ようこそ人間讃歌の楽園へ   作:gigantus

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彼と無機質少年は相対する。

 

 

 

 22時45分。深夜の海を船は進む。

 船内のカフェにはぞろぞろと人が集まり、大盛況となっていた。

 早い段階で席を確保していた綾小路の元に一人の少女が近づいてくる。

 

「……お待たせ」

 

 遠慮がちにやって来たのは、軽井沢恵。その表情はどこか今までとは違う。

 

「遅い時間に呼び出して悪かったな」

 

「ううん、それはいい……」

 

 特に会話を交わすこともなく、二人の間に無言の間が続く。

 しかし軽井沢が様子を窺っているのが分かった綾小路が口を開く。

 

「どうした?」

 

「あ、えっと……上手くいったのかなって」

 

「打てる手は打った。後は結果を待つだけだ」

 

「そりゃそうかもしれないけど……」

 

「二人ともここにいたんだね」

 

 背後から近づいてきた存在に軽井沢はビクリと肩を震わせた。

 彼女がそう反応するのも無理はない。

 やってきたのは先日喧嘩別れになってしまった平田だったのだから。

 

「二人とも試験お疲れ様。座ってもいいかな?」

 

「あぁ」

 

 軽井沢は居心地が悪そうに目を伏せるが拒絶の意志は感じられない。

 そしてもう一つ、彼らのテーブルにやって来た者がいた。

 

「やぁ、これはまた珍しい組み合わせだね。座ってもいいかい?」

 

 そう言ってやって来たのは柚椰だった。

 彼がやって来たことで軽井沢がさらに縮こまる。

 なにせこのテーブルには喧嘩別れした彼氏と、彼氏の代わりに助けを求めた男子。

 そして結果的に自分が服従させられた男子が揃っているのだから。

 

「黛君も試験お疲れ様。今回は大変だったね」

 

 平田がそう労うと柚椰は微笑みを浮かべる。

 

「そうだね。かなり危険な橋を渡ったよ」

 

 その意味深な発言に綾小路が触れる。

 

「そういえば、お前は堀北にだけ何か作戦を伝えていたみたいだな。上手くいきそうなのか?」

 

「さぁ? ただ、打てる手は打った。あとは結果を待つだけだね」

 

 先ほどの綾小路と似たような物言いをする柚椰。

 この場で答えるつもりはないのか、彼は綾小路から軽井沢に視線を移す。

 

「ところで、随分と居心地が悪そうだけど大丈夫かい?」

 

「──っ! べ、別に。平気だし」

 

 柚椰との間に何があったのかをこの場で話すことはしたくないからか、軽井沢はその視線から逃げるように目を逸らす。

 しかしその反応に寧ろ柚椰は温かい笑みを浮かべていた。

 

「そうか。どうやら俺の心配は杞憂に終わったみたいだね。火種は処理できた、ということかな?」

 

「……うん、もう大丈夫。ありがと」

 

 助けを求めたことは確かであったため、軽井沢は柚椰に一応礼を述べた。

 その様子に平田も気づいたのか柚椰へ視線を移す。

 

「黛君、君は軽井沢さんのことを──」

 

「あぁ、知っている。尤も、結局は俺も力になれなかったけどね」

 

「そうか……僕からもお礼を言わせてもらうよ。ありがとう」

 

「何もしていない俺が礼を受け取る資格はないよ。礼を尽くすとすればそれは……」

 

 一瞬だけ綾小路を見る柚椰だったが、それ以上は何も言わなかった。

 綾小路もまた、その視線の意味を察しながらも何も語らない。

 

「そろそろ時間だね。堀北さんはまだかな?」

 

 時刻は22時55分。あと5分で試験の最終結果が発表される。

 だがこの場には一人、まだ来ていない者がいる。

 

「もうすぐ来るんじゃないかな」

 

「あ、そうみたいだね」

 

 柚椰の言う通り、平田の視線の先にはこちらへ歩いてくる堀北の姿があった。

 

「待たせたわね」

 

 彼女はそう言って空いている最後の席に腰を下ろした。

 

「さっきのメールの件だけど」

 

 堀北が最初に発したのは直近の出来事についてだ。

 この場にいる者も気になっていた事象であるためか皆神妙な面持ちで話を聞く。

 

「結果としてどのグループも解答時間前に試験が終わったわ。それはどのグループも結果1も結果2も出せなかったってことでもある」

 

 その言葉に平田は難しい顔で顎に手を当てる。

 

「結果1を目指したいグループは、最後のグループディスカッションで優待者の共有をしたはず。そしてこの状況になったってことは……」

 

「えぇ。結果として裏切り者が出たってことよ。残っているグループ全てに、ね……」

 

「……黛君、これは」

 

 平田は柚椰に尋ねるが、彼は何か考えているのか何も話さない。

 しかし何かに気づいたのかその目を見開いた。

 

「まさか……!?」

 

「何か気づいたの?」

 

「いや……でもそうか……そうであるとすれば……」

 

 堀北の声が聞こえていないのか柚椰はブツブツと何かを呟いている。

 そして苦虫を噛み潰したように顔を歪めて背もたれにもたれかかった。

 

「やられたな……最後の最後で彼は隠し手を打ったんだ……!」

 

「──っ! どういうことかしら?」

 

「一見デメリットしか存在しない選択肢は、実のところデメリットでもなんでもなかった、ということだよ。一つだけ、彼を侮っていた」

 

「良い夜だな、お前ら」

 

 この場に新たな来訪者が現れる。

 それはともすれば目下の宿敵であり、今回最も危険とされていた男。

 

「よぉ、俺も交ぜろよ」

 

 やって来た男、龍園は隣のテーブルから椅子を持ってくると強引に堀北と柚椰の間に入った。

 

「随分と深刻そうなツラじゃねぇか。一体何があったってんだ?」

 

 面白可笑しく笑みを浮かべながらそう尋ねる龍園はこの場の空気を張り詰めさせる。

 そんな彼に柚椰は驚きを隠せない顔で視線を移す。

 

「龍園クン、君は……」

 

「ほぉ、イイねぇ。テメェのそのツラ、レア中のレアじゃねぇか?」

 

「……貴方、一体何をしたの」

 

 柚椰の様子から諸悪の根源が龍園であると理解した堀北が彼を睨む。

 しかし龍園はその眼光が痛くも痒くもないといった様子でヘラヘラとしている。

 

「もう直に分かるぜ? コイツもタネ自体はもう掴んでるみてぇだしな」

 

「くっ……!」

 

 意味ありげな視線に対して柚椰は悔しそうに歯噛みする。

 丁度そのとき時刻が23時を迎え、生徒の携帯が一斉に鳴った。

 

 

 

 

 

 子(鼠)──裏切り者の正解により結果3とする

 

 丑(牛)――裏切り者の正解により結果3とする

 

 寅(虎)――裏切り者の正解により結果3とする

 

 卯(兎)――裏切り者の正解により結果3とする

 

 辰(竜)――裏切り者の回答ミスにより結果4とする

 

 巳(蛇)――裏切り者の回答ミスにより結果4とする

 

 午(馬)――裏切り者の正解により結果3とする

 

 未(羊)――裏切り者の回答ミスにより結果4とする

 

 申(猿)――裏切り者の正解により結果3とする

 

 酉(鳥)――裏切り者の正解により結果3とする

 

 戌(犬)――裏切り者の正解により結果3とする

 

 亥(猪)――裏切り者の正解により結果3とする

 

 

 以上の結果から本試験におけるクラス及びプライベートポイントの増減は以下とする。

 

 Aクラス……マイナス150cl 変動なし

 

 Bクラス……マイナス100cl プラス50万pr

 

 Cクラス……プラス200cl プラス250万pr

 

 Dクラス……プラス100cl プラス300万pr

 

 

 本試験における最終結果は以下とする。

 

 1位:Cクラス

 2位:Dクラス

 3位:Bクラス

 4位:Aクラス

 

 

 

 

 

「これは……!?」

 

「どういうことなの……」

 

 平田と堀北が目を奪われたのは自身が属している辰グループの結果だった。

 事前に優待者の正体が明らかとなり、()()()()()()()()()()()中で結果4が出たのだから。

 

「……」

 

 綾小路もまた、一つの結果に目を留めていた。

 それは自身が属している卯グループの結果が結果3であるということ。

 つまり裏切り者は軽井沢の名をメールで送ったのだ。

 彼にとってそれは不可解だった。

 何故ならこの結果が意味すること。

 それはつまり、彼の作戦が()()()()ということなのだから。

 

「今回は俺の圧勝だな。黛」

 

 勝利を実感し、龍園は満足げに笑った。

 それは無人島での借りを返したとでも言うような笑みだった。

 

「……そうだね。ところで、どうして辰が結果4なのか教えてもらえないかな?」

 

 柚椰のその問いに平田と堀北もまた、龍園に視線を移す。

 

「簡単なことだ。裏切り者に()()()解答を間違えさせた。分け前をくれてやることと引き換えにな」

 

「ちょっと待って。結果4になれば解答した人間のクラスはマイナス50ポイントなのよ? いくら分け前が貰えるからってそれはクラスを裏切ることになるわ」

 

「それも織り込み済みだ。そもそも()()()5()0()()()()()だろ。そんなチマチマしたモンに拘るのとすぐ手に入る金。裏切り者になるような奴がどっちを欲しがるかは明らかだろ」

 

 堀北の反論に龍園は傍若無人に返す。

 彼の作戦は人間の欲望を利用したものであり、この試験の仕組みを考えれば有効性は非常に高いものだった。

 

「つまり君にとって結果4はデメリットでもなんでもなかった、ということか」

 

「その通りだ。結果4を()()()()に入れてなかったのはお前らしくないミスだったな」

 

 龍園は自分たちが不利益を被らない且つ、自分たちだけがメリットを勝ち取ることの出来る道を用意していたということだ。

 契約書に結果4についての条文を入れなかったのは柚椰の致命的なミスだった。

 

「君の言うことが本当だとしたら、他のクラスに()()()君のスパイが紛れ込んでいるということになる。AクラスにBクラス、それこそ()()()D()()()()()()

 

「「──っ!」」

 

 柚椰の言葉に平田と堀北が戦慄する。

 それは一つの水滴。

 しかしその一滴は波紋を呼ぶ。

 クラスの中に龍園のスパイ、つまりは内通者がいる。

 その疑念が生まれた以上、ここから先はその疑念と向き合い続けることになるのだから。

 

「AとBはポイントを失い、俺らCクラスとテメェらDクラスだけがプラスになった。葛城はもう死に体だろう。なにせ二連続でボロカスにされちまったんだからな。勿論Bも焦るだろうぜ? この前まで協力関係だったDは、自分達とは違ってプラスになってんだからな。今後も仲良くしましょう、とはいかねぇかもしれねぇな?」

 

 そこまで言われたことで堀北は龍園の本当の狙いに気づいた。

 

「……まさか、貴方の狙いは」

 

「あぁ。クラス間の争いを激化させる。そのために俺は今回動いてたってわけだ。こっから先は本当の潰し合いになるだろうぜ? 上のクラスも容赦なくテメェらを叩くだろうし、俺も容赦はしねぇ」

 

 話は終わりだと言うように龍園は席を立った。

 

「じゃあな。二学期を楽しみにしておけ」

 

 そう言い残して龍園は去っていった。

 残されたDクラスの面々は皆沈痛な面持ちだ。

 

「一勝一敗、ということか」

 

 柚椰は現実を受け入れたのか大きく息を吐きだす。

 そんな彼に堀北が尋ねた。

 

「ねぇ柚椰君、貴方の作戦は……」

 

「あぁ。上手くはいっていた。少なくとも途中まではね」

 

「さっきも言っていたけど、その作戦って結局なんだったんだい?」

 

 話についていけない平田がそう聞くのも無理はない。

 今回柚椰の作戦を知っていたのは本人と堀北の二人だけなのだから。

 

「そうだね。じゃあ話そうか」

 

 柚椰はそう言うとテーブルに一枚の紙を置いた。

 

「今回の試験、二日目の時点で半分のグループが裏切り者によって試験終了を迎えた。マイナス要素として考えられたのは南が優待者だった午グループ。そして二日目の朝に山内が出した不正解の可能性が高い未グループ。プラス要素は高円寺が早々に終わらせた申グループのみだ。そして俺たちが抱えていた残りの優待者は二人」

 

「確かに結果を見る限り、高円寺君は本当に優待者を当てていたことになるね。そして南君は優待者だと見抜かれていて、山内君は回答を間違えていた」

 

 平田は発表された試験結果と照らし合わせてこの時点での答え合わせを行っていた。

 

「この時点でクラスポイントはマイナス50。ここからDクラスが巻き返すには自分達の力だけでは難しいと俺は考えた。そこで思いついた一つの策。それが──」

 

()()()()()()()()んだな?」

 

 綾小路は気づいた。

 柚椰が打った起死回生の一手の正体を。

 それを聞いて平田が驚く。

 

「まさか、なんで……」

 

「最初のグループディスカッションの時に言ったはずだよ。この試験で最も確実な情報を手に入れ、そして自由に立ち回ることが出来るのは彼だ。だから協力関係を結ぶのに最も適していたんだ」

 

「柚椰君の考えを聞いたとき、勿論止めたわ。彼が素直に約束を守るとは思えなかったし、なによりリスクが大きすぎる。でも、他に現実的な作戦がなかったのも事実だった」

 

 堀北は二日目のグループディスカッションの後に柚椰とした会話を思い出していた。

 

 

 

 

 辰グループの部屋を出た堀北は廊下を歩く柚椰を呼び止めた。

 

『待って柚椰君』

 

『……』

 

『貴方、何をするつもり?』

 

『──!……そうか。気づいたんだね、鈴音は』

 

『いくら先手を打たれたからといって、貴方があんなにも分かりやすく動揺するなんて考えられないわ。何か考えがあるのでしょう?』

 

『……ついてきてくれ』

 

 二人は廊下から船内の一室へ場所を移した。

 ここから先は誰にも聞かれてはならない。

 

『鈴音、これから話すことは試験が終わるまで誰にも言わないでほしい。クラスメイトには勿論、平田や清隆にも』

 

『分かったわ。聞かせて』

 

『現状、Dクラスの力だけで試験を攻略し、勝ち上がることは限りなく不可能だ。情報があまりに少なく、優待者の把握もままならないから法則性にも辿り着けない。だから、ここから起死回生を狙うには必然的に他クラスの人間と協力する必要がある』

 

『……でも、どのクラスも応じてくれるとは思えないわ。Aクラスは現状維持を望んでいるし、Bクラスも今回ばかりは自分たちを守るのが精一杯のはずよ』

 

『その通り。だから俺は別の選択肢を選ぶ。()()()()()()()()ことを、ね』

 

『──! まさか……」

 

『あぁ。龍園と取引をする。そして彼が所持している優待者の情報を手に入れる』

 

『ありえないわ! 彼と契約関係が成立するわけがないじゃない! 彼が言うことが本当だとするなら、今の状況は彼の独走状態。そんな彼が他クラスとわざわざ取引を結ぶわけが──』

 

『自分のクラスの優待者の情報は、彼にとっては別に守るものでもない。それは前にも言ったはずだよ。それに彼が動き出しているということは、既に他クラスの優待者が誰であるか知っているか、あるいは法則性に辿り着きつつあるかのどちらかだ。後者であればDの優待者の情報を与えてやることでその仮説を補強してやることが出来る。メリットは生まれるはずだ』

 

『彼に法則を導き出すためのヒントを与えることで、私たちもそこに辿り着くためのヒントを得るってこと?』

 

『あぁ。そして彼の今回の狙いは、クラスポイントの総取りでもプライベートポイントの総取りでもないはずだ。ならばまだ交渉の余地はある』

 

『どういうことかしら?』

 

『もし彼が単純にCクラスを勝たせたいだけなら、既に試験そのものがほとんど終わっているはずだからさ。自分たちの優待者がいるグループ三つだけを残して他全てを結果3で終わらせようとしたはずだ』

 

『それは……まだ法則が確実に見つけ出せていないだけじゃないかしら?』

 

『勿論その可能性はある。でも、彼は勝ちの見えたゲームを余裕綽々と進めるタイプじゃない。寧ろ運否天賦のシーソーゲームを楽しむような人間だ。法則の予想が立ちつつある段階で、多少強引な手を打つことはなんらおかしなことじゃない』

 

『……つまり彼の狙いは別にある、ってこと?』

 

『恐らくはね。今の段階では流石に彼の目的の全貌までは分からない。でも、何か目的が他にあると仮定すれば彼と呉越同舟に持ち込むことは出来る』

 

『彼と利害が一致することなんて……!? まさか柚椰君、貴方──』

 

『あぁ。残念だけど、今回ばかりはAクラスだけではなくBクラスにも負けてもらう。龍園を勝たせ、その後に俺たちが続く形で試験を終わらせる。これが今回の試験の突破口だ』

 

 そう語る柚椰の表情は固く、それが苦渋の選択であると物語っていた。

 

 

 

 

 

「そうか。龍園との取引で優待者の情報を得て、そこから法則を見つけ出してDクラスが二位で試験を終えられるような結果を導き出す。それがお前の作戦だったんだな」

 

 綾小路の言葉に柚椰は頷く。

 Cクラスとの共闘。それはリスクの高い賭けであることは明白。

 しかし同時に今回の試験においては最も勝算のある賭けでもあった。

 

「案の定、彼は自クラスの優待者をあっさり明かしてくれた。そこから強引に法則を導き出して、残っているグループの中にいる優待者を把握した。後はタイミングを見てCクラスを邪魔しない範囲で結果3を出せば終わりだった。だが──」

 

「龍園は結果4でも勝てる策を見つけていた、ということか」

 

「恐らく最初からそうするつもりだったんだろうね。俺が彼に取引を持ち掛けることを考えていたように、彼もまた俺が取引を持ち掛けてくると思っていたんだろう。だから最後の最後でこんな手に出た」

 

 柚椰がテーブルに置いた紙には各グループの優待者の名前と所属クラスが書かれていた。

 辰グループにいた優待者はCクラスの鈴木英俊。

 グループのメンバー全員が彼の名前を書けば彼には100万ポイント、それ以外の者には50万ポイントが与えられた。

 

「リーダー格が集まる辰グループが結果1を出せば、最終的な順位はさて置いてどのクラスも士気が高まると思った。クラスのリーダーが()()()()()()()()()()()()()()1()()()()()という事実は大きいからね。だから結果1を出せるような安全策を用意したつもりだったんだけど、誤算だったね。とっくに裏切り者の準備は出来ていた。裏切ったのはAの葛城派の中にいた誰かか、あるいはBか……」

 

「今となっては真実は闇の中、ね……」

 

 試験の仕様上、結果が発表されても優待者の正体はおろか裏切り者の正体も明かされない。

 誰かが裏切ったという結果だけを残して試験は終了を迎える。

 裏切り者は一体誰だったのか。その疑念が晴れることはない。

 

「龍園君の目的はクラス間のポイント差を縮めて争いを激化させること。今までみたいに僕たちがBクラスと協力することを妨害するためだったってことかな」

 

「今後どんな試験が待っているか分からない以上、彼が残していったものは大きいわ」

 

「クラスのポイント差を縮めて緊張を煽り、裏切り者の存在を印象付けることで簡単に他のクラスを信用できないようにさせる。実に彼らしい作戦だ」

 

「次からの試験は今まで以上に一筋縄ではいかないかもしれないな」

 

 今回の試験結果を受けて各々が今後の未来を見据え、今まで以上に気を引き締めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜2時。船は地を這うような低い音を立てて大海原を進んでいる。

 真夜中の屋上デッキは人の気配もなく静寂に包まれていた。

 こんな時間に、こんな場所を訪れる物好きなどそういないだろう。

 いるとすればそれは──

 

「さて、呼び出した用件を聞こうか──」

 

 

 

 

 

「──()()

 

 

 

 

 誰もいない屋上デッキに現れた影が二つ。

 一つは呼び出された男、黛柚椰。

 そしてもう一つは彼を呼び出した男──

 

 

「あぁ。聞きたいことがあってな」

 

 無機質な目で柚椰を見つめる綾小路清隆。

 この時間に、この場所を指定して柚椰を呼び出した彼には一体どんな目的があるのか。

 ただの世間話であればこんな時間に呼び出すことはないだろう。

 であればそれは当然、話題の方向性は決まっている。

 

「そろそろ()()()()()を明かしたらどうだ? 柚椰」

 

 綾小路は柚椰へ語りかける。

 その瞳は無機質だった。唯々無機質だった。

 何かしらの感情が宿っているような目ではない。

 喜怒哀楽というものがごっそり抜け落ちた人間がするような目は恐らくこんな目なのだろう。

 機械的な、血の通わないその両眼は、ただ一人の男に向けられていた。

 

「ほう、その心は?」

 

 柚椰は向けられる視線に対して、どこか喜びの感情を覚えていた。

 もし自分の考えが正しいとしたら、今この状況は己にとって()()()()()()()()なのだから。

 

「今回の試験、お前は後手に回っていた状態から、龍園と取引を交わすことで起死回生を狙った。そう言ったな?」

 

「あぁ。危険な賭けだったけど、クラスポイントを失うことは免れた。寧ろ結果的にはクラスポイントもプライベートポイントもプラスで試験を終えることが出来た。まぁ、最後にしてやられてしまったけど、クラスにとってこれは勝利と言っていいはずだ。それがどうしたんだい?」

 

「一見するとお前の言っていることは論理的で、筋が通っている。だから堀北も平田も、お前の作戦を危険な策だとは思っていても、それが事実起きたことだと受け止めている。だが真実は違う」

 

 綾小路はまっすぐに柚椰を見据える。

 一瞬たりとも彼から視線を逸らさないように。逸らすことをしないように。

 

「お前は()()()()()()()()()()()()()。今回の試験の全てはお前と龍園が描いた絵だった。違うか?」

 

「どうしてそう思うんだい? そもそもDクラスとCクラスは敵同士だ。それは俺と彼も例外じゃない。敵と協力して、俺に一体どんなメリットがあるのかな?」

 

「呉越同舟。本来敵同士の者達が利害の一致によって協力することの例えだ。龍園は今回、クラス間のポイント差を縮めることで今後の戦いを四つ巴の状態に持ち込もうと目論んでいたと言っていた。だがそれは、()()()()()でもあったはずだ」

 

「続けて」

 

「そもそも無人島試験でのお前の行動が不可解だった。一見すると他クラス全てを蹴落としてDクラスを勝たせたように映る。だが、あの時のお前の本当の目的はAクラスの……いや、()()()()()だった」

 

 無人島での特別試験において、柚椰はCクラスと取引をすることでAクラスの攻撃からBクラスを守り、その上でAとCを抑えて自分のクラスを勝たせた。

 

「AクラスからBクラスへの攻撃は防いだ。だがCクラスからBクラスへの攻撃に関してはお前は一切干渉しなかった。見逃すことでBクラスは占有ボーナスを失い、そうすることで総合点でDクラスがBクラスを上回るようにした。Bクラスは点数でこそ負けても、Aからの攻撃を防いだことでお前に感謝の念を抱く。そしてDクラスでは言わずもがなだ。クラスを勝利に導いたお前を責める奴なんているはずがない。だが、それこそお前が作り上げた()()()()()だ」

 

「偽りの真実、か」

 

「恐らくお前はAクラスのもう一人のリーダー……坂柳を今後Aクラスのリーダーに仕立て上げるための下準備のために動いていた。無人島試験の結果はその第一歩だ。この仮定を前提にすると、今回の試験は第二歩。目的はAクラスとBクラスの間にある()()()()()()()()()だな?」

 

「何故俺が坂柳のために動いたと? そこまで俺が肩入れする理由があるのかい?」

 

「目的を達成することで、お前は坂柳から何らかの報酬を約束されていたんじゃないか? そう考えれば筋は通る。あとはクラス間の闘争を煽りたいと考えている龍園と手を組めば、試験を自由に動かすことが出来る。そしてお前は手をこまねいているように見せかけて、裏で虎視眈々と試験の行く末を描いていた。裏切り者が現れたと告げる学校からのメールが連続したのは初日の夜と今日の6回目のグループディスカッションの後。前者は全グループが結果3。後者は辰と巳だけが結果4。ここで問題なのは()()()()だ」

 

「何故?」

 

「辰の優待者は鈴木、そして巳の優待者は櫛田だ。優待者はCクラスとDクラス。そしてどちらも結果4。あまりに不自然じゃないか?」

 

「それは考えすぎじゃないか? 前者は龍園の用意していた裏切り者、後者は焦った裏切り者による自爆。そう考えるのが妥当だと思うけどね」

 

「あぁ、普通はそう考えるだろう。辰に関しては龍園自身がタネを明かしたことで真実味を帯びる。巳に関してもありふれた予想だからこそ、そこに違和感を感じる奴はそういない。だからこそ、お前にとっては()()()()()()()。そうだろ?」

 

 そう追及され、柚椰は顎に手を当てる。

 

「ふむ……その推理が仮に正解だとするならば、真実はどういったものになるのかな?」

 

 柚椰が尋ねると綾小路は小さく息を吸い、結論を述べた。

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()。そして巳はCクラスの誰かに、龍園が回答を間違えるように指示をした。そうすることでクラスポイントのペナルティを相殺し、マイナスを防ぐ。お前らが重視したのは、クラスの変更が起こらないギリギリのラインでポイントを調整することだった。そのラインを調整して試験を終わらせることで、お前らの目的は達成される」

 

 

 

 

「龍園はBクラスへと迫り、AクラスはBクラスの射程圏内に捉えられる。俺が坂柳からの依頼を受けていたとするなら、確かにお互いに利益はあるだろうね。でも、それを裏付ける証拠を君は持っているのかい?」

 

 至極当然の指摘を受け、綾小路は首を横に振った。

 

「いいや。全ては俺の仮説だ。明確な証拠がないから立証は出来ない。だが、俺はこれがただの妄想であるとも思っていない」

 

「どうして?」

 

「Dクラスを勝たせるという目的だけで動いているにしては、お前は不可解な点が多すぎる。俺に作戦を明かさず堀北にだけ明かしたのも、堀北なら真実には辿り着けないと踏んでいたからだ。お前は俺に協力すると言っていながら、その実俺には全てを明かすことをしなかった。そんなお前に全幅の信用をおけるほど、俺は鈍感じゃない」

 

 そう語る綾小路に柚椰は小さく笑い声を漏らした。

 

「ふふっ、それは()()、じゃないかな?」

 

「なに?」

 

 僅かに眉をピクリと動かす綾小路に微笑みを浮かべ、柚椰は彼に背を向けた。

 

「真実はどうあれ、俺はこうして結果を出した。二度の特別試験においてDクラスを勝利へと導いた。一度目は完勝、二度目は辛勝だ。勝利の度合いは違えど、これは君との約束を果たしたということになる。君はAクラスに上がるという目的のために俺を欲した。それに俺はこうして結果で答えた。でも、()()()()()()?」

 

「……何が言いたい?」

 

「君ほど優秀な人間なら、俺と同じような手は思いついていたはずだ。勿論、目立つことを嫌う君は龍園と取引をすることはないだろう。たとえ一之瀬相手だろうと表立って行動はしなかったはずだ。でも、その策を俺や鈴音、平田や桔梗に伝えて協力者を募ることは出来たはずだ。特に平田と桔梗はクラス内での伝達役にはうってつけの人間だ。優待者の情報を手に入れ、そこから法則を導き出し、後は二人を通して各グループにいるDクラスのメンバーに裏切りを持ち掛ける。この一連のプロセスは君ならば十分に可能だった。にもかかわらず君はそれをしなかった。それは何故かな?」

 

「買い被りだ。そもそもお前と違って俺はクラスの中でさえ顔が広くない。今回の試験は俺にとって不得手だっただけだ」

 

「だから今回の試験のように他人との連携が不可欠な試験では動きようがなかった。そういうことかい?」

 

「そうだ」

 

「おかしなことを言うね。平田は君を信用している。鈴音も君のことは認めている。桔梗もクラスのためとあれば喜んで協力しただろう。君にそれが理解できないはずはなく、故に君には選び取れる選択肢が確かに存在していたはずなんだ」

 

「……」

 

 

 至極当然の指摘に対して、綾小路は無言を以って答える。

 正論に対して言い返せないように映るその行動。

 しかしそれは柚椰にとって()()()()を確定させる要因になった。

 彼はデッキの手すりに手をつき、海を眺めながらある言葉を紡ぐ。

 

 

 

「君は鈴音も平田も桔梗も、そして俺も。ともすれば()()()()()()()()()()()()()。故に君は今回の試験で勝ちに行くことを求めなかった。いや、初めから君は試験の攻略やクラスの勝利などではない()()()()()()()()()()()()。違うかい?」

 

 

 

「何を……」

 

「君は強力な武器ではなく、より確実に、そして自分の意のままに操ることの出来る武器を求めていた。それは言わば体のいい駒……いや、奴隷と言った方がいいかな?」

 

 それが何を、()()()()を指しているのか分からないほど綾小路は鈍感ではない。

 同時に彼は確信する。

 目の前の男は今回自分がやったこと。その全てを知っていると……

 

「彼女を支配するには、随分と強引な手を使ったんじゃないか? ただの口八丁で丸め込めるほど、彼女という人間は単純には出来ていない。彼女の傷は根深く、そして彼女の芯の奥まで刻み込まれている。それを癒し、彼女を信用させることはとても一朝一夕で成せることじゃない」

 

「どうだろうな」

 

「彼女が抱えていた問題は俺も知っているよ。問題解決のために策も練っていた。しかしそれはとてもこの旅行の間、ましてや試験中に終わらせられるようなものではなかった。にもかかわらず君はそれを成しえた。であれば当然、そこには()()()()()が息を潜めている」

 

「仮にそうだとして、それを裏付ける証拠があるのか?」

 

 先ほどの意趣返しとでも言うように、綾小路はそう言い返す。

 その言葉に柚椰はフッと笑みを漏らす。

 であれば当然、この後続ける言葉も決まっている。

 

「そうだね。全ては俺の仮説だ。明確な証拠がないのだから立証は出来ない。だけど、俺はこれがただの妄想であるとも思っていないよ」

 

「どうしてだ?」

 

「君と同じだ」

 

 柚椰は振り返り、再び綾小路と相対する。

 

「君は不可解だ。君が何より重視するのは己の身が守られること。そのためには勝ち続け、全てのクラスを下してAクラスにならなければならない。そのためのピースとして君は俺を求めた。個人的利益の追求。実に利己的だ。人間らしいとさえ言えるだろう。でもそこへ至る過程において、君はあまりに()()()()()()()()。俺は君を友達だと思っているから、君が俺を求めるのなら助けたいと思っているよ。でも、君は俺を利用することはしても、俺のために動くことはないだろう? 何故なら君は、根本的に人に心を許してはいないんだから。その点に気づかないほど、俺は鈍感じゃないよ」

 

「……」

 

 綾小路は何も語らない。

 何かを語ることは、同時に何かを浮き彫りにすることだ。

 真実を煙に巻くことは、同時に真実が存在することを確信させる。

 故にここで何かを語ることは許されない。

 

「確かに真実はどうであれ、君に何の相談もなく事を進めたことは事実であり俺の落ち度だね。一歩間違えれば龍園に裏切られて敗北を期すことも考えられた。その点に関しては謝るよ」

 

 これ以上の問答は不要だと判断したのか、柚椰は綾小路に謝罪の言葉を述べた。

 

「今回の件はお互い水に流すことにしよう。君は俺が立てた()()を忘れ、俺は君が立てた()()を忘れる。これで手打ちにしようか」

 

「あぁ……そうしよう」

 

 拒否する理由はないため、綾小路はその申し出に応じた。

 

「じゃあ、俺は戻るよ。あまり夜更かしは褒められたことじゃないからね」

 

 そう言い残して、柚椰は綾小路とすれ違い、その場を後にした。

 デッキには綾小路一人だけが残った。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 綾小路は振り返り、去っていく柚椰の背をじっと見つめていた。

 彼はおもむろにポケットに手を入れる。

 そこから取り出されたのは電源の入った携帯。

 彼はボイスレコーダーアプリを起動した状態でそれをずっと隠し持っていたのだ。

 

「(()()()()()()は最後まで残さなかった、か……)」

 

 ここまでの会話を綾小路はずっと録音していた。

 自分が導き出した、柚椰が裏で行っていた真実。

 そして柚椰が導き出した、自分が裏で行っていた真実。

 その全貌をお互いに語ったはいいものの、最後は()()()()()()()()()という形で会話を終わらせた。

 柚椰の最後の発言が決定打だった。

 お互いに水に流すという言葉と共に語られたのは、あくまで()()()()()()()()()

 具体的な内容については触れず、あくまで双方の立てた予想を破棄するというものだった。

 このデータを公開したとしても、双方共に認めていないのだから言質にはならない。

 そもそもお互いに仮説であると言い切っている以上、これが真実であるという証拠にもならない。

 去っていく背を見て、綾小路は一つの事実を確信する。

 

 

 

 

 

 

「黛柚椰、お前は最も危険な存在だ」

 

 

 

 

 

 綾小路の口から出た言葉は、宵闇の海へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一年各クラスの現在のクラスポイント

Aクラス:1010ポイント
Bクラス:930ポイント
Cクラス:880ポイント
Dクラス:542ポイント


特別試験終了時、ポイント変動によるクラスの変更はなし。






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