ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
9月某日東京某所。5階建てのオフィスビルへ一人の女が入っていく。
女は年を召した風貌をしており、高齢者に属する年齢だろう。
彼女はエントランス横に設けられている管理人室の小窓から受付の男性に声をかける。
「すいません」
「……なんだ?」
男は読んでいた新聞を投げ捨て、気怠そうに用件を尋ねる。
彼がこのビルの管理人なのだろう。歳は30代前半くらいに見える。
受付の人間としてはよろしくない態度だが女は簡潔に用件を述べた。
「ここの管理人さんへある人から伝言を預かってきました」
管理人の男は女の言葉にピクリと反応する。
「……伝言?」
「はい、こちらを」
女は鞄からUSBメモリを取り出して小窓越しに男へ差し出す。
それを受け取りまじまじと眺めていた男の目がみるみるうちに鋭くなっていく。
男はそれまでの気怠そうな雰囲気とは打って変わって鬼気迫る表情で女と目を合わせる。
「……アンタ、これを渡されたときに何か言われたか?」
「え、えぇ。貴方にこれを渡すだけで50万と」
男の豹変具合に女は困惑しつつも依頼主から言われたことをそのまま伝えた。
すると男は一度小窓を閉めて奥へと消えていく。
数十秒後、再び女の前に姿を現した男の手には1枚のカードが握られていた。
「これを持っていけ」
男が手渡したのは銀行のキャッシュカードだった。
「その口座に50万入ってる。今日中に引き出せ。カードは必ず破棄しろ。いいな?」
「わ、分かりました」
「用が済んだらさっさと帰りな。長生きしろよ婆さん」
もう話すことはないと言うように男は受付の窓を閉める。
女も貰うものは貰えたためさっさとそのビルを後にした。
「
オフィスビル4階。空きテナントになっている一室に入るや否や管理人の男は室内のソファに寝転んでいる女へ呼びかける。
獅子渡と呼ばれた女は身体を起こすと寝ぼけ眼で男を見る。
肩口で切り揃えた金髪に両耳に付いている聖十字のピアスが特徴的なその女性は大学生くらいに見える。
「
「
「あのバカはどうせパチンコでしょ。ほっとけば」
「事が事だから駄目だ。呼び出せ」
「チッ……」
男の命令に獅子渡は舌打ちしつつ、固定電話が置いてあるデスクへ向かう。
彼女が電話をかけている間に室内に新たに二人の人間が入ってきた。
「シッシ―ただいまー!肉まん買ってきたよー!」
電話中の獅子渡に大声で帰宅の旨を伝えたのは芦那。腰まで伸びた茶髪とゴスロリドレスの奇抜な出で立ちをしている少女だ。その見た目はどう見ても中学生くらいにしか見えない。
「ご所望のピザまんは売り切れだったので肉まんになってしまいましたが同じ『まん系』ですし問題ないでしょう」
そう言って肉まんの入ったビニール袋をソファー前のローテーブルに置いたのは石黒。ツンツンした黒髪に眼鏡をかけた青年だ。年齢は20代前半くらいだろうか。
「おっ!グロくん『まん系』だなんてエッチなんだからもー!」
「そんなことでシモに持っていくのは中学生までですよ芦那」
揶揄う芦那を石黒はバッサリと切り捨てる。
中学生という言葉が癇に障ったのか芦那はむくれた。
「むー!私中学生じゃないもん!高校生だもん!」
「芦那は高校進学していないでしょう。最終学歴中卒の貴女は中学生と大差ありません」
石黒の辛辣な言葉に芦那は大福のようにさらにむくれる。
「なにさ自分は会社辞めたニートの癖に!」
「今はネットでいくらでも稼げる時代ですよ。現在の私の収入は以前の3倍。よって僕はニートではありません。現に貴女にアイスを奢ったのも僕なのですから」
眼鏡をクイッと上げながら自身の収入を明かす石黒。それは誰が見てもドヤ顔だ。
「ガリガリ君で威張るなし!私ハーゲンダッツが良かったのに!」
「ハーゲンダッツは大人の食べ物ですよ。芦那にはまだ早い」
どこまでも馬鹿にしてくる石黒にいよいよ頭にきたのか芦那はローテーブルに右足を乗せ両手で自分の胸元──およそ幼い顔には似つかわしくないほどに実った果実をむんずと握る。
「私もう大人だもん!胸だってシッシ―より大き──」
「ほう、誰よりも何だって?」
芦那の耳に地を這うような低い声が入り込む。
いつの間にか電話を終えていた獅子渡が芦那の背後に立っていたのだ。
獅子渡は蛇のように鋭い目つきで芦那を見下ろす。
その目で見られた芦那はまさに蛇に睨まれた蛙よろしく冷や汗を浮かべた。
「し、シッシ―?」
「芦那チャン、もう一回言ってごらんなさい? 何が、誰よりも、大きいって?」
「ど、どうしたの? 目が怖いよ……?」
「そんなクソ生意気なことを言う口はこの口かぁ!!」
「いだだだだっ!?」
獅子渡に両頬を抓られた芦那が苦悶の声を上げる。
美女と美少女のじゃれ合いは百合百合しいがやられている側からすればそんな可愛いものではないだろう。
そんな彼女らを無視して管理人の男は持ってきていたUSBメモリを石黒に投げ渡した。
「石黒、今から宇垣が来る。パソコンにそれを挿して準備しておけ」
「っと──っ!」
キャッチしたUSBメモリが何であるか即座に理解できた石黒は目を見開く。
嬉しいような、しかしにわかには信じられないと言うように管理人の男を見る。
「尾賀さん、これ……」
「全員が集まり次第話す。それまでは黙って動け」
「はい」
管理人の男、尾賀の命令に従って石黒は準備に取り掛かる。
自分の鞄からノートパソコンを取り出して部屋にある大型テレビと繋ぐ。USBメモリは全員が揃ってから挿すつもりらしい。
「お、なになにー? 何が始まるのー?」
獅子渡の折檻から逃れた芦那が興味津々といった様子で石黒に尋ねる。
「今から宇垣さんが来るらしいので準備をしているところですよ。どうせ駅前のパチンコでしょうから10分もすれば戻ってくるでしょう」
石黒がそう言うと芦那は目をキラキラと輝かせる。
「ねぇねぇ、ガッキーがお金いくらスってくるか当てようよ!」
「スってくるの前提か……」
勝ってくるという選択肢が存在しないことに尾賀はため息をつく。
「あのバカが勝ってきた試しないでしょ。ギャンブル弱い癖に懲りないんだから」
「順当に負けるとして僕は大体4万くらいと予想します」
獅子渡もこれまでのことを考えて宇垣が負けてくることは疑っていないようだ。
石黒はパチンコに出向いた時間から現在の時間を踏まえていち早く予想を出す。
「じゃあ私は5万円! ちなみにこれビリの人は今日のご飯奢りだからね!」
芦那は石黒よりも多く見積もった予想を立てて罰ゲームまで指定した。
「じゃあ私は6万で。あいつなら倍プッシュして溶かしてもおかしくないわ」
「オガっちは?」
芦那は最後に尾賀に予想を尋ねる。既にこの賭けは強制参加になりつつある中、尾賀は顎に手を当て思案する。
「うぅむ……10万だな」
「えぇ……」
「尾賀さん流石にそれは……」
「いくらガッキーでも1時間ちょっとで10万は溶かさないでしょー」
尾賀の予想に全員が引いていた。いくら負けてくると考えていても流石にそこまでの大敗はしてこないだろうと思っていた。その高すぎる見積もりは最早勝負を投げたとしか思えない。
それからしばらくして男が部屋のドアを開けて入ってきた。
オールバックの髪にサングラスという厳つい見た目のこの男が件の人物である宇垣だろう。
その筋の人間にしか見えない風貌をしている彼は苛立っているようでソファにどっかりを腰を下ろす。
「チッ……っだよあのクソ台はよ……」
不機嫌を隠そうともしないその態度は他人からすれば絶対触れたくないと思うほどに刺々しい。
しかしこの場において彼に対して遠慮する者など一人とていなかった。
「ガッキーおかえり! ねぇねぇどうだった? 勝てた?」
芦那は元気な声で宇垣に突撃していく。雰囲気から察せてもおかしくないだろうに敢えて聞く辺り彼女も肝が据わっているということだろうか。
彼女の言葉にカチンときた宇垣は青筋を浮かべて睨む。
「あ゛ぁ? これが勝ってきた奴の態度に見えんのか」
「ううん、思わない!」
「おうおう正直だな。オメェが知らねぇ仲ならぶっ殺してたところだ」
満面の笑みを浮かべる芦那に対して宇垣が物騒なことを言う。
おそらくそれは冗談ではなく本気で言っているのであろうことは彼の表情を見れば分かる。
何故なら彼は目をギラギラとさせて笑みを浮かべていたからだ。
「それで、結局いくらスってきたんですか?」
「そうね。さっさと敗戦報告してごらんなさいよ」
「テメェら……揃いも揃って端から俺が負けてくると思ってやがんなコラ」
石黒と獅子渡からも好き放題言われ宇垣はますます苛立ちを募らせるが、そこで尾賀の声がかかる。
「宇垣がいくら負けたかは後でいいだろう。今はこっちの要件の方が重要だ」
尾賀の言葉に全員の意識が彼に向く。
彼はパソコンの前で待機している石黒に指示を出す。
「石黒、始めろ」
「はい」
石黒はリモコンでテレビを点けた。そこには接続されているパソコンのデスクトップ画面が表示されている。
「さっき一人の婆さんがこのビルを訪ねてきた」
「あぁ? なんでババァがこんなとこ来んだよ」
「そうね。入ってるテナントもダミーだしここに店なんて一つもないでしょう」
尾賀の言葉に宇垣と獅子渡が疑問符を浮かべる。
「婆さんは俺宛てにある人から伝言があると言った。そして渡されたのが──」
「これです」
促され石黒は手に持ったUSBメモリを全員に見せる。
「ただのUSBじゃねぇか。それがなんだってんだ?」
「これはただのUSBメモリではありませんよ。レーザーで刻印がされている特注品です」
「刻印されているのは言葉だ。『Fortune favors the bold.』。意味は分かるな?」
尾賀が言ったその言葉に石黒以外の3人は驚愕する。
同時に何故尾賀がこの場に召集をかけたのかを理解した。
「──ッ!」
「『運命の女神は勇者に味方する』……ウェルギリウスの名言」
「ってことは……」
全員が事の次第を理解したため尾賀は頷く。
「あぁ。我らが
「マジかよ……ってかどうやって持ち出したんだ? 導師様は今箱庭にいるはずだろ」
「国が上にいる教育機関でしょう? セキュリティもかなり厳しいはず」
「流石導師様だねー! なんでも出来ちゃう神様だー!」
宇垣と獅子渡はにわかには信じられないといった様子で驚いている。
芦那は導師様なる人物に対して想いを馳せているのかうっとりとした表情を浮かべていた。
「恐らく婆さんは学校が外部から招いた客人かなにかだろうな。だから導師様は接触した。USBメモリは小さいから持ち出そうと思えばやれないことはないだろう」
「そうですね。麻薬を密輸するときのように
「報酬が50万ということ。やることはUSBを小袋か何かに入れて飲み込むだけ。婆さんが断る理由もないだろう」
尾賀と石黒はセキュリティの穴を突く方法に当たりを付けていた。
確かにやろうと思えばやれないことはない。現にこうしてUSBメモリは手中にある。
それは崇拝している御方が自分たちに言葉を伝えに来たという確かな証拠なのだ。
「石黒、早く導師様のメッセージを見せなさい」
「そうだよグロくん! 早く見せて!」
獅子渡と芦那は早く見せろと石黒を急かす。宇垣も声に出さないものの興奮が表情にありありと浮かんでいる。
「今やりますから落ち着いてください」
彼女らの興奮を宥めつつ、彼はUSBメモリをパソコンに挿し込む。
テレビの画面にはパソコンがUSBを認識したことを表すようにウィンドウが開いていた。
「では開きますよ」
全員に確認を取り、石黒はUSBに入っていたファイルを開いた。
ファイルは動画のようで、カーソルでクリックしたことで動画が再生される。
『やぁ皆、元気かい?』
「おぉ……!」
「本当に導師様だわ……」
「あぁ……導師様……」
発せられた声、そして画面に映る我らが導師様の姿に彼らは感嘆の声を漏らす。
尾賀と石黒も声こそ上げないが画面に釘付けになっている。
『これを聞いているということは計画は成功したようだね。君達、いままで連絡出来なくてすまなかったね。何分こちらも新しい環境で慌ただしかったんだ』
己の非を詫びるかのような言葉を吐く導師様の姿に彼らは平伏する。
自分たちにそのような言葉をかける必要などないと示すかのように。
動画越しでもそのような行動をとってしまうほど、彼らは導師様に敬意を持っていた。
『ジュベールは『心が激している時には人は誤って愛する。本当に愛するには落ちついて愛さなければならない』と言う。でも、こうして離れてみても俺は君達を愛おしいと感じているよ。それは誤った愛ではなかったということだね』
「勿体ないお言葉です……!」
「私も導師様大好きだよー!」
獅子渡と芦那は導師様からの愛の言葉に酔いしれていた。
彼の発する言葉一つ一つが心を動かして止まないのだと表情が語っている。
『君達は最近どうかな? 大きな病気や怪我をしていないといいんだが』
「フッ……俺たち全員元気過ぎるくらいだわな」
宇垣はこちらを心配するような言葉にむず痒さを感じながらも笑みを浮かべる。
『挨拶はこれくらいにして本題に入ろうか』
導師様の言葉に全員が今まで以上に意識を集中させる。
間違っても聞き逃すことの無いように、己の聴覚に全意識を向ける。
『君達に一つ、お願いがあるんだ。俺の予想が正しければ、君達からの解答は俺にとって今何よりも気になっている事柄を解き明かす大きな一歩になる。力を貸してほしい』
「勿論です。この獅子渡瑠璃、導師様の為ならなんでも致します!」
「私も私も! なんでもやっちゃうもんね!」
声に出す獅子渡と芦那だけでなく、尾賀や石黒、宇垣もその頼みを断ることは微塵も考えていなかった。
彼らにとって導師からの命令は絶対。導師の為になることこそが生涯かけて行う自分の使命なのだと信じているが故に。
『君達のことだから無茶なお願いも引き受けようとしてしまうのかもしれない。でも、嫌だったら断ってくれても構わないよ。俺は君達を奴隷のように扱いたくはないんだ。君達一人一人を俺は気に入っているんだからね』
どこまでも優しい言葉をかける導師の在り方に彼らは感激する。
自分たちにそのようなことを言ってくれた人間など
導師が自分たちを大切に思ってくださるということが、彼らにとっては何よりも嬉しい。
『肝心の内容だが、ここからは声に出さずに伝えるよ。しっかり見ていてほしい』
そう言うと導師様はスケッチブックを開いてカメラに映るようにそれを見せた。
それを目にするより先に尾賀は石黒へ指示を出す。
「石黒、画面をキャプチャして保存しろ」
「もうやってます」
既に石黒も尾賀の言うことを予想して作業を行っていた。
画面には導師様が見せるスケッチブックの中身が映し出されていた。
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数字の羅列としか言えないその並びを彼らは食い入るように見ていた。
導師が伝えたいメッセージである以上、この数字には意味があるはずなのだから。
『さて、俺が伝えたいことは以上だ。では君達、またいつか会おう』
最後に柔和な笑みを見せて、導師はカメラを止める。
添付されていた動画はそこで終了した。
・獅子渡瑠璃
19歳。黛を崇拝する信奉者の一人。金髪と聖十字のピアスが特徴の女性。
バーテンダーのアルバイトをしている。
・芦那真波
15歳。黛を崇拝する信奉者の一人。腰まで伸びた茶髪とゴスロリドレスが特徴の女性。生き物と薬品が好きな理系女子。
・石黒永嗣
25歳。黛を崇拝する信奉者の一人。ツンツン頭と眼鏡の男性。
メンバー全員に対して敬語を使う。プログラミング知識が豊富な元SE。
・宇垣武
30歳。黛を崇拝する信奉者の一人。オールバックとサングラスが特徴の男性。
大の博打好きだが戦績は振るわない。元暴力団組員。
ちなみに今回負けた額は12万である。
・尾賀修輔
35歳。黛を崇拝する信奉者の一人。メンバーの中で最高齢。
ビルの管理人を務めており、メンバーのまとめ役。
元組織犯罪対策第四課刑事。