『ダンベル何キロ持てる?』この作品の投稿を予期していた人がいただろうか?
いや!! いないと思いたい!!
短編ですがそれなりに読み応えがあり、そしてカオスです。
作中のポージングに関しては一切説明をしていませんので……その辺りは検索しながら、あとはフィーリングで読み進めていってください。
——どうしよう……。
——どうしたら……。
——本当に……どうしたらいいってのよ!?
この世に妖怪としての生を受けて数十年。彼女——猫娘はずっと苦悩していた。
勝気でどんな敵が相手であろうとも気丈に振舞ってきた女性。しかし、彼女とて『乙女』であることに変わりはない。
年頃の乙女はいつだって——『恋』という命題に頭を悩ませながら生きている。
——どうすれば……鬼太郎は私に振り向いてくれるのよ!!
そう、ゲゲゲの鬼太郎。
どうしたら彼が自分の気持ちに気付いてくれるのか。その命題に彼女はいつも振り回されていた。
この際、面倒だから認めよう。
猫娘はゲゲゲの鬼太郎が好きだと、大好きだと。
しかし、俗にいう『ツンデレ』である彼女はその気持ちを素直に表現することができない。ましてや告白など、それこそ世界が滅びる直前でもなければあり得ない。
だからこそ、猫娘は鬼太郎の方から自分を好きになってくれるよう、これまで出来る限りのアピールをしてきたつもりだ。
彼が危険な妖怪との戦いに赴くときなど、その助けになろうと常に力いっぱい戦ってきた。
それとなく出来る女をアピールするため、掃除や洗濯などの家事スキルも磨いてきた。
手料理を頻繁に振る舞い、彼の胃袋をガッチリ掴むための努力も怠っていない。
しかし、そのどれも空振り。
猫娘が何をしようと、鬼太郎はすっとぼけた表情を崩すことなく平然としている。
「……私って……そんなに魅力ないのかな……」
猫娘とて、鬼太郎がそういった男女の関係に鈍いことくらいは承知済みだが、ここまでくると『私の方に問題があるのかな?』と、自分に自信が持てなくなってしまう。
「…………」
道端を歩いていた彼女は不意に足を止め、ガラスのショーウインドウに映り込んでいる自分の姿を見つめる。
「結構可愛いと思うんだけどな……」
猫娘は自分の容姿に絶対の自信を持っているわけではないが、それでも己が比較的美人であるという自覚はある。
ただ歩いているだけで、男性から何度もナンパされたことだってあるくらいだ。スタイルもモデル顔負け、客観的に見てもきっと可愛いのだろうと思う。
「…………ま、まあ、こっちは……ちょっと、貧相かもしれないけど……」
だが一部分だけ。本当に一点、他の女性と比べても劣っているといえるかもしれない、コンプレックスを抱えている。
猫娘は自分自身の胸にそっと手を当てていた。
胸、胸部、胸囲。即ち——『バスト』である。
スタイリッシュな反面、猫娘はバストサイズが平均……より少し小さめ。その小ささといったら、中学生である犬山まなにも劣るほど。
猫娘個人としてはそこまで気にしたこともなかったのだが、ここまで鬼太郎の興味を引けないのであれば、それも原因の一つとして考えられてしまう。
「やっぱ……鬼太郎も大きな子の方が……好き、なのかな?」
彼の好みも、ひょっとしたら胸の大きな娘なのかもしれない。それが理由でいつまで経っても鬼太郎が自分を異性として意識してくれないのではと、そんな疑念を抱いてしまう。
「もしそうだったとして……どうすればいいってのよ……!!」
鬼太郎に限ってそんなことあり得ないと思うが、万が一そうだった場合。残念ながら猫娘には打つ手がない。
所詮持たざる者は、持つ者の強大さを前に悲観に暮れるしかないのである。
「とっ!? 何よ、この紙切れ……ん?」
だがそのとき、何かを暗示するよう猫娘の元に一枚の紙切れが風に乗って飛ばされてくる。
その紙を反射的にキャッチする猫娘。すぐにでも丸めてゴミ箱に捨てようとするのだが——。
「……シルバーマンジム? フィットネスクラブ……ってやつかしら?」
それは、とあるスポーツジムへの入会を勧めるチラシの類だった。
チラシにはその施設の名前——『シルバーマンジム』というフィットネスクラブの名称がデカデカと書かれており、逞しい男性と女性がそれぞれポージングしている写真が掲載されていた。
チラシには『一日無料体験!!』やら『お友達・家族紹介キャンペーン!!』などといった、よくある文言が記載されている。
「ジム……ジムか……こういうところは、考えたこともなかったわね……」
猫娘はこのようなスポーツ施設の類を利用したことがなかったし、利用しようと考えたこともない。妖怪である猫娘は筋肉など鍛えたところで、それが直接的な戦闘力に影響するわけでもないからだ。
また、妖怪として肉体年齢にほとんど変化が見られないためか。極端に身長が伸びたり、体重が増えたり、減ったりすることもほとんどない。
猫娘という妖怪は常にこの姿、このスレンダーな肉体を意識することなく維持できている。
それ故に、彼女はダイエットなるものをする必要がない。世の女性たちにとっては大変羨ましい体質なのである。
「まっ……ありきたりな誘い文句よね。こういった言葉にころっと騙されるんだから……人間って本当に……」
だからなのだろう。猫娘はそのチラシに書かれていた客を呼び込むキャッチコピーに眉を顰める。
チラシには『理想的なボディを!!』やら『これで貴方も健康的に痩せれます!』などといった決まり文句が書かれている。
こういった言葉に騙されて大金を浪費してしまうのだから、人間というやつは愚かであると彼女は呆れたため息を吐く。
「………ん?」
しかし、猫娘は気付いてしまう。
そのチラシの隅っこに——彼女が今、一番欲しているものが書かれていたことに!!
その文章にチラッと目を通しただけで、猫娘の体感時間が数分ほど停止する。
『理想的なボディ』『美しい肉体』。それらの謳い文句の中に混じってその言葉が——『バストアップ』という単語が書かれていたのだ。
バスト——即ち、胸!!
アップ——つまりは増やすということ!!
胸の筋肉を効率よく付けることで——胸部が大きく盛り上がるということだ。
「……ま、まあ……ありきたりな誘い文句よ。そ、そんなに都合よく……胸が大きくなれるなんて、あるわけないわよ……うん!」
それでも、猫娘は屈しない。
そんな陳腐な誘い文句に簡単に釣られるほど安い女ではないと。自分に言い聞かせるようにして帰り道を急ぐ。
「……ほんと、こんな言葉一つで世の女性たちを動かせると思ってるのかしら……」
早足で道を歩いていく猫娘。ぶつぶつと愚痴をこぼしながら前へ前へと足を進めていく。
「嫌になるくらい浅はかよね……これだから人間って……」
こんなチラシを制作したであろう人間への文句を口にしつつ————数十分後。
「——ようこそ!! シルバーマンジムへ!!」
「——あっ、すいません。この一日無料体験ってやつを試したいんですけど……」
×
シルバーマンジムは日本のみならず、海外にまで支店を持つフィットネスクラブである。建物もかなり立派で広大、トレーニング設備の規模も世界一と謳っており、かなり本格的なスポーツジムとなっていた。
——ちゃんとした施設みたいだし……とりあえず騙されてるってことはないでしょう……。
そういったシルバーマンジムの概要をここに来るまでの間、それとなくネットで調べていた猫娘。彼女はとりあえず、今日一日無料体験とやらを試してみることにした。
——べ、別に! あんなくだらない誘い文句に乗せられたわけじゃないし!!
——たまには筋トレくらいしないと、体が鈍るからよ!!
誰に言い訳しているのやら。既にスポーツウェアに着替えた状態で、猫娘は待合室でトレーナーとやらがやってくるのを待っていた。
「——お待たせしました! ようこそ、シルバーマンジムへ!!」
待機すること数分。猫娘の元にジャージを纏った、スラっとした身体つきの笑顔が爽やかな男性がやって来る。
「初めまして!
——あら、イケメン……まっ、私には関係ないけど……。
端正な顔立ちの好青年、絵に描いたようなイケメンの登場にちょっと驚く猫娘。
惚れっぽい女性ならコロッと見惚れてしまい、それをきっかけに無料体験などすっとばしてジムの入会を決めてしまうかもしれない。
しかし、猫娘には既に心に決めた人がいる。イケメンが現れたくらいで入会などすぐには決めない。
とりあえず、ジムの無料体験とやらがどんなものかと。あまり深く考えずに彼女はジムの中核——そのトレーニング施設へと足を踏み入れることになる。
「——ふん! ぬらばああああああああああ!!」
「——ぬぅんんんん!! もういっちょぉおおおおお!!」
「——ラスト!! ラスト一発、いけますよ!!」
「…………」
だが、その施設内で繰り広げられていた光景を視界に収めた瞬間、どうしようもない悍ましさが猫娘の背筋をぞくりと撫でる。
そこでは……筋骨隆々な男たちが、ギュウギュウにひしめき合っていた。
全身が筋肉で出来たようなムッキムキのマッチョマンたちが呼吸を荒く、鼻息も荒くダンベルやらバーベルやらを持ち上げながら汗をかき、体中から湯気を立ち昇らせている。
部屋に入った瞬間、体感温度が五度は上がったようにも感じられた。
——えっ? な、なにこれ……? 想像の十倍くらいは……エグいんだけど……!
一応はフィットネスクラブともチラシに書かれていたこともあり、猫娘はもっと意識の高い男性、女性が爽やかに汗を流す光景を想像していた。
しかし、蓋を開けてみればこれである。そこには爽やかなイメージなど欠けらもなく、ただただ熱苦しい漢たちが、ひたすらに筋肉をガッチガッチに鍛え上げている修行場と化していた。
——……もう帰ろうかしら……。
この時点で既に猫娘は回れ右をしたい気分だった。
しかし一日だけ、所詮一日だけの無料体験だと自身に言い聞かせ、今は黙ってトレーナーである街雄の指示に従っていく。
「それじゃあ……早速ですが——」
街雄は汗臭い男たちを平然とかき分け、とりあえず静かなスペースへと猫娘を連れてきた。
今日一日は彼が付きっきりで色々と指導してくれるらしく、とりあえず何を始めようかと彼が口を開きかけたときである。
「——あれ、街雄さん? 見ない人だけど……誰?」
「——もしかして……新しく入会される方ですか?」
「——うわぁ、美人! スタイル超シュッとしてんじゃん!」
街雄に親しげに声を掛けてきたのは——可愛らしい女の子たちだった。
先ほどの暑苦しい漢たちを目撃した後だと尚更場違い感がする、キャピキャピした女子。背丈や雰囲気から高校生といった感じである
——ほっ! よかった……こういう普通の子たちもいるのね……。
一番最初にガチムチな筋肉ダルマたちをその目に焼き付けてしまったため、こういうありきたりな女子たちがいるだけでなんだか安心してしまう。
彼女たちは猫娘にフレンドリーな眼差しを向け、それぞれ自己紹介をしてくれる。
「
一人は日焼けしたような褐色肌に、髪を金髪に染めている典型的な『ギャル』といった感じの少女。
全体的に肉付きのいい体型をしているが、そうなった原因は食べ過ぎだろう。今も自己紹介をしながら、空気を吸うかのように菓子パンを頬張っていることから、それがよく分かる。
「
礼儀正しく挨拶をしたもう一人の少女は、黒髪の優等生といった感じの美少女であった。
清楚な立ち振る舞いから、明らかにお嬢様といった育ちの良さが窺える。ギャルであるひびきとは対極にいるような人種であり、二人が仲良く揃っていることに若干の違和感を感じる。
「
さらにもう一人は、茶髪をお団子ヘアにまとめた健康的な小麦肌の少女だ。
へそだしのスポーツウェアから見える腹筋が見事に割れている。全体的に体型もスリムで、明らかに何らかのスポーツを嗜んでいる佇まいだ。
三者三様、なかなかに個性あふれる面子である。
「やあ、みんな! 今日一日、シルバーマンジムを体験することになった猫田さんだ! 仲良くしてあげて下さいね!」
「よろしく……猫田です」
街雄は少女たちに親しげに手を振り、猫娘のことを紹介する。一応は人間のふりをしているので、猫娘も偽名である猫田と名乗っていた。
「それじゃあ、さっそくだけど……」
そうした少女たちへの挨拶もそこそこに、街雄は改めてジムでの筋トレを体験させようと何かしらの指示を出そうとしてくる。
『——街雄さん、街雄鳴造さん。すぐに事務所まで来てください。お電話が入っております。至急、事務所まで……』
だが、そのタイミングでトレーナーである街雄を呼び出すアナウンスが流れる。
「ありゃりゃ? こんなタイミングで……済みません、猫田さん! 少しの間、適当に寛いでいて下さい」
街雄は呼び出しに応じるべく、猫娘をその場に待機させ事務所へと向かっていた。
「……ところで、猫田さんは今日はどうしてジムに? どこか気になる筋肉でもありましたか?」
「き、気になる筋肉? いや、別にそういうわけじゃ……」
手持ち無沙汰の猫娘を退屈させないためか、少女たちの一人・奏流院朱美が彼女の話し相手になろうと声を掛けてくる。少し妙な質問内容だったが、要するに何を目的にジムに来たかという疑問だった。
単純にダイエットのためか、あるいは重点的に鍛えたい筋肉でもあるのか。それによってトレーニングの内容も変わるというもの。質問自体は何もおかしくはない。
「やっぱダイエットっすか!? わたしも最初はそれが目的だったし!!」
「ダイエットなんか必要ないだろ。猫田さん、アスリート並みにシュッとしてるし!」
すると答えを聞く前に、ひびきと彩也香が猫娘がジムに来た目的を推察する。その際、猫娘のモデル顔向けのスタイルを羨ましそうに見つめているが。
「目的って……それは……」
このとき、猫娘は言い淀んでしまった。
同性が相手といえども、『胸を大きくしたい!!』という願望を口にするのが些か躊躇われたからだ。しかし返事をする代わりにチラリと、目線を少女たちの胸部へと向ける
——……おっきいわね……。
——あっ、でも……こっちの子は私と同じくらいかしら……。
ひびきと朱美の二人は猫娘より大きいものを持っていた。だが彩也香は自分と同程度であり、その事実に猫娘は少しだけホッとする。
「!! なるほど……そういうことか、朱美!!」
「ええ……わかってるわ!!」
するとその視線で猫田が何を目的にジムへ来たのか、それを理解した彩也香と朱美の二人が互いに頷き合う。
「大丈夫ですよ! 猫田さんの気持ち、同じ女の子としてよく分かります!!」
「私も普段はあんま気にしないけど、時より虚しい気持ちに襲われるときがあるからな……」
「??? ズルズル……」
彼女たちは猫娘に励ますような言葉を送りながら、あえて『何が』とは口にしなかった。
一番大きいものを持っているひびきだけはその悩みを察することが出来ず、頭にクエスチョンマークを浮かべながらカップ焼きそばを啜っている。
「それじゃあ、今日は大胸筋を鍛えていきましょう!! 大丈夫……きっと今からでも大きくなれますから!!」
「え、ええ……お願いね……」
猫娘の胸に秘めたる願望のためにも、朱美はバストサイズを大きくするトレーニング方法を教えると申し出てくれた。
しかしその気遣いが、その親切心が逆に辛かったりもする。
「——胸の筋肉を鍛えるには、一般的にはペンチプレスが効果的だと言われているわ!」
そうして始まった少女たちの筋肉講座。朱美はまず最初に『ベンチプレス』の解説を始めていく。
ベンチプレスとは——筋トレと言われて真っ先に思いつくウェイトトレーニングの代表格だ。
ベンチに横たわった姿勢で、バーベルを上げ下げする。動作そのものは単純だが、重りを付けることで自分に合った重量にもできる。
筋トレ初心者にも、上級者にもおすすめのトレーニングメニューである。
「——けどこの方法だと、他の筋肉にも負担が掛かってしまうの……」
しかし、これだと腕や肩——上腕三頭筋や三角筋といった筋肉にも相当な負荷が掛かってしまう。
「——なので、もしも効率的に大胸筋、胸の筋肉を鍛えたいのであれば……チェストマシンを使うことが推奨されます!」
ならばと、ここで朱美はとあるマシンに注目する。正式名称は『チェストプレスマシン』。言うなれば、座ったままベンチプレスと同じ効果が期待できるマシンである。
背もたれが付いた椅子で身体を固定し、左右のバーを握り込む。そしてあらかじめ設定しておいた重量の負荷を受けたまま、そのバーを押す。
「——チェストマシンは軌道が固定されていますので、上腕三頭筋や三角筋に掛かる負担がペンチプレスよりも少ないんです!」
どちらの方法でも同じ筋肉を使用しているが、チェストマシンを使った方が大胸筋により重点的に負担を掛けることができるという。
「——女性ならバストアップ! 男性なら男らしい胸板を! これで貴方も理想的なボディに!!」
まるで何かの通販番組のように、朱美は解説を締めくくった。
「——なるほど、これは……結構効いてくるわね」
朱美に解説してもらったこともあり、猫娘はさっそくチェストマシンを使ってみる。正直あまり期待していなかったが——これは中々良い。
普段使っていない部分ということもあってか、妖怪である彼女の筋肉にも十分な負荷が掛かっているような気がするのだ。
「いいフォーム!! いいフォームですよ、猫田さん!!」
朱美も猫娘の筋トレを見守りながら綺麗なフォームだと褒めてくれる。
——これで……私もきっと!!
このトレーニングを続けていけば、もしかしたら自分にも美しくて豊満なボディが……。
猫娘の小さな胸にも、そんな淡い期待が芽生え始めていた。
「——う、うぐあああああ!!」
ところが、そんな猫娘の良い気分に水を差すよう、ジム内に暑苦しい男の悲鳴が木霊する。
「な、なんだあ!? 今の悲鳴!?」
「入口の方から聞こえてきたぞ!?」
その悲鳴に戸惑いを露にするひびきたち。
「——!!」
それなりに荒事に慣れている猫娘。
彼女は即座に筋トレを中断し、悲鳴が聞こえてきた場所へ急ぎ駆けつけていた。
×
「——なっ!? なんなのこれは!?」
駆けつけて早々、猫娘は眼前に広がっていた惨状に目を剥く。
そこは先ほども猫娘がマッチョたちに遭遇したスペースだ。ガチムキのマッチョマンたちに出迎えられ、色々と辟易しかけていた猫娘。
だが、そこにマッチョマンの姿などどこにもいない。
「うぅ……ま、マチョ……」
「ま…………マチョォォ……」
そこで転がっていたのは——マッチョマンだったと思われる男たち。つい先ほどまで確かに筋骨隆々だった彼らの肉体が、ガリガリの骨と皮だけになっていたのだ。
一応息はあるようだがまさに死屍累々、実に凄惨な光景だった。
「うわっ!! モブマッチョたちが……!?」
「しなびたナスビみてぇに萎んでやがる!?」
その光景に猫娘のすぐ後ろでひびきが目を見開き、その様を彩也香が水分が蒸発して皮だけになった野菜に例える。
「いったい……誰がこんなこと惨いことをっ!?」
朱美など、あまりに凄惨なモブマッチョ——モブの男性たちの姿に顔を手で覆っている。実は筋肉フェチである彼女にとって、その惨状は直視するのも憚れる惨状だろう。
「——誰!? そこにいるのは……何者よ!?」
しかし、目を背けていては——この騒動の『元凶』を取り逃してしまう。
干からびたモブマッチョたち、彼らを見下ろすように何者かがその中心地に立っていたのだ。
状況から推察するに、その大男——黒光する筋肉の鎧に覆われたそのマッチョマンこそが、この惨状の元凶で間違いない。
明らかに人間離れした体格を誇る、禿頭のボディビルダー。猫娘はそいつに何者かと問いを投げ掛けていた。
その問いに、奴は堂々と答えていく。
「——私の名は……プロポーションおばけ!! 筋肉を愛し、筋肉に愛された妖怪だ!!」
「…………はっ? プロポーション……えっ? ……なんて?」
「——プロポーションお化け……ですって!?」
「知ってんのか、朱美!?」
その妖怪?と思しきマッチョマンの名前に目が点になっていた猫娘だが、意外なところからその名に対するどよめきが起きる。
妖怪などと縁もなさそうなただの女子高生である朱美の口から、そのものの概要が語られていく。
「プロポーションお化け……古来よりボディービルダーたちの間で囁かれてきた伝説的な妖怪よ。その肉体美は人間離れしていて、まさにお化けのようだと言われているわ!! ボディビル界では特に筋肉バランスが素晴らしい人を賞賛する掛け声として、その存在が引き合いに出される! ボディビルダーたちにとって、その存在に例えられることはまさに名誉なことなのよ!!」
「…………いや、全然聞いたこともないんだけど……」
もっとも、妖怪である猫娘にはどれも初耳な話ばかり。
「じ、実在したのか……プロポーションお化け!」
「てか……ただの掛け声じゃなかったんだな……」
実際、一部の濃い関係者以外の認知度はほぼ皆無なのか、ひびきと彩也香の二人もぽかんとしている。
だが朱美にとっては既知の存在で、彼女はさらにプロポーションお化けの説明を続けていく。
「プロポーションお化けは、屈強なボディビルダーを見かけるとボディビル勝負を挑んでくる妖怪なの!! 奴の筋肉を前に心の底から敗北感を抱けば……たちまち自分の筋肉が奪い取られてしまうという、とても恐ろしい妖怪なのよ!!」
「……ぼ、ボディビル勝負? ていうか、奪い取るって……どういう理屈なの?」
戦い方から敗北したときのリスクまで。何から何まで意味不明な妖怪だと猫娘が唖然となる。しかし、筋肉を奪われるボディビルダーたちからすればたまったものではない。
「あなたはっ!! そのプロボーションを維持するために……いったい、どれだけのマッチョたちからマッチョ力を吸い上げてきたの!!」
朱美はマッチョたちの思いを代弁するように叫んでいた。床に転がっている彼らこそ、まさに筋肉——マッチョ力を奪い取られたものたちの末路だ。
朱美にとっても、ボディビルダーにとってもプロポーションお化けの行為は決して許せない悪行だろう。
しかし、怒りを露わにする朱美を嘲笑うようにプロポーションお化けは平然と言い放つ。
「お前は、今まで摂取したタンパク質の総カロリーを覚えているのか?」
「くっ……何て非道なの!!」
プロポーションお化けは人間の筋肉を鳥のササミ程度にしか考えていないようだ。倫理観の欠片もない残虐非道な解答に朱美は絶句するしかなかった。
「——さて、もうここに用はない。そこを退いてもらおう!!」
そうした問答もそこそこに、プロポーションお化けはジムから立ち去ろうと動き出していた。
めぼしい筋肉は全て奪い終えた。女子供の筋肉などはまるで眼中にないという態度で、ひびきたちに対して勝負を仕掛けようとはしない。
「このっ……! このまま逃すわけにはいかないわ!!」
だがその逃走を阻止しようと、猫娘はプロポーションお化けに向かって爪を伸ばして飛び掛かる。一応は人間たちに一方的な被害が出ているのだから、ここで奴を食い止めなければなるまい。
「わっ!? 猫田さんの爪が伸びた!!」
「すげぇ!! ウルヴァリンみてぇ!!」
猫娘の人間ではあり得ない身体の変化を目の当たりにするひびきと彩也香だが、そこに怯えはない。寧ろ映画に登場する、どこぞのミュータントヒーローのようだと喜んでいる。
「ほう、貴様も妖怪だったか……しかし!!」
猫娘を真正面に捉えるプロポーションお化けの目が細まった。猫娘が自分と同じ妖怪であると察したのだろう。
だが、彼女の爪程度で止まるプロポーションお化けではなかった。
「フンッ!! 貧弱貧弱!!」
「なっ!? 私の爪が……」
猫娘の鋭い爪の一撃を以てしても、プロポーションお化けの肉体には傷を付けることも出来ない。それどころか、猫娘の爪の方が筋肉の厚みに耐えきれずにボロボロに欠けてしまう。
すると攻撃が通じない、その理由に関して朱美が警告を発する。
「駄目よ!! 奴に物理攻撃の類は一切通じないわ! プロポーションお化けにダメージを与えるには……奴よりも輝かしい筋肉を見せつけるしかないのよ!!」
「限定的な退治方法ねっ!?」
妖怪の中には一定の手順を踏まなければ退治できないものがおり、このプロポーションお化けもそれに該当するとのこと。
プロポーションお化けを倒すには奴とのボディビル勝負に勝利し、その身に敗北感を味わわせてやらなければならないのだという。
「そのとおり!! 私と肉体美の美しさで勝負するか? 負ければ当然……お前たちの筋肉もいただくことになるぞ?」
「くっ……全然勝てる気がしない……勝ちたくもない!」
猫娘は戦う前から自身の敗北を悟る。
正直、こんな暑苦しい筋肉のどこが美しいのか猫娘には理解できないが、少なくとも筋肉量の時点で彼女では勝負にもならない。他の女子たちでも無理だ。きっと彼女たちでは、奴と同じ土俵に立つこともできない。
このままではプロポーションお化けに逃げられてしまうだろう。正直、猫娘的にはもうそれでいいような気もしたが——。
「——ならば……ボクがお相手しよう!!」
そうはさせないと。一人の青年がプロポーションお化けに勇敢に立ち向かっていく。
「——街雄さん!!」
そこに立っていたのはシルバーマンジムのスポーツトレーナー・街雄鳴造であった。
先ほど事務所まで何事かの用事で呼ばれていた彼が、ようやくそこへ駆けつけてくれたのだ。
「遅れて済まなかったね。つい先ほど、シルバーマンジム全支部に緊急通達があったんだ。ここ数日、何者かが各支部を襲撃し……会員の方々から筋肉を奪っていると!」
「それって……!!」
そう、街雄が呼ばれていた理由も謎の襲撃者、プロポーションお化けに関連する注意事項だった。
どうやらこの支部に来る前にも、プロポーションお化けは他のジムを襲撃し、マッチョマンたちから筋肉を奪っていたようだ。
「そうさ! シルバーマンジムの連中は素晴らしい!! 上質なマッチョ力を持つものが多くて笑いが止まらんよ、マチョチョチョ!!」
「それ笑い声なの!?」
極悪非道な笑みを浮かべながら、プロポーションお化けは笑い声を上げる。その笑い方が猫娘にはだいぶ力が抜けるものだった。
「……けど、これ以上はやらせないよ!」
しかしその快進撃もここまでだと。街雄は自分が相手をすると、プロポーションお化けの前に立ち塞がる。
そんな街雄に対し、プロポーションお化けは嘲るような笑みを浮かべた。
「マチョチョ、笑わせるな!! 貴様のような貧弱な細マッチョ、私の敵にすら値せぬわ!!」
プロポーションお化けの言い分も分からなくはない。
ジャージ姿の街雄鳴造は、どこからどう見ても爽やかな好青年。ジムのトレーナーだけあって鍛えてはいるのだろうが、どう足掻いてもプロポーションお化けと張り合えるような筋肉があるようには見えなかったからだ。
ところが——。
「おいおい……街雄さんが細マッチョだってよ!!」
「何もわかってねぇな、プロポーションお化けのくせに!!」
今度は逆にひびきたちが余裕の笑みを浮かべ始める。その表情には、街雄という人間を心配する気配すらない。
「き、貴様ら……何を笑っている!! もっと私に恐怖せぬか……人間の分際で!!」
それが気に入らなかったのか。プロポーションお化けはひびきたちに自分にもっと畏れを抱くよう、威圧感たっぷりの台詞を口にしていく。
すると——。
「!! もっと……もつと……モスト…………」
街雄鳴造がその発言に反応を示した。相手の発した言葉を何度も何度も繰り返し呟きながら——。
「——はいッッッ!!! モストマスキュラー!!!!!!」
次の瞬間、彼の衣服が粉々に弾け飛ぶ。
ポージングと共に解き放たれたのはジャージの下に秘められていた、街雄鳴造のはちきれんばかりの——筋肉であった。
「——えええっ!? な、なんなの、その筋肉!? すげぇ、ムッキムキ!?」
これに真っ先に悲鳴を上げたのが猫娘。彼女は街雄という人間の筋肉……そのあまりの凄まじさにドン引きしていた。
パンツ一丁でポージングを取る街雄鳴造、彼が細マッチョだなんてとんでもない。
その肉体は、本人が爽やかなイケメンフェイスであることもあってか「合成写真かよ!」と思わず突っ込みたくなるほどの、ガキムチのゴリマッチョであった。
——あんな筋肉でどうやってジャージ着てたのよ!? 明らかに服入らないでしょう!!
——身体も……てか、体積からなんかでかくなってるし!!
——着痩せするタイプとか、そういうレベルじゃないから!! えっ、なに? こいつ妖怪なの?
服を着ているときとそうでないときの落差があまりにもはげしく、もはや猫娘もツッコミが追いつかないレベルで困惑している。
勿論、戸惑っているのは彼女だけではない。
「な……なんだと!? 貴様……そのプロポーション!! 人間でありながら……なんという完成度だ!!」
プロポーションお化けは街雄のびっくり生態ではなく、あくまで彼の肉体美に目を向けていた。その筋肉の仕上がり具合は、プロポーションお化けの目から見ても凄まじい完成度であるようだ。
暫しの間、その肉体美に唖然としていたプロポーションお化けであったが——。
「……まッ! マチョチョチョ!! よかろう……相手にとって不足はない!! 勝負だ、人間!!」
プロポーションお化けは街雄を自分に挑む資格がある人間だと判断したのか。
対抗心を燃やすかのように、街雄と同じモスト・マスキュラーのポージングで真っ向から向かい合っていく。
「——貴様を倒し……その筋肉、貰い受ける!! 覚悟するがいい、人間!!」
「——望むところですよ。ボクが勝ったら皆の筋肉を……返してもらいます!!」
×
こうして始まったボディビル勝負!!
それはどちらの筋肉がより洗練されているのかを決める神聖な戦いだった!!
「はッ!! サイドチェストォオオオ!!」
「なんの!! トライセプトッッッ!!」
街雄がサイドチェストで
「これならどうだ!? フロント・ダブル・バイセプス!!」
「ならばこちらも……フロント・ラット・スプレッド!!」
続け様にプロポーションお化けはフロント・ダブル・バイセプスで
それに街雄は真っ向からフロント・ラット・スプレッドで脇の下から大きく見える
「おのれ……これならばどうだ!? バック・ダブル・バイセプス!!」
「いいでしょう! ではボクからも……バック・ラッド・スプレッド!!」
焦りを見せ始めたプロポーションお化けが背中を向ける。逃げるのではない、バック・ダブル・バイセプスで広背筋のカット、筋肉のラインを浮き彫りにしていく企みだ。
しかしそれに対抗するよう、街雄はバック・ラッド・スプレッドで広背筋の広さを見せつけていく。
次から次へと繰り出されていく必殺技の如きポージング。
その迫力に圧倒されながらも、何とか観客となった少女たちが声を上げていく。
「負けるな、街雄さん!! キレてる! 街雄さんが一番キレてるよ!!」
「はぁはぁ……素敵! 眼福過ぎてイっちゃいそう……」
「腹筋ダイナマイト!! 二頭筋エレベスト!! 亀の甲羅見てぇな背中だな!!」
街雄の勝利を願う紗倉ひびきは、彼の筋肉が割れていることを掛け声で強調していく。
奏流院朱美は二人の筋肉を前に興奮しているのか、目をハートにしながら涎を垂らしている。
上原彩也香は敵味方関係なく、それぞれの部位の筋肉を何かに喩えて表現していく。
「えっ? なにこれ? どういうこと?」
ただ一人、猫娘だけは何事かと立ち尽くすしかない。
いきなりポージングを始めた街雄たちもそうだが、その流れを当たり前のように受け入れ、声援を送り始めたひびきたちにもついていけていない様子だ。
「ほらっ!! 猫田さんも!! 一緒に応援しましょう!!」
もっとも猫娘の戸惑いなど関係なく、ひびきは一緒に街雄を応援しようと強制的に彼女をその輪の中へと巻き込んでいく。
「え、ええっと……が、頑張れ……!?」
一応プロポーションお化けに勝利をされても困るので、猫娘は無難な応援でなんとかその場を乗り切っていく。
——なんだ……これは?
——私が……押されているだと!?
戦いが続いていく中、プロポーションお化けは自分が徐々に押されていることを悟っていく。
——この私の……プロポーションお化けの肉圧が、奴の肉圧に劣っているとでも言うのか!?
実のところ戦いが始まってすぐ、プロポーションお化けは自分の肉圧——肉の圧力が街雄に及ばないのではと、筋肉で実感していた。
しかし、その現実は受け入れられない。人間如きに負けるなど、妖怪としてのプライドがその事実を認めさせることを許さなかったのだ。
だが——。
——分かっている筈です……貴方ほどのビルダーであれば……。
突如、プロポーションお化けの脳内に街雄鳴造の声が響いてくる。
——はッ!? き、貴様……私の心に直接ッ!?
格闘家が拳と拳で、剣士が刀と刀で語り合うように。
ボディビルダーは筋肉と筋肉で語り合う。人間、妖怪という種族の壁すら超えて、二人は魂で対話し始めた。
——貴方のプロポーションは確かに素晴らしい……。
——けれどその大部分が……人から奪った筋肉で構成されている。
街雄は少しだけ悲しそうに、プロポーションお化けの筋肉が所詮は紛い物でしかないことを指摘する。
プロポーションお化けは他者から筋肉を奪い、それを我が物とする妖怪だ。その在り方は残酷で、冷酷で——そしてあまりにも悲しい。
——本当なら貴方は自分の筋肉を……自分だけの肉体を一から磨き上げていかなければならない!
——そうでなければ……貴方自身がその肉体に、筋肉に誇りが持てなくなってしまうのです!
街雄はプロポーションお化けに、『他者の筋肉を奪わなければ自身のプロポーションを維持することもできない』という、その在り方そのものを変えていかなければならないのだと諭そうとする。
——戯言をッ!! この私に説教するつもりか!?
だが街雄の言葉に聞く耳を持たず、プロポーションお化けはポージングを重ねていく。
プロポーションお化けにも意地がある。何も為せないまま、ただ敗北を認めることなど出来ないのだ。
——無駄です!! はぁあああ!!!
——な、なんだと!? ぐはっ!!
だがどれだけ見栄えの良いポージングを繰り出そうと、街雄はそれ以上に美しいフォームを繰り出していく。
放たれる街雄の肉圧を前に——とうとうプロポーションお化けの肉体が耐えきれなくなった。
「ああ!? プロポーションお化けの奴……膝をついたぞ!!」
「流石だわ、街雄さん!! これで決着ね!!」
互いに筋肉を見せつけ合う中、ついにプロポーションお化けが地面に膝をつけた。筋肉の消耗も激しく、もはやまともに立っていることもできないだろう。
戦いが街雄の優勢で終わったことは明らかだった。ひびきたちからも、彼の勝利を祝福する喝采が起こる。
「えっ、終わったの? 勝敗……ていうか、何が起きてたわけ!?」
もっとも、素人目にはどのような戦いが繰り広げられていたか把握することは困難。戦いの経過などがさっぱり理解が出来ず、猫娘が目を丸くしている。
「……もう勝負はつきました。素直に負けを認め……皆から奪った筋肉を返していただきたい」
膝を折ったプロポーションお化けに対し、街雄はリラックスポーズで待機する。倒れた相手に追い討ちをかけるような真似はせず、穏やかな声音で降伏を促していた。
「まだだ!! まだ終わらんよ!!」
しかし、プロポーションお化けは最後まで戦う意志を示す。
満身創痍な筋肉にムチを打ち、最後の最後——それこそ、自身の肉体が砕け散るのも構わずに必殺のポージングを繰り出していく。
「——受けてみよ!! 私の最後の輝きを——アブドミナル・アンド・サイ!!!!」
それこそが、プロポーションお化けがもっとも得意とするポージング。
絶対の自信を込めたアブドミナル・アンド・サイ——
「くっ!? な、なんて肉圧なの!?」
「これは……さすがの街雄さんでもやばいぜ!!」
まさに全力、最後の力を振り絞って繰り出されたポージングだからこそ、これまでにないほどの肉圧を纏っていた。
惑星が死に絶える刹那、最後の輝きを放つ超新星爆発のように。プロポーションお化けという一個の命、存在そのものがまさに閃光のように輝いていた。
「負けるな……街雄さん!!」
その輝きを前に、ひびきたちでは目を開けていることもできない。ただ負けるなと——彼の名を叫ぶことしかできない。
「……伝わりました、貴方の覚悟は……」
ひびきたちの声援をその背に受けながら、街雄鳴造はプロポーションお化けを真正面に見据える。
その気になれば、街雄はプロポーションお化けの肉圧から身体を背けることもできた。相手は最後の力を振り絞っている。その攻勢に耐えきれば、あとは勝手に力尽きるだけ。
最後まで立っていられたものが勝者だ。どのような結末で終わろうとも、それが勝利であることに変わりはない。
「——その覚悟に全力でお応えしましょう。これがボクの……アブドミナル・アンド・サイだぁあああああ!!!!」
だがそのような無粋な真似、同じ筋肉に生きるものとしての尊厳が許さなかった。
相手が己の全てを出し切ってまで、自分に勝とうとしているのだ。ならば自分も真っ向からその覚悟に、思いに応えなければならない。
プロポーションお化けとの戦いに終止符を打つべく、街雄は彼と同じアブドミナル・アンド・サイで迎え撃つ。
「くっ……こ、これは……ま、まさかッ!!」
それまで、頑なに自身の敗北を認めなかったプロポーションお化けだったが、同じポージングであるからこそ互いの優劣をより明確に思い知らされる。
お互い渾身の気迫を込めて放ったアブドミナル・アンド・サイは、確かに
だが、腹の筋肉——特に腹直筋の絞りにおいては、明らかに街雄に軍配が上がる。
その事実は、もはや何者にも覆せない。
「くっ……ふっふふふ……マチョチョチョチョ!!」
プロポーションお化けも、これにはもう笑うしかなかった。
最後の力を振り絞って尚、たった一人の人間にすら敵わなかったのだ。この期に及んで負けを認めないのは、それこそ晩節を汚すようなもの。
そんなみっともない真似を晒すなど——出来るわけがなかったのだ。
「——認めよう……確かに貴様の筋肉の方がキレていると……!!」
激闘の結果、とうとうプロポーションお化けが潔く敗北を——心の底から己の負けを認めた。
刹那、彼の逞しい筋肉の膨らみが萎んでいく。その肉体を構成する一部——人々から奪い糧としていた分の筋肉量が、本来在るべき場所へと戻っていったのだ。
「マチョ……マチョ!?」
「ああ、見て!! モブマッチョたちが!?」
その影響はすぐにでも現れた。ずっと死屍累々と横たわっていたモブマッチョたちが目を覚ます。萎びたナスビのように干からびていた肉体も、その筋肉を無事に取り戻していた。
これも全て、街雄がプロポーションお化けに勝利した結果である。だがその反面、プロポーションお化けの肉体は——。
「プロポーションお化け!? 筋肉が萎んで……」
「ふん……敗者には似合の末路さ。憐れみは無用だぞ、人間……」
他者の筋肉で自身の肉体を構築していたプロポーションお化け、彼本来の肉体が剥き出しになってしまっていた。
その姿は先ほどまでの逞しい姿とは比べようもないほどにやせ細った——そう、ただの細マッチョであった。
その変わりように思わず手を差し伸べる街雄であったが、プロポーションお化けはその手を振り払う。
「お前の言うとおりさ……所詮あの筋肉は紛い物でしかない。本来の私は……所詮この程度の細マッチョに過ぎない……フッ、笑いたければ笑うがいい!」
「いや結構あるじゃん筋肉……それで十分じゃないの?」
もっとも細マッチョと言えるだけのものは持っており、それで十分じゃないかと猫娘などは首を傾げる。しかし、プロポーションお化けとしてはそれでは不足らしい。
彼はたとえ他人から筋肉を奪ってでも、ムッキムキのゴリマッチョを維持しなければならなかったようだ。
理想の体型を維持できなくなった自身に存在意義などないとばかりに、プロポーションお化けの肉体は薄れ——今にも消滅しかけていた。
「だが!! 我ら妖怪は不滅! たとえ肉体を失おうと……魂さえ無事であれば再びこの世に蘇ることが出来る!!」
されどもプロポーションお化けは妖怪だ。たとえその身が滅びようとも、いずれは肉体を取り戻せる。
「やられっぱなしで終わりはせん!! やられたらやり返す……倍増量だ!!」
再び肉体を取り戻したそのときこそ、もう一度街雄に挑むときだと。筋肉量を倍に増やしての再戦を誓うプロポーションお化け。
「——私だけの筋肉を鍛え上げて……再びお前に勝負を挑もうではないか……」
他者から奪うのではない。
今度は自分自身の手で、一から筋肉を鍛え上げるのだと宣言しながら——。
「!! ええ、いつまでもお待ちしています……」
プロポーションお化けの言葉に、街雄は笑みを浮かべる。
最後の最後に、彼は自らの過ちに気付いてくれたのだ。人から奪った筋肉では本当のプロポーションとは呼べない。
たとえ、どれだけ仕上がりに不満があろうとも。自分自身で鍛え上げた筋肉だからこそ、そのものの心に誇りを抱かせるのだと。
その誇りこそ、まさに筋肉の神が与えたもうた祝福なのだと——。
「ナイスバルクでした!! プロポーションお化けさん……」
「ふっ、貴様もナイスバルクだった……また会おう」
最後には、互いの健闘を讃え合う街雄とプロポーションお化け。
だがそれを最後の言葉に——プロポーションお化け、ついにはその肉体を自壊させる。
魂だけの存在となり、何処ぞへと飛び去ってしまったのだった。
「…………ふう、怪我はなかったです? 皆さん」
暫くの間、街雄はプロポーションお化けの魂が飛び去っていった方角を見つめていた。しかし彼はこのシルバーマンジムのトレーナーだ。お客様でもある会員たちの無事を確かめる義務が彼にはあった。
「ええ、私たちは大丈夫ですよ」
「モブマッチョたちも……ほら!!」
街雄の呼びかけに少女たちが答えていく。
朱美は自分たちには怪我一つなかったことを、彩也香は被害に遭っていたモブマッチョたちが筋肉を取り戻したことを告げる。
『——マッチョ!!』
モブマッチョたち本人も、街雄に感謝するようにそれぞれが得意とするポージングで応えていた。
「そうか……それなら良かった……皆さんが無事であれば……」
当然ながら、皆の無事を街雄は笑顔で喜んでいた。だがその横顔には——僅かな憂いがあるようにも見える。きっと消滅してしまったプロポーションお化けのことを気にしているのだろう。
プロポーションお化けが人々の筋肉を奪うという許し難い罪を犯した罪人といえども、同じく筋肉を愛したもの同士で、あれだけの死闘を演じた相手だ。
ただの敵として憎み切ることは出来ない。その魂の今後などがどうしても気になってしまうのだろう。
「……街雄さん!!」
「……ん? どうかしたのかい、紗倉さん?」
するとそんな街雄の寂しい気持ちを察してか。紗倉ひびきは元気溌剌、笑顔一杯に街雄に向かって声を掛ける。
「今日もご指導のほど……よろしくお願いします!!」
「おいおい……どうしたんだい、そんなに畏まって?」
妙に畏まったひびきの態度に僅かに戸惑う街雄。ひびきはさらにニッコリと、八重歯がチラリと見えるチャーミングな笑顔を浮かべていく。
「へへへ……別にいつも通りだよ! だから街雄さんも……いつもみたいに色々教えてよ……ねっ!」
そう、いつも通り。いつも通りでいいのだ。
いつものように明るくマッチョな街雄鳴造の筋肉講座を受けたいと、ひびきはそのように彼を励ましていく。
「そうだね……今日もいつもと変わらず……トレーニングに励んでいこうか!」
ひびきの気遣いに、街雄は微笑みを浮かべていた。
完全にプロポーションお化けへの心残りを払拭したわけではないが、それでも今は自身の職務に集中すべきだと彼女の笑顔に教えられる。
「街雄さん!!」
「街雄さんっ!」
朱美と彩也香も、街雄が自分たちの筋肉を導いてくれることを待ち望んでいる。
彼女たちの期待に応えるためにも、街雄はこのジムのトレーナーとして彼女たちを指導すべく奮起する。
「それじゃあ! 今日は猫田さんにも分かるように解説を……って、あれ?」
せっかくなので無料体験に来てくれている猫田に向けて、初心者にも分かるよう丁寧に解説しようと張り切っていく。
「……猫田さん、どこ行った?」
だが、既にジム内のどこにも猫田——猫娘の姿はなかった。
「……ただいま」
すっかり日も暮れた夜に、猫娘はゲゲゲの森へと帰還を果たす。
「やあ、お帰り……猫娘」
「随分と遅かったが……何かあったのかのう?」
戻ってきた彼女をゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじが出迎える。彼らは猫娘の帰りがいつもより遅かったことを気にし、それとなく何かあったのかと尋ねていた。
その問いに対し——。
「——ナニモナカッタワヨ?」
猫娘は無表情で答える。
「ベツニ……ナニモナカッタワヨ?」
「え……あ、ああ……何もなかったなら……うん……」
猫娘のその返答に、色々と鈍感な鬼太郎も何かあったことは察する。
しかし深く追求してはいけない。
猫娘の死んだ魚のような目が、余計な詮索をすべきではないと鬼太郎に沈黙を保たせる。
結局、その日。
猫娘がどこで何を体験してきたのか、鬼太郎たちが知ることはなかった。
——…………。
——うん……今のままでいいや。
——胸が小さくても……筋肉なくてもいいや。
そして猫娘自身も、シルバーマンジムの洗礼を前に色々と思考回路がパンク寸前。既に後半部分、何が起きていたのかも思い出せない。脳が自己防衛機能により、彼女の記憶をシャットアウトし始めたのだ。
あの混沌とした時間を思い出さないためにも、猫娘は自身のバストアップに関してはとりあえず諦めた。
そして以後。彼女があのジムに——シルバーマンジムに近づくこともなかったのである。
人物紹介
紗倉ひびき
主人公のギャル。常に何かを食べており、食った分だけ太っていく(それが普通です)。
話の内容によっては時々バケモンになる。
担当した声優・ファイルーズあいさん。これがデビュ作で主人公って……だいぶ凄すぎ。
奏流院朱美
超が付くほどのお嬢様。しかし重度の筋肉フェチ。
筋肉以外のところでは……比較的まともと言えなくもない?
上原彩也香
ひびきのクラスメイト。実家がボクシングジムを経営している。
それ関係なのか同作者が連載している『ケンガンアシュラ』との絡みを持ってくることがある。
街雄鳴造
シルバーマンジムのトレーナー。
初見はただのイケメン好青年だが……中身はムッキムキのゴリマッチョ。
一応、人間。一応は人間……念のため二度言っておく。
プロポーションお化け
本作だけのオリジナル妖怪。
プロポーションお化けという掛け声の元となった妖怪……という設定。
筋肉・妖怪で色々と調べたのですが、よさげな既存妖怪がいなかったのでオリジナルで創作してみました。
次回予告
「夜な夜な、何者かに連れて行かれる妖怪たち。どうやら人間たちの仕業のようですが……。
父さん、これが彼らの総意なのでしょうか? それとも、一部のものたちの企みなのか。
あの緑色の人たちは? 甲羅を背負っているようですが……河童ではないようです。
次回ーーゲゲゲの鬼太郎『ヒーローはマンホールからやって来る』見えない世界の扉が開く」
次回のクロス先、あえて秘密にしていますが……分かる人には分かるタイトルになっています。
最近、この作品に関するゲームが出たり、映画アニメの発表があったりと、また賑やかになっていますね。