要となる心の有り様——『理』があると悟る。

 その内側に宿るものをより深く理解しようと、改めてモノノ怪と向き合い、再度問いを投げ掛ける。

 

「鬼よ、お前の中に……誰がいる?」

 

 

 

×

 

 

 

「くそっ!! これ以上は……!!」

 

 だが薬売りの問い掛けも虚しく、モノノ怪の荒ぶり様は鬼神の腕を纏う石動でさえ抑えきれないものへと激しさを増していく。

 

『我の声にも、もはや耳を傾けぬか……』

 

 鬼として位の高い伊吹丸の呼び掛けにも応じる気配はなく、もはやモノノ怪の中から完全に理性などというものは消え去った。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 狂ったような叫び声を上げるだけのモノへと成り果てた怪物は、己の中にある感情——怒りや憎悪からくる復讐心を満たそうと、鬼道衆である石動へとその力をぶつけていく。

 

「がっ!?」

 

 度重なる攻防の末、ついに鬼の巨腕の一撃が石動を大きくのけ反らせ、彼の肉体を地面へと沈ませる。

 

「不味い!! ぐっ!?」

「薬売りさん!?」

 

 薬売りは窮地に陥る石動に助け舟を出そうとしたが、邪魔だと言わんばかりで裏拳の一撃を叩き込まれてしまう。

 薬売りの体も大きく後方へと弾き飛ばされてしまい、その身を心配する伊世の悲鳴が木霊する。

 

『グオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 そうして、いざ憎き鬼道衆が最後の一人にトドメを刺そうと、モノノ怪の拳が大きく振り上げられようとした。

 

 

「——駄目っ!!」

 

 

 まさにその刹那、鬼の注意を引き付けるほどに大きな声がその場に響き渡った。

 

「犬山まなっ!? お前、何で出てきた!!」

 

 自身の危機に駆け付けてきた彼女——犬山まなの姿に石動が憤るように声を荒げる。

 モノノ怪の出現に際し、石動と薬売りはまなたちに蔵の中で待っているようにと指示を出していた。結界の守りを残しておけば、下手に連れ回すより安全だと判断したからだ。

 

「まな!!」

「…………」

 

 しかしそんな石動たちの言い付けを破り、まなは勿論のことながら娘を心配して追いかけてきたのだろう純子、どういうつもりか正子までその場に来てしまっていた。

 

 これで鬼たちの恨みの対象、全員がその場に集まったことになる。

 恨みを持ったモノノ怪にとって、まさに絶好な狩場と化したわけだ。

 

『——オオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 まるでそれを歓喜するかのよう盛大な雄叫びを上げながら、モノノ怪は最も憎むべき相手として『本家筋』の三人——まなたちへと狙いを定める。

 

「おいバカ!! 早く逃げろっ!!」

 

 転ばされたせいで救援が間に合わないと、石動はせめて声だけでも届けと必死に叫ぶ。

 だがとても逃げられるようなタイミングではなく。鬼の拳は容赦なく、まなへと流れるように叩き込まれていく。

 

「お願い!! 護って!!」

 

 しかしまなとて、何も考えなしにノコノコと危険地帯へと足を踏み入れてきたわけではない。

 鬼の拳が振りかぶられる瞬間に合わせ、まなは自身の首に掛けていた『お守り』を掲げる。

 

『——!?』

 

 瞬間、犬山まなの目の前に見えない壁が展開されたかのよう、鬼の一撃が空中で静止する。

 

「なにっ!?」

「あれは……かなり強力な結界、ですね」

 

 まなを護った不可思議な現象。石動が戸惑いを見せる中、薬売りはそれが結界によるものだと理解する。

 

 

 まなが持っていたお守り、それは鬼太郎たちが彼女の身を案じて用意したものだ。

 高名な陰陽師が退魔の力を込めて作ったそのお守りは、並大抵な妖怪では近づけないほど、強力な結界となって彼女を護っている。

 まなは記憶を失った後も、何度かそのお守りに助けられており、本人もそれが妖怪を退ける力を持っていることに薄々とだが気づき始めていたのである。

 

 

「今のうちに……立って!!」

 

 このお守りの力があれば、自分だって誰かの助けになれると。ただの足手まといにはなりたくないという、まなの気持ちがその行動にも反映されていた。

 

「お……おおっ!!」

「ふっ!!」

 

 まなの行動力に応えようと石動と薬売りは体を起こし、体勢を立て直す。

 ここから反撃だとばかりに、石動たちがモノノ怪に向かっていこうとした、まさにそのときだ。

 

「——えっ?」

 

 突如、まなの体に光が宿る。

 彼女が自身の体に『何か』が流れ込んでくる感覚を抱いた——その直後。

 

 

 まなの脳内に、見知らぬ記憶が浮かび上がってくる。

 

 

 

 

 

『やはり、どうにもならぬか……』

『はい。このままでは鬼どもが封印を破り……沢田の本家にも牙を剥くことになるでしょう』

 

 薄暗い室内、表情の見えない人間たちが何やら深刻に話し合っていた。彼らの服装から察するに、それなりに古い時代であることが窺い知れる。

 

「ここって……あの蔵の中?」

 

 まなは彼らのいる場所が、自分が先ほどまでいた場所——沢田家の蔵の中であることに気付く。

 歴代の当主と、当主に認められたものしか立ち入ることの出来ない場所だ。ならば彼らは沢田家の関係者ということに間違いないだろう。

 

『鬼どもの復活を止めるためにも、何か手立てはないものか……のう、鬼道衆の?』

 

 ふと、立派な着物を纏った人物が蔵の片隅で佇んでいた人間——山伏の格好に般若面を被るという、明らかに只者ではない雰囲気の人物に意見を求めていた。

 まなは与り知らぬことだが、それこそ鬼道衆に古くから伝わる妖怪討伐の際に用いられる伝統的な装束である。

 

『一つだけ……再封印の儀式を施すにあたって、奴らの復讐心を満たしてやる必要があるかと……さすれば多少の時間稼ぎにはなるでしょう』

 

 沢田家の当主と思しきものの問いに、鬼道衆のものは明確な解決策を示した。

 

「これって……もしかして、過去の記憶?」

 

 まなはそれが過去の記憶、実際にあった出来事を映像として見せられているのだと察する。

 

 彼らが話し合っている内容も、正子が語って聞かせてくれたものと同じだ。

 石碑に封じ込められた鬼たちが内側から封印を破ってしまうため、定期的に再封印をする必要があるという話だった筈だ。

 

『ほう……それで、具体的にはどうするのだ?』

 

 沢田家の当主は、鬼道衆に再封印とやらを施すにはどうすればいいのか、具体的な手順を尋ねた。

 それに対し——鬼道衆は何でもないことのように答えていく。

 

 

『人柱を立てるのです。誰か一族のものを鬼への生贄として捧げれば……それで奴らの復讐心が多少なりとも満たされることになるでしょう』

「…………え? はっ? ……い、生贄って……」

 

 

 まなは、鬼道衆が口にした言葉をすぐには理解出来なかった。

 数秒ほど間を置き、ようやくその意味を理解したところでその表情を真っ青に染めていく。

 

『生贄か……面倒なことだが、背に腹は変えられん』

『分家のものであれば、何人か用意できましょう……』

『すぐにでも手配を……なに、本家の命令であれば彼らも従うしかないでしょう』

 

 驚くまなとは対照的に沢田家の人間たちは淡々と、生贄となるものたちの選定を始めていく。

 真っ先に候補に上がったのは沢田の『分家』の人間たちだ。『本家』のものたちの独断により、彼らはその身を捧げることを決定付けられたのである。

 

 

 

『——いやああああ!! 何で私たちがこんな……!!』

『——お許しを!! お許し下さい!! 当主様!!』

 

 映像が切り替わる。

 

 蔵の中、鬼たちが封じられている石碑の前に連れてこられた男女が涙ながらに叫んでいた。

 周囲は武装した山伏の集団・鬼道衆によって固められており、生贄たちは逃げることも出来ない。

 

『お前たちの命で沢田家の安寧が約束されるのだ。これは、名誉なことである!!』

 

 後方では沢田家の当主・本家の人間たちがご高説を垂れていたが、生贄にされる側からすればたまったものではない。『死にたくない』『助けてくれ』と、分家の人間たちの命乞いが幾度となく叫ばれる。

 

『やれ……』

『はっ!!』

 

 だが分家の懇願など、本家の人間たちはまるで耳を貸すことはなく。

 当主の指示のもと、鬼道衆らは生贄となる男女を石碑に向かって放り投げた。

 

 

『オオオオオオ……』

 

 

 次の瞬間、石碑が僅かにひび割れ——その隙間から『鬼』が這い出てきた。

 まなたちが直接対峙していたものと比べると、大きさや迫力がだいぶスケールダウンしているが『鬼』であることに違いはない。

 その両腕がまっすぐ伸ばされたと思った瞬間にも、ゴキリと気持ちの悪い音が木霊する。

 

「——っ!!」

 

 まなは咄嗟に目を閉じてしまっため、その瞬間を直視したわけではなかったが——悲鳴が聞こえなくなったことから、生贄の男女が息絶えたのは明白だった。

 

『今だ!! 再封印をっ!!』

『唵!!』

 

 だが彼らの命など惜しむ暇もなく、本家の号令で鬼道衆が呪言を唱える。

 

『…………』

 

 するとどうだろう。這い出てきた鬼が、大人しく石碑の中へ引っ込んでいくではないか。

 分家とはいえ、沢田の血族を殺せたことで溜飲を下げたということか。つまるところ——これが『再封印の儀式』ということだ。

 

「うっ……ま、まさか……」

 

 思わず口元を抑えながら、まなの脳裏に悪夢のような考えが浮かぶ。

 正子の話によれば、再封印は定期的に行わなければならないとのこと。

 

 つまりこんなことを現代に至るまで繰り返してきた、ということなのか。

 まなの嫌な予感は的中していた。

 

 

『嫌だ……いやだぁあああああああ!!』

『こ、このようなこと……許されるわけが!!』

『……はい、この身一つで一族の皆が救われるのであれば……』

『あなたたち、こんなことをしてただで済むと!!』

『ふざけるな……ふざけるなぁああああああ!!』

『いつまで……いつまで、こんなことを続けていくおつもりですか!?』

 

 

 その後も次から次へと、人柱として捧げられていく人間たちの絶望、恐怖、憎悪、怒り——そして悲しみといった感情が浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消えていく。

 中には生贄というお役目を名誉だと有り難がっている風変わりなものもいたが、多くのものたちはそれを理不尽な運命だと叫んでいた。

 

 

 

 そんなことを数百年と繰り返していく中で——その瞬間は訪れる。

 

 

 

『……どうして? どうして……私たちがこんな目に……?』

 

 一人の女性が息絶え絶えといった様子で石碑の前で横たわっている。

 既に儀式を終えた後なのか、蔵の中には誰もおらず。彼女はひとりぼっち、今にも事切れそうな状態で放置されていた。

 若い身空で生贄になど選ばれてしまった彼女の胸中がいかほどのものか。瞳から流れ落ちる一筋の涙からも、その想いを察するに余り有るものであった。

 

 

『——憎いか? 沢田家のものたちが……』

 

 

 そんな彼女の無念に寄り添うような形で、何者かの囁く声が聞こえてくる。

 その声は再封印を施した筈の石碑、ほんの僅かなひび割れから染み出すように響いてきた。

 

『その想いは我ら鬼も……今日まで贄として捧げられてきた人間たちも同じだ……』

『同じ……わたしも……あなたたちも……』

 

 人間たちに裏切られた恨む辛みを重ねてきた鬼たちも。

 同じ家のものたちに生贄として放り捨てられた人間たちも。

 

 その想いが同じであると、繰り返し続けてきたことでようやくその答えに鬼たちは辿り着いた。

 それと同様に贄として捧げられた彼女も、自分と同じような想いを抱きながら死んでいった先祖たちの無念を知ってしまった。

 

 

 こんな想いを抱くことになった、その元凶は誰かと——もうその答えも出ていた。

 

 

『許さない、許せない』

 

 

 許せない。自分たちを裏切った人間たちが。

 許せない。自分たちを贄として切り捨ててきた人間たちが。

 

 

 

 沢田の血族が——許せない。

 

 

 

 こうして、人間の情念と妖たる鬼たちの魂が結びつき——モノノ怪は生まれた。

 モノノ怪となった後も封印そのものは続いており、彼らは自分たちが解き放たれるその時が来るのを静かに待ち続けていた。

 

 

 

 そして、時は満ちた。

 

 

 

 

 

「——まな……まなっ!! しっかりしなさい!!

「——はっ!?」

 

 母たる純子の呼び掛けに、まなは意識を覚醒させる。

 横たわっているまなの体を、純子が必死な様子で介抱している最中であった。

 

「無茶しないで!! いきなり動かなくなって……本当に心配したんだからっ!!」

「えっ……?」

 

 純子の視点からすると、どうやらまなは一、二分ほど気を失っていたようだ。

 

「おらっ!!」

「はっ!!」

 

 その間、石動と薬売りの二人でなんとか鬼の進撃を食い止めてくれていたようだ。

 

「まなちゃん、大丈夫?」

「立てますか、まなさん?」

 

 純子の後ろでは、まなの顔を心配そうに覗き込む伊世が、そして正子が相変わらず感情を見せないながらも、孫であるまなを気遣うような言葉を投げ掛けてくれている。

 しかし今のまなの中には、沢田家を正しく継承してきた彼女に対する恐れといった感情が芽生えていた。

 

「どうして……?」

「……?」

 

 故に、正子に向かって率直に疑問をぶつける。

 

「どうして……生贄なんて……」

「!? まなさん、何故……貴方がそのことを……」

 

 まなの言葉に驚くその表情から、正子が全てを知っていたことは明白だ。

 

「生贄って……何を言ってるの、まな……?」

「まなちゃん、頭でも打った?」

 

 一方で、まなの言葉に戸惑う純子と伊世の反応は何も知らないもののそれであった。

 

「分からない……分からないけど、そういう光景が見えたの……これって……」

 

 まな自身、自分の身に起きたことを詳しく説明することは出来なかったが、先ほど見た光景がただの幻覚ではなく、実際にあった出来事なのだという確信はあった。

 

「犬山まな、お前……!!」

『なるほど、つまりはそういう……』

 

 彼女たちの会話が聞こえていたのか、石動は驚くよう眉を顰めていたが、伊吹丸の方はどこか納得だと言わんばかりに頷いている。

 

 

 伊吹丸は過去、犬山まなを『憑坐(よりまし)』として利用したことがあった。

 憑坐とは、霊などといったものを憑依させるための依代となると人形、あるいは人間のことである。

 元々、まなには高い霊的素養があった。

 伊吹丸が彼女を利用しようとしたのも、名無しと呼ばれた闇が彼女を器として選んだのも、その素質があったためだ。

 またまな自身覚えていないだろうが、彼女は過去にも何十年も昔に亡くなった人の想いを伝えるため、その体を死者の魂に明け渡したことがあった。

 

 

「先ほどの接触、あれによってモノノ怪の記憶が流れ込んできたか……」

 

 そうした高い素養から、結界越しとはいえモノノ怪と接触したことで、そこに混ざり合う人間たちの想いを——生贄とされた沢田家のものたちの無念などを読み取り、その記憶を垣間見たのだろうと。

 似たような経験でもあるのか、薬売りもまなの身に起きたことを瞬時に理解していく。

 

 

「ならば問おう、沢田の血を引く少女よ!! あの鬼の真と理をっ!!」

「っ……!!」

 

 

 であるならばと、薬売りは犬山まな・沢田家の末裔である彼女にあの鬼・モノノ怪が生まれた経緯、その心情を語るようにと声を上げる。

 

「沢田家の人たちは……あの鬼を封印するため……分家の人たちを生贄に……」

 

 いきなりの問い掛けに困惑するまなであったが、意を決した彼女は自身の口からポツリポツリと語り始めた。自分が見た光景を頭の中で整理しながら、自分なりの言葉でそれを伝えようと試みる。

 

「…………」

 

 沢田家の当主である正子は、その話を遮ることなく静かに聞き入っていた。

 

 沢田家が鬼たちの力を借り受け、用済みとなったから斬り捨てたというゴシップはそれだけでもお家の恥と言えるような話であったが——鬼たちの魂を鎮めるため、家のものを生贄としていたなどという真実は、それよりも遥かにタチが悪い醜聞である。

 

 その事実を隠したかったからこそ、正子もそのことを黙っていたのだろう。

 しかし、もはやこれ以上は隠し立てしても意味はないとばかりに、まなの語り口に黙って耳を傾けるという、沈黙を持って全てを肯定していく。

 

「鬼たちの魂……それを鎮めるための生贄……それこそが『真』か……」

 

 まなの話を噛み締めるよう、薬売りは彼女の言葉を反芻していく。

 すると、薬売りが手にしている退魔の剣の鬼面となっている柄頭が「キン!!」と歯を打ち鳴らした。

 

 

 それこそが、モノノ怪の『真』——つまりは事の有り様ということだ。

 ならば次に必要となってくるのは、心の有り様だが。

 

 

「みんな……みんな叫んでました。死にたくない、苦しい、どうして……どうして、こんな目に遭わなきゃならない……って……」

 

 それは決して一言で説明出来るものではなかった。

 生贄にされた人間たちは過去数人、いや数十人はいた。今際の際、各々が怒りや戸惑い、悲しみといった個々の感情を抱いたまま死んでいったが——皆が一貫して思ったことは『何故?』という気持ちだった。

 

 何故、自分たちが死ななければならないのか。

 どうして、こんなことになってしまったのか。

 

「そのとき、聞こえてきたんです……あの鬼たちの囁きが……」

 

 そんな生贄とされたものたちの想いを一つに束ねたのが、鬼たちの怨念だ。彼らは行き場を失った沢田家の人々に『憎しみ』という指向性を持たせた。

 それにより、本来個別な感情でしかなかった贄たちの想いが一つとなり、それがさらに鬼たちの魂と結びついた。

 

「モノノ怪が生まれた、ということか……」

 

 それによりモノノ怪——眼前の巨大な鬼が生まれたのは明白だった。

 

「生贄として捧げられたものたちの無念と、無用と断ずられた鬼たちの無念が一つになり……より強大な憎しみとして膨れ上がったか……その心の有り様、まさしく『理』である」

 

 薬売りは妖である鬼と、沢田家の人間たちの憎悪の収束——その情念こそが『理』なのだと理解する。

 瞬間、鬼面の柄頭が立て続けに「キン!!」と歯を打ち鳴らした。これで事の有り様と心の有り様、その二つが薬売りの知るところとなったわけだが。

 

 

『——グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 

 その直後だった。モノノ怪たる鬼の憎悪が最高潮に達したのは——。

 

 

 

×

 

 

 

「気を付けろ!! 奴が……穴の中から、出てくるぞ!!」

 

 薬売りがまなに問いを投げ掛けている間も、石動零はモノノ怪との戦いを続けていた。

 その間、モノノ怪は上空にポッカリと空いた穴から這い出そうとしており——今まさに、その全貌が明らかとなる時が来た。

 

『——グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 穴から飛び出してきた鬼は、その両足で地面を力強く踏み締めた。

 

「こいつは……デカイ!!」

 

 鬼の全体像。それは沢田家の屋敷を踏み潰せるのではと思えるほどの巨体であった。

 さらにはその身が浮世へと解き放たれたことで、妖気のほどがどれほどのものか明らかとなり、その強大さに石動も焦燥感を隠せないでいる。

 

『よもやこれほどとは……これは、我も力を貸す必要があるやもしれん……』

 

 その妖気の大きさは、あくまで石動零の助言者に留まっていた伊吹丸ですら、自身の力を貸し与える必要があるかもしれないと考えるほどであった。

 

「ね、ねぇ……あれって、いったい……!?」

 

 だがその大きさや威圧感よりも、真っ先に目がいくものがあると。伊世が何かに気づいたのか、鬼のある部分を指差す。

 

 

『アア、アアアアアアアアア……』

『オオオオオオオ……』

『ヴォオオオオオオオオオ……』

 

 

 鬼の胴体部分に埋もれるような形で、そこにはいくつもの『顔』が浮かび上がっていた。

 まともな言語すら発せられない、もはや正気などないだろう呻き声を上げる彼らの顔は苦悶に満ちていた。

 

「うっ……あれは、人の顔……?」

「生贄にされた人たち……沢田家のご先祖様の……」

 

 まなと純子が顔を顰める。何も知らない状態でそれを見ても何が何だか分からなく、ただ気分が悪くなるだけだっただろう。

 しかしまなが語った内容から察するに、それが鬼と結びついた人々——生贄にされた沢田家のものたちの顔であると推察することが出来た。

 モノノ怪と化し、鬼たちと一つになった後も、彼らはああして苦しんでいるのだと。

 

「あれこそが……沢田家の罪の形……」

 

 全てを把握していた正子も、初めて目の当たりにする自分たちの罪の証には流石に思うところがあるようだった。

 

 

 

「鬼よ! お前たちの真と理、確かに受け取った!!」

 

 だが相手が何者であろうと、モノノ怪がどれだけ強大な力を誇っていようと——既に全ての答えは薬売りの元に集まっている。

 

「形、真、理……三様がここに揃った!!」

 

 それ即ち、退魔の剣を抜くのに必要な条件が全て揃ったということに他ならない。

 

 

「——よって今こそ、剣を……解き放つ!!」

 

 

 薬売りは退魔の剣を掲げ、声高らかに叫ぶ。その呼び掛けに応えるよう——。

 

 

『トキハナツ——!!』

 

 

 退魔の剣が歯を打ち鳴らし、薬売りの言葉を復唱した。

 

 

 

 

 

 瞬間、天地がひっくり返り、万物が流転する。

 止まった時の中は、まさに人ならざる者だけが足を踏み入れられる領域。

 

 薬売りは人の器を捨て去り、人ならざる者の器——『神儀(しんぎ)』へと化身する。

 

 隈取の如き化粧が流れ落ち、全く別の紋様がつま先から額まで、余すことなくその全身を彩っていく。

 それが何を意味するか、いったい神儀が何者なのか。それを知るものは誰もいない。

 そもそも、それを観測するものがいなかった。既に戦いは人ならざる者たちの手に委ねられ、只人が立ち入れぬ領域にて神儀と化した薬売りと、モノノ怪たる鬼が対峙していく。

 

 

『——ウォオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 

 モノノ怪は己の存在意義を果たさんがため、立ち塞がる神儀を全力で排除しようと雄叫びを上げながら拳を振りかぶった。

 半身だけを使っていたときとは比べようもなく、全身の力を使って振るわれる拳の一撃は大地を叩き割るほどの威力と化している。

 

「……!!」

 

 それに真っ向から応じる、神儀。

 その手には退魔の剣が握られており、影のように真っ黒な七支の刀身が露わになっていた。

 

 神儀が退魔の剣を一度振るえば、無数の札の如き影が鬼の一撃を受け止める結界と化す。その強度は薬売りのときとは比較にならぬほど、堅牢な防壁としての役目を果たしていく。

 

「ハアアッ——!!」

『ガアアアアアアア!?』

 

 続け様、神儀は返す刀の勢いで鬼の腕を斬り付けた。突き出されていた巨腕がその一振りにより斬り捨てられ、鬼が堪らず仰け反っていく。

 それでも負けじと、今度はその大足で屋敷諸共に神儀を潰そうと全体重、全存在を込めて踏み抜こうとするが——。

 

「オオオオオッ——!!」

 

 モノノ怪の捨て身とも呼べる一撃さえ、神儀は容易く斬り払ってしまう。

 振るわれる斬撃が鬼の足を切断し、支えを失ったでかい図体が転げ落ちるように地へと伏せってしまう。

 

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 神儀の力は圧倒的。両者の力量の差は歴然だった。

 もはや鬼に抗う術などないだろうが、それでも地を這いずり回りながら絶叫と共に襲い掛かってくる姿には——恐ろしさよりも、哀れみが垣間見える。

 たとえその身が砕け散ろうと、己が復讐心を満たすことだけに躍起となる、哀れな復讐鬼。

 

「鬼よ、モノノ怪よ……お前たちが抱くその怒り、憎しみは決して間違いではない……」

 

 そんなモノノ怪に向かって、神儀は静かに語り掛ける。

 鬼たるモノノ怪の情念、その大本となった復讐心を否定することなど誰にも出来ない。

 

 自分たちを裏切り、殺し、そして数百年もの間、贄として自分たちの血族を捧げ続けてきた沢田家のものたちをどうしたら許せると言うのだろう。

 鬼と生贄たちの憎悪、その殺意の矛先が現代まで生き残った沢田家の末裔にまで向けられるのは、当然の帰結だったと言えよう。

 

「だが、モノノ怪は人の世にあってはならぬもの。故にお前を斬り、清め、鎮める……」

 

 それでもと、神儀は退魔の剣を握る手に力を込める。

 モノノ怪はこの世の秩序を乱す。その存在を放置することは決して出来ない。モノノ怪があるところへ出向いては、それをあるべき姿へと還す。

 

 それこそ、薬売りを名乗る『彼ら』の使命なのだと。

 その瞳に力強い意志を宿しながら、神儀は渾身の力を込めた最後の一撃を放っていく。

 

「モノノ怪よ、還れ……」

 

 神儀のその一声と同調するよう、退魔の剣の鬼面が「ガコン!!」とより一層、力強く歯を打ち鳴らした。

 

 刹那、七支の刀身へと漆黒の如き稲妻が落ちる。

 稲妻は天にまで届くほどの光の奔流となり、退魔の剣をさらなる極地へと至らせる。

 

 

「一閃!!」

 

 

 神儀は巨大な一振りとなった退魔の剣で気合一閃、地面を這いずり回る鬼に向かって振り下ろし——その身を真っ二つに両断する。

 

『————————』

 

 声にならない断末魔を上げながら、二つに引き裂かれた鬼の肉体が崩壊していく。

 その際、鬼の胴体に埋まっていた生贄にされた人々の苦悶に満ちた顔が、心なしか穏やかなものへと変わっていくようにも見えた。

 

 復讐という本懐こそ遂げられなかったが、消滅することでこれ以上苦しむ必要もなくなった。

 これもまた、一つの救いと呼べるかもしれない。

 

「……許せ」

 

 無事にモノノ怪を消滅させた神儀であったが、その顔に笑顔はなく。

 既に役目を終えた退魔の剣も刀身はなく。

 

 剣を鞘の中へ納めるや、ひっくり返っていた天地が本来の有り様へと戻っていく。

 神儀は人ならざる者から、人の器・薬売りとしての姿へと戻っていくのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「色々ありましたけど~……なんとか生き残れましたね~」

「ああ、最後……薬売りの奴が何をしたのか分からなかったけどな……」

 

 無事に恐ろしい夜を乗り越えることが出来たと、安堵の息を吐く伊世。一方で、石動はどこか納得しきれないのか不機嫌な様子であった。

 

 あれほど石動たちを手こずらせていたモノノ怪の脅威も、薬売りが退魔の剣を抜き放つことであっという間に片が付いてしまった。

 しかもそれがどのような戦いだったのか、石動たちはそれを正しく覚えていない。まるで明晰夢でも見ていたかのよう、朧げな記憶しか残っていなかったのである。

 

「ところであの二人は? まだ意識戻らないのか?」 

「ああ、益子さんたちね〜……まあ、別に怪我してるわけでもないし〜、そのうち起きるでしょうから、放っておいても問題ないでしょ~」

 

 ふと、石動は先の騒動で気を失っていた益子や安夫のこと尋ねた。

 結局、一晩経った今になっても二人が意識を取り戻すことはなかったが、別に怪我を負ったわけでもないため放置しても問題ないと。

 沢田家の秘密を知らないままでいられたことは、ある意味幸福だろう。いずれにせよ、彼らなどにお家を背負っていくことなど出来やしないということだ。

 

「石動さん、もう帰っちゃうんですか~? 薬売りさんもどっか行っちゃったし、少しくらいゆっくりしていってもいいのに〜……」

 

 そんなことよりもと、玄関先での石動零のお見送りに伊世は寂しそうな吐息を溢す。

 既に薬売りの姿は屋敷のどこにもない。モノノ怪が消滅したと同時に、もうここに用はないとばかりに姿をくらましてしまったのだ。

 

「生憎と、俺ももうここに用はないんでな……」

 

 かくいう石動も、沢田家にいつまでも留まる理由がなかった。

 正子が依頼するつもりであった鬼の再封印も、モノノ怪が完全に消滅したことで必要無くなってしまった。

 もはや沢田家を脅かすものはなく、生贄などという野蛮な行為を続ける必要もなくなったのである。

 

「鬼道衆としては、ちと複雑な気分だが……」

 

 石動は鬼道衆——破門された裏鬼道一派の所業とはいえ、自分の先達が生贄などという蛮行の片棒を担いでいたことに少なからずショックを受けていた。

 妖怪は悪、人間は善。などとといった考えに縛られていた頃に今回の話を聞いていたら、精神的なダメージはより大きかっただろう。

 

「もう二度と……こんなことが起きねぇようにしねぇとな……」

 

 とはいえ、今の石動に人間が全面的に正しいなどという凝り固まった思想はない。

 鬼道衆にも間違いがあったのだという過去を素直に受け入れ、それを教訓として未来へと進んでいく覚悟を決めるだけだった。

 

「——石動さん、待って!!」

 

 そんな前向きな気持ちで沢田家を去ろうとした石動だったが、そこへ彼を呼び止める声が響き渡る。

 

「まなちゃん!! 起き上がって大丈夫なん?」

 

 その場に慌てて駆け付けてきた犬山まなに、伊世が心配そうに声を掛ける。

 

 先の騒動の折、全てに片がついた瞬間にもまなは力尽きたように気を失ってしまった。生贄にされた沢田家の人々の無念、憑座としてそれらを一身に受けた負担が押し寄せてきたのだろう。

 体力、精神力共に消耗は激しかった筈だが、無理にでも体を起こしてここへ来たのには理由があった。

 

「また、助けられました……ありがとう、ございます……」

 

 それは石動零に礼を言うためだ。

 モノノ怪を祓ったのは薬売りだが、石動がいなければ他にも犠牲者が出ていたかもしれないと。彼が居合わせてくれたことにまなは感謝を伝えていく。

 

「……お前、俺が昨日言ったこともう忘れたのか? 俺に礼なんか……」

 

 その礼に対し、石動は呆れ顔でまなの感謝を突っぱねようとする。

 

 モノノ怪の騒動の前にも、男たちから暴行を受けようとしていたまなを助けて礼を言われた石動だが、彼はその感謝を素直に受け取ろうとしなかった。

 自分などが彼——ゲゲゲの鬼太郎を差し置いて、まなから礼を言われるなど。石動のプライドが許さなかったために、そのような態度を取ってしまったわけなのだが。

 

「分かってます!! 私からのお礼なんて、受け取りたくないと思うけど……助けられたことは事実だから!!」

 

 しかし、記憶がないまなに本来礼を言うべき相手である鬼太郎のことも、石動のちっぽけなプライドなども分かるわけがなく。

 

「正直……なんで貴方がそんな態度取るのか分からなくて……まだちょっと、ムカっとするけど……」

 

 まな自身にも、石動の態度に釈然としない気持ちはあるが、助けられたことに変わりはないと。

 

「だから……本当に、ありがとうございました!!」

 

 まなは深々と頭を下げ、己の感謝の気持ちを石動へとゴリ押ししていく。

 

「…………」

 

 まなの強引な感謝の伝え方に、石動は呆気に取られて返す言葉もなかった。

 

『ふっ、一本取られたな、零よ……』

「お前っ! 勝手に出てくるなって……」

 

 そこへ石動を揶揄うよう、伊吹丸が表に出てきた。断りもなく勝手をする伊吹丸に石動が文句を言うが、正直今更である。

 

「出たっ!! イケメンの人!!」

「ええっと……その人は、いったい……?」

 

 既に伊吹丸の姿を見たことがある、伊世とまな。

 伊世の方は良い男でもある伊吹丸にテンションを上げ、まなは記憶がないため彼が何者なのかと首を傾げるしかない。

 

『ところで零よ。例の件……正子という老婆から振られたあの話に関して、犬山まなの意見を伺わなくて良いのか?』

「……? 例の件って……?」

 

 そこでふと、伊吹丸の口から『例の件』と意味ありげな言葉が呟かれる。

 沢田家の当主である正子から、何か依頼があったということだろうか。口ぶりから察するに、鬼の再封印とは別件のように聞こえるが。

 

「余計なことを言うんじゃね!!」

『ふっ……』

 

 すると石動が何故か急に声を荒げ、伊吹丸にこれ以上喋らすまいと少し必死になる。

 

「???」

 

 いったい何のことだろうと、まなは疑問符を浮かべるばかりであった。

 

 

 

 ——こいつ……俺があんな話を振られたと知ったら、どんな顔するんだろうな……。

 

 何も知らないで不思議そうに首を傾げるまなに、石動は呑気なもんだと『例の件』——正子から提案された件について思い返していく。

 

 

 

 

 

「お、お見合いって……誰と誰のですか!?」

 

 まなと石動が別れの挨拶をしていた頃。純子は正子からの『重要な要件』とやらにすっとんきょうな声を上げていた。

 実の母娘、何十年ぶりかの顔を突き合わせての二人っきりの会話で、まさかこんな声を出すことになるとはと、純子自身も驚いていた。

 

「決まっているでしょう。まなさんと、石動零殿とのお見合いです」

「はい……?」

 

 戸惑う純子とは正反対に正子は相も変わらずの態度で淡々と、沢田家の当主として大真面目にまなのお見合いに関して話をしていく。

 

 実のところ、石動零が呼ばれた理由は『鬼の再封印』という最重要事項の他にもう一つあった。

 それは、鬼道衆の生き残りである彼に『沢田家の婿養子』に入ってくれないかということ。そのためのお見合い、結婚相手として、正子は実の孫のまなをあてがおうとしていたのである。

 

「母さんは……私とまなを、生贄にするために呼び出したんじゃ?」

 

 娘の唐突な見合い話に理解が追いつかず、とりあえず純子は自分たちが生贄のために呼ばれたのではという疑念をぶつける。

 荒ぶる鬼たちを大人しくさせるために必要となる生贄。純子はてっきりお家の意向に逆らい家を出た自分が、そのために誘い出されたのかと思っていた。

 

「まさか!! 本家筋である貴方たちを、どうして生贄になど出来ますか」

 

 しかし、その疑念を正子はキッパリと否定する。

 それは実の娘だから、孫だからではない。本家の血筋だからこそ生贄になど出来ないという、あくまで当主としての判断である。

 

「私が贄にするつもりだったのは、益子さんと安夫さんのお二人です。でなければあのような穀潰し、いつまでも家に置いておくわけがないでしょう」

「!!」

 

 それにどうせ生贄にするのなら、より適した人材として正子は分家である益子と安夫の名前を挙げる。純子は生贄という選択肢自体を否定しない、正子の冷酷な判断力に息を呑む。

 

「ですが、もうその必要もなくなりました。二人には早晩、この家を出て行って貰うことにしましょう」

 

 もっとも、薬売りがモノノ怪である鬼そのものを消滅させた時点で、もはや生贄など必要なくなった。ならば役割がなくなったものに居場所などないと、正子は益子と安夫の追放を決定する。

 自分たちの知らないところで一方的に放逐を決められた。益子親子の未来はどっちだ。

 

「まあ、封印を維持していく必要がなくなった時点で、沢田家を無理に存続させていく必要もなくなりましたがね……」

 

 だがそんなどうでもいいことよりもと、正子は今後の沢田家について話をしていく。

 

 由緒正しい名家としての流れを汲む沢田家だが、それが栄華を誇っていたのも過去のこと。

 現代では時代の流れに付いていけず、すっかり没落気味のお家となってしまった。それでも沢田家という家の格を維持してきた最大の理由は——鬼の封印を維持していくためだ。

 

 再封印に必要となる生贄の条件は、沢田家の血統であること。

 本家の血筋を絶やすことなく、尚且つ生贄として必要になる分も確保し続けるためにも。血筋を厳格に維持、管理していく必要があったのである。

 

「まなさんと石動殿。お二人の血統ともなれば、優秀な次世代の芽が育つと思ったのですが……」

 

 正子がまなと石動零の見合い話を進めようとしたのも、それが理由だったりする。

 特に二人は霊的な素質が高い。その能力、素質を引き継いでくれた子が当主を継ぎ、尚且つ鬼道衆が継承してきた秘術の数々をものにすることが出来れば、再封印の儀式もやりやすくなるだろうという、打算的な要因があった。

 

「ですがお見合いの件については、石動殿にお断りされてしまいました……」

 

 ただ真っ先に振った見合い話に関しては、既に石動零に断られたとのこと。

 それならばそれで、再封印だけでもやって貰おうと、そう思った矢先——鬼たちの魂そのものが、薬売りの手によって祓われてしまった。

 

「正直、こんな日が来るとは思ってもいませんでした……」

 

 これは正子にとっても思いもよらぬことであった。

 彼女は未来永劫、沢田家は鬼たちの怨念と切っても切れない関係を続けていくと思っていた。だからこそ、鬼たちの怨念に押し潰されて沢田家が滅亡しないようにと、当主として厳格に勤めを果たしてきたつもりだったのだ。

 本家だろうと、分家だろうと、あるいは自分自身すらも駒のように扱い。各々が役割を果たせるようにと感情を押し殺してきた。

 

「これから……どうしたものか……」

 

 故にその必要がなくなった今この瞬間、正子は自分がこれからどうすべき道先が見えず。

 まるで燃え尽きてしまったかのよう、呆然としているようであった。

 

「母さん……」

 

 そんな当主としての責務・役割という重責から解放されたことで、初めて目の当たりにすることになった母親の人間らしい一面に、純子は思わず手を伸ばしそうになった。

 

「……っ」

 

 しかし喧嘩別れしたように家を飛び出し、何十年と理解を拒んできた母親に対するわだかまりがすぐに解けるわけもなく。

 

「……失礼させていただきます」

 

 話すことがなくなったこともあり、純子は正子から背を向けて部屋から立ち去ろうとする。

 

「……何か、本当に何か困ったことがあれば……声を掛けてください。出来るだけ……協力させてもらいますから……」

 

 だが背を向けながらも、何か出来ることがあれば協力すると。

 母親である正子に、娘としての言葉を投げ掛ける。

 

 

 

 

 

「ありがとう、純子……」

 

 そんな実の娘の気遣いに、当主ではなく母親として正子は感謝を呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 沢田家の屋敷を見渡せる小高い丘にて。薬売りが一人、静かに物思いに耽っていた。

 鬼というモノノ怪を祓う使命こそ無事果たせたものの、それが誕生した経緯を考えるとやはり思うところをあった。

 しかし感傷に浸りながらもすぐに気持ちを切り替え、薬売りはその地から立ち去ろうとする。

 

 ところが——そこへカランコロン、と下駄の音が響いてくる。

 

「おや、貴方は……」

「…………」

 

 目の前に姿を現したその人物に、薬売りの足が止まる。

 黒と黄色の縞模様のちゃんちゃんこを纏った、下駄を履いた少年——ゲゲゲの鬼太郎である。

 

 鬼太郎がここへ来ていたのは、もともと犬山まなが母方の実家に帰るという話を聞いており、彼女のことを陰ながら見守るためにも、沢田家まで追いかけてきたためだ。

 ところが、鬼太郎たちがこちら側に着く頃にはまなたちがモノノ怪の領域の中に囲い込まれていたため、手を出すことが出来ないでいた。

 

 そして鬼太郎が首を突っ込む必要もなく、薬売りが全ての決着を付けてしまっていた。

 

「貴方はいったい……妖怪ではないようですが……ただの人間でもないような……」

 

 まなを助けてくれた恩人ではあるものの、鬼太郎は薬売りにあからさまな警戒心を抱いていた。

 それは薬売りの纏う雰囲気が、明らかに尋常ならざるものであったからだ。とても人間とは思えないが、だからといって妖気の類もほとんど感じられない。

 正体不明。そんな相手に用心するなという方が無理な話ではあるが。

 

「待て、鬼太郎! ……久しぶりじゃな、薬売りの……」

「これはこれは幽霊族の……ご無沙汰しております」

 

 そんな警戒心ばかりがはやる鬼太郎を嗜めつつ、ひょっこりと顔を出した目玉おやじが薬売りに挨拶をする。

 どうやら顔見知りらしく、薬売りの方もぺこりと頭を下げるが、お互いそれなりに距離感がある。

 

「お前さんは、わしが知っている薬売りなのか? 前に会ったときから、もう数百年は経っている筈じゃが……」

 

 目玉おやじも、薬売りが以前とほとんど変わらぬ姿であることに疑問を抱いていた。

 

 それも無理からぬことで、目玉おやじが薬売りという存在と会合したのは——もう何百年も昔のこと。

 普通の人間なら、とっくに寿命を迎えているほどの時間の流れ。にもかかわらず、当然のように生きており、尚且つ目玉おやじのことを見知っている様子。

 

 

 いったい『薬売り』とは何なのか。その存在に疑問を持つのは当然だろう。

 

 

「時と場所は関係ない。モノノ怪があれば行って斬る。それが我らの使命」

「我らじゃと? 薬売り、お主……いや、お主らは一人ではない……ということか?」

 

 目玉おやじの疑念に薬売りは言葉を返す。

 言葉の内容から察するに、薬売りが複数人いること。彼らの使命がモノノ怪を斬ることだけははっきりと伝わるが、結局のところそれ以外は分からずじまいだ。

 

「ふっ……」

 

 薬売りもそれ以上は自身のことについては語らず、意味ありげな笑みを浮かべるだけ。

 ふと、彼は鬼太郎に視線を向ける。いや、厳密には鬼太郎ではなく、彼に今後関わるかもしれない、全ての人間たちに向かって朗々と語りかけていくのであった。

 

 

「いずれ、皆様の元にもモノノ怪が現れるやもしれません。そのときはどうか、あなた方の真と理、お聞かせ願いたく候う」

 

 

 

「モノノ怪が、人の世にある限り——」

 

 

 




人物紹介

 神儀
  退魔の剣を抜き放った際に薬売りが変身する姿。
  長らく正式な呼称がなく、視聴者からずっとハイパーと呼称されていた。
  劇場版から正式に神儀という呼び名が付いたが、やはりその正体は不明。
  モノノ怪とのラストバトルは音楽、映像共に圧巻の一言。


次回予告

「言葉に込められた想い、力……それはときとして人を守ることにも、傷つけることにもなる。
 父さん、人は言葉に秘められた想いを、正しく汲み取れているのでしょうか……。

 次回——ゲゲゲの鬼太郎 『夏目友人帳』 見えない世界の扉が開く」
 
 この執筆ペースを維持できれば、なんとか今年中には中国妖怪編へと突入出来る、かもしれない。
 

 
 
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