ようこそ人間讃歌の楽園へ 作:gigantus
「いただきますっ」
「はい召し上がれ。といっても俺が作ったわけではないけど」
水泳の初回授業の翌日、昼休みの食堂で櫛田と柚椰は昼食を摂っていた。
授業での約束通り、このランチは全て柚椰の奢りである。
しかもご丁寧に食後にはデザートまで付いている。
至れり尽くせりとはこのことだ。
二人は談笑しながら食事を進め、櫛田は柚椰が奢ってくれたデザートに手をつけた。
「ん~、おいしっ」
デザートのバニラアイスに櫛田はご満悦のようだ。
「そんなに美味しそうにしてもらえると奢り甲斐もあるよ」
「えへへ~でもまさか本当に1位獲るなんて思わなかったよ。黛君って他にどんなスポーツやってたの?」
「ふふっ、昨日堀北にも同じようなことを聞かれたよ。部活であるようなスポーツは一通りやったかな」
柚椰は水泳の授業で掘北に似たような質問をされたことを思い出して笑うと、堀北のときと同じような返答をした。
しかし櫛田は柚椰から堀北の名前を聞くとどこか暗い表情になった。
「櫛田?」
「黛君ってさ、最近堀北さんと仲良いよね……」
「友達だからね。まぁ、彼女は否定しているけど」
「でも堀北さんって黛君と綾小路君としか喋ってるところ見たことないよ?」
「堀北は基本的に一人で居るのが好きみたいだからね。そういえば君も彼女のことを何回か遊びに誘っていたよね?」
「うん、毎回バッサリ断られちゃうんだけどね……あはは」
そう言って櫛田は力なく笑った。
彼女が堀北を放課後の遊びに誘う場面は柚椰も何回か見ていた。
しかしその度に堀北は彼女を冷たく突き放した。
クラスの人気者である櫛田に対してそんな態度を取れば、クラスメイトが堀北に対して良い印象を持たないのは必然だっただろう。
現に堀北は女子たちからは煙たがられており、男子たちからも近寄るべからずといったイメージを持たれている。
「彼女は少し言葉がキツイところがあるからね。あれで誤解されてしまっているところもあるかな」
柚椰にとっては大したことではないが、他のクラスメイトにとって堀北の言葉は堪えるだろうということは彼も分かっていた。
しかし堀北の口の悪さは昔からのことであるということにも柚椰は察しがついていた。
ずっとそうしてきた以上、ただ直せと言ったくらいで直るものではない。
寧ろ直せというのはかえって堀北には逆効果であると柚椰は思っていた。
「でも、それでも私は堀北さんと友達になりたいんだ」
櫛田は柚椰の目をまっすぐ見つめてそう言った。
その目は力強く、決意と覚悟に塗れている。
しかしそれだけではないことを柚椰は見抜いていた。
「(そうまでして彼女に拘るのには何か理由があるのだろう……)」
櫛田と初めて出会ったときから柚椰は彼女の本質を既に知っていた。
彼女の性格を踏まえると、彼女がただ堀北と友達になりたいと思っているとは考えられない。
「でね、朝に綾小路君にも相談したんだけど、黛君にも協力して欲しいの」
「協力?」
「うん。綾小路君がね、放課後堀北さんを誘ってカフェに行くの。そこに偶然ってことで私が行くことになってるんだけど……」
「俺にも来て欲しいってことかい?」
「うん、私が一人でカフェに行くよりも黛君と一緒に来たってことにした方がバレないかなって」
「なるほどね……」
櫛田と綾小路が立てた作戦を聞いた柚椰は暫し考え込んだ。
櫛田がカフェに一人で来て、たまたまそこで綾小路と堀北に出くわすというシチュエーション。
それは確かに普通の女子がやるならばいい作戦だろう。
しかし、櫛田は良くも悪くも交友関係が広い女子だ。
そんな彼女が放課後に、それも一人でカフェに来て、偶然二人に出くわすというのは少々作戦としては粗いだろう。
堀北ほど聡明な人間なら、すぐにわざとらしさに気づくはずだ。
こっそり根回しされ、無理矢理そのような状況を作られたと知れば、彼女はどう思うだろうか。
まず間違いなく怒って出て行ってしまうだろう。
そもそも堀北の性格上、櫛田とは絶望的なまでに馬が合わないということは柚椰も察していた。
一人を好む堀北に対して、櫛田はそれでもと距離を詰めようとする。
友達を必要としない堀北と、クラスメイト全員と友達になろうとする櫛田。
(彼女からすれば櫛田の目標自体気に食わなくて仕方がないはずだ)
クラスメイトだから仲良くしようというのは堀北にとって嫌で嫌で仕方ないだろう。
例え自分がこの作戦に加わったとしても、堀北が首を縦に振ることはないだろうということを柚椰は既に分かっていた。
「(それに、どう転んでも間違いなく彼女との仲は拗れるだろうね)」
自分が同行しようがしまいが、この作戦は間違いなく失敗に終わる。
さらに必ず櫛田と綾小路の二人と堀北との仲は拗れる。
同行すればそこに自分も加わる可能性もあるだろうと柚椰は結論付けた。
結果彼は──
「んー、君からのお願いを無碍にするのは心苦しいけど、俺は協力できないかな」
櫛田の頼みを断ることに決めた。
「っ! そっか......」
協力を断られたことで櫛田は残念そうにつぶやく。
「なんかごめんね! 変なこと頼んじゃって」
「気にしなくていいよ、協力は出来ないけど応援はしてるからさ」
「うん、ありがとっ!」
柚椰からのエールに櫛田は天真爛漫な笑顔でそう言った。
「ちょっと静かにしろー。今日はちょっとだけ真面目に授業を受けて貰うぞ」
櫛田との一幕から数日経ったある日の3時限目。
日本史担当である茶柱先生が教室に入ってくるなりそう言った。
「月末だから今日は小テストを行う。前から順に回してくれ」
そう言うと彼女は最前列の生徒にプリントの束を配っていく。
やがて全員に行き渡ると生徒はそのプリントに目を落とした。
日本史の時間に配られたにも関わらず、内容は主要5教科の問題が纏めて載っているテストだった。
「えぇ~聞いてないよ~ズル~イ」
「だな」
「予告なしでテストとかアリですか~?」
事前告知なしでいきなり小テストとあって、生徒たちからはズルいと不満が出ている。
「今回のテストはあくまで今後の参考用だ。成績表には反映されることはない。ノーリスクだから安心して取り組め。ただしカンニングは厳禁だぞ」
茶柱先生のその言葉に生徒たちは安心したのか、開始の合図と同時に各々のペースで問題を解き始めた。
テストの内容は1教科4問の全20問で1問辺り5点の配当だった。
生徒たちは皆つらつらと問題を解き進めていく。
しっかり取り組む者もいれば、適当なところで切り上げて机に突っ伏している者もいる。
そうして授業終了のチャイムがなるまで、生徒たちは小テストに取り組んだ。
「(今日の小テストは随分と手が込んでいたな)」
放課後、柚椰は校内を歩きながら今日やった小テストについて考えていた。
問題は基本的に中学レベルの問題がほとんどであり、高校生ならば解くのにそう苦労しないものばかりだった。
しかし、それは20問ある内の17問目までだった。
18問目から問題の難易度が桁違いに上がったのだ。
残りの3問は高校1年生ではおよそ解けるはずも無い難問が並んでいた。
「(問題に波がありすぎる。あれなら大多数が17問正解、85点だろう)」
中学で勉強をしっかりとし、高校受験に真面目に取り組んだ生徒ならば、ほぼ確実といっていいほどその点数になる。
つまり点数の差がつかないのだ。
あくまで小テストだと言われればそれまでだが、ただの小テストであるはずがないというのは既に柚椰も確信していた。
「(生徒が簡単な問題ですら解けない、或いは解こうとしないと思っているのか……)」
現に小テスト中もペン回しに興じていたり、ぼうっと外を見ていたり、居眠りをしている生徒がいた。
不真面目な生徒がいることを把握し、その上であの問題を出す意図。
それは一つだろう。
「(今回の小テストは間違いなくポイントに反映されるな)」
テスト開始前、茶柱先生は成績表には反映されないと言っていた。
しかしポイントには反映されないとは一言も言っていない。
そもそも、ポイントに対して先生は入学初日から今日まで一切触れていないのだ。
生徒の現在の状態を把握する参考として今回の小テストが用いられたならば、それは生徒の現在の実力を決めることと同義だ。
「(ペナルティがクラス単位と考えると……来月頭に確実にクラスは荒れるだろう)」
普段の授業態度、そして今回の小テスト。
お世辞にもDクラスは良い状態とは言えない。
今月のペナルティが来月頭に執行されるとするならば、ほぼ間違いなくDクラスは大きくポイントを失うことになる。
そうなればどうなるか。
今、Dクラスの生徒はその殆どがポイントの流動性に気づいていない。
故にポイントを湯水のように消費しているはずだ。
来月振り込まれると思い込んでいる10万ポイントは、既に大きく減らされていることに気づかない。
「(いや、
柚椰は授業が始まってから今日までのクラスメイトたちの授業態度を振り返った。
把握しているだけでも遅刻欠席はほぼ毎日。
授業中に私語や携帯を触るのはほぼ毎回。
しかし柚椰は決して全員に注意を促すことはしなかった。
やる気の無い人間に、不真面目な人間に真面目にやれと注意したとして、聞き入れないどころか時として逆効果となることを知っているからだ。
ちなみに堀北と綾小路は真面目に授業を受けておりそもそも注意する必要がなく、櫛田にはあとで何かしっぺ返しがあるかもしれないということは伝えてあった。
「(尤も、一度痛い目を見たほうが学ぶこともあるだろう)」
柚椰は別にクラスメイトを見捨てているから放置したのではなかった。
むしろ柚椰は彼らに期待すらしていた。
今は不真面目だとしても、一度危機に瀕すれば改めるはずだ。
一度地の底まで落ちれば足掻こうとするだろうと信じていた。
「とりあえず、今は今後に備えて蓄えておくべきか」
柚椰は目的の部屋の前まで来ると足を止め、扉をノックした。
部屋の中から入室を促す声が聞こえると、彼はニッコリと笑みを浮かべながら扉を開け放った。
「すみません。チェス部の先輩方、俺と勝負してくれませんか?」
彼はポイントを稼ぐために今日も部活破りに精を出していた。
あとがきです。
例えクラスメイトでも、職場の同僚でも、馬が合わない人っていますよね。
そんな人から仲良くしろよって言われるのって人によっては嫌で嫌で仕方ないと思います。