ゲゲゲの鬼太郎 クロスオーバー集   作:SAMUSAMU

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今年の金曜ロードショー、3週連続のジブリ祭はどうでした?
今回放送された中でも、自分は『耳をすませば』が一番面白かったかも。思い出深い作品といえば『となりのトトロ』でしたが、最近はよりリアリティのある作品が好きになって来まして。意外と『コクリコ坂から』とかも好きですね。
まあ、ジブリアニメの何が一番好きかは、人によって違いますし、下手に優劣を付けようとするとそれだけで論争になってしまいそう。


さて、ようやく書けました『アクタージュ オペラ座の怪人』今回でようやく完結です。
果たしてどのような結末になったか、ちょっと駆け足気味になってしまった感はありますが、どうかじっくり読んでくれるとありがたいです……!


アクタージュ オペラ座の怪人 其の④

「——ほぉ~……こりゃすげぇな。これが、オペラ座の裏に広がる地下迷宮……ってやつか」

 

 暗い地下通路を懐中電灯の灯りを頼りに進んでいく一行。青田亀太郎の口からは観光名所に感銘を受けるようなため息がこぼれ落ちる。

 そこはオペラ座の怪人が潜むとされる地下世界。かの怪人の亡霊が劇団天球のホーム地下に許可もなく『再現』した彼のかつての根城だ

 作中でも怪人はこの地下に隠れ住み——そしてここで育ったとされる。

 

 

 元々、パリのオペラ座・ガルニエ宮は1875年に建てられた歌劇場だ。

 当時の最先端技術で建造された豪華絢爛な劇場は、きっと人々の胸を打つような、煌びやかな装飾が数多く施されていただろう。

 しかしあまりにも広大、かつ複雑な構造からオペラ座の関係者の間ではその裏で蠢く『何者か』の存在がまことしやかに囁かれていた。

 

 その影を——『得体のしれない怪人』だと噂するものもいた。まるでその噂を肯定するかのように、シャンデリアが落下するなどの事故や、殺人事件まで起きたという話だ。

 オペラ座の怪人の著者であるガストン・ルル―もその噂話からインスピレーションを受け、かの物語を執筆したのか。

 

 あるいは、本物の怪人の伝記でも描こうとしたのか。

 今となっては何が真実なのか、それを確かめる術はない。

 

 だが今この瞬間、この地下世界に『オペラ座の怪人』を名乗るものがいることは間違いない。

 この通路の先に怪人が、そしてクリスティーヌとして連れ去られた夜凪景にいるのだ。彼女を助けるためにも、彼らはこの先へ進んでいかなければならない。

 

 

「ふ~ん……迷宮って言うよりは、下水道って感じの造りだね。これが……怪人の見ている世界か……」

 

 明神阿良也は役作りのためか、警戒しながらも地下世界の風景をその瞳に焼き付けていた。

 地下に広がる怪人の迷宮だが、造りとしては単純な下水道といった感じだ。特にこれといって妙な仕掛けが施されている様子は見られない。

 

「異臭はしますけど……生き物の気配がありませんね」

 

 しかし、そこがただの下水道とは違うことを星アキラは感じ取っていた。異臭などの匂いこそリアルに嗅ぎ取れるが、そこにネズミや害虫などといった生命体の生きている痕跡は見当たらない。

 その地下通路が所詮は造りものでしかないことを証明するよう、ただひたすら静寂に包まれている。

 

「こっちです。こっちの方から……色濃い妖気が流れてきます」

 

 道中、何度か分かれ道などに遭遇するも、そこは鬼太郎の妖怪アンテナがより濃い妖気の方角を指し示すことで迷わずに済んだ。

 一行は特に目立ったトラブルにも見舞われることなく、黙々と黒闇の中を歩いていく。

 

 

 そうして、どれだけの時間歩き続けただろうか。

 真っ暗な通路の向こう側に——ふと怪しい光が差し込んできた。

 

 

「灯りじゃ……皆の衆、気を引き締めるんじゃぞ!!」

 

 これに目玉おやじがやや興奮気味に声を上げる。

 地下迷宮の終わり、そこにきっと怪人がいる筈だと。さらに警戒心を強めながら、一行は光が灯るその空間内へと足を踏み入れていく。

 

 

 

 

 

「——こ、これは!?」

 

 その空間を照らしていた光は、壁に立て掛けられた燭台の蝋燭だった。暗闇の中で無数に揺らめく紫色の炎が、その空間内を不気味に照らしている。

 空間そのものに遮蔽物の類はなかったが、一つだけ。誰の目ですらも釘付けにする『それ』が空間の奥に鎮座していた。

 

「あれは……オルガンか?」

 

 それは、一際巨大な——『パイプオルガン』だった。オペラ座においても欠かすことのできない巨大な演奏装置である。

 まるでその空間内を支配するかのように、巨大なオルガンがそこに聳え立っている。

 

「随分と立派な……あれ? あのオルガン……何か妙じゃないか?」

 

 そのオルガンの見事な佇まいに思わず呆然と立ち尽くす亀太郎。しかし、すぐにそれがただのオルガンでないことに気付く。

 

 一見すると立派なオルガンにも見えるのだが、その所々に——『人間の白骨』らしきものが部品として使用されているのだ。

 オルガンの中央部には、まるでシンボルのように骸骨も添えられている。

 

「……死臭がする。本物だね……あの髑髏……」

「なっ!? まさか……人間の死体で!?」

 

 これには流石の阿良也も不愉快そうに顔を顰め、アキラの表情からも血の気が引いていく。

 

 そう、そのオルガンには『人間の骨』がパーツとして使われていた。生者として本能的な不快感が込み上げてくるだろう、悪趣味にして残忍な禍々しい人体芸術。

 それが、オペラ座の怪人という男の本性なのか。あるいは——人々が怪人という存在に『そのようなイメージを膨らませている』が故なのか。

 いずれにせよ、奴が身も心すらも怪人であることを、そのオルガンが証明していただろう。

 

「うっ……!」

 

 その死の芸術を前にアキラは込み上げてくるものを抑えきれず、口元を押さえてその場に蹲る。それは人として当たり前の反応であり、誰も彼を責めることなど出来はしない。

 

 

 だが、その脆弱さを突くように——。

 

 

『——我が聖域を踏み荒らす、愚か者め』

 

 

 怪人は、音もなく忍び寄ってくる。

 皆が禍々しいオルガンに呆気に取られていたその一瞬、天井からアキラを——ラウル子爵を狙って舞い降りて来る。

 落下の速度に任せたままの鉤爪の一撃が、アキラの首元を正確に指し貫こうと迫った。

 

 

「——星さん、下がって!!」

 

 

 だが、その凶刃は寸前のところで鬼太郎によって阻止される。鬼太郎の変幻自在のリモコン下駄が怪人の身体そのものを吹き飛ばし、奴の魔の手からアキラを救う。

 

「はっ!? あ、ありがとう……鬼太郎くん!」

 

 九死に一生を得たアキラが鬼太郎に礼を言う。

 

『——ぐっ……! おのれぇ……貴様は何者だ!? 何故……私の邪魔をする!?』

 

 吹き飛ばされた怪人の方は、すぐに身を起こしながら醜悪に顔を歪めて鬼太郎を睨み付けた。

 鬼太郎は役者ではない。どの配役にも当て嵌まらない存在だったが、何度もその暴虐を阻止したことで怪人に『敵』として認識されたらしい。

 舞台に無遠慮に上がるイレギュラーな存在に、何故自分の邪魔をするのかと怪人は問い掛ける。

 

「ゲゲゲの鬼太郎だ。オペラ座の怪人……夜凪さんはどこだ? 彼女を攫って何をするつもりだ?」

 

 怪人の問い掛けに、鬼太郎は逆に聞き返す。

 

 怪人が景をクリスティーヌと認識していることは分かったが、鬼太郎としてはそれはどうでもいい。大事なのは彼女を——クリスティーヌを怪人がどのように扱うか。

 まさか、あのオルガンの部品として組み込むつもりかと。既に『そうされている可能性』に鬼太郎は戦慄する。

 

『——彼女は、クリスティーヌは私のものだ!! 私の……私だけの歌姫!! 誰にも……誰にも渡さない!!』

 

 鬼太郎の問い掛けに、怪人は答えになっているかどうか判断がつかない解答をする。亡霊としても、怪人としても、彼は既に狂った狂人だ。もはやまともな意思疎通すら困難だろう。

 

 会話による説得はやはり不可能かと。鬼太郎も覚悟を決めてオペラ座の怪人と対峙していく。

 

 

 

『——エリック!!』

 

 

 

 だがその場に——少女の悲鳴が木霊したことで事態は急変していく。

 

 

 

×

 

 

 

「よ、夜凪? あいつ、いったい何を……」

 

 反対側、怪人のすぐ近くから姿を現した夜凪景に亀太郎が訝しがる。

 彼女は西洋風のドレスを身に纏い、エリック——オペラ座の怪人の本名を叫びながら彼に懇願するように寄り添っていた。

 とりあえず無事な姿に一安心だが、明らかに様子がおかしい。いったい彼女の身に何が起きているのか。

 

「夜凪、完全に芝居に入ってるね……」

 

 それを阿良也は一目で、『景がクリスティーヌを演じている影響』だと見抜く。きっと怪人に連れ去られた今の今まで、ずっとクリスティーヌとして怪人と接し続けていたのだろう。

 やはり彼女は役者だ。たとえどんな危機的状況であろうとも、それすらも『喰らって』己の芝居の糧にしようとしている。

 

「いいね。いい表情をするようになったよ、クリスティーヌ……」

 

 こんなときでありながらも、阿良也は彼女のブレない役者としての有り様を、その芝居を褒め称えている。

 

 

 

 ——夜凪くん……キミは……やはり怪人に惹かれているのか?

 

 その景の芝居を、星アキラは複雑な思いで見つめていた。

 

『——クリスティーヌ、部屋で待っているように言ったじゃないか……』

『——エリック、私の音楽の天使。もう止めて、これ以上……罪を重ねるのは……』

 

 エリックとクリスティーヌ。互いに名前を呼び合う二人の間には、確かな『絆』のようなものが垣間見える。

 それを『愛』と呼ぶかどうかは分からない。だがその絆は、怪人が音楽の天使としてクリスティーヌを導いてきたからこそ得られたものだ。

 音楽という芸術が、才能が。二人の関係をより強く結びつけているように思える。

 

 

 それは、『音楽の才能が乏しい』ラウルでは——『芝居の才能が乏しい』星アキラでは得られない結びつきかもしれないと、かつての自分自身の境遇へと重ねていく。

 

 

 ——分かっているさ。やはりボクでは……夜凪くんや阿良也さんのような芝居は出来ない。

 

 星アキラはずっと苦悩を繰り返してきた。役者としての才能が乏しいこと。景や阿良也のように、万人を魅了する凄まじい芝居が自分には出来ないことを。

 勿論、その事実に絶望している訳ではない。今の自分には他者を、主役を輝かせる美しさ『脇役』としての道が示されている。

 主演と助演に優劣などない。寧ろ助演でしかできない芝居もあるのだから、それが求められる自分の立ち位置に今は満足している。

 

 だがそれでも、それを分かっていても手を伸ばしたくなってしまうときがあるのだ。

 彼女の——夜凪景のような芝居を、彼女が見ている世界を自分も見てみたいという思いが、心の奥底では未だに燻っている。

 

 ——届かないかもしれない……それでも、ボクは……!!

 

 もしかしたら、自分では決して辿り着けない場所に景は立っているのかもしれない。

 それでも、アキラは諦めたくないという葛藤を胸に秘めたまま。

 

 

 届かない星に向かって、手を伸ばしていく。

 

 

『——クリスティーヌ!!』

 

 怪人とクリスティーヌ。決して入り込めない絆が芽生えたかに見えた二人の間を裂くように、アキラは——ラウル子爵は声を上げた。

 

「!?」

「あ、アキラ……?」

「…………」

 

 いきなりラウルとしての芝居を始めた彼に鬼太郎や亀太郎は面食らっているが、阿良也は何も言わずに見守ってくれている。

 アキラは周囲の反応など気にも留めず、ただラウルとしてクリスティーヌへ言葉を投げ掛ける。

 

『——必ずキミを助ける! 怪人……お前の思い通りになどさせない!! クリスティーヌを……返してもらうぞ!!』

 

 それは、もしかしたら余計な横槍なのかもしれない。共感できない二人の絆に無粋に立ち入る、自分こそが邪魔者なのかもしれない。クリスティーヌの気持ちがどちらに傾いているか分からない現状では、それを確かめる術はないだろう。

 だがラウルなら、クリスティーヌをただひたすらに想っている彼ならば、たとえ何者が相手であろうと手を伸ばしただろう。

 クリスティーヌは誰にも渡さない。愚かしくも純粋なその想いだけは、決して怪人にだって負けはしない。

 

 そうして、差し伸ばされたアキラことラウルの手に——。

 

 

『——ありがとう……来てくれたのね、ラウル!!』

 

 

 景も、クリスティーヌも手を差し返す。

 明るくなったその表情を見れば分かる。今この瞬間、確かにクリスティーヌはラウルが来てくれたことを心の底から喜んでくれている。

 ラウルとクリスティーヌ。互いに想い合う気持ちが確かに通じ合ったと、誰の目から見ても明らかな場面であった。

 

 

『——ラウル!! 貴様は……どこまで私の邪魔をっ!!』

 

 

 そんな二人の仲に、怪人は心を激しく掻き乱される。

 自分を慕ってくれていると思っていた愛しい女性が、別の男性にその笑顔を向けている。怪人は男としての自尊心を激しく傷付けられ、その顔に嫉妬と憤怒の感情を浮かべていく。

 

 

 

 

 

「——醜いな」

『——なんだと?』

 

 

 

 

 

 そんな怪人の姿に、ボソリと呟くものがいた。

 これに怪人がギロリと、発言者——明神阿良也を睨みつける。

 

「お、おい……あ、阿良也?」

 

 空気を読まない彼の言葉に亀太郎が止めに入るが、阿良也は全く動じなかった。

 怪人を挑発するような言葉を投げかけながら——その醜い表情をもっと間近で見たいとばかりに、その側へと歩み寄っていく。

 

「なるほど……これは醜い。嫉妬に狂ったその姿……実にみっともない」

「さ、下がってください! それ以上は危険ですよ!?」

 

 鬼太郎が無防備に怪人へと近づこうとする阿良也を静止しようとするも、彼は全く意に介そうともしない。

 

「なんてこともない。あんたは単純に嫉妬しているだけなんだな。ラウルに……いや、クリスティーヌを取り巻く全てのものに。彼女と陽の当たる世界で過ごせる何もかもが……あんたには許せないんだ」

『——っ!!』

 

 それは、まさに怪人の心情を的確に射抜いた言葉だった。

 研ぎ澄まされた演技力で怪人の真にまで迫った阿良也だからこそ、その胸に秘められた目を逸らしたくなるほどの黒い情動にまで気づいてしまう。

 

「だからクリスティーヌを連れ去った。あいつを光照らされる世界から引き摺り下ろして……自分と同じ闇の世界の住人にしたかったんだ」

『——や、止めろ……み、見るな……』

 

 今の阿良也は、まさに怪人の心を移す鏡そのものだ。己の醜さを正面から突きつけられた怪人は、ただの人間である筈の阿良也相手に怯えたように後退していく。

 

「ああ、そっか。あんたも所詮は……人間でしかなかったんだな」

 

 怯える男のそんな姿に、阿良也は彼が『人間』だったことを思い出す。

 

 怪人などと恐れられ、悪魔のような所業に手を染め、人々から怪物のような幻想を抱かれようと——エリックという男は本来であればただの人間。

 今の彼がどういった存在として成立しているかは知らないが、少なくとも原典での彼はクリスティーヌを愛し、彼女を手に入れるために犯罪に手を染めた——殺人鬼に過ぎない。

 

 

「あんたはただの人間だよ。嫉妬に狂った……惨めで憐れな……どこにでもいる平凡で愚かな人間だ」

『——止めろ!! それ以上! 私を……見透かすな!!』

 

 

 それ以上は聞いてもいられない。阿良也の口を物理的に塞ごうと、怪人は必死の形相で彼に向かって飛び掛かる。

 

「阿良也さん!?」

 

 それに鬼太郎が、彼を守ろうと割って入ろうとするのだが——。

 

 

「——まっ……そうなるよね、図星を刺されちゃ……」

 

 

 その動きを予測していた阿良也は、地下突入前から準備していた護身用の武器を構える。

 

 彼の肩に掛けられていた細長いケース。そこから取り出された装備——それは先端が黒光りする一丁の『猟銃』だった。

 阿良也はその銃口を怪人へと向け、躊躇うことなく発砲。鉛の弾丸を一発、怪人へとお見舞いする。

 

 

『——ガッ!?』

 

 

 銃声と共に響き渡る、怪人の短い悲鳴。放たれた一撃は顔面に命中し、怪人は悶絶するように顔を抑えてその場に蹲ってしまう。

 

「ちょっ!? 阿良也、お前!?」

「阿良也さん!? 何やってるんですか!?」

 

 阿良也のまさかの反撃に、怪人のみならず身内からも驚愕の声が上がる。アキラなど、あまりに驚き過ぎて芝居が解けてしまっている。

 

「大丈夫、大丈夫。俺免許持ってるし」

「そういう問題じゃないですよ! 夜凪くんに当たったらどうするんですか!?」

 

 仲間の反応に、阿良也は免許があるから問題ないと平然としている。事実、阿良也は役作りの一環で猟銃の資格を取っており、実際に熊を仕留めたこともあるほどの腕前だ。

 だが、アキラは誤射を恐れて怒ったように叫ぶ。ちゃんと怪人に命中したからこそまだ良かったものの、もしも狙いが逸れて景にでも当たったらどうするつもりだったのかと。

 

「そんなヘマはしないよ。けど……」

『——ぐぅ、お、おのれぇ……!』

「今ので致命傷にならないってことは……やっぱりこいつ、肉体の方は人間じゃないみたいだね……」

 

 アキラの心配をよそに、阿良也は猟銃を構えたままの姿勢で怪人と対峙する。

 

 怪人の精神性をただの人間だと見破った阿良也。しかし猟銃の一撃をまともに喰らっても怪人は悶絶する程度だ。この地下を創り出した不可思議な力といい、その肉体はやはり人のものではないらしい。

 オペラ座の亡霊——人ならざる怪物が相手ともなれば、やはり阿良也にはこれ以上の致命傷を与えることが出来そうにもない。

 ここは素直に鬼太郎に任せるべきかと、阿良也は怪人から少しづつ距離をとっていた。

 

 

 

『——え、エリック!! 怪我を……』

 

 するとここで景が、クリスティーヌが動きを見せる。

 怪人がよろめく光景に彼の怪我を手当てしなければと思ったのか。クリスティーヌとして怪人の元へと歩み寄り、彼が手で覆っている部分を診ようとする。

 

 

 だが——。

 

 

『——っ!!』

 

 

 その直後、景が凍りつくように固まる。

 

 

「——!?」「っ……!!」「……っ!」

 

 彼女だけではない。阿良也もアキラも、亀太郎も。鬼太郎や目玉おやじでさえも——皆の顔が恐怖で引きつっていた。

 

 

『——あ、嗚呼? アアアアアア!?』

 

 

 怪人の絶叫が木霊する。

 撃たれた痛みに苦しんでいるのではない。銃撃によって自身の『仮面』が弾き飛ばされてしまったことに気が付いてしまったからだ。

 

 その仮面の下の素顔が、白日の下に晒されている。

 その醜い容姿を覆い隠すマスクの下は——まさに、この世のものとは思えないほどの悍ましさを孕んでいた。

 

 腐ったように爛れた皮膚、ガリガリに骨張った骸骨のような面構え。その全てが、目を覆いたくなるほど醜かった。

 その醜さを前にすればどんな純真な心の持ち主だろうと、まずは恐怖を抱かずにはいられない。

 

 怪人のことを、音楽の天使と慕っていたクリスティーヌでさえも——。

 

『——ひっ!?』

 

 その悍ましさの前に、思わず声を上げてしまう。愛しい人が自分に悲鳴を上げ、嫌悪感のこもった視線を向けてくる。

 その絶望を前に怪人は——。

 

 

 

『————見たな?』

 

 

 

 聞くものの心胆を寒からしめるような冷たさで呟く。自分の正体を暴いた阿良也に、それを目撃した全てのものに、その禍々しい眼球を向ける。

 そのあまりの陰惨たる様に、相対するものたちは言葉すら出てこない。

 

 

『——私の素顔を……この醜い顔を……!!』

 

 

 絶句する彼らに、怪人は尚も憤怒に染まっていき——。

 

 

『——よくもクリスティーヌの前で晒しものにしてくれたな!?』

 

 

 その顔をさらに醜悪に歪めながら憎悪を込めて叫ぶ。そんな怪人の底なしの怨嗟に呼応するかのよう——。

 

 

 その空間内を支配するように鎮座していた『巨大なパイプオルガン』が一人でに旋律を奏で始めた。

 

 

 

×

 

 

 

「なっ!? こ、この曲は!!」

 

 突如動き出したパイプオルガンは、オペラ座の怪人を知るものであれば誰もが聞いたことのあるメインテーマ、あの恐怖の旋律を奏で始めた。不気味に響き渡るメロディが、聴くもの全ての背筋を震わせる。

 だが、それはただ音楽を奏でるだけのものではなかった。死体で組み上げられた演奏装置はまさに死者たちの絶叫のように、聴くものの精神を激しく蝕んでいく。

 

「こ、こいつは……!?」

「っ!?」

「ぐぅうううぅ!?」

 

 これに普通の人間は耐えられない。耳をつんざく不快音に役者たちが全員、その場に苦痛に満ちた表情で蹲ってしまう。

 

「くっ……き、鬼太郎……耐えるんじゃ!!」

「は、はい……父さん……ですが、これは……!!」

 

 目玉おやじや鬼太郎ですらも膝を付いていた。妖怪である彼らにもそれは耐え難い不協和音だった。何とか反撃を試みようとするが、その音響の嵐の中では鬼太郎も身構えることすら出来ない。

 

『——ハッハハハハハッハ!! 死ね!! 死ね!! 死ね!!』

 

 身動きできない彼らを嘲笑うように、怪人は声を荒げた。

 もはや体裁を取り繕う必要もない。その醜い素顔を堂々と見せつけながら、その醜悪な内面を余すことなく晒け出しながら。怪人は全てを呪うように絶叫する。

 

 

 

『——い、いや……も、もう、やめて!!』

 

 

 

 だがそんな怪人の凶行を阻止しようと、景が——クリスティーヌは勇気を絞った。

 クリスティーヌを傷つけないようにという、怪人の良心でも作用していたのか。パイプオルガンの怪音波も景にだけは効果を及ぼしていない。

 彼女は怪人の凶行を止めようと、必死に彼を説得しようとする。

 

『——お願い、もうやめてエリック! こんなことを続けていたら、貴方は本当に……誰からも愛されない怪人になってしまうわ!!』

 

 クリスティーヌにとってエリックは『音楽の天使』でもある。自分に音楽を教えてくれたときのような、穏やかな彼に戻って欲しいとクリスティーヌは懇願する。

 

『——ハッ!! 愛……愛だと!?』

 

 しかし、愛する彼女の言葉でも怪人は止まらない。

 

『——お前が私を愛していないことなど最初から分かっている!! 私の顔を見て恐れただろう!? どんな女だってそうだ!!』

 

 もはや天使の面影などどこにもなく、狂気に満ちた悪魔の如き嘲笑で、彼はクリスティーヌを責めるように吐き捨てた。

 

『——私が貰った母からの初めてのプレゼントは……『母がこの顔を見ない為』の仮面だった!!』

『——!!』

『——誰も……私を心から愛したりなどしない!! だから私は……この手を悪逆に染めるしかなかったんだよ!!』

 

 

 エリックは、産まれたときから醜い容姿をしていたとされ、実の母親からも愛を受けることはなかった。偏見や差別で多くのものから迫害を受け、やがては生きるために犯罪に手を染めていく。

 さらには見世物小屋に売り飛ばされ、『悪魔の子』として奇異の視線に晒される日々。

 そうして、最後に行き着いたオペラ座の地下で、身を隠すように生きることを強いられていく。それらの不幸な生い立ちが、彼を恐ろしい怪人に変えてしまったのかもしれない。

 

 

『——さあ選べ、クリスティーヌ!! 彼らを見殺しにするか!! それとも彼らを助けるために、私のものになるか!!』

 

 怪人の捻じ曲がった醜悪さは留まることを知らず、醜い欲望がクリスティーヌに残酷な二択を迫っていく。

 

 

 

 

 

 ——ああ……何て恐ろしい……。

 

 ——そして……何て悲しい人なの……エリック……。

 

 皆の命を盾に自分に残酷な選択肢を迫る怪人。

 そんな彼を景は心底から恐ろしい人だと思いながらも、クリスティーヌとしては心の底からエリックを憐れだと思った。

 

 ただ純粋に愛を求め、歌姫と過ごす日々に手を伸ばしたエリック。けれどその想いは、他の男の登場で醜く歪んでしまった。

 せっかく掴んだ自分にとっての『救い』を手放したくなくて、彼は無理矢理にでもクリスティーヌを自分の物にしようとした。

 

 彼自身『悪逆に手を染めるしかなかった』と言ったように、きっとそれ以外の方法を知らなかったのだろう。

 母親からもまともな愛情を受けてこなかった彼には、そうする他にどうすればいいか分からなかったのだ。

 

 血と暴力によって目的を果たすしかなかった怪人に、善良な人間として嫌悪感を抱きつつも。

 それと同じくらい、景は彼が悲しい人だと憐れんだ。

 

 

 だから、これはただの同情に過ぎないのかもしれない。

 彼にどんな感情を抱いていたかどうか、クリスティーヌの本当の想いを今の景では表現しきれない。

 

 

『——可哀想……可哀想なエリック……』

 

 

 けれど、景は怪人をそっと抱き寄せた。そして正視に耐え難い彼の顔を直視しながら——その頬にそっと口づけをする。

 きっとクリスティーヌであればこうしていただろうと、彼女の意思を代弁するかのように。

 

 

 

『——あ、嗚呼? 嗚呼……嗚呼アアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』

 

 

 

 クリスティーヌの接吻に、怪人は激しく頭を揺さぶる。

 愛を知らなかった男が、曇りのない無償の愛を与えられる。それは痛みを受けるよりも、蔑みの視線を向けられるよりも激しい心の揺れ動き。

 押し寄せる感情の波に思考が追いつかず、怪人はどうしていいか分からず苦しみに喘ぐしかなかった。

 

「……!! お、音が……止んだ?」

 

 怪人が苦悩していることに影響したのか。あれほど五月蝿く鳴り響いていたパイプオルガンが演奏をピタリと止めた。それにより自由の身となる役者たち。

 

「——!!」

 

 鬼太郎も素早く起き上がる。これを好機と捉えた彼はそのまま、怪人に向かって身構えていく。

 

「…………」

 

 僅かな迷いはあった。目の前で苦しんでいる怪人に対し、何も思わなかった訳ではない。

 しかし、ここは役者たちの安全を確保するのが最優先だと自身に言い聞かせ。

 

 

「——指鉄砲!!」

 

 

 鬼太郎は怪人を打ち倒すべく、必殺の一撃を撃ち放つ。

 

 

『——ぐああああああああああ!!』

 

 

 指鉄砲に貫かれた怪人が断末魔の悲鳴を上げていく。

 

 

『——エリック!?』

 

 

 致命傷を受ける怪人——エリックに向かい、景は最後までクリスティーヌとして叫んでいた。

 

 

 

 刹那、怪人を中心に光の奔流が辺り一体を包み込んでいき——。

 

 

 

×

 

 

 

「…………ここは?」

 

 夜凪景は目を覚ます。

 つい先ほども、怪人の住処という見知らぬ場所での意識の覚醒を経験した景だったが、そこは彼女にとって見知った場所であった。

 照明の灯りに、簡易的な客席。何より役者が芝居を演じるためのステージがある。劇団天球の稽古場で間違いない。

 怪人が創り出した地下世界から一転、景を始めとした皆がそこで横たわっていた。

 

『ラウル……あ、アキラくん……」

 

 景はまずはすぐ側で倒れていた星アキラ。咄嗟にラウルと勘違いしてしまいそうになったが、なんとか実名で彼の名前を呼びかける。

 

「よ、夜凪くん。良かった、無事だったんだね……」

「……それはこっちの台詞よ……もう~!」

 

 アキラは目を覚まして早々、景の無事にホッと胸を撫で下ろす。 

 頭に包帯を巻くような怪我をしているのは自分だろうに、真っ先に他人を心配するアキラに景は微笑みを浮かべた。

 

「あれ? 俺たち……いつの間にこんなところで?」

「……やあ、おはよう夜凪」

 

 続いて、亀太郎や阿良也が意識を取り戻す。

 亀太郎は何故自分たちが地下ではなく、こんな場所で気を失っているのかと疑問符を浮かべているが、阿良也にいたってはマイペースで景に呑気な挨拶をする。

 どうやら、彼らの身体にも異常らしきものはないらしい。自分を助けに来てくれた友達が全員何事もなく、景は安堵感に包まれていく。

 

「——皆さん! 気を付けて!!」

 

 ところが安堵するのも束の間。景たちよりも先に目覚めていたのか、ゲゲゲの鬼太郎か油断ない視線をステージ上へと向ける。

 

 

『————————』

 

 

 視線の先に佇んでいたのは怪人だった。

 彼の創り出した地下迷宮こそ消滅したが、その本体は未だにこの劇団天球に留まっている様子。しかしその姿に先ほどまでの狂気は全く感じられない。

 憑き物が落ちたような穏やかな表情に、半透明な姿。次の瞬間にも儚く散ってしまいそうな、朧げな存在へと成り果てた。

 

 きっとその姿を保っていられるのも限界なのだろう。今にも消えそうなかすれた声で、怪人は景へと語りかけていく。

 

 

『——クリスティーヌ……いや……お前がクリスティーヌでないことは……初めから分かっていた」

「——!」

 

 その瞳の奥に、怪人はクリスティーヌという幻想を既に映してはいなかった。景という一人の少女に向かって、彼は自らの罪を懺悔するように言葉を紡いでいく。

 

「だが分かっていても、求めずにはいられなかった。クリスティーヌ……我が愛しき歌姫。彼女への執着だけが私という存在を形作る……」

 

 それは、彼が『オペラ座の怪人』であれば仕方がないことだ。

 怪人である彼がクリスティーヌを求めることは、アイデンティティそのものだと言ってもいい。

 

 たとえ景でなくとも、誰かが舞台の上でクリスティーヌを演じれば、その女性をクリスティーヌとして、亡霊は再び動き出す。

 これは終わることなく、永遠にクリスティーヌを求め続けなければならない、怪人としての運命だ。

 

 彼自身どうすることもできず、この流れを終わらせるには——その未練を断ち切ってやる必要があった。

 

「…………」

 

 夜凪景は、その手段を理解していた訳ではない。

 役者でしかない彼女には、ただ流されるままにクリスティーヌを演じることしかできなかっただろう。

 

「——エリックさん」

 

 だが景は、クリスティーヌを演じた一人の役者として、怪人に声を掛けていた。

 

「あなたの言うとおり。私……クリスティーヌじゃないの。だから、彼女が本当は誰を愛していたか……今の私じゃ……演じきれない」

 

 景は家族への『愛情』を知っている。友達への『友愛』にも覚えがある。

 けれど怪人やラウルのように、狂おしいほどに異性を欲する『愛』を彼女はまだ知らない。そんな自分ではこの愛憎劇において誰を愛していたのか、その答えを導き出すことができないと自覚する。

 

 けれど、そんな彼女にも。

 一つだけ。これだけは確かだと確信を持って言えるクリスティーヌの気持ちがあった。

 

「けどクリスティーヌはきっと、エリックさんには感謝していると思うわ……音楽の天使」

「——!!」

 

 そう、音楽の天使。クリスティーヌは当初、姿を見せずに語り掛けてくるエリックをそのように呼び慕っていた。

 その天使の熱心な指導のおかげで、クリスティーヌがプリマドンナとしての才能を開花させたのも事実だ。

 

「私も……あなたに音楽教えてもらえている間は、とても楽しかった」

 

 景自身も、エリックから音楽の指導を受けていた。

 彼と一緒に音楽に興じた時間は本当に楽しくて、自分が恐ろしい怪人に捕まっているんだという事実も忘れてしまうほどであった。

 

 きっとクリスティーヌも、そんな楽しい時間を過ごしていたことだろう。

 それだけは確かだったと、景は胸を張って言える。

 

 

「——だから、ありがとう! 私に……音楽の素晴らしさを教えてくれて!!」

 

 

 だから景は怪人にお礼を口にする。クリスティーヌも、きっとそれだけは同じ想いをだったと信じて——。

 

 

「ありがとうか……ふ、ふふ……はははっ!!」

 

 思いがけない感謝の言葉にエリックは笑顔を浮かべる。手放しで褒められた少年のように、大きな笑い声を上げていた。

 

 

「——私はその言葉が聞きたくて……長い時間の中を延々と彷徨い続けたのかもしれんな……」

 

 

 その感謝の言葉一つで、何もかも救われた気がした。

 自分がこうして亡霊として生まれた意味を、諭されたような気さえしたのだ。

 

 もう未練はない。

 もう十分だと、その言葉を胸に秘めたままに——エリックは逝く。

 

 

 瞬間、彼の身体はガラスのように砕け散り、その破片すらも風に吹かれて消えていった。

 

 

 

 

 

「あっ……エリックさん!?」

 

 跡形もなく消えていく怪人に向かって、景は思わず駆け寄った。クリスティーヌとしてではない、音楽の天使と穏やかな時間を過ごした一人の少女として、純粋に彼との別れを惜しんだ。

 けれどその思いも虚しく、最後には彼に触れることすら叶わない。何もかもが消えて、最後に残ったものは——。

 

「これって、怪人の仮面……?」

 

 怪人の顔を覆い隠していた仮面。それだけが遺品のように、怪人が立っていた場所に残されている。

 

「むっ? 少しいいかのう、夜凪くん」

 

 その仮面に目玉おやじが興味を示した。それを鬼太郎に手に取ってもらい、まじまじと観察していく。

 

「鬼太郎、この仮面……」

「はい、父さん。微かですが……妖気の残り香を感じます」

 

 鬼太郎も気が付いたように、その仮面からは怪人と同質の妖気が感じられた。もうほとんど残されていないが、その仮面があの怪人のものだということに疑いはないだろう。

 

「——なるほど、この仮面があの怪人の正体というわけじゃ。この仮面を起点に怪人は怪異として成立していた……ということじゃろう」

 

 目玉おやじは自身の知識を総動員し、その仮面から怪人の成り立ちを推測する。

 

 

 あの怪人は、百年前に実在していたかもしれないエリック本人ではない。

 恐らくこの呪物——『オペラ座の怪人』で使用されていた仮面そのものに意志が宿り、自らで肉体を構築して動き始めたというところ。

 日本でいうところの『付喪神』に近い性質なのだろう。

 

 

 そう、この仮面こそが——劇団関係者の間で都市伝説となっていた『亡霊』の正体だったのである。

 

 

「この仮面はわしらの方で預かっておこう。もう二度と……あやつが亡霊として人々に危害を加えないようにな……」

 

 正体を知った以上、放置しておく訳にもいかない。

 もう二度とオペラ座の亡霊が姿を現さないよう、目玉おやじはその仮面に封を施すことに決める。

 

「お願いします。きっと彼も疲れていたと思うから。ゆっくり休ませてあげてください……」

 

 景もその決定に同意し、仮面は鬼太郎たちに託すことにした。

 きっと亡霊も眠りたがっているだろうと、エリックと名乗ったあの青年のことを思いながら——。

 

 

 

 

 

 そうして、オペラ座の怪人は消え去った。

 暫くの間は、その余韻にしんと静まり返る小劇場内だったのだが。

 

 

「——景ちゃん!!」「——景!?」「——夜凪さん!!」

 

 

 直後、そこに大勢の人たちが駆け込んで来たことで一気にその場が騒がしくなっていく。

 

「!! ゆ、雪ちゃん? それに、七生さん……み、みんなも! どうしてここに!?」

 

 稽古場に雪崩れ込んできたのは、柊雪や三坂七生。そして他の劇団天球の劇団員たち、ほぼ全員であった。壁に立て掛けられた時計に目を向けるが、やっと夜明け前といった時間帯だ。

 こんな時間からどうしてみんながと、景は疑問符を浮かべる。

 

「俺が声を掛けといたんだよ。地下に突入する前に連絡を回すように頼んどいたのさ!」

 

 すると亀太郎が笑顔で告げた。

 どうやら彼が景のことが皆に伝わるよう、気を回してくれていたらしい。連絡を受けたものから順に集まっては、ここで景たちの帰りを待ってくれていたようだ。

 

 

 

「鬼太郎!!」

「ね、猫娘……」

 

 その中には七生の護衛という立場だった猫娘もいた。彼女はひどくご立腹な様子で、鬼太郎へと詰め寄っていく。

 

「アンタね……なんで私の到着を待たなかったのよ!! 

「す、済まない……その、今回は時間もなかったから……」

 

 猫娘は鬼太郎が自分の到着を待たず、男たちだけで夜凪景を助けに地下に降りていったことを怒っていた。

 鬼太郎は景の救助にあまり時間を掛けたくなかったという言い訳を述べるが、それもあまり効果はなく。

 

「全く……本当にアンタはそうやって抱え込んで……って聞いてんの!?」

 

 いつもいつも自分を置いて無茶ばかりする鬼太郎に、猫娘はお叱りの説教をしていく。

 

 

 

「景ちゃん大丈夫!? 身体は!? どこも怪我してない!?」

 

 一方、押しかけて来た人たちを代表し、柊雪が景に怪我がないかを確かめていた。柊は景にはどこか保護者のようなところがあり、その光景はまさに我が子を心配する母親のようであった。

 

「大丈夫よ、雪ちゃん。みんなが……私を助けてくれたから!」

 

 柊の過保護っぷりに景は僅かに頬を染めつつ、自分を助けに来てくれた仲間たちに目を向ける。

 

「ボクたちは何も……」

「礼は要らないよ。俺としてもいい経験になったからね」

 

 その視線にアキラは申し訳なさそうに首を振り、阿良也はこれも役作りの一環だと素っ気なく答える。

 鬼太郎と違い、彼らが直接的に怪人の打倒に役立った訳ではない。自分たちなど何の助けにもなっていなかったのではと、謙遜ではなく本気でそのように考える。

 

 けれど、そういうことではない。

 来てくれただけでも心強かったと、景は重ねて礼を口にしていく。

 

「ううん……来てくれただけで嬉しかったわ、アキラくん……阿良也くん……あ、あと亀太郎さんも!」

「あれ? なんか俺に対する感謝だけ軽くない?」

 

 亀太郎にだけは、何故かついでのように声を掛ける景。

 それに周囲からどっと笑い声が上がり、皆が和やかなムードに包まれていく。

 

「まっ、なんにせよだ! 怪人も成仏したみたいだし……景も無事だった。これで何の問題もなく舞台を続けることができるってもんだよ!」

 

 めでたしめでたしと。最後には亀太郎がそのように話を締め括っていく。

 

 

 

 

 

「——あれ? ねぇ……ちょっと、鬼太郎くん……その仮面?」

 

 だが、ここで柊雪が鬼太郎に声を掛ける。彼女は鬼太郎の手に渡った、怪人の仮面に着目しているようだった。

 

「はい? なんでしょう……この仮面がどうかしましたか?」

 

 鬼太郎は柊の問い掛けに答える形で、その仮面を彼女に差し出す。

 怪人の意志が宿っていた危険極まりない代物だが、今のところはただの仮面。後で厳重に封じる必要はあるが、現時点ではそこまで警戒する必要もなかった。

 

「う~ん……ん?」

 

 柊は受け取ったその仮面をまじまじと見つめる。この時点で、彼女はそのマスクが今回の騒動の元凶——オペラ座の亡霊そのものであったことなど知る由もない。

 彼女からすれば、何の変哲もないマスク。しかし、柊はその仮面に何かしらの既視感でもあるのか。暫く頭を捻った後、何かを思い出したように声を上げる。

 

「——やっぱり……この仮面のデザイン、見覚えがあるよ!」

 

 一般的にオペラ座の怪人の仮面といえば顔半分を覆うマスク、白一色のシンプルなものが多い。

 だが、その仮面はそういった単純なマスクとも些かデザインが異なるものだった。右半分を覆う目の部分が真っ黒に染まり、口元にも歯が剥き出しになったような笑みが描かれている。

 一目見ると、ちょっと忘れられそうにないデザインをしていた。

 

 裏方として小道具を管理していることもあってか。柊はその怪人の仮面に見覚えがあると、それをどこで目にしたのかを口にしていく。

 

 

 

「——確か、あのプロデューサー……天知さんが用意した小道具の中にあったと思うけど、なんでこんなところに……って、どうしたの鬼太郎くん? そんな怖い顔して……」

 

 

 

×

 

 

 

「——ええ、そうです。夜凪景は無事だったと、先ほど連絡がありましたので……」

 

 早朝。まだ人気もない自社ビルの前で、天知心一はスマホを片手に誰かと連絡を取り合っていた。

 

「はい……では手筈通り記事の内容は……ええ、それで構いませんので。では……」

 

 通話相手と話している間も、天知の口元には相変わらずの微笑みが浮かべられている。だが用件を済ませて電話を切るや、その笑みがより一層深くなったようにも見えた。

 どこかご機嫌といった様子で、彼は太陽が昇り始めた空を見上げている。

 

「——天知さん」

「…………」

 

 するとそんな彼の元に、ゲゲゲの鬼太郎が顔を見せにきた。

 鬼太郎自身は無表情だが、隣に立つ猫娘は苛立っているのか腕を組んでいる。今回の事件を依頼して来た天知心一という人間に対し、二人ともただならぬ雰囲気を纏っている。

 

「おや、これはこれは……ちょうど今回のお礼を支払いに、そちらにお伺いしようかと思っていたところですよ」

 

 鬼太郎たちの突然の来訪だが、天知は取り乱さない。依頼を見事に解決してくれた鬼太郎に追加報酬でもと、懐からいくらか金銭を支払おうとするほどには余裕があった。

 

「天知さん、あなたに聞きたいことがあります」

「……!」

 

 だが鬼太郎は天知に例の物——『オペラ座の怪人の仮面』をそっと差し出す。瞬間、天知の動きがそこで止まった。

 

「柊さんから聞きました。この仮面はあなたが用意した小道具だと……」

「…………」

「あなたはこの仮面が怪人の亡霊の正体だと……知っていたのではありませんか?」

 

 それは、あくまで状況証拠に過ぎない。天知がその仮面を用意したからといって、それに怪人の意志が宿っていたかを知っていたかどうかなど。

 実際、知らなかったと言えば白を切ることも出来ただろう。しかし——。

 

 

「——そうですか……バレてしまっては仕方ありませんね」

「——!!」

 

 

 天知は、その事実をあっさりと認める。

 その仮面に怪人の意志が宿っていたことを——その仮面が、役者たちに危険をもたらす可能性があったことを理解していたと。

 

「まあ、私にはそれが『本物』かどうかを知る術はありませんでしたが……」

 

 一応弁明らしきものを口にしながら、天知はその仮面を手に入れた経緯を語る。

 

 

 彼曰く、その仮面のあるところに『怪人の亡霊』が出現するという噂は、もう何十年も昔から業界内で囁かれていたという。しかし確証がある訳でもなし。怪人なるものの存在を本気で信じるものも少なかったという。

 だが天知は、その曰く付きの仮面が偽物であるかもしれないことを承知の上でそれを求めた。

 わざわざ大金をはたいてまで、その仮面を海外から取り寄せたというのだ。

 

 

「ちなみにこの手紙に関してですが……」

 

 ついでとばかりに、天知は例の手紙——怪人から送られて来た『脅迫状』を懐から取り出しながら、しれっと白状する。

 

「実はこれ、私が書いたんですよ。万が一怪人が現れても対処できるよう、鬼太郎さんをお呼びする口実として……ねっ」

 

 そう言いながら、天知は自分の手のひらを見せる。そこにはマジックペンで『ドッキリ大成功』と書かれていた。仮面が偽物で怪人が現れなければ、全てドッキリだったで済ませるつもりだったのか。

 

 しかし実際に怪人はその姿を現し、役者たちを襲うという今回の事件を引き起こした。

 

「な、なんでそんなこと!! アンタ……いったい何がしたかったのよ!?」

 

 これに猫娘が激昂する。天知心一が何故そんなことを、わざわざ鬼太郎まで巻き込んで彼が何をしたかったのか、彼女には理解が出来ない。

 鬼太郎もだ。彼としては天知が何を目的としていたのか、その真意を問い質したかった。

 

 

「——宣伝ですよ」

「……せ、宣伝……?」

 

 

 しかし、天知の口から聞かされたその目的は、鬼太郎たちからすれば理解し難いものであった。

 その一言だけでは何を言っているのかさっぱりだ。呆然とする妖怪たちに、天知は自らの思惑を語って聞かせる。

 

「——今を時めく新人女優、夜凪景。彼女が主演で出演する演劇ともなれば……きっと多くの人々がその舞台を楽しみにしてくれるでしょう」

 

 その語りようは、わざとらしく芝居がかったものだった。胡散臭い天知が話すと、尚更作り話めいたものを感じる。

 

「——ですが、その舞台に立つ彼女は、不幸にも本物の怪人に目を付けられ……連れ去られてしまいました。夜凪さんのファン、彼女の芝居を楽しみにしていた観客たちは悲観に暮れ……きっと怪人への憤りをその胸に抱くことになります」

 

 事実、景はクリスティーヌとして怪人に攫われた。その流れすらも天知は予想していたということだ。

 

 

「——しかし、そこへ颯爽と駆け付けたのが皆のヒーロー、ゲゲゲの鬼太郎さんです!!」

「——!?」

 

 

 天知の言葉に鬼太郎が目を見開く。ヒーローなどと、自分が思ってもいない役割を押し付けられ、厳しい表情を浮かべる。

 もっとも、そんな鬼太郎の反感もお構いなしに、天知は言葉を紡いでいく。

 

「——貴方の活躍により悪しき怪人は退散。夜凪景も無事に助け出されました。きっとこの救出劇に、多くの人々が鬼太郎さんに賞賛を! 救い出された夜凪景にはより一層の注目が集まることでしょう」

 

 

 つまり、それこそが『宣伝』ということだ。

 鬼太郎が怪人からヒロインを守り切るという物語そのものを、広告塔にしようという狙いだった。

 

 

「既にマスコミ各社に今回の事件の顛末をリークしています。来週発売の週刊誌にも、詳細な記事を載せるように依頼しておきました」

 

 関係各所への根回しも済んでいるとのこと。先ほどもどこかしらに電話をかけていたが、きっとその週刊誌とやらに載せる記事の内容を指示していたのだろう。

 

「……あなたは、そんなことのために……彼女たちを危険な目に遭わせたんですか?」

 

 話を聞き終えた鬼太郎は、天知に冷たい視線を向ける。役者たちの舞台を続けたいという思い、芝居に命すら賭ける彼らの覚悟には鬼太郎も共感こそ出来なかったが、一定の理解は示した。

 しかし舞台宣伝のためならば怪人すらも利用し、何も知らない役者たちを危険に晒すような天知のやり方にはこれっぽちも共感できない。

 ましてや、自分をヒーローに仕立て上げようとする彼のイメージ戦略に鬼太郎が付き合ってやる義理などない。

 

「鬼太郎さん……貴方が望もうと望むまいと、人間たちは貴方に自身が理想とするヒーロー像を求めているんですよ」

 

 だが天知は鬼太郎の冷え込むような視線にも笑みを絶やすことなく、彼に人間たちが抱いているであろう『理想像』について語る。

 

 

 元より、ゲゲゲの鬼太郎は人間の依頼に応えて助けてくれる妖怪だった。しかも金銭といった報酬を求めない。本人に自覚はなくとも、その有り様はまさに無償で人助けをしてくれる『正義の味方』のようなものだ。

 時と場合によっては人間を容赦なく見捨てることはあれども、そういったマイナス面でのイメージなどほとんど気にされない。人間は都合の良い部分だけを抜き出し、偏見や先入観で他者をイメージするものだから。

 

 だから、一般的には正義の味方と言ってもいい鬼太郎が、巨大隕石——バックベアードの衝突から日本を救い、戦争を早期に終結させるきっかけを作ったことに多くの人間たちが感謝をした。

 さらには戦争終結後、総理代理と非公式ながらも面通りし、和解の握手までしたという。今最もホットな話題として、多くの国民が鬼太郎の活躍——『次は何をするのだろう』とその動向に目を向けた。

 そんな彼に『救われた』人気急上昇中の若手女優ともなれば、その注目度は計り知れないものとなる。

 

 たとえ役者たちが襲われるリスクを背負ってでも、やる価値のある『宣伝効果』だったと天知は賭けに出て——そして勝ったのだ。

 

 

「それに、これは貴方にとっても『良い話』ですよ。貴方が人々からの支持を得られれば……貴方の仲間たちに対する風当たりは弱まるでしょう」

 

 さらに天知は猫娘に目を向けながら、鬼太郎側のメリットを語る。

 彼女を始めとした鬼太郎の仲間たちも、鬼太郎の評価が高まればその分、人間から好意的に見られると。しかも今回騒動を引き起こしたのはオペラ座の怪人——言うなれば西洋に属する怪異だ。

 

『日本妖怪たちが西洋妖怪の魔の手から可憐な少女を救った』と。

 そのような記事を書けば、人々の妖怪に対する敵意さえも西洋・外側へと向けることができる。

 

「このっ!!」

 

 猫娘は鬼太郎を納得させるため、自分たちをダシにするような天知の言いように苛立ちを覚える。化け猫の表情を剥き出しに、爪を最大まで伸ばし、威嚇するように唸り声を上げた。

 しかしそんな刺々しい敵意を前にして尚、天知は堂々としている。彼が鬼太郎たち相手にその微笑みを崩すことはなかった——。

 

 

 

 

 

「——なるほどな、そういうことだったか」

「……っ!」

 

 そのときだった。

 一人の男性が、天知と鬼太郎たちの間に割って入ってくる。

 

「おまえが演目を『オペラ座の怪人』に指定してきたときから何かあると思ってたが……まさかそういう事情だったとはな」

「貴方は……」

 

 鬼太郎にも見覚えがある。夜凪景や劇団天球の役者たちに演出の稽古を付けていた、鬼太郎たちに役者を守ってくれと誠意を込めて頭を下げていた演出家だ。

 確か名前は——。

 

「黒山……」

 

 黒山墨字。その男を前に——天知心一の笑みが崩れる。

 怒りを露わにする鬼太郎たちを前にしても浮かべられていた微笑が消え去り、彼は真顔で真正面に立つ黒山を見据えた。

 

「キミにも分かっている筈だ、黒山」

「…………」

 

 天知と黒山。二人は鬼太郎たちそっちのけで、互いに顔を突き合わせながら言葉を交わしていく。

 

「戦争の被害で演劇を始めとした芸能業界は大きな打撃を受けた。政府からの復興の金もそのほとんどが生活支援に優先的に配られている。人々は生きることに必死で、映画館や劇場からも客足は遠のくばかりだ。企業も興行のための金を出し渋っている」

 

 全ては戦争の影響だ。劇団天球の劇団員のみならず、多くの芸能関係者がこの向かい風に苦しんでいる。

 

「この流れを覆すためには相当なインパクトが必要だ。それこそ……妖怪なんてものの力を借りるほどのな」

「っ!!」

 

 そう言って、天知はチラリと鬼太郎に視線を向ける。

 妖怪としてのネームバリューであればこの国で鬼太郎に勝るものはいない。彼ら妖怪のせいで起きた戦争なのだから、それを利用して注目を集めることの何が悪いと。

 

「今や妖怪は一大コンテンツとして定着しつつある。それを逃さない手はないんだよ、黒山」

 

 良くも悪くも、妖怪という存在そのものが今や人々の関心を集める一つのコンテンツとして成立しつつある。その関心を上手い具合に利用し、広報を通すことで観衆の感情を思惑通りに誘導することができれば、大きなビジネスチャンスを掴むことができるだろう。

 今回の事件はまさにその先駆け、先行投資と言ってもいい。

 

「そのために夜凪たちを危険な目に遭わせたってのか……ふざけんなよ」

 

 ここで黒山がはっきりと怒りを見せる。

 妖怪を利用しようとしたことではない、宣伝とやらのために大切な役者たちを——夜凪景を危険に晒した天知に黒山ははっきりと怒気を抱いていた。表面上は落ち着いているように見えるが、その握る拳には力が入る。今にも天知に殴りかかっていきそうな雰囲気だが。

 

 

「……本来の目的を忘れるな、黒山監督」

 

 

 しかし天知はどこまでも冷静だった。黒山墨字に——黒山映画監督に『自分たち』の目的を再確認させるためにはっきりと意見する。

 

「私たちは映画屋だ。『あの映画』を撮るために、ここまでやってきた筈だ……違うか?」

「…………」

 

 二人の話を前に鬼太郎たちは傍観者に徹するしかない。彼らの間に何があるのかは知らないが、それが決して迂闊に踏み込んでいいものではないと感じられたのだ。

 常に微笑みを浮かべていたときとはガラリとその雰囲気を変え、天知は自身の決意を黒山へと言い放った。

 

「そのために必要なものがあるのならば、私が全て用意しよう。邪魔なものは私が全て排除しよう」

 

 

 

「——立ち止まっている暇などない。たとえ社会がどのように変わろうとも……私たちは前へ進んでいくしかないんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父さん……」

「なんじゃ、鬼太郎よ……」

 

 鬼太郎たちは自分たちの居場所、ゲゲゲの森へと帰ろうと街中を歩いていた。まだ朝は早いが、既にチラホラと通行人の姿も見られる。どこか意気消沈と歩く鬼太郎に、道行く人々が何度か振り返るが声は掛けてこない。

 

「鬼太郎……」

 

 猫娘も、鬼太郎の心情を気遣いながらも黙って彼の隣を歩いていく。

 

「結局ボクらも……怪人も、あの人の手のひらの上で踊らされていただけだったようですね」

「…………」

 

 鬼太郎の言葉に目玉おやじが押し黙る。

 そう、結局のところ、今回の事件は天知心一が怪人の特性や、鬼太郎たちの力を利用して引き起こした、マッチポンプに等しい行為だった。そのことを糾弾しに行った鬼太郎の言い分すらも、彼は涼しい顔で受け流した。

 

『——では、追加報酬の方は後ほど郵送でお届けしますので』

 

 黒山墨字との問答が終わった直後も、天知はそのように微笑みを浮かべ直した。既にそれ以上は鬼太郎にこだわる理由もなかったのか、その場から静かに立ち去っていった。

 

『——迷惑をかけたな。夜凪を守ってくれたこと……感謝する』

 

 黒山の方も。鬼太郎に心からの感謝を述べつつも、やはり芝居を優先してかすぐにその場を後にする。

 今回の体験を糧に成長した役者たちが待つ劇団天球へと。『オペラ座の怪人』の公演をより素晴らしいものにするため、きっと日々の稽古に励んでいくことだろう。

 

「…………」

 

 そんな彼らの立ち去る背中を、鬼太郎は呼び止めることが出来なかった。

 形は違えども、舞台を成功させようとする強い意志が両者から感じられた。所詮は部外者でしかない鬼太郎では、そこへ半端に踏み込むことも出来ない。

 

 いずれにせよこの事件は解決したのだ。鬼太郎がこれ以上、彼らに関わる理由もない。

 

 

 

 

 

 そうして、鬼太郎たちは調布市にある布多天神社へと戻ってくる。

 この神社の境内の奥に、鬼太郎たち妖怪の住処であるゲゲゲの森が広がっている。一人の例外だった少女を除けば誰一人、人間は足を踏み入れることが許されない聖域だ。

 

 ずっとその森の中にいれば——きっと人間とも関わらずに済むのだろう。

 

「父さん、妖怪ポストを直したのは……早計だったかもしれません」

「鬼太郎……!」

 

 鬼太郎の深いため息のような吐息に、目玉おやじが目を見開く。

 一度は破壊された妖怪ポストを直して、もう一度人間の依頼に応えてみようと思った鬼太郎。彼としても散々に迷った末、また人間を信じてみようと思ったからこその決断だった。

 

 しかしその思いも虚しく、人間は自らの目的のために鬼太郎を利用した。

 改めて依頼を受け付けて、一番最初に解決した事件それだったために鬼太郎のショックも大きかった。

 

 いっそ人間との関わりなど断ち切り、森の中で静かに暮らそうか。そんな弱気な考えすら頭の隅に浮かんでしまう。

 

 

「——鬼太郎くん!!」

 

 

 だがそんな落ち込む彼の元に、陽気に手を振りながら駆け寄ってくる少女がいた。

 

「夜凪さん? どうしてここに……」

 

 今回の事件の真相を何も知らないまま巻き込まれた、女優・夜凪景だ。

 彼女がわざわざこの神社まで、自分に会いに来たようだったので鬼太郎は驚きを隠せないでいる。

 

「鬼太郎くんに、どうしても直接お礼が言いたいって……この子たちがね!」

「鬼太郎!!」

「鬼太郎!!」

 

 彼女は自身の幼い弟妹・ルイとレイと一緒だった。元より男の子のルイは鬼太郎にキラキラとした視線を向けていたが、今は女の子のレイも感謝の視線を彼に向けている。

 

「天使さんから聞いたよ!!」

「鬼太郎が……お姉ちゃんを助けてくれたんだって!!」

 

 今朝方のことだ。景がファントムに連れ去られて家を不在にする中、ルイとレイは目を覚ました。

 最初は『お姉ちゃんがいない!!』とパニックになったのだが、すぐに桃城千世子が天使のような笑顔で子供たちに吉報をもたらした。

 

『——大丈夫だよ、お姉ちゃんなら……鬼太郎くんが助けてくれたから!』

 

 そう、子供たちが目を覚ました頃には既に事件は解決しており、家を預かっていた千世子の元にも景が無事だったという連絡が行き届いていたのだ。

 実際に姉の顔を見るまで不安だった子供たちも、景が何事もなく戻ってきてくれたときには大粒の涙を流した。

 

 その喜びを、感謝をどうしても伝えたくて。子供たちは鬼太郎の元までやって来たという。

 

「——鬼太郎はやっぱりカッチョイイな〜!」

「——ありがとう!! ゲゲゲの鬼太郎!!」

 

 二人の無邪気な視線が、鬼太郎に突き刺さる。

 幼い子供たちが鬼太郎を見つめる曇りなき眼は、まさに正義のヒーローに向けるそれであった。

 

「……違う……ボクは……ヒーローなんかじゃ」

 

 そんな子供たちの視線に、先ほど天知に言われた人間たちが求める『理想像』の話がぶり返される。自分は彼らが望むようなヒーローなどではないと、天知の言い分を否定したい思いで鬼太郎は子供たちの礼にも首を横に振ろうとする。

 

 だが——。

 

 

「鬼太郎くん……」

 

 

 子供たちの姉である景が、鬼太郎にしか聞こえないような声で囁いてくる。

 

「あなたが何に苦しんでいるかは分からない……もしかしたら、天知さんが何かしたのかもしれないけど……」

「!!」

 

 聡い子である。鬼太郎の反応と、天知があの仮面を用意したという事実から、彼らの間に何かあったと理解したらしい。無論、鬼太郎が何に苦しんでいるのか、その心情まで全てを把握しているわけでもないだろうが。

 

「だけど、私を助けてくれたあなたは……私にとって、ううん……この子たちにとって、紛れもないヒーローなのよ」

 

 それでもと、景は自分たちが鬼太郎に救われた事実を。

 誰がなんと言おうと、たとえ本人が否定しようとも。子供たちにとって彼が紛れもない正義のヒーローであることを伝える。

 

 その期待は、もしかしたら鬼太郎にとっては重荷にしかならないのかもしれない。けれど——。

 

 

「——どうか『演じてあげて』……今このときだけでも、この子たちのために……」

 

 

 せめて子供たちの前では、純真無垢な彼らの願いまでは否定しないで欲しいと。鬼太郎に向かってそう願う。

 

「…………」

「どうしたの、鬼太郎?」

「大丈夫、鬼太郎?」

 

 何も知らない子供たちが、何も言わないでいる彼を不安そうに見つめている。ここで鬼太郎が子供たちの感謝にそっぽを向けば、きっと彼らの表情を曇らせてしまうだろう。

 別に彼らが泣こうと悲しもうと、妖怪である鬼太郎にも何にも関係がない筈だ。

 

 

「どう……いたしまして……」

 

 

 けれど、鬼太郎は彼らの思いに応える形で、その口元に笑みを浮かべた。

 少なくとも、子供たちを悲しませる理由が鬼太郎にはない。こんな幼い子供たちの気持ちを裏切るような真似——彼には出来なかった。

 

 

「鬼太郎!!」

「鬼太郎!!」

 

 ぎこちない鬼太郎の笑みだったが、それでも子供たちの表情がパーッと明るくなる。嬉しい気持ちがいっぱいで、子供らは鬼太郎にじゃれつくように抱きついていく。

 

 

 

「ふむ……」

「鬼太郎……」

 

 そんな鬼太郎と子供たちの触れ合いに、目玉おやじや猫娘が複雑な思いを抱きながらも笑みを浮かべる。

 

 確かに今度の依頼、自分たちは人間に都合よく利用された。

 けどこの子供たちの笑顔を守れたのも、鬼太郎が人間の助けを求める声に応えようと、再び手紙を受け取るようになったからこそだ。

 

 

 鬼太郎のおかげで、救われた人間も確かにいる。

 その事実を胸に、今はただ純粋に喜ぼうと——眩しい子供たちの笑顔をその目に焼き付けていく。

 

 

 

 




いつもであれば、ここで次回予告に入るのですが……ちょっとここらで短編を書きたいと思いますので今回は予告も見送り。
最近はシリアスな話ばかりを書いててちょっと疲れ気味で……久しぶりにギャク全開の話を書こうと思いますので……どうかよろしくお願いします!


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