ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
8月最終週、夏休みもこの一週間で終わりを告げる。
生徒たちは限りある夏休みを最後まで楽しもうとしているだろう。現に敷地内の様々な施設で生徒たちの姿がある。
それはここ、レストランでも例外ではない。店内は食事を摂る者、談笑に興じる者、この後の予定を立てようと話し合っている者で溢れている。
そんな彼らと同じように、或いは溶け込むように店内の一角で本を片手にコーヒーを飲む男が一人。
「『恋愛は多くのオペラと似たところがある。いちばん美しいのが序曲だという点で』」
「ふふっ、深い言葉ね」
テーブルにやって来た女性店員が男が呟いた言葉に反応する。その言葉が彼女の琴線に触れたのだろう。
女性が声をかけてきたことで男は読んでいた本を閉じて応対する。
「ジャン・ジロドゥの言葉ですよ。オペラは序曲、始まりほど劇的で美しい。それは人の心を掴み、惹きつける。恋愛も好きになりたて、付き合いたてが一番楽しいものでしょう?」
「ふふっ、そうね。相手を深く知れば知るほど、付き合いが長くなれば長くなるほど冷めちゃうことって多いから」
二人は互いに面識があるのか友人のように言葉を交わす。
「でも、そう言うってことは黛君って経験豊富なのかしら?」
「まさか。まだ15の子どもですよ? 女性に対して自慢できるほどの経験なんてあるわけもないじゃないですか」
謙遜にも似た言葉を吐く柚椰に女性は笑みを浮かべる。
「そうは言うけど、黛君ってとても15歳には見えないのよねー。博識だし、こうして話していてもまるで大人の男性と話してるみたいに感じちゃうわ。さぞかしモテたんじゃない? 私が同級生だったら放っておかないもの」
「美人の女性にそう言ってもらえるのは男冥利に尽きますね」
「あら、お上手なんだから」
柚椰の言葉に気を良くしたのか女性店員は頬を綻ばせる。
「お上手ついでにデザートでもどうかしら? 今だとマンゴーのスイーツが期間限定であるわよ?」
売り込みを忘れない辺り彼女の商売根性は大したものと言えるだろう。
柚椰も柚椰で彼女の提案が魅力的に映ったのか微笑みを作る。
「それはいい。一つお願いします」
「はい、かしこまりました」
正式に注文を受けて最後に営業スマイルを残して彼女は去っていった。
その背を見送りながら、柚椰はおもむろに腕時計で時間を確認する。
時刻は正午を少し過ぎたことを指し示していた。
「うん、そろそろかな」
予め自らが指定していた時刻にもうあと10分ほどで差し掛かることを確認する。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「あぁいや、ここで待ち合わせをしてて……」
彼の予想を肯定するかのようにレストランに一人の生徒が入って来た。
新規の客が来店したことで店員が応対に現れるが、その生徒は店内を見回して既に来ている者と合流すべくやって来たのだと暗に告げる。
そして柚椰を視界に入れると、彼がその相手であると店員に告げてテーブルへと歩を進めた。
「お、お待たせ」
「やぁ久しぶりだね、軽井沢」
呼び出された生徒、Dクラスの軽井沢恵が柚椰のいるテーブルにつく。
今は夏休みということもあってか彼女の出で立ちは制服ではなく私服だ。夏らしいコーディネートに身を包んでいる彼女はお洒落という言葉がしっくりくる。
「急に呼び出して悪かったね。何か飲むかい?」
「えーっと、じゃあレモンティーで」
「分かった、レモンティーだね」
軽井沢の要望を聞き、柚椰はテーブルのベルを鳴らす。
そしてやって来た店員がオーダーを聞き再び去っていく。
「それで、なんで私を呼び出したの?」
「それについては君の飲み物が来てから話すよ。急ぐ話でもないからね」
用件はこの後にとっておくと告げ、柚椰は笑みを浮かべる。
注文の品が届くまでの僅かな時間、彼と軽井沢は世間話に興じる。
「夏休みはどうだい? 束の間の休息を楽しんでいるかな」
「どうって……まぁ友達と遊びに行ったり、買い物したりはしたかな。でも遊び過ぎたから二学期始まるまでは大人しくしてないとだけど」
「なるほど。ということは現状君の懐は厳しいということか。ならこの場は俺が持つよ。遠慮せずに好きなだけ頼むといい」
柚椰はテーブルのスタンドに挟まれているメニュー表を取って軽井沢へと差し出す。
「えっ。い、いいわよ別に。お茶代くらいは払えるし」
「気にしなくていいよ。これは俺の単なる自己満足だ。いや、罪滅ぼし、とでも言うのかな」
眉を下げ、どこか詫びるような表情を浮かべて柚椰は言う。
「罪滅ぼし?」
「君に助けを求められたのに、結果的に俺は何もできなかった。本当ならあの試験の間に方を付けるつもりだったんだけどね。間に合わずに君を危険な目に遭わせてしまった。申し訳ない」
頭を下げて詫びる姿に軽井沢は慌てた。
「い、いいって謝らなくて! 私もその、我儘言った自覚はあるし……アンタにあんなこと頼んだこと自体、普通ならありえないってことくらい分かってる。あのとき話を聞いてくれただけでも私は助かったっていうか、安心したし……」
「お待たせいたしました。こちらレモンティーになります」
丁度いい頃合いに店員が注文の品を持ってテーブルにやって来た。
軽井沢の前に冷たいレモンティー、柚椰の前にマンゴーのシャーベットを置いて店員が去っていく。
レモンティーに軽井沢が口を付けたのを見計らって柚椰は話を再開する。
「話を戻すけど、君が一番困っている時に俺は何も助けになれなかったからね。だからせめて、これから先君の力になれればと思ったんだ。今日呼び出したのはそのためでもある」
「どういうこと?」
「一学期と特別試験を経て、Dクラスは団結を強めている。今のDクラスなら他のクラスとも十分に戦っていけると思う。でも、決してクラスメイト全員が纏まっているわけじゃない」
「それって、私のこと……?」
おずおずと尋ねる軽井沢に柚椰は頷く。
「女子のグループは桔梗を中心として固まり始めているらしいね。君のグループに属していた子たちも桔梗のグループへ統合していっている。同時に君は嘗ての地位を失いつつあるのが現状だ」
「……」
淡々と説明されるクラスの現状に軽井沢は顔を俯かせる。
そこにあるのは後悔か悲嘆か、いずれにしても暗い表情を浮かべていることは確かだ。
自分が失墜しつつある現状に対して怒りではなくそういった感情を滲ませているのは少なからず己に非があることを自覚しているからだろう。
しかしそんな軽井沢を見かねてか柚椰は首を横に振る。
「今の現状は君だけの所為じゃないよ。伊吹が起こした事件を俺が犯人ということにしてしまった結果、君はクラスから孤立してしまった。これは完全に俺の所為だ」
「そんな……黛の所為じゃないじゃん。アンタはクラスを勝たせるためにわざとそうしたんだし……」
「試験結果が出た後に言っただろう? 本当なら全員が俺を疑い続けて俺という敵を前に皆を団結させるつもりだったんだ。わざと皆の前で桔梗に酷いことも言ったから、このプランに抜かりはないと思っていた。でも結果は意図したものであっても、その過程で起こったことは俺の望んでいたものじゃない。君を孤立させてしまったことが、俺にとって一番の後悔なんだ」
真摯な言葉で懺悔する柚椰にいたたまれなくなった軽井沢は思わず目を逸らす。
「君をこんな目に遭わせてしまったのが俺なら、君を助けるのも俺の役目だ。そうでなくては君に償う方法がない」
「償うってそんな大袈裟な……」
「俺にとってはそれだけ重要だということさ」
どこまでもお人よしな柚椰の言葉は軽井沢の心に染み渡る。
「なんで黛はそこまでしてくれんの……?」
「君は大切なクラスメイトだからね。それに何もできなかったとはいえ、一度は君を助けると言ったんだ。一回手を差し伸べたなら最後までやるのが筋だろう?」
そう言うと彼はテーブルに置いていた端末を手に取った。
「まずは君の名誉回復の一歩目だ。IDを教えてもらえるかい?」
「え、い、いいけど……」
柚椰の言う通りに軽井沢は自分の端末のIDを見せる。
それを見た柚椰が端末を操作した数十秒後、軽井沢の端末が震えた。
「? 何したの──っ!」
目の前の男が何かをしたことは明らかだったからか、軽井沢は疑問符を浮かべつつ端末を確認したのだが、その正体を知るや否や彼女は目を見開いた。
「30万ポイント振り込んだ。それで君は今までの負債を帳消しにするといい」
なんでもないかのように言う柚椰に軽井沢はこれまでにないほどに狼狽える。
「こ、こんな大金貰えないわよ! それに借金だってそんなにあるわけじゃないし」
「なら余った分は君のものにしてくれて構わないよ。ポイントはあるに越したことはないからね」
「そんなにしてもらわなくてもいいってば! これは、自分が蒔いた種なんだから……」
まさかポイントという現物で以って自分を助けようとするとは思わなかったからか軽井沢は完全に委縮してしまっていた。
ただのクラスメイトというだけでここまでしてもらうことをすんなり受け入れられるほど彼女は図々しくはないのだ。
「でも今の君に負債を返せるだけの当てはないだろう? なら俺が代わりに返済してしまった方が手っ取り早いと思うんだ」
「……確かに返せる当てはないけど、でも黛にそこまでしてもらうわけには」
「これは君に借りを作るとか恩を売るんじゃないよ。あくまで俺の自己満足だ」
「そっちの方が余計悪いって!」
「気にしなくていいのに」
「気にするなって言う方が無理でしょうが!」
気にしなくていいと言う男と気にすると言う女の堂々巡りが繰り広げられる。
このままでは収拾がつかないと判断した柚椰が落としどころを作った。
「じゃあ一つだけ、君にお願いしようかな。それを聞いてくれればチャラで構わないよ」
「お、お願い、って?」
何を頼まれるのか分からず軽井沢はおずおずと尋ねる。
「今度俺にご飯を作ってくれないかな?」
「は?」
「いや、こう暑いと中々外で食べる気にならなくてね。仕方なく家で自炊をしているんだけど如何せんレパートリーが無くて」
「そ、それだけ……?」
「うん、それだけ」
「そんなことでいいの……?」
明らかにつり合いの取れていない条件に軽井沢は信じられないと言うような顔だ。
「勿論。あぁ、でも家には豆腐と素麺しか置いていないから材料を買ってきてもらうことになってしまうけど」
「はぁ!? アンタ毎日そんなもんばっか食べてんの!?」
「そんなもんとは心外だな。豆腐は栄養もあるし、冷たい素麺なんていくらでも食べられるだろう?」
「そんな淡泊なものばっかり食べてたら夏バテするでしょうが!」
柚椰の壊滅的な食生活が明らかになったからか、それまで委縮していた軽井沢の姿は見る影もなくなっていた。
寧ろ今の彼女はだらしない息子を叱る母親のようにさえ感じられる。
「呆れた。アンタがそんなにだらしないとはね……正直意外だった。なんでも出来そうなイメージあったのに」
「俺にだって不得意なことくらいはあるさ。寧ろ出来ないことの方が多いよ」
困ったように笑う柚椰に軽井沢は少し
「ふーん、うちのクラスの奴はこのこと知ってんの?」
「というと?」
「だから、アンタのそういうだらしないとこ、知ってんのかって話」
軽井沢に問われ、柚椰は顎に手を当て思案する。
「そうだね……クラスメイトで知っている人はいないかな。前に鈴音には『簡単なものくらいしか作らない』とは話したけど、作れないとは、ね」
「櫛田さんにも……?」
「そうだね、桔梗にもこのことは話していないよ」
テストの成績は常にトップ。交友関係が広く人望も厚い。クラスの主要な面々がこぞって頼りにするほどの知力。非の打ちどころのないとしか言いようのない完璧な男子。それが軽井沢にとっての黛への認識だった。
だが今はどうだろうか。
完璧に見えた男には食生活が壊滅的であるという欠点があった。
欠点と呼べるほど大袈裟なものではないかもしれないが、それは間違いなく目の前の男の秀でていない面であることは確かだった。
だからだろうか──
「ふーん……(コイツの弱いとこ、他の人は知らないんだ……)」
──彼の弱さを、欠点を知っているのが
「それで、この条件で受けてくれるかい?」
軽井沢の雰囲気が変わったことで了承の方向へ向かっていることを感じ取ったのか柚椰はそう尋ねる。
「……正直全然釣り合ってない条件だけど、折角譲歩してくれたんだしいいわ。それでアンタの気が済むなら」
「よし、なら交渉成立だ」
少女から承諾の旨を聞き柚椰は満足げに微笑む。
「借りたポイントを返せば、少なくとも君にある絶対的な弱みは解消される。あとは君のコミュニケーション能力で関係を修復していけばいい」
「簡単に言うわね……」
「君なら出来るはずだよ。人を惹きつけるだけの魅力が君にはあるんだから」
「──! そ、そう?」
柚椰の言葉が琴線に触れたのか、軽井沢は少し声のトーンが上がる。
「うん、元々君は入学してすぐの段階でグループの中心になっていた。それは平田の彼女だからという外付けの理由じゃない。君だから。君という人間に魅力があったから出来たことだよ」
「ふ、ふーん、まぁ、そんなに褒められたら悪い気はしないけど」
惜しみない賛辞を送られて気を良くしたのか軽井沢の表情が晴れやかなものへと変わっていく。
「だから何も心配することはないよ。もしまた何かあれば俺も協力するからね」
「黛が助けてくれんの……?」
「勿論。言っただろう? ポイントをあげたのはあくまで第一歩だ。君がクラスで笑えるようになるまで、俺は協力は惜しまない」
その言葉を聞いた軽井沢は顔を俯かせ、ポツポツと語りだした。
「……もし、もしもさ」
「うん?」
「もし、私が上手くできなかったら……女子の間でハブられたら……黛はどうするの?」
「どうする、とは?」
「だから……もし、私が虐められでもしたら……それでも助けてくれんの……?」
試すような、しかし
それを聞いた柚椰の中に沸いた感情は一つだけだった。
ならば当然、彼が返す言葉は決まっている。
「勿論。もし君がそうなってしまったとしても、俺は君を助けるよ」
「どうやって?」
「そうだね……これが平田だったら仲良くするように皆と話し合いをさせる、と言うのかもしれないけど」
「それは嫌!」
柚椰の言葉を拒絶するかのように軽井沢は大きな声を上げた。
その方法が一番の悪手だと、こと虐めにおいては何よりもしてはならないことだと彼女自身が知っているが故に。
「平田なら、と言っただろう? 俺だったらまず君を虐めている集団を壊す。粉々にね」
「それって……虐めてきた奴らを攻撃するってこと……?」
「軽井沢はどうして虐めなんてものが起こると思う?」
質問を質問で返された軽井沢は戸惑いながらも頭を使う。
「……自分より弱い奴を見つけたから、とか」
「そうだね。要は虐めるに値する弱みを見つけたとき。或いは対象が虐められても仕方ないと思えるだけの悪性を備えていたとき、だね。コイツは悪い奴だから、弱い奴だから、それを虐める自分たちは正しい、悪くない。そういった考えを
「……」
「なら解消する方法は簡単さ。彼らにも弱さを、悪性を
淡々と、しかし生々しく語る柚椰に軽井沢は自分のことのように震えた。
穏便な方法では決してなく、とても堂々と言えたものではない手段。
それはとても頼もしいものだったが、同時に一種の恐ろしさを彼女に抱かせた。
「黛はそうするってこと……?」
「勿論こんなことは本意ではないから、出来ればしたくはないけどね。でも、君を助けることが優先事項である以上、俺は手段を選ぶつもりはないよ」
彼はその手段が決して望んでのものではなく、あくまで自分のためだと語った。
とどのつまり、彼は望まない選択肢を取ってでも自分の為にそれを実行すると言ったのだ。
その言葉を聞いたことで軽井沢の中にそれまであった恐ろしいという感情が一気に塗り潰された。
口からの出まかせではなく、本当にやるだろう、といった一種の信用さえ抱かせるほどに、柚椰の言葉は軽井沢にとって頼もしかった。
「そう……分かった。まぁ、そのときは頼りにさせてもらうことにする」
髪を弄りながらそっぽを向く軽井沢だが、彼女の中で目の前の男に対する信頼が芽生えていることは確かだった。
「じゃ、じゃあ話が終わったなら私帰る」
残っていたレモンティーを飲み干すや否や軽井沢は席を立った。
「もういいのかい? 何か食べていったらいいのに」
「やらなきゃいけないことがあるから」
そう語る軽井沢の目は強い決意の色が宿っていた。
既に聞くまでもない事柄ではあるのだが、敢えて柚椰は尋ねる。
「ふむ、それは?」
「アンタがそこまでしてくれるって言うなら私もちゃんとしないとでしょ。早速借りを返しに行くの」
勝気な笑みでそう語り、軽井沢はレストランを出て行った。
「黛君は悪い人ですね。女の子の心につけこむなんて」
軽井沢の背を見ながら、彼らの後ろのテーブルにいた生徒が柚椰に話しかける。
それに驚くこともせず、柚椰は背を向けたまま彼女に応対した。
「おや、まさか聞いていたのかい? 坂柳」
「ええ。中々どうして面白い話が聞こえてきましたので、つい
柚椰のいるテーブルの一つ後ろの席、そこには坂柳有栖が紅茶を片手に座っていた。
どうやら彼らの話を聞いていたようで、その口元は愉快そうに弧を描いていた。
「女王様もお戯れが過ぎるね」
「まぁまぁ。ここでのことは口外する気はありませんので。軽井沢恵さん、ですか。彼女も貴方の手駒にするおつもりで?」
「まさか。彼女は既に売却済の物件だよ。俺が入ることは出来ないさ」
「どうでしょう。平田君の恋人らしいですが、奪ってしまうことも出来るのでは?」
どこか挑発するようなニュアンスを含めて坂柳は問いかける。
「間男の役なんて俺には出来ないよ。それに彼は出来た人間だ。それこそ俺が入り込む余地はないよ」
「ふむ、つまり彼女の買い取り手は
坂柳が笑みを浮かべていることを背中で感じつつ、柚椰は微笑んだ。
「流石は女王。口を開くのは悪手だね」
「私が平田君の名前を出しているのに貴方は彼と言った。それは軽井沢さんの相手が平田君ではないと暗に言っているように聞こえましたので」
「さてね。それは君が自分で見つけてみるといい。それは君の道程の中に落ちている一粒の石だからね」
「──! なるほど……そういうことですか」
柚椰の言わんとしていることが理解できたのか、坂柳はどこか別のところへ意識を割くような声色で呟いた。
「でも残念ですね。私がお支払いした報酬が、まさかあんな人に渡るなんて。もっと面白い使い道があると期待していたのですが」
「おや、女王様はお気に召さないかい?」
「黛君ならもっと私を驚かせてくれそうなことを考えると思ったのですよ。それへの投資も含めた高額報酬だったのですが、ちょっとがっかりです」
ティーカップを傾けて紅茶を飲む坂柳の表情はどこか落胆の色がある。
しかし彼女のその言葉を聞いて寧ろ柚椰は一層愉快に笑った。
「ふふっ、まぁ君にとって軽井沢は取るに足らない存在だろうね。でも、事が動くのはこの後さ」
「ほう?」
柚椰の言葉に反応し、坂柳はティーカップを置いた。
「優待者当てのとき、彼女が属していたグループはどこかな?」
「卯グループですね。そういえば、確か試験中に掲示板がその話題で盛り上がっていたとお聞きしましたが……あれは黛君ですか?」
「俺であって俺じゃない、とだけ答えておくよ。話を戻すけど、彼女のいた卯グループは結果3、つまり優待者は当てられてしまった。正解者は50万ポイントを手に入れている。さて、それを踏まえると今の軽井沢はどんな状況だい?」
「ふむ……黛君がポイントを譲渡したことで、軽井沢さんは巨額のポイントを得ています。彼女のポイントの額が知れれば、彼女が優待者を当てた正解者、という推測がなされますね。しかしここで黛君が仕組んだとされる掲示板の情報が
導き出された結論がとても面白いものであったのか、坂柳は愉快そうに笑った。
同時に意図が伝わったと察した柚椰も笑みを浮かべる。
「もし掲示板の情報通り本当にDに優待者がいた場合、どうして彼女はポイントを持っているんだろうか。
「他のDクラスのメンバーか、あるいは自分が優待者だとリークした結果の成功報酬を得ているから、という推理がなされる。つまりは裏切り者ということですね」
「クラスに貢献した功労者か、或いは他クラスと共謀してポイントを得た裏切り者か。その判断は周りの人間一人一人によって異なってくるだろう」
「本当に黛君は悪い人ですね……期待以上です」
この後の光景に想いを馳せているのか、坂柳は感嘆の声を漏らした。
「軽井沢さんを助けると言いながら、その実さらに悪い状況へ追い込むだなんて……恐ろしいことを考える」
「俺は彼女を嵌めたわけじゃない。彼女を助けたいというのは勿論本心だよ? ただ、周囲の人間の感情まで操れるわけじゃないというだけさ」
「どう転ぶも周りの人間次第、ということですか。尚更質の悪いタイプですね」
「彼女が順調に名誉を回復していくとすれば、それは勿論望ましい。逆に彼女が苦境に立たされたとしても、それも彼女にとっては後に好転する要因になるかもしれない。彼女にとってここから先起こりうる最悪の展開は一番の劇薬であり、同時に特効薬にも成りうるだろう。もしも後者の事象が起こり、且つ彼女がその上で自身の傷を乗り越えた時、真に彼女は美しくなると俺は信じているよ」
「愛の鞭、にしては些か厳しすぎるとは思いますが、私もその行く末が見たくなってきました」
それは坂柳有栖の中で軽井沢恵という人間が刻まれた瞬間だった。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。