ようこそ人間讃歌の楽園へ   作:gigantus

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彼と無機質少年は策を講ずる。

 

 

 

 朝の点呼が終わり、時刻は午前10時。

 Dクラスの空気は張り詰めていた。

 宣言通り、点呼の時間に柚椰はベースキャンプに戻ってきた。

 しかし誰も彼に声をかけることはせず、離れたところで彼を観察していた。

 どこか腫れ物に触るような雰囲気で傍観する者。

 まだ彼を信じているのか困ったような顔で見つめる者。

 そして彼を犯人だと思って睨んでいる者と周囲の反応は様々だった。

 周囲がそうしている中、柚椰は再びベースキャンプを離れて何処かへ行こうとしていた。

 

「黛君、どこに行くんだい?」

 

 形だけでも聞いておこうと思ったのか、平田が思わず尋ねる。

 

「別にどこでもいいだろう? 適当に時間を潰してくるだけだ」

 

「っ……」

 

 短く言い残して柚椰はさっさと出て行ってしまった。

 演技とはいえ普段の彼とはまるで違う冷たさに平田は息を呑む。

 平田に対してそんな態度をとったことで、柚椰を敵視している者はますます眉間に皺を寄せる。

 

「……」

 

 柚椰を疑っている者、軽井沢は去って行く彼の背を睨んでいた。

 そんな彼女を、彼女の友人である篠原、佐藤、松下は少し離れたところから見ている。

 本来ならば彼女に寄り添い、彼女と同じく柚椰に対して敵意を向けて然るべしだった。

 しかし現在、彼女たちは軽井沢から()()()()()()()

 理由は朝の一幕。軽井沢に対して堀北が突きつけたある事実が起因していた。

 Dクラスの女子グループとして存在している二つの派閥。

 クラスのリーダー平田の彼女である軽井沢を中心とした派閥とクラスのアイドル的存在である櫛田を中心とした派閥。

 入学時からしばらくの間は前者が幅を利かせていた。

 目立たない生徒も長いものに巻かれるように、あるいは王の妃という肩書きに怯えるように前者に身を置いた。

 しかし時が経つにつれ、というよりはここ数ヶ月で後者が急速に勢力を拡大させていった。

 それまで軽井沢の方へ属していた者がこぞって櫛田の方へ乗り換えた。

 気がつけば両者の力関係は逆転し、派閥に属す生徒の総数も逆転していた。

 その事実を、堀北が皆の前で突きつけたのだ。

 女王の玉座は既に崩壊寸前であると。

 今まで従えてきた平民は、皆新しい女王へと流れているのだと。

 

「(最悪! ホント最悪! あんな奴に好き放題言われるなんて!)」

 

 軽井沢は自分に恥をかかせた堀北へ怒りを燃やしていた。

 自分の影響力が無くなりつつあると、最早お前は櫛田より劣っているのだと皆の前で堂々と、はっきりと告げられたのだから。

 彼女のプライドは、自尊心はひどく傷つけられた。

 今の彼女にとって、柚椰と堀北は最悪な人間として認識されていた。

 それだけではない。自分と連んでいた女子三人も今の彼女にとっては()()()だった。

 自分が責められているときに彼女たちが何もしなかったことが起因しているのだろう。

 ともかく今現在、軽井沢は誰も近づけないような雰囲気を発していた。

 

「軽井沢さん……」

 

 軽井沢を心配するように櫛田が声をかける。

 しかし彼女の心遣いが癇に障るのか軽井沢は櫛田を睨みつけた。

 

「なに。放っておいてよ」

 

「そんなこと出来ないよ。友達でしょ?」

 

 やさぐれた態度を取る軽井沢に対して櫛田は努めて優しく応対していた。

 それが余計に頭にきたのか軽井沢は声を荒らげる。

 

「ふん、どうだか。本当は私のこと見下してんじゃないの? アンタも堀北みたいに自業自得だって笑ってんでしょ!?」

 

「おい軽井沢! 桔梗ちゃんはお前を気遣ってくれてんのになんだよその態度!」

 

 櫛田に向かって酷い態度を取ったのが我慢ならなかったのか池が口を挟む。

 

「うっさい! アンタには関係ないでしょ!」

 

「そういう態度だから嫌われてるって気づけよ!」

 

「──っ! 変態のアンタには言われたくない! 女子にキモがられてるくせに! アンタや山内だって黛と同類でしょ! いかにも盗みそうだもんね!」

 

「なんだとお前!」

 

 軽井沢は池や山内にまで喧嘩を売っていく。

 周り全てが敵であるかのごとく、彼女は誰彼構わず敵意を振りまく。

 彼女がそんな態度を取れば、必然的に周囲の顰蹙を買う。

 元々彼女に思うところがあった者だけでなく、彼女の友人だった篠原たちでさえ険しい表情を浮かべていた。

 

「軽井沢さん、私は軽井沢さんのこと下に見たりなんてしてないよ」

 

 しかしこの場で唯一、櫛田だけは嫌な顔一つせず軽井沢と向き合っていた。

 それどころか彼女は真摯に、相手に伝わるように優しく語りかけている。

 

「私はグループとか、派閥争いとか、そういうのがしたいんじゃないの。私は皆一緒に仲良くなれればそれで幸せなんだ。軽井沢さんだって、私にとっては大切な友達なんだよ? だからそんな悲しいこと言わないで……?」

 

「……」

 

「すぐには信じてもらえないかもしれない。でも、いつかは私のこと、友達だって思ってくれると嬉しいな」

 

 最後に優しい笑顔を向けて、櫛田は軽井沢から離れた。

 そして彼女は離れて見ていたクラスメイトたちのところに行った。

 

 

 

 

 

 

「皆、聞いてくれないかな?」

 

 櫛田がそう言うと、周りの視線が彼女に集中する。

 

「軽井沢さんも下着を盗まれたショックで大変なんだと思う。だからちょっと今はピリピリしちゃってるんだよ」

 

 軽井沢のひどい態度を受けて尚、櫛田は彼女を気遣ってそのようなことを言った。

 彼女のその気遣いと優しさに周りは彼女に対して尊敬の目を向ける。

 

「今の軽井沢さんには一人になる時間が必要なんじゃないかな? 私も友達が困ってるならどうにかしてあげたい。でも下手に声をかけたら、かえってパニックになっちゃうんじゃないかなって思うんだ」

 

「まぁ、そうね……」

 

「うん……」

 

「さっきのアレ見せられたらね……」

 

 篠原を始めとする軽井沢の友人三人は先の櫛田と池に対する彼女の暴言を見ていたからか苦い顔をしていた。

 

「寛治君も、止めに入ってくれたのは嬉しかったよ。ありがとう。私の所為で酷いこと言われちゃったよね……ごめんね?」

 

「き、桔梗ちゃんが謝ることじゃないって! 俺も山内も気にしてねぇから。な?」

 

「お、おう。キモいとか言われんのは慣れてるしな」

 

 櫛田に頭を下げられ、慌てて池と山内は気にしてないと彼女に言葉をかけた。

 

「あと、これは私の個人的な気持ちなんだけどいいかな?」

 

 そう前置きして櫛田は全員を見渡した。

 

「さっき堀北さんが言ってたよね? 柚椰君がもしかしたら罪を被ってるかもしれないって」

 

 彼女が触れたのは、朝に堀北が言っていた推測についてだった。

 周りもそれは気になっていたのか、一様に考えるような素振りを見せ始める。

 

「私は柚椰君を信じたい。だって、ずっと一緒にいたんだもん。柚椰君が下着を盗むなんてこと絶対にしないって私は信じてる。でも柚椰君を信じるってことは、犯人がまだこの中にいるかもしれないってことでもあるよね?」

 

 櫛田の言うことはその通りだった。

 もし柚椰が本当に犯人でないとすれば、彼が罪を被っているとすれば。

 それは真犯人がまだ隠れているということになるのだ。

 クラスメイトたちは皆お互いの顔を見合い、ざわつき始める。

 

「私は友達を疑うなんてことしたくない。でも柚椰君のことも信じたい。中途半端な考えかもしれないけど、これが今の私の正直な気持ちだよ。だからそれを踏まえて、皆に提案したいんだ」

 

 彼女はそこで言葉を切って小さく息を吸う。

 そして真剣な顔で皆の顔を見遣った。

 

「今ここで改めて犯人探しをするのは柚椰君の想いを無駄にすることになる。だから、ひとまず犯人が誰なのかは置いておいて今まで通りの生活を続けるべきなんじゃないかな」

 

「それって、下着泥棒の件をなかったことにするってこと?」

 

「流石にそれは……」

 

「うん、犯人が別にいるかもって中で今まで通りってのはね……」

 

 櫛田の提案に女子たちは皆難しい顔をしていた。

 確かに彼女の言うことは一理あった。

 しかし生理的なところで、気持ち的なところでは折り合いをつけ切れないというのが現状だった。

 反対に男子たちは柚椰の考えを知っているからか、櫛田の提案に胸を撫で下ろしたような、これ幸いというような表情だ。

 

「別に無かったことにするわけじゃないよ。堀北さんが言ってたでしょ? いずれ真相は分かるはずだって。そうだよね? 堀北さん」

 

「えぇ。柚椰君が単なる自己犠牲でこのまま終わるはずがないわ。必ず真犯人を見つけ出す算段を立てているはずよ」

 

 櫛田は自分の提案を補強するために堀北に話を振った。

 それに対して堀北は今一度強い口調で事件の真相は必ず明かされると宣言していた。

 

「皆に柚椰君を信じろなんて言うのは難しいってことは分かってる。だから今は私を信じてほしいな。もし本当に柚椰君が犯人だったら、犯人が見つからないままだったら……そのときは私も一緒に責任を取るよ」

 

「責任って……」

 

 女子の一人が呟いた問いに櫛田は堂々と答えた。

 

「皆に嫌なことを無理矢理させた責任を取って()()退()()する。もう二度と皆の前には現れない。それが私の覚悟だよ」

 

 その発言に今日一番のざわつきが広がった。

 いの一番に異を唱えたのは池と山内だった。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ桔梗ちゃん! 何も桔梗ちゃんがそこまでしなくたって」

 

「そうだぜ! そんなことしたら──」

 

「皆に納得してもらうためには私も自分を賭けるしかないよ。自分は責任を取らないで、皆にこんな提案を呑んでもらうなんて不公平だと思うから」

 

 櫛田の覚悟は本物のようで、そこに迷いはなかった。

 彼女にそこまで言われれば、周囲も彼女の覚悟を呑む他ない。

 

「……分かった。僕は櫛田さんの提案に賛成する」

 

「平田君!?」

 

 その覚悟に最初に応えたのは平田だった。

 彼が肯定の意を示したことに女子の中から声が上がる。

 

「ただし、櫛田さんだけに責任は取らせない。そのときは僕も責任を取る」

 

「そんなっ!? 平田君まで退学するつもりなの!?」

 

「僕も櫛田さんと同じ気持ちだよ。僕も黛君を信じてるんだ。だからこの提案を呑む以上、万が一のときは僕だって同罪だ」

 

 平田も覚悟を決めていた。

 先に柚椰に自己犠牲をさせてしまった負い目からか、あるいはリーダーとしての覚悟か。

 ともかく彼は自身を賭けることを躊躇わなかった。

 

「おい平田、一人でカッコつけてんじゃねぇよ」

 

 次に名乗りを上げたのは須藤だった。

 彼はどこかばつが悪そうに頭を掻いている。

 

「朝は叩き起こされた挙句疑われてイライラしてたからついカッとなっちまったけどよ……冷静に考えてみたら柚椰が下着泥棒なんてするわけねぇよな。だから俺もアイツを信じることにする。俺も乗らせてくれよ」

 

 須藤は疑われていた苛立ちから衝動的に柚椰に詰め寄ってしまったという体にして櫛田の案に乗ることにしたようだ。

 彼がそうしたことで、今度は池と山内が声をあげた。

 

「そーそー。俺や春樹ならまだしも、黛が下着ドロとかねーわ!」

 

「おい寛治、お前ナチュラルに俺を同類にすんなよ」

 

 次々に男子たちが一人、また一人とそこに加わっていく。

 

「……分かった。私もそれに賛成する」

 

 そして女子の中から松下が声をあげた。

 難色を示していた彼女からの賛成に櫛田は頬を綻ばせる。

 

「松下さん……」

 

「ここで反対したらそれこそ空気読めないじゃん? 櫛田さんが黛君を信じるなら、私は彼を信じてる櫛田さんを信じることにする。今はそれでいいでしょ?」

 

「勿論だよ! ありがとう松下さん」

 

「わ、私も! 黛君を信じ、ます……」

 

 覚悟を決めたように、意を決して佐倉がそこに加わった。

 意外な人物が声をあげたことに周囲の視線が集中する。

 その視線にビクビクしながらも、佐倉は頑張って言葉を紡ぐ。

 

「前に黛君には助けてもらったから……だから悪い人じゃないって……思い、ます……」

 

「ありがとう佐倉さん」

 

 勇気を出した佐倉に対して、櫛田は笑顔で礼を述べた。

 女子二人が名乗りを上げたことで、少しずつ女子の中からも声が上がり始めた。

 そうしていくうちに、気がつけば櫛田と平田を中心に意見が纏まった。

 二人が示した覚悟に、クラスが応えた瞬間だった。

 

 

 

 

 

「(とりあえずクラスの方は櫛田のおかげでなんとかなりそうだな……)」

 

 再び一丸となって動き出すクラスの様子を綾小路は眺めていた。

 柚椰が起こした行動を櫛田と平田が上手く汲み取った結果、Dクラスは最善の形で再起動している。

 その結果に綾小路はひとまず安心していた。

 

「ちょっといい?」

 

 一段落したことで少しだけ休もうとした彼に伊吹が声をかけてきた。

 

「ずっと遠くから見てたけど……なんとかなったみたいだな」

 

「まぁ、な。櫛田と平田のおかげだな」

 

「あの櫛田って奴、凄いな。自分の退学を賭けるなんて」

 

 伊吹は女子の集団の中で指示を出している櫛田を見ながら感心したようにつぶやいた。

 

「櫛田はこのクラスで柚椰と一番付き合いが長いからな。それだけ柚椰のことを信じてるんだろ」

 

「でも、仮にそいつが犯人じゃないとして、真犯人はまだこの中にいるってことだろ? 誰か心当たりはないのか」

 

 クラスを眺めながら、伊吹は綾小路にそう尋ねた。

 

「今のところは全く。犯行動機から推測しても正直このクラスの全員が当てはまるからな」

 

「動機?」

 

「軽井沢への恨みからの犯行なら、容疑者は男子よりも女子が当てはまる。それ以外なら普通に考えて男子が容疑者だ。だが、男の俺としては極力男子は疑いたくない」

 

 綾小路がそう言うと伊吹がボソッと呟く。

 

「お前の言うように男子が犯人じゃないとしたら、犯人は女子。だったら一番疑わしいのはその軽井沢? って奴の取り巻きだろ。そして次に疑われるとしたら、それはよそ者の私。このクラスを混乱させるための罠って考えれば疑われるのは私じゃないか?」

 

 自分も容疑者の候補に入っていると承知の上で、伊吹は自嘲気味に笑った。

 

「少なくとも俺は信用するかな。お前が犯人とは思えない」

 

 伊吹の言葉に対し、綾小路は迷わずそう答えていた。

 その言葉に伊吹は少し驚いたように彼の目を見る。

 それが真実かを確かめるかのように。

 綾小路が視線を合わせると、伊吹は目を逸らさずに受け止める。

 

「……ありがと。まさかそんな風に言ってくれるとは思わなかった」

 

「正直に答えただけだ」

 

 綾小路がそう答えたのは、伊吹の目を見ただけで確信が持てたからだ。

 彼はこの瞬間確信したのだ。

 軽井沢の鞄から下着を盗んで池の鞄に忍ばせた犯人が、()()()()()()であると。

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、柚椰はBクラスのベースキャンプに足を運んでいた。

 昨日まで何度か訪れていたこともあり、一応今の自分の状況を伝えておくためにやってきたのだ。

 

「というわけで、残りの日数はここに来ることが多くなると思う」

 

「うん、分かった。大変なんだねDクラスは……」

 

「予想外のトラブルだよ。正直平田たちが上手くやってくれるかどうか……」

 

 柚椰は朝の騒動と自分が取った行動について一之瀬に包み隠さず話した。

 一之瀬は女子の下着が盗まれたということに最初は驚いていた。

 しかし事件当時の状況や容疑者が断定できないこと、そして苦肉の策として柚椰が犯人となることで強引に場を収めたことを聞くと彼を心配するように顔を曇らせた。

 

「大丈夫なの? その……もし犯人が見つからなかったら黛君は……」

 

「もれなく残りの学校生活が終わってしまうね。うん、そのときは仕方ない」

 

「そ、そんなあっさり!? 本当に大丈夫なの!?」

 

「俺は犯人の見当がついているからね。あとは相手の出方を伺うだけさ」

 

「えっ、もう犯人が誰だか分かってるの……?」

 

 一之瀬は柚椰が既に犯人の目星をつけているということに目を丸くしていた。

 

「無人島での集団生活、突如として女子の下着が盗まれるという事件が起こった。さて、一番最初に疑われるのはどんな人間かな?」

 

 柚椰が問いかけると、一之瀬は顎に手を当てて首をかしげる。

 

「うーん、そうだね……疑いたくないけど、やっぱり最初に疑われるのは男子の誰か、だよね?」

 

「その通り。さて、ここで一つ情報を付け加えよう。被害者の女生徒は普段から高圧的な態度が見られたクラスの女王のような存在だった。女王はクラスの女子からポイントを徴収した過去がある。この情報を踏まえると、容疑者の候補はどうなる?」

 

「えーっと……その女王様に対してなにか恨みがあるかもしれない人。その……ポイントを取られたことへの恨み、とかかな?」

 

「はい正解。表立って彼女に反抗はしていなくても、水面下で不満というものは溜まるものだ。ここまでいくと容疑者はDクラスの人間全員が当てはまる。だけどこれはあくまで日常の中で事件が起きた場合の推測だ。この特殊状況下での事件であればここにもう一つの可能性が生じるんだ」

 

「もう一つの可能性?」

 

「俺たちの鞄はテントの前に固めて積んであった。つまり誰でも好きに弄れるんだ。それこそ……Dクラス以外の人間でもね」

 

 そこまで言われて一之瀬はようやく気づいた。

 柚椰が言ったもう一つの可能性とはなんなのか。

 

「まさか……」

 

「そう、もう一つの可能性。それはDクラスを混乱させ和を乱すことが目的の犯行。犯人はこの特別試験において俺たちDクラスの自滅を喜ぶ人間だ。いるだろう? 一人だけ、それをすることによってメリットを得られる人間が」

 

「DクラスにいるCクラスの女の子……」

 

「正解。俺はこの三つ目の可能性が最も高いと考えているんだ。そもそも5日目というこの正念場でDクラスの人間が下着泥棒をする理由がない。もしDクラスの男子や女子が犯人ならもっと早い段階で事を起こして、逃げるようにリタイアするなりしているはずだろう?」

 

「確かにそうだね……いつでも盗れるってことはもっと早いうちから気づいてたはずだし」

 

「恐らくうちのクラスのリーダーが誰か一向に分からないことに業を煮やした結果、こんな手に打って出た。俺はそう考えてるよ。となれば、犯人の目的はリーダーを知ることだ」

 

「どうするの? このままじゃCクラスにリーダーが誰かバレちゃうんじゃ……」

 

「心配ないさ」

 

 一之瀬の不安を他所に、柚椰はなんでもないように言い切った。

 

「さっき言っただろう? 平田や他の男子たちは俺の意図に気づいているはずだ。聡明な平田が三つ目の可能性に気づいていないはずがない。平田だけじゃない。女子の中にも鋭い人間は何人かいる。そうなれば、このままスパイの思うように事が動くことはないんだ」

 

 その発言に一之瀬は柚椰の真意に気づいた。

 それを証拠に、彼女は優しい表情で柚椰を見つめる。

 

「黛君はクラスの皆を信じてるんだね……」

 

「あぁ。ここまで一緒に学校生活を過ごしてきた仲間だからね。俺が一人いないくらいでバラバラになるような柔なクラスじゃないさ」

 

 柚椰は笑顔でそう言った。

 彼のその笑顔に一之瀬もつられて笑顔になる。

 

「ところでBクラスはどうしたんだい? 来たときに随分と騒がしかったけど」

 

 柚椰はBクラスのベースキャンプに来た際に見た光景を振り返った。

 彼がここを訪れたとき、Bクラスは妙に騒がしかった。

 何かに気づいたような、どこか焦っているような雰囲気が広がっていた。

 それを思い出した彼は一之瀬に事情を尋ねたのだ。

 すると一之瀬は途端に慌てたように柚椰に事情を語り始めた。

 

「そ、そうだよ、黛君聞いて! さっき点呼の後に気づいたんだけど金田君がいなくなってたの!」

 

「なるほど、さっき騒がしかったのはそれが原因か」

 

 柚椰は事の詳細を一之瀬から伝えられた。

 朝の点呼の後、Bクラスは今日の探索に向かうべく役割分担を行なっていた。

 その際、これまで積極的にクラスに協力する姿勢を取っていた金田の姿がないことに気づいたのだ。

 朝の点呼の時は居たはずの金田の姿が。

 匿っていた他クラスの生徒が突然姿を消せば当然どういうことかと動揺が生まれる。

 柚椰がここを訪れたのはまさにそのタイミングだったのだろう。

 

「どうやら、俺はまずいタイミングで来てしまったみたいだね」

 

「ううん、気にしないで。それにしても、金田君がいなくなったってことはもしかして……」

 

「もうここにいる理由はなくなった、ということだろうね」

 

「──っ! ってことは」

 

「あぁ。恐らく気づいたんだろう。Bクラスのリーダーが誰なのか」

 

「ど、どうしよう!? もし金田君が本当にリーダーを知ってたら、リーダー当てでマイナス50ポイントだよ……」

 

 一之瀬が狼狽えるのも無理はない。

 もし金田が本当にBクラスのリーダーを知っているならば、リーダー当てでCクラスによってマイナス50のペナルティが課せられる。

 結果として、Cクラスのスパイ作戦を成功させてしまうのだから。

 しかし、動揺する彼女に対して、柚椰は至って冷静に言い切った。

 

「いいや、この試験でBクラスがリーダー当てによるマイナスのペナルティを課せられることはないよ」

 

「え、どういうこと?」

 

「一之瀬は既に知っているはずだ。このペナルティを相殺する方法を」

 

 そう言われた一之瀬はこの試験における重要なボーナスポイントを思い出した。

 

「……あっ! Aクラスのリーダー当て!」

 

「そう。俺はあの時点で、金田がBクラスのリーダーを見破った場合の保険をかけたんだ。俺が与えた情報で、既にBクラスはAクラスから確実に50ポイント奪える状況にある。だから、もし金田が本当にリーダーを知っていたとしても、Bクラスが今のポイントを減らされることはない。勿論、Aクラスのリーダーを当てたプラス分は無くなるけど、結果としてそれでマイナス分は相殺。Bクラスは今残っているポイントを残したまま試験を終える事が出来る。だから、一之瀬たちの頑張りは無駄にならないよ」

 

 つまり彼はこうなることを想定してAクラスのリーダーの情報を無償で提供したのだ。

 全てはBクラスがマイナスを被ることを避けるために。

 それを理解した一之瀬は泣きそうな顔になりながら柚椰を見る。

 

「黛君は私達のクラスを守ってくれてた、ってこと……?」

 

「協力関係を結んでいるBクラスに同じようにスパイが潜り込んでいたから出せる手を打っていただけさ。たまたまAクラスのリーダーを知っていて、BクラスにCクラスのスパイがいた。全ては偶然。運が良かっただけだよ」

 

「それでも、貴重なボーナスポイントの情報をタダで教えるなんて柚椰君にメリットがないよ……協力関係だって、私との口約束でしかない。反故にすることだって出来るのに……」

 

「君を裏切ったら俺がBクラスの人達に袋叩きにされるだろう? 俺も流石に近衛兵さんたちを全員敵に回すのは怖いからね」

 

 冗談めかして笑う柚椰に一之瀬は困ったように笑った。

 

「ホント、困っちゃうな黛君には……」

 

 思わず呟いたその言葉は、あまりに小さかったためか当人に聞こえることはなかった。

 

「とにかくBクラスはこれまで通り、皆で出来ることをやればいいさ。そうすれば無事に試験を乗り切れるはずだよ」

 

「そうだね、頑張るよ。Dクラスの方も上手くいくといいね!」

 

「ありがとう」

 

 二人は互いのクラスが残りの日数無事に過ごせることを祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、点呼を終えた後に綾小路は柚椰を呼び出した。

 彼が離れている間のDクラスの動きと、下着泥棒の犯人の正体を伝えるために。

 

「それで、クラスの方はどうだい? 帰って来てみたら雰囲気が大分違っていたようけど」

 

「あぁ、実は──」

 

 それから綾小路は今のDクラスの状態に至るまでの経緯を掻い摘んで説明した。

 堀北が柚椰が罪を被っている可能性を指摘したこと。

 櫛田が中心となってクラスの再始動を行なったこと。

 その際に櫛田と平田が自身の退学を賭けたことなどを語った。

 

「なるほどね……まさか最初に鈴音が」

 

「人に流されない堀北だからこそ出来たことだろうな。危険な一手だったが、結果としてお前が偽の犯人じゃないかという疑惑が生まれた」

 

「それを桔梗が上手く汲み取って流れを作ったということか……どうりで帰ってきたとき、クラスの視線が柔らかくなっていると思ったんだ」

 

「現状お前が犯人だと信じきってるのは軽井沢だけだ。あとの奴らはひとまずお前を信じている櫛田と平田を信じるって形で落ち着いている状態だ」

 

「上手く事が運んでいるってことだね」

 

「そうなるな。お前の自己犠牲も無駄にならなかった」

 

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

 綾小路からのフォローに柚椰はふわりと微笑んだ。

 

「それと、犯人が誰だか分かったぞ」

 

 その言葉に柚椰は目を丸くする。

 

「早いね。それで、犯人は?」

 

「伊吹だ。間違いないと言っていい」

 

「なるほどね。となると、手の打ちようはあるね」

 

「伊吹と取引するつもりか?」

 

 綾小路は既にその可能性に気づいていた。

 朝に柚椰が言っていた最終手段。

 恐らくそれは伊吹が犯人だった場合に用意している手なのだろうと当たりをつけたのだ。

 彼の予想通り、その問いに柚椰は笑みを浮かべていた。

 

「彼女の目的はDクラスのリーダーを知ること。ならそれを満たしてやればいい」

 

「お前が持ってるキーカードを渡すことを条件に犯行を認めさせるつもりなんだな?」

 

「その通り。リーダーが分かればもうこのクラスにいる理由はなくなる。元々仲良くするために潜り込んでるわけでもない彼女にとって、自白は大した事じゃないだろう」

 

「だがこちらのリーダーを教えれば、Cクラスにリーダーを当てられてマイナス50ポイントだぞ」

 

「清隆ももう分かっているんじゃないか? それを回避する方法が()()()()あるということを」

 

 ニヤリと笑う柚椰に綾小路もフッと笑った。

 

「やっぱり柚椰も気づいていたのか。()()()()()()()()()()()を」

 

「勿論。Cクラスがルールを逆手に取るなら、こっちはルールの穴を突くだけさ」

 

 二人は互いに相手の頭脳を高く買っているからか、細かく言わずとも今後の流れは理解できていた。

 

「となると取引を終えた後、次のリーダーを決める必要があるな」

 

「それは清隆がやればいいよ。ここで別の人間を作戦に加えるよりは俺たちの中で完結した方が成功率は高い」

 

「柚椰ならそう言うと思った。なら次のリーダーは俺がやろう」

 

「あとこれは前提としての話だが、伊吹が確実に取引に応じるには、彼女がキーカードを手に入れる以外に仕事を完遂出来ないようにする必要がある。そして出来れば取引を終えた後、彼女がここを抜け出すチャンスを作ることが出来ればベストだ」

 

「分かった、そっちは俺に任せろ。考えがある。取引が終わったら教えてくれ。出来る限り早く手を打っておく」

 

 綾小路は既に算段を立てているのか、二つ返事で仕事を買って出た。

 

「そしてもう一つ、俺は手を打とうと思う」

 

「どういうことだ?」

 

「今日の日中にBクラスに行ったんだが、スパイは既に仕事を終えて離脱していたんだ」

 

「つまりBクラスはCクラスにリーダーを知られているということか」

 

「そう。でも本題はここからだ。金田がリタイアした今、島に残っているCクラスの人間は何人かな?」

 

「昨日の段階でCクラスのベースキャンプには誰一人いなかった。だがスパイの報告を受ける以上、龍園は島に残っているはず。そしてDクラスのベースキャンプに伊吹がいる。つまり二人だな」

 

「リーダーは龍園で間違いないと思う。でも、伊吹が()()()()()()()()キーカードを持って帰ってきたらその限りではない可能性がある」

 

 綾小路は柚椰が言いたいことが理解できたのか、顎に手を当て思案する素振りを見せる。

 

「なるほどな。リーダーがお前だったらみすみすキーカードを盗まれるようなヘマをするのはおかしい。わざと伊吹に渡したか、あるいは盗まれてもいいように何か手を隠していると読まれるってことだな」

 

「彼に最も警戒されているのが俺だからね。そこから逆算して俺たちと同じような結論を導き出すかもしれない」

 

「龍園がリーダーを変更する方法に気づくとすれば、直前で伊吹にリーダーを変えるってことか。そうなれば俺たちはCクラスのリーダー当てを間違えることになる」

 

「龍園が気づかなければ彼がリーダー。でも、気づいてしまえば伊吹がリーダーということになる。確率は1/2だけど危険な賭けには変わりない。だから、確実にポイントを得るならどちらがリタイアするのか見極める必要があるんだ」

 

 柚椰の口ぶりから既にその方法を見出していると察したからか、綾小路はそれ以上聞く事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがきです。
6日目終了時まで1話に収めようとしたんですが、予想以上に文量が増えたので結局分割しました。

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