ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
「な、何これ……」
寮へと帰宅した佐倉愛里はパソコンを見て呆然としていた。
デジカメに入っているSDカードを読み込み、中の写真を確認しようとしたとき、彼女は事態に気づいた。
SDカードの中には確かに写真が入っていた。
校舎から見える夕焼けの写真、中庭の樹木から差し込む木漏れ日の写真。
他にも美しい風景の写真が並んでいたが、どれ一つとして見覚えが、撮った覚えがない。
極め付けはとある1枚の写真だ。
寮の一室でDクラスの生徒たちが楽しそうにジュースやお菓子をつまんでいる写真。
こんな場面に自分はいたことなどないし、ましてや写真に写っている人たちと関わりなどないはずなのだ。
佐倉はこの写真を見て、このデジカメが自分のものではないことに気づいた。
「ま、まさか……!?」
彼女は今日、自分が寮に帰ろうとした際に起こったアクシデントを思い出した。
櫛田の追求から逃げようとした際に、彼女はある男子生徒にぶつかってしまった。
そのとき自分はデジカメを落とし、相手はカバンの中身を床にぶち撒けていた。
考えられる可能性は一つだ。
そのときに、彼のデジカメと自分のデジカメが入れ替わってしまったのだ。
「ど、どうしよう……!?」
事態に気づいた佐倉は大いに慌てた。
自分が今こうしてSDカードの中身を確認している以上、相手も同じことをしているかもしれない。
もしそうならば、相手は自分の秘密を、絶対に知られてはならない秘密を知ってしまったかもしれない。
頭の中で最悪の可能性が湧き上がり、脳を一色に埋め尽くす。
その日、彼女は不安と恐怖から一睡もできなかった。
「いらっしゃい、入って」
「お、お邪魔します……」
同時刻、柚椰は自分の部屋に櫛田を招いていた。
おっかなびっくりといった様子で櫛田はおずおずと部屋に入る。
「黛君のお部屋来るの初めてだから緊張するなぁ」
中に案内された櫛田は、柚椰の部屋を見回した。
以前祝勝会の時に言っていたように、柚椰の部屋は綾小路の部屋とそう違いはなかった。
強いて挙げるとすれば、デスクの上にドンと鎮座しているモニターくらいだろうか。
今日日学生が寮に置くのは殆どがノートパソコンである中、どうやら柚椰はデスクトップ派らしい。
「お茶でも淹れるよ。コーヒーと紅茶どちらがいいかな?」
「えっ、あ、うん、じゃあ、紅茶がいいな」
「分かった。適当に座っていいよ」
柚椰がキッチンに向かうのを見送り、櫛田はとりあえずローテーブルの近くに置かれた座布団に腰を下ろした。
座れる場所は他にもあるが、デスクの前は論外としてベッドに腰掛けるのもなんとなく憚られたのだ。
「学生寮ならこんなものだろうとは思っていたけど、やっぱりもう少し広い方がいいよね」
「そ、そう? 1人部屋なら十分じゃないかな」
「部屋に人を呼ぶと少し手狭に感じるよ。現に祝勝会の時は結構窮屈だったからね」
「あはは、それはそうだね」
「広い部屋をポイントで買えないものかな。茶柱先生に聞いてみるか」
コンロでお湯を沸かしながら柚椰は待っている櫛田とそんなやりとりをしていた。
会話中も、櫛田はキョロキョロと部屋の中を見ていた。
これといって目を惹くものは無く、至って普通の学生の部屋といった感じだ。
机の横には教科書やファイルが並んでいる棚が置かれており、それほど珍しくもない。
数分後、2人分のティーカップを持って柚椰が戻ってきた。
「はい紅茶。砂糖とミルクは?」
「あ、うん、欲しいかな」
「分かった」
櫛田がそう言うと、柚椰はローテーブルにカップを置いて再びキッチンに戻り、砂糖とミルクを持ってきた。
それを彼女に手渡すと、柚椰はデスクの前の椅子に腰掛けた。
「それで、いきなりどうしたの? 今から部屋に来いなんて」
紅茶を一口飲み、櫛田は早速本題に入ろうとした。
「あぁ、今日佐倉に話しかけて失敗しただろう? その話だよ」
「うーん、やっぱり中々心開いてくれないよね……」
櫛田は今日の放課後の一幕を振り返って苦笑いした。
取りつく島もないといった佐倉の態度に櫛田も苦戦していた。
結局逃げられてしまい、説得は失敗。
日を改めて声をかけてみようということで落ち着いたが、正直望みは薄かった。
「そのことだけど、正直言ってもう佐倉の証言はあまり必要なくなった」
「えぇっ!?」
柚椰がいきなりそんなことを言ったからか、櫛田は大層驚いた。
「ど、どういうこと!?」
「正確には佐倉が持っていた証拠は既に手に入れたからお役御免ということだよ」
「手に入れたって、どうやって……」
「これだ」
柚椰はデスクの上に置いてあったデジカメを手に取って櫛田に見せた。
櫛田は一瞬何を言っているか分からないといった表情をしていたが、やがて意味を理解したのか目を見開いた。
「もしかして佐倉さんのデジカメ……!? な、なんで」
「彼女が逃げようとしたとき、俺とぶつかっただろう? そのときに俺は鞄の中身を床にぶちまけた」
「うん」
「そのときに佐倉の持っていたコレと、俺が予め用意してたデジカメをすり替えたんだ」
「すり替えたって……で、でも佐倉さんの持ってるものと同じものをどうやって用意したの?」
「彼女が教室で度々デジカメを弄っていたのを見ていたからね。簡単に同じものを手に入れることが出来たよ」
「佐倉さんを観察してたのはそのため?」
「正解。彼女の情報は既にあったからね」
そう言うと柚椰はパソコンを操作し始めた。
「佐倉愛里。性格は極めて内向的。趣味は写真撮影。彼女の性格上、説得して証言台に立たせることが出来る可能性は限りなく低いと考えた。そして彼女の趣味から、今回の事件の証拠を持っているとすればそれは写真だと当たりをつけた。だから全く同じデジカメを用意して、彼女のものとすり替えることを思いついた」
「じゃ、じゃあ須藤君の事件の写真も」
「あぁ、今このパソコンに入っている。彼女と風景の写真の中に写っていたよ。須藤とCクラスの生徒たちとの喧嘩の様子がね」
柚椰はパソコンのモニターに写真を表示させると、モニターごと動かして櫛田にそれを見せた。
画面に映された写真には確かに須藤たちの姿が写っている。
「で、でも、まだ審議の日まで時間はあるんだよ? こんな強引な手で写真を集めなくたって佐倉さんを説得すれば──」
「彼女が所属しているクラスはどこかな?」
「え、そりゃあDクラスだけど……!?」
どうやら櫛田は柚椰の質問の意図が分かったようだ。
「そう。暴行事件の被疑者として扱われてる人間と
「そんなっ、だって、佐倉さんは本当に事件を見てたんだよ? 写真だってあるし!」
「今は木曜日の夜。現時点で説得が出来ていないんだ。明日か来週頭か、なんとか説得したとしても審議の日直前だ。どうして早く名乗り出なかったのか、なんて指摘が当然くるだろう」
柚椰の淡々とした解説に櫛田は言葉を返すことができない。
「彼女という証人が使えないとなると、あとはこの物的証拠しか効力を持たない。それも彼女が審議の場で提出するよりは、情報提供で得たという形にしたほうが効果はある。佐倉本人を引っ張り出すより遥かに効果的なんだ」
「そんな……」
「だが、彼女もカメラが入れ替わったことにはすぐに気づくはずだ。恐らくもう気づいているかもしれないね」
手の中でデジカメを弄びながら柚椰は佐倉の様子を推測していた。
「明日にでもうっかり間違えたということにして返すつもりだよ。用意していたカメラには事前に撮影していたデータが入ったSDカードを挿しておいたから、この言い訳が疑われることはまずない。勿論、彼女のSDカードの中身を見たことは伏せる。そうしたほうがプラスに働くからね」
「どういうこと?」
「SDカードの中には事件の写真以外にも色々な写真が入っていたんだ。彼女が人には
櫛田はそこで柚椰の本当の狙いに気づいた。
「見ていないと言われていても、本当かどうかは分からない。不安を抱えた人間ほど、転がしやすいものはないよ?」
ニヤリと笑う柚椰に、櫛田はゾッとした。
今まで何度か柚椰の恐ろしさは肌で感じてきたが、何度経験してもたまらない。
背筋が凍るような冷たさ、底の見えない闇の深さ。
櫛田は柚椰には一生敵わないと理解しているが故に、彼の裏の顔に心底傾倒している。
「本当、私じゃどう足掻いても黛君を出し抜くなんてこと出来ないね……」
「出し抜くつもりだったのかい?」
「ううん、全然。確かに最初は脅されて出来た関係だけどさ、今の私は黛君に何がなんでもついていくって決めてるから。そうしたほうが私にとっても良い方に転ぶだろうし、なにより黛君の役に立てるでしょ?」
もう櫛田は自分の弱みだの、利害関係だのは考えていなかった。
ただ柚椰の役に立ちたい。
彼の手となり、足となることが結果的に自分にとっての幸せに繋がるのだと理解した。
たとえ柚椰にとって自分がただの駒であったとしても構わない。
最後に彼と同じ側で笑っていられればそれでいいのだ。
「佐倉さんも引き入れるつもりなの?」
「いや、今回の事件に関して言えば彼女は既に用済みだよ。勿論、証言台に立つというのなら止めないけどね。でもカードは既に手に入れている以上、
「拾われるって誰に?」
「さぁ、それは分からない。でも、俺は彼女がこのまま搾取される豚で終わるとは思っていないよ。もしかしたら大きく化けるかもしれないし、そうならないかもしれない。良い方に転ぶかそうでないかは彼女次第だ」
「冷たいんだね……」
「そういえば、例の件は順調かな?」
柚椰はもう佐倉について話すことはないと言わんばかりに話題を変えた。
櫛田はすぐに以前柚椰に言われた件についてだと気づく。
「うん、順調だよ。1日2人、昼休みと放課後に1人ずつ声かけてポイントも渡した。あとは佐倉さん含めて数人だけかな」
「そうか、感触としてはどうだった?」
そう尋ねられると、櫛田は愉快そうに笑みを浮かべた。
「皆口を揃えてありがとうありがとうって感謝してたよ。本当、馬ッ鹿みたいにね。黛君の思惑通り、皆私に付いたみたい」
「計画通り、だね」
「うんっ!」
櫛田は満面の笑みで頷いた。
表情と声こそいつもの彼女だが、その言葉は彼女の本心からのものだった。
櫛田は自身が理想とする世界に着々と近づいていることを実感し、幸福に満ち満ちていた。
「平民は落とした。あとは御付きの人間たちだ」
「佐藤さんや松下さん、篠原さんのこと?」
櫛田は柚椰が軽井沢と普段つるんでいる生徒のことを暗に指していると気づいたようだ。
彼女の問いに柚椰は頷く。
「彼女たちも軽井沢にポイントを貸した人間だ。君同様、貸した額は少ないだろうが、借金を未だ返済していないことは明白だ」
「まぁそりゃね、クラスにポイントが振り込まれてないわけだしね」
「平民は恐れから軽井沢に文句を言うことができないわけだが、それは彼女たちも同じことだ。クイーンの怒りを買えば、王国から追放され一気に平民に落とされるかもしれないからね。だから3人も決して軽井沢にポイントを返せとは言っていないはずだ」
「でも、3人は軽井沢さんの友達だよ? 案外気にしてないかも」
櫛田がそう言うと、柚椰はニヤリと笑った。
「まさか。近しいからこそ不満というのは水面下で蓄積しているものだよ。言いたいが言えないという不満か、或いは本人も気づいていないが実は溜まっていた不満か。いずれにしても、それはこちらが突けば簡単に吹き出す。平民同様、懐柔するのは容易だ」
「そっか、それもそうだね……」
思い当たるところがあるのか、櫛田は少し含みを持たせた反応を示した。
「だが、同性である君が行くことはリスクもある。二大巨頭の片割れである君が付き人に接触すれば、軽井沢の耳に入る可能性があるからね。だから、3人の懐柔には俺が動こうと思う」
「黛君が?」
「軽井沢がポイントを借りて返していないことを、君から聞いたということにして3人に接触する。クラスのために、貸し借りの問題を放っておくことは出来なかったとでも言っておけばどうにでもなるだろう。クイーンを蹴落とす以上、彼女たちを懐柔することは避けて通れないプロセスだ。彼女たちに関しては1人につき20000ポイント渡すことにするつもりだよ」
「気に入らないけど仕方なく一緒にいる人に貸したポイントが20000になって返ってくる。そんな美味しい話なら、軽井沢さんに告げ口することはなさそうだね」
「あぁ。彼女たちは間違いなく軽井沢から俺と君に鞍替えする。公言はしないまでも内心では完全に軽井沢を見限るだろうね」
「でも結局、アイツには彼氏の平田君がいるよ? 付き合ってる彼女が女子たちから煙たがられたら流石に動くんじゃないかな?」
「いいや、それは無いと言っていいよ」
柚椰は平田が軽井沢のために動くことはないと断言した。
「どうして?」
「あの2人は単なる恋人関係じゃない。所詮、鍍金の女王と錻力の王でしかないということだよ。彼も彼女も、人を束ね統率する役割を与えるにはあまりに脆い。俺のような小心者に付け入る隙を見せている時点で不合格だ。あの2人は所詮、その程度の器でしかないんだ」
櫛田は柚椰が自分のことを小心者と言ったことにはつっこみたかった。
しかし彼が言った『2人が単なる恋人関係ではない』という言葉への疑問。
そして2人が脆い王であると言った言葉には納得しているからか、それ以上口を挟むことはなかった。
あとがきです。
櫛田ちゃん、本心から黛君についていくことを決めたの巻。