ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
夕食を終え、櫛田を部屋へと送り届けた柚椰は夜風に当たりながら敷地内を散策していた。
そしてそろそろ自室に戻ろうとしていた矢先、寮の近くで物陰に隠れている綾小路を見つけた。
「綾小路、何をしているんだい? そんな所で」
「黛か……あれを見てみろ」
「ん? なんだ、堀北か。一緒にいるのは……生徒会長か?」
綾小路の指差す方へ視線を移すと、そこには堀北と、以前演説をしていた生徒会長が何やら話をしているのが見えた。
しかし、ただ話をしていると言うには少々雰囲気が殺伐としている。
「Dクラスになったと聞いたが、3年前と何も変わらないな。ただ俺の背中を見ているだけで、お前は自分の欠点に気づいていない。この学校を選んだのは失敗だったな」
「そんなことは……! 私はAクラスに上がってみせます。そしたら──」
「無理だな。お前はAクラスには辿り着けない。それどころかクラスも崩壊するだろう。この学校はお前が考えているほど甘いところではない」
「絶対に、絶対に辿り着いてみせます……」
「無理だと言っただろう。本当に、聞き分けのない妹だ」
生徒会長の言葉から、彼と堀北は兄妹であることは察せられた。
彼の表情には一切の感情が宿っておらず、実の妹であるはずの堀北をまるで何の興味もないように見ている。
刹那、彼は無抵抗な妹の手首を掴み、強い力で壁に押し付けた。
柚椰はこの後何かが起こると考えて素早く腕時計を触り、同時に端末のカメラも起動した。
「どんなにお前を避けたところで、俺の妹であることに変わりはない。お前のことが周囲に知られれば、恥をかくのはこの俺だ。今すぐこの学校を去れ」
「で、出来ません……っ。私は、絶対にAクラスに上がってみせます……!」
「愚かだな、本当に。昔のように痛い目を見ておくか?」
「兄さん、私は──」
「お前には上を目指す力も資格もない。それを知れ」
刹那、堀北の身体が引かれ宙へと浮いた。
突然のことで堀北は全く受け身が取れていない。
このままだと彼女はコンクリートの地面に叩きつけられるだろう。
危険を察知した綾小路が物陰から飛び出していく。
そして気配を悟られる前に、彼は堀北の手首を掴む生徒会長の腕を掴み取り行動を制御させた。
「……何だ? お前は」
生徒会長は自分の腕を掴んでいる綾小路へ鋭い眼光を向ける。
堀北はいきなり出てきた綾小路を見て目を白黒させていた。
「あ、綾小路君!?」
「あんた、今堀北を投げ飛ばそうとしただろ。ここはコンクリだって分かってんのか。兄妹だからってやって良いことと悪いことがある」
「盗み聞きとは感心しないな」
「いいからその手を離せ」
「それはこちらのセリフだ」
二人は睨み合い、暫しの沈黙が広がる。
「やめて、綾小路君……」
絞り出すように、堀北の弱々しい声が響く。
綾小路は彼女の要求を呑み、渋々腕を離す。
その瞬間、生徒会長の恐ろしい速度の裏拳が綾小路の顔面目掛けて飛んできた。
彼は身体を反らすことで攻撃を回避する。
しかしそんな彼を追撃するように急所を狙った鋭い蹴りが振るわれる。
「っぶね!」
綾小路は飛んできた蹴りを間一髪で避けるが、続けざまに彼に向けて生徒会長の右手が伸ばされる。
掴まれれば先の堀北のように地面に叩きつけられるであろうことは簡単に予想出来る。
そのため綾小路は左手の裏でその手を叩くことで受け流した。
「ほう、いい動きだな。立て続けに避けられるとは思わなかった。
それに、俺が何をしようとしていたのかもよく理解している。何か習っていたか?」
「ピアノと書道なら。小学生の時、全国音楽コンクールで優勝したこともあるぞ」
生徒会長の問いかけに綾小路はズレた答えを返す。
「ふふっ、綾小路がピアノを弾くとは、これは面白いことを聞いた」
綾小路の返答が面白かったのか柚椰は笑いながら物陰から出てきた。
またしても乱入者が現れたことで生徒会長の眼光が柚椰に向けられる。
「お前は……黛柚椰か」
「これは生徒会長、知っていただけているようで嬉しいですよ」
柚椰はヘラヘラと笑いながら近づいていく。
「ふん、生徒会長として新入生の情報は把握している。全教科満点の
生徒会長は淡々と柚椰の名を知っている理由にについて語った。
「おや、もしかして生徒会長の中で俺は結構な問題児という位置づけですか? それはさておき、生徒会長は堀北のお兄さんだったんですね」
「遺憾ながらな」
「っ!」
生徒会長の冷たい発言に堀北がビクッと身体を震わせる。
そんな彼女を横目で見ながら、柚椰は生徒会長と向き合った。
「随分と過激なことを平気でするんですね。堀北の家はそういう躾の仕方が当たり前なのですか?」
「赤の他人には関係のないことだ」
「流石に友達がコンクリに叩きつけられそうになっていたところを見て知らぬ顔は出来ませんよ。そもそも、いくら夜とはいえ学校の敷地内で生徒会長があんなことをして平気なのですか?」
「ここに監視カメラはない。知られなければいいだけの話だ」
「なるほど……」
柚椰はそこで言葉を切ると胸ポケットから取り出した端末をちらつかせた。
「じゃあ、
次の瞬間、生徒会長の拳が柚椰の顔面目掛けて放たれた。
「おっと!」
顔へ飛んできた拳を柚椰はあっさりと回避する。
しかし綾小路のときと同様、続けざまに今度は膝蹴りが柚椰の腹へと繰り出される。
その膝蹴りを、柚椰は身体ごと横にスライドさせることで避ける。
すると今度は膝蹴りを放ったのとは反対の方の足を使った後ろ回し蹴りが顎目掛けて放たれる。
それを柚椰は綾小路に倣って身体を反らすことで対応した。
「怖い怖い、的確に急所ばかり狙うとは容赦がないですね」
「ふん、危なげなく避けておいてよく言ったものだ。そこにいるソイツもそうだが、お前も何か心得があるのか?」
「学校の部活であるような武道は一通り?」
「ほう? 面白い男だなお前は。鈴音、お前に二人のような友達が居たとはな。驚いた」
「黛君はともかく、綾小路君は友達なんかじゃありません。ただのクラスメイトです」
「綾小路、君振られてしまったよ?」
「いや、堀北に友達認定されているお前の方がレアなんだからな?」
生徒会長と堀北とのやりとりを他所に、柚椰と綾小路はそんな会話を繰り広げている。
「ところで生徒会長、この動画はどうしますか?」
柚椰は再び端末をちらつかせた。
「幾ら要求するつもりだ?」
「
その言葉に堀北が悲しそうに俯く。
「消していいですよ、どうぞ」
柚椰は生徒会長に端末を投げてよこした。
それを危なげなく受け取ると、生徒会長は素早く端末を操作すると件の動画データを消去した。
「ふん、どうやらお前は甘い男のようだな」
「貴方の妹さんが大事にしたくはなさそうだったので。友達のお願いは断れませんよ」
「……まぁいい。鈴音、相変わらずお前は孤高と孤独を履き違えているようだな。それからお前たち。綾小路と黛、お前らがいれば少しは面白くなるかも知れないな」
そう言い残し、生徒会長はその場から去ろうとした。
しかしその背に向かって柚椰が言葉を投げた。
「生徒会長、俺も貴方に一つ言っておきたいんですが」
「……なんだ」
「貴方は先ほど、堀北には上を目指す力も資格もないと言ったがそれは違う。何かを目指す。夢を描き、それを求めることは
「……面白い」
生徒会長はそう言って微笑むと、今度こそその場を後にした。
「じゃあ、帰ろうか」
柚椰はカラカラと笑い、綾小路と堀北に向き直った。
「二人とも、最初から聞いていたの……?」
「半分偶然だ。ジュース買ってたら外に行くお前を見かけてな。ただ立ち入るつもりはなかった。それは本当だ」
「俺は散歩の帰りにコソコソしている綾小路を見かけたからね」
堀北の問いに綾小路と柚椰は各々答えた。
「貴方たちには変なところを見られてしまったわね」
「気にするな」
「右に同じく」
「戻りましょう。夜も遅いわ」
堀北がそう促したことで、一同は寮へ戻るべく歩き出した。
「そういえば堀北、もう勉強会はいいのか?」
寮へ帰る道中、綾小路がそう言って口火を切った。
今日の勉強会は大失敗に終わった。
須藤たちの学力の低さもそうだが、堀北が彼らの神経を逆撫でしたことが直接的な原因だ。
「図書室でも言ったけど、私は赤点保持者に時間を割くだけ無駄だと判断した。卒業まで同じようにテストは繰り返される。その度に赤点を取らないようにカバーするなんて愚の骨頂よ」
「須藤たちは平田から距離を置いてるぞ。勉強会に参加するとは思えない」
「黛君も言っていたでしょう? それは彼らの気持ちの問題よ。彼らが本気で退学を回避したいと考えない限り、例え私が教えたところでどうこうなるとは思えないわ。寧ろ早いうちから彼らを切り捨ててしまえば必然的にマシな生徒だけになるでしょう。そうなれば上のクラスを目指すことも容易くなる。願ったり叶ったりよ」
「まぁ、枯れそうな枝を間引くことも時には大事だろうね」
柚椰は堀北の主張を援護するようなことを言った。
まさか柚椰がそんなことを言うとは思わなかったのか綾小路はジト目で彼を見ている。
「言っておくが、退学者が出ようがクラスには大して影響はないと思うよ?」
「……どうしてそう言い切れるんだ?」
柚椰の考察に綾小路は理由を尋ねた。
恐らく綾小路は退学者が出ることによって生じるデメリットの可能性を提唱して堀北を説得しようとしていたのだろう。
にも関わらず、先んじてその可能性を否定されたのだ。
心なしか彼の表情は不満そうだ。
「実力主義というものは、言い換えれば不良品にはとことん冷たいということだよ。ドロップアウトした残骸が優良個体の足を引っ張ることを認めるなんてこの学校はしないはずさ」
「……まだ確証はないだろう。それに、クラスポイントには0より下があるかもしれない」
「0って結果が、遅刻も私語もし放題の今の現状だよ? このまま堕落し続けていったところでポイントは動かない。ならば、それは彼らがこのままフェードアウトしたところで同じだと思うけどね?」
「例えそうだとしても、結論を出すのは早いと俺は思う。それに、須藤たちだってクラスに何かメリットを齎すかもしれない」
「へぇ、面白いじゃない。そのメリットは何? 言ってみなさい」
反論を続ける綾小路にそう尋ねたのは堀北だった。
「テストの点数だけでクラスの、生徒の優劣は決まらないってことはもう分かったはずだ。入学試験の点数は、恐らく須藤も池も山内もドングリの背比べだろう。でもアイツらはこの学校に入学できた。それは他の何かに秀でているってことじゃないのか?」
「……」
綾小路の問いかけに堀北は沈黙を以って答えた。
彼女が思い出しているのは水泳の授業で活躍していた須藤の姿。
彼が運動能力に秀でていることは言うまでもない。
「池だってコミュニケーションには長けてる。要は単純な学力では計れない能力を備えてるってことだろ。もし仮に今後学力以外を計る試験があったなら……それはアイツらが活躍し、クラスにメリットを齎すときってことだ」
「希望的観測ね。仮にそうだったとしても、彼らが満足のいく結果を出せる保証はないでしょう」
「でもだからといって今切り捨てるのはアイツらという武器をみすみす捨てるのと同義だ。今は後悔しなかったとしても、いずれ後悔するときがきっとある」
綾小路と堀北。二人はお互いの主張をぶつけ合い、そして曲げない。
綾小路は須藤たちに可能性があると信じている。
反対に堀北は須藤たちに何の期待もしていない。
両者の考えはとことん平行線だ。
ならば、この場にいるもう一人はどうだろうか。
「まぁ、保険はかけておいて損はないんじゃないかな? バカと鋏は使い用と言うからね」
柚椰はそう言って二人の間に割って入った。
思わぬ援護射撃に綾小路は意外そうな顔で柚椰を見た。
対する堀北は裏切られたと思ったのか、話が違うとでも言いたげに柚椰を睨んだ。
「黛君、貴方さっき彼らのことは切り捨てるべきだって──」
「俺は間引くこともときには必要、退学者が出てもポイントには影響ないだろうと言っただけだよ? 須藤たちを切り捨てるべきだとは一言も言っていないさ。それに綾小路の言う通り、学力以外のスペックを計る試験があるということは俺も思っていたからね」
「! ……やっぱり黛も気づいてたのか」
「勿論。学力以外で合格したのに、学校のカリキュラムでは学力しか計らないというのもおかしな話だろう? 案外、夏休み辺りに無人島に放り出されて自力で帰ってこい、なんて試験もあるかもしれない」
「そんな無茶苦茶な試験、あるわけないでしょう……」
突拍子も無い発想に堀北は頭を抱える。
「君の兄さんが言っていただろう? 『この学校は甘いところではない』と。ただ学力テストだけの学校であるならそんなことを言うかな? もしそうだったとしたら、いくらでも抜け道があるだろう。個では踏破できない何かがあると、常識では考えられない何かがあると考えるのが自然だ」
兄の発言を持ち出されたことで堀北は今度こそ反論する材料を失ったのか黙り込む。
恐らく彼女の頭の中では先ほどの兄との出来事がリフレインしているのだろう。
彼女のその沈黙を、綾小路と柚椰は見守っている。
「……分かったわ。ひとまず彼らを切り捨てるのは保留にする。今後役に立つことを見越した上での救済措置として、今回だけ彼らの面倒を見ましょう。ただし、当然二人にも協力してもらうからね。私だけに3人を押し付けるのは止めてちょうだい」
「俺に出来ることなら」
堀北がひとまず折れてくれたことに綾小路は胸を撫で下ろしながらそう答える。
「うん、俺も可能な限りやってみるよ」
柚椰もまた二つ返事で了承した。
こうして彼らは再び、須藤たちに勉強を教えるという方針で団結した。
「でも、問題はアイツらだよな」
綾小路は脳裏に須藤たち3人を思い浮かべる。
今日の出来事で、彼らが勉強に対して、堀北に対して悪い印象を持ったことは確実だった。
そんな彼らを今一度説得し、勉強会へ連れ出すことは出来るのだろうか。
「黛、もう一回櫛田に頼むってことは出来ないか?」
「そうだね……櫛田は了承してくれるかもしれないから問題ないとして、池と山内に関しては折れてくれると思うけど須藤がね……流石に堀北がいることを知れば、いくら櫛田でも説得するのは難しいんじゃないかな?」
綾小路は柚椰に今一度櫛田を使って須藤たちを誘い出すことは可能か聞いたが、どうやら難しいようだ。
「そもそも私は櫛田さんが勉強会に参加すること自体遺憾なのだけれど」
堀北に関してはそもそも櫛田が参加することが嫌なようだ。
「多少強引な手でもいいなら俺が須藤を連れてくるけど、どうする?」
二人が頭を悩ませていると、柚椰がふとそんな提案をした。
「出来るのか? 須藤は他人の言うことを素直に聞くタイプじゃないだろ」
「そうね、あの単細胞な男がすんなり聞き分けるとは思えないわ」
綾小路と堀北は須藤の性格上、素直についてくるとは思えないようだ。
しかしそんな彼らに対し、柚椰はニコリと笑みを浮かべた。
「言葉で不可能なら
あとがきです。
堀北兄って中々バイオレンスですよね。