ゲゲゲの鬼太郎 クロスオーバー集   作:SAMUSAMU

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『深夜廻』は夜廻シリーズの二作目です。
本当なら、一作目の『夜廻』を先にクロスさせるべきなのでしょうが、そちらの方では上手い感じで話が纏まらず。先に深夜廻の方でクロスを書かせていただきました。

また、原作をプレイしたことがある方なら、前回の話で察していただけると思いますが、今作では深夜廻のED後の話を書いています。

大きなネタバレとなりますので、それが嫌な方はご注意ください。


深夜廻 其の②

「――ユイ……? 今、ユイって言ったのよね!?」

 

 夜になると『怪異』たちが蔓延り、人間を追いかけてくる田舎町。その町でユイという名の一人娘を捜し出して欲しいと依頼を受けた鬼太郎たち。

 奇しくも、町の中で出会ったユイと同じ年頃の左手を失った少女――ハルの口からその名を告げられる。

 鋏を持った化け物に殺されかけ、放心状態だったユイの母親――深川由紀子が息を吹き返したかのように立ち上がり、ハルに縋るように迫った。

 

「お願い、ユイはどこ!? ユイに会わせて!!」 

「お、落ち着くんじゃ……由紀子さん」

 

 興奮状態で幼い少女に詰め寄る彼女に鬼太郎の髪の毛からひょっこりと顔を出した目玉おやじが落ち着くように言い聞かせる。

 小さな目玉の妖怪である目玉おやじと由紀子は初対面であったが、彼女はその存在を気に留めることなく、ひたすらハルに詰め寄っている。

 

「ええっと……おばさんは、誰ですか?」

 

 一方のハルも目玉おやじの存在にそこまで驚いてはいなかった。まるでその程度の怪異なら見慣れているとばかりに、自分の友人であるユイに会わせてくれと必死に訴えかける由紀子の方に目を向けている。

 

「わたしは……わたしは、ユイの母親よ!!」

 

 一瞬躊躇いながらも、そう名乗る女性にハルは目を丸くして驚く。

 

「!! あなたが、ユイのおかあさん…………そうですか……」

「……?」

 

 ハルのその反応に、状況を静観していた鬼太郎が訝しがる。

 ユイの母親である由紀子と、ユイの友人を名乗るハル。同じ少女と接点を持っているのに、二人の間に面識はないらしい。

 ハルは初めて会うその母親に対し、一瞬どこか冷めたような目つきする。

 

「わんわん!!」

「きゃあっ!?」

 

 飼い主であるハルの意思を反映するかのように、彼女の側に寄り添っていた茶毛の子犬――チャコが由紀子に向かって吠える。チャコの激しい敵意に驚かされ、由紀子は尻もちを突いてしまう。

 

「ちょっ、ちょっと大丈夫、由紀子さん?」

 

 アスファルトの地面にへたり込む彼女に手を差し伸べ、猫娘は由紀子を立たせる。猫娘はそのまま、興奮状態で落ち着かない由紀子を下がらせ、彼女に代わってハルに話しかけていた。

 

「こんばんは、ハルちゃん。わたし、猫娘っていうの……」

 

 小学生のハルと目線を合わせるため屈み、猫娘は優しい声音で語りかける。

 

「猫娘……さん?」

 

 鬼太郎と同じ一風変わった名前に小首を傾げるハル。その仕草だけ見ると本当にただの少女にしか見えない。

 どうしてこんな普通の少女が、こんな危険な夜の町を徘徊してまで、その友達を捜しているのか。

 猫娘は疑問を抱かずにはいられなかったが、とりあえずハルの身を案じ優しく言い聞かせる。

 

「ハルちゃん……いくら友達と会いたくても夜遊びは駄目よ? 夜の町は危険がいっぱいなんだから、ほら……私たちと一緒に家に帰りましょう? 送ってあげるから」

 

 そう提案しながら、ハルに手を差し伸べる。

 だが、猫娘の気遣いに心底申し訳なさそうにハルは首を振った。

 

「……ごめんなさい。危険なのはわかっているんですけど、もうわたしには時間がないんです」

「――――」

 

 少女らしい小さな声だったが、その言葉には断固たる意志が込められており、皆を驚かせる。

 

「わたしは……もう一度ユイに会いたい。そのために今夜……もう一度、あの場所に行かなくちゃいけないんです」

「……あの場所?」

 

 ハルの口から呟かれた言葉に、鬼太郎が眉を顰める。

 彼は――少し考えてから、ハルに歩み寄りながらこう提案する。

 

「だったら……その場所にボクたちも連れてってくれないか?」

「鬼太郎っ!?」

 

 鬼太郎のまさかの言葉に猫娘が困惑する。こんな夜更けに、こんな幼い少女を連れて夜の探索に付き合わせるのかと彼を責めるように。

 しかし、鬼太郎は冷静に答える。

 

「猫娘。このまま言い聞かせても、大人しく帰ってはくれなさそうだ……それに――」

 

 きっと、自分たちが止めても彼女は夜の探索を続けるつもりだろうと、鬼太郎はハルの覚悟を感じ取った。ならば自分たちと一緒にいた方が安全だと、同伴を願い出る。

 なにより、鬼太郎は直感的に悟ったのだ――。

 

「――君は知ってるんだね? ユイちゃんに……あの子の身に、何が起きたのか……」

「っ!!」

 

 鬼太郎の言葉に由紀子が目を見開く。

 夜に連れ去られてしまった自分の娘――ユイ。その行方をこのハルという少女が知っているかもしれない事実に食いつかずにはいられなかったのだ。

 鬼太郎の言葉を否定せず、ハルは考え込んだ末に答える。

 

「……わかりました。わたしが知っていることでいいなら、全部話します」

 

 その際、彼女はユイの母親である由紀子に怒りとも悲しみともとれる、不思議な視線を送る。

 ややあって、それを振り払うようにハルは裏山を見つめた。

 

「ユイに会えるかもしれない、あの場所に……」

 

 

 

×

 

 

 

「――体内電気っ!!」

 

 街灯の明かりすらない山中に眩しいほどの閃光が迸る。鬼太郎が体内の霊力を電力に変換し、全身から雷を発して周囲を取り囲んでいたお化けたちを一掃する。

 数十と集まっていた『顔の形の白煙』たちが、道を塞いでいた『巨大ながま口』のお化けが感電し、瞬く間に消え去っていく。

 

「……すごいですね、鬼太郎さん」

 

 その光景にハルが目を丸くする。

 鬼太郎と猫娘、目玉おやじが人間ではなく妖怪であるという事実を、山に登る前にハルは聞かされていた。目玉おやじはともかく、鬼太郎と猫娘に関しては半信半疑だったのだが、鬼太郎が怪異たちをなんなく蹴散らしたことで彼女は驚きと称賛を口にする。

 

「この山……夜になるとお化けたちの住処になるんです」

 

 ハルの言葉通り、裏山に入って早々に鬼太郎たちはお化けたちの集団に囲まれていた。町の中ではまばらだった怪異たちが、この山だといたるところに潜んでいる。

 

「うむ、確かに……尋常ではない数じゃのう」

 

 目玉おやじが山の景観を見渡しながら呟く。鬼太郎が怪異たちを一掃したため今は静かだが、また数分としない内に彼らは集まってくる。もう何度目か、そんなやり取りを繰り返している。

 

「だから、わたしとチャコだけじゃ、この山を登るのには回り道しないといけないんですけど……」

 

 歩ける道も狭く、草むらに隠れてやり過ごすのも限界があるため、ハルは愛犬のチャコと一緒でもこの山を登りきれない。以前も、ハルが夜に山奥を目指した際、彼女はここではない別のルートを使っていたという。

 

「……君は、前にもこの山に来たことがあるのかね? ……にわかには信じがたい話じゃ」

 

 ハルの話を聞きながら、目玉おやじは驚愕を隠せずにいた。

 そう思っているのは何も彼だけではない。鬼太郎も猫娘も、由紀子も――誰もが彼女の体験したことを信じきれずにいた。

 

 ハルがこの山を登ったのは十日ほど前。夏の花火大会があった日の夜だったという。

 互いの両親が留守だったこともあり、ハルとユイは綺麗な花火を見に裏山の秘密のスポットへと訪れていた。

 その帰り道、少女たちははぐれないよう手を繋いで歩いていたのだが、ほんの一瞬、少しの間手を離した隙に、二人は離れ離れになってしまう。

 ハルは、消えてしまったユイを捜すため、もう一度彼女と会うために夜の町を歩き廻った。

 

「もちろんコワかったです。けど……ユイに会えなくなるのだけは、ぜったいたえられなかったから……」

 

 目玉おやじの問いに、ハルは正直に答える。

 ハルは最初、この町が夜になると『こうなる』など知りもしなかった。親の教えを良い子で守っていた彼女はその日、初めてこの町の怪異の実態を知ることになったのだ。

 当然、何度も家に帰ろうとした。暖かい家の中で襲われる恐怖から解放されれば、どれだけ楽だったことか。

 

 しかし、ユイに会えなくなるかもしれないという恐怖が幼い少女を突き動かした。

 

 ハルはユイを求めて、町中、図書館、森の中、工場、下水道、そして裏山と。一晩で様々な場所を彷徨い歩いたという。その道中、ハルはこの町のお化けたちと命がけの鬼ごっこを繰り広げたのだ。

 

「怖かったじゃろう、本当に……本当に……よく頑張った! 君は……偉いぞ!!」

 

 ハルの話に、目玉おやじが感極まったように大粒の涙を流す。

 少女が抱いた恐怖。少女が振り絞った勇気。少女が会いたいと願った想い。

 その全てが、年老いた彼の涙腺を緩める。

 

「…………」

「…………」

 

 鬼太郎も猫娘も、ハルの言葉に二の句を継げられずにいた。

 彼らには『力』がある。この夜の怪異たちをものともしない妖怪としての『強さ』がある。

 だが、ハルは本当に無力な存在だ。お化けたちを前に逃げることしかできない。にもかかわらず、最後まで諦めることなく、彼女はこの町の『夜』を乗りきったのだ。

 その奇跡を成したハルという少女に、鬼太郎たちは尊敬の念を抱き始めていた。

 

「ねぇ……ユイは? ユイのいる場所にはまだ着かないの!?」

 

 だが、ユイの母親である由紀子はその話を聞いても心動かされた様子もなく。ただひたすらに、ユイはまだかとハルに愚痴を溢す。

 

「……ええ、もう少し先です」

 

 急かす由紀子に対し、やはりハルはどこか冷めた目つきで答える。

 彼女は行く道を懐中電灯で照らしながら、鬼太郎たちを先導していく。

 

 

 

 その道中。

 

 

 

「…………」

 

 分かれ道にさしかかったところで、不意にハルの足が止まる。

 

「? どうかしたのか」

 

 怪異に襲われてもすぐにハルを守れる位置に立っていた鬼太郎が警戒して辺りを見渡すが、今のところ何かが出てくる気配はない。

 ハルも特に何かを怖いモノを見つけたわけではないらしく、鬼太郎たちの方を振り返る。

 

「すいません……少し、寄り道してもいいでしょうか?」

「寄り道……ですって!?」

 

 少女のまさかの提案に、由紀子が声を荒げた。

 

「この状況でどこに行こうっていうのよ!? それよりも早くユイに――」

 

 ヒステリックにハルに迫る由紀子。彼女は一刻も早くユイに会いたいのだろう。

 しかし、そんな母親を制し、鬼太郎は静かにハルに尋ねる。

 

「大事なことなのかい?」

「はい……」

 

 短く返事をするハル。彼女は背負っていたウサギのナップサックをゴソゴソと探り、鬼太郎たちの目の前である物を取り出す。

 

「それは……ハサミ?」

 

 ハルが取り出したもの――それは赤い裁ち鋏だった。

 全体が血のように真っ赤。可愛らしさなど微塵もない、年頃の少女が携帯するようなデザインとは思えぬ代物。

 その特徴的なフォルムに、鬼太郎はどこか既視感を覚える。

 

「その鋏……さっきの化け物の鋏に似てない?」

 

 猫娘もその鋏に対し、鬼太郎と同じ感想を抱いたのか。その既視感の正体――先ほど襲ってきた『鋏を持った化け物』のことを思い返す。

 鬼太郎たちにとって大した敵ではない怪異たちの中、唯一彼らを追い詰めた化け物。

 もしも、あの時――ハルが駆けつけて、化け物に向かって『何か』をしてくれなければ、由紀子はあの鋏の餌食になっていただろう。今のところ、鬼太郎たちにとってあの化け物が最優先で警戒しなければならない相手だ。

 その化け物の鋏より当然小さかったが、それと同じフォルムの鋏をハルは手にしていた。

 

「うん……だってこれは、あの神様からもらったものだから」

 

 猫娘の言葉をそのように肯定するハル。鬼太郎は驚いたように目を見開く。

 

「『神様』……だって?」

 

 鬼太郎たちが遭遇した化け物。腐った指に不揃いの歯。血のように禍々しい色の固まりであるあれが、どうしても神様という神聖なイメージから逸脱している。

 だが、どう見ても怨霊や悪霊と呼ぶべき雰囲気のアレをハルは敬意を込めて神様と呼んだ。

 

「この先の神社に……あの神様は祀られています」

 

 彼女は分かれ道の片方を懐中電灯で照らす。

 その神様の名を鬼太郎たちに教えながら、少女はその先の道を歩いていく。

 

 

「あの神様の、コトワリ様の神社が――」

 

 

 

×

 

 

 

 ユイの父親の日記にも書かれていた『コトワリ様』という神様。当初、ハルの寄り道に渋っていた由紀子もその名前を聞いたことで、大人しくついてくることになった。

 夫の左手を奪い、自分たち家族との縁を断ち切ったという神様の存在に興味を惹かれたのだろう。

 

 そうして訪れた神社の境内――そこには大量のゴミが散乱していた。

 

 壊れた桶やタライ、刃の錆びついた鎌や陶器の破片。

 元が何かわからなくなってしまった黒やら茶色やらの塊。

 雑巾のような汚れたぼろ切れが、あちこちにぶら下がっている。 

 

「…………」

「ちょっ! 何よ、この匂い……」

 

 その光景に鬼太郎は絶句し、漂う悪臭に猫娘が思わず鼻をつまむ。既に人が訪れなくなって久しいのだろう。境内は好き放題に荒れ果てている。

 誰もが足を踏み入れるのを躊躇う中、ハルはチャコを伴い、躊躇することなくボロボロの鳥居をくぐって拝殿へと向かう。

 

「これでも……少しは片づけたんですよ? あんまり、綺麗にはできなかったけど……」

 

 以前にも、ハルはこの場所を訪れてゴミを拾ったりした。けれども、その程度で全てが元通りになるわけもなく、境内は今も変わらず穢れを溜め込んだまま放置されている。

 

「……ん? 鬼太郎、あそこに何か書かれておるぞ」

 

 皆がそんな状態の境内に呆気にとられていると、ふいに目玉おやじが何かに気づき鬼太郎へ声を掛ける。彼は父に言われるがまま、大きな石碑――その横に立て掛けてあった看板の元へと向かう。

 

「う~む……どうやら、この神社のいわれが書かれておるようじゃが…………」

 

 目玉おやじはそこに書かれている、この神社の説明文にじ~っと目を通す。その間、鬼太郎と猫娘は周囲を警戒していたが、コトワリ様はおろか、他の怪異たちも姿を現す気配はない。 

 

「――――なるほど、そういうことじゃったか……」

「何かわかりましたか、父さん?」

 

 説明文を読み終えて一人納得する目玉おやじに鬼太郎は尋ねる。

 彼は息子の質問に、この神社に祀られている神様――コトワリ様が何者なのか語り始めた。

 

 

「コトワリ様とは、つまりは縁結びと縁切りを司る神様のようじゃ――」

 

 

 ことわり様――正式には『理様』と呼ばれ、この神社に古くから祀られている。

 その力は『悪い縁』を断ち切ってくれると、人々から敬意を払われていた。

 

 人間、誰しも望まずにして結んでしまった『縁』というものがある。

 職場での上下関係、望まぬ男女のお付き合い、しつこく付きまとうストーカーなど。

 

 コトワリ様は、そういった人間関係で息詰まる人々の願いを聞き入れ、手に持った鋏で『悪縁』を断ち切ってくれる。本来であれば、そういう役目を持った慈悲深い神様だった。

 

「似たような神社ならいくつか知っておるが……それと似たような感じじゃな」

 

 目玉おやじの知識の中にも、コトワリ様と同じように縁を司る神様がいくつか存在する。そういった神様の大半が『悪縁を断ち切る』という役割と同時に『良縁を結ぶ』という、裏返しの性質を秘めているもの。

 

「じゃが、コトワリ様は……この神社の神様は人々の『悪い』願いを叶えすぎてしまったようじゃのう……」

 

 目玉おやじが悲しそうに呟きながら、拝殿の横に掛けられていた絵馬の方に目を向ける。

 

『しねしねしね。もういやだ』

『父親が消えて親子の縁が切れますように。もういやだ』

『暴力を振るう彼が死んで別れられますように。もういやだ』

『泥棒猫死ね。もういやだ』

 

 そこには誰かの不幸、死を願う内容の絵馬がいくつも掛けられている。

 本来、縁切り神社とは人の不幸を願う場所ではない。悪しき縁にさよならを告げ、新しい縁を引き寄せてくれるよう祈願する、神聖な場所の筈であった。 

 それなのに、コトワリ様は人々の邪な負の感情に応え続けてしまう。

 

「それに、この神社の荒れよう……もう何十年と誰も来ておらんのじゃろう」

 

 加えて、この神社は人々から忘れ去られ、誰も管理するものがいなくなってしまった。

 神とは常に人々の祈りがあってこそ、その神格を維持できる。誰にも祀られなくなり拝殿が朽ち果ててしまったことで、コトワリ様は本来持つべき神としての性質を失った。

 そこに、この町の悪い瘴気が流れ込み、あのような禍々しい姿となってしまった。

 そうして――『荒神』として人々を襲うようになってしまったのだろうと、目玉おやじはそう推察する。

 

「それでも……コトワリ様はわたしを助けてくれました。わたしに……この赤いハサミをくれたんです」

 

 ハルは赤い裁ち鋏を取り出す。

 コトワリ様の持つ鋏と同じデザインで、毒々しい赤色をしているが、元々は縁を切るためだけに使われていた鋏だ。その『赤』は決して、犠牲者の血などではなく他に意味を有していた。

 運命の赤い糸という言葉がある。血の繋がり、血縁を意味しているとも。

 そういったものを断ち切ってきたからこそ、その鋏は『赤』なのだ。

 

「今日はお礼を言いにきました。このハサミのおかげでわたしは……」

「……」

 

 いったい、どういった経緯でハルがその鋏をコトワリ様から受け取ったのか鬼太郎たちは知らない。

 だが、ハルは神社の賽銭箱にお金を投げ込み、拝殿前に赤い裁ち鋏をお供えする。

 

「コトワリ様。ほんとうに、ありがとうございました」

 

 両手を――合わせることができないため、ハルは深々とお辞儀をし、感謝の意を伝える。

 一心に祈りを捧げる少女の姿を、皆がその目に焼き付ける。

 

 それから、ハルは祈りを捧げながらポツリと呟く。

 

「さっき、みなさんはコトワリ様に襲われてましたけど……」

 

 ついさっきのことだ。鬼太郎たちは唐突に現れたコトワリ様に襲われ、由紀子など後一歩で殺されかけるところだった。そのせいで鬼太郎たちは未だに、コトワリ様が良い神様であるというイメージを抱けないでいる。

 その誤解を解こうとしてか、ハルは語る。

 

「コトワリ様は他のお化けたちと違って、みさかいなく追いかけてきません。とある言葉に反応して、わたしたちの前に出てくるんです」

「……とある言葉って?」

 

 猫娘がそのように尋ねる。

 ハルは暫し考えこむが、やがて意を決したようにコトワリ様を呼び出す、その『呪文』を唱えた。

 

 

「もう、いやだ……と」

 

 

 少女の口からこぼれ落ちた、後ろ向きでネガティブな単語。

 絵馬の願い事の語尾にも書かれていたその言葉をハルが呟いた、刹那――

 

 

 ジョキン。

 

 

 境内の空気が歪み、赤黒い塊が浮かび上がってくる。

 

「鬼太郎!」

「――っ!」

 

 鬼太郎たちが息を呑む。

 一瞬前まで、なんの気配も感じなかった目の前の虚空から、あの化け物が姿を現す。

 

 血のように赤い鋏を持った縁を司る神様――理様が。

 

 

 

×

 

 

 

「ひっ!?」

 

 眼前に姿を現したコトワリ様に、由紀子は短い悲鳴を上げる。先ほど殺されかけた恐怖を思い出したのだろう、顔面は真っ青、額は汗でびっしょりだ。

 鬼太郎も猫娘も油断なく身構え、チャコですら小さな体で懸命に唸り声を上げている。

 

「大丈夫……」

 

 只一人、ハルだけはコトワリ様に怯える様子を見せず、じっとその異形を見据えている。

 コトワリ様も、そんなハルのことをふわふわと空中に浮きながら視つめ返している。

 

 交わる二つの視線。ハルは、ウサギのナップサックからある物を取り出し、それをコトワリ様の眼前に掲げる。

 それは一体の人形――先ほど由紀子を助ける際にも、コトワリ様に投げつけたものと同じ藁人形だった。

 

「これはイケニエです」

「……生贄?」

 

 ハルがその人形を地面に置き、コトワリ様から少し距離を置いた。鬼太郎がハルの呟いた単語に疑問を抱くと、彼の頭に乗った目玉おやじがハルの代わりに答えてくれる。

 

「うむ、説明文にも書かれておったが、コトワリ様にお願いするには両手、両足、頭――つまり五体のある人形を奉納する必要があるようなんじゃ」

 

 コトワリ様におまじないをお願いするには人形――人の形をした何かを捧げる必要があるとのこと。

 その人型を捧げた人間の人体に見立てて、そこに絡みつく悪縁をその鋏でコトワリ様は断ち切ってくれるのだ。

 

 事実、コトワリ様はハルが差し出した人形を静かに見下ろす。そして、それを『生贄』と判断したのか。鋏の金属音を鳴らしながら人形目掛けて襲い掛かる。

 

 バッサリと、一太刀で人形の首を切断――その姿を瞬く間に、闇の中へと溶け込ませ消えていく。

 

 

 

「…………あの言葉は、きっとコトワリ様にとって『助けて』って、意味なんだと思います」

 

 コトワリ様が立ち去り、再び静寂に包まれた境内でハルがそんなことを呟く。

 

「あの夜も……わたしは何度も『あの言葉』を呟きました。そのたびに、コトワリ様は何度もわたしに襲い掛かってきました」

 

 もう人形のストックがないためか、ハルはコトワリ様を呼び出す呪文を口にしないよう気を付ける。

 

 もう嫌だ、もう嫌だと。

 思わずそう口にしてしまうほどに辛い縁を断ち切らんと、コトワリ様は人間の願いを叶えてきた。だが目玉おやじの予想通り、その身は邪悪な願いによって、汚れてしまっている。

 それにより、コトワリ様は夜の町中で『もう嫌だ』と呟いた人間を無差別に襲う、荒神と化してしまったのだ。

 

「コトワリ様だけじゃありません……他のお化けたちにだって、人間を襲うようになった理由があると思うんです」

 

 ハルは語る。自分があの日の夜に出会ってきた『お化けたち』の姿を――。

 

 血だらけの女がいた。

 目も鼻も口もない、学生服を着た女性が血の雨と共にハルを追いかけてきた。彼女は唸り声しか上げることができなかったが、血文字でハルに向かって訴えかける。

 

『イカナイデ』『サムイ』『タスケテ』

 

 きっと、彼女は本当に助けを求めていただけなのだろう。ハルは彼女のことが可哀想になり、血の雨に濡れる彼女にそっと傘をさしてやった。

 

 空に浮かぶ大きな頭蓋骨の化け物がいた。

 その正体はネズミの集合霊。この町に作られたダム建設の際に沈められた村に住んでいたネズミたちだ。化け物となってハルに襲い掛かる直前に、彼らは少女に問いかけてきた。

 

『わたしはなにものか、しっているか』

 

 ダムの底に沈められて死んだ自分たちの苦しみを知っているのかと。 

 お前たちの生活が、自分たちのようなものの犠牲の上に成り立っているのを知っているのかと、問いかけてきたのだ。

 ハルに難しいことは分からなかったが、ネズミの遺体の一つを静かに埋葬してやった。

 

「たぶん、他のお化けたちにだって、きっと…………」

「…………きみは、本当にすごいな」

 

 悲しそうに呟くハルに、鬼太郎は心の底から驚かされる。

 

 追ってくるお化けたちから逃げるだけでも精一杯な筈のハルが、そのお化けたちの成り立ちや苦しみを考えてあげている。

 鬼太郎ですら、幾度となく現れる怪異を前にいつしか話し合うことも止め、倒すことしか考えることができなくなっていた。

 それなのに、少女はいつ死んでしまうかもわからない恐怖の中、常に『何故』と問い続けていたのだ。

 

 その優しさに、心の在り様に、鬼太郎は改めて『人間』というものについて考えさせられる。

 

「さあ、そろそろ行きましょう……」

 

 無駄話が過ぎたと謝りながら、ハルはそろそろ神社を出ようと歩き出す。

 名残惜しそうにコトワリ様が祀られている拝殿を、何度も見返しながら――。

 

 

 

 

「…………あれ?」

「どうかしたかい?」

 

 境内を立ち去る間際、ふいにハルが立ち止まり、鬼太郎が声を掛ける。

 彼女はコトワリ様が現れては消えていった地面へと目を向け、何かを見つけたのか駆け出す。すると、そこには赤い裁ち鋏が開いた状態で突き刺さっていた。

 

「……持ってろ、ってこと?」

 

 つい先ほど、神社にお参りするときにハルは最初に持っていた赤い裁ち鋏をお供えしていた。あれは以前にコトワリ様からもらった鋏で、それを返却しようと奉納したものだ。 

 奉納した方の鋏はいつの間に消えている。そして、その場に新しい別の鋏が置かれていたのだ。

 

「……うん、ありがとう」

 

 ハルはコトワリ様にお礼を述べながら、新しく貰った鋏をうさぎのナップサックに大事にしまう。

 そして、ようやく向かうべき場所へ、皆と共に歩き出すことにした。

 

 ユイに会えるかもと期待を抱いた――あの場所へ。

 

 

 

×

 

 

 

「ここに……ここにユイがいるのね!」

 

 辿り着いた先、そこはこの町の景色を一望できる山の見晴らし台だった。町の住人たちが寝静まっているせいか、住宅に灯る明かりはほとんどなく。町が闇一色に塗りつぶされるという、不気味な光景が目の前に広がっていいる。

 ユイの母親である由紀子は娘の姿を求め、声高らかに叫び声を上げる。

 

「ユイー! どこなの!? どこにいるの! ユイぃぃいいいい!!」

 

 しかし、いくら呼び掛けても、ユイが姿を現す気配はない。由紀子はたまらず、金切り声を上げハルに詰め寄る。

 

「ねぇっ! ユイはどこなの!? どこにいるのよ!!」

「落ち着きなさいよ……ハルちゃん?」

 

 猫娘はそんな由紀子を宥めながら、窺うような視線をハルに投げかける。

 ハルは由紀子のヒステリックに騒ぐ様子にも動じず、静かに、ゆっくりと右手を上げ、とある一点を指さす。

 

「――あそこです」

 

 皆の視線が、ハルの指し示した方角へと集中する。

 そこは、一歩でも道を踏み外せば転げ落ちてしまうような断崖絶壁。そこに、一本の木が生えていた。

 包み込むかのように枝を広げている、闇と同化するように黒々とした不気味な木。

 

 その枝の一本に――赤いロープが括りつけられており、輪を作っていた。

 木の根元には、足場として使われた木箱が転がっている。

 

「! ま、まさか……っ」

「と、とうさん……」

 

 その情景に目玉おやじが目を見開き、鬼太郎も息を呑む。

 彼らの抱いた『疑念』をはっきりと答えにすべく。ハルはその口を重苦しく開いた。

 

 

「ユイはこの場所で――ここで……首を吊って死にました」 

 

 

「――――――――――――」

 

 誰もが、その残酷な真実を理解するのに数十秒の時間を有した。最悪の予想をしていた鬼太郎たちですらも、呆然と立ち尽くす。

 

 いなくなって二週間。

 その間に、ユイは既に亡くなっていた。

 夜に連れ去られたのではなく、この町の化け物に殺されたのでもない。自ら首を吊って――その命を断っていたと、いったい誰が予想できただろうか。

 

「う、うそよ……嘘よっ!!」

 

 その真相を受け入れることができず、由紀子はパニックになる。

 

「あ、あなた! ユイに会えるかもって言ってたじゃない! だったら――」

 

 彼女は声を荒げハルに詰め寄る。そんな由紀子の問いにハルは冷静に答える。

 

「はい。会えるかもと思ったんです……お化けでも、幻でもかまわない。ユイが死んだこの場所なら、もう一度、ユイに会えるかもしれないと……」

 

 確かにハルはユイに会えるかもと言った。だが彼女が『生きている』とは一言も口にしてはいない。ハルは、亡霊でも構わないからもう一度彼女に会いたい。

 そう願って今日――夜にこの場所へと訪れようとしたのだ。

 

「けど……やっぱり駄目みたいです。わたしにはもう、ユイの声も聞こえない」

 

 ハルは失った左手の断面を擦りながら、自虐的な笑みを浮かべる。

 

「当然ですよね。わたしは、ユイとの『縁』をコトワリ様に切ってもらったんです。だから、もう会えるはずもないんです」

「それは……どういう意味だい?」

 

 ハルが呟いた言葉に鬼太郎が眉を顰める。大切な親友同士だった筈のユイとハル。それなのに、コトワリ様に縁を断ち切って貰ったとはどういうことなのか。

 鬼太郎の問い掛けに、ハルは心底苦しそうに言葉を紡いでいく。

 

「ユイは……死んだ後もわたしを求めてくれました。お化けになって……わたしと一緒にって……」

 

 ユイはこの場所で死に、亡霊となってハルの前に姿を現した。

 ユイは――大切な親友であるハルを求めて町の中を彷徨い歩くお化け。この町の闇を構成する怪異の一部となってしまったのだ。

 

『イッショニキテ』『オイテカナイデ』

 

 ユイの『ハルと離れたくない』という想いの強さ、絆の強さが――皮肉にもハルを道連れにしようとする意志を強めてしまう。

 怪異となったユイは、悍ましい姿でハルを求め、彼女の左手に『運命の赤い糸』を雁字搦めに巻き付けてきたのだ。

 

「わたしは……お化けになったユイを見ているのがつらかった。怖くて、苦しくて、悲しくて……」

「ハルちゃん……」

 

 そのときのこと思い出しながら話しているのだろう。ハルは涙声で震えていた。

 猫娘はそんな少女の痛ましい姿を黙って見ていることができず、後ろからそっとハルの体を抱きしめてやる。猫娘の温かさに触れ、ハルは少しだけ勇気を取り戻し、その話の顛末を口にする。

 

「だから……わたしは、コトワリ様にお願いして…………ユイとの縁を、この左手ごと断ち切ってもらったんです」

「!! そうか、君は『禁じ手』を使ったんじゃな!」

 

 ハルの言葉に目玉おやじが合点がいったと叫ぶ。コトワリ様の神社で解説文を読んでいた彼には、ハルの言っていることの意味が理解できた。

 

 本来、コトワリ様が断ち切る縁は『悪縁』だけだ。たとえ、穢れで神性を失っていてもそれだけは変わらない。

 だがもし、やむを得ない事情で悪縁ではない縁、互いに離れたくないと思っている『絆』を断ち切らねばならないとき。コトワリ様は生贄の人形と、体の一部――左手を代償にその絆を、赤い鋏で断ち切ってくれる。

 

 ユイはハルと離れたくなかった。 

 ハルも、本当はユイと一緒にいたかった。

 だからこそ、ハルはその『禁じ手』に頼るしかなかったのだ。

 

「ユイちゃんの父親……彼も家族との絆を断ち切るために、己の左手を差し出したのじゃろう……」

 

 日記を残して失踪したユイの父親。彼もまたハルと同じように禁じ手をつかい、家族との絆を断ち切った。

 彼は愛する家族を守るため、ハルは親友の壊れていく姿に耐えられなくなって。

 彼らは大切な人との『縁』ごと、左手を失った。

 

「……ごめんね、ユイ。ほんとに、ごめんね……」

「きみが……責任を感じるようなことじゃない」

 

 鬼太郎は、左手を失い親友との縁を失ってしまったハルの肩にそっと手をおく。

 幼い彼女がどれほどの覚悟で、自らユイとの絆を断ち切ることを選択したのか。その辛さを、鬼太郎には想像することしかできない。

 猫娘も目玉おやじも、ハルという少女の背負った痛みに、それ以上の半端な慰めを口することができず。

 

 ただ静かに――彼女を労りの視線で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 これが、ハルが知っていること。ユイの母親である由紀子に伝えられることだった。

 ユイは死んだ。それは覆すことのできない事実だ。しかし――

 

「うそよ……そんなのうそよ……」

 

 その事実を受け入れることができず、由紀子はうわ言のように呟く。

 夫が消えてしまったのも、ユイが死んだのも。全て何かの間違いだと、質の悪い夢だと。

 彼女の消耗しきった心は、弱々しい声音で事実を否定することしかできずにいた。

 

 そんな疲弊しきった由紀子の耳元に、彼女の心に――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………オイデ』

 

 

 山が――――語りかけてきた。

 

 

 




深夜廻の登場人物紹介
 ユイ
  赤いリボンがトレードマークの女の子。プロローグで首を吊ってしまう少女の姿は初めて見たときは衝撃的でした。今作では既に死者、名前だけの登場になるかと思います。

 ハル
  青いリボンがトレードマークの女の子。本来は臆病でいつもユイを頼っていた少女が、夜の町を巡り様々な経験をして成長する。小説版での彼女の心情に何度涙腺が緩んだことか……。

 チャコ
  最強のわんこ。髑髏の怪物――がしゃどくろを吼えるだけで倒してしまう、超頼りになる犬。

 深川由紀子
  ユイの母親。その存在は小説内でちょこっと書かれていますが、名前は今作でのオリジナルです。一人残った彼女が不憫で、一応その救済のために今回の話を思いつきました。

 次回で『深夜廻』は最終回です。
 どのようなEDを迎えるか、どうかお楽しみに……。

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