ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
学校に到着した柚椰はまず初めにある場所へと向かった。
事前の推測を確かめるために食堂に行くというのも選択肢としてはアリだった。
しかし彼は不要だと思っていた。
もう既に先の推測はほぼ確実に当たっていると確信していたからだ。
一つ確信を得たことで、彼の興味は次の項目へと移った。
今彼が最優先で調査したいと考えていることはポイントの増やし方についてだ。
であるならば、目指す場所はただひとつ──
「失礼します、1-Dの黛です」
訪れたのは職員室だった。
情報を集めるならば、まず初めに教員から当たるつもりらしい。
1年生が、それも入学初日から職員室に訪れたのは珍しいのか、室内で作業をしていた教員数名は入り口に立っている柚椰に視線を移した。
しかしそれもあくまで一瞬、直ぐに各々の作業を再開した。
流石は一流高校の教員といったところだろうか。
「黛か、どうした? まさか初日から何か問題を起こしたわけではなかろうな?」
柚椰の担任である茶柱先生が、どこか楽しそうにそう尋ねてくる。
彼女はホームルームのときと違い、多少なりとも柔らかい雰囲気を纏っていた。
オンオフのしっかりした人なのか、案外こっちが素なのかもしれないと柚椰は思った。
「あー、いえ、実は茶柱先生ではなくて、星之宮先生に少し用が」
「え、私?」
星之宮先生は傍で聞き耳を立てていたのか、いきなり話を振られたことにキョトンとしていた。
彼女は星之宮知恵、1-Bの担任である。
「Dクラスの黛君が私に用だなんてどうしたの? あ、まさか先生に惚れちゃったかな~? でも私は先生だからダメよ~?」
「いえ、そうではなく、少し質問したいことがありまして」
星之宮先生はまったりとした喋り方で柚椰をからかった。
しかしそんな冗談を柚椰はサラリと流しながら用件を告げる。
「なんだ黛、私では不満か?」
まさか担任である自分ではなく、違う教員に質問しにくるとは思わなかったようで、茶柱先生はそう尋ねた。
言葉だけ聞けば不満そうな感じを受けるが、実際は不満というよりは面白いものを見るかのようにニヤリと笑っている。
「まさか、茶柱先生に不満なんてありませんよ。ただ、今回の内容はフレンドリーそうな星之宮先生の方が聞きやすいと思ったので」
「なるほどね~、佐枝ちゃんお堅いからね~」
「余計なお世話だ」
星之宮先生の言葉を茶柱先生は一蹴した。
「じゃあ黛君、お話聞かせて? ちょうど生活指導室開いてるから行こ~」
星之宮先生はそう言うとニコニコしながら職員室を出て行った。
「はい。茶柱先生、失礼します」
柚椰も茶柱先生に一礼すると、先に出て行った星之宮先生を追うべく職員室を後にした。
「それで? 聞きたいことってな~に?」
星之宮先生は生活指導室として設けられている部屋に柚椰を通した。
そして彼が席に座るや否や、早速話の内容について尋ねた。
彼女に促されたことで、柚椰は一切の前置きなく本題へ入った。
「聞きたいことは主に2つです。学校が設ける試験以外でポイントを稼ぐ方法について。そして、学校のシステムそのものを買う場合のポイント相場についてです」
「──っ!?」
柚椰が聞いてきた内容に星之宮先生は目を見開いていた。
それは驚きと動揺が入り混じった表情。
彼女の表情から、聞きたいことの前者については存在するということ、そして後者についても可能であるということを柚椰は察した。
「どうしてそんなことを聞くのかな? ポイントなら毎月10万も貰えるんだよ~? それに学校のシステムを買うなんて普通出来ると思う?」
驚きから一転、星之宮先生は努めて冷静に、そして教師らしい返答をした。
しかしそれが真実ではないということを柚椰は既にお見通しだ。
「茶柱先生は毎月10万振り込まれるとは一言も口にしていませんでした。そしてそれは星之宮先生も同じはずです。加えて茶柱先生は10万ポイントは入学を果たした今の俺たちへの評価だと言っていました。筆記試験と面接で判断された結果が10万という数字だとするならば……それはしっかりと勉強し、且つ面接で行儀良く振舞っている姿を見た上での判断です。そんなものはここから先、学校生活が始まれば否が応でもボロが出る。生徒の実力がそのままポイントに結びつくであろうことを考えれば、態度の悪い不良品にはポイントの減少などの措置が取られることは想像に難くありません」
「──っ! (この子、今日だけでそこまで気づいたの!?)」
柚椰の語る内容に星之宮先生は黙ってはいるものの、内心は驚愕していた。
「ポイントが減るということは、それだけ生徒の生活にも影響が出るということです。この学校においてポイントとはつまり金。金に困っている人間が、もっと金をと欲する人間が何をするか。生徒間でのポイントの譲渡は規則に抵触しない。強引な手段ではなく、双方同意の下で行われるポイントのやり取り。それは──」
「賭け事、ってことね?」
「はい、恐らくですがあるのではないですか? 生徒同士による賭けが行われている部活動が」
「……」
柚椰の問いに星之宮先生は沈黙を貫いていた。
しかしやがて誤魔化せないということを察したのか、深々とため息をついた。
「はぁー……参りました~そうだよ、この学校には生徒たちがポイントを賭けて遊んでる部活もある」
「どの部ですか?」
「基本的にどこの部でも内容は違えどあるかな~運動部なら誰が一番多く点を取るかで賭けるとか。文化部ならチェスとかのボードゲーム系、あと遊戯部でもやってたかな?」
「なるほど、道場破りを考えると文化系に行ったほうがやりやすそうですね」
「おススメはしないけどね~賭けに慣れてるってことは皆それなりに強いってことでもあるし」
「問題ありませんよ、ボードゲームとかは好きなので」
「頑張ってね~くれぐれもポイント全部スらないようにね」
賭け事に意欲的な柚椰に星之宮先生はエールを送った。
「それで、学校のシステムそのものを買うってどういうこと?」
多少和やかな雰囲気にはなったものの、直ぐに再び真剣な空気になり、星之宮先生はそう尋ねた。
そしてそれは彼女が最も驚いた質問なのだ。
柚椰がその質問をしてきたとき、まさか僅か半日にしてその可能性に行き着いたのかと彼女は戦慄した。
根拠のない質問であるならばいくらでも誤魔化しが利く。
しかし、そんな考えと同時に柚椰は確信を持って聞いてきているということも薄々察していた。
正確には先ほどの柚椰の弁を聞いた結果、察せざるを得なかったのだ。
「茶柱先生はポイントで敷地内にあるものなら何でも買えると言っていました。ここにはコンビニやスーパー、飲食店や家電量販店まで揃っています。普通ならポイントがあればどの店でも買い物が出来ると考えます。しかし茶柱先生はこうも言っていたんです。『この学校においてポイントで買えないものはない』と」
「──!」
「わざわざそんな言い回しをしたのには理由があるはずだと考えたんです。『この学校において』という言葉、それは施設だけでなく学校そのものも対象になる。そしてその学校においても買えないものはないと言外に言っているのではないかと。例えば、定期テストの問題を事前に購入する。或いはテストの点数そのものを購入することも可能なのではないか、とね。もしくは上級生から過去問を買うなんてこともルール上出来るはずだと俺は考えています」
「……確かに佐枝ちゃんの言う通りなら問題ないね~でも黛君が聞きたいのはそこじゃないってことだよね?」
「えぇ、あくまでこれは作戦として使われる方法です。俺が思いつくのですから、他の1年生にも同じ考えに行き着いている人がいるかもしれない。或いは上級生が既に同じ方法を使っていることもありえる話です。なので
柚椰はそこで言葉を切ると、目を閉じて少し息を吸った。
そして再び目を開き、言葉を紡いだ。
「生徒を強制的に退学させる権利を買う上で必要なポイントがいくらなのか。そして生徒の退学を取り消す権利を買う上で必要なポイントがいくらなのか。対象が自分のクラスの場合と他クラス、他学年の場合と両方教えてください」
「なっ……!?」
柚椰が口にした内容に星之宮先生は今日一番の驚きを覚えた。
予想の斜め上どころか完全に意識外の内容だったからだ。
同時に恐怖した。
一体それを聞いて何をするつもりなのかと。
「そ、そんな非常識なもの買えるわけが……」
「買えますよ。この学校においては、ね?」
何とか誤魔化そうとするが、柚椰はそれを許さない。
彼はじっと、まっすぐに、けれど突き刺すように星之宮先生を
「──っ!? (なに……? なんなの、この子の
柚椰の目は職員室で見たときのような柔らかい目でも、先ほどまでの真剣な目でもない。
氷のような、いいやそれ以上に冷たい目。
こちらの全てを見抜いているかのような絶対零度の目。
ずっと目を合わせていれば、全てを晒してしまうような気にさせる目。
今すぐにでも目を逸らしたい。
しかし──
「どうしました? 顔色が悪いように見受けられますが」
「っ……! ぁっ……!」
目を逸らせない。逸らすことを許されない。
声が出ない。息が苦しい。
先生と生徒でありながら、既に星之宮知恵は黛柚椰に服従してもいいという気にさえなっていた。
それほどまでに柚椰の眼光は鋭く、そして恐ろしかった。
支配者を前にした平民は、かつてこのような気持ちだったのかもしれないと彼女は思った。
しかしいくら相手の目が怖いとはいえ、彼女にも教師としての誇りがあった。
教師として、生徒に屈することなどあってなるものかと抗った。
沈黙を貫き、気丈に柚椰の瞳を見つめ返すことで抵抗した。
しかし──
「……退学者の救済には2000万プライベートポイント。それと合わせてクラスポイントが300必要だわ。自クラスでそれなら他クラスの場合は……直接の救済なら少なく見積もっても3000万、クラスポイントは400ってところかしらね」
星之宮知恵は抗えなかった。
抵抗はした。最大限、全霊を以って。
けれど不可能だった。
教師である以前に一人の人間として、黛柚椰という存在に屈してしまったのだ。
望んだ回答を得た柚椰は暫し考え込んだ。
「僕たちが既に得ている10万はプライベートポイント……クラスポイントとはクラス単位で加減されるポイントのことですね。では、そのポイントを
柚椰は先ほどと同じ目で再び星之宮先生を見た。
「──っ! ……クラスポイントはクラスの評価によってつけられるポイントだから。それを増やすことはクラスメイト全員分の評価を底上げすることと同義よ。だから300ポイント丸々買うとすれば……300万はかかるわ」
見つめられたことにビクッと震えながら、星之宮先生は素直に答えた。
「では全てをプライベートポイントで賄うとすれば……自クラスなら2300万、他クラスなら3400万といったところか。なるほど、やはり捨て札の回収は高くつきますね。では、生徒を強制的に退学させる権利を買う場合はいくらになりますか?」
「そ、それは……」
流石にそれだけはと星之宮先生は抵抗した。
もし仮に自分が教えたとしたら、目の前の生徒がそれを実行に移すかもしれない。
そうなった場合、標的になるのは自分のクラスの生徒かもしれない。
これを教えるのはあまりに危険なのだ。
「心配ありませんよ、先生。僕は誰彼構わず嫌いだから、目障りだから退学させようなどということは全く考えていませんから。これはあくまで
彼女の警戒を察してか、柚椰は柔らかく微笑みながらそう尋ねた。
先ほどまでの冷たい目はそのままに、口元だけの柔らかい笑み。
この状況でそれはまさに飴と鞭。
落としてから上げるという緩急。
人の心をよく視ている柚椰だからこその手段だ。
そして彼に尋ねられた星之宮先生は──
「……退学させるのは退学者を救済するのとはわけが違うわ。救済措置じゃない、完全な独裁の権利よ。当然そんなもの、学校側は可能な限り認めたくはない。でももし、ポイントによって強引に可能とするなら……自クラスなら6000万、他クラスなら8000万ってところでしょうね」
自分の今までの教員生活の経験に基づき、暫定的な数字を提示した。
それはあまりに高額だが不可能と言うわけではないという事実。
前例のない仮定を算出するのは精神も心も疲弊させる。
現に星之宮先生は冷や汗をかいていた。
「なるほど……理解しました」
柚椰は短くそう言うと、再び瞳を閉じた。
そして1秒足らずでもう一度瞼を開けた。
「ありがとうございます星之宮先生。色々と勉強になりました」
そう言って笑う姿に、先ほどの冷たさは微塵も残っていなかった。
あまりに素早い切り替えに星之宮先生はついていけなかった。
「どうやら怖がらせてしまったみたいですね。すみません、昔からどうしても気になることがあると、つい強引に聞いてしまう癖があって」
「え、あ、ううん! いいのいいの~。先生なんだから、生徒の相談には乗ってあげないとね~」
あっけらかんとした柚椰の態度に緊張が解れたのか、星之宮先生はそう言って微笑んだ。
といっても即興の作り笑いでかなり引き攣っているのだが。
「やっぱり星之宮先生に相談して正解でした。先生のクラスの生徒が羨ましいです。俺もBクラスだったらよかったのに」
「も~、そんなこと言っちゃダメよ~? 佐枝ちゃん意外と傷つきやすんだから~」
先の空気を打ち消すように、二人は冗談を交えた会話を繰り広げていた。
尤も、先生の方に関しては無理矢理にでも明るい雰囲気を作っているのだが。
「ではそろそろ俺は行きますね。お時間を取らせてすみませんでした」
柚椰はそう言うと席を立ち、生活指導室を出て行こうとした。
しかし星之宮先生はどうしても聞かなければならないことがあるのか、彼を呼び止めた。
「ね、ねぇ黛君、最後に一つだけ、私からもいいかな?」
「なんですか?」
先生に呼び止められたため柚椰は出ていこうとする足を止めた。
止まった彼の背に向けて、星之宮先生は尋ねた。
「さっきのことを聞いて、黛君は一体何をするつもりなの……?」
「何を、ですか。そうですね……」
星之宮知恵の問いに、黛柚椰は暫し間を空けるとこう答えた。
「社会貢献、ですよ」
「はぁー……」
生活指導室で一人、星之宮知恵は大きく息を吐き出していた。
尋常ではないほどの疲労と倦怠感に包まれながら、彼女が思い返すのは唯一つ。
先ほどこの部屋を出て行った男子生徒のことだ。
「黛柚椰君、か……」
初めてだった。
生徒でありながらあそこまでの威圧感と底の知れなさ。
優秀な生徒はこの学校にも数多く在籍している。
中には天才とも呼べる生徒もいる。
しかし彼はそういった類の人間ではない。
完全なる異質。
天才というよりは怪物に近い何か。
たった一回の話、それもあくまで概要程度にしかなされなかった話から、一気にこの学校の仕組みまで辿り着いた洞察力。
答えづらい、答えてはならない問いに対しても有無を言わせない威圧感。
そして何より恐ろしいのがあの
見つめられたら最後、こちらの心も何もかもを丸裸にされるようなあの目。
こちらの考えも、人となりも、ともすれば未来でさえ見られているような気にさせられた目。
あの目から放たれるプレッシャーは凄まじかった。
教師でありながら、思わず彼に忠誠を誓いそうになったほどだ。
彼の真の武器は恐らくあの目であると星之宮知恵は確信していた。
黛柚椰はあの目を以ってして、先の結論に辿り着いたのだろう。
「佐枝ちゃんにはとても飼い慣らせないかもね……
脳裏に浮かぶ同期の女性に、彼女は同情の念を送っていた。
あとがきです。
星之宮先生、黛君の物騒な発想に驚くの巻。