あれだけ前回、三話構成で終わらせられそうと言っておきながら……今回も完結はしませんでした。
書いても書いても終わらない……何故か文字数が増えていくばかり。
今年のFGOの夏イベントのミニサバフェスでジャンヌダルク・オルタが言っていた、『削るわ』の言葉通りに色々と削ったのですが……なかなか纏まらず。
とりあえず、いい感じのところで一度区切り。また後日、其の④を投稿して完結となります。
既にほとんど全体は書き終わってはいますので、今月中には最終話も投稿できる筈ですので……それで勘弁していただきたい。
「——やってくれたね、堀くん」
「えっ、な、何がですか……阿良也さん?」
夜凪家にお邪魔していた星アキラと明神阿良也。
夜遅くなったこともあり、アキラの運転する車で自宅へと帰ろうとしている中。助手席に座る阿良也はどこか不機嫌そうにアキラにジト目を向けていた。
家の玄関先で景とアキラが即興劇をしてから。もっと言えば——芝居の中でアキラが景の手の甲に口付けをしてからずっとこの調子である。
「まっ……俺も怪人にまた一歩近づけたからいいけど。なるほど、これが嫉妬か……」
阿良也は今しがた自身が抱いた感情を、自らが演じる怪人の感情へと落とし込んでいく。
彼にとってアキラが景に、自分に先んじて彼女へ『粉をかけた』ことへの苛立ちは、まさに『オペラ座の怪人』で言うところの『クリスティーヌとラウルが愛を誓い合う』密会場面に遭遇した感情に近しい。
二人の逢瀬を物陰から見ていた怪人の心中が大きく揺らいでいたように、阿良也の心も決して穏やかではいられない。
だがその『嫉妬』という感情ですらも、阿良也は自らの血肉へと変えていく。
より怪人に近づくために、その全てを『喰らって』いく。
それこそ、演劇界の怪物——明神阿良也の役作りである。
「あっ、そこ右ね。俺の家、もうすぐそこだから」
「あ、はい……」
だがそれはそれとしてだ。今はとりあえず家に帰らねばなるまい。阿良也は自身の帰宅路を指し示し、アキラも指示通りに車を走らせる。
何事もなければ、あと数分ほどで阿良也を自宅へと送り届けていたことだろう。
「ん……?」
ところがだ。あと少しで到着といったところで阿良也は唐突に顔を顰めて、一言。
「……臭うな」
「ちょっ!? いきなり何言ってるんですか?」
いきなりの発言にアキラから突っ込みが入る。人の愛車内が臭いなどと、失礼にも程があるだろう。
「違う。いきなり臭いが濃くなってきて……」
だがそうではない。単純に車内が臭うという意味ではない。
これは何者かの臭い。彼の役者としての嗅覚が、何か得体の知れないものの接近を察知したということだった。
阿良也が、まさにその『何者か』に警戒心を滲ませた、その直後——。
ドン!! と、走行中の車のボンネットに、黒い外套を纏った人物が舞い降りて来る。
「なっ——!?」
突然の強襲に運転手であるアキラが顔を強張らせる。一瞬、それが何なのか思考する暇すらなかったのだが——。
『——ラウル子爵』
「!! か、怪人!?」
その黒い外套の男、仮面を被った怪人。
彼が星アキラ——ラウル子爵へと憎しみを吐き捨てたことで事態を把握する。
そう、カルロッタ役の七生、もしくはクリスティーヌ役である景を狙うかも知れないと警戒していた自分たちの警戒網を掻い潜る形で。
怪人はラウル役である、星アキラを狙いに来たのだと。
『——我が歌姫を惑わす……不埒者め! 貴様は……目障りだ!!』
怪人はボンネットの上に乗ったまま、その不気味な鉤爪を車のボディーに、その内部にあるエンジンルームへと突き立てた。
車は煙を上げて炎上。制御も困難になり、その車体が大きくふらついていく。
『——フンッ!!』
すると、それでもう用は済んだとばかりに、怪人は車の上から飛び降りる。
切羽詰まった状況のアキラたちを置き去りに——再び闇の中へと姿をくらましていく。
「星くん!! ブレーキ!!」
「ぐ、ぐううう……!」
制御を失った車内に取り残された阿良也とアキラ。どうにかして車を止めなければと、車全体のバランスを取りながら星アキラは必死にハンドルを操作していく。
だが努力の甲斐も虚しく、次の瞬間——車は盛大に路肩へと乗り上げ、火花を散らしながらガードレールへと突っ込む。
「————!!」
激しい衝撃が、アキラと阿良也の身体を大きく揺さぶっていく。
「そろそろ遅いし……私たちも寝よっか、夜凪さん?」
「ええ、そうね……千世子ちゃん」
その頃、夜凪家では夜凪景と百城千世子が就寝の準備を進めていた。
仲の良い友人同士で交流を深めながらも、怪人の襲撃を警戒している彼女たち。天使と呼ばれる千世子ですらも、笑顔を浮かべながらピリピリと気持ちを張り詰めていた。
とはいえだ。怪人を気にし過ぎて身体を休めない訳にもいかない。お互い明日も仕事で朝早く、よふかしもお肌の天敵。
自分たちの健康管理も、女優としての大事な仕事の内である。
「あっ、鬼太郎くんもここで休む? お布団ならまだ余ってるけど……」
自分たちが寝るということで、景は護衛として張り付いてくれている鬼太郎の分も寝る場所を確保しようとした。妖怪で相手が男性といえども、見た目はただの少年だ。特に同じ空間内で夜を過ごす抵抗感もなく、彼の分も布団を敷こうとする。
「いえ、ボクは廊下で構いません。どのみち、今日はずっと起きているつもりなので」
しかし、鬼太郎はそれを丁重に断る。
元より今日のところは寝ずの番をするつもりでいた。夜が深まれば深まるほど、ファントムのような亡霊はその妖力を高めていく。
寧ろ本番はここからだと、今から気を引き締める気持ちである。
「そんなの駄目よ、よふかしなんて!!」
だがそんな鬼太郎を、景は常識的な観点から叱りつけていく。
「子供なんだから、ちゃんと寝ないと大きくなれないわ!! いい子だから早く寝ましょう!!」
「それじゃ、本末転倒な気がするんじゃが……」
弟と妹の世話をしているためか、保護者——それも母親のような口調である。その言いように鬼太郎の本来の父親・目玉おやじが困ったような顔をしてしまう。
言っていることは尤もなのだが、それでは自分たちがいる意味がなくなってしまう。怪人の襲撃に備えるためにも、鬼太郎や目玉おやじはずっと起きている必要があるのだから。
保護者目線でそれを許さないという景をどのように説得しようか、目玉おやじは頭を悩ませる。
そんなときだ。不意に携帯のバイブ音が鳴り響く。
「あっ、ごめん、私だわ……って、アキラくんから?」
着信は千世子の携帯電話からだった。スマホのディスプレイには——星アキラの名前が表示されていた。
「……もしもし? どうかした、アキラくん?」
ついさっき帰宅したばかりの彼からの連絡に、少し不安を抱きつつも千世子はその電話に応じる。
「あれ、阿良也さん? 何で阿良也さんが……アキラくんの携帯に?」
ところが電話の相手は明神阿良也だと、千世子は軽く驚きを口にする。何故彼がアキラの携帯から連絡をしてきたのか、彼女は疑問を浮かべるが——。
次の瞬間にも、その疑問は驚愕へと変わっていく。
「えっ……交通事故? 怪人に……襲われた!?」
「!!」
彼女の言葉に鬼太郎が素早く振り返る。鬼太郎に電話相手の声は聞こえてこないが、その呟きだけでも只事ではないことが窺い知れる。
案の定、千世子は鬼太郎の反応を見ながら——先ほど帰っていった彼らがどのような目に遭ったかを、報告するように話してくれる。
「——アキラくんが狙われて……怪我をしたって……!!」
これに鬼太郎が動かない訳には行かなかった。
「鬼太郎!!」
「はい、父さん!!」
詳細を聞くよりも先に、鬼太郎は駆け出す。
玄関先、来客用のスリッパから自身のリモコン下駄へと履き替え——そのままアキラたちの元へと急ぐため、夜凪家から飛び出していく。
「鬼太郎くん、私も……」
「いえ!! 夜凪さんたちは家の中に!!」
それを追おうと景までもが外へ出ようとする。しかしそれは駄目だと、鬼太郎は強めの口調で彼女に家にいるようにと指示を出す。
「——ボクが戻るまで絶対に外に出ないように!!」
友達が心配なのは分かるが、ここで無防備にも景を外に出す訳にも行かない。戸締りを怠らないようにと、注意だけはしっかりと促していく。
「——鬼太郎、あれを見てみい!!」
数分ほどで、鬼太郎はその現場へと駆けつけることができた。
事故の報せを受けたのか、パトカーや救急車のランプが辺りを照らしており、周囲には人だかりもある。
そんな中、目玉おやじはその騒動の中心——ガードレールに突っ込んだまま大破している、星アキラの自動車を指し示す。そこには忙しなく動き回る救急隊員や警察官も。
そして、怪人に襲われたであろう明神阿良也と星アキラの姿もあった。
「明神さん! 星さん!?」
「な、なんだね、キミは? ここは関係者以外……」
「大丈夫、一応は知り合いだよ」
彼らの姿を見かけるや、すぐにその場へと舞い降りる鬼太郎。急に姿を現した彼に他の人間たちがギョッと驚いているが、それらは阿良也が制していく。見たところ、阿良也に目立った外傷はない。
「鬼太郎くん? どうしてここに……」
だが星アキラの方は救急隊員によって手当てを受けており、その頭には包帯が巻かれていた。
「大丈夫でしたか? 怪我は……?」
「大したことないよ、割れたガラス片でちょっと頭を切っただけだから……」
アキラの容態を確認する鬼太郎。それに対し、アキラは何事もなかったように笑顔で返してくれた。どうやら、そこまで重症という訳ではないらしい。まずはそのことに一安心。
「それで……怪人は? 奴は今どこに……」
しかしすぐに周囲を警戒しながら、彼らを襲撃したであろう怪人の居所を探ろうとする。もっとも、怪人の姿は影も形もなく、やはり妖気の痕跡すらも残されていない。
この辺りに奴はいない。それでも身を固くする鬼太郎に、阿良也は口を開く。
「あいつらなら……車をぶっ壊した後、すぐにどっかに消えてったよ」
阿良也の証言によれば、怪人は車を破壊する一瞬だけ姿を見せ——そして消えたらしい。
その気になれば事故の後。すぐには動けないアキラたちに追い討ちをかけることも出来ただろうに、何故か怪人はそうしなかった。
いったい、これはどういうことだろうか?
「……! 鬼太郎くん、夜凪くんたちは!?」
その疑問はすぐに焦りとなって、アキラに『嫌な予感』を抱かせる。鬼太郎はこの場に来たが、怪人は既に別の場所へと移動した。
ならば怪人は——次に『なに』を狙って『どこ』に姿を現すつもりか。
「!! 星くん、携帯借りるよ!!」
阿良也もその考えに至ったようだ。星アキラから借りていたスマホで、もう一度百城千世子——景と一緒にいるであろう彼女に連絡を試みる。
なかなか繋がらずに鳴り続けるコール音が、彼らの不安を掻き立てていく。
ややあって——。
「百城!! そっちは今——」
電話は無事繋がった。
そのことに僅かに安堵しながらも、彼女たちの安否を確かめる阿良也だったが——。
「……分かった。すぐにそっちに行く。落ち着いて待ってろ、いいな?」
一瞬、阿良也はカッと目を見開く。しかし通話相手に不安を与えないよう努めたためか。平静を保ちつつ、すぐに駆け付けると伝えて電話は切った。
通話を切った直後。阿良也は重苦しいため息を吐きながら、明らかに渋い顔で鬼太郎たちの方を振り返る。
「やられたよ」
「!!」
その言葉で全てを悟り、鬼太郎は己の迂闊さを思い知る。
そう、これは『罠』だ。
怪人の襲撃を聞き、焦ってアキラたちを助けに駆け付けた鬼太郎。そんな彼の行動、思考の裏をかくように——怪人は本命を手中に収めるべく動いた。
怪人にとっての本命。即ち、クリスティーヌである——夜凪景の身柄だ。
「——夜凪が連れ去られた。怪人の仕業だよ」
その思惑が達成されてしまったことを、阿良也は淡々と告げるしかなかった。
×
「ごめんなさい、私が付いていながら……」
夜凪家のリビング、鎮痛な面持ちで百城千世子が項垂れていた。
彼女の話によると、本当に一瞬だったという。
アキラたちを心配し、起きていた彼女たちの元へ——怪人は音もなく忍び寄ってきた。
そして、二人が悲鳴を上げる間もなく、奴は夜凪景を瞬きの間に連れ去ってしまったというのだ。
鬼太郎の護衛もなかった状況ではそれを防ぐ術もなく、千代子は友人をみすみす連れていかれたことに罪悪感すら抱くように落ち込んでしまっている。
「いや、キミは何も悪くはない。わしらが迂闊じゃった……」
「ええ……そうですね、父さん」
そんな落ち込む千世子を、急ぎUターンして来た目玉おやじと鬼太郎が励ます。彼女に落ち度はない。全ては怪人の行動力を甘く見た自分たちの責任だと。
「まさか……あんな亡霊のような男が、ここまで狡猾な立ち回りを見せるとはな……」
「……」
その第一印象、幽鬼のような佇まいからあの怪人を見誤っていた。同じ目的を果たすにしてももっと直接的な、力ずくで事を為そうとする、本能のままに行動する怪異の類だと誤認していたのだ。
しかしその考えが甘かった。奴は目的のためならいくらでも搦手を使える。冷酷冷静な犯罪者なのだと思い知らされる。
「そうだね。確かに奴はクリスティーヌを手に入れるため、ラウルたちが敷いた警備網を突破した」
これに鬼太郎と共に夜凪家に戻って来た阿良也が頷く。
作中においても、怪人はクリスティーヌを守ろうとするラウルと警官隊の包囲網を嘲笑うように破って見せた。
奴はオペラ座の舞台に主役として出演するクリスティーヌの相手役、役者として表舞台に姿を現したのだ。
予想外の方法で姿を見せた怪人にラウルたちが手をこまねいている間にも、奴は客席に混乱をもたらし、衆人環視の中で堂々とクリスティーヌを連れ去って行ったのだ。
「全くたいした役者だよ。あの臭さも納得だね……」
そう、怪人も自分たちと同じ『役者』だった。目的のためならばどんな役でも演じて見せるだろう。それを一瞬とはいえ、阿良也も『臭い』で感じ取っていた筈だ。それなのにまんまとしてやられた。
平静を装ってはいるものの、彼も内心ではかなり悔しがっている。
「ど、どうすれば……早くしないと、夜凪くんが!!」
景の危機に星アキラは声を荒げる。
彼自身怪我を負っており、自慢の愛車を破壊された身の上。だがそんなことより、彼女の身が危ないと。誰よりも分かりやすく、まさにラウルのようにクリスティーヌでもある景の身を案じる。
「慌てなくても大丈夫だよ」
すると阿良也。やけに冷静に、その場にいる全員に向かってまだ大丈夫だと語っていく。
「怪人は……連れ去った景をまずは自分の隠れ家に、誰の目にも届かない場所に連れて行く筈だ。奴も景の前ではただの『音楽の天使』でいたいだろうし……下手に危害を加えることはないだろう」
「……? どうして、そう言い切れるですか?」
阿良也の推測に過ぎない話に、鬼太郎は疑問を抱かざるを得なかった。
相手は怪人などという得体の知れないものだ。その動きは妖怪である鬼太郎にも読み切ることができない。
なのに阿良也は、まるで確信でもあるように怪人の行動、心情までも断言していく。
いったい何を根拠にと、思わず疑いの目を向ける鬼太郎だったが——。
「どうして? 分かるさ……だって——私も怪人だからな』
「!!」
刹那、明神阿良也の纏う空気が一変する。
そこに立っていたのは、阿良也という青年ではなかった。
稽古のとき同様、彼は自らが演じる役に『オペラ座の怪人』へと変貌を遂げたのである。寧ろ、その演技力は何度も亡霊を間近で目撃したことにより、さらに研ぎ澄まされている。
そうして、自らが怪人そのものになりきることで——その思考すらも読み解いていく。
『私に……いや、怪人にとってオペラ座こそが世界そのものだ。あいつが戻る場所は……そこにしかない」
怪人の帰還する場所。それは当然——オペラ座以外には考えられない。
オペラ座・ガルニエ宮。その地下に広がる迷宮こそが彼の居場所。幼少期の頃よりその迷宮で育った彼にとって、世界とはその閉ざされた空間のことを指す。
アキラを殺そうと走行中の車を襲撃したり、景を攫うために夜凪家まで訪れたりと。随分と派手な立ち回りこそ見せてはいるが、最後には必ず——怪人の行き着く先はオペラ座へと帰結する。
だが、ここ日本にガルニエ宮など存在しない。
ならば今の奴にとって——オペラ座とは『どこ』を指すのか?
「灯台下暗し……とは言ったもんだね。最初から奴はオペラ座にいた。あの事故こそ……あそこがオペラ座である証明だよ」
「それって……まさか!?」
その答えも既に提示されていたと。阿良也の言葉にその『事故』がどこで起きたのかをアキラは思い出す。
そう、怪人が初めて姿を見せた場所。オペラ座の怪人の代名詞でもある『シャンデリアの事故』。怪人は『あの場所』をオペラ座と定めたからこそ、あそこでシャンデリアは落ちたのだ。
「——いい度胸じゃないか。巌さんが残した俺たちの居場所を根城にするなんてね……」
その事実を断言する阿良也は実に不機嫌だった。景を連れ去ったこともそうだが、それ以上に彼にとって許し難いこと。
よりにもよって、自分たちの居場所を——『劇団天球』を自らの住処にするなど。
隠しきれない阿良也の怒りが、その言葉の端々から伝わってくる。
「…………ん? あれ……? ここは、どこ?」
微睡の中から目を覚ました夜凪景。
彼女が目を開けるとそこには見知らぬ天井、明らかに自分の家ではない部屋のベッドで寝かされている。
「私……どうしてこんなところに……って!! なんかドレス着てるし!?」
意識を覚醒させ、真っ先に景が驚いたのは——何故か自分が西洋風のドレスを着せられていることだった。一応は彼女自身の私服の上に着込んでいることから、脱ぎ換えされたという訳ではなさそうだ。
そのことにちょっぴりホッとしつつも、やはりこの状況はおかしいと改めて考え込む。
「ええっと……私、家で千世子ちゃんと……そうだ! アキラくんが無事かどうかって、話をしてて……」
景は自身の記憶を少しづつ掘り返していく。自分は確か自宅にいた筈。そこで千世子と一緒にいて、それから——。
「そうだ、怪人!! 目の前にいきなり怪人が現れて……」
そう、オペラ座の怪人。
あれが亡霊のようにいきなり現れ、きっと自分に何かしたのだろう。悲鳴を上げる間もなく徐々に意識が薄れていき——気が付けば、こんな見知らぬ場所で目を覚ました。
「なら……ここは怪人の部屋? ……ここに——」
ならば、自分をここまで連れてきた元凶がいる筈だと。景が周囲を見渡したその矢先。
『————』
「——っ!!」
いた。眼前に怪人がいた。
彼は部屋の出入り口を塞ぐよう、亡霊の如くそこに立ち尽くしている。
怪人を目の前に流石の景も息を呑むが、すぐにベッドから立ち上がるや、挑むような視線で相手を睨み付ける。
するとその視線に——。
『——驚かせて済まない……』
「……!?」
怪人は驚くほど優しい声音で景への、クリスティーヌへの謝罪を口にしていた。その佇まいも紳士的で、纏う空気そのものが穏やかなものに変わっている。
『キミを傷付ける気はないんだ……私はただのエリック。クリスティーヌ、キミを愛してしまった……ただのエリックなんだよ』
「!! ……」
怪人は自らの本名・エリックの名と共にクリスティーヌへの愛を告白する。
エリック、それこそが彼の人間としての名前。その恐ろしい風貌や、尋常ならざる力に忘れそうになってしまうが、本来であればオペラ座の怪人の正体は——ただの『人間』でしかない。
天使でもなければ、幽霊でも、怪物でもない。ただ一人のエリック——ただクリスティーヌに恋をした男性だった。
しかし、眼前の怪人に人ならざる力があることは認めなければならない。
そもそも、オペラ座の怪人の物語が誕生したのも百年も昔だ。たとえ本物のエリックが実在の人物だったとしても、それが現代に生きている訳もない。
いったいこの男は何者なのだろう。そんな疑問が今更ながらに浮かび上がってくる。
——落ち着け……落ち着くのよ、夜凪景!
だが正体が何にせよ、今の景ではここから逃げ出すこともできない。下手な抵抗も自分の身を危険にするだけだと、彼女は冷静に思案を巡らせていく。
——大丈夫! きっとみんなが助けに来てくれる筈だから!!
彼女は希望そのものを捨ててはいない。
千世子や阿良也、アキラといった仲間たちであれば、きっとここを見つけ出してくれると。ゲゲゲの鬼太郎であれば怪人もやっつけてくれると信じ、ここで救助を待つことにする。
ただ待つ以外にも、自分に出来ることがあるのではないかと。
『——エリック、私の音楽の天使。オペラの指導をしてくれませんか? また、いつものように……』
そう考えたとき、景は自然と——クリスティーヌとしての台詞を紡いでいた。
——私は役者だ! クリスティーヌならどうするかを……考えるんだ!!
自らの芝居を向上させるためにも、今この瞬間の経験を『喰らう』べきだと。彼女の役者としてのプライドが叫ぶ。
この亡霊を相手にクリスティーヌ役を貫き通せるのであれば、きっと自分はより高みに立てると。
適度な緊張感、恐怖心もあってか。景はかつてない程の勢いで役へと潜り込んでいく。
『——!! 嗚呼、クリスティーヌ……そうだね、歌おう。今日も舞台に向けてレッスンだ……!』
そんな景の芝居に、怪人も応えた。
彼は心底嬉しそうに、どこから持ってきたのかピアノの前に座り、クリスティーヌへオペラの指導を施していく。
暫しの間、怪人は音楽の天使として心穏やかな時間を過ごしていく。
×
「ここに? 本当にここに……怪人や夜凪さんが?」
鬼太郎は昼間も訪れていた劇団天球の前で妖怪アンテナでの探知を試みる。だが表面上、やはり妖気の類は感じ取れない。
果たしてここに怪人の住処などあるのだろうか。ここへ来ることを決めた明神阿良也の判断に疑問を浮かべる。
「間違いないよ。うん、臭いも濃く残ってるしね……」
しかし阿良也はこの小劇場のどこかに怪人の住処があると、鼻をすんすん鳴らしながら迷いのない足取りで敷地内へと進んでいく。
「——まるで犬だな……阿良也の奴。ああ、言っとくけど……あれが役者の当たり前だと勘違いしないでくれよな?」
そんな阿良也に呆れた視線を向けるのは——鬼太郎たちをここまで車で送ってくれた、青田亀太郎だった。
星アキラの壊れた愛車がレッカーで運ばれてしまったため、その代わりの足として彼に声を掛けたという。体のいいタクシーのような扱いだが、事情を話すや亀太郎もすっ飛んで来てくれた。
それだけ、彼も景の心配をしてくれているということだろう。
「夜凪くんが、無事でいてくれ……」
さらに星アキラの姿も。頭の包帯こそ取れていないが、彼も景を助けるためにここまで来た。
一方で、先ほどまで一緒だった百城千世子は夜凪家で景の帰りを待っている。
家にはまだ何も知らされていない、ルイとレイがぐっすり眠っている。あの子たちを二人っきりにしないためにも、千世子が景の代わりに夜凪家を預かってくれている。
そうだ、幼い景の弟妹たちのためにも。
一行は今夜中にも怪人の魔の手から景を取り返さなくてはならなかった。
「こっちだ。俺が怪人なら……入口はあそこしかない」
肝心の建物内。一行を率いて進む阿良也の動きに迷いはなかった。怪人への理解を己の芝居によってさらに深めていった彼はすぐにその場所。
役者たちの『楽屋』の一つへと行き着く。その楽屋は特に景が利用することの多い控え室でもある。どうやら、ここが怪人の『住処』への入り口らしいが。
「…………」
部屋の扉を開けるや、阿良也は数秒ほど室内を見渡す。そしてすぐにでも何かに気づいたのか、部屋の隅に設置されていたロッカーへと手を伸ばした。
「阿良也さん? それはただのロッカーで……」
星アキラは『そこを開いても掃除道具くらいしかないだろう』と、阿良也の行動に口を挟もうとする。
だが、ただのロッカーに過ぎないそこに、明らかに不釣り合いなものが——。
地下へと続く『階段』らしきものが確かに存在していた。
そう、それこそが怪人が潜むとされている地下迷宮への入り口に他ならない。
「おいおい……冗談だろ? なんだってこんなものがこんなところにあるんだよ!?」
劇団天球の一員として亀太郎が当惑いを口にする。
当然ながらそんなもの、本来であれば存在する筈もない。ここはあくまで劇団天球のホームであり、ガルニエ宮ではないのだから。
「!! この階段……この通路の先から妖気が感じられます! これは……怪人の!?」
しかし、このタイミングで鬼太郎の妖怪アンテナも反応を示した。ここまで近づくことで、やっと怪人の足取りを掴んだのだ。
怪人がこの階段の先にいることは、もはや確実だろう。
「怪人がここをオペラ座だと定めたからだろ? 奴がそう決めた瞬間から、ここはガルニエ宮になったんだ。地下への入り口くらい、あったって不思議じゃない」
阿良也は感覚として、怪人の在りようを理解していた。
今このとき、この建物は奴にとってのオペラ座・ガルニエ宮となっている。そのように奴が定めたのだから、そこに地下迷宮くらいあってもおかしくはないと。
最初に稽古場にシャンデリアが落ちてきたときもそうだ——『オペラ座ならシャンデリアが落ちてきても何ら不思議ではない』。
自らが潜む場所をオペラ座へと改変する。おそらくそれこそが、あの怪人の怪異としての性質なのだろう。
「……では、ここから先はボクたちだけで行きます。皆さんはここで待っていて下さい」
「うむ、これ以上は流石に危険じゃからな……」
ここで、鬼太郎と目玉おやじが集まった面々に向き直る。
ここまで来たのならば、あとは自分の役目。役者といえども、あくまで一般人である彼らを危険に晒さないためにも、景は自分が救助するからここで待っていて欲しいとお願いする。
「? いや、一緒に行くよ。最後までちゃんと見届けないと。俺もまだ完璧に怪人を掴みきれてる訳じゃないし」
しかし阿良也は当然のように、地下に突入する準備をしていた。
自衛のためか、何かしらの武器を肩掛けの細長い袋に収納している。景を心配している気持ちもあるのだろうが、それ以上に『怪人をもっと知りたい』という、役者としての本能を優先しているようだ。
「ボクも行きますよ。ラウルなら……ここでクリスティーヌを助けにいかないわけがありませんから」
阿良也に比べて一般的な感性を持ったアキラでさえも、ここで待つのは『ラウル子爵』として間違っていると。自らの役を演じるように景を、クリスティーヌを助けに行くと決心する。
「やれやれ……二人が行くってんなら、俺も付いていかないわけにはいかねぇよな! なんたって俺、謎のペルシャ人だし!」
亀太郎も、少しおどけた調子で二人に続く。
彼のオペラ座の怪人における配役は『謎のペルシャ人』。怪人の正体を知るものとして、ラウルをクリスティーヌの元まで導く案内人だ。
ラウルが彼女を助けに行くのであれば、自分も行かなければ始まらないと豪語していた。
「どうして、そこまでして……」
役者たちを前に、鬼太郎は困惑気味に目を見張るしかない。
短い間ながらも、彼らの芝居に対する真剣さは多少なりとも理解したと思う。しかしここから先は本当に命の保障すらない。
仲間を助けるためとはいえ、彼らにそこまでするほどの理由があるのだろうか。
命を賭けるほどの、『何か』があるというのだろうか。
「お前さんの言いたいことは分かるぜ、ゲゲゲの鬼太郎……」
鬼太郎の戸惑いに関しては亀太郎が察してくれた。
「お前からすりゃ、馬鹿げてるように見えるんだろう。芝居如きにここまでムキになる、役者なんて生き物が……」
景を助けに行こうとする蛮勇だけではない。危険を承知で芝居を続けると決めた劇団の判断、芝居の向上のために怪人に近づこうとする役者たちの業の深さ。
それら全てが、鬼太郎の目には奇異なものとして映るのだろう。亀太郎自身もそれは分かっている様子だ。
だがたとえ理解されなくとも、彼らにだって譲れないものがある。
「けどな……その芝居に俺たちは救われたんだよ。何もなかった俺たちは……芝居と出会うことで変わることが出来たんだよ」
「芝居が……救いになる?」
それは、きっと言葉だけでは伝わらない体験だ。だが亀太郎を始めとした劇団天球の役者たちは、確かに巌裕次郎の——今は亡き演出家の手掛ける芝居によって救いを見出された。
自分の容姿に自信のない女の子は、芝居を通して自分の本当の美しさ教えてもらえた。
才能がないと自分自身を卑下する青年の芝居に、他者を輝かせる道があるんだと気付かせてくれた。
毎日は死ぬほど退屈だった少年。嘘吐きだらけのこの世界で決して嘘を付かない覚悟を決めたもの。それが役者なんだと、その生き方が役者に向いているんだと。
人生そのものを救われた気さえしただろう。
「景だってそうだろう。あいつもきっと芝居で救われた口だ。芝居のおかげで……俺たちは繋がれてる」
怪人に連れ去られた夜凪景も、きっと自分たちと同じだと。同じ舞台に立つ役者同士だからこそ、彼女の気持ちが良く分かると。
普段は陽気なムードメーカーの亀太郎が、真剣な表情で鬼太郎へと自分たちの有り様を語っていく。
「だから、景は俺たちが助けに行ってやらないとな。ちゃんと最後まで……みんなで演じきってみせるさ」
景は自分たちの手で助け出す。そして最後まで今回の公演を——『オペラ座の怪人』という芝居そのものをより良いものにしてみせる。
そのためなら、命だって賭けられる。
それが役者という生き方に人生を救われた、自分たちの覚悟なのだと。
「ああ、そうだね」
「亀太郎さん……はい!!」
阿良也も、アキラも。亀太郎の言葉に何ら異論がないのか力強く頷いていく。そんな役者たちの思いに——。
「……絶対に、無茶だけはしないでください」
鬼太郎はもはや何も言えない。
自分では彼らを止めることは不可能だと。その思いを尊重し——彼らと共に、怪人の潜む地下迷宮へと足を踏み入れていく。
『——♪ ——♬ ——♫』
『——♫ ——♪』
怪人が自ら作り出した地下迷宮の一室で、クリスティーヌこと夜凪景はエリックに音楽のレッスンを施されていた。
景たちの公演するオペラ座の怪人はあくまで演劇であり、ミュージカルのような歌唱力を必ずしも必要とするものではない。
だが、エリックとオペラの練習をする景は、自身の歌声が鮮明に研ぎ覚まされていくのを感じていた。
まさに音楽の天使の加護。今やクリスティーヌでもある景は、自身の音楽が上達していることをただただ純粋に喜ぶ。
クリスティーヌの喜ぶに、エリックも歓喜の笑みを浮かべつつピアノの旋律を奏でていた。
音楽に触れているときのエリックは本当に心穏やかで、彼があの恐ろしい怪人と同一人物なのか思わず疑ってしまうほどである。
しかし——。
『——…………』
『——どうしたの、エリック?』
鍵盤を弾くエリックの手が止まった。
景はクリスティーヌとして、途中で演奏を止めたエリックにどうしたのだろうと疑問を投げ掛ける。
『——ネズミめ……』
刹那、あれほど穏やかだったエリックの雰囲気が——豹変する。
声音からは隠しきれない不快感が滲み出ており、その全身から黒いオーラを発している。
そこに優しかった天使の面影などどこにもない。ピアノを壊さないように外されていた鉤爪が一瞬で彼の手元に顕現する。
恐ろしい怪人の風貌へと、瞬時に変貌を遂げたのである。
『——どこまでも、私とクリスティーヌの邪魔をする……!! 忌まわしい……忌まわしい!!』
『——!!』
その変わりように景も息を呑む。
ついさきほどまで、彼は確かに天使だった。自分にオペラを教えてくれる彼はとても優しく、クリスティーヌを演じている景にとっても親しみやすい相手だった。
恐怖心も大分薄れており、寧ろ音楽への深い情熱が感じられる彼に好感すら抱いていた。
そう、エリックは『天使』のままでいられたのだ。
邪魔者さえ、自分の領域に入って来なければ——。
前書きでコメントしたとおり次話で完結、今月中には投稿します。