ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
大失敗に終わった勉強会の翌日、朝のホームルームが始まる前に柚椰は櫛田を呼び出した。
そして昨日堀北と綾小路との話し合いで決まった事柄について伝えた。
改めて勉強会を開くこと。そして昨日と同じように3人に声をかけてほしいということを話した。
「というわけで、もう一回お願い出来ないかな?」
「それは別にいいけど、須藤くんは簡単にはいかないと思うよ? 堀北さんに教わるってだけで怒っちゃうかも……」
「まぁそれはね。昨日の今日でホイホイ釣られるほどバカではないだろう」
「……ほんっと、あの女心底ウザいわ。面倒かけさせやがって」
「本性出てる」
「はっ……!? も、もう~堀北さんにも困っちゃうよねっ」
柚椰に言われて我に返ったのか、櫛田は辺りを警戒しながら猫を被った。
昨日までの大女優ぶりは何処へやら、あまりにお粗末な猫被りに柚椰は苦笑いした。
「なんというか、俺にバレてから仮面が緩くなっているんじゃないかな?」
「黛君の所為だよっ!」
「なぜ?」
「だ、だって、黛君にも裏があるって分かったら、つい演じるの忘れちゃうっていうか……ただでさえ黛君と一緒にいるの楽しいし、気兼ねしないし、仕方ないじゃん」
恥ずかしそうにボソボソと櫛田は恨み節を口にした。
彼女にとって柚椰は最早友達以上に気を許せる相手なのだろう。
自分の本性を知っていても変わらず接してくれる。
それだけでなく柚椰もまた、
櫛田にとって、柚椰はやっと出会えた同類であり仲間なのだ。
つい本性を出して会話をしてしまうのも仕方ない。
「一緒にいて楽しいと思ってもらえるのは嬉しいけど、それで周りにバレたら本末転倒だよ?」
「だからバレないように黛君がちゃんと守ってよねっ」
「それは櫛田次第だね。君が俺に従ってくれる限り、俺も君を裏切らないし手放さない」
「──! じゃあ、私がちゃんと言うこと聞いてれば、黛君は私の味方になってくれるの?」
「勿論。昨日言っただろう? 俺は君のことを1番有能だと思っている。優秀な君を手放すわけがないじゃないか」
「じゃ、じゃあ、もし私と堀北さんが対立したら? それでも私の味方になってくれる……?」
上目遣いで櫛田がそう尋ねた。
彼女は、柚椰が肯定してくれることを期待しているような、どうか肯定してくれと懇願しているような目をしている。
そんな彼女に対して、柚椰が返す言葉はただ一つ。
「あぁ、もしそうなったとしても、俺は
「っ……! そっか、えへへ」
もし仮に櫛田と堀北が対立するような状況になったとしたら、柚椰は櫛田に付く。
これは彼が彼女を従えたときから決めていたことだった。
櫛田桔梗という人間は他人から求められることを何より悦としている。
それと同時に、彼女は誰かの一番になることを求めている。
誰かに大切にされることを心から願っている。
柚椰はそれを理解しているが故に、彼女の望む答えを投げたのだ。
(それに堀北が今の夢を目指すなら、
Aクラスに上がるという堀北の夢。
それを実現するならば、クラス全体の力も勿論だがそれ以上に彼女自身が強くならなければいけない。
坂柳有栖という怪物がAクラスにいる以上、今のままでは間違いなく堀北は折れる。
柚椰は堀北に期待しているからこそ、櫛田の味方であることを望んだ。
「とりあえず、昼休みにでも誘ってみてほしい。綾小路と堀北も連れてね」
「綾小路君はいいにしても、なんで堀北さんまで?」
そう尋ねる櫛田の表情は、暗に堀北と一緒に行動することが嫌と言っているように見える。
「中心になって行動してるのが俺とその二人だからね。俺の代わりに一緒に行動してほしい」
「え、黛君は行かないの?」
「昼休みはちょっと行きたいとこがあるからね。とにかく、嫌で嫌で仕方ないかもだろうが我慢してほしい」
「……今度買い物付き合って。それで手を打つ」
櫛田はそう言ってそっぽを向いた。
恐らくそれが彼女なりの落とし所なのだろう。
可愛らしい要求に柚椰は笑みを浮かべて応じる。
「あぁ、成功にしても失敗にしても、結果は連絡してほしい」
「分かった」
その言葉を最後に、二人は会話を切り上げて教室へ戻った。
昼休み、櫛田は言われた通り綾小路と堀北を伴って須藤たち3人を呼び出した。
すると程なくして有頂天気分の池と山内が須藤を連れてやってきた。
櫛田からの呼び出しということで浮かれていた彼らだったが、同席している堀北を視界に入れた途端に表情が強張る。
「呼び出してごめんね、ちょっと堀北さんから話があるって」
「な、なにかな? 俺たち、なんかしたかな!?」
堀北からの話と聞いて池が身構える。
「3人とも、平田君の勉強会に参加する気はないの?」
「え? 勉強会? いや、だって勉強とかダルいし、平田はムカつくし、テスト前日に詰め込んだらなんとかなるかなって。中学の時もそれで乗り切ってきたし」
池の言葉に山内と須藤は頷く。
彼らは目下に迫る中間テストは一夜漬けで乗り切るつもりらしい。
「貴方達らしい考え方ね。けれど、このままじゃ退学になる可能性は高いわ」
「……相変わらず何様なんだよ、お前は」
堀北の言葉に須藤が噛み付く。
昨日の遺恨はしっかりと残っているようだ。
「一番心配なのは貴方よ須藤君。退学に対する危機感がなさすぎる」
「テメェには関係ねぇだろ。いい加減ぶっ飛ばすぞ。俺は今バスケで忙しいんだよ。勉強なんてテスト前にやりゃ十分だっつの」
「お、落ち着けって須藤」
沸々と怒りを露わにする須藤に思わず池が宥めに入る。
須藤の怒りに危機感を持ったのは櫛田もだった。
「ねぇ須藤君、もう一回一緒に勉強しないかな? 一夜漬けでも乗り切ることが出来るかもしれない。けど、ダメだったら大好きなバスケットも出来なくなっちゃうよ?」
「それは、そうだけど……俺はこの女の施しを受ける気はねぇんだよ。昨日俺に吐き捨てた言葉は忘れちゃいない。まずは謝罪が先だろうが」
須藤は堀北に対して敵意以外の感情を持っていなかった。
彼自身、今のままではテストを乗り切ることが危ういということは理解できているのだろう。
しかしそれ以上に、須藤は堀北が自分に吐いた暴言が許せないのだ。
自分が入れ込んでいるものを、自分が目指している夢を嘲笑うようなことを言った堀北が。
そんな須藤に対し、堀北は勿論簡単に謝罪の言葉を口にはしない。
何故なら彼女は自分の言ったことは間違っていないと自負しているからだ。
「私は貴方が嫌いよ須藤君」
「なっ!?」
この期に及んで謝罪どころか火に油を注ぐようなことを堀北は言う。
「けれど今は、お互いに嫌い合っている場合ではないわ。私は私のために勉強を教える。貴方は自分のために勉強をすればいい。違うかしら?」
「そんなにAクラスに行きたいのかよ。嫌いな俺を誘ってまで」
「そうよ。そうでなければ、誰が好き好んで貴方達に関わると思ってるの?」
一切取り繕わない堀北の一言一言に須藤はさらに苛立ちを募らせていく。
「俺はバスケに忙しいんだよ。テスト期間でも、他の連中は練習を休む気配はねぇ。面白くもねぇ勉強してる間に、遅れを取るわけにはいかねぇんだよ」
須藤がそう言うと、堀北は鞄から一冊のノートを取り出して机に広げた。
そこにはテスト当日までのスケジュールが事細かに記載されていた。
「今から二週間、貴方達はまず平日の授業を死ぬ気で勉強しなさい」
「はぁ?」
堀北の言葉に須藤は眉を顰めた。
池と山内も何を言っているのか分からずキョトンとしている。
「普段、貴方達は真面目に授業を受けていないわよね?」
「決めつけないでもらいたいね」
心外だとでも言いたげに池が口を挟む。
すると堀北は須藤から池へ視線を移した。
「じゃあ、真面目に取り組んでいるの? 本当に?」
「スイマセン取り組んでないです。授業とか超退屈でボーッとしてます」
「池、お前折れるの早すぎだろ!?」
堀北の追求にあっさり降伏する池に山内がつっこんだ。
池の言葉を聞き、堀北はそれ見たことかと言わんばかりにため息をつく。
「要は貴方達は1日に、6時間以上もの時間を無駄に消費しているのよ。だったら放課後の1、2時間を拘束するよりもそっちを真面目にやったほうが有効よ」
「確かに理論的には正しいかもだけど……それは無茶じゃないかな?」
櫛田は堀北の方針に不安を感じていた。
それもそのはず。昨日だけでも須藤達の学力の底は知れた。
お世辞にも授業についていけるほどの学力があるとは言えないのだ。
そんな彼らに授業を真面目にやれと言ったところで無茶が過ぎるというのが櫛田の意見だ。
「授業の内容なんて俺ついていけねぇよ」
「俺も」
「寧ろそっちの方がストレス溜まりそうだ」
池と山内、そして須藤もあまり気が進まないようだ。
「それだけじゃないわ。授業で分からなかったことは次の休み時間の間に復習してもらう。私が貴方達3人に合わせた解答をまとめておくから。それを綾小路君と櫛田さんと私、あと今ここにはいないけど黛君を入れた4人で教えるの」
つまり休み時間は、堀北が用意した解答を基に復習を行うということだ。
確かにこの作戦ならば、休み時間を無駄無く活用して勉強することが出来る。
「で、でもよぉ、やっぱ間に合うとは思えねぇよ。高校の勉強難しいしさ」
「そうそう、訳分かんねぇってのが正直な感想だわ」
池の弱音に山内が同調する。
「1時間の授業で学ぶことは案外少ないものよ。ノートにして1、2ページほど。そこから重要性の高いものだけに絞れば半ページ分の知識を詰め込むだけで済む。どうしても時間が不足する場合に限って、昼休みを利用するつもりよ。私は別に問題を理解しろとは言わないわ。頭にそのまま叩き込んで欲しいだけ。大切なのは授業の時は先生の声、黒板に書き出される文字だけに集中すること。ノートを取ることは一旦忘れてくれて構わないわ」
「は? ノート取らなくていいのかよ?」
板書を写すという作業をしなくていいと言われ、須藤は不可解そうな顔をした。
「書きながら問題をやって答えを覚えるということは意外に難しいものよ? ノートだけ取って理解した気になって貰っても困るもの。物は試し。否定する前に実践してちょうだい」
「……やる気になんねぇな。時間かけてやったところでそんな簡単に勉強ができるとは思えねぇ」
「勉強に裏技なんてないわ。それは貴方の好きなバスケットだってそうでしょう?」
「……確かにそうだ、な」
どうやら須藤は僅かながらも堀北の言葉に耳を傾けるようになっているようだ。
「貴方のバスケットへの熱意を少しだけでも勉強の方にも向けてくれれば今はいいわ。これから先も学校でバスケットをやっていたいのなら、今貴方がすべきことは動き出すことよ」
それは須藤へ送る堀北なりのエールだった。
言葉こそ可愛げがないが、彼女はそれでも歩み寄っている方だということは明らかだった。
しかし、未だ須藤は堀北に従うのが癪なのか、中々首を縦に振らない。
その状況を見兼ねてか、綾小路がここで一石を投じた。
「なぁ櫛田、お前彼氏は出来たか?」
「え、えぇっ!? い、いきなりなに?」
まさかいきなりそんなことを聞かれるとは思っていなかったのか櫛田は大層慌てた。
心なしか頬も少し赤くなっている。
「どうなんだ?」
「い、今はいない、けど?」
綾小路の追求に戸惑いながらも櫛田は素直に答えた。
「なら、俺が次のテストで50点取ったら、デートしてくれ」
「えぇっ!?」
いきなりデートの約束を申し込まれるという状況に櫛田は混乱している。
しかしそんな状況に黙っていられない男たちが今この場にいた。
「何言ってんだよ綾小路! 櫛田ちゃん、俺は51点取るから! 俺とデートしてくれ!」
「お前こそ何言ってんだ! 櫛田ちゃん、俺52点取るからデートしてくれ!」
割って入ってきたのは池と山内。
彼らもまた、テストの点数を材料に櫛田にデートを申し込んだ。
俺も俺もと群がる男子2人を見て、櫛田はようやく綾小路の発言の真意に気づいた。
「えーっと、困ったなぁ……私、テストの点数で人を判断しないよ?」
「でも、勉強頑張るならやっぱご褒美欲しいし。見ての通り池と山内は乗り気だぞ? 何かご褒美があればやる気も出ると思う」
真意に気づいた櫛田は綾小路とそんなやりとりを交わす。
その最中も池と山内は櫛田に対して熱い視線を送っていた。
ご褒美を下さいと言わんばかりに2人の目は輝いている。
「じゃ、じゃあこうしない? テストで1番点数の良かった男の子と、その、デートするって……私、嫌いなことでも頑張って努力出来る人は好きだなっ」
天使のような笑顔で、櫛田は彼らにご褒美を与える旨を伝えた。
「うおおおおおお! やる! やるやる! やります!」
「絶対高得点取ってやるから見ててくれよな櫛田ちゃん!」
池と山内は興奮のあまり叫び散らしている。
しかし、最後の一人、須藤に関しては──
「付き合ってらんねぇ。俺もう行くわ」
須藤はそう言うと足早にその場を去ろうとした。
まさか帰ろうとするとは思わなかったのか池が慌てて呼び止める
「なんだよ須藤〜! お前だって櫛田ちゃんとデートしてぇだろ? 素直になろうぜ!」
「は? 俺は別に……っつーかデートする時間があるなら俺はバスケやってた方がいいわ」
どうやら須藤はクラスのアイドルとのデート権よりもバスケの方がいいらしい。
根っからのバスケ少年ということなのだろうか。
彼はそう言い残すと、本当に帰っていってしまった。
「なんだ須藤の奴、ツンデレか?」
「野郎のツンデレとか誰得だよ」
池と山内は須藤のノリの悪さに若干不満そうだ。
「やっぱり須藤君は中々納得してくれないね……」
「だ、大丈夫だって櫛田ちゃん! 後でもう一回説得してみるから!」
「アイツだって本当はデートしたいはずだし、俺らに任せてくれ!」
悲しそうにする櫛田に池と山内は慌ててフォローする。
説得は任せろと言い残して、二人もまたその場を後にした。
「というか櫛田、お前って結構酷いな」
去って行く二人を見送りながら、ふと綾小路がそう呟いた。
「どうして?」
「
「てへっ、バレちゃった」
目論見を看破された櫛田は悪びれるそぶりもなく頭をコツンと叩いた。
「何にせよ、3人のうち2人は懐柔出来たわけだし僥倖ね。櫛田さん、礼を言わせてもらうわ。ありがとう」
結果的に須藤こそ説得できなかったものの、池と山内は勉強に対してやる気になった。
その結果を加味してか、堀北は素直に礼を述べた。
まさか彼女が素直に感謝の言葉を口にするとは思わなかったのか、礼を言われた櫛田も横で見ていた綾小路も驚いている。
「い、いいよいいよ! 私なんかで役に立てたなら嬉しいし。それに、黛君にもお願いされちゃったからさ」
「そうか、そういえば櫛田は黛に頼まれて今日来てくれたんだったな。俺からも感謝する」
堀北に次いで綾小路もまた、櫛田に対して感謝の言葉を口にした。
「あ、そうだ。黛君に連絡しなきゃ」
櫛田はそう言うとポケットから端末を取り出した。
彼女の言葉に堀北は首を傾げる。
「連絡?」
「うん、成功しても失敗しても、終わったらとりあえず連絡してほしいって」
「そう……やっぱり須藤君が折れないことは織り込み済みだったってことね」
「でも本当にどうしよう……須藤君がやる気になってくれる方法があればいいんだけど」
柚椰へのメールを打ちながら、櫛田は須藤の懐柔案を模索している。
しかし不安そうな彼女とは打って変わって堀北と綾小路は冷静だった。
「それに関しては黛君を信頼しましょう。そうよね綾小路君?」
「あぁ、どうにかして連れてくる方法はあるってことは昨日言ってたからな」
「え、そうなの?」
初耳だと言わんばかりに櫛田はキョトンとしている。
「明日の朝まで待ってみましょう。須藤君が参加すると決まったら本格的に始めるわ」
「あぁ、分かった」
「う、うん!」
堀北の提案に、二人は首を縦に振った。
「では生徒会長、俺はこれで失礼します」
同時刻、柚椰はそう言って生徒会室を出て行こうとしていた。
昼休みに彼が行きたいと行っていた場所。
それはこの学校の生徒会室だったのだ。
目的はただ一つ、生徒会長である堀北学に会うためだ。
「黛、俺と契約した以上、約束は守ってもらうぞ」
去ろうとする柚椰の背に、生徒会長は言葉を投げる。
顔を突き合わせてはいないまでも、彼は鋭い眼光で柚椰を睨んでいた。
「分かっているとは思うが、俺がお前に与えた情報は
「分かっていますよ。心優しい先輩に教えてもらった、ということにしますので。今後とも、お互い持ちつ持たれつの良い関係でいましょう」
「それと……俺がお前に命じたこと、
そう言うと生徒会長は一層鋭い目つきで柚椰を見据えた。
彼が柚椰に命じたことはそれほどまでに重要なことなのだから。
その声色と背中に突き刺さるプレッシャーに柚椰はカラカラと笑った。
「えぇ、勿論忘れていませんよ。約束は守ります。貴方に言われた通り、
では、と言い残して柚椰は生徒会室を出て行った。
あとがきです。
黛君と生徒会長が何の取引をしたのかは次回お楽しみに。