今までで最長の長さになった今回の話。
途中で切ってもよかったのだけど、やっぱり三話構成にしたかったのでだいぶ時間が掛かってしまいました。
ですが、自分の書きたいことは全て積み込みました。
長くてちょっと読むのが大変かと思いますが、最後までどうぞじっくり読み進めてください。
『こち亀』とのクロスオーバー、これにて堂々完結です!
「——な~にぃいい!? それはどういうことだ!」
「ひぃい!? すみません! すみません!!」
病院を飛び出した両津勘吉。彼は一人その足で——とある警察署へ訪れていた。
今回、中学生の三人が復讐鬼と化した巨大ハムスターに狙われた事件、担当は葛飾署ではない。おまけに両津は謹慎中、応援要請を受けてもいない彼は本来であれば事件に関われる立場にない。
そのため、彼は今回の事件を担当する署に直接出向き、直談判するためここへ来た。
力尽くでも捜査情報を聞き出し、残る最後の一人がどこにいるかを聞き出すために。
だが、事態は両津の予想以上に深刻だった。
「いなくなったてのはどういうことだ!? お前らも、あのガキが狙われてることくらい理解出来るだろう!?」
最後の一人、妖怪に狙われている例の少年を——何と見失ってしまったというのだ。
関連する二人の少年が殺されたのだから、残った一人が狙われていることくらい、妖怪を公的に認められない警察にだって把握できるだろうに。
彼らの不手際に、両津は鬼のような形相で受付係の男性へと食ってかかる。
「しょ、少年の方から姿を眩ましてしまいまして……我々も彼を捜しているんですよ……」
受付係の男は両津に迫られ、自分たちの情けない現状を白状していく。何でも警察官たちが少年の家に行ったところ、そこに彼の姿はなかったという。
「ご、ご両親が……彼を家から追い出してしまったそうで、それで……」
「——!!」
家にいたのは、少年の両親だけだった。他でもない少年の親が——保護者である彼らが子供を外へ追い出したという。
巻き添えを避けるためだ。実際、一家が全員殺されてしまったケースが出ているのだから、彼らが恐怖するのも分かる。
しかし、それはあまりにも無責任。親としての責任を放棄する行為だ。
「——ちょっと、ちょっと! 勘弁してくださいよ、刑事さんたち」
「……!」
その行為の代償としてか。例の少年の両親が警察官たちによって連行されていた。丁度、両津が受付係に詰め寄っているタイミングだった。
彼らは両津や他の人々が見てる横で、堂々と声高らかに何事かを叫んでいる。
「私たちは被害者ですよ!? あの馬鹿息子のせいで、こっちはとんだ災難な目に遭ってるんです!」
「そうよ! そうよ! なんでこんな犯罪者みたいに連れてこられなきゃならないわけ?」
身勝手な親たち、荒っぽい口調の男性とその妻の聞くに堪えない見苦しい言い訳。
あの少年を、不良少年たちが『ああなる』まで放置していた毒親。それだけでも印象が最悪だが、それ以上に彼らは身勝手で我儘な人間たちであった。
その言動を聞けば、彼らが自分たちのことしか考えていないのは明白だろう。今もどこかで命の危機に瀕しているであろう子供のことなど、彼らの頭の中にはない。あるのは自分たちの保身だけ。
彼らの態度と言動には、さすがに両津以外の警官たちもカチンとなっている。
「……貴方たちには保護者責任者義務違反の疑いが掛かっています。詳しい話を聞かせていただきますよ?」
夫妻をここまで連行してきた刑事が冷たく言い放つ。この二人は命の危険がある未成年者を外へと放り出した。虐待、保護者義務違反として罪に問える可能性がある。
しかし、どのような罪状で取り調べを受けようとも、彼らの根本的な愚かさが悔い改められることはない。
多くの人たちから非難の目で見られながらも、彼らはさらなる愚痴を零そうとしていた。
「ほんと、なんであんな風に育ったのかしらね……」
「まったくだ、あんなガキ……生まれてこなければ——」
「——おい」
そこが彼の——両津勘吉という男の我慢の限界点だった。
次の瞬間にも——男の顔面を、両津は容赦なくぶん殴っていた。
「ぎゃあああ!?」
「ひぃっ!? な、何よ! なんなのよいきなり!?」
「お、お前!? 何をしてるんだ、馬鹿!」
殴ったのは男親の方だけ。いくら頭に血が上っていようと、女の顔に傷をつけるほど両津勘吉も野蛮ではない。だが、いきなり拳を振るったことで女親も周囲の警官たちも騒然となる。
しかし、そんな彼らの反応などお構いなしに、両津はぶん殴って倒れる男の胸ぐらを掴み上げていた。
「誰のせいで……誰のせいで、あいつらがあんなになっちまったと思ってるんだ!!」
「ひぃっ! ひゃあああああ!?」
激怒する両津に怯えているようだが、彼らには両津が何故怒っているのか一生理解できまい。
「テメェらが……テメェらが……あいつらがああなる前に止めなくちゃならなかったんだぞ!! 悪いことを悪いと……叱ってやらなきゃならなかったんだぞ!!」
人ごとのように子供の悪行を非難している親たち。だが少年たちがそのような非行に走ってしまったのは——間違いなく、彼らの子供たちへの接し方が問題だった筈だ。
「お前らが、あいつらのことをしっかりと見てれば……こんなことにはならなかったんだぞ!!」
もっと親として子供に関心を持っていれば、日頃からちゃんと叱ってやれば。あのような事件を起こすこともなく、こんなことにもならなかっただろうに。
それすらも理解できずに——彼らは今、親として絶対に口にしてはならないことを口にしようとしたのだ。
両津勘吉の堪忍袋の尾がキレた。こうなったら、たとえ誰が相手であろうとも——彼は叫ばずにはいられない男なのだ。
「——テメェらに……人の親を名乗る資格はねぇえええええええええ!!!」
×
「——くそっ……! あいつらに構ってて、無駄な時間費やしちまった!」
あれから一時間ほど。警察署内で問題を起こしたことで、両津はその場にいた警官たちに取り押さえられた。暫くの間、そこで拘束されることになった訳だが、それもすぐに解かれて今は警察署内から追い出されている。
この署内の警察官たちも、色々と思うところがあったのか。あるいは両津に構っている場合ではないと、事態の深刻さを理解しているのか。
いずれにせよ、彼らも少年の捜索をし始めた。両親から見放された『最後の生き残り』を保護するため、あの巨大ハムスターを退治するためにも、警官を動員していく。
「さて、どこから手を付けたもんか……」
両津も彼らに負けじと自分の足を動かすが、少年の行き先は誰にも分かっていない。
既に日も暮れ、周囲の景観は真っ暗だった。人間が活動しにくい時間帯であり、逆に妖怪・特にハムスターは夜行性とも聞く。
このままではハムスターの方が先に少年を追い詰めてしまうと、両津は焦りを感じ始めていた。
「——勘吉!」
だが急ぐ両津を呼び止めるものが、車で彼の迎えにやって来た。
「纏……」
擬宝珠纏だ。病院で一旦別れた彼女が、まるで両津の行動を先読みするかのように彼の隣に車を寄せる。彼女は笑みを浮かべながら、両津に車の助手席に座るよう促す。
「乗って来なよ。とりあえず、一旦家に戻ろう」
「い、家って……超神田にか? いや、しかし……」
纏の提案に両津が表情を曇らせる。
この状況で家に、超神田寿司に戻るなどと。そんな悠長なことを言っている場合ではないだろうと。
「闇雲に捜したって見つかりっこないさ。大丈夫、あたしの方で色んな人に声を掛けといたから、見つかったら連絡してもらえる手筈になってる」
しかし、ここに来る前から纏はあらゆる方面に声を掛け、手を打っていた。
彼女は義理人情に厚く、その姉御肌な性格から多くの人に慕われている。特に地元の神田町内、葛飾署の婦警たちから絶大な信頼を寄せられており、その伝手を使って今回の少年捜索に人手を割いてもらっているとのことだ。
これなら両津一人が闇雲に捜し回るより、よっぽど効率的に動けるというものだ、
さらに言うのであれば——
「それに勘吉……お前、今朝から何も食ってないだろ?」
「……あっ? そ、そういえば……」
纏に言われて気づく。彼女の言う通り、両津は今朝から何も口にしていなかった。
早朝から色々な場所に呼び出され、食事どころではなかった。その事実が思い出されたことで、両津のお腹が『ぐぅ~』と腹の虫を鳴らす。
自らの空きっ腹を自覚した途端、急に足元もふらついてくる。
「ほら見ろ! そんなんじゃ、いざってときに力が出なくなっちまうぞ!」
そう、空腹で両津の体調が万全でないことを纏は見抜いていたのだ。もしもの有事に備えるためにも、彼女は両津のコンディションを整えていく。
「まずは腹ごしらえだ。うちの寿司……たらふく食わせて貰えるよう、ばあちゃんに事情を説明してやるから……さっ、行くよ勘吉!!」
「——なるほど……。そりゃまた、随分と厄介なことになってきたね……」
超神田寿司のカウンター席にどっしりと構える老婆・擬宝珠夏春都は煙管を吹かせながら、これまでの経緯に耳を傾けた。
さすがに年の功だけあって、ハムスター事件の少年たちのことや復讐するために蘇った動物の集合霊など。オカルトじみた話すらも平然と聞き入れている。
「いいだろう……おい、夜婁紫喰! 寿司握ってやんな、今回は特別だよ」
「分かりました、母さん!」
そして纏の提案——両津に力を貸すべく、夏春都は寿司職人でもある実の息子・
夜婁紫喰と、これまた一段と変わった名前だが、彼も擬宝珠家の一員だ。両津の従叔父、纏や檸檬の父親にあたる人物である。擬宝珠家の大黒柱なのだが、実質的な決定権を夏春都が握っているためあまり目立たない。
個性が強い面々が揃う擬宝珠家の中ではパッとしない、ごく普通のオジサンといった感じである。
「ほら、イチローくん。うちの寿司を食べて力をつけてくれ」
夜婁紫喰は人の良い笑みを浮かべながら次々と寿司を握り、それを両津の目の前に差し出していく。ちなみに、彼は未だに両津のことをイチローと呼ぶことが多い。
「……いただきます!!」
握られていく寿司を両津は次々と口の中へ放り込んでいく。よっぽどお腹が空いていたのか、まるで掃除機のような吸引力。そんな彼の食欲に呆れるやら感心するやら、夏春都はやれやれとため息を吐きつつ、両津に問いを投げ掛けた。
「それで勘吉。そのガキンチョを助けたとして……その後はどうするつもりだい?」
夏春都は両津が例の少年——レモンを泣かせる所業を行った不良少年を助けること自体には何も反対意見を出さない。その代わり、その少年を助けた後にどうするか、その後の扱いについて意見を尋ねる。
今回の一件で、少年は実の親に見捨てられた。たとえ命が救われたとしても、元のような生活に戻ることは難しいだろう。
「さてな……あの馬鹿な親どもに子供を育てる資格がないと判断されれば、施設送りになるかもしれん……」
子供を養育できない、する気のない親であった場合。その子供がまだ未成年であれば、家庭裁判所の判断で児童養護施設へと入居させられるケースがある。もっとも今回のケースがそれに該当するか、両津の知識では判断が付かない。
そういった細かいところまで、彼はまだ考えていない。
「それよりも、まずはあのガキを保護することが先だ! その後のことは……本人の意思次第だ」
「そうかい。まあ、あたしゃ……どっちでも構わないがね」
まずはその命を助けることが先決と。両津は深くは考えずとも、やるべきことをしっかりと見定めている。
夏春都も、それ以上特に何かを口うるさく言う素振りも見せなかった。
「——よっしゃああ! 食った食った! 纏、わしらも捜索に出るぞ!!」
「オッケー! 車回してくるよ」
そうして、寿司を何十人分と食いまくり両津は空腹を十分に満たした。
腹さえ空いていなければ怖いものなしと、彼は再び少年の捜索へと乗り出し、それに纏も応えてくれる。
彼女のおかげで神田町の人々や葛飾署の婦警たちも手を貸してくれているというが、全てを人任せにするつもりはない。たとえ闇雲だろうと、徒労に終わろうとも自分の足を動かす。
それも刑事時代——南部刑事に教わったことの一つだ。
「それじゃ行ってくる! 夏春都、夜婁紫喰、世話になっ——」
両津は飯を世話してくれた擬宝珠家の人々に礼を言いながら、その場を後にしようとする。
「——カンキチ」
だが、そのときだ。
「——れ、レモン?」
既に店が閉まった夜更けでありながらも、そこに彼女の——擬宝珠檸檬の姿があった。パジャマ姿でぬいぐるみを抱える彼女に、父親である夜婁紫喰が慌てて駆け寄っていく。
「レモン、どうしたんだい。もう遅いんだから……寝てなくちゃダメじゃないか」
父親として娘を布団に戻そうと手を差し出す。しかしその手を取ることもなく、レモンは——感情の抜けた声で両津に問い掛けた。
「——カンキチ……あいつらを、ハムちゃんたちを殺した奴らを助けるのか?」
「——っ!!」
「……」
夜婁紫喰が思わずギョッと動きを止めた。夏春都も孫の冷たい声音に眉を顰める。
「……聞いてたのか、レモン」
レモンの言葉に、両津は先ほどの話を——彼らが夏春都たちに話した『今回の事件』の概要を聞いていたことを察する。
レモンは幼稚園児ではあるが賢い少女だ。
寝ぼけて起きてしまったところを通りかかり、たまたま大人たちの話を立ち聞きしただけなのだろう。それでも、彼らが話していた内容を理解し——そして知ってしまったのだ。
ハムちゃんたちを殺したあいつらを、両津が必死になって助けようとしていることを——。
「……どうして? どうして助けるのだ、カンキチ? なんで……カンキチがあいつらのために必死にならないと駄目なんだ?」
「レモン!」
幼稚園児とは思えない、暗く澱んだ瞳。そんな彼女の異変に、姉である纏が叱りつけるように呼び掛ける。だがレモンの暗い情動は止まらない。彼女は——感情を昂らせて両津へと訴える。
「あんな奴ら……! カンキチが頑張って助ける必要なんかない!! ハムちゃんたちみたいに——踏み潰されちゃえばいいんだ!!」
あの日、ハムスターたちの墓前で少年たちに吐き捨てた言葉だ。彼女の悲しみや怒りは、たった数日で収まるほど小さくはない。
あのときと同じ思いで感情を爆発させる少女に、誰もが掛ける言葉が見失う。
「レモン……」
しかし、両津勘吉は冷静だった。彼はレモンの側でしゃがみ込み、彼女と視線を合わして静かに語りかけていく。
「お前の気持ちは分かる。わしだって、あいつらには今でも怒っとるんだ。その気持ちは……お前と一緒だよ」
両津もレモンと同じ。彼らがハムスターたちを殺したことを今でも許してはいない。
その思いは同じだと少女に諭しながら、それでも彼は首を横に振る。
「だが、放っておくわけにもいかん。たとえ誰であろうと、そいつが命を脅かされているのなら、わしはそいつを助けなきゃならん」
「それは……カンキチがお巡りさんだからなのか?」
レモンは両津の言葉に、彼が少年を助けなければならない理由を『両津がお巡りさんだから』なのかと問う。
両津勘吉は警察官。レモンにとってお巡りさんは正義の味方だ。市民を守るためなら体を張るのがお巡りさんの職務だと、彼女は純粋にそう信じている。
「……いや、それがな……こればっかしは、わしにもよく分からん」
ところがその問い掛けに両津は即答しない。彼自身も何のために少年を助けようとしているのか、口で説明ができない。
「わしの場合……頭で考えるより先に体が動いとるんだ。動かなきゃならんと……多分、本能か何かが訴えとるのかもな」
両津勘吉という人間を医学的に調べたところ、驚くべきことに、彼は通常時に左脳が機能していないということが判明した。
言語や理性、論理的な思考を司る左脳が全く動いておらず、本能や直感に優れている右脳のみで普段は活動しているというのだ。
だからこそ、両津は行動を起こすたびにいちいち立ち止まらない。
気に入らない相手に噛み付くときも、ギャンブルに走るときも、商売で荒稼ぎしようと思ったときも。
そして、人を助けるときも。彼はいつでも全力で突っ走るだけなのだ。
「レモン……お前にもいつかそんな場面が来るかもしれん。だが今はきちんと寝ろ。夜にちゃんと寝ないと立派な大人になれねぇぞ?」
「カンキチ……」
両津はレモンへ笑顔を向けながら、彼女の頭を撫でてやった。
彼に優しく撫でられたことで、レモンの目の奥から暗い色が消えていく。代わりに少しだけ寂しそうな瞳の色をしていたが、それでもしっかり両津のことを見つめていた。
「じゃあ、行ってくる」
「…………」
少年を助けに行くという両津勘吉の後ろ姿を、少女はしかとその目に焼き付けていた。
×
「——はぁはぁ……ヒィっ!? な、なんだよ……なんなんだよ!」
少年は、一人闇の中で蹲っていた。
既に時刻は深夜を回り、空が僅かに白み始めている。空がもうすぐ夜明けを迎えようとしていたが、それでも、少年は未だ『闇』の中にいた。
先など見えぬ、お先も真っ暗。『孤独』という闇の中で一人蹲っている。
「うぅううう……なんだってこんなことに……」
少年は泣いていた。いつ殺されるかも分からない恐怖に怯えていた。それは彼の自業自得な行いによるものであったが、それだけのことと斬り捨てるには、少年はあまりにも若すぎる。
未成年である少年には彼を『保護してくれる存在』が必要不可欠だった。
しかし、今の彼に頼れるものなどいない。
仲間であった二人が怪物に殺された。両親も、彼を疫病神として家から追い出した。
『——出て行け!! お前がいると、俺たちまで危ないんだ!!』
今まで親らしいことを何もしてくれなかった両親の罵声が、今も少年の耳に残る。
元から少年は両親から『いないもの』として扱われてきた。今更あの親に期待することなど何もなかったが、はっきりと言葉にして追い出されたのには、さすがに堪えるものがあった。
親という本来であればもっとも頼りになるであろう存在から見放され、ついに少年に味方するものはいなくなった。
全てのものが敵に見える。少年を保護しようと警官を始め、多くの人々が動いていたが、少年からすると全て自分を追い詰めようとする追手に見えてしまう。
周りは全て敵だけだと。不安いっぱいに押しつぶされそうになりながら、彼はずっと逃げ回ってきた。
「もう嫌だ……誰か、誰か……助けてくれよぉ……」
だが限界だ。一晩中逃げ回っていたことで体力的にも精神的にも参ってしまった。
寒空の下、このまま自分はここで死んでしまうのではないかと。諦めと空虚の中——少年はそのまま意識を失うところだった。
そんな彼に——
「——ようやく見つけたぞ……坊主」
手を差し伸べてくれる男がやって来た。
「っ!? えあっ!! あ、あ……あ、あれ? あんた……あのときの警官?」
条件反射で逃げようとした少年。だが、目の前にいた相手が予想外の人物だったためにその動きを止める。そこに立っていた男は——以前、自分を殴った警官だ。
忘れる筈もない、自分が悪いことをしたんだと叱ってくれた人物であった。
「……よお、元気そう……ではないな。立てるか?」
河川敷の橋の下。両津は疲弊しきっている少年を見つけ出すことが出来た。これも手伝ってくれた人たちのおかげだ。彼らが根気強く捜索を続けてくれたからこそ、ここに少年がいると分かったのだ。
だが両津は『自分が行くまで、誰にも少年には近づかないよう』周囲に伝達していた。
いつあの巨大ハムスターが襲いかかってくるかも分からず、迂闊に近づくのが危険だったということ。また見知らぬ人間が近づいて、少年が怯えて逃げ出さないようにするため。
少年の心は疑心暗鬼だ。親からも見放され、警官からも逃げ回って来た。きっと自分には誰も味方してくれないと、そう思い込んでいるだろう。
そんな心情でまた姿を眩まされても不味いため、とりあえず確実に確保するため両津勘吉が自ら少年の元へと赴くこととなった。
「……な、なにしに来たんだよ、あんた……」
少年は両津の顔を見るや、怯えきった表情を浮かべる。
ハムスター事件で殴られたこともあり、当然ながら少年は両津の顔を覚えていた。あのとき自分を叱り、責めた男が自分の危機的状況に現れる。
その事実に——少年は卑屈な顔つきになる。
「お、俺を笑いに来たのか!? こんなことになって、あの二人が死んじまって……ざまあみろって俺を笑いに来たのかよ!?」
少年は両津が自分のことを嘲笑しにきたと思い込んでいる。あるいは、間違っていた自分を糾弾するために現れたか。
「……分かってんだよ!! あんたが言いたいことなんて!! どうせ俺たちが悪かったて……全部、自業自得だって言いたいんだろ!?」
少年は両津が言いたいであろうことを、先回りに叫んでいく。
どうせこの警官も「お前のせいだ!」と。全てが因果応報だと、自分を責めにきたんだろうと。何もかもを諦めきった精神で、開き直るように少年は両津を睨みつけていく。
「…………」
けど両津は何も言わなかった。黙って少年の方へと歩み寄り、彼の体調を窺う。
「怪我をしてるみたいだな……見せてみろ」
「えっ……?」
両津は少年の膝に擦り傷を見つける。そしてそれを、ただ淡々と手当てしていく。
「な、なんで……なんで何も言わないんだよ……」
少年は困惑する。てっきりあのときのように怒鳴られるかと、殴られるとさえ思っていた。この警官も自分を追い詰めるためにここまで来たのだろうと、そう思い込んでいた。
けれど両津は少年を責めない。過去の過ちよりも、今は彼の身を純粋に気遣っていく。
「お前には言いたいこともあったが……正直、そんな気もなくなった」
傷の手当てをする片手間に、両津は少年に対する自分の気持ちを吐露していく。
本当であればもう少し何か言ってやるつもりだった。彼らがハムスターたちを残酷に殺さなければ、そもそもこんなことになっていなかったと。説教の一つでもしてやりたい気持ちはあった。
「けど、ガキのお前さんにそんな顔をされちゃな……」
だけど少年の、今にも死にそうな顔を見せられてはそんな気持ちになどなれない。年端もいかない子供にそんな顔をされてしまったら——大人として、力を貸さないわけにはいかない。
両津は年長者としての責任を全うすべく、少年へと手を差し伸べていた。
「さあっ、行くぞ! お前さんには生きてもらわなくちゃいかん! 生きて……自分のしてきたことを反省してもらわなきゃな!」
「お……お巡りさん……」
両津の真剣な思いが少年にも届いたのか、彼は感極まったように涙ぐむ。
そのまま、少年は差し伸べられた手を握り返そうとする。
『——アアアアアアアアアアアア!!』
その刹那、のそのそと蠢き回る物音と共に——どでかい怪物の鳴き声が響き渡る。
「!! ちっ、とうとう見つかったか!?」
よもやと思い両津が振り返れば——そこに巨大ハムスターの姿があった。
もさもさの毛に巨大な図体。隻眼の眼を血走らせ、次の瞬間にもどこから発声しているのかも分からないような、幼い子供の声を上げる。
『見つけた』
『見つけたよ。最後の一人』
『お前で最後、お前を殺せば……ボクは、ボクたちはぁあああああ!!』
そして最後の一人。
殺すべき最後の標的へと狙いを定め——恨みを抱く怪物は少年へと襲い掛かっていく。
×
「——逃げるぞ!! 掴まってろ!!」
突撃してくる巨大ハムスターを前に、両津勘吉は慌てて少年を担ぎ上げる。中学生の身体能力では逃げ切ることは不可能と咄嗟に判断した彼の行動に間違いはなく。
「う、うわあああああ!?」
少年がさっきまでいた場所を巨大な図体が駆け抜けていく。あのまま立ち尽くしていたら、彼は間違いなくただの肉塊と化していただろう。少年は恐怖でパニックになるが、間一髪で命は拾った。
ハムスターはそのまま突進の勢いを殺すことができず——河川敷の川の中へと突っ込んでいく。
『——っア、アアア!?』
途端、盛大に水を被ったハムスターがその巨体を不快そうによじらせた。
ハムスターは水が苦手、水に濡れるのを嫌がる動物とも言われている。生きていた頃の名残からか、水浸しになることに極度のストレスを感じている様子であった。
「な、なんだか知らんが……チャンスだ!!」
そういったハムスターの生態を知っていたわけではないが、相手がもたついていることは両津にも理解できた。彼は少年を担ぎ上げたまま、急いで河川敷を全速力で離れていく。
『ウゥ、ウウウウウ!!』
だがそれで稼げた距離も僅か数メートル。すぐにハムスターは活動を再開。さらに憎しみを増大させるよう、唸り声を上げながら両津のすぐ後ろを追いかけてくる。
「お、お巡りさん!? 後ろ!! すぐ後ろに来てる!!」
「静かにしてろ! 舌噛むぞ!!」
ハムスターが間近にまで迫る光景に、さらにパニックに陥いる少年。しかし両津も後ろを振り返る余裕などなく全速力で走っていた。
彼自身も、追いつかれそうになっている危機を背後からのプレッシャーで実感している。
追いつかれたら最後。頑丈な両津はともかく、少年の方は只では済まないだろう。
その恐ろしい獣が、まさに両津の尻に齧り付こうとした。
『ギィアアアアアア!?』
そのときだ。
どこからともなく飛来した『下駄』が怪物を食い止める。小さな下駄の一撃がハムスターを悶絶させ、そのまま持ち主の元へと戻っていく。
「——もうそこまでにしておいたらどうだ」
幼い子供の、どこか達観した冷たい溜息。
両津が前方に目を向ければ、そこに先日知り合ったばかりの少年——ゲゲゲの鬼太郎が立っていた。
「お、お前……どうして!?」
両津は彼が下駄の一撃で怪物を沈めたことにも驚いたが、それ以上に鬼太郎がこの場に駆けつけたことに呆気に取られていた。
あれだけ「関わらない方がいい……」と、両津に警告していた筈の少年が何故と。
「……あいつに、頭を下げられましたからね」
両津の疑問に鬼太郎はボソッと呟く。
それは不満そうな口調でありながらも、どこか仕方がないと慣れきった溜息。鬼太郎にこんな感情を抱かせながらも、彼を動かすことができる人物はそれなりに限られている。
「——両さん!! 大丈夫か!?」
彼——ねずみ男である。
両津の窮地に彼自身も高級車を乗り回しながら現場へと駆けつけて来てくれた。鬼太郎に助けを求めたのも彼なのだろう。そのおかげで何とか九死に一生を得る両津たち。
『ジャ、ジャマを……ジャマをするなアアアアアア!!』
しかし先の一撃だけで撃退できたわけではない。邪魔者の介入にさらに憎しみを燃やし、その場にいる全てのものへとハムスターは怨嗟の声を上げる。
その絶叫に狙われている少年が「ヒィッ!?」とますます恐怖心を募らせる。
「両さん、乗ってくれ!! 後のことは鬼太郎に任せとけ!!」
ねずみ男はこの場を素早く離脱するため、両津に車に乗るよう促していた。鬼太郎の実力を信頼しているからこそ、ここは鬼太郎一人で十分だと判断できるのだ。
「いや……けどなっ!?」
その提案に両津は躊躇する。今の攻防で鬼太郎が何となく人間離れしていることを察し始めた。だが、さすがに一人であの怪物の相手をさせるのには抵抗を感じる。
狙われている少年だけを車に避難させ、両津自身はその場に残ろうかと足踏みする。
しかし、そんな両津に鬼太郎は冷たく言い放った。
「いいから行ってください」
特に気負う様子も見せない、僅かに感情のこもった声で。
「貴方にはお寿司を奢ってもらった借りもあります。それを今のうちに返しておきますよ」
「……よし! ここまで来ればもう大丈夫だろうぜ!」
「………済まんな、ねずみ男。おかげで助かった……」
高級車を飛ばすこと数分。河川敷から離れ、ハムスターや鬼太郎たちの姿が見えなくなったところで、ねずみ男が助手席に座る両津へと声を掛ける。
両津もねずみ男に礼を言う。彼が車で来てくれなければ、鬼太郎を連れてきてくれなければ今頃どうなっていたことやら。
「た、助かったんですか? お、俺、助かって……」
少年も安心しきった表情で、後部座席に力なく項垂れかかっている。
「……それで、両さん。これからどうするよ? ……こいつを、どこまで連れていくつもりだい?」
車を走らせながら、ねずみ男は両津に行き先をどうするか尋ねた。こいつと、少年にチラリと視線を向ける彼の目には非難の色が宿っている。ねずみ男は両津のために力を貸しているが、少年の悪業に関してはまだ許せていない部分があった。
その敵意の視線に、少年は「う、うう……」と俯いてしまっている。
「よせ、ねずみ男……とりあえず、病院に連れてってやろう。傷の手当てもしてやらなきゃならん、一応医者に診てもらう」
ねずみ男を嗜めながら、両津は行き先を病院に指定した。小さいながらも外傷があり、精神的な観点からも医者の世話になった方がいいだろうと。今にも気を失ってしまいそうな少年の顔色から、そのような判断に至っていた。
「それにしても……あの坊主に任せてきて本当に大丈夫なのか? まあ確かに、只者じゃないんだろうが……」
そうして向かう先を決めたところ、両津がねずみ男に改めて問い掛ける。
鬼太郎が只者でないことは分かった。きっと彼もあのハムスターと同じ、妖怪と呼ばれる存在なのだと。その戦闘力が自分たち人間などより、はるかに実践的なのも明白だ。
しかし、見た目が小僧っ子の彼を一人にするのは大人としてやはり抵抗がある。果たして鬼太郎一人に任せて本当に良かったのかと、両津は一抹の不安を拭えない。
「鬼太郎なら大丈夫だって!! あんな図体がデカイだけのハムスターじゃ、あいつには逆立ちしたって勝てないさ!」
反面、ねずみ男は全く問題ないと笑みすら零す。
彼は鬼太郎の強さを知っている。あの巨体から繰り出される体当たりなど、確かに人間であれば脅威だろうが、鬼太郎にとっては何ら問題ないと素直に判断していた。
実際、ねずみ男の読みは的を射ている。
「——体内電気!!」
『——アアアアアア!?』
河川敷に残って巨大ハムスターとの戦いを引き受けた鬼太郎。彼の体内電気が濡れていた相手の体を感電させ、その巨体を黒焦げにする。鬼太郎の妖怪としての実力は抜きん出ており、ただデカイだけの動物霊など彼の敵ではない。
鬼太郎が介入して時点で、もはやこの事件は解決したようなものだった。
「このまま大人しく諦めるなら、ボクもこれ以上はキミに危害は加えない。大人しく立ち去れ……」
だが鬼太郎はとどめを刺さない。刺せないでいる。
彼らの悲惨な生前を知っているからこそ、そのまま倒してしまうことに抵抗感を抱いてしまう。妖怪の事情も考慮する彼の公平さが甘さとなった結果、ハムスターは未だに肉体を保ち続ける。
『ウゥウウ、ウゥウウウウウ!!』
鬼太郎の説得にハムスターは応じない。もはや明確な知能すら見せることがなく、息を荒げるばかりで話にもならない。
「…………大した執念だな」
そんな荒ぶる姿を目に焼き付けながら。鬼太郎はふと疑問を呟く。
「何がそこまでキミを駆り立てる? 殺された復讐心……それは理解できる。けど……」
生きながらにして体をバラバラにされたハムスターたち。確かにそのような目に遭わされれば人間を憎み、化けて出るようになってもおかしくはないだろう。
だが通常、そういった動物霊が妖怪になるにはある程度の年月、手順を必要とするものだ。猫が怨霊と化した『化け猫』や、犬を呪詛として練り上げる『犬神』など。
猫や犬といった『化けて出やすい動物』ですら、そう簡単に妖怪になどならない。ただのハムスターがいきなりこんな怪物に変貌を遂げるなど、本来であればあり得ないことだ。
何故、彼らはこんな怪物となったのか?
そこには——彼ら自身の憎しみ以外に、外的な要因があったとしか考えられないのだ。
『——いたい、痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!』
生きながらにしてバラバラにされ、踏み潰された六匹のハムスターたち。
もはやどれがどの個体だったかも分からないほど、ぐちゃぐちゃに潰され——彼らの意識は一つとなった。
ただただ『痛い』という苦痛の中で、彼らは集合意識として混ざり合ったのだ。
彼らは、『どうしてこんな目に遭わなければならなかった?』と自問しながら——子供たちの涙する声を聞く。
えーん、えーんと。
自分たちの死を悼んでくれる、幼い子供たちの泣き声。実のところ、それだけでも彼らの供養となり、痛みは僅かにだが和らいでいた。
そのままであれば、彼らが化けて出るようなこともなかっただろう。しかし——
一際自分たちへの想いが強い『少女』の言葉が、彼らの魂を響かせた。
『——あんたたちも踏み潰されればいいんだ!!』
……そうだ。踏み潰してしまえばいい。
自分たちをこんな目に遭わせた連中など。『あの子』を悲しませる奴らなど——全て踏み潰してやればいい。
邪魔する奴らも同罪だ。全て……全て殺してやる!!
『……泣いてる。あの子が泣いてる』
『ボクたちのことを、誰よりも見てくれていた子が……』
『許せない……あの子を泣かせる奴らが許せない!!」
「……っ!?」
瀕死の重傷だったハムスターが起き上がり、その体から黒い妖気が沸き立ってくる。戦いが終わったと思い込んでいた鬼太郎がその異変に驚愕し、反射的に身構える。
いったい何が起こっているのか、鬼太郎ですらも理解出来ぬ状況だ。
『お前も、あの子の邪魔をするのか?』
『あの子の願いを踏み躙るのか?』
『許さない。それだけは絶対に許さない!』
ハムスターたちの内なる叫びが、ただの恨言から何か、別のものへと変わっていく。
根本的な憎しみはそのままに、それが自分たちではなく、誰か別の人を想っての行動であると叫び声を上げている。
「あの子……まさか!?」
両津からハムスターたちの話を聞いていた鬼太郎には、それが誰のことを指すのか察しがついてしまった。
その子の想いが——皮肉にもハムスターたちをこんな怪物へと変えてしまったのかと、それを理解する。
『——アアアアアアアアアアアア!!』
「し、しまっ……!?」
そんな思考に囚われてしまっていたためか。さらに凶悪化した怪獣による捨て身のタックルに、鬼太郎は咄嗟に対処することができなかった。
ハムスターの巨体が鬼太郎の小さな体を突き飛ばし、彼の身が河川敷の彼方まで吹っ飛ばされていく。
×
「……明るくなってきたな」
危険地帯から離れ、病院に向かって車を走らせる両津一行。警戒心も和らぎ、静かに街中の様子を観察していた。
日は昇り、朝早い人間はとっくに活動を始めている。早朝出勤者の車や、通行人があちこちで見られる時刻。
もしも万が一、こんな場所で狙われたら被害はさらにとんでもないことになっていただろうと、不吉な考えを浮かべる。
「もうすぐ病院に着くぜ、両さん」
車の運転をしていたねずみ男が両津へと呼び掛けた。彼も今頃は鬼太郎があの怪物を退治していると信じきっているためか、すっかり油断し気を緩めていた。
だからなのだろう。
バックミラー越し、後方から巨大な影が迫っていることに——ねずみ男は気づいていなかった。
『——アアアアアア!!」
「な、なな、な、なな、なに? なんなんだよ!?」
恐ろしい唸り声に、後部座席で眠りかけていた少年が飛び起きる。
後ろを振り返れば——すぐ目前まで、あの巨大ハムスターが迫っていた。血走った眼光が、殺すべき対象である少年をロックオンする。
「!! ねずみ男っ!! 速度を上げろ!!」
「りょ、了解!!」
両津もハムスターの存在に気づく。ねずみ男も慌てて車の速度を上げ、一気に追跡者を突き放しにかかる。だがそのすぐ後ろを、ピッタリと怪物は追いかけてきた。
街中で追いつかれたら最後の、カーチェイスが突如として繰り広げることとなる。
「な、なんで!? 助かったんじゃな!? なんで、なんでぇえええ!?」
この状況に誰よりもパニックになっていたのは少年だ。助かったと思った矢先に、またも命を狙われる。希望と絶望のゆり幅が、少年の精神を激しく取り乱させる。
「あいつ……さっきよりデカくなってないか!?」
一方で、両津は冷静にハムスターの姿を見極めていた。
彼は相手の姿が、先ほどよりも巨大になっていることに気付いたのだ。5メートルほどだったその体躯が一回り大きくなり、およそ7、8メートルほど。1、5割ほどの増量だ。
「まさか鬼太郎……やられちまったのか!?」
敵の巨大化、奴がここまで追ってきたことからそう考えるのは当然の流れ。ねずみ男は鬼太郎があれに返り討ちにされてしまったことに驚愕を隠し切れない。
鬼太郎が勝てない相手など、どう足掻いても自分たちに勝ち目などないのだと、死に物狂いで車を爆走させる。
「うおっ!? 危ねぇぞ、ねずみ男!! もっとしっかり運転しろ! ぶつかるとこだったぞ!!」
「んなこと言われたってよ!?」
だが彼らがいるのは街中、市街地のど真ん中だ。まだ早朝でそれほどではないが、他の自動車も道路を走っている。先ほどもすれ違った対向車と危うく正面衝突するところだった。下手に逃げ回れば逃げ回る分だけ、街中の被害を拡大させてしまう。
「ねずみ男っ!! とりあえず高速に!! それから——っ!?」
そういった懸念から、両津は周囲に被害を与えない方向での逃走経路をねずみ男に指示する。少なくとも今はそうするしかないだろうと、真っ直ぐ高速自動車道への道をナビゲーションしようとした。
その直後——
「うおおおっ!! しまっ——!?」
目の前の交差点が赤信号になる。止まるわけにも行かず交差点へと突っ込んでいき、なんとか他の車を避けようとハンドルを操作。
しかし、車は完全に制御を失い——そのまま大横転。
他の車に被害を与えこそしなかったが、ねずみ男の高級自動車は完全にスクラップ。
両津たちは、逃げるための足を完全に失うこととなる。
「いててて……お、おい大丈夫か、ねずみ男!?」
「あら、ほれ、ひれ……」
横転した車の中、両津は運転席のねずみ男に声を掛けた。彼は横転したショックに目を回し、完全に意識を失っている。幸い体の方に怪我はなかったため、両津はそのまま少年の安否を確かめていく。
「しっかりしろ、坊主! 生きてるなら、返事しろ!」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ!!」
両津の呼び掛けに少年は返事をする。もっとも、それはただ呼吸を荒げているだけだ。既に少年に正常な思考能力はなく、発狂寸前で息をするのも精一杯だった。
とりあえず駆け寄って落ち着かせてやりたかったが、生憎と身動きが取れない。
「くそっ! おい、動けるようなら、お前だけでも逃げろっ!!」
横転した車に閉じ込められており、両津は助手席から抜け出せなかったのだ。一方で少年は運よく車から抜け出せた。というよりも、横転した衝撃で車から放り出されていた。
一人だけ自由に身動きができる少年。しかし——彼には逃げ出せるだけの気力が残っていなかった。
『ウゥウウ……ウゥアアアアアア!』
そんな少年へとゆっくり、血に飢えた魔獣が鼻をヒクヒクさせながら近づいていく。獲物を追い詰めた蛇のよう、逃げ場のない獲物をいたぶるかのようにじっくりと。
「————」
少年は悲鳴を上げることもできず、呼吸すら止まっていた。
息を飲んだ瞬間にも、それが合図となって襲い掛かってくる。そんな緊張感すら漂わせながら、ハムスターは最後の怨敵へとにじり寄り——。
「——ハムちゃん!!」
『——っ!!』
そんな絶望の最中に小さな、とても小さな女の子の声が響き渡る。
車の中から両津が、怪物であるハムスターがその呼び掛けに振り返った。
「れ、レモン!? なんでこんなところに!?」
そこには——擬宝珠檸檬が、幼稚園児の少女が立っていた。
彼女は今にも泣き出しそうな表情で、眼前の怪物と化したかつての愛すべき小さな生命に呼び掛けていた。
「……ハムちゃん、なんだよね?」
×
時を僅かに遡る。
擬宝珠檸檬がその現場に立ち会えたのは、まさに運命の悪戯だった。
「……いつも済まんのう、三平」
「いえ、檸檬お嬢様……」
レモンは幼稚園への送り迎えを超神田寿司の従業員にやってもらっている。車での送り迎え。その日も、いつものように真っ直ぐ幼稚園へと向かっていた。
「檸檬お嬢様。今日は随分と早いんですね。今の時間では……まだ誰も幼稚園に来ていないと思いますが?」
いつもと違っていたのは登園時間だ。いつもよりやや早めに家を出たい、というレモンの要望に運転手の三平が疑問を抱いていた。
レモンはあまり我儘を言わない子だ。普段であれば、従業員の都合を無視してまで登園時間を早めたりしないのだが。
「……今日は、皆が来る前にハムちゃんたちのお墓を整えてやりたいのじゃ」
レモンは消え入りそうな声で、幼稚園へ朝早くから出向く理由を口にした。
昨日の大穴のせいで荒れてしまったハムスターたちのお墓。業者が穴自体を埋めてくれたという話だったが、お墓までは建ててくれない。
レモンはそのお墓を早く建て直してやりたいと、早めに幼稚園へ行くことにしたのだ。
「お嬢様……ええ、そういうことでしたら、自分もお手伝いしますよ!」
幼い少女の健気な願いに、三平はじーんと感極まる。それなら自分も手を貸すと、従業員としてではなく、一人の大人として彼女の手助けをしたいと申し出ていた。
「……ありがとう、三平」
三平の親切にお礼を言いながら、レモンは幼稚園に着くまでの間、静かに窓の外の景色を眺めていた。
「……っ!? な、なんだぁあ!?」
その直後だった。レモンと三平が進もうとしていた交差点の目の前で——車の横転事故が起きる。
信号を無視して交差点へと突っ込んできた高級車が、他の車を避けようとしてクラッシュしたのである。
「あ、危ないな。こんな朝っぱらから……って、なんだあれはぁあああ!?」
こんな時間から事故を引き起こす自動車に、三平は不機嫌に眉を顰める。だが彼はそこで、横転した車に近づいていく『巨大なハムスター』の怪物という、理解不能な光景を目の当たりにしてしまう。
今回の事件に深く首を突っ込んでいない彼では、それが何であるかなど理解できない。
「あっ!?」
しかしレモンには。昨夜に両津たちの話を立ち聞きしていたレモンには、それが何であるか。何であったかを理解するだけの下地があった。
もはや以前とは見る影もない姿だが、間違いなくあのハムスターは——
「……っ!?」
「あっ!? お、お嬢様っ!!」
気がつけば、レモンは考える間もなく車から飛び出していた。
そしてあのハムスターの元へ、ハムちゃんたちだったものへと駆け寄っていた。
『キミは……』
レモンの存在に、怪物はその動きをピタリと止めた。体中から滾っていた黒い衝動も鳴りを潜め、血走っていた眼からも殺気が消え失せる。
怪物は正気を取り戻したかのように、レモンに無邪気な子供の声で語り掛けた。
『覚えてる。この声、この匂い』
『ボクたちのために泣いてくれた子だ』
『わたしたちに優しくてくれた子だ』
微笑むような、笑いかけるような優しい声音だった。それまでの暴虐ぶりが嘘だったかのように、ハムスターは穏やかな顔つきでレモンの匂いを嬉しそうに嗅いでいる。
「ハムちゃん……レモンのことが分かるのか?」
ハムスターが自分を認識していることにレモンはびっくりしている。ただのハムスターであったときには聞けなかった彼らの気持ちなどを聞けて、レモンは僅かに頬を綻ばせる。
『当たり前だよ』
レモンの呼び掛けに当然のように答えるハムスター。驚くほどスムーズに会話自体が成立しているが——
『あなたがわたしたちに願ったのよ』
『キミが……あいつらを踏み潰して欲しいって——』
「…………えっ?」
ハムスターの言葉がレモンという少女に衝撃をもたらす。こうしている間にも両津が横転した車から「レモン、逃げろ!」と叫んでいるが、それすらも聞こえてこない。
「れ、レモンが……願った? レモンが……」
『そうだよ。キミが望んだことじゃないか。あいつらなんか——踏み潰されちゃえばいいって……』
「——っ!!」
レモンが何にショックを受けているのかも理解できず、ハムスターは笑みを溢した。
自分たちが生まれたのは彼女の、レモンのあの叫びがきっかけだと。幼い彼女に向かってその現実を無邪気に突きつける。
『待ってて、これで最後の一人だから』
『これでキミの望みが叶うよ』
『これで……全部終わるんだよ』
そしてハムスターは最後の一人を、少年を殺そうとその巨体をゆり動かす。
あと一歩で、少年を踏み潰せる間合いへと踏み込もうとし——
「——だ、ダメだよ、ハムちゃん!! そんなことしたらダメなのじゃ!!」
レモンは叫ぶ。
ハムスターたちの行いをやめさせようと、勇敢にも彼らの前に立ち塞がっていた。
『……どうして? どうして止めるんだい?』
『キミが望んだことじゃないか』
『そうだよ、キミが願ったことじゃないか』
心底、理解できないという気持ちでハムスターは首を傾げる。
自分たちは彼女の悲痛な叫び声から誕生した。
少女の願いを叶えるために、自らを魔性へと堕としたのだ。
なのにその行いを、他でもない少女が止めようとする。彼らからすれば存在意義を否定されたようなもの。その矛盾に苛立つよう、ハムスターは全身の毛を逆立てていく。
「ダメなんだよ、ハムちゃん。弱い者をイジメるのは……いけないことなのじゃ!」
だが苛立つハムスターにも怯えず、レモンはキッパリと、彼らの行いが悪いことであると諭す。
人間として純粋で善良な少女は、どんなことがあったにせよ命を奪うことが悪いことだと知っている。
あのとき放った彼女の暴言も、確かに『本心』ではあったが『本気』ではなかった。
心が取り乱して出てしまった弱音であり、実際にそれを誰かに実行して欲しいなどと、夢にも思っていなかった。
だから、彼女は力強く宣言する。間違いは間違いだと、揺るぎない正義感を胸に秘めて。
「だから……もうやめよう? こんなことしたって……レモンは嬉しくなんかないのじゃ!!」
その言葉に——ハムスターたちの中で何かが崩壊する。
『……何で?』
『……どうして?』
『だってボクたちは……』
『わたしたちはキミのために』
『願ったのはキミなのに……』
『キミがボクたちを否定するの?』
ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた集合意識が、さらにぐちゃぐちゃになっていく。少女のためにという存在理由を、少女自身から真っ向から否定されたのだ。とてもではないが、正気など保っていられない。
この少女に捧げる自分たちの献身が全て否定された。
ならば後に残るのは——憎しみだけしかない。
『——じゃあ、もういいよ!!』
愛を失った獣は、再び血に飢えた魔獣と化す。
穏やかになりかけていた心が一瞬で狂気へと塗り替えられ、彼らは己のためだけに暴力を振るう怪物となった。
『殺す、殺す殺す殺す殺す……死ね死ね死死死死死死死っ!!!』
完全に制御を失った殺戮マシーンのように、彼らの視界にはもう——自分たちを殺した怨敵しか映っていなかった。
「——っ! ハムちゃん!!」
レモンの呼び掛けにも、もはや何の返答も示さない。
そのままレモンごと、彼らは少年を殺そうと牙を剥こうとし——
「——やらせるかっ!!」
それを阻止しようと、両津勘吉が怪物に向かって飛び掛かる。
「カンキチ!!」
ハムスターの背中に飛び掛かっていく両津に、レモンは叫び声を上げる。両津はレモンがハムスターと対峙している間にも横転した車から抜け出し、ここで躊躇なく飛び掛かったのだ。
ハムスターの暴走を、何とかその身一つで食い止めようと体を張る。
「逃げろ、レモン!! ここはわしに任せて……逃げるんだ!!」
ハムスターの背中に張り付きながら、両津はレモンに逃げるように叫んでいた。
「……っ!」
両津の呼び掛けにレモンは頷いた。避難することを了承した上で——彼女は呆けていた少年に、ハムちゃんたちを殺した不良中学生へと手を伸ばす。
「立って! こっち!!」
「……えっ?」
放心状態だった少年がレモンに手を引かれ、されるがままに力なく連れていかれる。
ハムちゃんたちを殺した彼を、レモンは助けようと手を伸ばしたのだ。
何故そんなことをしたのか、レモン自身も説明できない。
ただこうすべきだと、体が勝手に動いていた。
『——ア、アア、アアアアアア!!』
遠のいていく。自分たちが殺すべき怨敵が、自分たちを愛してくれていた少女と共に立ち去っていく。
あり得ない、あってはいけない光景に怪物はますます発狂していく。
背中の両津を振り払おうと、眼前のあってはならない光景を振り払おうと体を震わせるハムスター。
そんな暴れまわる怪物に向かって、両津は渾身の力を込め——。
「馬鹿野郎!! これ以上、レモンを悲しませるんじゃねぇええええええええ!!」
その顔面に——叱りつけるような鉄拳をお見舞いする。
『——っ!? あ、ああああああああああ……』
それは、本来なら大したダメージになどならない筈だった。
だが現実を、あの子が悲しんでいるという事実を突きつけられ——亡霊は力なく項垂れていく。
自身の存在理由の半分を失い、妖怪はその力を大きく弱体化させていた。
「——指鉄砲!!」
そこへさらなる追い打ちが叩き込まれた。
河川敷で吹っ飛ばされたゲゲゲの鬼太郎。何とか戦線へと復帰し、ここまで一心不乱に駆けつけてきた彼が、会敵すると同時に渾身の妖気弾を撃ち込んだのだ。
それがトドメとなり、ハムスターの巨体が沈む。
今度こそ完全に、ハムスターは起き上がる気力など一欠けらも残さずに沈黙した。
『どうして……なんで、なんだよ』
瀕死の最中においても、ハムスターは憎しみを吐き出していた。しかし、そこに先ほどまでの迫力はない。
もはや臨終する間際の最後の吐息だ。彼らの命は長くない。その肉体が消滅するまでもって一分といったところ。
今更何もできることはない。このままであれば、怪物は憎しみを抱えたまま空虚に消滅するだけだっただろう。
「——もういいんだよ、ハムちゃん」
だが怪物のすぐ側まで、擬宝珠檸檬が近づいていく。既に亡骸にも等しいその巨大な体に、そっと手を触れる。
「キミ……」
レモンの行動に「まだ相手が抵抗してくるかも」と、鬼太郎が危ないと警告を口にしようとする。
「……大丈夫だ、信じてやれ」
しかしそれを両津勘吉が止める。彼はレモンを信じた。レモンがハムちゃんたちにしてやれる最後のことこそが、お互いのためになると信じて黙って見届ける。
「もう痛いこともない、苦しいこともないんだよ……誰も、ハムちゃんたちの眠りを邪魔したりしないから……」
レモンは今にも泣き出しそうな声で。今にも叫びたそうな胸のつっかえ抱えながらハムちゃんたちに語りかける。
けど涙は見せない。涙を見せてしまったら、それが未練になってしまうと思ったから。
「だから……安心して、静かに眠ってね」
だから、ハムちゃんたちが今度こそ静かに眠れるようにと。
強がりでもいい。笑顔で——彼らへと別れを告げる。
『…………あったかい』
レモンに触れられ、笑顔で見送られ、冷たいだけの彼らの体と魂に幾ばくかの体温が戻ったような気がした。
ハムスターたちは最後の最後、憎しみ以外の感情を瞳に宿しながら——その肉体を砂のように霧散させていく。
「カンキチ……レモンのせいなのか?」
消えていくハムちゃんたちを見送りながらも、レモンは震えた声で両津に問いかける。
「レモンが……あんなこと言ったから、こんなことになってしまったのか?」
レモンは自分の言葉が、『あんたたちも踏み潰されればいいんだ!!』という叫びが、全ての引き金になってしまったことを知ってしまった。
自分があんなことを言わなければ、こんなことには、誰も苦しまずに済んだのではと自分自身を責める。
「——それは違うぞ、レモン」
両津は静かだが、キッパリとレモンの負い目を否定する。
ここで僅かでも逡巡した返事をしてしまえば、今回のことはレモンという少女の胸に一生、『疵』として残ってしまう。
だからこそ両津は断言する。今回の事件、レモンには一切の責任がないと。
「レモンは悪くない。悪いのは……わしらのような大人たちだ」
「えっ?」
両津は諭すように責任の在処を明確にした。その言葉に鬼太郎が驚いて目を見開く。てっきり、今回の事件の元凶として不良中学生たちの悪行を口にするかと思っていたからだ。
しかし、両津は彼らすらも責めようとはしない。全ての責任は——自分たちを大人のせいだと明言する。
「こいつらの両親が……もっとこいつらをちゃんと見ていてやれば、こいつらだってあんな事件を起こさなかった」
少年の方を見ながら、彼の両親の愚かさを口にする。
「わしら警察がもっと迅速に動いていれば……被害者を増やさずに済んだんだ」
自分たち警察の不手際を両津は口にする。もっと自分たちが妖怪相手に本気になれる捜査体制であれば、少なくとも二人目の犠牲者は出なかったと。
「済まなかったな。お前のダチを……わしらは守ってやれなかった。全く、情けない大人たちだよ……揃いも揃って……」
両津は己自身の不甲斐なさを詫びるよう、自嘲するよう少年に対して頭を下げた。
「お……お巡り……ざん……」
少年は何も言えなかった。喉が詰まったように、嗚咽を堪えるしかできないでいる。
「……そんなことないのじゃ」
しかし、レモンは口を開いた。落ち込んでいるようにも見える両津を励まそうと、彼女なりに日頃から思っていることを言葉にしていく。
「カンキチは情けなくなんかないぞ」
いつだって、レモンにとって両津勘吉は頼りになる男だ。
たまに金儲けにずるくなって、色々と自業自得な目に遭って、何かとみんなから白い目で見られるようなことがあっても、レモンにとって両津勘吉は誰よりも頼りになる大人だ。
「世界で一番かっこいい……世界一のお巡りさんなのじゃ!!」
花が咲くような満面な笑みで彼女は両津へと笑いかける。
「!! そうか……そうだったな」
その笑顔と力強い言葉に、両津は大事なことを思い出させて貰った。
「わしはお巡りさんだ。これまでも……これからもずっと……」
自分でも忘れそうになったり、嫌気がさしてしまうこともある。
だがそれでも——両津勘吉は『警察官』なのだと。
そう求めてくれる人が一人でもいる限り、自分はいつまでもそう在り続けることができると。
それを再確認し、彼は誇らしく顔を上げる。
すっかり晴れ渡っていた空には、眩しいほどの太陽が燦々と輝いていた。
×
「——なるほど……わしが知らぬところでそんな事件がのう……」
「済みません、父さん。あのときは……ずっと家に帰ることができませんでした」
事件から数日後。
街中を歩きながらゲゲゲの鬼太郎が、実の父である目玉おやじにハムスター事件の経緯を語っていた。
あの事件の間、鬼太郎はゲゲゲの森にも帰らず、ずっと目玉おやじの世話を猫娘たちなどに任せっきりだった。事件に関わるまいと思っていたのだが、結末くらいは最後まで見届けようと思っていたためだ。
結局、ねずみ男に頼まれて首を突っ込むことになったが、あれで本当に良かったのかと今でも自問している。
「ふふっ……構わんさ。鬼太郎がそうすべきと思ったのなら、それで正しかったんじゃろう」
目玉おやじは鬼太郎が自分を放っておいたことも、彼が事件に首を突っ込んだことも責めはしない。親として鬼太郎の意思を尊重し、彼を信頼しているからこそ、どっしりと彼の帰りを待っていることができた。
無責任に子供を放置する親などとは違う。そこには確かに息子へと向ける愛情が感じられた。
「ところで……」
ふいに、目玉おやじはその視線を鬼太郎の隣を歩く人物へと向ける。
「ねずみ男……お前さん、いつの間にいつも通りに戻ってしまったんじゃ?」
「う、うう……」
そこにいたのはねずみ男だった。スーツ姿ではない、いつものボロい一張羅を纏った見慣れたねずみ男の姿だ。数日前まで確かに成金的な格好で森の仲間たちを馬鹿にしていた筈。いったい、ここ数日で何があったというのか。
「……それなんですが、父さん。あれから色々ありまして……」
事情を知る鬼太郎が説明する。
例の事件で、ねずみ男の乗っていた高級車がオシャカになってしまった。実のところあの車、ねずみ男にとって財産的にも大変お高い一品だったという。それが粗大ゴミとなってしまったことで焦ったのか、彼はその損失分を取り返そうと、健全な投資から博打的な投資へと方針を切り替えてしまったのだ。
あとは、絵に描いたような転落だった。
幾度となく資産運用に失敗し——気がつけば、本当に気がついた時には全財産を失っていたという。
「う~む……悪銭でなくても身につかんのか。なんとも難儀な男じゃのう……」
その話にさすがの目玉おやじも同情する。
今回ばかりはねずみ男も何も悪いことをしていない。寧ろ善行をしたのにも関わらずこの結末だ。ねずみ男に厳しい猫娘がここにいたとしても、憐れみの視線を彼に向けていたことだろう。
「ちくしょう~!! この世には、神も仏もいないってのかよ!?」
ねずみ男は天を呪うかのよう、青空に向かって叫んでいた。
今回ばかりは真面目に生きていたのに、何で自分はこうまでツイていないのかと。
それこそハムスターたちにも負けない憎悪を抱え込むよう、ねずみ男は険しい顔つきになっていく。
「よおっ、ねずみ男!! なんだよ、いつの間にか景気の悪い面に戻っちまって……まあ、その方がお前さんらしいが!!」
「貴方は……」
するとそんなねずみ男へ気さくに声を掛けるものが一人。制服警官の格好をして歩み寄ってきた。両津勘吉だ。格好から見るに、どうやら無事に謹慎が解けて職務に戻ったらしい。
「おっ、坊主も一緒か!! お前さんたちには世話になったな……今度飲みにでも行こう、わしが奢ってやるよ!!」
両津は先日の事件の礼を言い、ねずみ男の肩を組みながら朗らかな笑みを向けてきた。
「お、おお……そいつはありがたいぜ、両さん!!」
その笑みに、不思議とねずみ男から険悪な空気が消えていく。飲みに行こうという誘いをありがたく受け取り、ねずみ男の方からも両津へと笑みを返す。
「……あれから、あの女の子はどうですか?」
そんな二人の何でもないやり取りに笑みを浮かべつつ、鬼太郎は擬宝珠檸檬について尋ねていた。
あの事件、誰よりも幼いながら心に衝撃を受けたのは間違いなくあの少女だろう。鬼太郎なりに彼女のことを心配し、その近況を伺う。
「ん……? ああ、レモンなら心配いらんぞ!! この間、自転車をプレゼントしてやってな!! これが嬉しそうに毎日乗り回してるんだよ!!」
しかし杞憂だと。両津は満面の笑みでレモンのことを語る。
何でもあの事件の後、親しい仲間同士で彼女に自転車をプレゼントしたらしい。それですっかり元気を取り戻したと、自分の娘のことのように彼女のことを話してくれた。
「そうですか……それなら良かった」
どうやらあの少女は大丈夫なようだ。きっと彼女のため、両津が色々と気を回したおかげだろう。
両津勘吉。この人は立派な人間だと、鬼太郎は彼に敬意のようなものを抱き始め——
「そうそう、その自転車がきっかけで……今度自転車のカスタム店を始めたんだが……」
「…………」
風向きが一瞬で怪しい方向へと変わる。両津は口元に何だかいやらしい笑みを浮かべ、そっとねずみ男へと耳打ちした。
「これがまた儲かりそうな商売なんだよ……どうだ、ねずみ男? お前さんも一枚噛んで見ないか?」
「!! へっへっへ! いいねぇ~……さすが両さんだ。よし!! 久しぶりに一緒にやるか!!」
あっという間に意気投合した二人が、互いの腕を組み合い怪しい商売を共同で始めていく。
「…………よく分からない人だな」
芽生え出した敬意が一瞬でどっかに放り投げられた。
人情深いような、子供に優しいような一面を見せた途端、いきなり欲深い一面を見せられてしまった。
いったい、両津勘吉という人間は『どれ』が本当なのか。鬼太郎には理解しかねることであった。
しかし、これが両津勘吉だ。
欲深くもなれば、人情深くもなる。優しいところもあれば、厳しいところもある。
金に汚くて、意地が汚くて。非常識に見えて、変なところで常識的なところがあって。
卑怯で卑猥なところがあると思えば、立派で男らしいところだって見せてくれる。
面倒見が良いかと思えば、目先の利益のためならばあっさりと裏切ることだってある。
だけどやっぱり子供には優しくて、特にレモンには頭が上がらない子煩悩なところもあって。
そういった全てが——両津勘吉という男の姿だ。
決して一言では語り尽くせない、彼という人間の在り方。
きっとこの先の人生も、彼はこのような人間で在り続ける。
きっといくつになっても変わらない、ありのままの『人間』として生きていくことだろう。
人物紹介
擬宝珠夜婁紫喰
擬宝珠家の大黒柱……なんですけど、影が薄い。
父親役をほとんど両津に食われている人。……やばい、それ以上説明しようがない。
三平
超神田寿司の従業員の一人。名前がある分だけ、他の店員よりは恵まれてる?
不良中学生たちとその親
こち亀史上において、一,二を争うほどに胸くそ悪くなる登場人物。
学生の歳が原作で明言されてませんでしたが、未成年と分かりやすいよう中学生にしてみました。
彼らに相応の報いを受けてもらいたく、今回のような話の流れを思いつきました。
ただ,流石に全員死んでしまうのはあまりにもあれなので、最後ひと組だけ生き残ります。
……きちんと反省し、やり直すことができれば、それに越したことはありませんから。
次回予告
「ゲゲゲの森に突然現れた小さな妖精。何でも「花嫁になって欲しいとか」どうとか。
猫娘やアニエスに声をかけているようですが……えっ? そういう意味とはちょっと違う?
花嫁を送り出すことを生きがいにしている? なんだか不思議な妖精ですね、父さん。
次回ーーゲゲゲの鬼太郎 『ハベトロットの花嫁衣装』 見えない世界の扉が開く」
次回はFGOからあの妖精さんが参戦! 6章のアヴァロンルフェで活躍する素敵な妖精さん。
ハッピーエンドをお届けするよ!! というわけで、次回もよろしくお願いします!