ようこそ人間讃歌の楽園へ   作:gigantus

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彼は不良少年を手懐ける。

 

 

 

 時刻は午後7時。既に陽は沈み、辺りは暗くなっていた。

 既に殆どの生徒たちは寮へ帰宅しており、校内に残っているのは部活に所属している生徒のみだ。

 一通り用事を済ませた柚椰は目的の人物に出会うために体育館へと足を踏み入れた。

 体育館の中に入ると、目当ての生徒はすぐに見つかった。

 

「ふっ!」

 

 既に部活は終了しており、部員も帰宅しつつある中、その生徒は体育館に残っていた。

 彼は熱心にバスケットボールを突き、汗を流している。

 素早いドリブルでゴールまで向かうと、彼はその体躯を駆使して大きく飛び上がり、ボールをリングへ叩き込んだ。

 その一連の動作は鮮やかと言う他なく、彼のバスケセンスが確かなものであることが伺えるものだった。

 

「やぁ、居残り練習とは精が出るね、須藤」

 

「あぁ? ……って、なんだ黛か」

 

 いきなり声をかけられたことに驚き半分怒り半分と言った様子で須藤は声のする方へガンを飛ばした。

 しかし相手が柚椰だと分かると直ぐにその怒りを鎮めた。

 

「何の用だよ? 言っとくが、俺は勉強会なんざ参加しねぇぞ」

 

 須藤は柚椰が勉強会に誘いに来たと思ったのか、再びボールを突き始めた。

 その態度に柚椰は可笑しそうに笑みを浮かべる。

 

「昨日堀北にボロクソに言われてムカついたかな?」

 

「当たり前だろ。自分の夢を愚かだなんだと言われてヘラヘラしてられる方がどうかしてるぜ。っつーか、マジであの女ムカつくぜ……! 人のこと好き放題馬鹿にしやがってよ」

 

 須藤は昨日の一幕を思い出したのか怒りを沸沸と滾らせ始めた。

 彼はまだ堀北のことを許していないのだ。

 そんな状態で、勉強を教わるというのは彼のプライドが許さないのだろう。

 

「人間は自分の理解できないことには大概無神経なことを言うものだ。彼女にとって、プロバスケ選手になるという夢は理解できないものだったということだろう」

 

「俺はあの女のそういう所がムカつくんだよ。周りは皆自分より劣ってると思って見下してやがる。っていうか、俺に言わせればAクラスに上がるっつーアイツの夢の方がどうかしてると思うがな」

 

「とても非現実的だ。そんな夢を掲げて馬鹿なんじゃないか、と思っているのかい?」

 

「あぁ、どう考えても無理だろそんな夢。皆で力を合わせてAクラスに上がりましょうだぁ? ハッ! 馬鹿馬鹿しい。そんなこと夢見てるアイツは俺より愚か者で、ただの浮かれ女だよ」

 

 この場に本人が居ないのを良いことに、須藤は好き勝手に暴言を吐き連ねる。

 その姿に柚椰は一層可笑しそうに笑った。

 

「はははっ、随分とボロクソに言うね。でもそれは堀北も同じさ。今の君と同じようなことを、彼女は君に対して思っている。 互いに相手の夢が理解できない。無理だと思っているからこそ相手を愚かだと思うんだ」

 

「あぁ?」

 

 言っていることが理解できないのか須藤は鬱陶しげに柚椰を睨んだ。

 

「君が本気でプロのバスケ選手になろうとしているのと同じだ。彼女も本気でAクラスに上がろうとしている。夢を本気で追うことの過酷さと辛さ、同時に生まれる楽しさは君が一番良く分かっているだろう? だからこそ他人に夢を馬鹿にされるのは腹が立つし、半端な気持ちで夢を語る奴のことが許せない。違うかい?」

 

「だったら何だよ。俺に堀北を許せとでも言うつもりか?」

 

「いいや、部外者の俺がそんなこと言うのは筋違いだ。これはあくまで君と彼女の問題だよ。火種を生んだのが彼女である以上、彼女が先に謝るのが道理だ」

 

「分かってるじゃねぇか。黛は話の分かる奴で助かる」

 

 柚椰の言葉に気を良くしたのか須藤は上機嫌でボールを突く。

 しかし、このまま柚椰が話を終えるはずがなかった。

 

「でも、一つ聞かせてほしいことがあるんだ」

 

「あん? なんだよ」

 

 

 

 

 

「──今の君は()()()バスケをやっているのかい?」

 

 

 

 

 

 

「……あ゛ぁ?」

 

 柚椰の言葉に一気に沸点を突破したのか、須藤がこれまでとは異なる怒気を飛ばした。

 それほどまでに、今の柚椰の発言は彼の癇に障ったのだろう。

 しかしその怒気を受けても尚、柚椰は煽ることを止めない。

 

「おや、何かおかしなことを言ったかな? 俺には今の君が本気でプロになるためにバスケをやっているようには見えなかったというだけなんだが」

 

「知ったような口聞いてんじゃねぇよ。テメェに何が分かんだよ……!」

 

「だって今の君は、()()()()()()()()()()()からさ」

 

「ハァ?」

 

 理解できないとでも言いたげに須藤は眉を吊り上げる。

 

「何言ってんだ黛、俺は今日だってこうやって──」

 

「余計なことを考えたくなくてバスケに打ち込んでいるだけだろう? バスケ部の皆に置いて行かれたくなくて、でもテストは赤点を取るかもしれない。何をやって良いか分からなくて、結局自分の自慢であるバスケに逃げているだけだ」

 

「……」

 

「勿論、俺はプロバスケ選手になろうという君の夢を否定するつもりはないよ。けれどこの学校に入った以上、夢を実現させるにはどうしても勉強は付き纏う。今までバスケだけをやってきた君にとって、今の現状は凄くストレスを感じるということも理解しているつもりだ。だからこそ、君が今何をすべきか、何を目先に考えれば良いのか俺が示してあげようと思ってね」

 

「同い年の癖に年長者ぶるんじゃねぇよ!」

 

 そう言うと須藤はボールを思いっきり床に叩きつけた。

 

「分かってんだよ俺だって! 勉強しないとヤベェってことくらい! けど、それでも! 俺に勉強なんざ出来るわけねぇだろうが! 今までバスケしかやってこなかったんだぞ……? テスト勉強なんざいつも一夜漬けでギリギリ赤点回避してきたんだ! けど高校の勉強はそんな甘くないってことくらい俺だって分かってる! 1教科でも赤点取ったら退学なんて聞いてねぇよ! 俺はバスケでプロになるための通り道としてこの学校を選んだんだ! なのに! この学校に入ったらバスケだけじゃやってけねぇなんて……俺にはバスケしかねぇんだ! 今までマジで本気でバスケに打ち込んできたんだ! こんなとこで夢が絶たれるなんて嫌だ! けど、だからって今から勉強してどうにかなるわけ……」

 

 それは慟哭にも似た須藤の本心。

 彼は本当はとうに分かっていたのだ。

 このままでは本当に赤点を取って退学になるかもしれないということに。 

 けれど、今まで勉強などロクにしてこなかったからこそ、勉強というものに躊躇いを感じている。

 頑張っても駄目なのではないか。

 今から勉強しても間に合わないのではないか。

 そういった不安から彼はその一歩を踏み出せないでいる。

 結果、今尚バスケに縋っているのだ。

 

 

「必ず赤点を回避する方法がある、としてもかい?」

 

「は?」

 

「先に君にだけ教えるけど、俺には定期テストで()()()()()()()()()()秘策がある。それを使えば君は赤点を回避することは勿論、60点……いや、80点は取れる」

 

「ハッ、そんなハッタリ信じろとでも?」

 

 口から出任せだとでも言いたげに須藤は鼻で笑った。

 しかし柚椰は尚も強い語気で言い続ける。

 

「もう一度言う。俺の言う通りにすれば、君は赤点を取って退学になることはない。これからもバスケをやっていたいのなら、()()()()()()()()()()()()

 

「そう言われて、はい分かりました……なんて言うわけねぇだろ!」

 

 反骨心が剥き出しになったような形相で、須藤は柚椰に詰め寄った。

 

「テメェの言うことが嘘だろうとなかろうと、俺はテメェの命令を聞く気はこれっぽっちもねぇ。どうしても言うこと聞かせたいってんなら、力づくでやってみろよ!」

 

「ほう、力づくなら良いんだね?」

 

 須藤から言質を取った柚椰は、先ほど須藤が投げ捨てたボールを拾い上げる。

 

「なら、君のお得意のバスケでやってあげよう。1on1。5本先取。俺が勝てば、今後俺の言うことには全て従ってもらうよ。もし君が勝てば、そうだな……金輪際、君には口を出さない。勿論、堀北や綾小路にも徹底させることを約束する」

 

「ナメてんのか……? この俺にバスケで挑むだぁ? 調子乗ってんじゃねぇぞ!」

 

 自分に有利な条件で勝負を挑んできた柚椰に須藤は完全にキレている。

 今まで努力してきた分野で戦うというのは勿論悪くない。

 しかし、柚椰の態度が問題だったのだ。

 条件は柚椰にとって不利であるはずなのに、彼は普通に勝つ気でいるように見えたからだ。

 

「君にとってこれ以上ないほどに有利な条件だろう。それとも……勝つ自信がないから怒っているのかな?」

 

 須藤をやる気にさせるために、柚椰はさらに火に油を注ぐ。

 結果、須藤は目を血走らせて犬歯を剥き出しにした。

 

「あ゛ぁ!? 上等だ、やってやるよ! 言っとくが、怪我しても文句言うんじゃねぇぞ!」

 

 こうして柚椰と須藤、2人の勝負が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふっ!」

 

 柚椰が放ったボールがリングに綺麗に入った。

 これで得点は4対0。つまり柚椰が勝負に王手をかけた。

 

「ぐっ……!」

 

 須藤はその光景に歯を食い縛る。

 彼は決して、みすみす得点を許したわけではなかった。

 当然全力で、柚椰の攻撃を止める気で立ち向かったはずなのだ。

 しかし、ドリブルをする柚椰に相対する度に、彼は床に尻餅をつかせられた。

 そう、一度や二度ではない。

 

 柚椰が攻撃する度に、()()()()()()()()()()()のだ。

 

 その現象を彼はよく知っている。

 研究をするためにプロのバスケ選手の試合を観ていたときに見たことがあった。

 現象の名は『アンクルブレイク』。

 相手が重心を移動させた瞬間に切り返すことで、相手のバランスを崩させ転ばせる技術だ。

 努力に努力を重ねた一部のプレイヤーだけが会得できる高等技術。

 それを今、目の前の相手は駆使している。

 その事実に須藤は戦慄していた。

 

「(どうなってんだよ!? なんでコイツがこんな技を? バスケ部じゃなかったはずだろうが!)」

 

「さぁ、次は君の攻撃だよ」

 

 座り込んで呆然としている須藤に、柚椰は拾い上げたボールを差し出した。

 

「──っ! ナメんなァッ!!」

 

 須藤は勢いよく立ち上がり、柚椰からボールをもぎ取るとすぐさま攻撃に転じた。

 圧倒的不利な点差であるが、須藤は決して諦めていない。

 その大柄な体格を使い、膠着状態に持ち込めば勝機はある。

 一般的に見れば高身長である柚椰だが、それでも須藤よりは小柄だ。

 力押しで突き進み、空中戦に持ち込めばリングにボールを押し込むことは可能だと踏んでいたのだ。

 

「おらァァッ!!!」

 

 右手にボールを持ち、須藤は大きく跳び上がった。

 飛んでしまえば、柚椰の身長ではブロックすることは不可能だと確信していた。

 しかし──

 

 

 

 

()()()()、と思っていたよ」

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 須藤は、右手に持っていたはずのボールがいつの間にか無くなっていることに気づいた。

 いや、無くなったのではない。正確には須藤はボールを持って跳んですらいなかった。

 

 彼は()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 この現象もこの勝負の最中に何度もあったことだ。

 柚椰を抜こうとしたときも、距離を取ってアウトサイドからのシュートに切り替えようとしたときも。

 動き出そうとした瞬間に、ボールが手から弾かれていった。

 読まれているとしか思えないその現象に、須藤は為す術などなかった。

 

「別に俺は未来が()えるとか、そんな常識外れなことをしているわけじゃないよ?」

 

「じゃあ、一体なんで……なんで俺の動きが分かるんだよ!? 実際に感じてみりゃ分かる。テメェのそれはただ速いんじゃねぇ、完全に俺の先の動きが見えてるとしか思えねぇ!」

 

 キャンキャンと犬のように喚き散らす須藤を尻目に、柚椰は先ほど弾いたボールを拾い上げる。

 そしてゆっくりとボールを突きながら、須藤の疑問に答えた。

 

「単に目がいいだけだよ。人間の目の動きや体の動き、仕草や癖。それらを視て相手が今何を考えてるか、何をするつもりか()()()()()()()()さ。そして須藤、君は特に読みやすかった、というだけのことだよ」

 

「あ゛ぁ!? テメェ俺のことバカだって言いてぇのか!」

 

「実際バカだろう? 14点」

 

「あ、テメェ! 俺を点数で呼ぶんじゃねぇ!」

 

 苗字で呼ばないことに須藤は怒った。

 しかし柚椰はカラカラと笑うと、そのままスリーポイントラインまでドリブルで一気に前進した。

 

「まぁとにかく──」

 

 柚椰は跳び上がると、そのままボールを放った。

 いきなり攻撃を始めたことで須藤は完全に意表を突かれていた。

 ボールは綺麗に放物線を描き、そのままリングに触れることなく入り、ネットを通過した。

 その鮮やかなシュートに須藤は見入って言葉を発することが出来なかった。

 

「これで5本目。俺の勝ちだ」

 

 ニッコリと笑顔を浮かべながら柚椰は自分の勝ちを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いただきます……んっ」

 

「……」

 

「うん、美味い。どうしたんだい? 須藤も食べなよ」

 

「……」

 

 そう促すが、須藤は微動だにせずに柚椰を見つめている。

 2人の前にはハンバーグステーキとライスが2つ置かれていた。

 しかし須藤は料理に一切手をつけない。

 その態度から何を勘違いしたのか柚椰はニコリと笑った。

 

「あぁ、心配しなくてもここは俺の奢りだ。遠慮せず好きなだけ食べるといい」

 

「ボコボコにされた相手に奢られてるってどういう状況なんだよ!!」

 

 このままでは埒が明かないと判断した須藤はテーブルをバンッ! と叩いて怒鳴った。

 そう、あの後2人は学校を出て、その足で夕飯を食べるためにファミレスに入った。

 といっても、柚椰が須藤の手を掴んで強引に連れ込んだのだが。

 テーブル席に通されると柚椰はさっさと注文を済ませ、あれよあれよという間に料理が運ばれてきて今に至る。

 なにがなんだか分からない、というより完全に置いてけぼりを食らっていた須藤にも限界が来たのだ。

 

「マジでなんなんだよ黛、っつーかお前だってポイント苦しいはずだろうが」

 

「え、別に苦しくはないよ?」

 

「は? いやだって、今月ポイント0だっただろ?」

 

「少しばかり色々やって増やしたんだよ。ほら」

 

 柚椰は端末を操作して現在のプライベートポイントを表示させると、それを須藤に見せた。

 その数値を見た須藤は目を剥いてひっくり返りそうになるほど驚いた。

 

「はぁぁぁぁっ!? ちょっ、おまっ、桁がおかしくねぇかコレ!? 俺の知ってるマックスのポイントより0が1個多いんだが!? っつーか頭の数字もおかしいだろ! なんだよ4って!」

 

「まぁそういうわけでご飯を食べる分のポイントには困っていない。だから奢るくらいはどうってことないってわけさ」

 

 あっけらかんと言い放つ柚椰に須藤は疲れたように背もたれに寄り掛かかった。

 

「はぁー……なんか只者じゃねぇとは薄々思ってたが、マジでお前何者なんだよ」

 

「ふむ、用心深い小心者、かな?」

 

「俺に喧嘩売ってきた時点で小心者とは言わねぇよ!」

 

 柚椰のズレた発言に須藤は全力で物申した。

 

「さっきの勝負は俺が勝ったわけだから、約束通りこれからはちゃんと俺に従ってもらうよ」

 

「チッ……わぁったよ、真剣勝負で決まったことを守らねぇほど俺はクズじゃねぇ。ちゃんと勉強するよ。あの女に頭下げろって言うなら嫌で嫌で仕方ねぇがやってやる」

 

「さっきも言っただろう? それに関しては俺が口を出すことじゃない。胸倉を掴んだ君も勿論悪いけど、この件で1番悪かったのは堀北だ。彼女が謝らない限り、君は謝らなくていい」

 

 柚椰がそう言うと、須藤は意外そうな顔になった。

 

「なんだよ、そこはちゃんと分かってくれるのか」

 

「俺は君を奴隷のように使う気はないからね。君の気持ちはある程度汲むさ」

 

「へぇへぇ、そりゃありがたいですよ」

 

 須藤は言葉こそ投げやりだが、その表情は柚椰への感謝の気持ちが見てとれた。

 ひとまず須藤がこちらを僅かながら信頼してくれていると感じた柚椰は早速今後の予定を話した。

 

「これからの動きを伝えておくよ」

 

「おう」

 

「まず勉強会だけど、基本は今日堀北が言った通りに進める。授業をメインにして休み時間にその復習。だけど、須藤の教師役には俺が就く」

 

「黛が?」

 

「あぁ、堀北に教わるのは君も嫌だろうからね。櫛田は池と山内が取り合いになるだろうし、そのあぶれた方に堀北が就く。そして沖谷には綾小路が就く予定だ」

 

「へぇー」

 

「そして須藤、現状君を制御できるのは俺だけだ。君は俺に従うと約束した以上、俺が教えれば素直に勉強してくれると信じている」

 

「まぁ、な……少なくとも他の奴らよりかは黛の方が良い」

 

「そして勉強会でベースを作ったら、君たちにはあることをやってもらう」

 

「あること?」

 

 首を傾げる須藤を他所に、柚椰は再び端末を操作してあるものを表示させると、端末を自分と須藤が顔を突き合わせているテーブルに置いた。

 

「これがさっき俺が言った、定期テストの必勝法だよ」

 

「ん? って、おい! これって……!?」

 

 端末を覗き込んだ須藤は、それが何なのか理解したのか目を見開いた。

 

「そう、過去問だ。今日2年生から買い取った」

 

 柚椰が見せたのは、数時間前に2年の先輩から買い取ったテストの過去問。

 あの後先輩は急いで寮に戻り、過去問のデータを端末に入れて送ってきたのだ。

 夜ならいつでもいいとは言っても、柚椰のためにすぐさま行動に移してくれた。

 先輩が柚椰を信頼している証拠である。

 

「俺たちが先月末に受けた小テストの過去問も合わせて貰ってある。照合した結果、全ての問題が一致してる。要はテストの問題は毎年同じものだということだ」

 

「ってことはよ、これを覚えてテストを受ければ……」

 

「あぁ、必ず赤点は回避できるし、なんなら勉強が苦手な君でも成績上位に食い込むことが出来る」

 

「マジかよ! こんなんあったら楽勝じゃねぇか! なぁ、早く俺にも送ってくれよ」

 

 早く早くと餌を強請る飼い犬のように須藤は急かした。

 しかしその要求に柚椰は首を横に振る。

 

「さっき言っただろう? これをやるのはベースを作った後でだ。早いうちから甘い蜜を覚えたらロクなことにならない」

 

「なんだよー、別にいいだろ?」

 

「いや駄目だ。クラスにもテストの3日前か4日前に公開するつもりだ。最初から過去問があると知れば、誰も彼もが4月の状態に逆戻りする可能性があるからね。全員同じように勉強をさせる。勿論君だって例外じゃない」

 

「で、でもよ、ベースを作るったって具体的にどれくらいかかるんだ?」

 

「それは君のやる気次第だね。当然俺も君に分かるように教えるつもりだけど、結局は君が自分の知識として身につけられるかどうかだ。君が一生懸命やってくれれば、俺もそれ相応の対応をする。今日のコレみたいにご飯もご馳走してあげるし、夜に勉強をしたいと言うなら付き合ってあげるよ」

 

「お、俺なんかにそこまでしてくれんのか……?」

 

「あぁ、須藤のために俺はとことんやってやる。だから君も頑張って俺に食いついてきなよ」

 

「黛……」

 

 柚椰の言葉に感動したのか須藤は少し目が潤んでいた。

 今まで人にここまで優しくされたことなどなかったのだろう。

 元々乱暴な性格だった所為か、教師も親も腫れ物に触るような態度で接してきた。

 クラスメイトからは怖がられ、そして嫌悪されてきた。

 そんな人生だった須藤にとって、柚椰という存在は自分に尽くしてくれる初めての人だったのだ。

 ここまでしてくれる相手に、一体自分は何をしてやれるだろうか。

 それはまだ分からないが、今はただ彼の言う通りに頑張ってみよう。

 そう須藤は結論づけた。

 

 

「俺、やるよ。マジで勉強と向き合ってみる。そんでテストでも良い結果出してやる。だからよ、黛も俺にとことん付き合ってくれ!」

 

「勿論、頑張ろうね須藤」

 

「おう!」

 

 そう元気よく返事をすると、須藤は笑顔でハンバーグにかぶり付いた。

 彼の笑顔は、今までで1番の良い笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがきです。
黛君、赤髪大型犬を手懐けるの巻。

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