ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
休日明けの月曜日、審議の日まで残り1日となった。
堀北が佐倉という目撃者を見つけ、櫛田や平田、軽井沢といったクラスの中心人物たちの行動でクラス全体が纏まりつつあった。
しかし、未だ決定打に欠けることは明白で、須藤を確実に無罪にすることは難しかった。
当初の作戦通り、相手の偽証を証明するという方向で進んでいるものの、可能性は五分五分といったところだ。
「今日も暑いな……」
登校すべく、寮のロビーから出た綾小路は全身を包み込むような熱風に顔を顰めた。
時期は7月。もうすぐ夏本番ということで気温も日を追うごとにどんどん上がっている。
じんわりと汗が浮き出るような暑さがこれからさらに激しくなることに綾小路はうんざりしていた。
学校に辿り着き、靴を履き替えて校舎の中を歩き始めたとき、彼はある変化に気がついた。
下駄箱から少し先にある階段の踊り場に設けられている掲示板。
そこに、須藤とCクラスに関する情報を持つ生徒を募集する張り紙がしてあったのだ。
「これは……」
「おはよー綾小路君っ」
張り紙を眺めている綾小路に、今登校してきたのであろう一之瀬が声をかけた。
振り返って彼女を見た綾小路は、先ほどまで見ていた張り紙と彼女が繋がった。
「もしかして一之瀬か? この張り紙」
そう尋ねられると、一之瀬はキョトンとした顔で首を傾げた。
彼女は例に倣って先ほどまで綾小路が見ていた張り紙を見た。
「へぇ。なるほどなるほど。こういう手もアリだねぇ」
「え、一之瀬じゃなかったのか」
「ううん、私じゃないよ。これは多分……あ、いたいた! 神崎くーん!」
一之瀬は手を挙げ、ある男子生徒を呼び止めた。
彼女に気づいた男子生徒は、静かな足取りで近づいてくる。
「この張り紙、神崎君だよね?」
一之瀬は張り紙を指で差して尋ねた。
「あぁ。金曜日のうちに用意して貼っておいた。それがどうかしたか?」
「ううん、彼が誰がやったのか知りたがってたから。あ、紹介するね。Bクラスの神崎君。こっちはDクラスの綾小路君だよ」
「神崎だ、よろしく」
神崎という生徒は物腰は固めだが真面目そうな印象を与える男だった。
高身長、スラリとした体型。
平田や黛とは違ったタイプで人気が出そうだな、と綾小路は思った。
「どう神崎君。有力な情報はあった?」
「残念ながら使い物になりそうな情報は無かった」
「そっかぁ……じゃあこっちも例の掲示板見てみるね」
「掲示板? 他の場所にも張り紙がしてあるのか?」
その問いに一之瀬は薄く笑い、違うよと否定した。
彼女は端末の画面を綾小路に見せた。
「学校のホームページって見たことある? そこに生徒が自由に使える掲示板があるんだよ。だからそこでこの前から情報提供を呼びかけてみてるんだ。学校での暴力事件について目撃者がいれば話を聞かせて貰いたいってね。ただ……」
「そっちも今の所当たりはない、と」
「そうなんだよね〜……」
綾小路が覗き込んだ画面には確かに目撃者を募る書き込みがあり、閲覧者数まで見られるようになっていた。
その数は未だ数十人のようだが、直接聞いて回るよりは遥かに効率的といえる。
有力な情報をくれた人や目撃者には報酬としてポイントを支払う用意があると書かれてあった。
「あ、ポイントのことは気にしないでね。私たちが勝手にやってることだからさ。それに、今の手応えだとちょっと望み薄だし……あ」
話の途中に一之瀬が何かに気づいた。
「どうした?」
「新しい書き込みだよ。少し情報があるって」
暫くメールを読んでいた一之瀬だったが、読み終えたのか少し笑みをこぼした。
「こんな感じなんだけど」
一之瀬が2人に端末の画面を見せた。
そこにはとある生徒からの匿名の情報が記載されていた。
ハンドルネームは
内容は今回の事件に関わっているCクラス側の生徒に関するものだ。
「『例のCクラスの1人、石崎は中学時代相当な不良だったの。暴力沙汰が絶えず、地元では名の通った荒くれ者。関わらないが吉だよ☆』か……」
画面に表示された文面を綾小路が読み上げる。
「多分同郷の子からのリークかな?」
「興味深いな」
同じく、近くで文面を読んでいた神崎がそう呟く。
その呟きに綾小路も頷いていた。
須藤にやられたと訴えているCクラスの生徒3人は、皆ごく普通の生徒だという先入観があった。
しかし、その内の1人が喧嘩慣れしているというのなら話は別だ。
残りの2人に関しても須藤と同じバスケ部に所属しているということから身体つきはしっかりしているはずだ。
その3人が須藤相手に一発も殴れずに返り討ちにあった。
明らかに不自然であることは言うまでもない。
「神崎君はこれを見てどう思う?」
「……もしかすると、須藤にやられたのはわざとかもしれないな。3人が、というよりはCクラスが、須藤を罠に嵌めるために動いたと考えればしっくりくる」
「うん、やっぱりそうだよね。さすが神崎君! あとはこの情報の裏付けがしっかり取れれば、須藤君の無罪に一歩繋がるかもね。でもまだ弱い、かな?」
「そうだな。上手く心証を操作できたとしても半々が良いところだろう。どうしても一方的に殴ったと言う事実が重く圧しかかってくる」
一之瀬と神崎は極力責任の比重を和らげようと考えているようだ。
「Dクラスの目撃者の意見を合わせれば6:4、あるいは7:3まで持っていけるかもしれない。そっちの方はどうなんだ? 確実な目撃者だったか?」
「正直まだなんとも言えないな……」
綾小路は佐倉の名前を伏せて、未だ交渉中だと答えた。
昨日の出来事を経て、佐倉はこちらを信用してくれたのか、証言をすると申し出てくれた。
しかし当日どうなるかはまだ不確定だったため、そう答える他なかったのだ。
「そっか……何か事情があるのかな?」
佐倉の問題はデリケートなため、綾小路は明言を避けた。
「流石に別の目撃者の報告はないね〜出てくれば面白いと思ったけどやっぱり厳しいかなぁ。もう時間はないけど、ネットや張り紙から情報が来るのを待つしかないね」
「いいのか? そこまでして貰って。Cクラスの連中に目をつけられることになるぞ?」
「へーきへーき。元々私たちはCとA、その両方から狙われることになるんだし。それに……黛君にお願いされちゃったからね〜」
一之瀬がそう言うと、隣で聞いていた神崎が頭を抱えた。
「すまない綾小路。事件の捜査に協力すると言い出してから一之瀬はずっとこうなんだ。元々少し前から口を開けば黛君、黛君といった具合でな──」
「わーわーわー!! にゃ、にゃにを言ってるのかな神崎君は!?」
「んぐっ!?」
神崎の口を一之瀬が大慌ててで遮る。
彼女は顔を真っ赤にして必死な形相で神崎の口を両手で塞いだ。
「むぐぐぐ!!」
「もー! 神崎君たら! 私がそんなに黛君のこと言ってるなんてそんなわけないじゃない! 綾小路君も勘違いしないでね!? そ、そういうのじゃないから! 全然違うから!」
「分かったから神崎を放してやれ。そろそろ窒息しそうだぞ」
綾小路が神崎を指差したことで、ようやく一之瀬は神崎がぐったりしていることに気づいた。
「あっ!? ご、ごめんね神崎君!」
「ぷはぁーっ! ……こ、殺す気か!」
「ご、ごめんってば〜!」
ようやく解放され、思いっきり酸素を吸った神崎は恨めしそうに一之瀬を睨んだ。
一之瀬もこれに関しては自分が悪いと自覚しているためオロオロしながら謝っている。
なんとか息を整えた神崎は大きく咳払いをして、一之瀬を当初の話題に戻そうとした。
その意図が伝わったのか、一之瀬は頭を切り替えて話に戻る。
「と、とりあえず、情報くれた子にはポイントを振り込んであげないとね。あ、でも匿名の相手にどうやって渡せばいいんだろう?」
「良かったら教えようか?」
首を傾げている一之瀬に綾小路が助け舟を出す。
「綾小路君分かるの?」
「いろいろ弄ってたら覚えた。相手のメールアドレスは分かるか?」
「フリーのだけど分かるよ」
一之瀬は綾小路に端末を見せた。
それを覗き込みながら綾小路は具体的なやり方を説明する。
「まずポイントの送金画面を開いてくれ。左上に自分のIDが出てるはずだ」
「えーっと」
一之瀬はスムーズに手を動かして画面をタップする。
数秒とかからず、目的のポイントページが端末に表示された。
そして画面の左上に番号が表示されているのを確認する。
「あったあった。これだね。それで、この後はどうすればいいの?」
「そのID番号から一時的なトークンキーが発行できるんだよ。それを相手に伝えれば入金のリクエストが来るはずだ」
「そうなんだ〜ありがと!」
「どういたしまして」
「じゃあ行こうか、せっかくだし3人で行こっ!」
一之瀬は綾小路と神崎を伴って、教室へ向かった。
「おはよー綾小路君!」
「お、おう。おはよう」
教室に入る綾小路を櫛田が笑顔で出迎えた。
その眩しいまでの笑顔に綾小路は仰け反っている。
「おはよう」
綾小路に少し遅れる形で、今度は柚椰が教室に入ってきた。
彼はその足で綾小路たちのところまでやってくる。
「綾小路、櫛田、おはよう」
「おう、おはよう」
「おはよう黛君っ」
「堀北もおはよう」
柚椰は席に座って本を読んでいる堀北にも挨拶をした。
綾小路と櫛田には挨拶をしなかった彼女だが、柚椰がそう言うと本を閉じて顔を上げた。
「えぇ、おはよう黛君」
黛には挨拶するんだな、と綾小路は内心思った。
「昨日は楽しかったよねっ」
櫛田は昨日のことについて男子2人に話題を振った。
「まぁな。初めて休日に出かけたし、いい思い出になった」
「中々に寂しい発言だね、それは」
綾小路の発言に柚椰は苦笑いした。
「2人とも、また今度一緒に遊ぼうね!」
天真爛漫な笑顔でそう言い残して櫛田は女子グループの方へ向かっていった。
「黛君」
櫛田がいなくなるや否や、堀北が柚椰に話しかけた。
「ん、なにかな?」
「……休日は櫛田さんと一緒だったの?」
「あと佐倉と綾小路だね。4人で遊んでいたんだ。そうだろう?」
「俺は佐倉の件で協力してほしいって頼まれて仕方なくな」
柚椰に振られた綾小路は事の経緯を堀北に説明した。
「そう……」
一通り事情を理解した堀北は暫し考え込むそぶりを見せると、ジトッとした目で柚椰を見た。
「黛君、貴方はどうしてそこに参加していたのかしら? 表向きには証拠集めに関わらないということなのだから佐倉さんや櫛田さんと一緒にいる必要はなかったと思うのだけど」
「んー、少し用があったからね。あと佐倉のデジカメが壊れたのは俺にも責任があったから」
「つまり責任があれば黛君はどこにでも行くと、そういう解釈でいいのかしら?」
「まぁ、そうだね。ケースバイケースだけど」
「そう、なら友人としての責任を取って私とも出かけるべきじゃないかしら? 私が把握している限りでは休日に黛君から遊びに誘われたことは一度もないのだけど。以前私をデートに誘うような事を言っておきながらただの一度もよ。別に私は休日に黛君と出かけたいとか遊びたいとか思っているわけではないけれど、佐倉さんとも遊んでいる以上、友人である私が誘われないというのは不公平だと思うの」
早口で捲し立てる堀北の姿に、傍観していた綾小路は既視感を感じていた。
以前メール云々で彼女が柚椰にごねたときと似ていたのだ。
というか、以前須藤に友達に先も後もないと言っていただろう、とつっこみたかったが彼は我慢した。
「え、誘ってよかったのかい? てっきり君は一人で過ごすのが好きなんだと思っていたんだけど」
「そうね。それはその通りだわ。けど、黛君からのお誘いなら話は別よ。友人である貴方からのお誘いを無下にするほど私は薄情ではないわ。それに、重ねて言うけれど、私はあくまで公正を期すために言っているだけよ。櫛田さんと私との間に優劣なんて設けてはいけないわ。だって私も黛君の友人なのだから」
どうやら堀北は櫛田に対して並々ならぬ対抗心があるらしい。
「じゃあ今度一緒にどこかに出かけようか。今回のお詫びに奢るからさ」
「そう……ならいいわ。別に今回のことを怒っているわけではないけれど、せっかくの善意を無駄にするのも良くないでしょうし、その厚意に甘えてご馳走になることにするわ」
柚椰が了承したことで、堀北はひとまず機嫌が直ったようで、再び本を開いて読み始めた。
彼女が再び本の世界に入っていったのを見て、綾小路は柚椰と小声で話し始めた。
「堀北があんなにムキになるのは意外だったな」
「自分だけ誘われなくて寂しかったんじゃないかな?」
「どっちかというと黛に誘われなかったってことが大きいと思うぞ」
「なんにしても、友達だと思ってくれているのはありがたいね」
一般的な友達としての詰め寄り方じゃなかったと思うぞ、と綾小路は言おうとしたが、藪蛇になりそうだったため口を噤んだ。
ホームルームを終えた茶柱先生を昨日一緒に遊んだ4人が呼び止める。
教室の中だと目立つため、佐倉への配慮だ。
前列に櫛田と堀北と柚椰。
後列に綾小路と佐倉が待機する。
一同を代表して櫛田が先生に事の説明をする。
「目撃者? 須藤の事件のか」
「はい。実は佐倉さんが事件の一部始終を見ていたんです」
櫛田が後ろで静かに待機していた佐倉を呼び寄せる。
彼女は少し緊張した面持ちで前に出た。
「櫛田の話によれば、須藤たちの喧嘩を見ていたそうだが」
「……はい。見ました」
先生に凝視されて居心地が悪そうにしながら、佐倉はボソリと答える。
それから彼女はゆっくりと、言葉に詰まりそうになりながらも自分が見た事実を語った。
先生は佐倉の話を最後まで一言も口を挟まずに聞いていた。
「お前の話は分かった。が、それを素直に聞き入れるわけにはいかないな」
目撃者の発見に、Dクラスの担任である茶柱先生なら喜ぶと思っていたのだろう。
期待を裏切られた櫛田が、慌てて理由を尋ねる。
「ど、どういうことですか? 先生」
「佐倉、どうして今になって証言した。私がホームルームで報告した際には名乗り出なかったな。欠席していたわけでもなかっただろう」
「それは……その……私は誰かと話すのが、得意じゃないので……」
「得意じゃないのに今になって証言するのも変じゃないか?」
当然の追求を茶柱先生は行う。
先生のその言葉を聞いた櫛田はハッとした。
以前柚椰の部屋に呼ばれた際に、彼から言われたことと全く同じだったからだ。
彼の予想通り、すんなりと佐倉の証言を有用な証拠として採用されるわけがなかったのだ。
「えっと……クラスの、が、困ってるから……私が証言する事で、助かるなら……そう思ったから……」
蛇に睨まれた蛙のように、佐倉は小さく縮こまり背中を丸めてしまう。
担任である茶柱先生は佐倉の為人を把握しているはずだ。
こうして真実を話しているだけでも、大きな成長だと感じているだろう。
「なるほど。お前なりに勇気を出してのことだった、ということだな?」
「は、はい」
「そうか。お前が目撃者だと言うのなら、私は当然の義務としてそれを学校側に伝える用意がある。だがその話を素直に聞き入れ、須藤が無罪になることはないだろう」
「ど、どういうことですか?」
「本当に佐倉は目撃者なのか? ということだ。Dクラスがマイナス評価を受けるのを恐れて、捏ち上げた嘘なんじゃないかと私は思っている」
「茶柱先生、そんな言い方は酷いと思います!」
あんまりな言い様に櫛田が声を荒らげた。
「酷い? 本当に事件を目撃しているなら初日に申し出るべきだ。期限ギリギリになって名乗り出られても怪しむのが当然だろう。それも同じクラスからの目撃者とくれば尚更な。疑うなという方に無理がある。そうは思わないか? 都合よく同じクラスの生徒が人気のない校舎にいて偶然一部始終を目撃した。出来過ぎだろう」
茶柱先生の言い分は尤もだった。
佐倉が事件を目撃していたという事実はあまりに出来過ぎている。疑われたとしても仕方ないのだ。
相手方にしてみれば、内輪の作り話だと思うのが当然だ。
公正なジャッジを行えば、目撃証言として弱くなるのはやむなしだろう。
「しかし目撃者は目撃者だ。嘘だと決め付けるわけにもいかない。ひとまず受理しておくことにしよう。それから、場合によっては審議当日、佐倉には話し合いに出席してもらうことになるだろう。人と関わることが苦手なお前に、それが出来るのか?」
試すような発言で佐倉を揺さぶる茶柱先生。
案の定佐倉は、当日のことを想像してか顔が青ざめている。
「それが嫌なら辞退するのも手だ。その際には審議に参加する須藤に伝えておけ」
「大丈夫? 佐倉さん」
「う、うん……」
気遣う櫛田に一応返事を返す佐倉だったが、自信はなさそうだ。
人前で証言することに加え、当日は須藤と二人きりで審議に参加。
彼女にそれを強いるのは酷としか言い用がない。
「私たちが参加しても構いませんか、先生」
やはり名乗りを上げたのは櫛田だった。佐倉を援護するためだろう。
「須藤本人の承諾があれば許可しよう。だが何人もというわけにはいかない。相手方が当事者3名である以上、最大で2名まで同席することを許可する。よく考えておけ」
話は終わりだ、とでも言うように先生は全員を教室へ戻るように促した。
職員室を後にした一同は教室に戻り、堀北に事情を説明した。
「当然と言えば当然の結果ね」
「ごめんなさい……私がもっと早く名乗り出てたら……」
「過ぎたことを悔いても仕方ないわ。確かに早ければもう少し違った結末があったかもしれない。けれど、目撃した人物がDクラスだった以上、さしたる違いはなかったわ」
それは堀北なりのフォローなのだろう。
誰もが納得する目撃者や証拠が出てこない限り、須藤を無罪にするのは無理だった。
「それから櫛田さん、当日は私に任せてもらえないかしら。貴女が佐倉さんの支えになることは十分理解しているけれど、討論となれば話は別よ」
「それは……うん、そうだね。私じゃ、その部分は力になれないと思う」
「佐倉さんも、それで構わないかしら?」
「わ、分かった」
全然良くはないといった感じだったが、背に腹は代えられないということで了承する他なかった。
「そういえば、先生は最大2人って言ってたよ? あと1人誰か参加させたほうがいいんじゃないかな?」
櫛田は茶柱先生の言葉を思い出して、そう言った。
堀北もその事は考えていたのか暫し思案するそぶりを見せた。
「あと1人……そういえば、貴方たちは4人で出て行ったわよね? 1人居ない気がするのだけど」
「え?」
櫛田は今顔を突き合わせている人間を一通り見回した。
教室に残っていた堀北を入れてここには4人しかいない。
つまり1人居ないのだ。
「黛がいないな」
該当する人物、つまりここに居ない人間を綾小路が言い当てた。
「あれっ!? 黛君は!?」
「それで、お前は一体何の用だ? 黛」
櫛田たちが教室に戻った頃、職員室の前で茶柱先生と柚椰は顔を突き合わせていた。
帰るように促したにも関わらずその場に留まった柚椰に別件があるのだろうと察した先生は職員室に戻らず、彼に要件を尋ねた。
「明日は審議の日ですね。Cクラス側の訴えは変わりませんか?」
柚椰のその問いに茶柱先生は腕を組み、壁に寄りかかって嘆息する。
「相変わらずだ。相手方は須藤が全ての元凶だと一貫して主張している。佐倉を目撃者として引っ張ってきたことは褒めてやるが、それだけでは弱いぞ。彼女の証言だけで須藤を無罪にするのは不可能だ」
「いえ、俺は今回の事件で須藤の無罪を主張するわけではありませんよ」
「なに?」
茶柱先生は不審そうに眉を顰めた。
「俺が、というより俺たちが目指しているのは、Cクラス側の主張と証言の偽証を証明することです」
「なるほどな……その点で勝ちを拾うつもりだったのか」
柚椰の言葉に納得したように茶柱先生は息を吐いた。
「だが、どちらにしても佐倉だけでは偽証の証明など出来んよ。お前が審議に参加すると言うのなら、わずかに可能性はあるかもしれんがな」
「いえ、俺は審議の場に参加する気はありませんよ。参加するのは堀北と……恐らく綾小路辺りがやるでしょう」
「綾小路が? アイツはこの手のことに参加するとは思えんが」
「そこは適当に理由をつければどうにでもなります。俺が出ないとなると、堀北は彼を指名するはずですから」
「ふっ、随分と堀北のことを熟知しているじゃないか」
「付き合いも長いですから」
二人は堀北のことを脳裏に浮かべながら微笑み合った。
「では、審議に参加しないでどうやって勝ちを捥ぎ取るつもりだ? 何か考えがあるんだろう?」
「先生は話が早くて助かります」
茶柱先生が話に乗り気になったことで、柚椰は本題に入る。
「現状有力な証拠はありません。こちら側にも相手側にも、そして学校側にも、ね?」
「どういう意味だ?」
「学校側は、というより今回審議に参加する茶柱先生とCクラスの担任の先生。そして最終決定を下すであろう生徒会側も事件について詳しくは知らないはずです。違いますか?」
「ほう、生徒会が判決を下すことを知っていたのか」
「まさか。初歩的な推理ですよ。生徒間のいざこざで学校側が出張るのなら、当事者同士や先生だけではどうしても偏った判決が下される可能性がある。ならば公正を期すためには第三者、つまりどちらにも属さない上に一定の権限がある人間が出てくることは明白です。結果、該当するのは生徒会だけでしょう。恐らく堀北会長が当日の裁判長役ですね?」
「……やはりお前は食えん奴だ」
言葉こそ投げやりだが、先生は柚椰の推理に素直に感心しているようだ。
「それで、それを受けてお前はどう行動するつもりだ?」
「当日行動するのは俺ではありませんよ。
「なに?」
わけが分からんとでも言いたげに茶柱先生は片眉を上げた。
「私に須藤の弁護をしろと? 確かに私はお前たちの担任だが、立場上は学校側だ。堂々と肩入れするような行為が許されるわけがないだろう」
「先生にしてもらうことは至って簡単なことですよ。
「こちら側の訴え、だと?」
「訴えを起こす際に何か必要なものはありますか?」
「あぁ。必要書類に訴える相手とその内容、被疑者と被害者の明記。そしてもしも第三者が提訴するのならその人間の名前を記入して担任か生徒会に提出すれば完了だ」
「ならば茶柱先生、その用紙をいただけませんか? 訴える相手は今回の事件に関わったCクラスの生徒3名。被害者は須藤健。第三者の欄には俺が名前を書きます」
「ふむ、訴えを起こすのは個人の自由だが、何を訴えると?」
「そうですね……内容は
柚椰はニヤッと笑いながら、訴えの内容を語った。
それを聞いた茶柱先生はようやく彼の作戦に気づいたのか同じくニヤリと笑う。
「面白い。相手が一から提訴するというのなら、先にお前の訴えを提出する。用紙を用意するのに時間が必要な以上、必ずこちらが先手を取れるということか」
「その通りです。そしてこの訴えが通り、新たに審議が開かれた場合、必ずこちらが勝ちますよ」
「ほう、なぜそう言い切れる?」
「先に言った先生にやっていただきたいことの1つ目ですよ。審議の場で偽証が証明されるような証拠が出る.....要はそれは相手の偽証だけでなく、後出しでこちら側が訴えた内容を
「クククッ、今まで何年もDクラスを受け持ってきたが、お前みたいな生徒は初めてだよ」
茶柱先生は心底愉快そうに笑った。
彼女の教員人生の中で、柚椰という生徒は飛び抜けて異質だったのだ。
柚椰が自分のクラスの所属になったことに、彼女はある種運命的なものを感じた。
「もうお分かりの通り、俺はこの審議をひっくり返す証拠を既に持っています。佐倉の証言は相手方を油断させるために用意したブラフですよ。俺は明日の審議の日に証拠を提出します」
「ほう、だがDクラスからの情報提供では信憑性に欠けるぞ?」
既にその点はクリアしているであろうということは察しながらも、茶柱先生は試すような問いを投げる。
「これが実は俺が見たわけではないんですよ。一般生徒から、たまたま須藤たちの喧嘩の様子を見たという情報を仕入れただけです。あとはこれをDクラスからの証拠提出ではなく、
「──! なるほどな、いい抜け道を見つけたな黛」
「今回の審議に参加する堀北会長とは個人的に繋がりがありますからね。これから話をつけにいくつもりですよ。生徒会側も事件の詳細な情報は欲しいでしょうから。しかも、1-Dの黛柚椰からの情報ではなく、
柚椰から一通り話を聞いた茶柱先生は大きく息を吐き出した。
そして誰にも見せたことのないような優しい笑みで柚椰に笑いかけた。
「お前は悪い生徒だな黛。だが、お前のような生徒は嫌いではないぞ」
「ありがとうございます。俺も、茶柱先生みたいなノリの良い人は大好きですよ」
こうして水面下で、担任と一生徒の悪巧みが始まった。
あとがきです。
茶柱先生、黛君のことを認めるの巻。