ーーー
「アイリスの叫び声が遠くで聞こえるって思った瞬間、ボクはもう意識を失ってた」
「次起きた時は病院のベッドの中だったよ。どうやら命までは失っていなかったらしい」
「こっちに来て知ったことだけどあの後アイリスが、どうかクラウンだけでも助けて欲しいって懇願してくれてたおかげでボクは病院に搬送されたんだ」
「幸運なことに2回目も急所は外れてたから、それほど長く入院する必要もなかった」
「だから傷が癒えて退院したら何をするかはボクの中でもう決まっていたんだ」
ーーー
病院のベッドの上でクラウンは無力な自分を責めました。自分の認識の甘さを悔いました。
しかしただ嘆いていてもどうにもなりません。大事なのは自分がこれから何をするべきか、その答えはすぐに見つかりました。
この事態を招いてしまった責任を取ること。
傷が癒えたクラウンは劇団を休止し、アイリスの行方を捜す旅に出ました。
数年かけた責任の旅路。その成果はというと、ゼロではありませんでした。
ただクラウンは旅路の果てに思いました。ゼロであった方が良かったかもしれない、と。
数少ない手がかりが示す残酷な現実に、自分の過ちの大きさを改めて思い知らされました。
やがてクラウンは長い旅を終え、後悔と絶望を抱いたまま家へと戻りました。アイリスと共に過ごした2人の家へ。
「ただいま」
家の中は少し埃っぽいところを除けば、旅に出かけたあの日から変わっていません。
「帰ったよ、アイリス」
もちろんアイリスの部屋だった空間もあの日のままです。
微かに残るアイリスの匂いが、アイリスとの日々を脳裏に蘇らせます。
ああ、本当にいなくなったんだね。
真の意味でアイリスとの別れを理解した時、クラウンの目からは大粒の涙が流れました。
「久しぶりに泣いちゃったよ。知ってるかい?ピエロは涙を流さないんだよ。その代わり心で泣くんだ」
その日の夜、クラウンはかつてアイリスが寝ていたベッドの側面を背にもたれて座り、ぽつぽつと問いかけます。
「旅を始めたあの日、いやアイリスと離れ離れになったあの時からボクはクラウンでなくなってしまった」
「そこで思い知ったよ、想像以上にボクは無力で弱かったってことを。失ってから気付くなんて愚かだよね、フフフ」
クラウンは自嘲するように乾いた声を上げます。
「どんな手品をもってすれば、アイリスを救えるのかな。そんな魔法がこの世界にあればいいのにね」
しばしの静寂の後、クラウンは表情を引き締めて再び口を開けます。
「そうそう、もうひとつ気付いたことがあったんだ」
「どうやらボクはクラウンと不可分の関係にあったらしい。いくらボクがそう思い込んだところでボクはクラウンだったってことだね」
「だからボクは明日からもクラウンとして生きて、舞台にも上がるよ」
「見ててごらん。最高のパフォーマーをも虜にするショーを届けるからね」
新たな決意を胸にクラウンは目を瞑りました。
ーーー
~~~…って!
「…?」
声が聞こえた。
~~~返事して!
確かに聞こえるボクのよく知る声。
~~~クラウン!聞こえる!?お願い返事して!
その声がずっと聞きたかったんだ。
「聞こえるよ、アイリス」
でも、ここが夢の世界だとボクはもうわかってしまってるみたいだった。
ーーー
「夢じゃなかったんだよね」
「まあ夢だと思ってたんだけど、この世界のことを理解していくうちにこれ夢じゃないねってね」
「ここではボクとアイリスが同じように存在し、意思疎通も行える。この世ではもう叶わなくなってしまったことができる世界なんだ」
「もちろん譜理子ちゃんも知っての通り、この世では不可能だった色んなことが可能となるんだ。世界が違えば仕組みや原理も違うんだろうね」
「アイリスはボクより先に来てたからこの世界のことを理解してた。状況が未だ飲み込めないボクに一通り説明するとアイリスはこう言ったんだ」
「人間共を滅ぼす、ってね」
「ボクは愕然としたよ。そこにはボクのよく知るかつての面影はなく、人間への憎悪と恨みに囚われた女の子がいたんだ」
「一体何があったんだい、って尋ねるとわからない、何も覚えてないって答えが返ってきた」
「諦めと悲しみ交じりの声色から察したよ。よほど酷い目にあったんだ、と」
「それこそ記憶を自ら封印しなければ自分を保っていられないような仕打ちを受けたんだってね」
「でも感情は残っていた。どんな目にあったかは覚えてなくても、その際に覚えた感情は忘れなかった」
「その結果、こっちの世界にまで引き継がれた人間に対しての憎しみや復讐心がアイリスを支配したんだ」
「ボクはその支配からの解放を決意した」
「同じ世界にいながらも別々の道を進んでいった。2人しかいない世界なのにね」
「たまに世間話や思い出話なんかもしたけど、一度たりとも楽しそうに話すことは無かったな」
「そのうち会話することも減ってきて、気が付けば対立するようになった」
「それからはもうお互いに目的達成のための思考と行動の繰り返しだったね」
「ボクもアイリスも時間をかけて力やその使い方を理解しながら発展させて…譜理子ちゃん」
クラウンが不意に名前を呼ぶ。
「って、ちょっとアナタ…!」
続けてアイリスがわたしの顔を見て驚く。
「…あ」
そこで気が付いた。涙を流していたことに。
「何で泣いてるのよ」
「だって…」
知らなかった。想像が及ばなかった。
「わたし、何も知らなかった…アイリスもクラウンもそんなひどい目にあってたなんて…」
「アタシにとってはもう過ぎたことよ。っていうかほんと泣き虫ね!」
「ボクのためにも泣いてくれてるんだね、ありがとう。譜理子ちゃんは優しいね」
涙で濡れた目元を拭う。その瞬間アイリスが何か言葉を発した気がした。
「…アイリス?」
「フフフ、素直じゃないね」
「うるさい!」
アイリスが何を言ったか聞こえなかったけど、何となくわかった気がした。
「そして譜理子ちゃんとの出会いに至るってわけだね」
昔話はそこで区切りを迎えた。