ゲゲゲの鬼太郎 クロスオーバー集   作:SAMUSAMU

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今回のクロスオーバー『有頂天家族』は京都を舞台にした現代ファンタジー。
主人公が狸。そこに人間や天狗が入り乱れる世界観が舞台となっています。

かなりの傑作だと思うのですが、知名度は結構低いみたい。
その原因はアニメの一期放送時、同時期にやっていた『進撃の巨人』や『半沢直樹』に話題性を全部持っていかれたせいらしい。
正直、もっと有名になってもいい作品だと思うだけに……かなりもったいない。

この作品がどういったものなのかは、作中で色々と語っていきますが、その前に注意事項。

今回のクロス、時期系列的に有頂天家族の最新話である『有頂天家族2』よりさらに後の話になっています。よって作中のネタバレなどガンガン出てきます。
また、有頂天家族は全部で三部構成。『有頂天家族3』がいずれ出る予定です。
もしも3が出た場合、今回の話の顛末が明らかにそれとは異なるものになると思います。

あくまでここだけのクロス話であることを念頭に、どうぞお楽しみください。



有頂天家族 其の①

「——明日から京都だよ!! 楽しみだね~、雅!!」

 

 夕暮れ時。

 東京都調布市の中学二年生、犬山まなは浮かれ気分で学校の帰り道を親友である桃山雅と歩いていた。

 彼女がここまで嬉しそうにしている理由は単純明快。ずっと楽しみにしていた修学旅行、それがまさに明日にまで迫っていたからだ。

 学生にとって一大イベントである『修学旅行』。まなたちの通う中学校では二年生の十月に行われることが恒例となっており、まなはこの日が来るのを一ヶ月ほど前からずっと心待ちにしていた。

 少し前まで地獄の騒動などでバタバタしていたりもしたが、それも既に解決済み。ここ最近は彼女の周囲に目立った事件もなく、何の憂いもなくまなはこの日を迎えることができていた。

 

「……はぁ~……何でうちの学校は……今どき修学旅行で京都って……」

 

 その一方で、まなの隣を歩く雅はどこか気乗りしない様子。

 彼女は修学旅行の目的地が『京都』であることに不満を抱いているようだった。

 

「せっかくだったら海外に行きたかったよ……グアムとか、ハワイとか!!」

 

 グローバル化が進む昨今、最近は中学校でも修学旅行先に海外を指定する学校が多くなってきている。そんな中、自分たちの学校が京都などというどこかありふれた、悪く言えば古臭い場所に行かなければならないことに雅はがっかりしている。

 彼女だけではない。そういった生徒は割と多くいる。

 

「あ~あ……せめて国内なら北海道とか、沖縄がよかったよ……何で京都なわけ!?」

「え~! いいじゃん、京都!!」

 

 尚もぶつぶつと愚痴を続ける雅に、まなは笑顔を崩さぬままに声を上げる。

 

「わたしは楽しみだな!! 妖怪の伝説とか……いっぱいあるみたいだし!!」

 

 まな個人としては京都には何の不満もない。寧ろ、海外なんかよりずっと嬉しい。

 何故なら、京都はその歴史から多くの『妖怪伝説』が根強く残っている土地だ。妖怪に縁のある名所や、資料館。妖怪グッズなども数多く売られている。 

 妖怪に友達がいる、妖怪と仲良くしたいまなからして見れば、それだけで十分に大満足できる旅となることだろう。

 

「やれやれ、あんたも好きだね……」

 

 そんな、妖怪の歴史探索になるかもしれないと浮かれるまなに、雅は呆れた溜息を吐きつつも口元に笑みを浮かべる。何だかんだ言いつつも、雅だってまなとの修学旅行を楽しみにしている。

 早く明日にならないかと、彼女たちは今から気持ちを昂らせていた。

 

「…………あれ?」

「どしたのよ、まな?」

 

 と、そんなワクワク気分で歩いていたまなだったが、不意にその足を止める。

 雅が怪訝そうな顔でまなを見ると彼女は前方、視線の先を指さしていた。

 

「あの人……なんか探してる感じだけど……」

「…………」

 

 まなが見つけたのは——街中をウロウロしている一人の青年だった。

 

 どこかのほほんとした、気の抜けた表情をしているのその青年は、手に持ったメモ用紙を頼りに何かを捜索している様子だった。今どき、スマホの地図アプリも使わず珍しい光景である。

 

「……あの、何かお探しですか?」

「ちょっ、ちょっとまな!」

「えっ……?」

 

 まなは少し考えたが、困っているその青年に声を掛けることにした。雅が見知らぬ人へのまなの不用心さに驚いているが、声を掛けられた青年の方はもっと驚いている。

 暫し呆然と何かを考えながら、青年はまなに『とあるものの場所』を尋ねてきた。

 

「ええっと……キミたち……妖怪ポストって、どこにあるか知ってるかい?」

「! ええ、それなら——」

 

 その問い掛けに、まなは快く答えることができた。

 

 

 

 

「——なるほど、これが妖怪ポストか……」

 

 妖怪ポストは調布市の路地裏、ビルとビルの隙間にひっそりと立っている。

 位置柄、陽の光さえ当たらない真っ暗な場所。明らかに不気味な雰囲気を醸し出している木で出来た手作りポスト。青年はその前で僅かに躊躇いを抱いたが、意を決して鬼太郎宛の手紙をポストへと投函した。

 

「これでもう大丈夫ですよ! どんなトラブルだって、鬼太郎が駆けつけてチャチャッと解決してくれますから!!」

 

 それを見届けた犬山まなが笑顔で青年に笑い掛ける。

 どのような要件かは知らないが、これで鬼太郎の元まで依頼が届く。どんなに困っていようとこれで万事解決だと、彼への信頼が厚いまなはそう答える。

 

「あ、ありがとう……キミは、鬼太郎の……知り合いなのかな?」

 

 しかし、青年は苦笑いを浮かべる。

 そして、鬼太郎に関して随分と詳しそうなまなに彼との関係を尋ねていた。

 

「この子、鬼太郎と友達なんですよ」

 

 その質問に、まなのはしゃぎっぷりを呆れるように雅が答える。雅も鬼太郎との直接の面識はあるが、そこまで彼と親しいわけではない。まなほど、全面的に鬼太郎のことを信頼はしていない。

 しかし、まなの鬼太郎や猫娘への親愛はかなりのもの。

 

「いつだって鬼太郎は、困っている人間の味方ですから!!」

 

 何度も彼ら妖怪に助けられたまなは、無邪気にもそのような断言をする。

 

 それは——まな自身の誤解や偏見も入っている。

 まなにとって鬼太郎は人間の味方かもしれないが、鬼太郎自身はそう思っていない。たとえ困っている人間であろうとも、その人間に非があったり、どうしようもない連中であれば彼だって人間を見捨てることもあるのだ。

 

 しかし、まなのその言葉を真に受けた青年は呟いた。

 

「人間の味方か……それは…………ちょっと困ったな」

「えっ……?」

 

 一瞬、聞き間違いかと思った彼の発言にまなは目をパチクリさせるが、その発言を深掘りさせる暇もなく。

 

「いや、何でもないよ……ありがとう、助かった」

 

 青年は案内してくれたまなたちに礼を告げ、そのまま静かに立ち去っていく。

 

 

 

 

「……で、どうなのよ、鬼太郎? 手紙には何て書いてあるの?」

 

 夜のゲゲゲハウスにて。猫娘は鬼太郎に届けられた手紙の内容について尋ねる。

 猫娘がまなからメールで『青年が妖怪ポストに手紙を入れた』という報告を受けたため、鬼太郎たちはその手紙にすぐ目を通すことができた。猫娘は自分の助けが必要な案件かと、手紙を読む鬼太郎の様子を伺う。

 

「う~ん……依頼内容に関しては何も書かれてないな。直接会って話がしたいって……」 

 

 だが肝心の依頼内容が書いていないと鬼太郎は首を捻る。相当込み入った事情なのか、直に対面してから話すと。手紙には依頼主の所在地が——『京都』であることしか書かれていない。

 

「ほう! 京都か……それはまた、随分なところから依頼が来たのう……」

 

 茶碗風呂に浸かりながら目玉おやじが少し驚いた声を上げる。鬼太郎たちは妖怪ポストに依頼が来ればたとえ外国だろうと駆けつけるが、京都からというのはなかなか珍しい。

 

 

 というのも、京都はその土地柄。妖怪案件の事件があっても『陰陽師』や『拝み屋』といった人間側のプロが動いて解決することが多い。

 昔に比べればそういった専門家の数は随分と減ったが、それでも京都にはあの安倍晴明の子孫を名乗る『安倍家』の本家があるという噂。もしも妖怪に困らされているのなら、まずはそっちを頼る筈だ。

 にも関わらず、依頼主はわざわざ妖怪ポストに——東京にいる鬼太郎にまで依頼を持ってきた。

 そこに、何やら複雑な事情を感じられる。

 

 

「京都か……まなも明日から修学旅行に行くって言ってたけど……どうする?」

 

 猫娘はまなが京都への修学旅行を楽しみにしていることを知っている。まさか、このタイミングでその京都から依頼が来るとは思ってもいなかった。これもまた、まなの『偶然力』とやらだろうか。

 

「……とりあえず、行って話だけでも聞いてみよう」

 

 僅かに思案した後、鬼太郎は依頼主の話を聞きに京都へ行くことを決めた。

 もしも何か事件が起ころうとしているのなら、大事になる前に解決した方がいいだろう。

 

 

 修学旅行を楽しみにしている友人のためにも翌日、鬼太郎たちは京都へと赴くこととなる。

 

 

 

×

 

 

 

 京都——かつての日本の中心地。

 現代に合わせて他の都市同様に建物も近代化しているが、千年都として栄えていたため、その歴史に相応しい建造物、神社仏閣などが数多く残っている。日本有数の観光地でもあり、アメリカの大手観光雑誌などでも『世界で最も魅力的な都市第一位』として選ばれた経歴を持つ、世界が認めた華の都である。

 

 だが、そんな華やかなイメージがある一方で。

 昔からこの土地を巡り多くの人間、妖怪が絶えず争い合い、血を流してきた歴史がある。

 

 現代においてもその影響が色濃く残っているのか、どうにも血生臭い殺人事件などが頻繁に起こる傾向があったりする。

 そういった凄惨な事件が起こるたび京都府警、京都地検や科捜研などの人々が頑張ってたりするのだが……ここではその話題に触れないでおこう。

 

 とにかく華やかさがある一方で、決してそれだけではないのが——京都という街である。

 

 

 

 

「うむ、随分と様変わりしてしまったが……変わっていないところも多い。懐かしいのう!」

 

 真昼間。その京都に到着するや、目玉おやじは鬼太郎の頭の上からその街並みを眺めていた。

 彼は若い頃、全国各地を旅していたことがあり、当然ながら京都にも訪れたことがある。その頃からの違いや、変わらない風景に色々と感慨深げに呟いている。

 

「私……京都って初めてかも……鬼太郎は?」

「ボクも初めてだよ」

 

 一方で、猫娘と鬼太郎の二人は京都に来るのが初めてらしい。昔ながらの和の雰囲気が広がる街並み、歴史情緒あふれる寺や神社などの建物。観光客で賑わっているために人通りが激しいのが難儀だが、街全体の空気がどこか懐かしく、彼ら妖怪にとっては現代の東京などよりよっぽど馴染み深い。

 これが京都かと。感嘆の息を漏らしながら、一行は依頼主が指定する待ち合わせ場所へと向かった。

 

「寺町通り……寺町通り……あった、この辺りね」

 

 手紙に書かれた住所を頼りに、猫娘が地図アプリで検索しながら目的地である『寺町通(てらまちどおり)』へと辿り着く。

 

 ここは京都でも有名なアーケード街。かの豊臣秀吉が京都を大改革する際、寺院を再建して集めたことからその名がついたとか。

 その昔、寺院関係者や商人、職人などが一手に集まり、ここで商店街を形成するようになった。そのため寺院は勿論、歴史ある老舗店。さらには流行の最先端を行くお店なども共存し、独特な空気感を作り出している。

 まさに、京都を代表する商店街の一つだと言えよう。

 

 

「——あの、失礼ですが……ゲゲゲの鬼太郎さんでしょうか?」

「! ええ、そうですけど……」

 

 

 そんな京都らしい場所へと到着して早々、鬼太郎に声を掛ける人物がいた。名前を呼ばれて鬼太郎が振り返ると——そこには男性と女性が一人ずつ立っていた。

 

 男性は京都の景観に揃えるよう、和服を見事に着こなしている。黒い髪の毛が頭の先で少しとんがっているのが特徴的。何となく、老舗店の『若旦那』といった感じの佇まいである。

 

「遠いところをわざわざ……」

 

 その男性の隣に立つ女性も、鬼太郎たちにペコリと頭を下げる。

 彼女の方は一般的な洋装、清楚な服装をしている。立ち振る舞いが礼儀正しい、綺麗で真面目な感じの大人の女性。

 

 二人が並ぶ姿は——『若旦那とそれを支える女房』といったところ。今回の依頼主は夫婦のようである。

 

「貴方がたが……この手紙の依頼主でしょうか?」

「はい、矢一郎(やいちろう)と申します」

 

 鬼太郎が尋ねると男の方が名乗る。

 

「こんなところで立ち話もなんですし……ささっ、どうぞこちらへ」

 

 矢一郎は軽く頭を下げながら、鬼太郎たちを素早く『地下へ』と案内していく。

 

 

 

 

 そこは『赤硝子(あかがらす)』という店だった。

 寺町三条の地下にあるその店は昼は喫茶店、夜は酒場になる飲食店だ。今は昼間ということもあり、色んな種類の人々で席が埋まっている。お茶をしにきたマダムたちや、制服を着た学生、仕事途中に一休みしに立ち寄ったサラリーマンなど、男性客も多数いる。

 

「…………」

「ん? どうかしたの、鬼太郎?」

 

 すると、その店に足を踏み入れてすぐに鬼太郎が何やら訝る表情になった。

 彼の怪訝そうな顔色に何かあるのかと、猫娘も店内を見渡す。

 

「あれ? この店、ずっと奥まで続いてるわよ……」

 

 猫娘が気づいたのは——赤硝子には『果て』というものがないことである。

 内装は普通のバーカウンターがある喫茶店なのだが、店の奥が——何処までも何処まで続いているのだ。奥に行けば行くほど狭くなっているよう見えるその構造に、若干目眩すらしてしまいそう。

 

「さっ、こちらの席へどうぞ……」

 

 だが、矢一郎はそんな店の不思議空間などまるで気にした様子もなく、テーブル席へと鬼太郎たちを誘導する。

 鬼太郎と猫娘が、矢一郎とその連れ合いの女性が隣り合い、二組の男女が対面する形でテーブルへと着席した。

 

「それで……肝心の依頼はどのようなものなのかな?」

 

 そこで目玉おやじが顔を出し、矢一郎たちにさっそく依頼の内容を聞き尋ねる。矢一郎は目玉おやじの登場に僅かに反応を見せるも、特に驚くこともなく口を開き始める。

 

「そうですね……それをお話しする前に、一つお聞きしたいことがあります……鬼太郎さん」

「? ……なんでしょうか?」

 

 質問に質問で返され、鬼太郎が眉を顰める。

 しかし矢一郎は、少し間を置きながらもはっきりと鬼太郎へと問いを投げ掛けていく。

 

「ゲゲゲの鬼太郎さん……貴方はこれまで、多くの人間たちを助けて、悪しき妖怪を退治してきたのでしょう。その勇名は、我々京都の者の耳にも届いています」

「…………」

「そこでお尋ねしたい。貴方は……人間の味方ですか? それとも——」

 

 

 

「妖怪の味方ですか?」

 

 

 

「——っ!?」

「き、鬼太郎!? 周りを見て!」

 

 瞬間、鬼太郎たちは周囲の異変に気付いて身構えた。

 

 それまで、和気藹々と話し込んでいた店内の客たちが一斉に静かになる。マダムも、学生も、サラリーマンも。

 

 全員が全員——まるで示し合わせたかのように黙り込み、その視線を鬼太郎たちへと注いでいた。

 

「————」  「————」   「————」

   「————」   「————」

「————」  「————」   「————」

 

 店員も含めた全員が——鬼太郎たちを包囲する形、無表情でこちらを見つめている。

 

「なっ!」

「この者たちは!?」

 

 猫娘と目玉おやじが息を呑む。

 世代も年齢層もバラバラだが、どうやらこの店にいる全ての人間が矢一郎の関係者、彼の仲間であるようだ。

 矢一郎は彼らの疑問を代弁するかのように、鬼太郎へと答えを迫る。

 

「鬼太郎さん……お答え頂きたい。貴方はいったい、誰の味方なのでしょうか?」

 

 返答内容によってはただでは返さない。そんな脅し文句が聞こえてくるような空気である。

 猫娘も目玉おやじも、狭い店内で囲まれている今の状況に冷や汗を流す。

 

 しかし——たとえどんな形で脅されようとも、鬼太郎の『在り方』に何ら変わりはない。

 

 

「ボクは……誰の味方でもありません」

 

 

 矢一郎の問いに、鬼太郎は自身の信条——明確な答えを口にする。

 

「ボクは……自分が正しいと思うことをするだけですから……」

 

 それが鬼太郎の正直な気持ちだ。

 彼は人間であろうと、妖怪であろうと。間違っていると思えば止めるし、酷いようなら見捨てもする。

 人間であれば誰でも助けるわけでも、妖怪だからといって理由もなく倒すような——人間にとって都合の良い『正義の味方』ではないのだと。

 こんな状況でありながらも、一切の躊躇なく言い切ってしまった。

 

 そんな返答をする鬼太郎に対し、矢一郎は——

 

「そうですか…………それを聞いて、安心しました!」

 

 何故かホッと胸を撫で下ろしていた。

 周囲の人間たちも鬼太郎の答えを聞き、何故かにこやかな微笑みを浮かべている。

 

「えっ? ど、どういうことよ?」

 

 一気に緊張感が抜けていく状況に困惑する猫娘だが、鬼太郎にはある程度の察しが付いていた。

 

「やはり、そうでしたか……」

 

 どこか納得した様子で、ズバリ矢一郎たちに問い掛ける。

 

 

「矢一郎さん。貴方たちは……人間ではありませんね?」

 

 

 そう、この店に入った瞬間から、鬼太郎は妖怪アンテナで感じとっていた。

 

 この店に充満する微弱な妖気を——。

 ここにいる人間たちが皆、人ではないということを——。

 

「お見通しでしたか……流石です」

 

 自分たちの正体を看破した鬼太郎への賞賛を口にしながら、矢一郎たちはその『正体』を現す。

 次の瞬間にも、店内にいた人間たちが全員——毛深いその本性を晒したのである。

 

 

「——た、狸……?」

 

 

 猫娘が絶句する。

 自分たちを取り囲んでいた人間が、人間だと思っていたそれらが一人残らず小さな動物の『狸』へと姿を変えた。これこそが——彼らの正体だ。

 

「試すような真似をして申し訳ございませんでした!」

 

 一匹の狸、矢一郎と思しき個体がテーブルの上で頭を突き、鬼太郎たちへ土下座する。

 

 

「見ての通り、我々は狸! この洛中内に住まう——化け狸なのです!」

 

 

 

×

 

 

 

 狸や狐という生き物は、動物よりも妖怪に近い特性を持っている。

 彼らは『化学(ばけがく)』という力で変化することができ、特に人間を真似するのが大好きだ。

 

 彼らは人間に化け、人間社会に人知れず紛れ込んでいる。

 特にこの京都ではその絶対数が多く、一種のコミュニティを形成していた。

 

 それこそが『狸界』と呼ばれる社会である。

 

 彼らは京都の街に暮らす——『京都狸界』の住人なのだ。

 

 

 

 

「改めまして……私はこの京都で偽右衛門(にせえもん)を務めさせてもらっている、下鴨(しもがも)矢一郎と申します」

 

 自分たちの正体を暴露した後、矢一郎は改めてフルネームを名乗りながら再び人間に化けて話を進めていく。周りの狸たちも人間へと変化する。彼らにとってはこの姿の方が落ち着くらしい。

 

「偽右衛門?」

 

 聞き慣れぬ役職に鬼太郎たちは首を傾げる。それに関しては矢一郎が笑いながら簡潔に説明してくれた。

 

「京都狸界の代表をそう呼ぶことになっています。まあ……体のいい相談役のようなものですよ」

 

 偽右衛門という地位。つまりそれは、彼こそがこの京都中の狸を一手に束ねる頭領の立場にあるということだ。

 彼はその地位に就任してまだ一年と経っていないらしいが、それでも立派にその役目を果たそうとしている。

 

「先ほどは失礼しました。矢一郎の妻、玉瀾(ぎょくらん)と申します」

 

 そして、矢一郎の隣に立つ女性はそんな彼を支える奥さん。名を玉瀾という。

 二人は今年の一月に式を挙げ、晴れて夫婦となった新婚さんだ。

 

「……いいな」

 

 そんな二人が並んでいる姿に猫娘がボソッと呟く。

 何を羨ましがっているかなど、今更語ることでもないだろう。

 

「本当に済みませんでした。鬼太郎さんが人間の味方だという話を小耳に挟んだもので……念のため、貴方の考えを確認させていただきました」

 

 矢一郎があのような形で鬼太郎を詰問したのは、鬼太郎が『人間の味方』かもしれないと。妖怪ポストに手紙を投函する役目を負った狸から、そのような話を聞いたからだ。

 自分たちが狸だと分かれば力を貸してくれないのではと。それで不安を抱いてしまったらしい。

 

「ですが……過ぎた心配でしたね。貴方は公平な目線で物事を見れる方のようだ。我々も、安心してこちらの内情を訴えることができます」

 

 だが、それも杞憂だった。

 鬼太郎は決して人間側だけに寄り添うのではなく、妖怪側の事情も考慮できる器の持ち主だと。先ほどの問答でそれを知ることができ、矢一郎たちは安心して自分たちの正体を晒す決断ができた。

 

 

 気を取り直し、彼らは改めて鬼太郎へと『依頼の内容』を語り始めていく。

 

 

「皆さんは……『狸苛め』なる人間の悪行をご存知でしょうか?」

「た、狸苛め……ですか? いいえ……初耳ですが……」

 

 矢一郎が語った聞き慣れぬ言葉に再び鬼太郎たちは疑問符を浮かべる。もっとも、字面だけでそれがどういった内容なのか察することができる。

 狸を苛める。それが人間の手によって行われているという、いたってシンプルな問題である。

 

「事の発端は去年のことです。この国の政権が八百八狸という妖怪に奪われてしまったことがきっかけでした」

「——っ!?」

「……皆さんは、八百八狸についてどこまでご存知でしょうか?」

 

 八百八狸(はっぴゃくやだぬき)

 知っているも何も。鬼太郎たちにとっても、人間たちにとってもそれは忘れられない事件の一つである。

 

 

 去年の六月頃のことだ。

 何者かに封印を解かれた妖怪・隠神刑部狸(いぬがみぎょうぶだぬき)率いる八百八狸軍団。彼らは人間相手にクーデターを起こし、その政権を奪い取ってしまった。

 結果として——彼らの政権は一週間という短い期間で崩壊したが、その事件は現代において、妖怪の存在を忘れ去っていた多くの人間たちに妖怪の脅威を強く印象付けることとなった。

 現代人が妖怪の存在を『認識』するようになった、分岐点とも呼べる事件であろう。

 

 

「あの事件以降でしょうか。人間たちの間でその報復とも言うべき、狸苛めが全国各地で行われるようになってしまったのです」

 

 矢一郎の話によると、その事件が解決してしばらくの間。人間たちの間で狸への虐待が流行り始めたという。勿論、八百八狸たちとは関係ない、野生の狸たちへの不当な暴力である。

 人間たちは一時とはいえ『狸に支配されていたという』屈辱を晴らすため、無害な狸たちをいたぶって溜飲を下げていたのだ。

 主にモラルが低い、一部の人間たちによって行われた蛮行である。

 

「な、何と……そんなことが起きていたのか……」

 

 自分たちの知らないところで起きていた事件に、目玉おやじが言葉を失う。

 人間たちの身勝手な振る舞い、それにより被害を受けていた狸たち。さぞ辛かっただろう。

 

「あの当時は全国の狸界が事態の沈静化に奔走しました。中には人間への報復を叫び、徹底抗戦を唱えるものまでおりまして……」

「…………」

 

 当時の苦労を思い出してか矢一郎や玉瀾、周囲の狸たちが複雑な顔色になる。相当に苦労したのだろう、赤硝子の店内を重苦しい空気が支配していく。

 

「ですが! 我々はそれを耐え忍びました! 皆で一丸となって、その苦難を乗り切ったのです!!」

 

 だがそれも過去のことだと、矢一郎は声を張り上げる。人間たちの心ない行いに対し、狸たちは安易な復讐に走ることなく、何とかその危機を乗り切ったと胸を張った。

 実際、狸を苛めるという世の中の流れは数ヶ月ほどで収束へと至った。人間は良くも悪くも飽きっぽい生き物だ。彼らは狸を苛めること自体に飽き始め、この問題は時間の経過とともに徐々に自然消滅していったのだ。

 

 ところが——

 

「ところがです。ここ最近になって、その狸苛めがまたも頻発するようになったのです。それも……この京都市内を中心に……」

「えっ……?」

 

 だがここに来て、その狸苛めがまたも行われるようになった。それも全国ではなく、この京都市内に限定して多くの狸たちが被害を受けているのだ。

 

「何故今になって? どうして人間たちがまたも狸たちを苛めるようになったのか? その原因の究明を私共は徹底して調査してまいりました」

 

 しかしその調査の甲斐もなく、原因の発見には至れなかった。

 もたもたしている間にも、狸への嫌がらせ行為は日に日にエスカレートし、それに「反撃すべし!」いう声も若い狸たちの間で出始めている。

 

「このままでは……狸たちと人間との間に致命的な軋轢が生じかねません。そうなる前に……どうにかしてこの事態を収束させなければ……」

 

 だが、矢一郎は狸たちだけでは限界があると。

 この件を解決するのに誰か——外部の者の力を借りる必要性を感じたのである。

 

「陰陽師たちの力を借りることは出来ません。彼らは我々の存在を黙認してくれていますが、手助けもしてはくれないでしょう」

 

 だが、助けを借りると言って京都の陰陽師たちなどに頼むことはできない。

 狸はある種、妖怪の一種だ。基本、人間の味方である陰陽師を狸たちも信用してはいない。

 

「天狗の先生方の力をお借りすることも考えましたが……あまり期待はできないでしょう」

 

 また、狸たちは天狗と師弟の関係を築いているのだが、天狗が狸たちのために重い腰を上げることなどほとんどない。

 なかなかどうして、上手い具合に適任者が見当たらなかった。

 

 そこで白羽の矢が立ったのが——ゲゲゲの鬼太郎であった。

 

 鬼太郎の評判を噂で聞いた狸たちの何匹かが「いっそのこと、彼に依頼してみては?」と物は試しと提案、手紙を出すことにしたのだ。

 

 

 

 

「鬼太郎さん……こんなことを貴方に頼むのはお門違いかもしれません。ですがお願いです……何卒、我らにお力を貸してはくれないでしょうか?」

「お願いします、鬼太郎さん……」

 

 一通り、事情を説明し終えた矢一郎が深々と頭を下げ、玉瀾もそれに続く。

 藁にもすがる思いなのだろう、他の狸たちも揃って鬼太郎を拝み倒すように平伏する。

 

「……顔を上げて下さい、矢一郎さん」

 

 そんな狸たちの頼みに、鬼太郎は頷いた。

 

「ボクに出来ることであれば。ですが、事態の収拾といいましても、どこから手をつけるべきか……」

 

 彼らの頼みを聞くことに鬼太郎としても抵抗はない。人間と妖怪——いや、狸の衝突を回避するためにも、力を貸さない理由はなかった。

 だが現状で、鬼太郎は「自分に出来ることがあるのか?」と首を傾げる。

 

 狸たちは鬼太郎に何かを期待しているようだが、いったい自分にこの京都という見知らぬ土地で何が出来るのだろう。そこが疑問だった。

 

「実は……鬼太郎さんに、是非とも調査をお願いしたい人物がいるのです」

 

 すると、矢一郎は言い淀みながらも鬼太郎へ『やって欲しいこと』を口にする。

 それは狸たちにはできない、鬼太郎にしか頼めないことなのだという。

 

「今回のこの事象の首謀者かもしれない……ある男に——」

 

 

 

 

 

 

「——寿老人(じゅろうじん)という男に、事の真相を問いただしていただきたいのです」

 

 

 

×

 

 

 

「あっ、舞妓さんだ! すごいな……本物って初めて見た!」

 

 鬼太郎たちが京都を訪れていたように、犬山まなも修学旅行で京の街を楽しんでいた。

 彼女は道を歩いていた舞妓さんを見かけて手を振る。足を止めることはなかったが、舞妓さんも柔らかな笑みで手を振り返してくれた。

 

「へぇ~……舞妓って、本当に顔が白いんだな」

「写真撮影とかはNGらしいよ? まっ、仕方ないか……」

「まなっ! そろそろどっかでお茶しない? わたしちょっと疲れちゃったよ……」

 

 まなの他にも男子が二人に女子が一人。

 彼女たちは男女四人の集団で京都の花街——『祇園(ぎおん)』の表通りを歩いていた。

 

 ここ祇園は京都を代表する有名な繁華街だ。

 特に舞妓との遭遇率が高いと、彼女たちを一目見かけるのを目的にここへ立ち寄る観光客も多い。最近はその舞妓へのマナー違反が目立つことで規制も厳しくなっているが、手を振るくらいなら許されてもいいのではないだろうか。

 

 まなたちも、舞妓さんや茶屋で一休みするために祇園へと立ち寄った。今は自由行動中であるため、どこで何をするかは生徒たちの裁量に委ねられている。

 

「そうだね……ここいらで一休みしよっか!」

 

 祇園に来るまでの間、結構いろんなところを歩いてきたため、さすがにまなも疲れが出始めている。彼女たちは一休みしようと、どこかの茶屋にでも入ろうかと周囲を見渡していた。

 

「……? あれ、なんか……聞こえる……」

 

 だがふと、まなは気になる『声』を聞いて足を止めた。

 それは数人の男たちの笑い声のようなものであり、何か生き物の鳴き声のようなものでもあった。何となく気になったため、まなは声が聞こえてきた通り、表通りから外れた祇園の脇道を覗き込んだ。

 

「——へへっ、ホレ! パスパス!!」

「——おっと、もっとちゃんと蹴ろよ、下手くそ!!」

 

 祇園の裏路地は人通りも少なく、閑散とした空気を漂わせていた。そんな裏通りで、いかにもチンピラといった高校生ほどの男子が何かを蹴り合い遊んでいる。

 しかし、彼らが蹴っているのはサッカーボールなどではない。

 

 彼らが蹴っているものは——『狸』だった。

 小さな小さな子狸を、彼らはボールのように蹴って遊んでいるのだ。

 

 

「——ちょっと!! アンタたち、何やってんのよ!!」

 

 

 その光景を目に入れた瞬間、一気に頭に血が昇ったまなが怒鳴り声を上げる。彼女の怒声に同級生たちも何事かと裏路地を覗き込み、高校生たちの非道な行いを目の当たりにする。

 

「うわっ! 動物虐待だよ……引くわ……」

「最低っ!! ねぇ、ちょっと誰か呼んできてよ!」

「お兄さんたち……人として、それってどうよ?」

 

 まなほどではないにせよ、クラスメイトたちも高校生たちに非難の目を向ける。一般的な道徳観念でいえば、彼らの行いは明らかに咎められて当然の行いであった。しかし——

 

「ああん!? うっせぇぞ、ガキども!!」

「偉そうに口出ししてんじゃねぇ! これは躾なんだよ!!」

 

 まさかの逆ギレ。高校生たちの理不尽のキレように、中学生である彼らはびっくりして口を噤んでしまう。

 

「し、躾って……その子が何したっていうのよ!!」

 

 そんな中、まなだけは怯まずに高校生へと食って掛かる。彼らが躾と称して子狸を虐待する行為に、いったい何の意味があるのかと真正面からぶつかっていく。

 すると、まなの疑問に高校生たちは堂々と答えた。

 

「んなもん、決まってるだろ!!」

「人間様に逆らった馬鹿な狸たちに身の程をわからせてやってるんだよ!!」

「——っ!?」

 

 彼らの言い分にまなはハッとなる。

 彼らが何を理由に狸を苛めているのか——その動機に心当たりがあったからだ。

 

 

 狸が人間に逆らう。恐らくだが彼らは一年前の事件、『八百八狸の政権奪取』のことを言っているのだろう。

 あの事件は確かに人間にとって気分の良いものではなかった。狸に支配されたことで多くの人たちが洗脳のようなもので心すらも歪められた。『狸派』などという派閥を生み出し、『反狸派』の人々を蔑むような歪んだ社会構造まで作り出した。

 まなも、あの事件には良い思い出があまりない。狸に手の甲をキスされたり、狸にされてしまったり……。

 

 

「い、いったい、いつの話してるのよ!! そもそも、その子はあいつらとは何の関係もないのよ!!」

 

 しかし、それとこれとは話が別である。

 八百八狸とその子狸とは『狸である』という共通点以外、何もないのだ。

 そんな理由だけで、その子狸を苛めるなど許されていい訳がない。

 

「なんだぁ? さては……テメェも狸だな!?」

「その厚かましい化けの皮、剥いでやんぜ!!」

 

 しかし、高校生たちはそんな正論にすら聞く耳を持たない。それどころか子狸を庇おうとするまなに「人間に化けた狸では?」と疑いを向け、その暴力の矛先を彼女にまで向けようとする。

 

「ちょっ! ヤバいよ! まな、逃げよ!!」

 

 身の危険を感じた友人が、急いで逃げようとまなに声を掛ける。

 だがまなはそんな、どこか暴走気味な高校生たちの——『どす黒い空気』を漂わせる姿に既視感を抱く。

 

 ——あれ? この感じ、どこかで……!?

 

 以前にも、こうして正気を失った人間が理不尽な理由でのさばっていたような気がする。

 あれは確かと、彼女が何かを思い出しかけていた——その瞬間であった。

 

 

 

『——ぐらぁああああああああああっ!!』

「——っ!?」

 

 

 

 恐ろしい、それはもう恐ろしい唸り声が祇園の裏通りに響き渡る。

 まなもクラスメイトも、高校生たちでさえも仰天し、その唸り声が聞こえてきた方を恐る恐ると振り返る。

 

 

 そこには、鬼が立っていた。

 これぞまさに『鬼』だと言わんばかりの赤鬼が、恐ろしい形相で仁王立ちしていたのだ。

 

 

『がっはっはっは!! 美味そうな人間どもじゃぁっ!! 食ろうてやる、食ろうてやるぞぉおお!!』

 

 その鬼は高笑いを上げながら、有無を言わさず人間へと襲い掛かる。

 

「ヒィっ!? ば、ばけもの……ばけものだあぁぁあ!?」

「うわあああ! 逃げろ、逃げろ!!」

 

 これには高校生たちも真っ青。子狸を苛めるのもそっちのけ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

 

「あわわ……」

「よ、妖怪!? お、鬼だ!」

「ヤバい、ヤバいって!!」

 

 中学生グループも、ここで逃げなければひとたまりもないと。

 皆が一目散に背を向けて逃げ出していく。

 

 だが——

 

「あっ!? 危ない!!」

 

 まな一人だけが、鬼がいる方へと駆け出していた。彼女がそちらへ走ったのは——子狸がいたからだ。

 高校生たちに苛められ、負傷して動けないでいる子狸が取り残されていたから。

 

 まなはその子狸を拾い上げ、なんとかその場から逃げていく。

 

『あっ!? コラ、待てっ!!』

 

 すると、鬼は子狸を抱えるまなを急いで追いかけてきた。

 他の者たちのことなど目も暮れず、鬼はまなと子狸をぐんぐん追い詰めていく。

 

 

 

 

「はぁはぁ……い、行き止まり!?」

 

 一人、クラスメイトとも逸れたまな。

 子狸を抱えたままで何とか逃げ続けるも——とうとう行き止まりへと追い込まれてしまう。

 

『て、てこずらせおって……おっ? 美味そうな狸めを抱えておるではないか!!』

 

 巨大な赤鬼は「ゼェゼェ……」と息を切らせていた。恐ろしい見た目とは裏腹に、体力の方はそこまでではないのか。疲れ切った表情のせいで、どこか恐怖感も薄まっている気がしてくる。

 しかし、すぐにでもその表情を厳しいものへと切り替え、鬼はまなを脅すように吐き捨てる。

 

『おい、人間の小娘! その美味そうな子狸を置いていけ! そうすれば……この場は大人しく見逃してやるぞい!!』

 

 狸を置いていけばまなの命は助ける。それが本当であれば、何と破格な条件だろう。

 自分の命とあくまで動物の命。一般的な感性であれば後ろめたさを覚えつつも、我が身可愛さに狸を鬼へと差し出して助かろうとする。

 たとえそうしたところで、きっと誰もまなのことを責めはしない。しかし——

 

 

「——嫌だ!!」

 

 

 犬山まなに、そのような選択肢は選べなかった。

 彼女は今もその腕の中に抱いている子狸。傷ついて震えているその子を見捨てることができず、真っ向から鬼の要求を断った。

 

「大丈夫だよ……わたしが、何とかしてみせるから……」

 

 人間の言葉など通じはしないだろうが、子狸を安心させようと優しく囁く。

 そして、この窮地を乗り切ろうと鬼の隙を窺っていく。

 

『…………へっ?』

 

 すると、まなの返答に鬼はキョトンと目を丸くする。

 暫しの間フリーズし、もう一度咳払いをしてまなに己の要件を突きつける。

 

『うぉっほん!! …………もう一回言うぞ。その狸を置いていけばお前の命を助けてやる……どうだ?』

「嫌だって言ってるでしょ!! 何度も言わせないでよ!!」

『…………ええっと……いや、だからな……その狸を置いていけば——』

 

 そんな感じで何度も何度も。鬼は『狸を置いていけ』とひたすらに要求するのだが、まなはその全てを跳ね除ける。互いに互いの意見や主張を通そうと、なかなか話を先に進めないでいる。

 

『わからん奴だな~……狸を見捨てればお前が助かるんだぞ!! 何で離さないの!?』

「アンタこそ何なのよ!! 何でそんなにこの子にこだわるわけ!?」

 

 そのやりとりはさながら漫才のようだ。流石にしつこい鬼の要求にまなは違和感を抱き始めるが。

 

 しかしその光景を一目見るなら。それはどこからどう見ても——『鬼が女の子を襲っている』ようにしか見えない。だからなのか、騒ぎを聞きつけて駆けつけた彼が——。

 

 

 ゲゲゲの鬼太郎が一切の躊躇なく、鬼へと攻撃を放っていた。

 

 

「——髪の毛針!!」

『あでっ!? イダダダダ!?』

「えっ!? き、鬼太郎!?」

 

 鬼太郎の髪の毛針は鬼の顔面へと突き刺さり、その巨体が堪らず悶絶する。

 京都でまさかの鬼太郎とのエンカウントに驚くまなだが、そこへさらなる増援が駆けつける。

 

「うにゃぁああああ!!」

「ね、猫姉さんまで!?」

 

 追撃は猫娘。彼女の鋭い爪が容赦なく鬼の顔面を引っ掻いた。

 

『ぎゃあああああああ!!』

 

 鬼は悲鳴をあげて転がりまわる。

 その隙に、鬼太郎と猫娘の二人がまなの元へと駆け寄っていく。

 

「大丈夫か、まな!?」

「私らが来たからには、もう安心よ!」

 

 まなを守れる位置へと立ち、両者は改めて鬼へと向き直る。

 

「リモコ——」

 

 さらにもう一発。

 リモコン下駄をお見舞いして完全に鬼の戦意を削ごうと、鬼太郎は足を大きく振りかぶろうとした。

 

『——うわぁっと、ちょ、タンマタンマ!!』

 

 だが、鬼太郎が下駄を放つ前に鬼は大声を上げる。

 そして——その姿を『鬼』から『人間』へと変え、お手上げのポーズで降参を宣言した。

 

 

「——二人掛かりとは卑怯なり!!」

「へっ、に、人間?」

 

 

 今度はまなが目を丸くする番だった。

 鬼だと思っていた相手が人間だった。若い青年、大学生といった感じの彼は顔面を痛そうにさすっている。

 

「お、痛てて……酷い目にあった、まったく……」

「き、キミは……?」

「アンタ、まさか……」

 

 鬼太郎も驚きを隠せず、猫娘などは青年の正体に少し呆れたように顔を顰める。

 

「——鬼太郎さん!? どうかしましたか……って」

 

 そのときだった。

 今度はまなの知らない男性がやって来た。その男性は青年を見かけるや、物凄い渋面な顔つきになって彼へ怒声を飛ばしていく。

 

矢三郎(やさぶろう)!! お前……また人間にちょっかい掛けていたな!!」

「げっ、兄貴……」

 

 

 

 

「矢一郎さん……彼はいったい?」

 

 矢一郎が矢三郎という青年を物凄い顰めっ面で叱責する光景に、鬼太郎たちは唖然となる。

 

 つい数十分前まで、とても礼儀正しい落ち着いた振る舞いで鬼太郎たちと話し合いをしていた矢一郎だが、そんな冷静さはどこにもなく。彼はプンスカと、おそらく同じ狸であろう矢三郎を怒鳴りつけていく。

 

「矢三郎! 今は軽率に人間を刺激するなと、何度言ったら分かるんだ、お前は!」

「甘いぜ、兄貴。人間など、我らの化け力で何度でもお灸を据えてやればいいのさ!!」

「戯け!! それで彼らを怒らせて、もっと大事になったらどうする!? 今は狸界が一丸となって耐え忍ばねばならん時だというのに……お前は俺の苦労を台無しにする気か!?」

「へっ! 生憎とこれでも結構耐え忍んだ方さ! それでも連中は日に日につけ上がる一方だ! これはもう、わたしが立ち上がるしかないだろう!! なに、礼には及ばんよ!」

「偉そうに言うな!!」

 

 聞こえてくる応酬に二人がどういった関係で、何を言い争っているのか何となく察しがつく鬼太郎たち。

 

「ちょっと、アンタたち……いい加減説明を……」

 

 だが詳しい話は本人たちから聞かねばならない。そのため、猫娘が彼らの会話に割って入ろうとするのだが。

 

 

「……矢一郎兄さん、矢三郎兄ちゃんを怒らないであげて……」

「へっ? しゃ、喋った!?」

 

 

 彼らの喧嘩を止めたのは——まなが抱えていた小さな子狸だった。

 子狸は驚くまなの腕の中から飛び出し、その姿を人間の少年へと変える。

 

「兄ちゃんはボクを助けようとしたんだ。ボクが人間に捕まったと思ったんだよ……」

矢四郎(やしろう)! お前……今は迂闊に一人で出歩くなとあれほど……!」

 

 矢一郎は矢四郎と呼んだその少年を叱りながらも、その安否を気遣う。

 なるほど、この子狸も彼らの仲間。矢三郎という青年は、この少年を救うために犬山まなを脅していただけだったようだ。

 

「……申し訳ありません、皆さん。身内が……ご迷惑をお掛けしたようです」

 

 事の真相が分かったところで、矢一郎は鬼太郎たちへと謝罪する。

 その謝罪を受け取りつつ、鬼太郎の頭の上で目玉おやじが先ほどから気になっていたことを質問する。

 

「矢一郎くん、彼らは……御兄弟かね?」

 

 先ほどから、矢一郎のことを『兄』と呼ぶ青年と少年。

 何より彼らの名前が矢一郎、矢三郎、矢四郎と似通った響になっている。

 

 であれば——自ずと彼らの素性も知れることだろう。

 

「ええ、そうです。こっちは末の弟……矢四郎」

「こ、こんにちは……下鴨矢四郎です」

 

 矢四郎はおっかなびっくりとした態度ながらも、素直に頭を下げる。

 

「お姉ちゃん。さっきは……助けようとしてくれてありがとう」

「え、あ……う、うん……」

 

 その際、矢四郎はまなにも礼を言うのだが、彼女の方は状況に追いつけておらずポカンとしていた。

 

「そして……こっちが!!」

「いたたっ!! み、耳を引っ張るなよ、兄貴!!」

 

 次に矢一郎は青年の耳を引っ張り、力尽くで鬼太郎たちに頭を下げさせる。

 

「こやつが……三男の矢三郎です。先ほども少し話に出ました……『過激派』の筆頭として、若い狸たちを扇動し、人間にちょっかいをかけている常習犯です!!」

「!! 彼が……そ、そうですか」

 

 過激派というのは、狸苛めをする人間に「反撃すべし!」と声を上げている若い狸たちだ。

 彼らは自分たちを苛める人間に、化け術を持って対抗しているとのこと。

 

 穏健派である矢一郎は、実の弟でもある矢三郎に「そんなことは止めろっ!」と口酸っぱく説教を繰り返す。

 けれども、矢三郎はまったく反省した様子を見せない。

 

 鬼太郎たちに痛い目に合わされながらも、まるで懲りることもなく。

 何が楽しいのか、愉快そうな笑みを浮かべて堂々と自らの名を名乗るのであった。

 

 

 

(まか)り越しましたるは下鴨総一郎の三男、矢三郎である。いや~……今のは痛かった、とても痛かったなぁ~」

 

 

 

 




人物紹介

 下鴨矢三郎
  主人公の狸。普段化ける姿は『腐れ大学生』風。狸の名門、下鴨家の三男。
  相当な化け力を持つ狸だが、それを『面白いこと』にしか利用しない。
  自他共に認める『阿呆』。自身の父である下鴨総一郎を鍋にした女性に惚れたり、人間たちと仲良く酒を飲んだりと。器が広いと言っていいのか、これは?

 下鴨矢一郎
  下鴨家の長男。普段化ける姿は『若旦那』風。
  真面目な性格、化け力も結構なものなのだが、テンパると途端にポンコツになる。
  一応、最新話で狸たちの棟梁である偽右衛門に就任。
  偉大な父の後を継ぐべく日々奮闘している。

 下鴨矢四郎 
  下鴨家の末っ子。甘えん坊でまだまだ未熟な坊や狸。
  電気に化ける力があるっぽく、携帯とか充電できる。
  とても素直な性格、裏表がなくて可愛い。

 下鴨矢二郎 
  下鴨家の次男。作中ではカエルに化けていることが多い。
  名前は出てきませんでしたが冒頭、妖怪ポストに手紙を入れていたのは彼。
  有頂天家族2では旅に出ていたことがあり、今作でも今は旅をしている設定。
  基本良い狸ですが、ちょっとロリコンぽいところがあり、そのうえ惚れっぽい。
  
 玉瀾
  旧姓は南禅寺玉瀾。
  有頂天家族2の最後で矢一郎と結婚し、下鴨家に嫁入りしている。
  善良な狸。彼女の一族、南禅寺家は将棋好きな一家らしく当然彼女も将棋が好き。
  ちなみに、有頂天家族の狸たちの苗字は京都の神社仏閣の名前。
  その名前に該当する場所に、彼らは暮らしているという。

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