ようこそ人間讃歌の楽園へ   作:gigantus

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無機質少年は寡黙少女を救い、彼は当て馬へと祈りを捧げる。

 

 

 

 審議から一夜明け、いつもの日常が戻って来たかに見えた。

 しかし、教室に入った瞬間、綾小路は変化に気づいた。

 普段はギリギリに登校してくるはずの佐倉が既に席についていたのだ。

 いつもと変わらないように見える彼女だが、気持ち背筋を伸ばしているようにも感じられた。

 変化とは言えないほどの微妙な違い。

 勘違いだと言われれば、そうかもと答えてしまうほどの、風が吹けば飛ぶほどの差。

 彼が席に着こうと佐倉の席の前を通り過ぎようかというタイミングで、佐倉が顔を上げ彼の存在に気づいた。

 

「えっと……おはよう。綾小路君」

 

「お、おはよう」

 

 初めて佐倉から挨拶をされたことで、綾小路は言葉に詰まりながらも挨拶を返した。

 

「どう思う? 彼女」

 

 綾小路が席に座ると、隣の堀北がそう尋ねてきた。

 暗に佐倉の変化について言っているのだと理解した彼は己の見解を述べる。

 

「何か心境の変化があったんだろ。昨日の審議で自信がついたとか」

 

「どうかしらね。人がそう簡単に変わるとは思えないわ。厳しいことを言うようだけど、私には彼女が無理をしているようにしか見えない」

 

 感動的な想像は、現実的な一言で打ち破られる。

 佐倉愛里という少女は、昨日と今日とでそう差はない。

 しかし、全く同じという訳ではない。

 彼女なりに何か、変化をもたらそうと思っての行動だと綾小路は理解できた。

 

「身の丈に合ってないことをすれば、思わぬ方へ転びかねないわ」

 

「お前が言うと説得力があるな」

 

「どういう意味かしら?」

 

 ニッコリと笑いながら、堀北は尋ねる。

 その笑みに悪寒を感じた綾小路は、それ以上何か言うことはなかった。

 

 その後、ホームルームで審議の結果が茶柱先生から通達された。

 事実上、Dクラスの完全勝利という結果にクラス中が沸き立った。

 支給が止められていたポイントは明日にでも振り込まれるとのことだ。

 その事実に、クラスのテンションはさらに高くなる。

 綾小路と堀北、須藤と佐倉は審議の全てを操っていた黛について、皆に言うことはなかった。

 別段言いふらすことでもなく、本人もそれを望んでいる訳ではないだろうと判断したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前の授業。昼休み。午後の授業とつつがなく進み、放課後。

 綾小路は敷地内を駆け抜けていた。

 彼は端末を起動すると、連絡先リストの中から佐倉の名前を選択し、彼女の現在地を表示させる。

 胸騒ぎがあった。

 それも嫌な、陰湿な、どこかこびりつくような陰気な予感。

 考え過ぎかもしれない。だが、勘違いでもないかもしれない。

 以前佐倉のブログを見た際に感じた彼女に迫る危険。

 そして今日、朝の教室で感じた彼女の些細な変化。

 極め付けは終業後、教室で彼女と別れた時に、彼女が言った言葉だった。

 

『綾小路君も、堀北さんも、黛君も……皆凄いよね……私も、変わらなきゃ』

 

 それは彼女の勇気と決意だとその時は思った。

 あぁ。頑張れよ、とだけ言って彼女と別れた。

 しかし、彼女の変化とその言葉。

 そして、彼女に迫る危険を全て材料として考察した瞬間、怖気が走った。

 佐倉愛里という少女の辿り着いた結論。

 それは恐らく……

 

「ストーカーと直接話をつけに行ったのか……!」

 

 それはあまりに軽率な行為だ。

 相手は男性で、しかも常識が通じるような相手じゃない。

 既にストーカーは凶行に走るだけの要素を揃えているのだ。

 つまりいつ爆発してもおかしくない。

 佐倉はたった一人でその爆弾を解体しに行ったのだ。

 

「勇気と無謀は違うぞ……!」

 

 端末の位置情報が示す場所へ、綾小路は急いで向かった。

 

 

 

 

 

 

 同時刻、家電量販店にて。

 

『あぁ、店長さん。僕、このお店でカメラの修理を依頼した者なんですけど』

 

『えぇそうです。実は彼女の代理で。彼女、連絡先を書くのが怖いって言って、代わりに僕が』

 

『どうも彼女、この店のとある店員さんに随分としつこく絡まれたらしくてですね』

 

『えーっと、そう、この人です。なんでもこの人にデートに誘われたり、部屋番号を聞こうとしてきたり、店員としてはありえない対応をされたと言ってましてね』

 

『いえいえ、店長さんが謝ることではないですよ。でも、僕も彼女の恋人として、その店員さんが何者なのか調べる必要があると思いまして。ちょっと彼の身辺を探ってみたんですよ。したらびっくり。彼、どうやら僕の彼女のストーカーだったみたいなんです』

 

『おや、驚いてますね。勿論証拠もありますよ。彼女の端末の通話履歴に、彼の番号はしっかりと残っていますし、その時の会話も録音しています。加えて、実は僕の彼女はネットでアイドル活動のようなものをしてましてね。その彼女のブログに気持ちの悪いコメントを書いてる人間が最近出てきたんですよ。時期的にも、彼女がここでカメラを買った時期と一致するんですよね』

 

『あ、お気づきになられました? そうです。この店員さんですよ。僕はこの後、彼を警察に通報しようかと考えてるんです。ですがその前に一度、彼と個人的にお話をしたいなと思いまして。彼は今日は出勤日ですか?』

 

『あれ、出勤日なのにまだ出勤してこない? ひょっとしてバックレですかね? いけませんねそれは。では、彼の緊急連絡先にでもかけてみてはいかがですか?』

 

『え、待合室で待たせてくれるんですか? ありがとうございます。いやー親切な店長さんでよかった! ここはいいお店ですね。でも、今度からはちゃんと採用する人は選ばないとダメですよ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 端末の位置情報が示したのは、家電量販店の搬入口がある場所だった。

 彼は乱れた呼吸を整えるように、その場所へと息を殺しながら目的地へと近く。

 そして物陰から現場を覗き込むと、そこには男と対峙している佐倉の姿が見えた。

 

「もう、私に連絡してくるのはやめてください……!」

 

「どうしてそんなこと言うんだい? 僕は君のことが本当に大切なんだ……雑誌で君を初めて見た時から好きだった。ここで再会した時は運命だと感じたよ。好きなんだ……君を想う気持ちは止められない!」

 

「やめて……やめてください!」

 

 佐倉は叫ぶと、鞄から何かの束を取り出す。

 それは手紙。数十……いや、百に届きそうなほど夥しい数の手紙。

 そのどれもが、目の前の男が出したものなのだろう。

 

「どうして私の部屋知ってるんですか! どうしてこんなもの、送ってくるんですか!」

 

「決まってるじゃないか。僕たちは心で繋がってるからなんだよ」

 

 佐倉と男との間に、もはや言葉は通じない。

 それほどまでに男の精神は狂っていると綾小路は思った。

 

「もうやめてください……迷惑なんですっ!」

 

 佐倉は男からの一方的な狂った愛情を拒絶するように、手紙の束を地面へ叩きつけた。

 その瞬間、男の表情がそれまでニヤニヤしていたものから、一転して無表情へと変わった。

 

「どうして……どうしてこんなことするんだよ……! 君を想って書いたのに!」

 

「こ、来ないで……!」

 

 男は距離を詰め、今にも襲い掛かりそうな勢いで歩き出す。

 そして佐倉の腕を掴むと倉庫のシャッターに叩きつけるように押し付けた。

 

「今から僕の本当の愛を教えてあげるよ……そうすれば君も、わかってくれる」

 

「いや、離してください!」

 

「僕は君を本気で愛してるんだ。君を世界で一番愛しているのは僕だけ。そう、僕だけなんだよぉ!」

 

 限界だった。

 それ以上は佐倉の身が危ない。

 そう判断してから行動するまで、そのディレイは恐らく綾小路がこの学校に来てから最速だった。

 端末のカメラを起動し、現場を撮影する。

 そのシャッター音が聞こえたのか、男の動きが止まった。

 好機とばかりに綾小路は物陰から姿を現した。

 

「現場は抑えたぞ。気持ち悪いストーカーさん」

 

「あ、綾小路君……?」

 

「な、なんだお前、僕と彼女の邪魔をするな!」

 

 綾小路を視界に入れ、正反対の反応を示す佐倉とストーカー。

 彼らに近づきながら、綾小路は再びシャッターを切る。

 

「敷地内で店員が生徒へ乱暴を働く決定的瞬間。揺るがぬ証拠だな」

 

 その言葉にストーカーは、ようやっと今自分が何をされているのか理解したのか、慌てて佐倉から手を離した。

 

「ち、違う! これは──」

 

「違わないだろ。っと、なんだこの手紙。これ全部お前が書いたのか? うわ……本当に気持ち悪いな」

 

 汚物を摘むかのように、綾小路は落ちた手紙の角を摘み上げると男の前でヒラヒラと揺らした。

 

「違うんだ。ただ僕は……そ、そう! この子がデジカメの使い方を教えて欲しいっていうから、個別に教えてたっていうか。それだけ! それだけなんだよ~」

 

「そうなのか? 佐倉」

 

「え……」

 

 綾小路に尋ねられた佐倉は、彼とストーカーとを交互に見た。

 ストーカーはどうか嘘をついてくれと懇願するような目を彼女に向けていたが、今更それは図々しいとしか言えない。

 佐倉はもう逃げないと決意したのか、大きく息を吸うと、綾小路に言った。

 

「ち、違うよ綾小路君……この人は、私のストーカーですっ!」

 

「──雫ゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!」

 

 佐倉に裏切られたとあまりに身勝手な怒りからか、

 ストーカーは彼女の正体であるグラビアアイドルの名を叫びながら彼女へ再び襲いかかろうとした。

 しかし彼が佐倉に襲いかかることは許されない。

 なぜなら今この場には、佐倉が待ち焦がれていた騎士がいるのだから。

 本当はずっと助けを求めたかった。しかし結局助けてと言えなかった。

 彼女が救ってほしいと思っていた王子様がいるのだから。

 

「そこまでだ」

 

 綾小路はストーカーと佐倉との間に割って入ると、近づいてくるストーカーの首を掴み、放り投げるように壁へと叩きつけた。

 背中から壁へ叩きつけられたことで肺から一気に空気が抜けたのか、ストーカーは息苦しそうにその場に蹲る。

 その惨めな姿を冷たく見下ろすと、綾小路はストーカーの頭を掴んで顔を上げさせる。

 

「お前が佐倉を襲おうとした現場は抑えた。写真もある。俺がこのまま警察に突き出せばお前は終わりだ」

 

 初めて聞く綾小路の地を這うような冷たく低い声に、佐倉はビクリと震えた。

 その声を向けられている張本人であるストーカーはもっと怯えているのか、ガタガタと震えだした。

 綾小路はなぜ自分がこうも怒り狂っているのか分からなかった。

 しかし、今はただ、目の前の男がこれ以上佐倉の視界に入ることが許せなかった。

 

「アイドルは応援する存在のはずだ。付き合おうとか、ましてや手出そうとした時点でお前はただの犯罪者。愛してるだの好きだの気持ちの悪いことをベラベラと喋っていたみたいたが、俺に言わせればお前は気持ちの悪いただのストーカーなんだよ」

 

「ひっ!?」

 

「次、佐倉の目の前に現れてみろ。その時は……俺はアンタを殺すぞ」

 

 そう告げる綾小路の眼光は、その言葉が本気であると示していた。

 彼の言葉に完全に呑まれたのか、ストーカーは脱兎のごとく逃げ出した。

 

「ご、ごめんなさい! もう二度としません! だから助けてくれぇぇぇぇぇ!!」

 

 店員は店に戻らず、そのままどこか別の場所へ逃げていった。

 恐怖の元凶が去ったことで佐倉は気が抜けたのか、腰を抜かし地面に座り込みそうになった。

 それに気づいた綾小路は慌てて腕を掴んで身体を支える。

 

「よく頑張ったな、佐倉」

 

 色々と言いたいこともあったが、ひとまず綾小路は佐倉を労った。

 彼女が彼女なりに、覚悟を決めて一歩を踏み出したことは確かなのだ。

 今はその気持ちを汲んでやることが大切だと判断した。

 

「どうしてここに……?」

 

「お前と連絡先を交換しておいてよかったよ」

 

 そう言って端末を取り出し、佐倉の位置情報が分かる画面を表示して見せた。

 事情を理解した佐倉は、ようやっと解放されたという安心からか、ポロポロと涙を零す。

 

「私、全然ダメだった……結局、一人じゃ何もできなかった」

 

「そんなことはないぞ。佐倉は頑張った。俺はそう思う」

 

 泣き出す佐倉の頭を優しく撫でながら、綾小路は彼女の勇気を称えた。

 それから数分ほど、佐倉は彼の前で思いっきり泣きじゃくった。

 

「綾小路君……」

 

「なんだ?」

 

「さっき、あの男の人に言ってたこと……」

 

 佐倉は先ほどストーカーが彼女の芸名を口にしたこと。

 そして綾小路がストーカーに言ったことについて触れた。

 恐らくそれで、綾小路も佐倉が違う顔を持っていることに気づいていたと思ったのだろう。

 

「あぁ、俺は知ってた。佐倉がアイドルだったってこと」

 

「い、いつから……?」

 

「少し前から。他にもクラスには何人か気づいてる奴がいる」

 

 綾小路は正直に話すことにした。

 遅かれ早かれバレることならば、素直に白状した方がいいと判断したためである。

 

「もしかしたら、それで良かったかも……偽り続けるって大変だから」

 

 今回の件で、佐倉が仮面を外すきっかけになればいいと綾小路はなんとなく思った。

 

「綾小路君は……私のこと、変な目で見ないんだね……」

 

「変な目?」

 

「……ううん、なんでもない」

 

 佐倉のそれは昨日の審議の終わりの時と同じような返答だった。

 しかしその表情は、憑き物が落ちたように晴れやかな、ちょっと嬉しそうに微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁっ……! はぁっ……! はぁっ……!」

 

 学校の敷地内を、男は全速力で逃げ回っている。

 彼は先ほど綾小路に脅されて尻尾を巻いて逃げたストーカーだ。

 男の脳内にある思考はただ一つ。

 少しでも遠くへ、あの男から遠くへ逃げたい。

 しかし一体どこへ逃げればいいのか。

 この敷地内から勝手に外へ出ることはできない。

 従業員である自分も、敷地内の寮に住むことを義務付けられているのだから。

 どうすれば、と思い悩んでいると、彼の携帯が大きく鳴った。

 その音にビクリとしながらも、恐る恐る携帯をタップして耳へ当てた。

 

「も、もしもし……」

 

『やぁ、店員さん。お久しぶり』

 

 その声には聞き覚えがある。

 愛する人が店にやってきたとき、彼女に書類を書かせようとしたときに割って入ってきたあの男だ。

 声の主を理解した瞬間、男は携帯を強く握りしめた。

 

『あ、もしかして驚いてますか? 実はお店の名簿で店員さんの番号をゲットしたのでかけてみたんですよ。最近調子はどうですか? 俺は最近すこぶる元気で──』

 

「どういうことだ! 話が違うじゃないか!」

 

『はい? ちょっとちょっと店員さん、一体何の話ですか?』

 

「惚けるな! お前は言ったじゃないか! あの子を本気で愛している男が現れれば、あの子は自由になれるって! だから僕は彼女に愛を伝えたのに! 彼女に会いに行ったのに!」

 

『あー……その話か。僕は最初から嘘など言っていない。何故なら、彼女は貴方をはっきりと()()()()だろう?』

 

「は……?」

 

 それまでとは打って変わって冷たくなった声色と喋り方に男は足を止めた。

 ちょうど歩行者信号が赤だったため、横断歩道の前で男は静止している。

 前を見ると、そこには自分と同じように端末を耳に当てている男がいた。

 それは、今まさに自分が通話をしている相手。

 

 

 自分を唆した悪魔が立っていた。

 

 

 

『そうだな。ではそろそろ()()()()()をするとしようか』

 

「答え合わせ……?」

 

『まず初めに、僕は彼女のことを調べていた過程で、彼女にストーカーがいることを突き止めた。そして彼女のデジカメの状態を確認し、それが入学後に買ったものだと判明した。次にカメラの購入時期と、ブログでストーカーが活動を始めた時期を照らし合わせて、ストーカーの正体が家電量販店の店員かなにかであると推測した。あの日、僕が彼女のデジカメの修理に付き合った理由。それは()()()()()()だ』

 

「な、んだと……?」

 

『僕も彼女のことはどうにかしてあげようと思っていたんだ。周囲に溶け込めるように、穏やかに過ごせるようになってほしいとね。故に彼女が変わる何か劇的なきっかけがあればと考えた。そこで思いついたのが、()()()()()()()()()()だ』

 

「恋……」

 

『実にテンプレートなものだが、恋で人が変わるというのはよくある話だ。だが、ただでさえ人と関わらない彼女がそう簡単に男に心を許すはずがない。彼女を本気で愛し、彼女もまた相手を本気で愛する。そういった形が理想だったが、現段階では不可能だと判断した』

 

 信号が赤から青へと変わる。

 しかし両者はその場を動かない。

 片方の男は話の先を聞くために、もう片方の男はその男に語り聞かせるために。

 

『そこで考えたのは、あえて彼女に危険が及ぶ状況を作り、そこを誰かに助けさせるというものだ。所謂白馬の王子や正義の騎士というものさ。実に素敵な物語だと思わないか?』

 

「まさか……!」

 

『気づいたかい? その通りだ。僕は君に彼女を襲わせて、そこを誰かに助けさせようと考えたんだ。言ってしまえば君は姫君を狙う悪の盗賊か、或いはただの道化としての役割を全うしたに過ぎない』

 

「ぼ、僕を利用したというのか……!?」

 

『ブログで君の書き込みに煽るようなコメントを打ったのも僕だよ。そうすればストーカー心理を刺激できると考えたんだ。その想定通り、君は奮い立ち、自分が本当に佐倉愛里の運命の相手だと誤認した。その結果、君は佐倉愛里と接触し、襲いかかった。ここに至るまでの展開は全て、初めから最後まで僕の計画通りだ。君の見事な当て馬ぶりを脚本家として褒め讃えさせてもらうよ』

 

「くっ……」

 

 最初から掌の上で踊らされていたという事実に男は歯噛みする。

 対照的に悪魔はカラカラとおかしそうに笑った。

 

 

 信号が青から赤へと変わる。

 

 

『当て馬が用意できれば、あとは王子を用意してくればいいだけだ。だがそれは決して適当な人選であってはならない。彼女が一定の信頼を置いている相手でなければ、その意味を成さないからだ。考えた結果、選択肢は僕か綾小路の二択に絞られた。僕が役を買って出てもよかったが、今回は綾小路にやってもらうことにした。彼も佐倉愛理のことを気にかけているようだったからね。彼が助けた方が今後のためにも、良い方へ転ぶと判断した』

 

「僕の愛を、彼女への愛をなんだと思ってるんだお前は!!」

 

 男は我慢ならなかったのか、電話越しに目の前の悪魔へ吠える。

 その叫びに、悪魔は堪えきれなかったのか声をあげて笑った。

 

『ふふふっ、君の愛か。そんなものを彼女は一切、微塵も欲してなどいなかっただろう。彼女が君を拒絶したときの顔を、声を、今一度よく思い出してみるといい。彼女が君に抱いている感情はただ1つ。嫌悪だよ。あぁ、折角だ。1つ覚えておくといい──』

 

 

 

 

『──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」

 

 その言葉に激昂し、男は悪魔の元へ一直線に駆け出した。

 距離にして僅か数メートル、襲いかかるのに数秒とかからない。

 

 

 しかし、男の身体は、横から突っ込んで来たトラックによって跳ね飛ばされた。

 

 

「え……?」

 

 男は何が起こったのか理解できないまま、トラックに轢かれ、無残にも下敷きとなった。

 信号無視して横断歩道を渡ったが故の事故だった。

 トラックの速度、男の轢かれ具合から、安否を確認するまでもなく即死だろう。

 男は悪魔に近づくことすらできないまま、その生涯を終えることとなったのだ。

 

 

 

 

「16時54分。今週も時間ぴったりだ」

 

 腕時計で時間を確認すると、柚椰はニコリと笑い、踵を返した。

 毎週水曜日のこの時間。

 モールのとある店へ商品を運ぶ業者のトラックがこの交差点を通ることを彼は知っていた。

 知っていたが故に、彼はそのトラックを男の処分用の道具として利用したのだ。

 背後から運転手の悲鳴にも似た大声が聞こえてくる。

 人を轢いたという現実は運転手をパニックに陥れているだろう。

 しかし、既に柚椰は興味が失せたのか、後ろを振り返ることはない。

 

 

「道化から恋の仲人への昇格おめでとう。次は運命の人に()()()()()()()()ことを祈っているよ」

 

 

 トラックの下で肉片となっているであろう男へ向けて、彼は小さな祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがきです。
これにて原作2巻が終了しました。

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