ようこそ人間讃歌の楽園へ   作:gigantus

69 / 77
快活少女の決断と彼の昼食。

 

 

 

「一之瀬、もうDクラスと協力するのは無理じゃないのか」

 

「神崎君……」

 

 学校の敷地内にあるカフェ。テーブル席で向かい合っているのはBクラスの神崎と一之瀬。

 二人が話題に上げているのは言わずもがな、つい先日行われた特別試験についてだ。

 

「クラスポイントを見ても、今回Aクラスと俺たちBクラスが的にかけられたことは明らかだ。どう考えても龍園と黛が組んだとしか思えない」

 

「うん、そうだね」

 

 影を落とす一之瀬を慮ってか神崎は首を横に振る。

 

「別に俺は黛の選択を卑怯だとは思ってないぞ。クラスを勝たせる上で最も成功率が高い選択肢が、龍園との共闘だったというのは悔しいが理解できる。優待者を完璧に把握し、クラスを完全に支配している龍園は情報源としてはこの上なく適任だったんだろ」

 

 ただ、と神崎は続ける。

 

「それをすぐに理解できたのは俺やお前だけだ。今回の結果でクラスの中では少なからずDクラス、黛に対して不満が出始めるだろう。あいつらにしてみれば、無人島で自分たちを助けたと思ったら今度は裏切ったようにしか見えないだろうからな。自分たちを油断させて出し抜いたいけ好かない奴。そう思ってもなんらおかしなことじゃない」

 

「そうかもしれないね」

 

「その上で今一度聞く。まだ、Dクラスと協力する姿勢は変わらないのか?」

 

 Bクラスを代表して神崎が問う。

 返答次第では、この場でクラスが真っ二つに分かれるかもしれない。

 故に半端な答えは許さないと言わんばかりに神崎はまっすぐ一之瀬を見つめる。

 一之瀬は暫し間を空けた後、己の中で出た答えを示す。

 

「もしこれから先、他のクラスと協力して挑める試験があったら私は今までと同じようにDクラスと協力関係を結ぶつもりだよ」

 

「理由を聞かせてもらっていいか?」

 

 コクリと頷いて一之瀬は続きを話す。

 

「クラスポイントの差が縮まって私たちBクラスとAクラスの差は80ポイント。そしてCクラスとの差は50ポイントになってるよね」

 

「あぁ。Aクラスの背が見えてきたと同時にCクラスも迫ってきているから油断は出来ない」

 

「Aクラスは葛城君主導で動いた結果特別試験2回ともクラスポイントを増やせなかった。それどころか私たちとの差を詰められて危険な状態にある。だからここからは新しいリーダーがクラスの舵を取ると思うの」

 

 神崎は脳裏に一人の少女を思い浮かべる。

 

「坂柳か……となると簡単にはいかないだろうな」

 

「坂柳さんは穏健派の葛城君とは真逆の武闘派。正面からぶつかるのは分が悪いと思う。そしてそれは龍園君も同じ。だから二人と戦うためには作戦をしっかり考えておかないといけない」

 

「確かにあの二人とやり合うなら味方は多い方がいい。だがDクラスが素直に応じるのか? 上のクラスと手を組むことのリスキーさはあいつらも分かっていると思うが」

 

「Dクラスのポイントは542でCクラスと300以上離れてる。つまり現状はA,B,Cで群雄割拠していて、Dがそれに出遅れてる状態ってことだよ。だから協力を仰ぐなら、AクラスやCクラスよりも圧倒的にやりやすいと思うんだ」

 

「DクラスはCクラスに追い付くことが出来る。まぁメリットとしては十分だな。だが俺たち含め3クラスがやり合っている中で漁夫の利を狙わないとも限らないぞ? 見方を変えれば、今の状況はDクラスにとっては動きやすい環境だ。上のクラスが三つ巴になっている中で虎視眈々と策を練っていないとも限らない」

 

 神崎は慎重な男だった。

 状況を鑑みて最悪の結果を想定しているその在り方は副官として至当と言えるだろう。

 しかしその点は一之瀬も考えているようで指摘に対して表情を変えることはない。

 

「そうかもしれない。でも、今回の件で一つ分かったこともあるよ」

 

「どういうことだ?」

 

「今回黛君と龍園君は手を組んだ。けどそれはあくまで()()()()()()()()()()()から。黛君は優待者の情報を得るため、龍園君はクラス間のポイント差を埋めるため。目的は違ってもお互いのクラスを攻撃対象にしないって条件で二人は協力体制を作ったはず。本来敵同士の関係でもお互いに共通の敵がいれば協力は成り立つ」

 

「呉越同舟。それをあの二人は体現してみせたということか」

 

「うん、その事実は一見すると他のクラスを脅かすものに見えるけど、一つの活路でもあると思うんだ。要は共通の戦う相手がいて、その上でお互いにメリットがあれば手を結ぶことが出来る。黛君が龍園君と手を組めるってことは、私たちにもそれは可能ってことだよ」

 

「ならAクラスかCクラス。つまり坂柳か龍園を敵と定めた上でDクラスにメリットを用意すれば、黛はそれを呑むということか」

 

「状況的に考えるとCクラスかな。私たちはCクラスとのポイント差を離せる。DクラスはCクラスとのポイント差を縮められる。Dクラスにとっても、手を組むなら私たちは選択肢として適しているはずだよ」

 

 つまり一之瀬は打算的な思惑を含めた上で、Dクラスとの共闘を選んだ。

 今まで協力関係を結んでいたからではない。

 ここから先、手を組むのに最も適していると判断した上での決断。

 神崎は改めて認識する。

 一之瀬帆波はただ周囲を纏め上げられるからリーダーになったのではない。

 ただ周囲に認められているからリーダーになったのではない。

 大局を見極め、先の未来を予見し、計略を巡らせることが出来る。

 勿論リスクはあるのだろう。決して安全な策ではないことは明白だ。

 しかしそれを理解し、それを踏まえた上で選択した。

 物腰柔らかな雰囲気と言動で隠されているが、彼女の戦略的思考は他クラスのリーダー格と引けを取らない。

 虎視眈々と策を練る。

 Dクラスに対して、いや正確には柚椰に対して使った言葉だが、それは一之瀬にも当てはまることだと神崎は思う。

 調和を重んじる平和主義。

 一之瀬帆波に対する周囲の認識は正しくそれだろう。

 しかし彼女の真の姿はそんな生易しいものじゃない。

 彼女は状況によっては相手が旧知の仲であろうと利用するだろう。

 用意周到且つ合理的な策を講じる策略家。

 坂柳有栖や龍園翔のように目に見える強さではなく、芯の奥に秘められた強さ。

 頭角を現してはいないが彼らと遜色ないほどの能力を備えている。

 知る人ぞ知る彼女の姿。

 それは能ある鷹が爪を隠すが如く。

『臥龍』。

 嘗て軍師として名を馳せた者に付けられた言葉。

 いずれ天に昇る龍。今はまだ眠っている傑物。

 一之瀬帆波を形容するならば、その言葉が当てはまるだろう。

 

「……分かった。そこまで考えているなら俺も言うことはない」

 

 神崎にとって、一之瀬の答えは納得のいくものだった。

 もし一之瀬が単なる義理人情で協力関係を続けると言ったのなら彼は反対するつもりだった。

 しかしそれは杞憂だった。

 彼女は戦略的観点から見た上で、それが合理的且つ効果的であると判断を下していた。

 リーダーとしての在り方をしかと見せた。

 ならばこれ以上言葉は不要だった。

 

「Bクラスのリーダーはお前だ。お前がそう判断したならそれを補佐するのが俺の仕事だ。クラスの方は心配するな。不満がある奴がいたら上手く宥めておく」

 

「神崎君に任せきりには出来ないよ。そのときは私も皆にちゃんと自分の考えを話すよ」

 

「そうか。だが一之瀬の決断なら皆従ってくれると思うがな」

 

 一之瀬を安心させるために宥めておくと言った神崎だったが実のところその心配は要らないことだと思っていた。

 Bクラスは決してお人よしだけが集まったクラスではないが、足並みがバラバラというわけでもない。

 個々が何が正しく、何が間違いか判断して動くくらいには自分の意志を持っている。

 その上で、一之瀬帆波という女生徒がクラスを引っ張る立場に相応しいと皆が判断したのだ。

 周囲とのコミュニケーション能力に長けており、学業も上の上。

 クラスメイトが彼女に対して尊敬の念を抱くのは当然の帰結だろう。

 彼女の下した決断ならば、彼らも納得するであろうことは神崎も分かっていた。

 

「ともあれ一之瀬を支えるのが俺の仕事だからな。出来る範囲のことはさせてもらうさ」

 

 それが副官たる自分の責務であると胸に秘め微笑みを浮かべる神崎。

 彼につられて一之瀬も笑う。

 

「うん! よろしくね、神崎君!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「テセウスのパラドックスを知っているかい?」

 

 少女は雑誌に向けていた意識をその問いを投げた男へ移す。

 彼女に問いを投げた男、黛柚椰はパソコンのモニターに向き合っていたが視線だけを彼女に向けている。

 その視線を鬱陶しく思いながらも無視をすればより面倒なことになると分かっている少女は深々とため息をついた。

 

「……中学時代、アンタの家の馬鹿デカい本棚にあったから読んだことある。哲学の一種でしょ」

 

 少女、伊吹澪は記憶の片隅にあったそれを引っ張り出して答える。

 嘗て目の前の男の家によく行っていたとき、本棚から手当たり次第に本を読んだことがあった。

 柚椰が何を読んでいるのか、何を好んでいるのか知りたくて本棚から手に取り続けたいくつもの本。

 今となっては黒歴史としか言いようのない過去を掘り返して苦い顔を浮かべる伊吹。

 そんな彼女の感情など意に介さず柚椰は機嫌良く会話を続けた。

 

「そう。テセウスの船。パラドクス、つまりは矛盾を指す例として用いられる有名な問題。同一性の問題、とでも言うべきかな」

 

 椅子を回転させ、モニターから窓の外へと身体と視線を移す。

 

「プルタルコス、ヘラクレイトス、アリストテレス。各々がこの同一性の問題について独自の例を用いてパラドクスに対する答えを主張している。根幹の主義や定義が異なれば、得られる解もまた異なるというのは自然なことだ」

 

「特定の物に対して、構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは同一であると言えるか、だっけ。なんか英語の表現でもあったよな」

 

「『おじいさんの古い斧』だね。刃は三度交換され、柄は四度交換されているが、同じ古い斧である。尤も、これに関してはそこまでいくと最早ただの斧でしかないことへの皮肉として用いられるが」

 

「パーツを替えて替えて替えて……全部新品になったらそれはもう元の物じゃないだろ。まるっきり別物だ」

 

「いや、安易に答えを出すのは早計だよ。そもそも、この問題の本質は解を出すことではないんだ」

 

「はぁ?」

 

 わけが分からないことを言う柚椰に伊吹は不可解な疑問符が頭に浮かぶ。

 

「哲学に対して明確な解を出すことは僕たちがやることではない。それは先人たちが既にやっていることだからだ。今を生きる僕たちがやるべきことは、哲学に対して()()()()()()だ」

 

「思考、ねぇ……」

 

「テセウスの船の本質は同一性の問題。物を物足らしめているのは構成する要素なのか、あるいは名前や姿形なのか。前者であれば、構成するパーツを全て替えてしまった時点で、それはオリジナルではなく代替品であると言っていい。つまり、どんなものでも取り換えがきくものでしかないということだ。それは唯一無二、オンリーワンというものは()()()()()ということの証明でもある」

 

 椅子から立ち上がり窓ガラスに手を当て、何かに対して語りかけるように呟く。

 

「だが、後者であれば……」

 

 男の視線の先には何が映っているのか。

 それを伺い知ることは出来ないが、男の考えていることは間違いなく、どうしようもなく、この上なく質の悪いものであることを伊吹は知っていた。

 

「『情念は過度でなくては美しくありえない。人は愛しすぎないときには十分に愛していないのだ』……というのは誰の言葉だったかな」

 

「ブレーズ・パスカル。フランスの思想家でしょ」

 

 これも知っている。嘗て読んだことがある故に記憶の片隅にあった一節だ。

 伊吹が即答したことが面白かったのか柚椰は小さく笑声を漏らす。

 

「中途半端な愛は愛ではないと、どんな感情であれ過度であるからこそ美しいと。中々に詩的なことを言ったものだ」

 

 彼の言葉を引用する者には用心せよと言ったのは誰だっただろうか。

 それはさて置いても、柚椰はこの一節が気に入っている。

 ともすれば人の感情というものは、振り切れたときにこそ美しさを見せる。

 それは熱せられた水が蒸気となって吹き上がる瞬間のように。

 刻々と、着々と感情を滾らせて、それが抑えられたなくなった瞬間にこそ人は輝くのだと。

 

「嫉妬、憐憫、博愛、情欲、依存、執着、狂気、恋情……」

 

 思いつく限りの感情の名前を並べてみるが、どれも非常に魅力にあふれている。

 

 

 

 

「さて、君にはどんなパーツが似合うだろうか」

 

 その言葉の矛先は、浮かべる笑みの矛先が誰なのか。

 全ては彼のみぞ知る、といったところだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「ところで澪ちゃん──」

 

「お昼でしょ。作ってある。っていうか昔から思ってたけど家に素麺と豆腐しかないってなんなの?」

 

 部屋に来て冷蔵庫を開けた時のことを思い返す。

 あったのはお茶とコーヒーのペットボトルと豆腐のみ。

 冷蔵庫の上には箱で買ったと思われる素麺の山。

 あの頃から何も変わっていない柚椰の食生活に伊吹は脱力した。

 予め自前で食材を持ってきておいて正解だったと自分自身を褒めたいくらいだった。

 

「豆腐はタンパク質豊富な素晴らしい食べ物だろう? 素麺も春夏秋冬問わず食べることが出来る。素麺と冷奴なんて夏にうってつけのメニューだ」

 

「アンタはそれを一年中やってんでしょうが。鶏むね肉買ってきておかず適当に作ったから食べなよ」

 

「君の手料理は久しぶりだね。昔から君は料理が上手だったから楽しみだよ」

 

「いい加減自炊覚えなよ。自分で料理するのもいいものだよ」

 

「手の込んだものは外で食べればいいじゃないか。この学校の敷地には食事が出来る所もたくさんあるんだ。幸いポイントには困っていないからね」

 

「ほんと興味ないことに関してはとことん手抜きだねアンタ。そんな食生活続けてると、いつか身体壊すからね」

 

「君が食事を作ってくれるのなら、僕がわざわざ自炊をする必要も、身体を壊すこともないだろう?」

 

 あっけらかんと言う男に対して伊吹が深いため息をついてしまうのは仕方のないことだ。

 

「私はアンタの家政婦でも奥さんでもないんだけど」

 

「ちゃんと給料は払うよ」

 

「……色付けてよね」

 

「勿論」

 

「言っとくけど色付けるって言っても馬鹿みたいな金額渡さないでよ? 正直、中学の時に5万渡されたときはちょっと引いた」

 

 思い返すのは昔同じように柚椰に手料理を作ってあげた時のこと。

 そのときも彼は今と同じように給料と称して茶封筒を伊吹に渡した。

 材料費、手間賃を加味しても精々4,5千円くらいだろうと踏んでいた。

 しかし家に帰って封筒を開けてみたら入っていたのはなんと福沢諭吉が5人。

 予想外すぎる金額に暫く呆然としたことを彼女は覚えていた。

 

「気持ちなのだから素直に受け取っておけばいいというのに。君は真面目だね」

 

「いくらなんでも渡し過ぎなんだよ」

 

 雑誌を放り投げて椅子から立ち上がると伊吹はキッチンの方へと引っ込んでいった。

 作っておいた昼食を取りに行ったのだろう。

 

「アンタも食べるだけじゃなくて皿とか箸とか出してよね。あと飲み物も」

 

「はいはい」

 

 伊吹の後を追うようにキッチンへ向かい、皿と箸を取ろうとした柚椰だったが、ふとあることに気づき彼女に声をかける。

 

「ところで、君も一緒に食べるのかい?」

 

「嫌だって言ってもなんだかんだ理由付けて同席させるつもりなんでしょ」

 

「なるほど、君もお腹が空いていたんだね」

 

「……朝起きるの遅くて食べてないんだよ」

 

 そっぽを向きながら答える伊吹を微笑ましく思い柚椰は笑った。

 

「夜更かしは肌に良くないよ?」

 

「蹴り飛ばすよ」

 

 

 

 その後、談笑しながら昼食をつつく二人の姿があったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがきです。
今回は一之瀬&神崎Bクラスの話。
そして黛と伊吹ちゃんの話でした。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。