ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
クラス方針を固めたDクラス一同は、ベースキャンプとなる場所を探すべく行動を開始した。
平田と柚椰を中心に男子数人がテント2つを担ぎながら森を進む。
そのすぐ後ろをクラス全員分の小物類が入った段ボールを担いだ須藤が歩いていた。
彼らから少し離れた後列には女子の集団と、残りの男子たちがいる。
そしてその集団からも離れた最後列に綾小路と堀北がいた。
ちなみに綾小路は簡易トイレの段ボールを片手に持っていた。
一応の荷物持ちを買って出たらしい。
「大丈夫か?」
「なにが?」
綾小路の問いに堀北が睨むような目を向ける。
「別に。具合悪そうに見えたからな」
「心配には及ばないわ」
「そうか」
そう言うのならと綾小路はそれ以上何も言わなかった。
彼がそうしていると、ふと前方から視線を感じた。
見ると少し前を歩いていた佐倉が時折チラッとこちらを振り返っていた。
しかし綾小路が自分を見ていることに気づくと、彼女は慌てて視線を前へ戻す。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
堀北にそう返して、彼もまた前を向くことにした。
「それにしても、さっきの黛の演説は上手かったな」
話題は先ほどの柚椰の話へと移る。
「そうね。平和主義の平田君には出来ない方法だわ」
「学校という共通の敵を作ることで反骨心を煽る。日頃から馬鹿にされてるこのクラスだから出来る方法だな。結果として対立も収まってクラスの方針も決まった。スタートとしては中々良いんじゃないか」
「他のクラスはどうするかしら。AクラスやBクラスが徹底してポイントを抑えるつもりなら、私たちも覚悟しなければいけないし。ここで差を広げられるわけにはいかないわ」
「上のクラスを目指すのは大変だな……」
「貴方は本当に上のクラスに上がることに興味がないの?」
以前指導室に呼ばれたときのことを堀北は思い出していた。
あの時から一貫して綾小路はAクラスに上がることに興味を示さない。
それが彼女には今ひとつ理解できないのだろう。
「別に不思議なことじゃないだろ。このクラスで全員がAを目指してるわけじゃない。毎月お小遣いが増えれば嬉しいし、運良くAクラスに行けたらってくらいだろ」
「この学校に入る人たちは、その特権を生かすために入学したと思ってたのに」
この学校は入学すれば進学先や就職先が約束されるという触れ込みだった。
それに多くの生徒が期待していたことは事実だろう。
「人によって理由はまちまちだろう。お前だって本当に特権を生かすために入学したわけじゃないだろ」
「……何が言いたいの?」
暗に自分の兄のことを言われたと察したのか、堀北は綾小路を睨む。
綾小路は涼しい顔でその視線から目を逸らす。
「この学校に特権以外のものを求めて入学する人間もいるって話だ」
「貴方もそうだってことかしら?」
「どうだろうな。とにかく、無闇に人を詮索するものじゃないってことだ」
「……そうね」
自分のことを触れられたこともあってか、堀北はそれ以上何も言わなかった。
程なくして先行していた平田たちが立ち止まる。
「ここなら日差しも遮れるし、周囲に誰かいて話を聞かれることもなさそうだね」
場所は森から少し入った木陰。
炎天下の中浜辺にいた彼らにとってはかなり良い環境だ。
「ひとまず荷物をここに置いて、何人かでベースキャンプに相応しい場所探し。そして地図を埋めるために島を探索しようと思う」
そう言って平田は早速探索志願者を募った。
「はいはーい! 俺行く! スポットバッチシ見つけて来るからさ!」
真っ先に手を挙げたのは池だった。
彼に追従するように山内や一部の男子も手を挙げ始める。
「俺も行くぜ。じっとしてるのは性に合わねぇからな」
須藤も探索に乗り気らしく、自信ありげに挙手をした。
「私も行くよっ」
男子ばかりが志願する中、唯一の女子志願者として櫛田が名乗りを上げた。
その姿を見て、彼女狙いの男子たちの目の色が変わった。
そして彼らも次々志願して気がつけば志願者は11人になった。
志願者の中には綾小路も交じっている。
「11人かな。あと1人参加してくれれば4チーム作れそうなんだけど」
「黛は行かないのか?」
平田が全体に呼びかけている中、綾小路が手を挙げてなかった柚椰に話を振る。
「見張り番には男子も残っていた方がいいかと思ってね。平田が探索に行くなら俺は残るつもりだよ。探索してる間にこっちでマニュアルから必要なものを纏めておくことも出来るからね」
つまり探索の間に先の方針で決めたクラスに必要なものをピックアップしておくようだ。
あとで時間を設けて話し合いをするよりは遥かに効率的な時間の使い方だろう。
「俺からしたら君が手を挙げたのが意外だったけど」
「何かしら役割を持ってないと、クラスで浮くからな」
そうこうしていると、彼の傍で控えめな手が挙がった。
平田がその手を見て安堵したように指名する。
「ありがとう佐倉さん。これで12人。3人ずつの4チームで行こう。今が1時半だから、成果の有無にかかわらず3時までにはここに戻ってこよう」
そして各自が好きにチームを組んでいった。
綾小路と、最後に手を挙げた佐倉はその輪に入れずポツンとしている。
「よ、よろしくね綾小路君」
「あぁ」
そうして残ったのは彼ら2人と、そして──
「実に清々しい太陽だ。私の体がエネルギーを必要としているねぇ」
唯我独尊、傍若無人の御曹司。高円寺六助その人だった。
何はともあれ、探索組は森の奥へと足を踏み出した。
青々と生い茂った緑。奥へと進むたびにそれは深くなる。
太陽は未だ頭上から絶えず照り続ける。
直射日光ではないものの、ジメッとした暑さが森の中に広がっていた。
「暑いな……」
シャツの首回りを掴み、扇ぎながら綾小路は呟く。
ふと彼は前方をズンズンと進む男に声をかける。
「高円寺」
「嗚呼、美しい! 大自然の中に悠然と佇む私は、美しすぎる。まさに究極の美!」
会話が成立しないということを察し、綾小路は諦めた。
必然的に彼が会話できるのは1人に絞られる。
「佐倉は偉いな」
「えっ!?」
話しかけられると思っていなかったのか、彼の後ろを歩いていた佐倉の体がビクリと跳ねる。
「あと一人欲しいって言われて手挙げただろ」
「え、あ、うん、でも私は偉くなんてないよ。自分でもなんで手を挙げたんだろうって少し混乱してる……」
そう言って彼女は遠慮がちに綾小路の横に並んで歩き出す。
「失礼かもしれないが、正直意外だった。佐倉はああいった場面では手を挙げるタイプじゃないと思っていたからな」
「だって……綾小路君が、その、手を挙げたから……」
そこまで言うと佐倉はハッとしたように顔を上げて、慌てて身振り手振りを交えて声を張り上げた。
「ち、違うんだよ!? 話せる人がいないから、だからその、ってことで!? 男の子の中だと、綾小路君が一番一緒にいて落ち着くからってだけで……いや、そういうことじゃなくて!」
自分でも考えがまとまっていないのか佐倉は目を回している。
混乱したまま、彼女は小走りに前に飛び出した。
「あ、おいっ危な──」
「わわわっ!?」
前をよく見ていなかったためか、佐倉は大木の根っこに気づかず足を引っ掛けてしまう。
綾小路は慌てて手を伸ばして彼女の腕を掴み、なんとか転倒を阻止した。
「大丈夫か?」
「う、うん……ありがとう」
うっすら頬を赤らめながら礼を言う佐倉。
それは転びそうになったことへの恥ずかしさか、綾小路に助けられたことへの恥ずかしさか。
「前をよく見て歩いた方がいいぞ」
「うぅ……」
忠告されて佐倉は俯く。
綾小路が言うまでもなく、この森は歩くのにかなり苦労する。
樹木が生い茂っているため道はかなり入り組んでおり、まっすぐ歩くことができない。
加えて時折斜面にもなっている所為か、無駄に体力を消耗してしまうのだ。
先頭をどんどん突き進む高円寺をなんとしても見失わないようにしなければならない。
「佐倉、ちょっと急ぐぞ」
「え、あ、うんっ」
2人は高円寺を見失わないように、小走りで彼の後を追いかけた。
一方その頃、荷物番をしている待機組はというと──
「あっつ〜い……日陰でも暑〜い」
「そりゃ夏だもん、暑いに決まってんじゃん……」
「でも流石にこの暑さの中でテント暮らしとかマジあり得ない……」
木陰に腰を下ろしてぶうたれていた。
待機組はほとんどが女子で、そしてそのほとんどが木陰でブツブツ不満を漏らしていた。
「グフ……俺氏、この夏一番のピンチですぞ……」
「……」
待機組の男子である外村と幸村は女子たちとは離れたところに腰を下ろしてぐったりしていた。
元々比較的体力がない2人は既にグロッキーらしい。
全員の様子を一通り見た柚椰は彼らとはまた別の木の根元に腰を下ろした。
「柚椰君は探索に行かなくてよかったの?」
彼が腰を下ろしたすぐ隣に堀北がやってきた。
彼女も柚椰の隣に腰を下ろす。
「さっきテントを運びながら歩いてるときに平田と話し合っていたんだ。探索と待機でグループ分けをするなら、俺たちはそれぞれの組に分かれたほうがいいだろうってね」
「なるほど。平田君が探索組に行ったから、貴方は待機組にいることにしたのね」
「そう。待機している時に何も起きないとは限らないからね。あと、君の体調も心配だったから」
「そ、そう……ありがとう」
堀北は羽織っているジャージをきゅっと握りながらポソリと礼を言った。
「さて、じゃあ早速だけど必要なものを一通りピックアップしてみようか」
柚椰は平田から受け取っていたマニュアルを開き、ポイントで買える物の一覧を見た。
ふと堀北は気になっていたことがあったのか、マニュアルを見る柚椰に声をかける。
「ねぇ柚椰君」
「なんだい?」
「AクラスやBクラスはこの試験、どう挑んでくると思う?」
その問いに柚椰は顎に手を当て思案する。
「Aクラスは今回、方針としては節約型かな。下のクラスとの差を自分から詰めるとは考えにくい。それにスポットの占有も積極的に狙ってくると思うよ」
「Bクラスは?」
「クラスのスタイルを考えたら俺たちと同じ方針だろうね。上へ上がることも勿論考えているだろうけど、それよりもクラスの輪を大事にするだろう」
「じゃあ……Cクラスはどう来ると思う?」
堀北がそう尋ねると、柚椰は再び思案した。
「なんとも言えないね……Bクラスへ上がるためにポイントを稼ぎにくることも考えられるし、俺たちDクラスとの間に差があるから現状維持を考えるかもしれない」
「それって、さっき貴方が言っていた最初の選択肢ってことかしら?」
堀北は先ほど柚椰が全員の前で提示した選択肢の一つ目を思い出した。
「そう、ポイントを惜しみなく使ってこの試験をバカンスとして過ごす。さっきも言ったけど、実際のところこれも賢い選択なんだ。節約に固執してクラスがギスギスするよりは遥かに良い選択だ。各クラス間の差を考えると、この方法を取る可能性が1番高いのがCクラスかな」
AクラスとBクラスの差。
BクラスとCクラスの差。
CクラスとDクラスの差。
この中で最も差が大きいのが三つ目だ。
未だ大差がついている現状を考えると、
Cクラスが方針をバカンスに決めることはありえない話ではないと柚椰は指摘する。
しかし堀北は理解できないのか頭を抱えていた。
「理解に苦しむわ。試験を放棄して何の得があるのかしら」
「さっきも言ったけど、この試験において最悪のケースが自滅だ。クラスの崩壊はこの試験だけの問題じゃない。今後の学校生活、それこそ次の特別試験にさえ影響する。先を見据えて考えると、今この試験を円満に過ごすという選択は間違いじゃないんだ」
「でも、わざわざクラス間の差を縮めるなんて自分の首を絞めているものじゃない?」
柚椰の話を聞いてある程度は納得できた堀北だったが、やはり気になるものは気になるようだ。
与えられている300ポイントを湯水のように使えば、必然的に他クラスとのポイント差は生まれる。
他クラスがポイントを節約していれば、その分だけ試験後のクラス間の差が縮まるのだ。
試験を放棄するということは、転じていずれ寝首を掻かれる可能性を高めることになるのだ。
クラスの輪も勿論大切だが、デメリットの方が大きいのではないかと彼女は考える。
しかし、彼女の考えに柚椰は異を唱えた。
「鈴音、この試験がただの節約合戦だと思ったら大間違いだよ? 既に与えられた300ポイント。そしてスポットを占有して得られるボーナスポイント。どちらも確かに自分のクラスにとってプラスになるシステムだ。けれど、この試験において他クラスより優位に立つ方法は他にもあるんだよ」
「どういうこと? ポイントの消費を抑えて、スポットを占有してボーナスを稼ぐ。それがこの試験の必勝法じゃないのかしら」
「それはあくまでセオリー通りの戦い方さ。自分たちのクラスのポイントを稼ぎ、尚且つ他のクラスの足を引く方法。なんだったら300ポイントなんて全部使って豪遊して過ごしたとしても、最終的には他クラスとの差が縮まっている方法が一つあるんだ」
そこまで言われて堀北は一つの可能性に思い当たった。
確かに存在する。
自クラスがポイントを稼ぎ、尚且つ他クラスのポイントに干渉できる方法。
この試験の最終日にある一つの目玉。
「リーダー当てってことね?」
「正解」
堀北が出した答えに柚椰は満足そうに笑う。
「当てればプラス50ポイント。加えて他クラスがマイナス50ポイント。他のクラスを引き摺り下ろして自分たちがのし上がる強引にして強力な方法だ」
「柚椰君は他のクラスがリーダー当てに参加すると思う?」
「さぁ、まだなんとも言えない。でもどのクラスもリーダーを堂々と公開するほど馬鹿ではないだろうから警戒はしているだろうね。自分たちが参加しないにしても、他のクラスにバレたらマイナス50ポイントのリスクがあるんだから」
「要は如何にしてリーダーが誰か分からないようにするか。そしてその上で如何にして他のクラスのリーダーが誰か探るってことね」
「その通り。この試験はクラスの輪を守り、リーダーを守りつつ、他クラスのリーダーを討ち取る。防衛と攻略を同時並行でやらなければならない試験ってことさ」
そこで一旦会話を打ち切り、柚椰はマニュアルを片手に立ち上がった。
「全員集まって。今から全員が必要と思うものを選んでいくよ」
柚椰が呼びかけたことで、木陰で休んでいた者たちは腰を上げて彼のところへ集まっていった。
「凡人達に質問があるんだがいいかな?」
先陣を切って森を進んでいた高円寺が振り返り、後ろからついてくる綾小路と佐倉にそう尋ねた。
彼らが返事をする前に、高円寺は続ける。
「君達には、この場所がどんなふうに見えているのか聞かせてもらえないだろうか」
「え? ……ど、どういう意味かな? 綾小路君」
高円寺の視線から逃げるように綾小路の背中に隠れながらそう尋ねる佐倉。
「どんなって……森だな、としか思わないが」
綾小路が代表して見たままの感想を述べる。
しかしその返答がお気に召すものではなかったのか、高円寺は再び前へ向き直ってしまった。
「オーケー。分かったよ、気にしないでくれたまえ。やはり凡人は凡人ということだね」
そう言い残して彼は再びズンズンと先へ進んでいってしまった。
「何か変わったこと、あったかな?」
「いや……」
おずおずと尋ねる佐倉に綾小路はそう返す。
しかし再び高円寺が歩き出してしまった以上、ここで立ち止まっているわけにもいかなかった。
「佐倉、もし持ってたらハンカチ貸してくれないか」
「え、あ、うん、あるよ?」
佐倉はジャージのポケットから綺麗に折りたたまれたハンカチを取り出して綾小路に渡す。
それを受け取ると、綾小路は傍に生えていた木、そこから生えている枝の一つにそれを括り付けた。
「帰るときに迷わないための目印にな」
「あ、なるほど。頭いいねっ」
帰るときのことを考えていた綾小路を佐倉は褒める。
「佐倉、ここからは少しペースを落とそう。俺も少し疲れてきた」
一緒にいる佐倉のことを考えてか、そんな提案をした綾小路。
彼の気遣いが伝わったのか否か、佐倉はコクリと頷く。
「それと、ほら」
歩き出す前に、綾小路は佐倉に手を差し出した。
その手の意味がわからなかったのか、佐倉はキョトンとした顔で綾小路を見る。
「ここは足場が悪いからな。お互い転ばないように繋いでおこう」
彼がそう言うと、佐倉の顔が一瞬にして茹で上がった。
「あ、あわわわ、あ、あやのこここうじくんと、私が、て、てててを」
「佐倉、大丈夫か。呂律が回ってないぞ」
最早日本語かどうかすら怪しい言語を漏らす佐倉に綾小路が尋ねる。
「だ、だだだ大丈夫だよ!? そ、そうだね! 転んじゃったら危ないからね!?」
声を張り上げて何でもないとアピールした佐倉は、やがて恐る恐る差し出された手に自分の手を重ねた。
そうして2人はゆっくりと、しかし確かな足取りで森の中を再び歩きだした。
あとがきです。
最近職場でインフルエンザが流行っているので、戦々恐々としています。