ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
「こんにちは生徒会長、昨日ぶりですね」
綾小路と堀北と櫛田が須藤たち3人を説得している頃。
生徒会室を訪れた柚椰は開口一番そう言った。
室内には彼の言う通り、生徒会長である堀北学が一人で事務作業をしていた。
堀北会長は昼休みの来客、それも相手が昨日出会った柚椰ということもあり作業を中断して彼と目を合わせた。
「黛か、何の用だ? 生徒会への立候補、ということでもないんだろう?」
「話が早くて助かります。昨日の夜に貴方が起こした暴行未遂についてなんですけど、実は一つ言い忘れていたことがありましてね。まずはこれを見ていただければと」
柚椰はそう言って端末を操作してとあるデータを再生した。
それは昨日の夜、寮の近くで会長が堀北をコンクリートに叩き付けようとしたときの映像だった。
それだけではなく、会長が綾小路を執拗に攻撃している場面、そして柚椰に殴りかかって来た場面が映し出されていた。
「……」
会長は黙って動画を見ている。しかしその表情は普段とは異なり、驚いているようにも見える。
「実は端末のカメラ以外でも動画を撮っていたことをすっかり忘れていまして。動画以外にも、貴方が妹さんに吐いた暴言とも取れる音声も録音してあったんです」
「……何が目的だ?」
白々しくヘラヘラと笑う柚椰を会長は射殺さんばかりに睨みつけた。
柚椰が昨日すんなりと動画を消させたのはブラフであり、本命はこのデータを使ってこちらを強請る魂胆だったと気づいたのだ。
「ポイントか? それとも、お前を生徒会に入れるよう斡旋しろとでも言うつもりか?」
「いえいえ、流石に俺も貴方の弱みに付け込んで金を巻き上げるようなことはしませんよ。ただ、どうしてもデータを闇に葬りたいと仰るのなら、一つお願いがありまして」
「言ってみろ」
会長が促したことで、柚椰はニヤリと笑みを浮かべた。
「この学校の
「……ふざけているのか?」
要求を聞いた会長はこれまで以上に鋭い眼光で柚椰を睨んだ。
同時に彼から吹き出すのは殺意にも似た敵意。
当然だ。柚椰が要求しているのは要は生徒たちのプライバシーの塊。
それは学校側と、生徒会長である彼しか知らない、知ってはいけないものなのだ。
無闇に口外することは勿論、情報を渡すなど到底許される行為ではない。
その非常識にもほどがある要求を呑むわけにはいかないのだ。
しかし彼の殺気を受けて尚、柚椰は笑みを絶やさない。
「おや、では言い方を変えましょうか──」
「──
「っ! ……それはどういう意味だ?」
会長が一瞬息を呑んだのを見て柚椰はこれまた可笑しそうに笑った。
「おや、動揺しましたね。やはりいくら冷たく接しているとはいえ、妹さんは大事ということですか」
「御託はいい。どういう意味かと聞いている」
柚椰の茶々を切り捨てるように会長は続きを促す。
「昨日の一件ですよ。俺も最初はてっきり貴方は自分の名誉が汚れるから堀北と兄妹という事実を隠そうとしたのかと思っていました。けれど、それにしては彼女にアドバイスとも取れる言葉を残している。彼女がAクラスに上がりたいという夢を否定しながらも俺と綾小路を頼れと暗に忠言していた。ならば何故貴方は自分と兄妹であることを隠そうとしたのか。結論を言えば、デメリットが生じるのは貴方ではなく
「ふん、くだらん妄想だ。何故俺が不肖な妹を気にかけなければならんのだ」
「分かってるはずですよ。貴方は自分のことを狙っている、自分を疎ましく思っている人間に心当たりがあるのではないですか? 一般生徒からの支持は厚く、教師からの人望もある貴方を蹴落としたいと考えている人間。考えられるとすればそれは──同じ生徒会の人間、ですよね?」
「……」
その追求に会長は無言を貫く。
「沈黙は肯定ですよ。大方察するに、それは次期会長のポストに就くであろう人間。
「……昨日お前を面白い男と言ったが訂正しよう。お前は食えん奴だ」
会長は暗に肯定の意を示した。
そして背もたれにゆっくりと寄りかかると、大きく息を吐き出した。
「お前の言う通り、俺を蹴落とさんとしている人間は副会長の南雲だ。俺とアイツは根本的に思想が異なるからな。このままアイツが生徒会長に就任すれば、間違いなくこの学校の秩序は乱れる。俺や歴代の生徒会長が築き上げてきたものを、アイツは跡形もなく壊すだろうということは俺も感じていた」
「貴方がそれほどまでに危険視するということは、件の副会長は革命でも起こすつもりですか?」
「アイツが掲げているのは究極の実力主義。これまで以上にこの学校を弱肉強食に変えるつもりなのだろう。強者は勿論アイツ自身。弱者は皆アイツに淘汰され、搾取され、全てを失うだろう」
「随分と物騒ですね。よくそんな問題児が副会長にまでなれたものだ」
「実力主義のこの学校において、アイツの品格などさして問題ではない。現にアイツは優秀であり、その行動には確たる自信を持っている。だが、俺に言わせればアイツのその絶対的な自信こそが危険なのだ。たとえ悪逆非道な暴君だと言われようと、アイツはそれを
「その彼が、貴方の兄妹である堀北を自陣に引き入れるかもしれない。それを危惧しているということですね?」
「鈴音がそう簡単に誰かに従うような人間でないことは俺が一番よく分かっている。だがそんなアイツだからこそ、南雲との相性は最悪なのだ。南雲は自分が気に入った人間ならば、どんな手を使ってでも手に入れる。たとえそれが非道なことであろうと、彼はそれを正義だと自負しているのだからな」
「引退した貴方は生徒会長としての権限を失い、ただの一般生徒に戻る。あとは自分の息のかかった人間を使って貴方を囲い込み、身柄を拘束する。貴方に憧れている堀北は、貴方の身に危険が迫っていると脅されれば屈さずにはいられない。結果、彼女は南雲に従わざるを得ないということですか。随分と強引だ」
「俺のことなど捨て置けと言っても鈴音は聞かないだろう。南雲は何人もの女生徒と関係を持っているが、その全てを
「いいお兄さんじゃないですか。といっても、彼女自身は貴方のことを尊敬している反面恐れてもいるみたいですが」
「ほざけ。生まれつきこうなのだ。今更歩み寄ることなど性に合わん」
会長はそう言ってそっぽを向くが、その眼差しはこれまでとは全く違う優しい目をしていた。
彼は本心では妹を大切に思っているのだろう。
だがそれを素直に表に出すことができないが故に冷たく当たる。
不器用と言う他無いが、それは紛れもなく兄妹愛のそれだった。
「とにかく、貴方は南雲の勢力をこれ以上大きくさせたくない。加えて、彼が会長に就任した際に暴挙に出ないよう今のうちに力を削いでおきたいということですね?」
「その通りだ。既に生徒会に立候補してきた1年もいたが、南雲の手にかかる恐れのある者は既に落とした」
「Bクラスの一之瀬さん、ですか」
柚椰が口にした名前を聞くと、会長は僅かに口角を上げた。
「聡いな。南雲は美麗な女とあればすぐに声をかけてくることは予想できていた。俺の代で生徒会に入ったとあれば、彼女に声をかけてくることは間違いない」
「貴方の物を奪うということにも快感を覚えるから、ですね?」
「俺と反目している以上、彼女を奪うことは俺への見せしめにもなるからな。勿論、俺は自分についてきてくれている者たちを所有物と思ったことは一度もない。だが南雲はそうは思わないだろう。大方、他人の女を寝取る間男のような気分にでもなるはずだ」
南雲に対する辛辣な発言に柚椰は声を出して笑った。
「ははっ、いくら危険視しているとはいえ、副会長にそこまで言うとは貴方も本気ですね」
「これ以上、アイツを付け上がらせるわけにはいかんのでな。だが俺が一之瀬を落としたとしても、既に彼女が生徒会に立候補したという情報は出回っている。結果として、いずれ南雲に声をかけられることは明白だ」
「では貴方が目下危惧しているのは妹さんのことだけでなく一之瀬さんのことも、ということですか」
「肉親であろうとなかろうと、この学校に入学してきた以上俺にとっては大切な生徒だ。易々と毒牙にかかることを看過できるわけもないだろう」
「理想の上司ですね貴方は。支持率の高さも納得だ」
「世辞はいい。それで、これを聞いてお前はどうすると言うのだ?」
そう言って会長は柚椰をまっすぐ見つめた。
その目は敵意の目ではなく、柚椰がどう行動するかを問うような、何かを期待しているような目だった。
柚椰はそれを理解したからこそ、今までのヘラヘラとした態度から一転して真面目な顔つきになった。
「今の話を聞けば、流石に俺もデータの形に情報を寄越せとは言いませんよ。条件を一つ加えましょう。情報を頂ければ、貴方のそのお願いを聞くことを約束します」
「ほう?」
「南雲の戦力を削ぐこと、そして貴方の妹さんと一之瀬さんが彼の手にかかることを阻止する。情報を頂いた対価として、俺はこれらの依頼を達成するよう動きます」
「出来るというのか? お前に」
会長の声色は柚椰のことを否定するような冷たいものではなく、本当に可能なのかと試すようなものだった。
その問いかけに対して、柚椰は不敵に笑った。
「そこは信頼していただく他無いですね。入学してまだ間もない1年生の俺にそんな大それたことが出来るのかどうか。全ては貴方が俺をどれだけ高く買っていただけるかにかかっています。ですが、協力を惜しまないことは約束しますよ。俺としても、貴方が会長である今の方が居心地が良いことは確かなので」
「……いいだろう。その契約に応じる」
暫し思案した後、会長は柚椰との契約に応じた。
その言葉に、言質を取ったと言わんばかりに柚椰は笑みを深める。
「では交渉成立ということで」
柚椰はそう言うと端末に入っていた昨日の映像のデータを全て消去した。
そして会長に端末を渡してデータが残っていないことを確認させる。
その際に、会長は柚椰の持つプライベートポイントを見たが、さして驚いてはいなかった。
「生徒の情報に関しては、後で端末に送って頂ければと。連絡先を交換して頂いてもよろしいですか?」
「あぁ、構わん」
二人は連絡先を交換し、いつでもコンタクトが取れるようにした。
「頂いた情報は勿論基本的に公開はしませんし、貴方から頂いたということも伏せさせていただきます。ただ、場合によっては貴方の名前を使うかもしれないということだけ留意して頂ければ」
「一之瀬の説得のときにか?」
会長がその発想に至ったことに柚椰は楽しそうに笑みを浮かべた。
「流石、貴方も十二分に聡いですよ。俺が貴方に依頼され、貴方から情報を受け取ったという前提は彼女を説得する上で必須ですから。彼女は貴方に憧れて生徒会に立候補したんでしょうし、貴方が身を案じているということを告げれば納得してくれるでしょう」
「随分と人の感情を熟知しているようだな。副会長がお前のような人間だったなら俺も安心だったと今になって思う」
先んじて作戦を立てる柚椰に会長は感心していた。
そして、次期会長が柚椰のような人間であったならどれだけ安心できたかと意味のない仮定に頭を巡らせる。
会長の言葉がむず痒いのか、柚椰は困ったように笑った。
「ご冗談を。俺みたいなのは精々裏で動く程度がちょうど良い。表立って人の上にいるべきなのは、貴方のような人だ。貴方とは今後とも、良い関係を築いていきたいですね」
「奇遇だな、俺もだ。お前のような人材とは今後も有益な関係を望む」
二人は笑みを浮かべながら互いを褒め称えている。
お互いに相手を高く買っているが故に、今後も自分の利益になるような関係を望んでいた。
「近いうちに一之瀬さんに接触します。彼女が良い方へ転んでくれた場合は連絡しますので」
「あぁ、頼む」
「では、この学校の未来のために、お互い尽力しましょう」
「ふん、言われるまでもないがな」
こうして二人は互いに利用し合う関係になった。
あとがきです。
黛君、生徒会長と仲良くなるの巻。