ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
特別試験6日目。いよいよ試験は今日を入れてあと2日となった。
天気は曇天。雨が降り出す一歩手前のような空だった。
最終日前日の朝は取り立てて何があるわけでもなかった。
朝の点呼を済ませ、朝食を作って食べるクラスメイトたち。
誰も寄せ付けないで一人で黙々と食事をする軽井沢。
それらから少し離れたところで一人果物を齧る柚椰。
昨日打ち合わせした通り、Dクラスはこれまで通りの生活をルーティンとして行なっていた。
食事を終えると、クラスは今日の仕事へと取り掛かる。
あと1日分の食料さえ確保できればポイントを消費せずに試験を終えられる。
そのため探索にも一層熱が入っている様子だ。
男子は平田を、女子は櫛田を中心に役割分担を始める。
「柚椰」
「ん」
周囲が慌ただしく動くのに紛れて、綾小路は柚椰のところに行き声をかける。
「明け方に伊吹の鞄を漁ったらデジカメが入ってた。恐らくだがキーカードを撮影するためのものだろう」
「なるほどね。それで?」
柚椰が言わんとしていることを察している綾小路はコクリと頷いた。
「あぁ、既に壊しておいた。これで伊吹はキーカードを盗る以外に龍園に情報を渡す方法はなくなる」
「ありがとう。あとは俺が彼女と交渉するだけだね。話が付いたら報告するよ」
「頼んだ」
綾小路は手早く報告を終えると、他の男子に交ざるように平田の元へ向かっていった。
「チッ……」
動き出すDクラスの人間たちを眺めながら伊吹は舌打ちした。
彼女の目論見は外れ、Dクラスはこれまで通りの動きをしている。
それが尚更腹立たしく、彼女は苛立ちを募らせていく。
「(アイツがクラスで信用されてるのがこうも仇になるなんてな……)」
柚椰が下着泥棒の罪を被ったときは意図が読めなかった伊吹だが、その後のクラスの動きでようやく彼の意図が理解できた。
それと同時に彼女は確信していた。
柚椰は事件を起こした犯人が自分であることに感づいていると。
だからこそこちらの目論見を潰すために自分を犯人に仕立て上げたのだと。
彼女は改めて理解した。
黛柚椰という人間がいかに計算高く、そして油断ならない男であることを。
「(どうする……もう時間がない……)」
試験は残すところ後2日。
明日の正午にはリーダー当てが行われる以上、今日中にDクラスのリーダーが誰であるかを知らなければならない。
今の段階で伊吹がリーダーだと疑っている人間は三人。
言わずもがなクラスの中心である平田。同じく主軸として機能している櫛田。
そして昨日の朝の一幕で柚椰の意図にいち早く気づいた堀北の計三名。
ここまでは絞り込めた彼女だったが、それ以上絞り込むことは出来ていなかった。
というのも、三人ともキーカードを出す素振りを見せなかったのだ。
Dクラスがスポットである川を占有している以上、更新する瞬間は必ず訪れると踏んでいた。
しかし三人は皆他の生徒に交じって端末の方へ行く素振りは見せてもキーカードを取り出す瞬間は見せなかった。
そして気がつけば川のスポットは更新されているという状態。
一体誰が、いつ、どのタイミングで占有を更新したのか伊吹は判別できなかった。
「(多少強引にでも揺さぶってみるか……? いや、それはリスクがデカすぎる)」
三人を順番に締め上げ、キーカードを出させることも考えたが、それは悪手だと思い却下する。
他クラスへの暴力行為や略奪行為が発覚すれば、Cクラスは問答無用で失格。
それだけでなく自分はポイントを全て失うことになる。
あまりにそれはハイリスクであるが故に、彼女は手をこまねいていた。
「やぁ、澪ちゃん。元気かい?」
焦る伊吹に無遠慮な男の声がかかる。
その声にうんざりしたような顔を浮かべながら、彼女は声の主を見上げた。
「黛……」
「どうしたんだい? 随分と浮かない顔じゃないか」
「別に。ただ、ちょっとお腹の具合が悪いだけ」
まさかリーダーが誰だか分からず苛立っているなどと言えるわけもなく、彼女は嘘をつく。
しかしその言葉に柚椰はおかしそうにカラカラと笑った。
「うちのクラスのリーダーが分からなくて焦っているのかな?」
「──っ! アンタのそういう分かってるくせに聞いてくるところ、私嫌いだ」
「まぁまぁ、俺の人間性なんてものは君が一番よく分かっているだろう? 話を戻すけど、リーダーは絞り込めたのかな?」
「……」
「その様子だと今一つといったところのようだね。じゃあちょっと話そうか」
柚椰はそう言って森の方を指差した。
暗にそこで二人きりで話そうということだと伊吹は理解する。
二人はベースキャンプを抜け出し、森の中へ入っていく。
5分ほど森を進んだのち、改めて二人は向き合った。
「さて、ここから先はクラスの人間に聞かれるわけにはいかない話だ。澪ちゃん、俺と取引をしないかい?」
「取引?」
伊吹は訝しげな顔で柚椰を見る。
「君なんだろう? 軽井沢の下着を盗んで池の鞄に入れたのは」
「っ……やっぱり気づいてたの」
下手に嘘をついて誤魔化したところで意味がないと判断した伊吹は言い逃れすることを諦めた。
「リーダーが誰だか一向に分からないから、こんな手に出たのかな? クラスが男子と女子に対立して不和を生み出せば、必ずどこかに穴が生まれる。そうなればリーダーを探ることも楽になる。君の狙いはそれだったんだろう?」
「……」
何から何までお見通しだという事実に伊吹は沈黙する。
「そこで、俺が君の目的を達成させてあげよう」
「は……?」
「Dクラスのリーダーを教える、ということさ」
不敵な笑みを浮かべる柚椰に伊吹の眉間に皺が寄る。
「どういうつもり? 自分のクラスのリーダーを教えるなんて」
「どういうつもりもなにも、それが君の望みだろう?」
「分かってるの? アンタはクラスを裏切るって言ってるんだぞ」
「勿論タダで教えるわけじゃない。俺が君に求めるのは先の事件の犯人が自分だと明かすこと。これが条件だ」
伊吹はようやく柚椰がしたいことが理解できたようで不敵に腕を組んだ。
「なるほどね。要はアンタの冤罪を証明するための取引ってことか」
「俺の知らないところで桔梗や平田が勝手に自分の退学を賭けてしまったからね。どうにかして真相を明かさないといけないんだ」
「ふーん、それで? 仮にその条件を呑むとして、アンタが教える情報が正しいって保証はあるの?」
彼女のその質問がおかしかったのか、柚椰はケラケラと笑った。
「君も分かっているだろう? 俺は自分にも他人にも嘘をつくことはあっても、取引に関しては決して嘘をつかないよ。それが俺の誠意というものだ」
「誠意とか、アンタに一番似合わない言葉だな」
「それで、どうする? 君がこのまま成果なしで龍園の元に帰って、その後君の居場所はCクラスにあるのかい? 流石の彼も、反抗ばかりして成果一つあげられない人間には価値を見出さないはずだ」
「別にどうでもいい。元々Cクラスに親しい奴なんてほとんどいないからな」
強気に言い返す伊吹に対して、柚椰はうんうんと頷いた。
「そうか。なら君はこのまま彼に役立たずの烙印を押され、残りの学校生活を彼の忠実な下僕として過ごすということか。クラスの王である彼にこのままずっとおんぶに抱っこでAクラスに上がれることを祈り、彼に怯えながら過ごしていくんだね」
「……喧嘩売ってんなら買うよ。元々アンタは一発蹴っ倒したいと思ってたところだ」
柚椰の言葉が癇に障ったのか、伊吹は鋭い眼光で彼を睨みつける。
その気になれば、いつでも彼の首筋目掛けて蹴りを放つつもりで。
「君があの手のタイプを心底嫌っていることは、俺が一番よく知っているよ。君はもう現実から逃げることを、変わらない日常のなかで諦めることを止めたはずなのだから。それとも、君は戻りたいのかい? ただ搾取されるだけだったあの日々に」
「……」
その言葉は伊吹にとって大きなものだった。
今の彼女を作り上げたのは、昔の彼女を変えたのが目の前の男である以上、彼女の考えは全て筒抜けだった。
今の状況が彼女にとって不本意であることも。
かつての自分の影がちらついていることも。
「さて、俺が君に提供するのはDクラスのキーカードだ。リーダーの名前が刻印されているキーカードはリーダーを証明する証に他ならない。君はそれを持って龍園のところに帰るといい」
「アンタはそれをどうやって手に入れるつもり? リーダーは平田か櫛田か堀北の誰かでしょ」
伊吹が立てていた予想を聞いた柚椰はカラカラと笑った。
「いいや、彼らはリーダーではないよ。平田や桔梗は目立ちすぎていて、鈴音は体調が万全ではない。俺たちDクラスは自軍のリーダーを選ぶ際に、疑われる可能性が低い人間に候補を絞った。目立たず、リーダーであるとまず疑われないような人間をね。要は君の予想は大外れだ。このままいけば、間違いなく君の作戦は失敗に終わっていたんだ」
「……」
柚椰から齎された事実は伊吹にとって決定打だった。
予想が外れている以上、今から再びリーダーを絞り込まなくてはならない。
残りの時間でそれを行い、且つ自力でリーダーを知るのは最早不可能だった。
「……分かった。その取引に応じるよ」
「澪ちゃんが賢い子で俺は嬉しいよ」
伊吹から了承の言葉をもぎ取ったのを合図に、柚椰はポケットから取り出したキーカードを彼女に投げて寄越した。
彼女はそれを危なげなく受け取ると、カードに書かれているリーダーの名前を見た。
「──っ!」
「そう、俺がDクラスのリーダーだ」
「……そっか。何から何までアンタの掌の上だったってことか」
キーカードを見ると、伊吹は脱力したように傍の木に凭れ掛かる。
彼女はここに至るまでの全てが目の前の男の計画通りだったと理解したのだ。
「さて、この後の君の行動を指示させてもらうけど構わないかい?」
「分かった。物は受け取ったんだから素直に従うよ」
「まず今日の夕方に俺の協力者が君を逃すチャンスを作る。君はその間にここから離脱して龍園に報告しに向かうといい」
彼がそう言うと、伊吹は意外そうに目を丸くした。
「驚いた。アンタに協力者が居たなんてな」
「俺以外にも君が犯人であると確信した人間がいたんだ。なんでも、君が犯人で間違いないと言っていたよ? 澪ちゃん、君は昨日から今日までの間に誰かと事件について話さなかったかい?」
そう言われた伊吹は、柚椰が語る彼の協力者が誰であるか気づいた。
彼女が事件について話した相手など、Dクラスには
「綾小路か……」
「正解。彼は中々に鋭い人間だ。まさか会話の中で君が犯人だと確信するとはね。Dクラスにも鋭い人間は何人かいるが、彼はその中でも突出した存在だ」
「どの道私は詰んでたってわけか……降参だ」
元々自分が犯人であることは遅かれ早かれ明かされていたことに、伊吹はお手上げだと言わんばかりに両手を挙げた。
「あと、うちのクラスの人間に犯行を自白するタイミングだが、これは君に任せよう。試験終了後でも船の中でも構わない。君が俺との取引を反故にすることはないと信じているからね」
「ふーん、じゃあ私のタイミングでやらせてもらうよ。じゃあ取引はこれで成立だな」
話は終わりだとでも言うように伊吹はベースキャンプへ戻るべく踵を返した。
しかし帰ろうとする彼女に柚椰は待ったをかける。
「あぁ、まだ話は終わっていないよ。もう一つ、君には話したいことがある」
「なに? まだ何かあるの」
振り返った伊吹は悪どい笑みを浮かべている男の姿を見た。
「ここから先は綾小路も知らない。僕と君だけの
その日の夕方5時、Dクラスのベースキャンプでトラブルが起きた。
学校から配布されていたマニュアルが何者かによって燃やされたのだ。
幸いすぐに気づいた男子たちによってボヤ騒ぎで済んだが、クラスの中には緊張感が立ち込めた。
燃えたものがマニュアルであり、燃えていた場所が仮設トイレの裏であったことから明らかに放火だと分かったからだ。
いたずらにしては度が過ぎているため、誰も彼もがざわついていた。
一体誰が、何の目的でマニュアルに火を点けたのか。
一同の中に疑念が浮かぶ中、櫛田があることに気づいた。
「あれ……? 伊吹さんは?」
そう、ベースキャンプに伊吹の姿がなくなっていたのだ。
このタイミングで姿を消すということは、導き出される結論は一つ。
「もしかして放火したのって……」
「このタイミングで居なくなるってことは……」
皆が皆、状況から確信したのだろう。
この放火を引き起こしたのが伊吹なのかもしれないと。
「皆聞いて!」
ざわつくクラスメイトに向けて櫛田が声をかける。
「いきなり火事が起きて混乱しちゃうのは分かるよ。でも、今は早く後片付けをして夜の点呼に備えようよ! 結果論だけどすぐに消火出来たんだし、今は先のことを考えて動こう!」
彼女の提案に難色を示すクラスメイトだったが、やがてこのままでも埒が明かないと判断したため、彼女の言葉通り行動を開始した。
男子たちが率先して後片付けをし、女子たちが夕食の準備に取り掛かる。
火事のことを忘れたわけではないが、ひとまず先のことを考えることで乗り切ったのだった。
「(凄いな櫛田さんは……僕なんかよりよっぽどリーダーシップがある)」
動き出すクラスメイトと、中心になって動く櫛田を眺めながら平田は思った。
昨日から続く不測の事態に櫛田は臨機応変に対応している。
周囲の気持ちを汲み取りつつ、なんとかクラスとしての形を保つように動いている。
その姿に尊敬の念を感じると共に、対する自分自身への不甲斐なさを平田は感じていた。
「(僕はどうしてこんなときに限って動けないんだ……)」
下着泥棒の罪を被ることで事態を収めようとした柚椰。
イレギュラーにも柔軟に対応して周りを引っ張る櫛田。
その二人の姿が平田には眩しく映った。
「(伊吹さんが離脱した、ということは……)」
クラスが慌しく動く中で、堀北は状況を整理していた。
マニュアルが放火され、そのタイミングで伊吹が姿を消した。
恐らく火を放ったのは彼女なのだろうと堀北は推測した。
そして伊吹がスパイであるという前提を踏まえて、彼女の行動の意味を推測する。
「(もうこのクラスに用は無くなった……ってことよね)」
つまり伊吹は仕事を完遂させたということ。
それが示すことは、Dクラスのリーダーが柚椰だと知られてしまったということだ。
「(キーカードは柚椰君が肌身離さず持っているはず。にも関わらず伊吹さんは離脱した……)」
柚椰がみすみすキーカードを見られるなどという下手を打つなんてことを彼女は信じていなかった。
考えられる可能性はいくつか存在した。
「(柚椰君がわざと伊吹さんにバラした。あるいは何かの対価として情報を与えた?)」
彼女はそこで一つの仮説を立てた。
もし、下着泥棒の犯人が伊吹だとしたら。
柚椰がそれに気づいていたとしたら。
彼は真相を明らかにするために伊吹と交渉するのではないだろうか。
そしてその対価として、彼女の目的を達成させたのではないだろうか。
「(柚椰君は伊吹さんに自白させるために自分がリーダーだと教えた、ってことかしら……?)」
そうと考えれば辻褄が合った。
柚椰はクラスの不和を解消するために、冤罪ではない本当の罪を背負った。
自分のクラスのリーダーを教えるという一種の裏切り行為を以ってして、クラスを守ったのだ。
結果として、これによって真実は明らかにされ、櫛田と平田の身は守られる。
二人が退学することはなく、クラスも完全に元の形を取り戻す。
だがもしこれが明るみになれば、柚椰はこの先裏切り者として扱われるだろう。
彼はそれを厭わなかったのだ。
「ふふっ、そう。貴方はそういう選択をしたのね……」
事の一部始終を理解した堀北は思わず笑みをこぼした。
それはおかしさから生まれた笑いではなく、むしろ真逆。
彼女の胸に宿ったのは沸々とした怒りだった。
「許さないわよ柚椰君。貴方が裏切り者として扱われるなんて、私は絶対に許さない」
もしこれから先、柚椰を害する者がいたとしたら。
彼のことを裏切り者と呼び迫害する者がいたとしたら。
彼女はどんな手を使ってでも地獄を見せると誓った。
「ご苦労だったな伊吹、上出来だ」
「ふん……」
Dクラスのベースキャンプから離脱した伊吹は、手筈通り無線機で龍園に連絡を取った。
その後、龍園が指定した場所まで移動すると、そこには不敵な笑みを浮かべる彼の姿があった。
「まさかデジカメが故障するとはな。余計な手間をかけさせてくれる」
「不測の事態くらい想定しろよ」
「ククク、当人のテメェがそれを言うとはな」
態度の悪い伊吹に龍園はおかしそうにクツクツと笑った。
「で、カードは?」
「ここにある」
伊吹はポケットからキーカードを取り出し、龍園へと渡した。
彼はカードを確認し、『マユズミユウヤ』と書かれた名前をしっかりと確認する。
「ほう。あのクソ野郎がリーダーとはな」
龍園は柚椰がリーダーだということが意外だったのかニヤリと笑った。
「おい、お前もこっちに来て確認しろ。テメェが要求した条件だろ? 安心しろ、周りには誰もいねぇ。さっさと確認しろ」
彼のその言葉に、物陰から男が姿を現す。
それはAクラスの葛城だった。
事前に龍園が言っていたように、CクラスとAクラスは協力関係だったということがこれで証明された。
葛城は龍園からキーカードを受け取ると、その肉眼でしっかりとカードを確認する。
「本物のようだな」
「これで納得したか?」
確実な証拠は提示された。
にも関わらず葛城は険しい表情を変えない。
「よくDクラスに潜入できたものだ。疑われなかったのか?」
「やりようはいくらでもあるってことだ。残念ながらBクラスの方は情報が得られなかったが、これで条件は満たしただろ」
「……そうだな」
契約ではBクラスとDクラスのリーダーを探り、得た情報を葛城に伝えると言うもの。
一見するとBクラスの情報が手に入らなかったのだから条件を満たしていないように見えるが、契約内容には
つまりどちらかの情報が手に入れば条件は満たされるのだ。
それを葛城も理解しているからか、短く返事をする。
「これで契約は無事に完了だな。ポイントの方は頼んだぜ?」
「……あぁ、契約は守らせてもらう」
「じゃあとっとと帰れ。あまり長居すれば坂柳派の奴らに感づかれるかもしれねぇぜ? 手柄欲しさに下のクラスのリーダーと手を組んだってよ」
「……」
葛城は龍園の言葉に顔を顰めつつも、伊吹にキーカードを返してそのまま去っていった。
後に残っているのは龍園と伊吹の二人だけ。
二人きりになるや否や、伊吹は先ほど龍園が葛城に言ったあることについて問い詰めた。
「どういうこと? 金田の奴、結局しくじったってわけ?」
「いいや、金田はちゃんと仕事を完了させた。Bクラスのリーダーの情報はしっかりと俺が握っている」
龍園はニヤリと笑みを浮かべると、ポケットからデジカメを取り出した。
それは金田に持たせていたものだ。
彼はそれを操作すると、中に入っていた写真を伊吹に見せる。
「──っ! これは……」
「占有の瞬間だ。遠くからズームで撮ったんだろうが、はっきりと写ってるぜ」
写真には小屋の前に置いてある端末に、一人の女生徒がキーカードを翳す瞬間が収められていた。
離れたところから撮ったものであるが、女生徒の顔は判別できるくらいには綺麗に撮れている。
「こいつの名前は白波千尋。一之瀬の金魚の糞の一人だな。これでBクラスのリーダーは判明した」
「ちょっと待って。じゃあなんでさっき葛城にBクラスの情報はないって言ったの?」
「契約書の三つ目の条件だ。Aクラスから毎月ポイントを貰うための条件はBクラスとDクラスを探り、得た情報を伝えるってものだ。両方のリーダーの情報を伝えた場合とは書いてない。つまりBクラスの情報を意図的に伏せてもなんの問題もねぇってことだ」
「なんでそんなことわざわざする必要があるわけ? Bクラスのポイントを減らすのが目的なら、教えるクラスは多い方がいいんじゃないの?」
伊吹のその問いに、龍園は獰猛さを孕んだ笑みを浮かべた。
「それはな……俺が
「ある奴?」
「ククッ、伊吹。テメェがキーカードをパクってきた相手だよ」
龍園の言葉に、伊吹は目を見開いた。
自分がキーカードを盗んで来た相手、それは──
「──っ! 黛か……!?」
「あぁ、奴と交わした契約がこれだ」
龍園は一枚の紙を取り出して伊吹に見せた。
『契約書』
龍園翔(以下「甲」とする)と黛柚椰(以下「乙」とする)は以下の通り契約を締結する。
1.乙はAクラスのリーダーを探り、得た正確な情報を必ず甲へと伝える。
2.甲はBクラスのリーダーを探り、得た正確な情報を必ず乙へと伝える。
3.乙はAクラスの情報に関して、他クラスと取引を行うことを禁じる。
4.甲はBクラスの情報に関して、他クラスと取引を行うことを禁じる。
5.乙が本契約の1に違反した場合、乙は甲に50万プライベートポイントを違反金として支払う。
6.甲が本契約の2に違反した場合、甲は乙に50万プライベートポイントを違反金として支払う。
7,乙が本契約の3に違反した場合、乙は甲に30万プライベートポイントを違反金として支払う。
8.甲が本契約の4に違反した場合、甲は乙に30万プライベートポイントを違反金として支払う。
9.下記に署名した者は、本契約内容に同意したものとする。
「これって……」
「要は
伊吹はようやくそこで、試験開始時に龍園が言っていた言葉の意味に気づいた。
「最初からこれが狙いだったんだな?」
「あぁ。俺が蒔いていた種ってのは
「どうして?」
「黛が関わりがあるのは坂柳の方だ。坂柳の方も黛を買っている節がある。みすみす葛城を調子付かせるような無駄なことはしねぇ。だから取引を持ちかけてくるとすればBクラスかCクラス。Bクラスとは既に協力関係である以上、わざわざここで新たに取引を持ちかける必要はねぇ。放って置いてもどちらかが得た情報を共有するだろうからな。そうなると必然的に、奴が取引を持ちかけてくるのは俺のところってことになるのさ」
「でも黛は対価としてBクラスの情報を買ったんだろ? それってBクラスを裏切ることになるんじゃないのか」
「いいや、恐らくだがアイツはリーダー当てではBクラスを指定しない。アイツがこの取引で重視したのは、情報の
「Aクラスに情報を流させないことが目的ってこと?」
「あぁ。葛城が情報を得ていれば、BクラスはCクラスとAクラスからリーダーを当てられてマイナス100ポイント。だが葛城が情報を得られなければ、Cクラスのみがリーダーを当てたことになってマイナスは半分の50ポイントになる。アイツは協力関係であるBクラスのマイナスを軽減させるためにこの契約を結んだってことだ」
「理解できないな。いくら協力関係でも、所詮は敵同士だろ」
「同感だ。まぁ俺には一切のデメリットはねぇから関係ねぇ話だがな」
話は終わりだとでも言うように、龍園は踵を返した。
「仕事は終わりだ。リタイアして船に戻っていいぞ」
「そうさせてもらう」
伊吹もそれ以上話すことはないのか、さっさと教員が待機している浜辺へ向かおうとした。
しかし──
「待て伊吹」
立ち去ろうとする伊吹に龍園が待ったをかけた。
「なに? もう仕事は終わりだろ」
彼女が振り返ると、そこには難しい顔をした龍園の姿があった。
彼は考え込むような素振りを見せると、やがて鋭い目つきで伊吹を見た。
「伊吹、テメェどうやって黛からカードをパクってきた? アイツが風呂の時にでも抜き取ったのか?」
「あぁ。シャワーを浴びてる時にジャージのポケットから盗んできた。それがどうした?」
「ちょっと待て」
事情を聞いた龍園はそこで再び思案する。
彼の本能が嗅ぎ取ったのだ。
以前にも感じた不快な臭いを。
何かが蠢いているような不快感を。
「(あのクソ野郎がそんな簡単に隙を見せるか……? 伊吹がスパイだと理解しているアイツが……)」
そう、彼は柚椰が伊吹をスパイだとすぐに見抜くことを読んでいた。
その上で伊吹を送り出したのだ。
元々成功率は五分五分だったが、結果として伊吹は見事に仕事を果たした。
そのこと自体については龍園は評価していた。
しかし伊吹が持って来たキーカードに書かれていた名前が柚椰であったという事実がここにきて引っかかった。
リーダーであるという情報はこの試験においてはアキレス腱だ。
他クラスに知られればポイントを失うことになる大きなミス。
それを柚椰が理解していないはずがない。
当然自分がリーダーだと知られないように手を打っているはずなのだ。
にも関わらず、柚椰はまんまと伊吹にキーカードを盗まれた。
あまりにもあっさりした結末に龍園は違和感を覚えたのだ。
「(リーダーを知られない方法はいくらでもあったはずだ。アイツがそれを怠るのか?)」
もし、これが意図して行われたものだったとしたら。
柚椰がわざと伊吹にキーカードを盗ませたとしたら。
何か奥の手を隠しているのではないだろうか。
「(いや……逆か? アイツはこの後に何かをしてくる……とすれば)」
龍園は今一度この試験の仕組みについて振り返った。
初日に教師が言っていた説明。
マニュアルに書かれていた禁止事項。
課せられるペナルティ。得られるボーナスポイント。
スポットの占有。そして……
「あぁ、なるほど。そういうことか……! ククッ、流石クソ野郎だな黛ィッ!」
龍園は一つの可能性を見出した。
彼は気づいたのだ。
柚椰が隠している奥の手を。この試験のルールの中に潜む穴を。
危機的状況をひっくり返す一手を。
それに気づいた龍園はおかしそうにゲラゲラと笑った。
いきなり笑い出した彼を伊吹は変なものを見るような目で見ている。
「伊吹、計画変更だ。リタイアするのは俺だ。リーダーはテメェがやれ」
「は? いや無理だろ。リーダーの変更は出来ないんじゃないのか」
いきなり何を言い出すのかと伊吹は呆れ顔だ。
「いいや出来る。リーダーを変更する方法がたった一つだけな。黛もそれを狙ってんだ。ククッ、危うく下手を打つところだったぜ」
「何一人で納得してんのさ。説明しろよ」
「リーダーは正当な理由なく変更は出来ない。テメェが言いたいのはこのルールのことだろ?」
「あぁ。要は一回決めたリーダーは変更できないってことだろ? だから教師はリーダーは慎重に決めろって言ったんじゃないか」
「だが、もしリーダーが体調不良で試験が続行不可能になった場合はどうなる?」
「そりゃあ……リーダーがリタイアしたってことで、リーダー不在になるんじゃないのか?」
「体調不良によるリタイアは正当な理由にはならねぇのか?」
「──っ! なるほどね……そういうことか」
伊吹は龍園が言いたいことが分かったようで不敵に笑った。
「黛はわざとテメェにキーカードを盗ませた。その上でアイツが別の人間にリーダーを託してリタイアする。そうなればアイツのキーカードを見てリーダー当てを行ったクラスは不正解でマイナス50だ。なんせ、既にリーダーは黛じゃねぇんだからな」
「それがアイツの奥の手だったってことか……じゃあなんでアンタがリタイアする必要があるわけ?」
「簡単なことだ。アイツは俺が情報を全て集めた後、全員をリタイアさせてくると読んでる。島に残るのは俺一人。必然的に俺がCクラスのリーダーだという予想が立つ。もしこの場合、最終的なポイントはどうなる? 現時点で俺はAクラスとBクラス、そしてDクラスのリーダーを知っている。だがDクラスの情報は更新されて不正解になる」
その質問に、伊吹は暫し考えた後に答えを出した。
「.....AとBで稼いだボーナスが全部で100ポイント。でもDクラスのリーダーを間違ってマイナス50ポイント。そして、こっちがリーダーを当てられてマイナス50ポイントで0になる」
「そういうことだ。危うく俺はあの野郎に嵌められるところだったってわけだ。そこで予定変更だ。今回Dクラスのリーダー当てはしねぇことにする。そしてリーダーを伊吹、テメェに変更する。するとどうなる?」
「最低でも100ポイントは保証されるし、Dクラスはリーダーを間違ってマイナス50になる」
伊吹の出した答えは正解だったのか、龍園は満足そうに口角をあげた。
「このことAクラスには」
「教えるわけがねぇだろ。教えてやる義理もねぇ」
「そう言うと思った」
「っつーわけだ。さっさと船のところに向かうぞ」
「分かった」
二人は浜辺に設置されている教員用の待機テントに向かい、龍園はリタイアを表明した。
教員は何か言うことはなく粛々と作業を行なった。
結果、龍園はリタイアとして扱われ、代わりに伊吹の名前の入ったキーカードが再発行された。
この瞬間、Cクラスのリーダーは伊吹へと変わったのだ。
「清隆」
「あぁ、どうだった?」
午後7時30分。事前に待ち合わせしていた場所で綾小路と柚椰は落ち合っていた。
理由は一つ。Cクラスの最終的なリーダーが誰であるかを伝えるためだ。
「Cクラスのリーダーは伊吹に変わったようだね」
「つまり龍園は気づいたってことだな」
「そうなるね。じゃあ後は頼んだよ」
「分かった」
二人は短く言葉を交わし、そのまま一緒に浜辺まで歩いていった。
数分後、Dクラスのリーダーが柚椰から綾小路へと変更された。
あとがきです。次で無人島編終わるかと思います。