GW中、ずっと仕事で、本当に忙しくて、ほとんど執筆時間が取れませんで。
とりあえず、今回の話で『犬山まな』の立ち位置など、アニメ6期の10年後のあのシーンへと続く形で何とか納めることができたかと。
今回も例によって例のごとく、色々と詰め込んでいますが、どうか最後まで楽しんで行ってください。
ちなみに補足説明。
前話からもそうだったのですが、今作では現代版の昌浩と、平安版の『昌浩』をはっきりと分けて描写しています。
平安版の昌浩を指す場合、名前に『』表記をしておりますので、どうかお気をつけください。
「なるほど、お話は分かりました。わざわざ伝えに来ていただき……ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ……こんな時間にお訪ねして申し訳ありませんでした」
深夜。東京都郊外にある安倍晴明の別邸に『客』が訪れていた。
仮にも陰陽師である安倍家の住居だ。本来であれば、妖や悪霊の類は強力な結界に侵入を阻まれ、近付くことすらままならない。しかし、その客人の訪問は総理代理を通して予め報されていた。
安倍晴明は総理からの要請に応えるべく、その客人——ゲゲゲの鬼太郎を応接室へと通したのであった。
「それにしても洗足池……そこに窮奇が潜んでいると……」
「はい……奴は、そう言っていましたが……」
鬼太郎がわざわざ晴明の元へと訪れてきたのは——中国妖怪・窮奇のことを伝えるためである。
窮奇がゲゲゲの森に現れ、その居場所を自ら告げた。相手の言い分を鵜呑みにするのであれば、奴は明日の夜には洗足池に姿を現すことになる。
洗足池は東京都大田区にある、都内でも屈指の広さを有する淡水地である。
池周辺は公園にもなっており、ボート乗り場や水生植物園。桜の名所としても有名で丁度この季節、春頃になると大勢の人々で賑わいを見せる。
そんな、人々の憩いの場に——大妖怪が潜んでいる。
陰陽師としても決して看過できない、非常に不味い状況であろう。
「とりあえず総理に連絡して、すぐにでもその辺り一帯を封鎖してもらいましょう」
人々の無用な犠牲を失くすためにも、まずはそこに人が近づかないよう総理に働きかける。
こういうとき、政府との繋がりがあると便利だ。今の総理代理であれば晴明の言葉を信用し、すぐにでも規制線を張ってくれるだろう。
「それで……晴明殿は、いかがなされるおつもりかな?」
当然のことながら、それだけでは根本的な解決にはならない。関係のない人々を遠ざけた上でどうするか。鬼太郎と共に晴明の元へと訪れていた目玉おやじが彼に問い掛ける。
「窮奇は……明日の夜に鬼太郎を待つと言っていたが、これは明らかにあなた方への誘いじゃ」
窮奇は洗足池で鬼太郎を待つとも告げた。彼を配下に加えたいとのことだが、それが建前であることは明らか。
窮奇が本当に待っているのは安倍家——安倍昌浩だろう。
「わしらがこうしてあなたに相談しに来るのも……きっと奴の思惑のうちじゃろうて……」
「ええ……おそらくはそうでしょうな……」
あの少年への復讐を果たしたい奴が、鬼太郎たちをメッセンジャー代わりに利用しているに過ぎない。
鬼太郎たちから安倍家へ。そして昌浩へと情報が伝わればきっと自分を討伐しにノコノコやってくる、そう睨んでのことだろう。
「しかし……放置しておくわけにもいきません」
だが、これが実際に『罠』であると分かっていても、晴明たちは動かざるを得ない。
窮奇は水鏡の向こう側に自らの異界を作り出すことができ、基本的にこちら側から異界へと侵入する術はない。奴が異界に引きこもったままでは、昌浩たちは窮奇と対面することすらできない。
いつまで経っても、奴の脅威を拭い去ることが出来ないままだ。
「このまま窮奇を野放しにしておけば……大勢の人々が奴の餌食とされてしまうでしょう」
窮奇がその気になって姿をくらませば、安倍家といえども奴の居所を補足することは難しくなってしまう。奴がこちらに誘いを掛けている、今のうちであればまだ戦いようもあるというもの。
明日の夜、洗足池に奴が姿を現すというのであれば、あえてこの誘いに乗る。
その上で——窮奇を打ち倒すしかない。
「うむ……僭越ながら、わしらにも手伝わせてくれぬか? 窮奇を野放しにできないのは、わしらとて同じじゃ」
「……宜しいのですか? 申し出はありがたいのですが……」
その際、目玉おやじから晴明に、窮奇討伐に同行するという申し出があった。
晴明としても、その申し出は素直にありがたい。
安倍家の主力には十二神将たちがいるが、そのほとんどが地方や海外に出払っている。いかに窮奇討伐のためとはいえ、すぐには戻ってこれないのが現状だ。
今の時点で戦力として割けれるのは、紅蓮と六合の二人だけ。神将たちが一騎当千の力を秘めているとはいえ、窮奇側にも配下の妖怪たちが大勢控えている。
大群を相手にする以上、戦力は多いに越したことはない。鬼太郎やその仲間たちが戦列に加わってくれるというのであれば、これほど頼りになる援軍もない。
「……晴明さん」
だが、そこで鬼太郎が口を挟んでくる。
「代わりと言っては何ですが……一つ、あなたにお願いしたいことがあります」
「お願い……ですか?」
力を貸す代わりに、鬼太郎は頼み事があると言う。彼がこのような要求をしてくることを、晴明はかなり意外に思った。
聞くところによれば、鬼太郎は人間の依頼を受けても、報酬の類を一切受け取らないという。常日頃から何も見返りを求めないような彼が、改まった態度で陰陽師である晴明に頼みがあると。
いったいどのような要件か、晴明ですらも予想が出来ずに少し身構える。
もしも、鬼太郎のその『要求』が受け入れ難いものであった場合は、最悪それを断らなくてはならない。
事と次第によっては、鬼太郎という妖怪に対する見方すらも変わっていたかもしれない。
「実は——」
鬼太郎は緊張した面持ちで、その『頼み事』とやらの内容を口にしていく。
「——分かりました。その依頼……お引き受けしましょう」
鬼太郎の話を聞き終えた晴明が答える。
なんてこともない、やはり妖怪でありながらも鬼太郎は信用のおける人物のようだ。
彼の頼み事というのも、決して自分のためではない——『大事な人』のことを思ってのことであった。
陰陽師である晴明にとっても、その願いを聞き入れることは全く問題にもならない。
「よろしく……お願いします」
「……鬼太郎」
しかし、鬼太郎にとっては苦渋の決断によるもの。
晴明に『その願い』を託した後も、その表情が完全に晴れることはなく。そんな息子の苦悩する姿に目玉おやじも労わるような視線を向けていた。
×
「それでは、お邪魔しました」
「いえ、ではまた明日……よろしくお願いします、鬼太郎殿」
夜遅くということもあってか、詳しい段取りなどを後日に回し。今日のところは帰っていく鬼太郎を晴明が玄関先で見送っていく。
「——ゲゲゲの鬼太郎との共同戦線か……」
「不服か、紅蓮よ?」
鬼太郎が立ち去った直後、晴明のすぐ横に紅蓮が姿を現した。
話の流れから晴明が独断で鬼太郎たち、妖怪の手を借りることを決めてしまった。その決定に不満があるかどうか、本来であれば紅蓮の意見も尊重しなければならないだろう。
「いや……あの連中であれば問題はない」
もっとも、紅蓮としても特に文句はない。
既に鬼太郎たちの実力を直に見ており、彼らであれば足手まといにはならないだろう判断する。妖怪の手を借りること自体にもこれといった忌避感はない。
「うむ、こちらが動かせる戦力にも限りがあるからのう……」
安倍家として、窮奇討伐に回せる戦力は紅蓮と六合の二人だけだ。もう少し日を置けば戻ってくる神将も何人かいるだろうが、さすがに明日の夜までには間に合わない。
だからこそ、鬼太郎たちが加わってくれるのは本当にありがたい。しかし、それでも盤石とは言い難い。
場合によっては安倍晴明、彼自身が直接出向く必要があるかもしれないが——。
「晴明、お前は昌浩と残れ。お前も……さすがに歳だろう」
「むっ……それは、否定できんが……」
だが、晴明が出張ることは紅蓮が止める。おそらく、安倍家で陰陽師としての実力が一番高いのは晴明だ。伊達に『安倍晴明』を名乗ってはおらず、その名に相応しい実力を持っている。
しかし彼も結構な歳だ。術者としては一流でも、肉体そのものがかなりの高齢。身も蓋もない言い方をするならば、体のあちこちに『ガタ』がきている。
窮奇との戦いはかなりの混戦が予想される。敵味方が入り乱れる戦場では周囲に目を配る注意力や、機敏な立ち回りなどが必要となってくる。
年老いた今の晴明に、その両方を求めるのは些か酷というもの。
「俺と六合……それと鬼太郎たちでやる。お前は万が一のために後方で待機を……」
故に、紅蓮は晴明に後方支援としての役割に徹するように言う。神将として、安倍家の守護者として、あくまで晴明たちを危険な最前線から遠ざけるつもりでいた。
「——俺も行くよ……紅蓮」
だが紅蓮の考えとは裏腹に、既に戦場へと赴く覚悟を決めた少年がいる。
「昌浩!?」
「まだ起きていたのか……」
紅蓮と晴明の会話に割って入ってきたのは、寝巻き姿の昌浩であった。既に寝ていると思っていた子供に声を掛けられ、大人たちは驚かされる。
しかし、何より驚いたのは——昌浩が『窮奇との戦いに参加する』と言い出したことである。
既に窮奇との戦闘に昌浩は連れて行かないと、そのように結論がなされていた。昌浩に大妖怪との実戦はまだ早いと、彼自身も先の戦いで己の未熟さを痛感した筈だろうに。
「昌浩、お前にはまだ早い。窮奇を相手にするのに、今のお前では……」
だからこそ、紅蓮は早る気持ちの少年に落ち着くように冷静に言い聞かせていく。
「——でも、『昌浩』さんなら……きっと逃げないと思う……」
「——!!」
だが、昌浩の口から『昌浩』——千年前に窮奇を討伐した、かの陰陽師の名前が出されたことには紅蓮も咄嗟に言葉を失う。
動揺する紅蓮に対し、昌浩は自分が行かなくてはならない理屈を口にしていく。
「あいつが……窮奇が狙ってるのは俺なんだろ? なら俺が行かないと……窮奇が異界から出てこないかもしれないし」
窮奇がもっとも雪辱を晴らしたい相手は昌浩だ。
奴は昌浩のことを『過去に自分を滅した安倍昌浩の生まれ変わり』だと思い込んでいる。もしも昌浩が洗足池に赴かなければ、肝心の復讐対象がいないと異界に引きこもったまま、姿をくらましてしまうかもしれない。
窮奇本体を誘き寄せるためにも、昌浩は『囮』になる必要がある。
「お前は『昌浩』じゃない! お前があいつの因縁のために、危険を犯す必要はないんだぞ……」
紅蓮はそんな昌浩に、現代を生きるこの少年に過去の因縁に囚われて欲しくないと首を振る。
ここにいる昌浩と、過去を生きた『昌浩』は違うのだと。二人をしっかり別人だと理解した上での発言だ。
「……分かってるよ。俺は『昌浩』さんじゃない。あの人みたいに最後まで頑張れるか分からない。もしかしたら、みんなの足を引っ張ることになるだけかもしれない……」
「いや、そういう意味で言ったわけでは……!」
その発言を昌浩は自分の未熟さを指摘されていると受け取る。紅蓮としては昌浩を未熟だからという理由だけで、邪険に扱っているわけではないのだが。
「けど、俺だって安倍家の男だ!! 敵が大妖怪だからって……逃げるわけには行かないよ!!」
しかし彼とて陰陽師。未熟者だからといって、大人しく引っ込んでいるわけにもいかない。
決して意固地になっているわけでも、ムキになっているわけでもなく。昌浩自身、子供ながらに陰陽師としての責務を全うしようとしている。
「行かせてやればいい」
「……六合!?」
すると昌浩を擁護するよう、彼の後方から六合が姿を現した。
「紅蓮、お前はどうにも昌浩に甘い。それではいつまで経っても、こいつの成長につながらんぞ」
「…………」
六合に鋭いところを指摘され、紅蓮が押し黙る。
確かに紅蓮は他の神将よりも、昌浩に過保護なところがあるかもしれない。甘やかしているわけではないが、やはり未意識のうちに彼を——千年前の『安倍昌浩』の面影と重ねてしまうからだろう。
「信じてやれ。足りないところは、それこそ俺たちで補えばいい」
一方で、六合は紅蓮ほど昌浩と『昌浩』を重ねてもいなければ、対比もしてはいない。彼を一人の陰陽師として見ており、あくまで合理的な判断から連れていくべきだと進言する。
「……確かに、昌浩でなければ窮奇も食いつかんかもしれん……」
それらの意見には、晴明も頷かざるを得なかった。
たとえ実の孫であろうとも、必要とあれば危険な案件を任せなければならないときがある。この機会に確実に窮奇を仕留めるためにも、ここは陰陽師としての義務を優先させる。
「よかろう。昌浩……紅蓮、六合と共に行きなさい。大妖・窮奇の討伐、見事成し遂げてみせよ!」
「——はい!!」
晴明から直々に窮奇討伐の任を受け、昌浩が力強く頷く。既にその表情からは大妖怪と相対する緊張感、昼間には感じられた気後れさなど微塵も見受けられない。
『男子、三日合わざれば刮目して見よ』とも言うが、僅か半日でこの心境の変化は大したものである。
「…………」
これには紅蓮ももはや何も言えない。
この少年を信じ、戦場を共にすることを決意するしかなかったのである。
そうして、時は満ちる。
窮奇たちが出没した翌日の日中は、実に穏やかであった。
これといったトラブルもなく、皆が復興に励んでいる。争いの爪痕が未だに人々に暗い影を落としているが、そこから立ち直ろうとする気概というやつも確かに感じ取れた。
また平和な日々を——きっとそれは人間だけではない、争いを望まない妖怪たちも同じ思いだ。
そんな中での窮奇の暗躍は、まさにその平穏を脅かす影そのものである。
またいつ連中のような暴虐な輩が暴れ出すかと、誰もが戦々恐々としている。
窮奇が水面下に潜んでいる限り、本当の意味でこの国に平和など訪れることはない。
奴を放置しておくことが出来ないと思うのは、人々を護る陰陽師として当然。
その気持ちは、ゲゲゲの鬼太郎たちも一緒。
だからこそ、彼らは共に戦うのだ。
×
「そろそろ時間じゃが……」
「そうですね、父さん」
日が暮れる頃。洗足池のすぐ近場、洗足池駅のホームで鬼太郎たちは待ち人を待っていた。
既にホームには鬼太郎や目玉おやじの他にも、猫娘や砂かけババア。子泣き爺に一反木綿、ぬりかべといつもの面子が集まっている。ねずみ男はいないが、彼も彼なりに裏方として頑張っている。
この一件に対する仲間たちの気持ちは同じ。陰陽師との共闘にもこれといって文句はない。
「ごめん、ごめん!! すっかり待たせちゃって……」
「…………」
そこへ鬼太郎たちと合流すべく、安倍昌浩もホームへと到着した。既に打ち合わせは済ませており、そこには昌浩以外にも神将・六合の姿が見受けられるが。
「——済まんな、支度に色々と手間取った」
さらにもう一人、もう一匹と言うべきか。見慣れない『異形』が昌浩の肩に乗っている。
それは犬でも猫でもない、全身が真っ白な毛並みに覆われている何かしらの獣であった。人語を介していることからただの動物ではないことが一目瞭然だが、不思議と妖気の類も感じ取れない。
「ええっと……キミは誰だ?」
さも当然のように声を掛けてきたその異形に、鬼太郎は首を傾げながら問い掛ける。
すると、その異形は鬼太郎の問いに「ああ……」と、『この姿』で会うのは初めてだったなと、自らの正体を明かす。
「俺だよ、俺……騰蛇だ」
「えっ……? 騰蛇……って、あの神将の!?」
小さな異形の正体は神将・騰蛇——紅蓮だった。
神将の中で最も獰猛にして凶悪と名高い煉獄の主。地獄の如き炎をあれほど巧みに操っていた褐色肌の青年が、どういうわけかその姿を可愛らしい小動物に変化させてやって来た。
その姿には一体どういう意図があるのだろうと、尚も不思議がる一同に紅蓮は堂々と答える。
「この方が小回りが効く。奴の狙いは昌浩だ、俺がこいつの側を離れるわけにはいかないんでな」
紅蓮曰く、窮奇の狙いが昌浩を『異界に引き摺り込む』ことにあると用心してのことだ。
千年前の戦いでも、窮奇は『昌浩』一人を水鏡の向こうへと引き摺り込み、戦力の分散を図った。
そのときは何とか神将たちも異界へと侵入し、昌浩と合流を果たすことができたが、同じような手法がそうそう都合よく通じるとも限らない。
昌浩の孤立そのものを防ぐためにも、紅蓮は彼の側を離れずにその姿で護衛に徹するという。
「もっくん……やっぱ過保護じゃない?」
昌浩はそんな紅蓮に苦笑いを浮かべる。
ちなみに、この姿の紅蓮を昌浩は『もっくん』と呼んでいる。誰に教えられたわけでもなく、ごく自然にそう呼ぶようになっていた。
千年前も『昌浩』から、紅蓮はその姿を『もっくん』と呼ばれていた。
違うと思っていても、やはり魂は引き継がれているものである。
「うるさい、当然の用心だ!」
昌浩への過保護っぷりを本人にも指摘されたが、もっくんはムキになって言い返す。実際に前例がある以上、そこは彼としても譲れない一線だ。
陰陽師として覚悟を決めていようと、それでも昌浩の安全が第一であると。
とりあえず一行はそのまま目的地——窮奇が待ち構えているであろう、洗足池へと向かう。
今朝の時点から、既に洗足池周辺は数キロにわたり、総理代理の指示を受けた警官隊によって封鎖されている。
その陣頭指揮を安倍晴明が取っており、配備された警官たちもそれなりの装備で身を固めている。
窮奇の手下は数も多いが、この体制であれば多少の撃ち漏らしも対処できる。一般人を巻き込む心配もなくなったことで、一行は安心して窮奇との戦いに専念していく。
「……どう、鬼太郎? 何か感じる?」
「いや、何も……相変わらず……何も感じ取れない」
神経を研ぎ澄ましながら、一歩ずつ洗足池へと近づいていく。その際、猫娘が鬼太郎に妖気の有無などを確認していくが、やはり妖怪アンテナには全く反応がない。
鬼太郎や昌浩たちが近づいていることは窮奇も感付いている筈だが、異界に引っ込んだまま未だ動きを見せない。
警戒を続けながら、鬼太郎たちは池のほとりまで辿り着きそこで待機。
互いに動きがないまま数秒、あるいは数分間。それが悠久とも錯覚する時間感覚に襲われる中で——
「…………っ!! 来るぞ!!」
誰の叫びか。静寂は唐突に破られる。
広大な池の水面に波紋が広がる。
何も感じられなかった水面から妖気が、盛大な水飛沫と共に迫り上がって来る。
水鏡の向こう側から姿を現したのは——窮奇配下の妖異ども。白い羊に率いられた、妖獣たちの一群である。
「
先兵として姿を現した妖怪に昌浩が声を張り上げる。予習として『山海経』に目を通してきた彼は、それが土螻と呼ばれる妖異であることを知っていた。
四本の角を持った白い羊。窮奇配下の中でも、かなりの妖力を秘めている中国妖怪だ。
『久しいな……神将ども』
土螻もまた、昌浩や神将たちに恨みを持つ身。
窮奇の命令は当然ながら、自身の恥を雪ぐためにも彼らへと容赦なく襲い掛かっていく。
さらに、土螻だけでは留まらない。昌浩や神将への復讐心に満ちた輩がまだまだ後続に控えている。
「気を付けろ!! まだ何か来るぞ!!」
またも水面が揺れ、そこから妖異たちが飛び出してくる。
『——愚かな奴らよ。罠と分かっていながら、むざむざやられに来るとは……!!』
『——勝ち目のない戦いに挑むのは勇気とは呼ばぬ……ただの蛮勇よ!!』
出現したのは昨日の戦闘時にも姿を見せた二羽の怪鳥、鶚と鵕である。先の戦いでやられた傷の恨みを晴らすためにも、砂かけババアや子泣き爺へと飛び掛かっていく。
「子泣きよ!」
「おうよ!!」
それに砂かけ、子泣き爺が真っ向から応戦した。
さっそくぶつかり合う両陣営。さらに敵の増援が次々と現れ、それに鬼太郎たちが交戦していく流れとなっていく。
『ウラアアアアアア!!』
「ぬりかべ!!」
巨大な猿の妖異は——
その巨体に恥じぬ力自慢なのだろう、同じような巨体を誇るぬりかべと力比べで張り合っていく。
『ヒャアアアアア!!』
「なんの!! ヒラっとな~!」
翼の生えたネズミのような怪鳥——
快音波のようなブレスを吐いてくるも、それを一反木綿が軽やかな飛翔で躱していく。
『シャアアア!!』
「このっ!! ちょこまかと!!」
太い荒縄のような蛇——
そのすばしっこさで猫娘を撹乱しながら、他の妖獣たちとの連携で戦場を引っ掻き回していく。
他にも大小様々な妖異どもが、水鏡の向こう側から続々と雪崩れ込んでくる。それらを相手に昌浩や神将たち、鬼太郎も奮戦していく。
どうやら、相手方は出し惜しむをするつもりがないのか、一気に戦力を投入してきた。
中国妖怪の大群。紅蓮が当初予想していた通り、戦いはかなりの混戦状態へともつれ込んでいく。
だが、その中に肝心の敵大将——窮奇の姿はどこにも見受けられなかった。
「——
敵味方が入り乱れる激しい乱戦の最中においても、昌浩は冷静な立ち回りを見せていた。
力強い詠唱で霊力の刃を放ち、向かってくる敵を的確に迎え討っていく。その動きには一片の澱みもなく、緊張で変に挙動がおかしくなることもない。
自らの役目を全うしようとする陰陽師としての責務か、大切なものを護りたいという強い意志がそうさせているのか。
安倍家の陰陽師に相応しい、実に勇猛果敢な戦いぶりであった。
『——よくぞ来た……方士よ』
「っ!?」
そんな昌浩を前に、ついに窮奇がその姿を水面に映し出す。
昌浩を自らの異界へと引き摺り込もうと——木の蔓のように黒い触手を伸ばし、それを彼の足に巻き付かせていく。
そのまま異界に引きずり込まれれば、千年前の『昌浩』同様、敵陣の中で昌浩が孤立してしまう。
「——させるか!!」
だが、その動きは既に読んでいる。窮奇の狙いが昌浩だと分かっている以上、その企みを未然に防げないわけがない。
昌浩のすぐ側で護衛に徹していたもっくんが、全身の毛を逆立てながら並々ならぬ闘気を放出。
小さな異形の姿でも問題なく力を発揮できるのか、昌浩の足に絡みついていた触手を熱風の刃が切り裂いていく。
「サンキュー、もっくん!!」
窮地を救ってくれたもっくんに、昌浩がすかさず礼を言う。
「油断するな、昌浩! 次が来るぞ!!」
しかし、こんなものは序の口だともっくんは警戒を促す。予想通り、窮奇は昌浩を異界に引き摺り込もうとしつこく黒い触手を伸ばしてくる。
「はぁっ!!」
今度は六合が昌浩の元へと駆けつけ、触手がその足に触れる前に槍の一閃で切断していく。
千年前のような失敗は繰り返さない。窮奇が昌浩を連れ去ろうとするその思惑を尽く潰していく。
『——ふっ……』
しかし、それも想定内とばかりに、水面に映った窮奇が嘲笑を浮かべる。
窮奇の狙いが『昌浩への復讐にある』『奴は必ず昌浩を狙ってくる』という、神将たちの思考の裏をかくかのように——
その触手を——ゲゲゲの鬼太郎の足元へと伸ばしていた。
「えっ? うわあああ!?」
周囲の敵相手に善戦していた鬼太郎も、掴まれる直前までその触手の存在に気付くことが出来なかった。
そのまま呆気に取られる暇もなく、触手は凄まじい速度で鬼太郎を水面へと引き摺り込んでいく。
「鬼太郎!? うひゃっ!?」
「父さん!? くっ!」
引っ張られる勢いに、鬼太郎の頭の上にいた目玉おやじが振り落とされる。鬼太郎は地面へと転がり落ちる父親に手を伸ばすが、既に体の半分以上が水面へと呑み込まれている。
必死の抵抗も虚しく、ゲゲゲの鬼太郎は一人水面へ——水鏡の向こう側へと消え去ってしまった。
「そ、そんな……鬼太郎が!!」
「莫迦な……何故、鬼太郎を!?」
その光景を見ていることしかできなかった猫娘が、昌浩の護衛に徹していたもっくんが呆然と立ち尽くす。
『——ぬかったな、神将。我が主の狙いは、始めからあの小僧にあったのだ』
唖然とする紅蓮たちに土螻が口を開き、窮奇の狙いが最初から鬼太郎にあったことを語る。
鬼太郎を異界へと引き摺り込むことが目的であり、最初の昌浩への接触はあくまでカモフラージュに過ぎなかった。
主の思惑が見事に嵌まったことを、したり顔でほくそ笑む。
「なんで……どうして鬼太郎を!?」
これに猫娘が納得できないと、怒りに顔を歪めながら叫んだ。
窮奇と鬼太郎との間に因縁めいたものはない。殆ど関わりがない筈の鬼太郎を異界へと連れ去り、いったい何を企んでいるというのか。
『それを貴様らが知る必要はないわ!!』
『貴様らはここで、方士と共に滅びるのだ……殺れ!!』
だが鶚と鵕は猫娘の叫びを一蹴。自身の妖気を昂らせ、さらに配下たちに命令を飛ばす。
鬼太郎以外に用はないとばかりに。猫娘ら日本妖怪に、妖獣たちが一斉に群がってくる
「——貴様ら!!」
これにもっくんがその姿を紅蓮へと戻し、苛烈な神気を迸らせる。昌浩のために守勢に回っていた彼が、一気に攻勢へと転じたのだ。
全力で解き放たれる紅蓮の炎。真っ赤な炎蛇の如き紅色の炎が、白銀の龍の如き神聖なる白炎へと変化していった。
邪悪を滅する業火が何十匹という化け物どもを、熱さすら感じさせる間もなく一瞬で蒸発させていく。
「こ、これが紅蓮の……」
「神将の……本気!!」
これには紅蓮を慕っている昌浩も、今は味方と肩を並べて戦っている日本妖怪たちも絶句する。
これこそが紅蓮の真の力。十二神将最強の男、冷酷無慈悲と恐れられる煉獄の主が操る全力の炎である。
もっともその力をもってしても、これだけの大軍団を一息で全滅させることは難しい。
『おのれぇええええ!』
『神将め!!』
紅蓮の業火を前に怯みはするものの、そこで逃げ出そうという気配はない。
窮奇の配下どもはまさに、死をも恐れぬケダモノたちの群れ。
敵の増援も一向に途切れる様子がない。これらを全て倒し尽くすには——相当な時間を要するだろう。
「……鬼太郎、無事でいて!!」
それまでの間、果たして鬼太郎が無事でいられるか。
猫娘は祈る気持ちを胸に抱きつつ、眼前の敵との交戦を続けていくしかなかった。
×
「…………ここは?」
鬼太郎がはっと目を覚ますと、そこには見知らぬ空があった。
夕焼けのように赤く、暗雲が不気味に漂う空。乾いた風が鬼太郎の身体に絡みつくように吹き荒れ、その心身を芯から震え上がらせる。
「!! ここが窮奇の……異界……」
鬼太郎は一寸遅れで自分があの黒い触手に掴まれたことを思い出し、ここが話に聞いていた水鏡の向こう側——窮奇が作り出した異界であることを悟る。
周囲を見渡しても誰もいない。どうやら自分一人だけが異界に連れ込まれたようだと、鬼太郎は気を引き締める。
『——来るがいい……』
「っ!!」
すると鬼太郎の意識が覚醒するのを待っていたかのように、何処からともなく声が響いてくる。
『我の下へ来るのだ……』
窮奇だ。
この異界に鬼太郎を引き込んだ張本人が、自分の下に来るように誘いをかけている。
「…………行くしかないか」
僅かに逡巡した後、鬼太郎は声がした方角へと歩き出していく。
ここで立ち止まっていても何もならない。今は窮奇の誘いにあえて乗り、そこからどうにかして活路を見出すしかなかった。
鬼太郎が歩く度、周囲の景観が悉く変化していく。
最初はただの森でしかなかった場所が、どこかの農村に。さらには様々な建造物が立ち並ぶ街中へと発展していく。
だが全体的にどこか異国感が漂っており、建物の作りなどもかなり古い時代のものだ。
恐らくは窮奇が大陸にいた頃の景色だろう。ここは窮奇が作り出した異界なのだから、その景観も奴の意思一つで自由自在に変化するというわけだ。
やがて、その景観はどこかの建物の内部へと。まるで大陸の皇帝が住まうような宮廷へと様変わりしていき——
『——よくぞ来た……ゲゲゲの鬼太郎』
気が付けば、鬼太郎は辿り着いていた。
大妖が潜む宮廷の最奥、玉座にあぐらをかくように鬼太郎を待ち兼ねていた——窮奇の眼前へと。
「——窮奇っ!!」
対面早々、鬼太郎はリモコン下駄や髪の毛針で窮奇に攻撃を仕掛ける。
窮奇との戦いに臨む際、鬼太郎は安倍家のものたちから奴と対峙する注意点をいくつか聞かされていた。
窮奇相手に気をつけるのは、その妖力の強大さだけにあらず。言葉巧みに他者を操ろうとする、その狡賢さも十分に脅威になり得るという。
事実、千年前も奴は人々の心の弱さを巧みにつき、いいように利用し、自らの思惑を成し遂げてようとした。
窮奇の言葉は、耳を傾けるだけでも十分に『毒』となり得るのだ。
『ふっ……そう慌てるな、ゲゲゲの鬼太郎よ』
鬼太郎の攻撃を軽くいなしながら、やはり窮奇は語りかけてきた。
『先日の問い掛けの、答えを聞かせるがいい』
先日、鬼太郎に対して——『配下にくだれ』と要求してきた件だ。てっきり昌浩をここへ誘き寄せるための方便かと思っていたが、どうやら本気らしい。
本気で窮奇は、鬼太郎を配下に加える用意があるようだ。
『我が配下にくだるのであれば、相応の地位をくれてやる。他の日本妖怪どもにも、決して手を出さないと約束してやろう』
窮奇は鬼太郎の利益となる条件を提示しながら、不意にその視線を空中へと向ける。
視線の先を追えば、そこには外の景色らしき映像——『洗足池で戦っている皆の様子』が映し出された。
昌浩や神将たちは当然ながら、目玉おやじに猫娘を始めとした、ゲゲゲの森の妖怪たちが窮奇配下の妖獣たちと決死の戦いを続けている。
「父さん!? 猫娘!! みんな!!」
『あの方士と神将どもは無理だが……他の妖どもであれば生かしてやっても構わん』
窮奇はその光景を見せつけながら、再度脅迫するように迫る。
憎い方士らはともかく、他のものたちであれば鬼太郎の返事次第で見逃してやると、寛大なところを見せつけようとしてくる。
「……何故だ。何故そこまでして、ボクを配下に引き入れようと……」
仲間たちの危機という焦りもあってか、鬼太郎はたまらず窮奇へと問いを返してしまう。奴と言葉を交わすことが危険だと承知済みだが、どうしても聞かずにはいられない。
何故そうまでして、自分を配下に加えようというのだろう。
『……言った筈だ。貴様はあの九尾を討ち倒した』
すると窮奇は言葉に重みを加え、鬼太郎の疑問に答える。
九尾の狐、玉藻の前——あるいは、妲己。
中国妖怪にとっても、そして窮奇にとっても、その存在は重要な意味合いが秘められている。
『我はかつて……九尾との戦いに敗れた。奴に棲家を追われる形で……この国へやってきたのだ!!』
窮奇は屈辱の戦歴を忌々しくも吐き捨てた。
そう、彼がこの日本で『安倍昌浩』に敗れたのも、元を正せば大陸においての縄張り争い——『九尾たち』との小競り合いに敗北したからでもあるのだ。
窮奇がこの国に流れてきたのも、『昌浩』に敗北し彼を強く憎むようになったのも、全ての元凶に九尾という妖怪の存在があった。
その九尾への『真なる復讐』を果たすためにも、窮奇は鬼太郎の力を欲する。
『あの女を……妲己を倒した貴様の力が加われば奴を……もう一匹の九尾の片割れ、弟の方も滅ぼすことができよう!!』
「……弟? 九尾に……弟……?」
呪詛すらこもっていそうな窮奇の叫び。何気に初耳な情報で鬼太郎が眉を顰めるが、正直それどころではない。
今は眼前に聳え立つ窮奇の問い掛けにどのように応えるか、それが求められていた。
『……その話はいずれまたの機会にしてやろう……して? ゲゲゲの鬼太郎よ、我の配下にくだるか?』
窮奇は鬼太郎にこだわる理由を改めて説明してやった。これで自分が本気で彼を配下に引き込もうとしていることが伝わっただろうと。
三度、ゲゲゲの鬼太郎に——自分の仲間になるかどうかの問いを投げかける。
しかし、鬼太郎の答えなど考えるまでもなく決まっていことだ。
「ボクは……お前の配下になんかならない!!」
既に答えたように、鬼太郎が窮奇の配下に加わることはない。どんな逆境に追いやられようとも、窮奇のような独裁的なものに鬼太郎が靡くことなど、絶対にありはしないのだ。
たとえ援軍が望めない、絶望的な状況であろうとも。鬼太郎は窮奇への戦意を一向に緩めない。
『言った筈だ。お前の願いも……叶えてやろうと』
しかし、窮奇も執念深い。
ここまでは想定内とばかりに妖しく笑みを浮かべながら、自分の配下にくだる見返りとして鬼太郎の願いを——
『——そう、犬山まな。あの娘の失われた記憶……取り戻してやると言ったら、どうだ?』
今、鬼太郎がもっとも望んでいるであろうことを実現して見せると囁いた。
「な……なん、だと……?」
これには、さすがの鬼太郎も息を呑む。
窮奇がまなを獲物として狙っていたのは確か。しかし何故、まなが記憶を失っていることまで奴が知っているのか。
『知っているぞ。あの娘があらざるの地へと貴様を助けに行き、その代償として記憶を失ったとな……』
窮奇は何もかもお見通しだった。
まなが鬼太郎のために己の記憶を犠牲にし、彼をあらざるの地から救い出したことを。
鬼太郎を助けるためにまなは妖怪との繋がり、彼らとの絆を失ったのだと。
『お喋りな爺から色々と聞かされてな……くっくっ!』
犬山まなを配下たちに捜索させる際、『とある老人』からそれらの事情を聞かされ、全てを把握していたのだ。
その情報を利用し、窮奇は鬼太郎へと揺さぶりを掛けていく。
『小娘一人の記憶を呼び覚ますことなど、我が妖術を持ってすれば容易いことよ』
自分ならば、犬山まなの失われた思い出を呼び覚ますことができるだろうと。今一度、彼女との絆を取り戻すことができると堂々と告げていく。
『——どうだ? 我が配下にくだり……その願いを叶える気はないか?』
——堕ちろ……! ゲゲゲの鬼太郎!!
無論、窮奇の言葉は出鱈目だ。
彼に犬山まなの失われた記憶を取り戻す、明確の術などある筈もなく。これはあくまでその場凌ぎの甘言に過ぎない。
だが、一度でも窮奇の問い掛けに頷き、彼の命令を聞いてしまえば最後。そのまま道を踏み外し、鬼太郎は窮奇の同類、人に仇を成す妖異へと成り下がるだろう。
そうなってしまえばどうとでも操れる。その心を意のままに支配できる算段が、絶対の自信が窮奇にはあった。
『さあ!! 返答やいかに!?』
肝心なのは、最初の一歩だ。
一度でもその手を汚させれば、あとは真っ逆さまに堕ちていくのみ。
その一歩を踏み外させるために、窮奇は鬼太郎の心の隙間を巧妙に突いていき——彼を跪かせようと迫る。
「——断る」
『……なに?』
しかしそれでも、鬼太郎の心は折れない。
窮奇の耳障りのよい言葉になど惑わされずに、己の意志を貫いていく。
『貴様……!! あの娘は貴様のせいで記憶を失ったのだぞ!? 失われた記憶を、忘れ去られた思い出を、取り戻させてやりたくはないのか!?』
窮奇は叫んだ。
まなは鬼太郎のせいで記憶を失ったのだと。その責任も償いも果たすことなく、自分だけのうのうと生きていくつもりかと、彼を責め立てていく。
「……そうさ、全てはボクの愚かさが招いたことだ。お前に言われるまでもない。そんなこと……分かってるんだ……」
鬼太郎もそれは理解している。事実、彼の心は今でも罪悪感に押し潰されそうだった。
自分のせいでまなは皆と過ごした二年間の思い出を。これから先、過ごすことになったかもしれない何十年という時間を失った。
自分のせいだ。彼女の口から『妖怪なんか……大っ嫌い!!』などと、叫ばせてしまったのは。
もはや今のまなは、鬼太郎の知る彼女ではなくなってしまっている。
もしも今すぐにでも、彼女が記憶を取り戻し、以前のように自分たちに笑いかけてくれるのであれば。
またもう一度、『鬼太郎!』と笑顔で微笑みかけてくれるのであれば、それに勝る喜びはないだろう。
「けど! お前に従って記憶を取り戻せたとしても……それじゃ、意味がないんだ!!」
だが、それで自分が窮奇の配下に堕ちるようでは本末転倒だろう。
窮奇に従って悪行に手を染めるような鬼太郎になど、きっとまなも笑顔を向けてはくれない。
「たとえ記憶が戻らなくても……まなが笑顔でいてくれれば……それだけで、ボクはっ!!」
記憶が戻って欲しいという自身の気持ちは、あくまで二の次だ。
たとえ、まなが自分に笑いかけてくれなくとも、彼女が笑顔で生きられるのなら——。
この先の人生を幸せに生きていてくれるのであれば、それだけど十分なのだと。
それを守るために、鬼太郎は頑張れる。
その幸せを台無しにしようとする、窮奇に対し毅然として立ち向かうことができるのだ。
×
『——ならば……もはや貴様に用はない!!』
こちらからの誘いを幾度として断り、自身の面子に泥を塗った鬼太郎を許すまじと窮奇は憤慨する。
『かくなる上は貴様を殺し、我が九尾を上回ったという証を立てるまでのことよ!! 死ね、小僧!!』
もう一体の九尾との決戦のため、鬼太郎の力を得られれば良しと思っていた窮奇。だがそれが無理だというのなら、九尾を倒した彼を倒すことでも、自身のプライドを保つことができよう。
もはや一才の容赦なく、鬼太郎を亡き者にしようと襲い掛かる。
「来い! お前は……ここで倒す!!」
それに真っ向から応じる鬼太郎。たった一人では戦力的に心もとないが、それもやむなし。
ここが窮奇の異界である以上、逃げ場はなく、援軍もきっと望めない。たった一人きり、真正面からぶつかっていくしかないのだと、鬼太郎も既に覚悟を決めていた。
ところがだ。鬼太郎の窮地を前に、窮奇の支配する異界に——突如、ポッカリと穴が開く。
『なんだと!?』
「っ!?」
虚空に開かれたその穴に鬼太郎は勿論、窮奇ですらも瞠目する。
いったい何が起きているのかと、彼らの脳裏に疑問が浮かぼうとした、その刹那——
「——窮奇!!」
その穴から彼らが——神将たちが飛び出してくる。
灼熱の炎を操る紅蓮が、神速の槍捌きを誇る六合が。姿を現すと同時に渾身の一撃を窮奇へと叩き込んだ。
『ぐはっ!? ば、莫迦な……どうやって、貴様ら……どうやって我が異界に侵入して来た!?』
その一撃をまともに食らい、窮奇の巨体が大きくのけぞっていく。
だが肉体的なダメージより、精神的な衝撃の方が大きい。何故、窮奇の許しもなく彼らが異界へと足を踏み入れられたのか。
千年前も、神将の紅蓮は確かに力尽くで異界への扉をこじ開けたことがあった。
しかしそれは『昌浩』がいたからだ。一人異界で孤立する彼を助けるため、紅蓮が彼との『絆』を辿って道を開いた。
だが、今回異界に引き込まれたのは、ゲゲゲの鬼太郎。彼と神将たちとの間に、『縁』を手繰り寄せられるほどの絆があるとは考えにくい。
「俺たちだけでは無理だったさ……だが!!」
その事実を、他でもない紅蓮自身も認める。
いかに彼でも、鬼太郎のためにそれだけの力を発揮することは出来ない。実際、神将が異界に入ることができたの彼ら自身の力ではない。
全く別の技術を持った——『彼女』のおかげである。
「鬼太郎!!」
「紅蓮! 一気に畳み掛けるぞ!!」
その彼女が——自分の『箒』の後ろに安倍昌浩を乗せながら、鬼太郎の元へと飛んでくる。
「っ!? アニエス!!」
そこにいたのは、鬼太郎の仲間の一人——魔女・アニエスだった。
まなのことで未だに日本に残ってくれていた彼女が、鬼太郎の危機に駆けつけてくれたのだ。西洋の魔女であるアニエスの魔法という技術があればこそ、別次元にある異界への侵入もスムーズに済んだ。
まさにこの状況、これほど頼もしい援軍はないだろう。
「ワタシだけじゃないわよ、鬼太郎!!」
さらにアニエスは、友軍が自分だけではないことを告げる。
「アデルお姉様が外で猫娘たちと戦ってる……他の神将って人たちと一緒にね!!」
「——!!」
アニエスがいる以上、彼女の姉であるアデルも来てくれていることは予想できた。
だが他の神将——紅蓮たち以外の神族が参戦してくることは予想外だ。
『まさか……』
アニエスの言葉に、窮奇がもう一度外の様子を映し出す。鬼太郎に見せつけるためではない、自らの目で真偽を確かめるためだ。
再び空中に映し出される洗足池の様子。
そこでは確かに猫娘たち日本妖怪とアデル。そして——鬼太郎の見知らぬ者たちが、妖獣どもと戦っていた。
小さいツインテールの女の子が風を巻き起こし、飛翔する怪鳥たちを吹き飛ばしていた。
赤髪の青年が大剣を片手で軽々と振り回し、地面を蠢く猿どもを切り裂いていた。
その青年の隣に立った儚げながらも美しい女性が、結界を張って仲間たちを守っている。
それぞれ個性的な面子だが、類似点として皆が一様に神聖な空気を纏っている。
紅蓮や六合と同じような、神の眷属に連なるもの特有の気配。
まさしく、あれなるは——十二神将。
かの大陰陽師・安倍晴明が使役し、彼の死後もその血筋たる安倍家を千年間、守護し続けてきた式神たち。
あれで全てではないだろうが、その神将たちが洗足池に結集していたのだ。
「間に合わない……って話じゃなかったのか!?」
鬼太郎が前もって聞かされていた話では、紅蓮や六合以外は参戦できないとのことだった。
皆それぞれに役割を抱えており、援軍には間に合わないと。晴明ですらもそう判断していた筈だった。
だがそれでも、彼らは来てくれた。
与えられた役目をしっかりと終わらせ、無理を押してでも駆けつけて来てくれたのだ。
さすがに遅ればせながらの参戦になってしまったが、これで数的不利は解消された。
窮奇配下の妖獣どもがいかに大群といえども、これだけの神将、そして鬼太郎の仲間たちが揃えばもはや掃討も時間の問題だ。
「外の方は時期にカタがつく……残るはお前だけだ、窮奇!!」
そうなれば、残った脅威は窮奇だけであると。
奴との決着を付けるためにも、鬼太郎を手助けするためにも。昌浩や紅蓮たちはこの異界へと、自ら飛び込んできたのだった。
『——舐めるなぁあああああああ!!!!』
もっとも最後に残った脅威こそが、最大の難敵。大妖怪・窮奇が怒りの咆哮を上げた。
窮奇の雄叫びは、奴が住処としていた宮殿に亀裂を走らせる。自らが作り出した異界すらも崩壊させる勢いで、窮奇がその身に蓄えた妖気を解放していく。
「くっ! こんなっ!?」
「ちぃっ!!」
解き放たれた妖気は衝撃波となり、鬼太郎や神将たちへと襲い掛かる。なんとか踏ん張ることはできるが、正直立っているだけでも精一杯、凄まじい妖気の質量である。
やはり他の有象無象どもとはわけが違う。どんなに有利な状況であろうとも、油断をすれば窮奇一体に戦況がひっくり返されてしまう。
「喰らえ!!」
「はぁっ!!」
「体内電気!!」
「ダイナガ・ミ・トーチ!!」
戦いを長引かせるのは得策ではないと、誰もがそう判断したのか。紅蓮は白炎を放ち、六合が槍を一閃。ゲゲゲの鬼太郎が電撃を纏い、アニエスが魔法で攻撃していく。
一気に勝負を決めるべくその力を一点に集中させ、窮奇へと叩き込んでいった。
『小賢しいわぁあああ!!』
だがそれら全ての攻撃を、窮奇は真正面から蹴散らす。
紅蓮の炎を妖気で消し飛ばし、六合の槍をその巨腕で振り払い、鬼太郎の電撃を稲妻を招来して相殺し、アニエスの魔法を翼から起こした竜巻で吹き飛ばしてみせる。
無論、ノーダメージではない。神将や鬼太郎たちの攻撃、それら全てを完璧に防ぎ切ることなど窮奇とて不可能だ。
『——ぶらぁあああああああああああああああ!!』
しかし、どれだけの手傷を負わせようとも一向に倒れる気配すら見せない。それどころか、さらに窮奇の反撃は苛烈さを増していく。
窮奇の本領。
大妖怪としての尊厳、誇り、意地といったものがその姿から垣間見えた気がする。
——もう一押し……。
双方が譲れない意地でぶつかり合う最中、昌浩は思案を巡らせていく。
——あと一押しっ! あと一手……何かが足りてない!!
昌浩の陰陽師としての才能が彼に訴えかけている。あと一手、窮奇を押し切るには奴の力を上回る、決定打となり得る『何か』が必要なのだと。
その一手を担うのは誰か?
それは紅蓮でも、六合でも、鬼太郎でも、アニエスでもない。
自分だ。この安倍昌浩だと。
かつて窮奇を討ち倒した——『安倍昌浩』の名と魂を継ぐ自分でなければならないと、理屈ではなく直感でそのように悟る。
——俺に……足りてないもの!
故に少年は求める。今の自分に足りていない——『力』を。
窮奇を倒せるだけの力。それはきっと、『ここ』にあるのだと彼の中の何かが訴えかけていた。
だから、まるでそうするのが当然だとばかりに、昌浩は無意識のうちに——天に向かって手を突き出していた。
少年の戦う覚悟と意志に——『それ』も応えてくれる。
それはまさに晴天の霹靂。
異界の空を突き破りながら、雷光の如く飛来するものが昌浩の眼前の地面に突き刺さる。
『——ば、莫迦な!?』
眩く舞い降りてきた『それ』を前に、窮奇が動揺を見せる。
『何故だ!! 何故……そんなものがここに!?』
その瞳に宿るのは——明らかな恐怖。
どこからともなく飛来してきた、その一振りの『剣』を前に大妖怪は恐れ慄いていた。
「こいつは……!?」
「……!!」
紅蓮や六合にも困惑があった。
それは何故ここにその剣が——『
降魔の剣。
千年前、あの安倍晴明自身が鍛え上げたとされる退魔の剣である。
柄には呪禁の紋様。その刀身には徒人には見ることのできない神呪が刻まれており、剣そのものにも邪悪を祓う力が付与されている。
その剣にさらに霊力を込めれば——どんな大妖とてひとたまりもない。実際、千年前も『昌浩』がその剣の力を借りて窮奇を打ち倒した。
しかし、本来であればその剣は失われていたもの。窮奇との戦いの折、何処へと紛失してしまった筈の代物だ。当然だが、代わりのものなどそう簡単に用意できるわけもない。
いったいどうしてその剣がここにと、その場に暫しの静寂が訪れる。
「……そうか! 昌浩!! その剣を取れ!!」
だがそれも一瞬だ。紅蓮は何かを悟ったかのように、昌浩へと叫ぶ。
「それはあいつが……『昌浩』が窮奇を討滅する際に用いた剣だ!! この千年間……朽ちることなく、持ち主が現れるのをここで待っていたんだ!!」
そう、降魔の剣は窮奇との戦いで失われた——失われたかに思われていた。
だがその実、剣はこの異界内にてずっと『使い手』たる者を待ち続けていたのだ。
窮奇の作り出した異界は、その主がいなくなったことで一度は崩壊した。
ただの虚無となった空間内、生き物であれば生きていくことは出来ない。ただの剣であれば、もはや朽ち果てて使い物にならなくなっていただろう。
だが、降魔の剣は——千年間待ち続けた。何もない虚無の中を、朽ちることなく漂い続けていたのだ。
最後の持ち主であった『昌浩』——彼の意思を引き継いだものが来てくれると。
真の武具は持ち主を選ぶとも言う。きっと剣は昌浩の戦う意志に応え、その力を貸してくれるというのだろう。
勿論、全ては憶測に過ぎない。だが真相がどうであれ、降魔の剣がこうして目の前にあるのは事実。
「——うおおおおお!!」
紅蓮の叫びに応じ、昌浩は降魔の剣を両手で引き抜く。それと同時に自身を鼓舞するよう咆哮を上げ、窮奇へと駆け出していった。
『小癪なっ!!』
対する窮奇も雄叫びを上げる。
剣を手に駆け出してくる昌浩を間合いまで近づけまいと。地を揺るがし、天より稲妻を走らせ、全霊を傾けて彼を退けようとする。
「指鉄砲!!」
「パ・シモート!!」
だが、窮奇の猛撃は鬼太郎とアニエスが防いでいく。鬼太郎の指鉄砲が窮奇の腕を打ち払い、アニエスの結界魔法が昌浩の身を守っていく。
「昌浩、行け!!」
「……!!」
さらに紅蓮が白炎を召喚、六合が強烈な槍の一撃で窮奇の動きを封じる。昌浩が窮奇の身に剣を突き立てることができるよう、全力で彼の動きをバックアップしていく。
『ぐぬぬっ!!』
紅蓮たちの連続攻撃を前にさすがの窮奇も身動きが取れない。相手を蹴散らすことも、自分から引くこともできず、その場にて動きを止められる。
「——窮奇!!」
そして、ついに昌浩の渾身の一撃が、振り下ろされた退魔の剣の一振りが窮奇の身に突き刺さる。
突き立てた剣に霊力を込めるべく、昌浩は詠唱を紡いでいく。
何と唱えるべきかは、剣自身が既に教えてくれていた。
「——
降魔の剣に残されていた『昌浩』の霊力の残滓が、聖なる力の片鱗が雷となって発現した。
凄まじい爆発が、剣を伝って窮奇の内側で爆発する。
『——ぐわああああああ!? おのれ!! おのれぇええええええええ!!』
窮奇の肉体が弾け飛ぶ。それと同時に、降魔の剣の刀身もひび割れていく。
千年ぶり、二度にわたって力を行使した影響だろう。剣そのものが保たずに粉々に砕け散ってしまう。
役割を終えた剣が、今度こそ完全に消滅していく。
『九尾! ゲゲゲの鬼太郎!! 方士!! 許さん、許さんぞぉお……貴様らぁああああ!!』
大妖怪が断末魔の絶叫を上げる。奴が怒りの矛先を向けるのは——自身に屈辱を与えたものたち全てだ。
縄張り争いに敗北し、結果としてこの島国へと流れるきっかけを作った——九尾。
同じ妖怪の身でありながらも自身の誘いを断り、人間の味方となることを選んだ——ゲゲゲの鬼太郎。
そして、一度ならず二度までも自分に土を付けた方士の小僧——安倍昌浩。
特に彼に対する憎しみを強く叫ぶ。
『我は……我は滅びん!! たとえ何百年……何千年掛かろうとも、蘇る!! 次こそは!! 必ずや貴様らの血族を根絶やしにしてくれるわ!!』
妖怪の魂は不滅。たとえ肉体を失おうとも、その魂が無事である限り再びこの世に蘇ることができる。
いずれまた、時代を越えて窮奇は復活を遂げる。そのときこそ、今度こそは必ず復讐を果たすと。
窮奇は最後まで憎悪を吐き捨てながら——そして朽ちていく。
「……だったら、何度だって倒してやるさ!」
しかし恐れるには値しないと、昌浩も言い返していた。
「俺はいないかもしれないけど……きっと、俺以外の誰かが……必ず、お前を倒す!!」
人間は妖怪のように不滅ではない。昌浩自身も老い、いずれは死んでしまうだろう。もしかしたら安倍家という名の陰陽師も、時代のうねりに流され、消えていってしまうかもしれない。
だがそれでも、人間の意思は引き継がれていくものである。
たとえ安倍家がその家系を維持できなくなろうとも、人間そのものの戦う意志がなくならない限り、必ず誰かが蘇った窮奇を止めてくれる。
そう、人間は不滅ではないからこそ、その意志を次の世代へと託すことが出来る。
『昌浩』から昌浩へと、その魂が引き継がれたように。
きっと自分の意思や思いも、誰かに引き継がれると。
少年は何の疑いもなくそれを信じ、ただ未来へと歩を進めていくだけなのであった。
×
「……ここは、戻って来れた?」
窮奇の肉体の消滅を確認した後、昌浩たちは異界からの脱出を果たす。昌浩や神将だけであれば、崩壊する異界からの脱出も困難だっただろう。
しかし、アニエスという魔女のおかげで出入り口も簡単に開くことが出来た。
西洋の魔法、陰陽術とは違う形での発展を遂げているようだと、こんなときでありながらも妙に関心する。
「よくやったな、昌浩」
「もっくん……」
力を出し尽くし、燃え尽きたように立ち尽くす昌浩にもっくんの姿となった紅蓮が声を掛ける。
今回ばかりは、もっくんたちも昌浩に助けられた。未熟者だと彼の参戦自体を渋っていたが、それが間違いだったと思い知らされる。
「昌浩。お前も……もう子供じゃないんだな……」
年齢的にはまだ十三の少年だが、これが平安時代なら元服を済ませる歳——もう立派な成人だ。
今回の活躍でも、陰陽師として使命を果たす立派な姿を見ることが出来た。もう迂闊に子供扱いすることも、きっと出来ないのだろう。
「……もっくん、俺……決めたよ」
昌浩自身の中にも、この戦いを通して生まれる願いがあった。
「俺……陰陽師になる。『昌浩』さんみたいに立派になれるかは分からないけど……最高の陰陽師になって……みんなを守るんだ!」
自身の未来が不透明なのは相変わらずだが、それでも彼は陰陽師に——『最高の陰陽師』になりたいと夢を描く。
きっと『昌浩』の話を聞いた影響もあるだろうが、この夢は自分自身の内側から生まれた彼自身の願いでもある。
「昌浩……」
己の夢を語る昌浩の姿に、やはりもっくんは『昌浩』の面影を重ねてしまう。
しかし、彼という存在が『昌浩』とは違う人間だということは理解している。
今後もどこかで『昌浩』のことを思い出しながらも、昌浩の成長を見守っていく。
それを楽しみにもっくん——紅蓮たち神将は、これからも安倍家とそれに繋がる人々を守っていくことだろう。
「はぁはぁ……」
一方、昌浩たちと共に異界からの帰還を果たした鬼太郎も、激しき息を切らしていた。窮奇を倒せてひと段落ついたという安心感もあってか、洗足池のほとりで仰向けに倒れ込む。
「ご苦労じゃったのう……鬼太郎」
「……お疲れ様、鬼太郎」
そんな鬼太郎に目玉おやじや猫娘、そして仲間たちが駆け寄ってきてくれる。
彼らも窮奇の配下たち相手に大立ち回りを演じて、疲弊しきっているだろうに鬼太郎の苦労を労ってくれる。
「ああ……。アニエス、アデル……キミたちが来てくれて助かった……ありがとう」
鬼太郎は心配してくれる仲間たちを安心させようと返事をし、遅れながらもアニエスとアデルにも礼を言う。
魔女である彼女たちが駆けつけてくれなければ、あのまま鬼太郎は一人異界で窮奇と対峙する羽目になっていただろう。
そうなっていたら、さすがに勝ち目はなかったと。改めて彼女らの救援に感謝する。
「お礼なんかいらないわよ! 仲間……なんだから……」
「ふっ……そうだな」
鬼太郎の礼に少し照れながらアニエスが頬を赤く染め、そんな妹の微笑ましい様子に姉であるアデルが笑みを溢す。
「けど、これで終わった……のよね?」
「うむ、そうじゃな……これでようやく……」
「ぬりかべ……」
そして、色々あったが窮奇は討伐されたと、ほっと胸を撫で下ろす一同。
「——いや……まだだ」
しかし、鬼太郎は体を起こしながら首を振った。
「最後に……見届けなきゃいけないことがある……」
「っ! ああ……そうじゃったのう……」
鬼太郎の言葉に目玉おやじが神妙な顔つきで頷く。既に彼ら親子の間では意思の疎通がなされているのか。
「みんなにも……話しておかなくちゃならないことがあるんだ」
鬼太郎はこの戦いが終わったら話そうと思っていた——『その件』について。
仲間たちに、重苦しい口を開いていく。
「——それでは私はこれにて……」
窮奇討伐の翌朝、安倍晴明はとある住宅地を訪問していた。
あれだけの大物を討伐した後だ。いかに後方支援に徹していたとはいえ、晴明にも疲れがあるだろうに。そのような疲労を顔色に微塵も見せることなく、彼はその一軒家を後にしていく。
「はい……あの、鬼太郎さんにも……よろしくお伝えください」
その家の主である男性・犬山裕一が頭を下げて晴明を見送っていた。
彼にとって、晴明は今日初めて顔を合わせた相手。妖怪や霊媒師などに面識があり、色々と耐性のある裕一でも陰陽師との接触はこれが初である。
本来であればアポもなく、何の前触れもなく訪れてきた相手に、そこまで礼儀を尽くす必要もなかっただろう。
しかし——鬼太郎の紹介であれば話は別だ。
まなにとって良き友人である、鬼太郎の『依頼』でやって来たという晴明を邪険にすることはなく。
裕一は晴明から手渡された『お守り』。それを確かに娘に渡すと、専門家の助言に耳を傾けていた。
そう、安倍晴明は鬼太郎から頼まれたこと——『窮奇の戦いで手を貸してもらう』、その見返りの依頼をこなすため、犬山家を訪れていた。
そこで晴明が行った処置は——まなの手に、彼のまじないを施したお守りが渡るようにすることだった。
そのお守りには、悪霊や妖怪といったものたちを退ける力がある。
そのお守りを犬山まなが手にしている限り、妖怪が彼女を害することはない。窮奇のときのように、その高い霊力を目当てに狙われるということもなくなるのだ。
勿論、近づけない妖怪の中には——鬼太郎たちも含まれている。
まなの手にお守りが渡れば、いかに鬼太郎たちといえども気安く彼女に近づくことが出来なくなってしまう。出来てもせいぜい、遠くから見守ることくらいか。
まなを妖怪から遠ざけること。それは彼ら鬼太郎たちとの関わりをも断つことも意味している。
しかしそれでも、鬼太郎はまなを守れるようにと、晴明に頼んだのだ。
たとえ二度と昔のように笑い合えなくとも、彼女が幸せでいてくれればそれで十分なのだと。
窮奇に向かって鬼太郎が断言したことは、決して強がりな虚言などではなかった。
「これで良かったのですね、鬼太郎殿……」
仕事を終えた安倍晴明は、一人呟きを漏らしていく。
気配で分かる。遠巻きから自分を、犬山家を見つめているであろう鬼太郎たちに問い掛けるかのように。
「これで……まなが妖怪から襲われることはなくなった筈だ……」
「…………」
「…………」
犬山家から距離を置いた場所から、安倍晴明が自分との約束を守るところを鬼太郎は最後まで見届けていた。
鬼太郎だけではない。目玉おやじも、猫娘も。ねずみ男、砂かけババア、小泣き爺、一反木綿、ぬりかべ。アニエスやアデルもいた。
皆一様に複雑な表情をしていたが、誰一人文句は口にしない。
これもまなが、彼女が妖怪に狙われないようにするために必要な処置だ。文句など付けよう筈がないではないか。
彼女の記憶を戻す目処が経っていない以上、これこそが最善なのだと。
いや寧ろ、記憶を失っている今だからこそ取れた方法とも言える。
記憶が戻ったら戻ったで、きっとまなは自分たちと一緒に在ろうとするだろう。
彼女がいてくれたことで窮地を乗り越えられたこともあったが、やはり彼女が危険な目に遭うのは鬼太郎たちにとっても辛いことだ。
だから、これでいい。
これで良かったのだと、自分自身に言い聞かせていく妖怪たち。
「……行こう。時々なら……様子を見に来れるから……」
別に永遠の離別というわけでもない。
まなと触れ合うことができなくとも、彼女の成長を遠くから見守ることくらいは許されている。
もしかしたら、見ているだけの方が辛いかもしれない。
それでも犬山まなという少女から、目を逸らすことだけはしたくなかった。
鬼太郎にとっても、仲間たちにとっても、彼女は大切な友達。
短くとも彼女と過ごした日々は、何物にも代えがたい日々だったと胸を張って言えるから——
「………………さようなら、まな」
ただケジメとして、鬼太郎は彼女への別れを口にしていた。
誰にも聞こえないほどに、消え入りそうな声で——
自分自身ですらも聞き取れないほど、小さい声で——
人物紹介
もっくん
騰蛇こと紅蓮の別の姿、別の呼び名。
結構可愛い、もふもふな白い獣。
紅蓮に、騰蛇、もっくん……呼び名がいっぱいあってややこしいけど、全部同じ人物を指します。
窮奇配下の愉快な仲間たち
土螻
白い羊。窮奇の配下の中では……一応出番がある方かな?
挙父
大柄の猿。アニメだと体に鎖を巻いてて、どこかヤンキーっぽい。
寓鳥
原作だと名前が出てなかったが、アニメだと書物の方に名前が記載されている描写がある。
長蛇
味方に殺され散った蛇。意外にも山海経に名前が記されてる妖怪。
他の神将に関して
尺の都合上、紅蓮と六合以外ほとんど出番がありませんでしたが、何人かはちょこっと登場しています。
小さい女の子が——太陰。
赤髪の青年が——朱雀。
儚げな女性が——天一。
個々の活躍に関しては、原作やアニメなどで補完していただきたい。
九尾という妖怪に関して
今回の話で窮奇に語らせてみましたが、少年陰陽師の原作でも窮奇は九尾に対して因縁を持っています。
ですが、今作での九尾の設定はあくまで鬼太郎基準。
一人は、6期アニメでも登場した。姉である玉藻の前こと、妲己。
そしてもう一人の弟は、鬼太郎でもお馴染みの『アイツ』です。
いずれ出演させてみたいとは思いますが、今のところヤツが登場するエピソードはまだ考えていません。
次回予告
「謎の瘴気が街中に漂い、人が妖怪を襲い、妖怪が人を襲う。
さらには見たこともない『モノ』までもが現れる。
誰もがパニックになる中……何処からか歌が聞こえくる。
父さん、あの歌はいったい?
彼女たちは何故、歌いながら戦っているのでしょうか?
次回——ゲゲゲの鬼太郎 『戦姫絶唱シンフォギアXD』 見えない世界の扉が開く」
シンフォギアは魔法少女枠です、異論は認めない!!