丸一日(徹夜)してクリアしました。
いや〜、ORTは強敵でしたね……マジでヤバすぎる。
まさにインフレの極致、ゲージを削っても削っても平然と向かってくる化け物相手に、ぐだのあの表情。
プレイヤーとシンクロするかの如き絶望感と疲労感。これで心臓がない状態ってのが、本気でヤバい。
こんな化け物を、たった一人で打ち倒したカマソッソが偉大なる勇者王過ぎる!
7章で一番印象に残ったキャラかもしれん、いつでも実装待ってるよ!!
さて、ようやく『君の名は。』のクロスが完結します。
例によって例の如く、終盤はだいぶ長文です。一回区切ることも考えましたが、今回は一気に読んで欲しかったので、このような仕上がりになりました。
クライマックスということもあり、頻繁に時間軸が変わったりします。混乱しないよう、ゆっくり読み進めて頂ければと思います。
また話の流れ上、尺の都合上。細部の流れが原作と異なる点がいくつかあります。原作の『あのシーン』が好きだったのにとか、人によってはちょっとがっかりしてしまうかもしれません。
申し訳ありませんが、どうかご了承ください。
『
『万葉集』にある和歌の一節だ。
古典の授業でその言葉を聞いていたのは三葉だったか、それとも瀧だったか。どこか曖昧でぼんやりとした記憶。
そんな中でも印象に残っていたのは——『誰そ彼』という言葉が『カタワレ時』のことを指しているということである。
カタワレ時。
隣に佇んでいる彼が、誰かも分からなくなるほどに薄暗くなった夕暮れ時。『黄昏時』『逢魔が時』とも呼ばれるその時間帯には、妖怪などの怪異や死者といった、この世ならざるものたちとも遭遇することが多くなるという。
人の輪郭はおろか、世界の輪郭さえも曖昧になっていく境界線。
カタワレ時というのは糸守町独特の言い回しでもあるらしく、何故そのような呼び方になったのかは町の年寄りたちも由来は分からないという。
そして、カタワレという言葉には——対となったものの一方、分身という意味合いもある。
片割れ、欠けてしまったもう一方。
もしかしたら、それは二つに割れて落ちてくるティアマト彗星のことを指していたのかもしれない。
アメノカガセオが呼び寄せる厄災が落ちてくる時刻、それをいつしか『カタワレ時』なんて呼び方をするようになったのかもしれない。
だけどもしも……。
もしも、欠けてしまったものが元に戻るというのなら……。
本来なら越えることの出来ない世界の境界線を、曖昧なものにしてしまうというのならば……。
そんな刹那の間だけでも、出逢えるのかもしれない。
君に——。
2013年 10月4日
「お前……自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
「だから、彗星が落ちてくるんだって!! 今からでも、町のみんなを避難させないと!!」
ここは糸守町の町役場の町長室。
町長である宮水俊樹に、彼の娘である宮水三葉が必死の形相で『彗星落下の危機』を訴えていた。
無論、そこにいたのは宮水三葉と入れ替わった立花瀧だ。
2016年の未来から、三葉の口噛み酒を口にすることで彼女の魂と結び付いた瀧が、もう二度と起こることのなかった入れ替わりを成功させてみせたのだ。
生きている三葉の心臓の鼓動に、瀧が感動で身を震わせていたのも束の間。彼は起こりうる厄災に立ち向かおうと、すぐにでも行動を起こしていた。
彗星が落下する午後八時まで時間もない。色々とやることは山積みだが——最も重要なのは、住民の避難だろう。
幸いなことに割れた彗星がどこに落ちるか、予想落下地点を瀧は知っていた。その外側へと町民たちを誘導することが出来れば、誰一人犠牲者を出さずにこの危機を乗り越えられる。
しかし小さな自治体とはいえ、糸守町の人口は五百人以上。その全員に避難指示を行き届かせるなど、どのような小細工を用いても個人の力では限界がある。
やはり最終的には、きちんとした公人が皆を導く必要があった。
だからこそ、瀧は町長でもあり、三葉の父親でもある俊樹の説得を試みた。
彼が町長として役場や消防に声を掛けてくれれば、それで何もかも上手くいく筈なのだが——。
「……どこでその与太話を聞いたかは知らんが……」
実の娘が自分を頼ってきたというのに、俊樹は心底からうんざりするようため息を吐く。
「馬鹿も休み休み言え!! 全く……お前まであの小僧と同じようなことを……」
娘の言葉を戯言と切り捨て、ぼそっと小言を漏らしていく。
「あの小僧……?」
だが、瀧は俊樹のその呟きを聞き逃さない。「あの小僧……」と忌々しげに吐き捨てた発言、それが誰のことを指しているのか予想が付いたからだ。
「——ゲゲゲの鬼太郎が……来たんだな?」
「むっ……」
図星だったのだろう、瀧の指摘に俊樹は一瞬だが気まずそうに視線を逸らす。僅かに生まれたその隙を付くよう、瀧は一気に捲し立てていく。
「だったら分かるだろ!? 彗星は本当に落ちてくるんだよ!! 鬼太郎はお……私たちのために、必死に頑張ってくれてるんだ!! だから私たちも……」
ゲゲゲの鬼太郎自身の口から、既に俊樹に対して何度も説得を試みていたという話は聞いていた。
残念ながら鬼太郎の言葉だけでは俊樹を動かすことは出来ず、最後まで避難勧告が出されることはなかったという。
だが娘である三葉の説得も加われば、あるいは俊樹の心を動かすことも出来るのではと、瀧はちょっとした期待を抱き始める。
しかし——。
「黙れ!! よくもそんな戯れ言を俺の前で!!」
「っ……!!」
瀧の淡い期待はあっさりと砕かれる。娘の説得すらも真っ向から突っぱね、俊樹はより深く眉間にシワを寄せていく。
「何がゲゲゲの鬼太郎だ……妖怪など、今の時代にそんなものがっ!!」
とことんまで現実主義者な俊樹は、鬼太郎が妖怪だという事実すら認めていない。最初から聞く耳を持たないような人間が相手では、誰が何を言おうと説得など不可能だったのだ。
「…………」
それでも、どうにかして彼に動いてもらわなければ始まらないと。瀧は何とか俊樹を納得させる言葉がないか深く考え込む。
すると黙っている瀧——実の娘である三葉に向かい、俊樹は億劫そうに口を開いた。
「だいたいあの小僧も……所詮は二葉から戯言を吹き込まれたからに過ぎん。やはり妄言は宮水の血筋だな……」
「——っ!!」
それは、娘である三葉への侮辱であり——自身の亡き妻、二葉への侮辱でもあった。
宮水二葉が、どんな思いで鬼太郎に後を託したのか。話を聞いただけの瀧でも、鬼太郎の真剣さから彼女の強い思いが確かに伝わってきたほどだ。
それをこの男は『妄言』などという一言で切って捨てたのだ。瀧の握る拳にも自然と力が宿る。
「お前も病気だ、すぐに医者にでも診てもらえ……」
さらには娘を病人扱い。どこか投げやりな扱いに、努めて冷静でいようとした瀧の感情に火が付いてしまった。
怒りで目の前が真っ赤に染まり——気が付けば、瀧は勢いよく俊樹との距離を詰める。
「——馬鹿にしやがって!!」
激情に身を任せるまま、俊樹の胸ぐらを力任せに掴み上げていた。
「……み、三葉……」
「はっ……」
あれだけ横柄な態度をとっていた俊樹の目が戸惑いに揺れる。相手の驚いた表情に、瀧も冷静さを取り戻して手をゆっくりと離していく。
凍えるような沈黙の中——俊樹は震えながらも口を開く。
「……いや……お前は、誰だ?」
「——っ!!」
その言葉を聞いた瞬間、宮水三葉の姿をした立花瀧は逃げるようにその場を後にしていた。
——……どうする? これから……どうすれば!?
瀧は町役場から飛び出した後、他に行くあてもなく坂道をとぼとぼと歩いていた。
結局、宮水俊樹の説得には失敗した。それどころか、彼は自分の娘の『中身が違う』ことに気付いてしまったようだ。
戸惑いながらも、確信めいたあの呟き。もう一度会いに行ったところで、きっとまともな話し合いにもならないだろう。
——もう時間がない……早く、何とかしないといけないのに!!
既に夕日が傾き始めている。あと数時間後にはティアマト彗星が二つに割れ、糸守町へと落ちてくる。このまま何もしなければ瀧が知る歴史通り、沢山の人が死んでしまう。
それだけは、絶対に避けなければならないのだが——。
「お姉ちゃん!!」
「四葉……」
悶々と悩みながら歩いている瀧に、三葉の妹である四葉が駆け寄ってきた。学校帰りなのか、ランドセルを背負った彼女は姉への気遣いから心配そうに声を掛けてくれた。
「お姉ちゃん大丈夫? 今日はまた一段とヤバいよ……病院行く?」
「………はぁ~、四葉……お前もか……」
しかし、四葉も四葉で姉である三葉をおかしい人扱い。父親の俊樹と似たような発言をしたことで瀧を落ち込ませる。
もっとも、こればっかりは彼らの反応の方が真っ当なのかもしれない。いきなり『彗星が落下してくる』などと言われて、果たしてそれを信じられるかどうか。
逆の立場であれば、瀧とてまともに聞き入れはしなかったかもしれない。
「——おーい、三葉!!」
「——三葉!!」
だからこそ——今の瀧にとって、その言葉を信じて味方してくれる人の存在は貴重であった。
落ち込む瀧の元へ、自転車に乗った坊主頭の男子と、その後ろからおさげ髪を揺らした女子が手を振って駆け付けてくれる。
「テッシー……サヤちん……」
三葉の幼馴染、
二人は三葉の言葉を半信半疑ながらも信じて動いてくれていた。避難方法の具体案や、災害後に必要になるであろう食料の買い出しなど。瀧一人では手が回らないようなところにまで、気を回してくれていたのだ。
「親父さんとの話、どやった!?」
「…………」
だが、それでもやはり最後には町長の助力が必須なことを彼らも理解しているのだろう。勅使河原の差し迫った問い掛けに対し、今しがたその説得に失敗した瀧は気まずさから返事が出来ないでいる。
——どうする!? もう本当に時間がないぞ!?
これ以上はここで悩んでいる時間すらも惜しい。
だがここからどうすればいいか瀧にも分からない。焦れば焦るほど頭の中が真っ白になり、呆然とその場に立ち尽くすしかないでいる。
「……? ねぇ、お姉ちゃん……あれ、何だろう?」
「……えっ?」
そんな姉の切羽詰まった表情を不安そうに見つめていた四葉だったが、ふと空中を見上げながら何かを指差す。
上空、彼女の指し示した先を目で追うと、何かがひらひらと空中を浮遊していた。
一見するとただの白い布のようだったが、よくよく見ればその布の上に——人が乗っていることが確認できる。
「あれは……!?」
その布に乗った人物。それが誰なのかを理解した瞬間——瀧は走り出していた。
「どうするとね、鬼太郎しゃん? このままやと、ほんとうにみんな死んでまうとね~」
「…………」
一反木綿の呼び掛けに、鬼太郎は深刻な表情で黙り込む。
その日、ゲゲゲの鬼太郎は仲間たちと共に糸守町を訪れていた。二葉との約束を守るため、糸守の人々を彗星の脅威から守るために奔走していたのだ。
だが予想以上に人の流動が激しく、この流れを止めるのに妖怪である鬼太郎たちでは出来ることに限りがあった。
長年にも及ぶ町長の説得にも失敗した。もう時間がないと、鬼太郎にも余裕がなくなってきている。
「——鬼太郎!! ゲゲゲの鬼太郎!!」
「……ん? あれは……」
そのときだった。一反木綿に乗って上空から町の様子を観察していた鬼太郎に、地上から何者かが彼の名を呼ぶ。
眼下を見下ろすと——制服姿の女子が、自分に向かって走りながら手を振っているではないか。
「……一反木綿」
「コットン承知!」
鬼太郎は少し迷ったが、その少女の呼び掛けに答えるべく地上へと降りていく。
「はぁはぁ……鬼太郎、ゲゲゲの鬼太郎だよな?」
呼び掛けに応じて眼前へと舞い降りてきた鬼太郎を前に、瀧は呼吸を荒げていた。
鬼太郎の姿を見つけた瞬間に全力でダッシュしてきたため、息継ぎが上手くいかずに息切れを起こす。とりあえず、荒れた呼吸を少しずつ整えていく。
「あらま~、可愛い子!! 鬼太郎しゃんの知り合いばい?」
「いや……」
その間、外見が三葉である瀧に女の子大好きな一反木綿がデレデレになりながらも、鬼太郎に彼女と顔見知りかどうかを尋ねていた。しかし当然ながら、今の鬼太郎と三葉との間に面識はない。
見知らぬ少女に呼び止められ、鬼太郎も不思議そうに首を傾げている。
「三葉!! いきなりどうし……って、何だ!?」
「ぬ、布切れが宙に浮いて……喋っとる!?」」
すると、後から追いついてきた勅使河原と早耶香が一反木綿の存在に悲鳴を上げる。彗星落下を信じてくれた二人にとっても、妖怪の存在は全く予想だにしなかったものらしい。
「ええ、何やのこれ……新手のドッキリ?」
一反木綿の存在を最初に目に止めた四葉も、それが現実のものであると直視出来ないでいる。
「——鬼太郎!!」
しかし誰もが戸惑っている中で、瀧は意を決して叫んでいた。
「彗星は……割れた彗星は、いくつもの欠片になって宮水神社を中心に落ちてくるんだ!! いくら鬼太郎でも……それ全部は撃ち落とせない!!」
「——!?」
瀧の言葉に鬼太郎が目を見開く。
彗星落下の件を口にしたこともそうだが、鬼太郎がいざとなったら『彗星を撃ち落とそう』と考えていたことをズバリ言い当てたことに驚かされた。しかもその最終手段すらも失敗すると、まるで未来を見透かすかのような発言まで。
いったいこの少女は何者だろうと、鬼太郎の中で疑問が芽生えていく。
「こ、高校!! 糸守高校の校庭なら……彗星も落ちてこない!! あそこに町のみんなを避難させてくれ!!」
だが鬼太郎が何かを問い掛ける間もなく、瀧は捲し立てるように必要な情報を手短に伝えていく。
自分が三葉と入れ替わっている立花瀧だとか。時間軸を越えてやってきたとか。そういったことを詳しく説明している時間はない。
彗星落下までに出来ることは全部やっておきたい。そんな気持ちで瀧は鬼太郎に協力を申し出る。
「キミは……もしかして、二葉さんの?」
ここで、鬼太郎は相手の素性をそれとなく察する。
「分かった。キミを信じよう……」
三葉の容姿から、彼女の母親である二葉の面影でも見たのか。彼女の娘であれば、予知的な何かを発揮してもおかしくないと思ったのだろう。
「一反木綿、一度みんなと合流しよう」
「えっ? こ、コットン承知!!」
鬼太郎は瀧の言葉に力強く頷き、彼の言葉を他の仲間たちにも伝えようと。一反木綿と共にどこぞへと飛び去っていった。
「……お、おい……三葉? 今のは……?」
「み、三葉……?」
「…………」
一反木綿という存在の不可解さと、瀧と鬼太郎とのやり取りがいまいち理解出来ずに勅使河原を始めとした皆が困惑している。
しかし彼らの言葉が今の瀧には聞こえていない。瀧は鬼太郎たちが飛び去っていく方角の先——たまたま視界に入った、糸守の山々に目を向けていた。
——俺が登った山……あそこに御神体が……。
あの山の頂上には御神体があり、瀧が奉納した口噛み酒があり、瀧と身体が入れ替わった宮水三葉がいる。
今頃は、鬼太郎があそこでアメノカガセオと熾烈な戦いを繰り広げているだろう。無論、あくまで別の時間軸での話だ。今あの場所に行ったところで何も、誰もいない筈なのだが。
いや——。
「全ての時間が……集まる場所……」
そこまで考え、ふと瀧は目玉おやじの言葉を思い返す。
彼が言っていた——『隠り世』あるいは『常世』と呼ばれる場所の特異性。自分たちが生きている『現世』とは違う、永遠に変わらない神域。死んだものが行き着くとも言われる黄泉の世界。
「俺じゃ駄目だった……けど、あいつなら……三葉なら……!」
根拠はない。理屈も。
だが、それでも——もしかしたらという思いが立花瀧を突き動かす。
「テッシー!! ちょっと自転車貸して!!」
「え……お、おい!! 作戦はどうするんや!?」
言いながら、瀧は勅使河原から奪うように自転車を借りる。
いきなりのことで勅使河原はちょっとばかり泣きそうな声で叫んだが、こればかりは説明しようもない。
「計画通りに準備しておいてくれ!! 頼む!!」
とりあえず、避難に関しては出来る限り進めておいてくれと。勅使河原たちを信じ、瀧は一時糸守町から離れる。
目指すは、御神体が祀られている山の頂上。
そこにいるかもしれない——『彼女』の元へ、全速力で自転車を走らせていく。
2016年
「…………ん……うん……?」
宮水三葉は真っ暗な闇の中で瞼を開く。
そこは明らかに自分の家ではなく、かといっていつもの入れ替わりで目覚める瀧の部屋でもない。肌寒く、身体もひんやりとした地面に横たわっている。
先ほどから定期的に彼女の頬を叩いてくる水滴の雫の冷たさが、朧げだった彼女の意識を覚醒させた。
「……えっ? 私、瀧くんになっとる!?」
意識がはっきりした瞬間、三葉は自分が立花瀧と入れ替わっている事実にまずは驚く。
「な……何で……瀧くんがこんなところに……?」
だがそれ以上に驚かされたのは、入れ替わり先の瀧がこのような洞窟で眠っていたことだ。
「ここって……御神体がある……山の上?」
三葉は遅れながらも、そこが御神体の下にある洞窟だということを察する。
しかし、どうして瀧自身の体がこんなところにあるのだろう。状況がいまいち把握しきれずに首を傾げる三葉だったが——次の瞬間、その洞窟内を地響きが襲う。
「な、なに!? 何の音!?」
いきなりの衝撃に反射的に立ち上がり、三葉は洞窟の出口——光が差し込んでくる方角へと駆け出す。地上へと続く道を進み、外の光景が彼女の視界に飛び込んでくる。
三葉が目覚めたその場所は、間違いなく御神体の洞窟であった。
外に出れば、眼前には窪地の中の湿原の風景が広がっている。三葉も祖母である一葉から、そこが『隠り世』と呼ばれる神域であると。何度も聞かされた覚えがあったため、その場所自体に大きな戸惑いはない。
「なっ……何なの? 何なのよ……あれ!?」
問題があるとすれば、その隠り世で——巨大な怪物が暴れ回っていることである。
『——ウォオオオオオオオオオ!!』
それは黒い蛇、あるいは龍と思しき化け物。その怪物の雄叫びが、その巨体を揺り動かす衝撃が三葉のいる洞窟まで響いてきたのだ。
宮水神社の跡取りとしてそれなりに神事をこなしてきた三葉ですらも、そのような怪物の存在は見たことも聞いたこともない。目を疑いたくなるほどに衝撃的な光景だ。
「だ、誰か……戦ってる?」
だがさらに衝撃的だったのは、その巨大な怪物相手に何者かが戦っているという事実である。遠目から見る限りではあるが、それが小学生くらいの男の子だということが確認出来る。
「——髪の毛針!! 体内電気!!」
その少年は髪の毛を飛ばしたり、電気を身体から発するなど。普通の人間ではあり得ないような方法で戦っていた。
その少年がいったい何者なのか。少なくとも、三葉の脳裏に彼が『妖怪』であるという答えは浮かび上がってこない。
『いい加減……しつこいぞ、小僧!!』
「——がっ!?」
しかし、そんな超常的な能力を発揮できる少年でも、その怪物を相手取るのは困難であるのか。
ちょこまかと動き回る少年の動きを捉えた龍の尻尾が、彼を後方——三葉のいる御神体の方まで吹っ飛ばした。ゴロゴロと地面を転がりながら、三葉のすぐ側で少年の身体が倒れ伏す。
「きゃっ!? ちょっ……キミ、大丈夫!?」
こちらまで吹っ飛ばされてきた少年に、三葉は混乱しながらも声を掛ける。
状況を理解できずとも、外見は自分よりも幼い男の子だ。その無事を確かめようと、反射的に身体が動いていた。
「何をしてるんだ! 早く、口噛み酒を!!」
「へっ……!?」
だが少年は素早く起き上がりながら、三葉に向かって叱りつけるように叫ぶ。何故か口噛み酒のことを口にし——。
「ここはボクに任せて、早く三葉さんと入れ替わりを……!!」
瀧との入れ替わりについて言及する。
「あ、あなた……誰なの? どうして、私と瀧くんのことを……!?」
これに三葉は目を丸くする。
入れ替わりの事実は、自分と立花瀧しか知らない筈だ。お互い誰にも話していないし、話したところで信じてもらえないという考えが根本にあった。
実際、信じられないという思いは少年にもあったのか。彼は見た目が瀧である筈の男子から、女性的な仕草や発言を認識した瞬間——驚いたように目を見開く。
「き、キミは……まさか……宮水三葉?」
「ほ……本当に入れ替わったというのか!?」
少年の頭からひょっこりと顔を出した——目玉の小人までもが、目をくりくりさせている。
「え……ええ!? め、目玉が……喋ってる!?」
突然姿を現した目玉のお化けに三葉は悲鳴を上げる。すぐ間近で目撃するそれは、ある意味で巨大な怪物や、超常的な能力を駆使する少年よりも新鮮な驚きに満ちていた。
もっとも、三葉が呑気に素っ頓狂な声を上げている暇もなく。
『——ガァアアアアアアアアッ!!』
巨大な怪物が、少年を追撃するような形でこちらへと迫ってきている。
「危ない!?」
「きゃっ!?」
少年は瀧の身体を抱えながら横っ飛びに飛ぶ。男の子に抱き抱えられて女の子らしい悲鳴を上げてしまう三葉だが、そんな彼女のすぐ横を巨大な怪物が通過し、その背筋をヒヤリとさせる。
標的に回避され、目測を失った怪物は三葉たちがいた場所に真っ直ぐ突っ込んでいく。三葉たちは何とか無事で済んだものの、怪物が突撃したその先には——御神体があった。
怪物の体当たりが、宮水神社の御神体を粉々に砕く。社へと通じる洞窟の出入り口も、瓦礫によって塞がれてしまった。
「ご、御神体が……」
宮水神社にとって何より神聖な聖域が破壊され、お家の神事にそこまで信心深いわけでもない三葉ですらも唖然となってしまう。
『おのれぇえええ……!!』
だが肝心の怪物は、御神体を粉々にした程度ではその勢いも収まりはしない。怒りに震える雄叫びを上げながら、再び襲い掛かろうとその巨体を起き上がらせていく。
「済まない、今は説明している時間がないんだ!! 急いでここから離れていてくれ、出来るだけ遠くまで!!」
「は……はいぃ!!」
再度、怪物の相手を引き受けるべく少年が身構える。その際、彼は三葉にここから早急に避難するように告げた。少年の説明もない指示に混乱しつつも、今の三葉にはその言葉に従うしかなく。
急いで、窪地の外に向かって瀧の身体を走らせていく。
「はぁはぁ……はぁ……はぁ……」
怪物から少しでも距離を取ろうと必死に走りながらも、三葉は考えを巡らせていた。
——何で、瀧くんがここに……?
——ていうか、私……昨日は何してたっけ?
——あれ? 何か……大事なことを忘れているような……?
すると考えれば考えるほどに、瀧のことはおろか自分自身の記憶までもが曖昧なことを自覚する。
瀧の身体に入れ替われるまでの間、自分がどこで何をしていたか。不思議と思い出すことが出来ないでいるのだ。
「はぁはぁ……と、とりあえず……ここまで来れば……」
そんなふうに思考を巡らせながらも足だけは動かし続け、三葉は湿原の端っこまで辿り着く。あとは目の前の斜面を登りきれば、この窪地から抜け出すことができるだろう。
「そうだ! 私、瀧くんに会いに行って……それから髪を切って……」
その斜面を一歩ずつ登りながら、三葉は記憶の糸を辿っていく。
感覚的に言えば、一昨日のことだったか。三葉は瀧に会うために日帰りで東京へ行ったのだ。そこで奇跡的に瀧と出会えたのは良かったものの、彼は自分のことなど覚えていなかった。
そのことがショックで家に帰るや一葉に髪を切ってもらい、それから——。
「そうだ……秋祭り!! 秋祭りに出掛けて……」
髪を切った翌日だ。浴衣で地元の秋祭りに参加し、特に何をするでもなく——そう、彼女は『彗星』を眺めていたことを思い出す。
千二百年に一度、地球に急接近すると言われるティアマト彗星。目が眩むほどの輝きに見惚れていると、彗星は途中で二つに割れた。
割れた片方はやがて大きな、大きな流星となって——。
「…………あっ」
そこで三葉は思考と足を止めた。
窪地を登りきった彼女は——そこで待っていた光景に言葉を失う。
本来、その山の頂上からは糸守町の全貌が見える筈だった。三葉にとっては狭苦しくとも自身の故郷だ。そこから眺める景色は、彼女の心にいつだって感慨深いものを抱かせてくれる。
だがその町が、自身の故郷である糸守町が——なかった。
あるのは町だったものの名残。木っ端微塵に破壊し尽くされた廃墟の町並みであり、その廃墟を飲み込むように歪な形で糸守湖が広がっている。
どうしてそんなことになってしまっているのかも、三葉は思い出した。
あの日、あの時、あの瞬間。三葉の頭上から——巨大な岩の塊が、隕石が落ちてきたのだ。
それが町を潰し、地形を潰し、人々を潰し。そして——三葉自身を押し潰した。
「あ……あ、ああ……」
三葉の口から壊れたような声が零れる。両足から力が抜けていき、膝が地面を突いた。辛うじて喉から漏れ出る空気が、彼女の抱いた恐怖を言葉として搾り出していく。
「——私……あの時、死んだの?」
そう、そこにいたのは既に自分自身の『死』を体験した宮水三葉だった。
星が降ったあの夜に自分は『死んだ』のだという事実を理解し——少女は絶望に打ちひしがれていく。
2013年
——三葉……三葉……。
——三葉!!
瀧は三葉の肉体で走り続けていた。
荒れた山道を無理に進んできたため、既に自転車はスクラップと化してしまった。あとで勅使河原に謝らなければと頭の片隅に入れつつ、瀧はずっと三葉の名前を心の内側で叫び続ける。
こうしている今も、彗星は刻一刻と糸守町へと近づいている。
本当なら彗星落下の被害を食い止めるために町長の説得なり、町民の避難誘導なり、他にやるべきことがあるのだろう。
だが瀧はあの場所に三葉がいるかもしれないという予感に突き動かされ、山の頂上を目指していた。
隠り世と呼ばれるあの場所。現世からも隔絶されたあそこなら、時間軸の壁すらも越えて彼女に——三葉に会えるのではないかと。
——俺じゃ駄目なんだ……。
——ここには、お前がいないと……。
それは宮水三葉と入れ替わっている立花瀧では、この危機を乗り越えることが出来ないと悟っての行動だった。
外側だけ三葉でも駄目だ。彼女の身体に彼女自身の心が伴ってこそ、初めて父親である俊樹にその言葉を届かせることが出来る。
だから、三葉と瀧の二人はもう一度入れ替わる必要がある。遠くから間接的な結び付きに頼るような方法ではなく、直接対面するような形で。
きっとそうすることで自分たちは本来あるべき在り方へと、欠けていたものを埋めるように元の状態に戻れると信じて——。
「いや……」
だがそういった理由以上に、今の瀧を突き動かしているものがある。
「今はただ……お前に会いたい!!」
純粋に、ただ宮水三葉に逢いたいという想いだ。
三葉に会いたい、彼女と直接会って話がしたい。直接触れて、その温もりを感じてみたいと。それだけを想ってここまで来た。
「——三葉!!」
山の頂上に辿り着いた瞬間にも、瀧はありったけの想いを込めて彼女の名を呼ぶ。
2016年
「たき……くん?」
声が聞こえた気がした。誰かが自分を呼ぶ声が宮水三葉の身体を立ち上がらせる。
もしかしたら、ただの幻聴だったかもしれない。それとも窪地の中で今もあの巨大な怪物相手に戦いを続けている少年が、三葉の名前を呼んだだけなのかもしれない。
でも確かに、三葉にはその声が彼の——立花瀧が自分を呼ぶ声に聞こえた。
「瀧くん……瀧くーん!!」
呼び掛けに応えようと、三葉も力の限りに彼の名を叫ぶ。
2013年
「!! 聞こえた……三葉の声が!! 今……確かに聞こえた!!」
山の頂上。窪地には湿原が広がっており、その中央には御神体が悠然と佇んでいる。
当たり前のことだが、そこに自分の体に入れ替わっている三葉はおろか、ゲゲゲの鬼太郎やアメノカガセオの姿もない。
それが当然の筈なのだが、それでも三葉の声だけはしっかりと聞こえてきた。
「三葉!! いるんだろ、ここに……すぐ側に!!」
三葉が近くにいることを理屈抜きで感じ取り、瀧は窪地の周囲を走りながら叫び続ける。
2016年
「瀧くん……? 瀧くん!!」
三葉も、やはり錯覚ではないと確信する。
彼が近くにいると。すぐ側で自分の名を呼び続けてくれていると、窪地の周囲を駆け抜けていく。
それは『入れ替わり』という結び付きが起こしている現象なのか。確かに両者は名前を呼び合い、お互いにその声に耳を傾けることが出来ていた。
しかし、やはり三年もの時間のズレを覆すことは出来ない。たとえここが『隠り世』だろうと、そう簡単に時代という名の世界の境界線を越えることなど出来はしないのだ。
2013年
「三葉……ここにいるのか?」
2016年
「瀧くん……そこにいるの?」
それは互いの位置が、相手が今どこにいるのかわかった瞬間も変わらなかった。
もしも時間軸が同じであれば、きっと『瀧』は『三葉』は目の前にいる。それが確信できるほどの距離で手を伸ばすも、やはり互いの身体に触れ合うことなど叶わない。
やはり無理なのかと、二人が揃って顔を伏せった——そんなときである。
太陽が雲の後ろに沈む。
暗闇がやってくるが、空は未だ夕焼けに輝いている。
光と影が溶け合い、世界の輪郭がぼんやりと揺れた。
昼とも夜とも呼べない、曖昧な時間が訪れてくる。
こういった時間のことを何と呼べばいいのか、瀧も三葉も知っていた。
黄昏。誰そ彼。彼は誰。
二人は、ほとんど同時にその時間帯の古い呼び名を呟いていく。
「——カタワレ時だ……っ!?」
「——カタワレ時……っ!!」
その呟きが聞こえた瞬間、気付いたときには互いの視界が『入れ替わっていた』。
「…………あっ」
正面を見据えた瀧の視界に——三葉がいた。
まんまるに目を見開いた少女が、ぽかんと口を開けていたのだ。その間の抜けた表情が何だかおかしくて、愛おしくて。瀧は自然と笑みを浮かべながら彼女の名を呼ぶ。
「三葉」
瀧の呼び掛けられるや、三葉の両目からみるみると大粒の涙が流れていく。
「……瀧くん? 瀧くん……瀧くん!?」
何度も何度も彼の名前を繰り返しながら、それが夢でないことを確認するかのよう——三葉の両手が、瀧の両手に触れる。
「瀧くんが……おる!」
涙を流しながらも、掌から伝わる温もりが錯覚でないことを感じて三葉の顔に笑みが浮かぶ。
瀧も三葉の微笑みと、彼女の体温の温かさから実感していた。目の前にいるのは、間違いなく等身大の宮水三葉だ。ずっと逢いたいと願っていた彼女に、瀧も瀧自身の身体で向き合うことが出来た。
「——お前に、会いに来たんだよ!」
そう。生も死も、時間や世界の垣根すら越えた先で二人は巡り逢えた。
このカタワレ時という、刹那の中で——。
カタワレ時
「ホント、大変だったよ!! お前すげぇ遠くにいるからさ……」
ひとしきり感動を噛み締めた後に瀧はここまでの道中、その苦労を語る。
物理的な距離だけではない。本当に遠い、遠い場所にいた二人。もはや奇跡と言っても過言ではない出会いに瀧は笑みを深める。
「う、うん!! で、でも……どうやって? だって私、あのときに……」
だが嬉し涙を拭いながらも、三葉は疑問を呈していた。
彼女は思い出し、そして理解していた。自分が既に死を体験した側『死者』であると。死んだ筈の自分が『生者』である瀧と、本来なら顔を合わせることも出来ない筈だと。
「三葉の……口噛み酒を飲んだんだよ」
彼女の疑問に対し、瀧は率直な答えを口にする。
三葉の口噛み酒。彼女の魂の半分が入ったあの酒を飲んだからこそ、瀧は三葉と再び結び付くことが出来たのだと。
本当に出会えた今だからこそ、尚更それを強く確信するように力強く頷く。
「え…………」
すると瀧の発言の意味を理解していくにつれ——三葉の顔色が羞恥に染まる。次の瞬間にも彼女は怒り心頭、顔を真っ赤に瀧へと詰め寄っていく。
「ば、ばか!! へんたい!!」
「え?」
「あ、あれを飲んだって~……何考えとんの!!」
「え、ええ!?」
まさかの叱責。どうやら三葉にとって、あの口噛み酒を飲まれるという行為はとても恥ずかしいことのようだ。
そんな彼女の乙女心を理解し切れない瀧は何故怒られなければならないのかと、ひどくあたふたしている。
「そうだ!! それにアンタ、私の胸触ったやろ!? 四葉が見とったんやからね!!」
「うっ!! そ、それは……その……出来心で……」
「何が出来心や、このあほっ!!」
ここぞとばかりに追求される余罪に、さらに瀧はたじたじになる。そう、瀧は入れ替わりの度、必ずと言っていいほど三葉の胸を揉んでいた。
これに関して、瀧は自分に非があることを認めなければならない。問答無用で有罪。セクハラで訴えられ、社会的な制裁は受けることも視野に入れなければならないだろう。
「まったく!! アンタって男はっ!!
「す、すみませんでした……は、ははは……」
ぷりぷりと怒る三葉に、親に叱られた子供のように反省する瀧。もっとも、そこに嫌な空気はない。寧ろ、何一つ飾らない言葉を交わし合う二人の間に、じんわりと暖かいものが溢れてくる。
これだ。これが瀧や三葉の望んでいたもの。
何一つ特別ではない。ただ会って話をして、怒ったり、泣いたり、笑ったり——。
こうやって直接に『彼』と『彼女』と触れ合いたかったのだ。こんな何でもない時間がいつまでも続いてほしいと、心の底から願ってしまう。
だが——『彼らの敵』は、二人にそのような穏やかな時間すら許さない。
『き、貴様……貴様はぁあああああああああああ!?』
「なっ……うわあっ!?」
遠くの方で激しい激突音が聞こえる。これには感動の再会に夢中になっていた瀧や三葉ですら、振り替えざるを得なかった。
「あれは……アメノカガセオ!? それに鬼太郎も!?」
「え……え……?」
振り返った先の湿原では、先ほども三葉を襲ってきた巨大な怪物と、その怪物と戦う少年の姿があった。三葉にはあれらが何者なのか分からないが、瀧は彼らのことを把握している。
巨大な龍のような怪物は——アメノカガセオ。
その怪物を食い止めようと戦っている少年こそ——ゲゲゲの鬼太郎である。
そう、時間を越えて出会えたのは二人だけではなかった。
何の因果か、彼らもまたこの『カタワレ時』に集っていた。ここが隠り世であること、瀧との縁・結び付きが彼らを引き寄せてしまったのか。
アメノカガセオは三葉の存在に気付くや、邪魔者である鬼太郎を蹴散らし——血相を変えた様子で急接近してくる。
「三葉っ!!」
「きゃっ!?」
押し寄せてくるアメノカガセオから遠ざけようと、瀧が三葉を背に庇う。もっとも少年一人が盾になったところで、巨大な怪物の前ではさしたる意味もない。
アメノカガセオにその吐息がかかる距離まで近づかれ、その大きな目玉がギョロリと三葉を捉えた。
『この気配……貴様、倭文神建葉槌命の眷属!?』
「え……倭文神?」
『何故だ!! 何故生きている!? 貴様らの血は確かに途絶えた筈!? でなくば……我の封印が解かれることも……!?』
アメノカガセオは三葉の存在——宮水家の人間が目の前で生きていることに狼狽していた。
自身が呼び寄せた星によって宮水の血筋・倭文神の末裔の血は全てこの地上から消え去った。封印が解かれている以上、その事実に間違いはない筈なのにと。
『そうか……隠り世!! この場所であれば、そのようなことも起こり得るだろう……』
しかしそこは曲がりなりにも『神』だ。アメノカガセオはすぐに三葉がここに存在出来ているカラクリを理解し、忌々しげに唸り声を上げる。
『おのれぇえええ、相も変わらず小細工を労する!! いつの時代もそうだ、貴様ら宮水の女どもは!! 妙な力を使い……幾度となく我の手から逃れてきおった!!』
アメノカガセオは、千二百年周期で彗星をこの地へと呼び寄せている。千二百年前も、二千四百年前も。その度に大勢の人が死に、地形が変わるほどに大地を崩壊させてきた。
だが宮水家の人々は、その彗星の落下から幾度となく生き延びた。それはあらゆる手段を用い、彗星落下の危機を後世へと教え伝えてきたからに他ならない。
それは口伝であったり、あるいは神事の一部としてであったり、今では失われてしまった古文書としてであったり。
または——『入れ替わり』という不可思議な力であったり。そういった能力が世代を越えて引き継がれてきたからこそ、宮水家の人々は何度も存亡の危機から逃れてきたのだ。
『だが!! 既に運命は定まった、未来は確定した!! 今更どのような小細工を仕掛けようと、貴様の命運が尽きることに変わりはないと知れ!!』
しかし、そういった入れ替わりの力を用いたところで、三葉は彗星から逃れることが出来なかった。アメノカガセオは三葉の『死』が既に確定された事実だと、勝ち誇ったように豪語する。
「あ……あ、ああ……」
怪物から自分が『死んだ』という事実を突きつけられ、三葉は恐怖と不安から震えてしまう。
その顔は死人のように蒼白、全身から力が抜け落ち、少女の華奢の身体がその場に崩れ落ちようと——。
「——変わるさ……いや、変えてみせる!!」
そんな彼女を、立花瀧が抱き寄せるように支えた。
アメノカガセオの言葉を真っ向から否定するよう、少年は神にさえ挑むように声を荒げる。
「そのために俺はここまで来たんだ!! 三葉を助ける、他のみんなも!! 誰一人……死なせはしない!!」
「た、瀧くん……」
瀧の内なる決意、彼の言葉に勇気付けられた三葉の顔が熱と共に生気を帯びていく。
『ほざくな、小僧めが!!』
しかし瀧の覚悟すらも嘲笑するように、アメノカガセオは彼に向かって牙を剥く。
『貴様のような只人風情に何が出来る!? 身の程知らずの人間が……神に意見することすら不遜である!!』
所詮、立花瀧という少年に何ら特別な力はない。たまたま三葉と縁を結び、入れ替わり先に選ばれただけの人間に過ぎないのだ。
そんな人間が立ち塞がったところで、アメノカガセオにとっては障害にすらなり得ないと。
瀧と三葉の二人を揃って噛み殺そうと、まつろわぬ神の口があんぐりと開かれていく。
「——させるか!!」
しかし間一髪のところで、彼が——ゲゲゲの鬼太郎が駆け付けてこれた。
「霊毛……ちゃんちゃんこ!!」
『——ガギィッ!?』
先ほど突き飛ばされたお返しとばかりに、霊毛ちゃんちゃんこを腕に巻いた拳骨がアメノカガセオの脳天に向かって振り下ろされる。
完全な不意打ち。アメノカガセオもこの一撃は相当堪えたのか、目を回しながら地へと倒れ伏す。
無論、これでも奴を倒すことは出来ない。すぐにでもまた起き上がってくるだろう。しかしこの僅かな隙に鬼太郎は語るべきことを伝えるべく、宮水三葉に向き合っていく。
「宮水三葉さんですね……ボクは、ゲゲゲの鬼太郎。貴方のお母さんから……貴方たちを守るように頼まれていたものです」
「えっ? お、お母さんから……!?」
見も知らない少年の口から、まさか母親の名前が出てくるとは思わず、三葉は唖然と立ち尽くす。
鬼太郎は二葉から依頼を受けた経緯など、娘である三葉に伝えたかったのだが——生憎と、ゆっくり話し込んでいる余裕はなかった。
鬼太郎は空を見上げながら、瀧に向かって声を掛ける。
「立花瀧……三葉さんを頼む。そして彗星を……もう、時間がないみたいだ」
「——っ!!」
鬼太郎の言葉に瀧も空に目を向ける。
この隠り世からでもはっきりと視認できた。夕日が沈み、暗くなりかけている西の空から星が——ティアマト彗星の姿がうっすらと浮かび始めていたのだ。
もう時間がない。彗星の落下が間近まで迫り、このカタワレ時も——もうすぐ終わろうとしている。
「分かった!! 三葉……聞いてくれ!!」
「!! う、うん……」
鬼太郎にアメノカガセオの対処を任せつつ、瀧は三葉に向き直る。カタワレ時が終われば、きっと二人はそれぞれの時間軸へと戻るだろう。別れは名残惜しいが、惜しんでばかりもいられない。
肝心なのは戻った後だ。三葉が元の場所に戻った先でどう動くべきか。勅使河原や早耶香と共に立てた作戦や、あちらの時代でも協力してくれているゲゲゲの鬼太郎のこと。
そして——町長である父親の説得など、大事なことを手短に伝えていく。
「——やれるか、三葉?」
一気に捲し立てての説明であったため、十分に概要が伝わったかどうか。三葉のことを気遣いながらも真剣に問い掛ける瀧。
「——うん……大丈夫! やってみせる!!」
瀧の問い掛けに、三葉もまた覚悟を決めた表情で頷いた。きっと大丈夫、瀧が繋いでくれたこの機会を決して無駄にはしないと。
微かに震えた声でありながらも、その胸に確かな決意が宿っていく。
「そうだ! 三葉、これ……」
空から夕日の名残がほとんど消えつつある。
カタワレ時がもうすぐ終わろうとしていたタイミングで、瀧は何かを思い出したように右手首に巻いていたものを外し、それを三葉へと差し出していた。
「あ、それって……」
差し出されたものに、三葉が目を見開く。
瀧が手首に巻いていたもの、それは『組紐』だ。三年前、瀧が初めて電車の中で直接顔を合わせた三葉から受け取っていた品。
「三年、俺が持ってた……今度は、三葉が持ってて」
「うん!!」
瀧はその組紐を、元の持ち主である三葉へと返すことにした。
それをたとえどれだけ遠く離れていても、二人の間の結び付きが決して消えないことを信じた、瀧なりの意思表示であったのか。
彼の気持ちに応えるべく三葉も組紐を受け取り、それを自身の髪にリボンのように括り付け——。
「——え?」
刹那、彼女の姿をその目に焼き付けようとしていた瀧の眼前から——三葉が消えた。
「三葉……?」
瀧が周囲を見渡すも、そこに彼女の姿はない。
見れば太陽が完全に姿を眩ましていた。カタワレ時が終わり、その場に夜が訪れていたのだ。
奇跡のような時間は終わった。
世界が正常に戻るや、まるで最初からそこに存在していなかったかのように。
彼女は時間軸の向こう側へ、忽然と姿を眩ましてしまった。
2016年
「…………大丈夫、俺は信じてる……覚えてる! 君の名前をっ!!」
唐突な別れに暫し何も考えられなくなっていた瀧。だがすぐにでもその顔に強がりの笑みを浮かべ、彼は独り呟いていく。
「言おうと思ったんだ……お前が世界のどこにいても、俺が必ず……もう一度逢いに行くって……」
彼女に会いたいと、そのためにここまで来た。
それが叶った以上、あとは彼女が事を成し遂げると信じるしかない。
今の自分にできることは、彼女の名前をしかとこの胸に刻みつけることだけ。
その名を忘れぬよう、繰り返し、繰り返し彼女の名前を瀧は叫び続ける。
「三葉、三葉……みつは。名前は……みつは!!」
「君の名前は……」
『——ガァアアアアアアアアアッ!!』
「——っ!?」
だが彼の叫びは、アメノカガセオの絶叫によって掻き消された。振り返ればすぐ近くで、アメノカガセオとゲゲゲの鬼太郎の死闘が繰り広げられている。
「何をしてる!? 早くここから離れるんだ!!」
鬼太郎はアメノカガセオと交戦しながらも瀧に向かって警告を飛ばす。もっと離れていなければ戦いに巻きこんでしまうと、瀧の身を気遣っての叫びだったが。
「——え? だ、誰だよ? ていうか……何なんだ、あの化け物は!?」
今の一瞬、アメノカガセオの唸り声に気を取られたほんの一瞬の間に、瀧は『大事なこと』を思い出せなくなっていた。
ここがどこで、あの化け物が何で、戦っているあの少年は何者で——。
胸を締め付ける、この気持ちは何なのか。
その想いすらも『彼女』の名前と共に、自身の中からこぼれ落ちていく。
「誰だ? 誰……お前は……誰だ?」
今の彼には、自分がどうしてこんなにも悲しい気持ちになっているのか、それすらも分からない。何故自分が泣いているのか、自身の感情すらもぐちゃぐちゃに溶け落ちていく。
「君の……名前は?」
絞り出すように呟かれたその疑問すら、怪物と少年の激闘によって掻き消されていく。
虚しさを抱いたまま、瀧は何もない空をただ見上げ続けるしかなかった。
2013年
「はぁはぁ!! はぁ……っ!!」
宮水三葉は走った。全力で走った。
こうしている今も空の彼方、視界の端にはティアマト彗星がちらついている。時間がない、早くしなければ糸守町に彗星が落ちてくる。
たとえ——たとえ『彼』の名前が思い出せなくとも、彼が自分に伝えてくれた危機だ。決して無駄にはしないという思いで、彼女は走り続ける。
そう、既に三葉の中からも『彼』の存在が消えかけていた。彗星のことを念頭に置きながらも、それでも彼のことを覚えておかなくちゃと必死に想う彼女を嘲笑うように。
世界は——三葉からも『彼』の名前を奪っていく。
「それでも……それでも、私は!!」
それでも、三葉は走るのを止めなかった。生きることを諦めなかった。悲しみに暮れている暇などない。自分が成すべきことを成さねば、きっと多くの人が死ぬのだ。
大丈夫、自分だけではない。勅使河原も早耶香も、△◇ゲの〇□郎とかいう少年も。皆が出来ることをしてくれている筈だから。
「私だって……!!」
だから彼女は走る。
自分にも成すべきことがあると信じて——。
彗星から大切な糸守の人々を守るため——。
今日という日を生き抜くため——。
もう名前も思い出せないあの人と。いつの日かもう一度巡り会うためにも——。
宮水三葉は、今この瞬間を走り続けていく。
そうして、星は落ちた。
ティアマト彗星は容赦なく大地を焼き、糸守の美しい町並みを悉く破壊し尽くしていった。
糸守という町の崩壊、終焉。
その未来、結末自体は誰にも変えることは叶わず。
破壊の後の無情な静けさが、人々の暮らしていた大地を沈黙で支配していく。
「——信じられん……まさか……本当に、こんなことが……」
彗星の落下から数分間。誰一人言葉を発することが出来なかった中、口火を切るように男は呟く。
未だに信じられない。まさか本当に彗星が落下してくることなど——実際に『避難命令を発した』町長・宮水俊樹にも、それを事実だと実感することが出来ずにいた。
ティアマト彗星によってもたらされた町の崩壊、その光景を——糸守高校の校庭から、ただ呆然と眺めている。
「…………み、皆さん、無事ですか!? 誰か……逃げ遅れた人はいませんか!?」
同じような感想を抱きながらも、役場の職員らしき女性が周囲の人々に声を掛け始める。
町民たちの無事を確かめる彼女の呼び掛けに——そこに集まっていた人々がそれぞれ口を開いていく。
「あ……ああ、大丈夫だ……」「おじいちゃん……?」「ああ……ここにいるぞい」「親父!? 無事だったんか!?」「おお……お前も無事だったか?」「みんな……生きとるの?」「お母さん……お家なくなっちゃったよ!」「そ、そうね……けど……」「点呼……点呼とるぞ!!」「う、嘘だろ……」「まさか、こんなことが……」「…………生きてる」
糸守高校の校庭では、数百人単位の人々が隣人の無事を確かめ合っていた。誰もが町の崩壊に悲観的な顔をしつつ、隣に家族や友人がいることを確認し合い、ほっと胸を撫で下ろす。
そう、町の破壊そのものを覆すことは出来なかったが——糸守町の人々は生きていた。
町長権限で発令された『緊急避難訓練』により、町中の人々全員が糸守高校の校庭に集まっていたのだ。祭りの最中での避難訓練など、不満を漏らす住人もいるにはいたが、大災害に直面した今ではそんなことも言ってはいられない。
結果論ではあったものの、町長のおかげで九死に一生を得たのも事実。その奇跡のような功績に、感謝こそすれど恨みなどあろう筈もない。
「うおおおおお!! やったぜ、三葉!! みんな生きとる!! 生きとるぜ!!」
「……信じられん……ほんとやったんや……」
避難してきた人の中には、当然ながら勅使河原克彦や名取早耶香の姿もあった。
勅使河原は歓喜の声を上げながら、早耶香は信じられないという思いを抱きながらも、皆が生還出来た喜びに浸っている。
「う、うん…………四葉、おばあちゃん……怪我はない?」
だが肝心の三葉はこれといってオーバーにリアクションを取ることもなく、冷静に家族の無事を確かめていた。
「お、お姉ちゃん……」
「ああ、無事だよ。怪我もない……」
三葉の呼び掛けに、四葉と一葉は戸惑いながらも答える。
彼女たちは最後まで、三葉が口走る『彗星落下』など眉唾物だと信じていなかった。だが実際に星は落ち、町は消し飛んだ。三葉の忠告を聞き入れなければ、何もかも終わっていただろう。
疑いを持っていただけに、合わせる顔がないとばかりに気まずげな表情で俯く。
「お父さん……信じてくれて、本当にありがとう……」
しかし三葉は二人を責めることもなく。もう一人の家族である父親に、自分の説得を最後には受け入れてくれた俊樹に感謝を伝える。
三葉にとって父親は、一種のトラウマでもあった。
母である二葉が死んでから、人が変わったように政治の世界へとのめり込み、自分たち家族を顧みなくなった父親。自分のことなどどうでもよくなったのだと、ずっと捨てられたのだと三葉は心の奥底で傷付いていた。
そんな三葉にとって、父親と向き合って彼を説得するのには相当な覚悟が必要であっただろう。
「三葉……私は……」
一方で、娘の覚悟に応える形で住民を避難させていた俊樹も気まずげであった。ずっと家庭を蔑ろにしていたという負い目、娘の——妻の残した言葉を妄言と切り捨ててしまっていたこと。
最後の最後になって聞き入れることこそ出来たものの、今更どんな顔をして三葉と向き合えばいいのか。
なんとも言えない空気が宮水親子の間に漂っていたが——。
『——オオォオオオ!! ウォオオオオオオオオオオオオオ!!』
「——!!?」
刹那、凄まじいまでの怒号が群衆の中を駆け抜ける。
その雄叫びは混乱の渦中にあった全ての人々を恐怖で震え上がらせ、強制的に黙らせてしまう。誰もが何事かと目を剥く中——『それ』は大地から染み出すようにしてその姿を現す。
「な、なんじゃあああ!?」
「ば、化け物……!?」
巨大な黒い——龍の化け物。
ほとんどの人々が、理解不能な存在を前に恐れ慄く中——三葉の口からは自然と、どこかで聞いた覚えのある名前が呟かれる
「…………アメノ……カガセオ……」
「なにっ!? アメノカガセオ……天香香背男だと!?」
これに俊樹が反応を示せたのは、彼が元々は民俗学の研究者だったからだろう。
まだ独り身だった頃、俊樹は学者としての調査でこの糸守町を訪れた。そこで二葉と運命的な出会いをし、彼女と結婚したわけだが——結婚前、研究者として宮水神社に足を運んだ際、彼は二葉からその悪神の名を聞かされたことがあったのだ。
宮水神社が祀っている御祭神が——倭文神建葉槌命であり。
その倭文神によって退治されたとされる悪神、『竜』こそが——天香香背男であることを。
無論、あくまで学者としてそれらの伝説になにかしらの意味を持たせようとしていた。
神やら竜など、所詮は何かの比喩表現に過ぎない。そういった伝承が伝わる理由、それを解読して歴史を紐解いていくことこそが彼の研究テーマであったからだ。
「まさか……本当に……」
だがそうではなかった。比喩でもなんでもない、アメノカガセオは——『竜』は実在していたのだ。
学者としての価値観、人生観をひっくり返された気分だが、目の前にそれが存在する以上は認めざるを得ない。
『——何故だ……何故だ!?』
一方で、人間たちを驚愕させる登場を果たしたアメノカガセオ自身も、理解できないと困惑気味である。
『逃れる術などなかった筈だ!? 今度こそ、貴様ら倭文神の末裔どもをこの地上から根絶やしに出来た筈なのに……何故このような結末になるのだぁああああ!?』
そう、本来の歴史であれば——宮水三葉を始め、多くの人々が死んでいた筈だ。アメノカガセオも今度こそ己の企みが成功したと、ほとんど確信に近い実感を抱いていた。
事実、何故かアメノカガセオの封印が解けてしまっている。そもそも、宮水の血筋が途絶えなければこの怪物が表に出てくることなどなかった筈だが。
この矛盾、一体どういうことか?
これは——『時間の流れ』を書き換えてしまったことにより発生したイレギュラーだった。
一度紡がれた時間というものは、書き換えられることを極端に嫌う。本来の歴史通りであれば三葉を含めた宮水の直系が途絶え、アメノカガセオの封印が解かれて然るべきであった。
しかし未来は変わった。宮水家は存続し、アメノカガセオの封印も維持される筈だ。
だがその事実を、『宮水家の存続』という事実を、時間を書き換えられた世界そのものが未だに認識出来ないでいたのだ。
あるいは、書き換えられんとする時間そのものが、アメノカガセオの封印が解かれていると世界に錯覚させてしまっていたのか。
いずれにせよ——ほんの一瞬の間ではあるものの、アメノカガセオの封印は停止し、奴は自由な行動が取れていた。
『かくなる上は……直接貴様らをっ!! この手で縊り殺してくれるわっ!!』
この好機を逃すまいと、アメノカガセオは本来ならばあり得ない手段——直接的な方法で宮水の人間たちを手にかけようとする。
アメノカガセオが直接動けるのであれば、人間の一人や二人殺すなど造作もない。
「あ……ああ……」
「お、お姉ちゃん!?」
「三葉!? 四葉!?」
流石に三葉もこのような事態は想定していなかった。
強大な怪物を相手に抵抗する手段などある筈もなく、妹の四葉や祖母である一葉共々。アメノカガセオの手によって座して死を待つしかないのかと、その表情が絶望に染まっていく。
「——やめろ!!」
しかし、ここで彼が——宮水俊樹は声を上げる。
誰もがアメノカガセオの恐ろしさから足がすくんで動けない中、彼だけは家族を守ろうと奮起する。
「この子たちに手を出すな!!」
娘たちを庇うために大きく両手を広げ、化け物相手に躊躇うことなく立ち向かったのである。
『どけ、凡夫め!! 貴様なんぞに用はないわ!!』
その足掻きを、アメノカガセオは歯牙にもかけない。
婿養子である俊樹は倭文神の末裔でもなんでもない。そんな輩など相手にするだけ時間の無駄であると、咆哮一つで蹴散らそうとする。
「…………」
しかし俊樹はビクともしなかった。怯えた表情を一切見せることなく、毅然とした態度で怪物を睨み返す。
「お、お父さん……!」
俊樹のその姿勢に三葉の瞳が揺れる。
ずっと父親に捨てられたと思っていた。彼が愛したのは妻である二葉だけだったと、その子供である自分たちなどどうでもよかったのではと、心のどこかでずっと思っていた。
でも違うのだ。俊樹は決して三葉たちを捨てたわけではない。そうでなければ、どうしても自分の命を賭してまで子供たちを守ろうと、あんな化け物相手に立ち向かって行けるだろうか。
言葉にはしない不器用な父親の愛情、三葉それを彼の背中から確かに感じ取っていた。
しかしそんな宮水親子の絆など、神たるアメノカガセオには預かり知らぬこと。
『貴様……よかろう!! そんなに死にたいのなら、諸共に滅びるが………!?』
一歩も引かない俊樹の態度を小癪と思いつつ、その程度では自分の障害にはならないと開き直る。俊樹ごと宮水家の女性たちを葬ろうと、アメノカガセオは力尽くで自身の目的を達成しようとしていた。
だが、その暴虐を実行に移そうとした瞬間——青白い光がアメノカガセオの正面、至近距離で輝き始める。
その輝きにハッと顔を上げると——そこには『浮遊する白い布に乗った少年』が指先を構えていた。
「————」
ゲゲゲの鬼太郎だ。
今ここにいる彼は、竜の正体がアメノカガセオだということを知りはしない。しかし殺意を剥き出しにする怪物の魔の手から、宮水親子を救うべく。
宮水二葉との約束を——彼女の家族を守るという約束を果たすためにも、必殺の一撃を放とうとしていた。
2016年
一方で、三年後の未来でも異変は起きていた。
『——な、なにぃい!? な、なんだ、これはっ!?』
山の頂上でゲゲゲの鬼太郎と交戦を続けていたアメノカガセオの動きが止まっていく。まるで鎖にでも縛られていくかのように、その動きが徐々に鈍り始めていたのだ。
「父さん、これは!?」
「うむ……どうやら、やり遂げたようじゃな!!」
鬼太郎と目玉おやじは、その事象が彼女——宮水三葉が無事に彗星から人々を守った結果であると、正しくその事実を認識できていた。人と妖怪の違いが出たのか、現時点で鬼太郎たちに瀧や三葉のような記憶の喪失は確認されない。
そして、宮水家の人々が生き延びたのなら、アメノカガセオの封印は解かれはしないと。その因果が、悪神を再びこの地に封じ込めようとする。
『おのれぇえええ!! 認めぬ!! このような結末など……認められる筈がない!!』
だが、やはり書き換えられることを嫌う時間が最後まで抵抗をやめない。アメノカガセオもそのまま屈服することをよしとせず、最後の最後まで悪あがきを続ける。
『——貴様さえ……貴様さえ、余計なことをしなければあああああああ!!』
今にも封じられんとする間際、アメノカガセオが狙いを定めた標的は——立花瀧であった。
詳しい経緯はどうであれ、彼の存在こそが未来が書き換わった最大の元凶だ。数千年越しの悲願を、たった一人の人間が台無しにしたのだから、アメノカガセオの怒りは途方もない。
たとえ最後に封じられようと彼だけは許さんとばかりに、その巨体が瀧の息の根を止めんと迫る。
「…………」
三葉の名前すら思い出せない今の瀧では、怪物相手に碌な抵抗も出来ず呆然と立ち尽くすしかないでいる。
「——アメノカガゼオ!!」
だがその暴挙を食い止めようと、鬼太郎はアメノカガセオの真正面に回り込みながら——指先に妖気を一点集中。
ここまで来て犠牲者を出す訳にはいかない。必殺の一撃で全ての幕を下ろそうと決意する
そして——。
「——指鉄砲!!」
『——指鉄砲!!』
二つの時間軸において、同時に鬼太郎の指鉄砲が炸裂する。
彗星のように輝く指鉄砲の軌跡が、他者の命を奪ってまで目的を達しようとした悪神の脳天を撃ち抜く。
『『——おのれ!! おのれぇええええええええええええええ!!』』
その最後のときまでアメノカガセオは人間への、天上の神々への憎しみに満ちていた。だが、かの者が『復讐』という神代から続く目的を果たすことはなく。
再度封印されることすらもなく、まつろわぬ神は——『竜』はその肉体を消滅させた。
2013年
「お、お前……ゲゲゲの鬼太郎……」
鬼太郎が指鉄砲でアメノカガセオを討ち倒すその光景を、宮水俊樹は呆気に取られたまま見ていた。
他の人間たちは鬼太郎が何者なのかも分からず、声すら出てこない。校庭に避難してきた数百人という町民の中で、今も鬼太郎という妖怪の名前を知っている、覚えているのは彼だけである。
「俊樹さん……二葉さんとの約束は果たしました」
「!!」
そんな俊樹に、鬼太郎は視線も向けないまま声を掛ける。
怪物から彼らを守ったのも、鬼太郎がこの日糸守町を訪れていたのも、全ては宮水二葉から依頼を受けていたからに他ならない。
彼女との約束を守るためにも、鬼太郎も今回は助け舟を出した。
「ここから先は……あなた方の問題です」
しかし依頼を終えた今、鬼太郎としてはこれ以上、糸守町の人々に関与するつもりはなかった。
ここから先、彼らは自分たちの力だけでここからの危機を乗り越えていかなければならない。命が助かったとはいえ、彗星によって故郷を破壊され、帰る家を失った糸守の人々。
ここから以前のような生活に戻るのは難しい。復興への道筋、その苦労は簡単に言葉に出来るようなものではなく、決して一筋縄ではいかないだろう。
実際、その後が大変だった。住民のほとんどが奇跡的に助かったとはいえ、糸守町自体は完膚なきまでに破壊されてしまっている。
町長として、俊樹も色々と手を尽くしたものの力及ばず。
災害から一年と数ヶ月後に、行政区としての糸守町は本来の歴史通りに消滅してしまう。
けど、人々は生きている。
たとえ故郷を失おうとも、それでも彼らは前に進むことを諦めはしない。
生き残った人々は各地へと移住し、それぞれの人生を歩んでいくこととなるのだ。
そうして、月日は流れていく。
2020年
「はぁ~……しんど……」
東京都。
大学三年生となっていた立花瀧は忙しい日々を送り、疲れたようにため息を吐く。
現在、瀧は就活に向けて色々と前準備に入っていた。まだ三年生の彼がこんな時期に就職活動のことを考えるなど早いように思えるかもしれないが、昨今は企業の選考も早期化している。
「妖怪なんて連中が暴れなければ、もう少しゆっくり出来たのかな……」
加えて、今年は例の戦争——妖怪たちとのいざこざもあってか、社会全体が混乱していた。新卒の採用を取りやめたり、会社そのものが潰れる企業なども出始めている中、三年生だからといって悠長に構えている余裕はない。
何事も早めに出来るならそれに越したことはないと、瀧の友人たちも着々と準備を進めている。
「何なんだろうな……ほんとに……」
しかし瀧は心ここにあらずと、いまいち就活に身が入っていなかった。
それは今に始まったことではない。この数年間、彼はずっと『何か』を『誰か』探している。けどその誰かが、どこの何者なのか思い出せないという自分でもよく分からない感覚にずっと悩まされてきた。
まるで心の一部が欠けてしまっているかのように、彼は今日もとりあえずで生きていた。
「…………ヤベ! そろそろ時間だ!!」
そういった感覚のせいかときよりボーッとすることがあり、気が付けば時間に追われていることが多かったりする。このときも、参加を予定していたセミナーに遅れてしまうと慌てて近道を行こうと。瀧は人気のない道を小走りで駆けていく。
すると、その道の向かい側から——カランコロンと、下駄の音を鳴らしながら歩いている少年とすれ違う。
「……!! キミ、ちょっと待って……!!」
一瞬遅れで、瀧はその少年を呼び止めた。
「キミ……ゲゲゲの鬼太郎だろ!? 前にも会ったことがある……よな?」
その相手は——ゲゲゲの鬼太郎。戦争時の活躍などもあってか、一般的にも知名度の高い妖怪の少年だ。
だが瀧は、彼が世間に広く認知される以前から面識があった。
あれは——そう、四年ほど前のことだったか。
あの頃、瀧は何故だか『糸守町』という、今はもう存在しない町に心惹かれていた。彗星衝突という自然災害によって壊滅し、しかしながら死者はほとんど出なかったという、奇跡のような一夜を乗り越えた町だ。
自分でも自覚がないほどに夢中になり過ぎていたのか、わざわざ現地まで足を運んだものだ。だがその際、瀧は糸守町近くの山の頂上で『得体の知れない怪物』に襲われたことがあった。
いったいその怪物が何だったのか、今ではその輪郭すら曖昧である。しかしその怪物から自分を守ってくれた少年が、確かゲゲゲの鬼太郎だったということは覚えている。
「……ああ、どうも。お久しぶりです」
鬼太郎の方も瀧のことを覚えていたのか、呼び掛けに対して軽い会釈で応えてくれる。
「キミが俺の探していた相手、いや……」
対面する鬼太郎に向かって、多分違うだろうなと思いながらも、瀧は問い掛けていた。鬼太郎は瀧が探し求めている相手ではない。何故だかそれは確信を持って言えることである。
「いえ……違いますよ」
案の定、鬼太郎からはキッパリとした否定の言葉が返ってきた。予想していた解答なだけあって、そこに落胆はない。だが——。
「その様子だと……まだ彼女には会えていないようですね」
「——彼女!?」
付け加えるように口に出されたその言葉に、瀧の意識が覚醒するように浮上する。
『彼女』——そうだ、彼女こそが瀧の探し求めている相手だ。今も名前が出てこないが、目の前の少年はその相手のことを知っている様子。
「な、何か知ってるのか!? 彼女って……いったい、誰のことなんだ!?」
ずっと探し求めていたものへの手掛かりを前に、瀧は鬼太郎に詰めかける勢いで『彼女』について尋ねていく。
「……そんなに焦る必要は、ないと思いますよ?」
「え……?」
だが興奮気味な瀧とは対象的に、鬼太郎は何かを悟ったように穏やかな口調で告げる。
「キミと彼女の行く先は同じです……そう遠くないうちに、きっと巡り会えますよ」
「…………」
「それじゃあ……」
それだけを言うや、鬼太郎はその場からクールに去ってしまう。
立ち去る鬼太郎の背中に向かって思わず手を伸ばしかける瀧だったが、呼び止めるようなことはしなかった。
「行く先は……同じ……遠くないうちに……」
別になんでもない言葉だった筈だ。
だがその言葉だけで、何故か少し霧が晴れたような気分になった。
「……就活、頑張るかな……」
いずれ巡り会える。
そのときに、彼女に逢っても恥ずかしくないような自分になっておかなければと。
そう思うだけでも、瀧は今日という日を懸命に生きていけるような気がし、再び歩き出していく。
ちょっと話の補足
今回は原作、二人が再会するシーンをあえて描写しませんでした。
彼らが再会するのは、公式では2022年の4月とのこと。
一方で鬼太郎6期の時間軸は2020年であるため、まだ再会出来ていない途中の段階としています。
ですが大丈夫。こちらの世界観でも二人は、雨上がりの晴れ渡る青空の下で再会することになるのだから……。
次回予告
「父さん……人は何故、いつの時代も不老不死などという夢を追い求めるのでしょう?
ボクたち妖怪でさえも、いずれは終わりが来るというのに。
永遠に生き続ける果てに……いったい何が待つというのでしょうか?
次回——ゲゲゲの鬼太郎 『人魚の森』 見えない世界の扉が開く」
次回はだいぶダークな話になる予定。
タイトル通り人魚が関わりますが、夢オチなんて結末にはならないのでご安心を……。