【C97サンプル】艦これ~蒼海戦線~ Ⅰ、曙光   作:瑞穂国

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なっがーい


艦娘戦線(2)

 

 

 

「合戦準備!」

 

 上空を飛ぶ零式水上観測機――零観が水平線上に敵艦隊を発見するや否や、倉橋望中将は第一艦隊全艦にそう下令した。〔長門〕艦長がすぐさま復唱し、伝声管を通して各所に「合戦準備」を号令する。艦はすでに戦闘状態へと移行済みだ。各砲火器のカバーは取り外され、砲身内には第一射目の砲弾が装填されている。砲撃戦に備えて甲板からは人が退避した。艦橋の周囲には弾片を防ぐハンモックが巻き付けられている。

 

「上空観測機より、さらに報告。敵艦隊は、戦艦二隻を先頭に単縦陣を形成。真っ直ぐにこちらへ向かっているとのことです。距離は三〇〇(三万メートル)」

「……敵もやる気ですな」

 

 隣に立つ小野田均参謀長が呟く。他の参謀たちは階下の作戦室へ下がらせたが、彼だけはこの昼戦艦橋に残ると言い張って譲らなかった。参謀を取りまとめる者として、常に長官の隣にいる義務があると、思っているのだろうか。

 

「何しろ、人類の兵器は全く効かないときた。それは、大手を振って堂々と進撃もしてくるさ」

 

 軽い調子で言ってはみたものの、自分の眉間に凄まじい力が入っていることはわかっていた。

 

 倉橋指揮下の第一艦隊には、確かに多くの艦娘搭乗艦が集められている。だが全てではない。艦娘搭乗艦のほとんどは駆逐艦や巡洋艦で、戦艦には一人、第二戦隊の〔扶桑〕に乗るのみだ。空母に至ってはゼロである。

倉橋の座上する旗艦〔長門〕にも、艦娘はいない。

 

(一水戦と七戦隊の使い方が肝要だ)

 

 両戦隊は艦娘搭乗艦で固められた部隊だ。ここに〔扶桑〕を加えた計十八隻が、実質的に深海棲艦へ対抗可能な戦力ということになる。

 

「長官、どちらで撃ち合いますか」

 

 艦の運航に専念していた山本四郎艦長が、倉橋を振り返る。戦艦同士で戦うつもりなら、同航戦がセオリーだ。反航戦の状態になっている今、どちら側に艦隊の頭を振るつもりなのかを気にしているのだろう。

 倉橋の判断は最初から決まっていた。

 

「右砲戦用意。距離二〇〇(二万メートル)で取舵、針路〇九〇を取れ」

「はっ」

 

 応えた山本は再び前へと向き直り、見張り員に今の距離を訪ねていた。海上四十メートル近い位置にある昼戦艦橋からでも、敵艦隊はいまだその全貌を水平線上に表していない。艦橋と思しき構造物が覗いている程度であった。

 

 

 

――反航戦の状態にあった両艦隊の距離が二万メートルを切るのに、さして時間はかからなかった。

 

「距離二〇〇(二万メートル)!」

 

 見張り員の報告に山本が頷き、次いで確認を取るように倉橋の方を見た。それに、倉橋は黙って顎を引く。いよいよ、正念場だ。

 

「一、二戦隊逐次回頭。針路〇九〇」

「取舵一杯、針路〇九〇!」

 

 倉橋の指示に、山本が号令で応えた。操舵の号令はすぐさま操舵室へと伝えられる。今頃は、当番の操舵手が、舵輪を左側へと目一杯回しているはずだ。

 戦艦というものは、そう簡単には曲がらない。〔長門〕の全長は二百二十四メートル、基準排水量三万九千百二十トン。艦尾に並列配置された二枚の主舵が最大限に仕事をしたとしても、艦の惰性に横方向のモーメントが勝つまでには三十秒近い開きがある。

 ようやく舵が利き始めて、〔長門〕は左へと回頭していく。それまでさざ波を切り裂いていた鋭利な艦首が徐々に徐々に、左へと振られていった。それに合わせて、海上の風景も右に流れる。正面に見えていた敵艦隊の影は、艦橋右側面へと移っていった。

 

 遠心力で右へと傾く艦橋の床に足を踏ん張り、倉橋は眼下の甲板を窺う。人のいない甲板上では、巨大な二基の主砲塔がゆっくりと右舷側へ旋回していた。〔長門〕の象徴とでも言うべき主砲塔は、世界最大最強の四十五口径四一サンチ砲を二門収めている。厚い装甲板で覆われた主砲塔は、そのものが一つの要塞といっても過言ではない。長門にはそれが四基も搭載されている。さらに、同じく一戦隊第二分隊を組む〔陸奥〕と合わせれば、合計で八基十六門を備えることになる。大抵の軍艦であれば、たったの十斉射足らずでくず鉄に変えることのできる威力を秘めていた。

 

「見張り、敵艦隊の動きはどうか」

 

 山本の問いかけに対し、見張りの水兵からは、敵艦隊も同航戦へ移行しつつある旨が知らされた。

 

「砲術、回頭直後を狙え。先手を取る」

 

 艦橋頂部の射撃指揮所に指示が伝えられる。一戦隊の目標は敵戦艦一番艦、二戦隊の目標は二番艦だ。まずは射撃諸元を詰めるための、交互撃ち方による観測射が行われる。

 射撃指揮所から測的完了の報告があったのは、敵一番艦の回頭終了からすぐのことであった。艦上にブザーが鳴り響く。爆風に人が巻き込まれないよう、主砲発射を艦上に報せるためのものだ。

 

(いよいよだぞ、〔長門〕)

 

 心の中でそう念じて、倉橋は腹の辺りに力を込めた。

 

「砲撃始め」

 

 厳かな砲術長の指示から一瞬、〔長門〕艦上には表現しがたい静寂が流れた。それはあるいは、生涯初の実戦に〔長門〕そのものが息を飲む瞬間であったのかもしれない。その雰囲気に飲まれ、乗組員の誰もが息を止めて、その時を待った。

 次の瞬間、全てを薙ぎ払う閃光と、叩きつけるような爆轟音が、〔長門〕艦上を支配した。振り立てられた各砲塔右砲から、巨大な火球が生じている。火球は一瞬後に黒煙の塊となり、艦の前進に合わせて後方へと流れていった。視界を覆って広がる黒煙の中から、重量一トンにもなる鋼鉄製の火矢が四発、同航する敵戦艦めがけて放たれる。装填されていた対艦戦闘用の九一式徹甲弾は、音速の二倍を超えて大気を引き裂き、物理法則に従った放物線を描いて飛翔していった。

 居合わせた誰もが、生涯で初めて体験する、実戦での砲撃である。主砲発射の反動で生じた横方向への動揺は、〔長門〕が砲撃の余韻に浸っているようでもあった。

 

 十秒ほど遅れて、〔陸奥〕も発砲する。こちらも同じく、交互撃ち方による観測射だ。同一目標への砲撃であるので、主砲の発射にわずかな間隔を開けている。

 

「敵二番艦、回頭完了!二戦隊〔扶桑〕、撃ち方始めました!」

 

 後続する二戦隊の様子を見張り員が報せる。こちらは〔扶桑〕、〔山城〕、〔伊勢〕、〔日向〕、四隻がかりでの砲撃だ。その砲声は、十秒ほどの間をおいて、〔長門〕の艦橋にも届いた。

 

「だんちゃーく!」

 

 艦隊全体に向いていた倉橋の意識は、砲術長の声で目の前へと引き戻される。ストップウォッチで第一射からの時間を計っていた砲術長が、弾着の時間を報せたのだ。倉橋は自前の双眼鏡を覗き込み、敵一番艦の様子を観察する。

 こちらと同航する敵一番艦の手前に、白濁の巨塔がそそり立った。沸騰した海水に硝煙が混じり、天を衝かんばかりに高々と持ち上がる。巨大極まる水柱の頂部は、敵戦艦の艦橋を優に超えていた。数は全部で四本。初弾命中をモットーに訓練を積んできたが、やはりそう上手くはいかないらしい。

 

 詳細な弾着の結果は、上空の観測機よりもたらされる。

 

「観測機より、『全弾近』」

 

 放たれた〔長門〕の第一射は、全て敵戦艦の手前に落ちていた。これを受け、射撃指揮所では諸元に修正が行われる。具体的には、砲身をわずかに上げ、より奥へと飛ばすのだ。

 

 冷却と再装填の行われている右砲に代わり、今度は左砲が鎌首をもたげる。その位置は先程の右砲よりもわずかに高い。

 第一射の結果をもとに、〔長門〕が第二射に備える間、〔陸奥〕の砲撃も敵艦へ到達している。こちらの結果は全弾遠であった。一戦隊の両艦が放った第一射は、いずれも空振りに終わったのだ。

 

(焦るなよ、砲術)

 

 艦橋に立つ砲術長と、頭上の射撃指揮所に思いを馳せる。砲術においては忍耐が肝要だ。地道に射撃諸元を修正し、確実に敵艦を捉えたところで畳みかける。功を急いてはならない。

 二度目のブザーが鳴り響き、〔長門〕は再度砲撃に踏み切った。左砲から眩い閃光がほとばしり、爆発した装薬の燃焼ガスが徹甲弾を押し出す。腹の底に響く衝撃を、反動で傾ぐ艦橋の床に足を踏ん張って堪えた。

 十秒ほど遅れて、後方の〔陸奥〕も第二射を放った。背後から轟くおどろおどろしい砲声が頼もしい。

 今は着実に射撃諸元を修正していく。その上で、七戦隊と一水戦を突入させる。そんな今後の展開を思い描いていた時であった。

 艦橋右舷の窓から、突き刺すような光が飛び込んできた。〔長門〕の砲撃によるものではない。その証拠に、艦上には砲声など響かず、機関が上げるごうごうという音と、舷側を流れるさざ波の音だけがはっきりと聞こえていた。

 放たれた光が意味するものは明白だった。

 

「敵戦艦発砲!」

 

 これまで沈黙を守っていた敵戦艦が、ここへきてついに、日本艦隊へ牙を剥いたのだ。

 

 倉橋は、壊滅した二十一航戦よりもたらされた敵戦艦の情報を紐解く。小笠原諸島を襲撃し、今まさに第一艦隊が相対している敵艦隊は、二隻の戦艦を擁していた。これらは同型艦と見られ、十一航艦の偵察機によると、主砲は一四インチないし一五インチ砲を連装と三連装の混載で八門とされている。単純な火力で言えば、〔長門〕に軍配が上がった。

 だが、艦娘のいない〔長門〕の四一サンチ砲では、敵艦に何の痛痒も与えられない。

 

(敵戦艦の標的は、本艦か?それとも〔陸奥〕か?)

 

 放たれた敵弾が高空を駆けている気配を感じつつ、倉橋は冷静に事態を見つめようと努める。深海棲艦に人類の考え方が通じるか否かは不明だが、セオリー通りであれば、一番艦が〔長門〕を、二番艦が〔陸奥〕を目標として砲撃するはずだ。あるいは、こちらが一、二戦隊それぞれで一隻ずつを相手取っていることに気づいているのならば、一番艦が一戦隊、二番艦が二戦隊を目標としてくる可能性もある。面倒になりそうなのは後者であった場合だと、倉橋は判断していた。

 

 敵弾が到達するよりも早く、〔長門〕の第二射が飛翔を終えた。先ほどと同じく、白濁した海水のオブジェが海面に林立する。倉橋の目には、水柱の数は先の砲撃同様、四本に見えた。

 

「観測機より、『全弾近』」

「……まだ手前か」

 

 砲術長が悔し気に拳を握る。上手くすれば、この二射目で修正を終え、斉射に移行したかったのが本音であろう。事実、訓練では第二射で諸元の修正が終わることも珍しくなかった。だが、これは実戦だ。また勝手が違ってくることは容易に想像できる。

 

 修正急げの叱咤と、敵弾が弾着するのはほぼ同時であった。艦の右舷側にて、轟音が連続する。位置エネルギーを消費しきった敵弾が、音速を超えて次々に海面へと突き刺さる音であった。弾着のタイミングからして、一番艦が放った砲弾に間違いない。一番艦の目標は、この〔長門〕であったというわけだ。

 

「……水柱の数が多いですな。初弾から斉射、でしょうか」

 

 敵弾弾着の様子を観察していた小野田が小声でそう言ってきた。倉橋も感じていたことだ。正確な数を数えられたわけではないが、明らかに交互撃ち方の弾着数ではない。

 倉橋は内心で訝しむ。敵戦艦は、硫黄島と小笠原諸島の海軍航空隊に対して艦砲射撃を行っていた。十一航艦によれば、両艦とも五百発は砲弾を撃ち込んでいる。残弾数は半分を切っているはずだ。無駄撃ちはあまりできないであろう。だというのに、敵戦艦は初弾から斉射を選んできた。残弾にはいまだ余裕がある、ということであろうか。

 

 倉橋が思考している間に、修正の終了した第三射が放たれた。再度、右砲から砲炎が迸る。次こそは当たれ、そんな風に〔長門〕が意気込んでいるようにも思われた。

 

「〔扶桑〕至近に敵弾弾着!」

 

 砲声が収まらないうちに、見張り員が叫んだ。こちらは敵二番艦の砲撃だ。どうやら敵戦艦は、一、二戦隊を一隻ずつで相手取る腹積もりでいるらしい。

 

(よりにもよって〔扶桑〕が標的か……!)

 

 内心歯噛みする。戦艦の中では唯一艦娘の搭乗する〔扶桑〕が狙われたのは、あまりにも運が悪いと言わざるを得ない。まさかとは思うが、敵二番艦はそれを知った上で〔扶桑〕を狙ったのだろうか。

 ここからできることはない。今はただ、各艦の奮闘を祈るのみだ。だが、打てる手は打つ。

 

「参謀長、予定を早める。七戦隊と一水戦を突入させよう」

「……よろしいのですか?せめて一隻は無力化してから、突入させる予定では」

 

 小野田の確認に、倉橋はかぶりを振った。

 

「〔扶桑〕が標的にされた以上、悠長に構えてはいられなくなった。最悪の場合、七戦隊と一水戦のみで、敵艦隊を押さえてもらわねばならん」

 

 一、二戦隊の支援があるうちに、敵艦隊へ肉薄させる。それが倉橋の考えであった。当初の作戦よりもリスクは高くなるが、手が付けられなくなってからでは遅い。

 

「……わかりました。七戦隊、一水戦に突入を打電します」

 

 小野田も了承し、倉橋の指示はすぐに電信室へ、さらにそこから七戦隊と一水戦へ伝えられた。一分とせず、七戦隊と一水戦から了承の返答が届けられる。一、二戦隊とは距離を開けて待機していた両部隊は、敵艦隊へ向けて突撃を開始した。

 

 その間に、〔長門〕はさらに四度目の観測射を放っていた。射撃諸元は大方修正が終了していた。先の第三射では全弾遠を得たので、砲術長は第二射と第三射の中間点に射撃諸元を合わせている。上手くすれば、この第四射で命中弾が出るか、あるいは夾叉する可能性が高い。

 第四射が飛翔している間、敵一番艦も第三射を放つ。第一射、第二射に続き、やはり斉射のままだ。こちらはまだ、夾叉も至近弾もない。

 

(今のうちに、先手を取っておきたいが……)

 

 そんなことを考えつつ、倉橋は砲術長の「だんちゃーく!」の声を聞いた。双眼鏡を覗き込み、敵戦艦の様子を確認する。数秒後、その姿は立ち上った水柱に隠された。高々と持ち上げられた海水が、太陽の光を受けてキラキラと輝く。

 

「観測機より、『近二、遠二』。夾叉です!」

 

 観測機から届いた報告に、艦橋の空気が湧いた。誰も声は上げない。ただ静かに拳を握る。それだけで、艦橋の温度が数度上がった気がした。

 

「次より斉射!」

 

 砲術長が揚々と告げる。待ちに待った瞬間だ。いよいよ〔長門〕は、備えた八門の四一サンチ砲全てを用いての、全力斉射へと移行する。今頃各砲塔では、下げられた主砲身に、弾薬庫から上げられた主砲弾と装薬が装填されているはずだ。

 

 斉射へ向けて〔長門〕が準備を進める間、〔陸奥〕と敵一番艦それぞれの射弾も弾着している。両者とも夾叉には至っておらず、〔長門〕はこの砲撃戦で一歩先んでた形になった。

 

(一先ず、先手は取れた、か)

 

 後はどこまで戦えるかだ。七戦隊と一水戦が肉薄するまでは、ここに踏ん張り、敵艦隊の注意を引き続けなければなるまい。それが果たしてどれほどの時間になるかは、皆目見当もつかなかった。

 艦上に今日五度目のブザーが鳴り響いた。眼下に見える第一、第二主砲は、先程までとは違い、右砲左砲ともに砲身が上がっている。煤を纏った砲口が、太陽の光を受けてギラリと輝いた。

 ブザーが鳴り止んだ次の瞬間、それまでに倍する火球が、〔長門〕右舷に生じた。耳朶を打つ爆音も、窓を震わせる衝撃も、それまでとは比べ物にならない。四万トン近い〔長門〕の艦体が、左舷側へ大きく傾いだほどだ。

 

 各砲が下げられ、砲身の冷却と次弾の装填が急ぎ行われる。〔長門〕の斉射間隔はおよそ四十秒だ。

 後続する〔陸奥〕も負けじと第五射を放つ。こちらはまだ、観測用の交互撃ち方だ。練度で言えば〔長門〕と並んで日本海軍最高峰を誇る戦艦である。〔長門〕が斉射に移行した今、近々〔陸奥〕も夾叉を得る可能性が高い。厳しい訓練を目の当たりにしてきたからこそ、倉橋は〔陸奥〕の砲術科員を信頼していた。

 

 敵一番艦も更なる射弾を放っている。こちらも変わらず、斉射による観測射だ。生じた火球が、一瞬敵艦の姿を覆い隠す。火球はやがて真っ黒な雲へと変わり、敵一番艦の前進に合わせて後方へと流れていった。

 

 黒煙の影から敵一番艦の姿が現れた時、〔長門〕の放った第一斉射が、その頭上から降り注いだ。重量一トンの四一サンチ砲が八発、音速の壁を突き破って、敵一番艦を包み込む。林立する水柱。巻き上げられた海水が、純白のカーテンとなって、敵一番艦を視界から消し去った。厚い壁の向こう側に、オレンジ色の火炎が見えたような気もする。

 

「観測機より、『命中弾一』!」

 

 射撃の結果は、上空の零観よりもたらされた。〔長門〕の放った斉射は、そのうち一発が敵一番艦を捉えていた。

 

「次弾装填急げ」

 

 効果のほどは窺い知れないが、とにもかくにも当たるのだ。今は一発でも多く撃つことに専念する。指揮所と各砲塔を叱咤する砲術長の言葉には、言外にそんな意図が込められている気がした。

 

 二度目の斉射へ準備を進める〔長門〕の頭上から、今度は敵一番艦の砲弾が降ってくる。機関の轟音に混じって聞こえてくる甲高い風切り音に、倉橋はそれまでと違う雰囲気をひしひしと感じていた。今度は近い。

 八発の敵弾によって海面の割れる轟音が、艦橋のすぐ横からした。被弾の衝撃は感じない。だが、足元から突き上げるような振動は、〔長門〕の至近に敵弾が落着したことを示していた。

 次の一射、ないしはその次で、敵弾が必ずこの〔長門〕を襲う。倉橋はそう確信した。

 

(七戦隊と一水戦は、どの辺りだ……?)

 

 双眼鏡を覗き、今しがた自らが突撃を命じた両戦隊を見遣る。第一艦隊の隊列から離脱した七戦隊と一水戦は、速力に物を言わせて、敵艦隊へ肉薄していた。しかし、いまだその距離は、一万五千メートルほどの開きがある。さらに言えば、敵の巡洋艦部隊も、迎撃のために出張って来ていた。

 

 準備を終えた〔長門〕は、第二斉射を放つ。先程同様、水圧機で受けきれなかった反動を艦体が受けて、床が左方向へと傾いた。耳朶を打つ砲声の向かう先を、倉橋は固唾を飲んで見守る。

 

「〔陸奥〕、斉射!」

 

 後方の〔陸奥〕と二戦隊を見ていた見張り員が、〔長門〕の僚艦が斉射に移ったと報せた。これで、第一戦隊第二分隊を構成する〔長門〕型戦艦は、姉妹揃って射撃諸元の修正を終了したことになる。大海に覇を唱える四一サンチ砲が、十六門揃って咆哮しているのだ。これほど頼もしいこともあるまい。

 一方で、二戦隊に関する情報は、同じ見張り員からもたらされていない。あちらは〔扶桑〕型二隻、〔伊勢〕型二隻での砲撃だ。性能で言えば〔長門〕型に及ばないとはいえ、よく訓練の行き届いた艦ばかりだ。それに、三六サンチ砲十二門を備えた戦艦ばかりであり、単純な手数では一戦隊に勝る。ここまで命中弾なしというのは考えづらい。

 とはいえ、〔長門〕にいる倉橋が二戦隊にしてやれることは何もない。今は、彼らの訓練の成果を、信じる他なかった。

 

「だんちゃーく!」

 

 そうこうするうちに、第二斉射の弾着を報せる砲術長の声が、〔長門〕の艦橋内に響いた。倉橋は再び、敵一番艦に目を凝らす。

 敵一番艦の周囲に、連続して水柱が立ち上った。今度は、そそり立つ白い海水の壁の向こうに、艦上で炸裂する四一サンチ砲弾の火炎が見えた。見た限りでは二本の火柱を確認できる。

 

「観測機より、『命中弾二』!」

「……よしっ」

 

 砲術長が強く拳を握った。〔長門〕はその射界に、敵一番艦を完全に捉えている。

 倉橋は口を引き結んだまま、上空を睨んでいた。手放しで喜ぶわけにはいかない。今飛翔中の敵弾は、次こそこの〔長門〕に当たるかもしれないのだ。

 やがて、巨大な物体が大気を引き裂く音が聞こえてくる。中天に輝く太陽の中に、小さな影が映った気がした。倉橋が目を眇めた瞬間、影は現実となって〔長門〕に降り注ぐ。

 襲ってきた衝撃は、今度こそ本物であった。〔長門〕を包み込むようにして、巨大な水柱が生じた。炸裂する敵弾によって揉みしだかれる〔長門〕の艦橋から、倉橋はその光景を見る。

 見つめる先の〔長門〕艦首に、それまでは無かった大穴が穿たれている。穴からは黒煙が立ち上った。重要防御区画外であり、比較的装甲の薄い艦首甲板に、敵弾が突き刺さった証拠であった。

 

(喰らったか……っ!)

 

 被害状況の確認と応急修理を命じる山本の声を聞きつつ、倉橋は内心で唸った。〔長門〕はついに、敵艦の射界に捉えられた。次からは確実に、一発ないし二発の命中弾が出る。

 

 四一サンチ砲搭載艦である〔長門〕には、当然ながら同程度の砲に耐えうる装甲が施されている。敵一番艦が装備しているとみられる一四インチ又は一五インチ級の砲に対して十分な耐性を持っていた。

 ただ、集中防御を採用している〔長門〕には、装甲の薄い箇所が艦首尾部にある。そこに砲弾が飛び込めば、たった今の艦首のように、容易に大穴が穿たれることになる。重要な装備類がないからこそ装甲が配置されていないわけであるが、それでも複数を被弾すれば多大な被害を被ることになる。

 

 悪い報告は続いた。

 

「敵二番艦、〔扶桑〕を夾叉しています!」

 

 後方の見張り員が、声をわななかせて報せた。敵二番艦もまた、相手取った〔扶桑〕に対して夾叉を得たのだ。二戦隊は、敵二番艦に先手を取られた格好となる。

 

(まずいぞ……)

 

 倉橋の背中を冷たいものが伝う。このままでは、本当に二隻の敵戦艦を、七戦隊と一水戦だけでどうにかしなくてはならなくなってしまう。

 一、二戦隊の窮状を知ってもなお、〔長門〕は新たな射弾を放つ。三度目の斉射だ。重力に逆らい、上空へと駆けあがっていく四一サンチ砲弾の行く先を見つめ、倉橋は静かに決心をした。どうやら、腹を括る他ないようだ。

 三十秒ほどで〔長門〕の砲弾は敵一番艦に到達する。連続して上がる水柱と火柱。今度も二発が命中弾として報告された。だが――

 

「観測機より、『敵一番艦への効果を認めず』!」

 

(やはり、か)

 

 すでに命中弾五発。四一サンチ砲弾をそれだけ受ければ、艦体のどこかに何らかの異常が起きてもおかしくはない。しかし、敵戦艦には全くと言っていいほど堪えた様子が見受けられなかった。破壊された艦上構造物が飛び散ることも、火災が甲板をのたうち回ることもない。砲撃を受ける前と何ら変わらない姿で、平然と航行を続けている。

 無言のまま、山本が倉橋を振り返った。このままでよろしいですか、双眸が問いかける。いい加減、この場の誰もが気づいていた。いかに〔長門〕の四一サンチ砲が強力と言えど、艦娘を乗せていなければ、深海棲艦には手も足も出ない。

 だがそれで、諦める訳にはいかないのだ。それこそ、倉橋たちが海軍軍人たるゆえんである。

 

「戦闘を続行。撃って撃って撃ちまくれ。どれほど傷つこうと、この〔長門〕は退かん」

 

 倉橋の声に艦橋の空気が静まっていく。戦闘中にもかかわらず、〔長門〕艦橋から一切の音が消え失せた。誰もが倉橋の言葉に耳を傾けている。

 

「帝国臣民一億の命が、我々の背後にはあるのだ。たとえ体当たりしてでも、深海棲艦はここで食い止める」

 

 倉橋はそこで言葉を切る。伝えるべきことは伝えた。誰しも、大切なものを抱えて、今この戦場にいるのだ。横須賀出港時に誓ったことを今一度思い出せ。倉橋が込めた言外の意味は、彼らに伝わったはずだ。

 艦橋内に静かな――しかしそれまでにも増して強い熱が生まれつつあることを、倉橋は肌で感じていた。

 

「砲術、まだやれるな」

 

 山本の問いかけに、砲術長は笑顔すら浮かべていた。

 

「当然であります。五発でダメなら、十発二十発、叩き込んでやるまでです」

 

 誰もが自らの職務に戻っていく。倉橋が話している間に、すでに四度目の斉射は放たれていた。下げられ、冷却に入った砲身から、〔長門〕の決意を示すように、陽炎が立ち上っている。

 

「……みな、頼むぞ」

 

 小さく呟いた倉橋に、答える者はない。

 代わりに、ふっと息が漏れる音がした。

 それは実に短い音であった。普段であれば、倉橋も聞き逃していたに違いない。しかし、戦闘中の艦橋に置いて、あまりにも場違い極まりない音は、鮮明に倉橋の耳に届いていた。

 息の音は、まるで笑っているかのようだったからだ。

 

(なんだ?)

 

 振り払おうとしても頭にこびりつく息の正体を確かめるべく、倉橋が後ろを振り向こうとした時だ。

 

 

 

「その意気やよし!」

 

 

 

 艦橋を――否、〔長門〕そのものを震わせるような声が響いた。体の内から奮い立たされるような声。それは砲声にも似た、畏怖と敬意を抱かされる声音であった。

 固いものが床を叩く音がする。リズミカルな音の連なりは、丁度巡検中の士官が鳴らす踵の音に聞こえた。おかげで、何者かがすぐ後ろより歩いてくることを、容易に想像することができた。

 

 倉橋の隣に立った人影の姿を、彼はチラリと見る。確証はなく、曖昧な感覚ではあるが、彼は人影が――彼女が何者であるかを、直感的に理解した。

 きりりと引き締まった目元。よく通った鼻筋。端正な顔立ち。背は高く、倉橋と同じくらいはある。腰まで伸びた黒髪は艶やかで、たゆたう海を思わせた。女性的で緩やかなラインを描く肢体は、美しい曲線で構成される。しかし体自体はよく鍛えられており、強さと美しさを兼ね備えた姿はさながら〔長門〕のようであった。

 隣に立った女性は、よく通る声で名乗る。

 

「我が名は長門。戦艦〔長門〕の化身なり」

 

 瞬間、〔長門〕が強く脈打ったように感じた。足元から響く衝撃。それはあるいは、心臓の鼓動のようにも思えた。〔長門〕という艦そのものに生命が宿り、内から力を宿していく感覚を、その場にいる誰もが感じている。艦娘という魂を手にした〔長門〕が、今正に目覚めたのだと、容易く理解できた。

 

「……遅くなった非礼を、許していただきたい」

 

 倉橋を見た長門が、小声で目礼する。それを咎める気はなかった。艦娘の出現は、もとより彼女の意志とは関わりのないことでもある。

 

「君の力、今ここで示してくれたまえ」

 

 同じく静かに述べた倉橋の言葉に、長門は小さく頷いて、口の端を吊り上げながら答えた。

 

「ああ。私の力、存分に振るってやるとも」

 

 次の瞬間、敵一番艦の斉射が〔長門〕に降り注いだ。三度目となる命中弾の衝撃が、艦橋を右に左にと揺さぶる。が、中央に立つ長門は、腕を組んだまま微動だにしていなかった。それどころか、口元に笑みを湛えたまま、高らかに宣言する。

 

「その程度で、この〔長門〕は傷つかぬ」

 

 事実、計四発の命中弾のうち、被害らしい被害が出たのは、最初に艦首へ飛び込んだ一発だけだ。それ以外は全て、対四一サンチ砲の装甲に弾かれている。

 

 報復となる砲火は、すでにその準備を終えていた。前甲板二基四門、後甲板二基四門の四一サンチ砲が、ぎらつく砲口を天へと掲げる。それはさながら、遥かな高空を睨み、今まさに覇者たる咆哮を響かせんとする、獅子の如くであった。

 信じがたいことに、主砲発射を告げるブザーが鳴り止んだ時、艦上には静寂が訪れた。ありとあらゆる音から隔絶された世界。誰もが固唾を飲む雰囲気。そして――この〔長門〕そのものが、待ち望んだ瞬間に打ち震えている。

 静寂が、破られる時が来た。

 

「てーっ!」

 

 砲術長の号令に、〔長門〕が応える。右舷を指向した主砲口から、紅蓮の炎が沸き起こった。合計重量八トンにもなる巨弾たちを吐き出したその衝撃は、直に〔長門〕の艦橋を揺さぶる。七本の支柱で支えられた、堅牢極まる鋼鉄の櫓が、振り子のように右左と揺れ動いた。傾ぐ艦橋に両の足で踏ん張り、倉橋は巨弾の行方を追う。

 

「七戦隊、敵巡洋艦と交戦始めました!一水戦はなおも突撃を続行中!」

「〔扶桑〕、斉射へ移行しました!」

 

 味方艦隊に関する二つの報告が、同時に上げられた。いよいよ反撃だ。〔長門〕に後れを取るな。そう言っているかのようであった。

 やれる。第一艦隊は戦える。倉橋は確信した。双眼鏡を掴む手に、自然と力がこもった。見つめる先はもちろん、二万メートル先で相対する敵戦艦である。

 

 弾着の時間だ。

 

「だんちゃーく!」

 

 砲術長の声に合わせるようにして、敵一番艦に四一サンチ砲弾が降り注いだ。元より、射撃諸元は完成している。命中弾も出ているのだ。これまでは、艦娘が搭乗していないがために、その砲弾が敵艦を傷つけることはなかった。だが今は違う。今この艦には、艦娘である長門が乗っている。この砲弾は、必ずや敵一番艦を打ち破ってくれるはずだ。

 敵一番艦の姿を隠していた水柱が晴れる。双眼鏡を砕かんばかりに握りしめて、倉橋は敵一番艦を凝視した。その艦上には、先程まで見受けられなかった、炎の揺らめきが見えた気がした。

 

「観測機より、『命中弾一。敵艦への効果を認む』!」

「よしっ」

 

 観測機から届いた報告に、艦橋の空気が一気に沸いた。砲術長は強く拳を握り、口の端に笑みを浮かべている。

 

「砲術、その調子だ!」

 

 山本が砲術長を、そして射撃指揮所の砲術科員を激励する。いよいよここからだ。

 

「長門型の四一サンチ砲、侮るなよ」

 

 隣に立つ長門も、どうだというように得意げな表情だ。

 

 入れ替わりで到達した敵弾が降り注ぐ中、〔長門〕艦上には次なる斉射を告げるブザーが響いた。新たに生じた一発の命中弾をものともせず、〔長門〕は巨大な砲炎を躍らせる。累計六度目、長門が現れてから二度目の斉射だ。

 

 十秒ほど遅れて、敵一番艦も更なる斉射を放つ。敵艦隊も、先程の〔長門〕の一撃が、それまでと違うことには気づいたはずだ。それでもなお、撃ち合いを続けているのは、自信の表れなのか、あるいは撤退という概念がないのか。何にせよ、敵戦艦二隻はいまだ一、二戦隊と砲撃戦を続けている。

 

 各砲塔でさらなる斉射の準備が進められる中、〔長門〕の第六斉射が、十秒後には敵一番艦の斉射が、お互いの周囲に弾着する。〔長門〕は命中弾二発、敵一番艦は一発をそれぞれ得ていた。有効な被弾数は、〔長門〕が六発、敵一番艦が三発。お互いに堪えている素振りはない。

 

「二戦隊の様子はどうか」

 

 七度目の斉射を〔長門〕が放つ中、倉橋は後続する二戦隊の様子を尋ねる。斉射に移ったとはいえ、〔扶桑〕は敵戦艦に先手を取られている。加えて、その装甲は〔長門〕ほど頑強ではない。耐久力の面ではいまだ不安が残る。

 

「〔扶桑〕、砲撃を続けています。〔日向〕も斉射へ移行」

 

 どうやら、倉橋の心配は、杞憂であったようだ。

 代わりに、別の報告が上げられる。

 

「一水戦、敵巡洋艦部隊を突破!現在敵駆逐艦と交戦中!敵戦艦へ肉薄しつつあり」

「一水戦が……!」

 

 水雷屋出身の小野田が、喜色を滲ませて声を漏らす。先行させていた一水戦は、七戦隊の援護の元、敵巡洋艦の防御網を突破したのだ。もう少し距離を詰めれば、魚雷戦を仕掛けるのに十分な位置まで迫ることができる。

 

(もうしばしの辛抱だ。頼むぞ、〔長門〕……!)

 

 戦場の空気が、第一艦隊有利へと傾きつつあることに、倉橋も気づいている。押し切れる、半ばそう確信している。だがだからこそ、功を急いてはならない。ここで撃ち漏らしては、元も子もないからだ。

まずは確実に一隻仕留める。それが、今倉橋が〔長門〕に求める戦果だ。

 

 七度目の斉射が弾着の時間を迎えた。水柱に混じって、巨大な火柱が生じる。爆風と破片が敵艦上を薙ぎ、爆炎が業火となって敵艦を焼く。火災が広がりつつあるのだろう。うっすらと漂い始めた黒煙を見て取ることができた。

 衝撃は〔長門〕にも襲い来る。艦橋後方から聞こえて来た圧壊音が、被弾箇所の近さを物語る。

 

「副砲二門大破!」

「航空甲板火災発生!」

 

 被弾の詳細が速報でもたらされる。致命的な損害はない。建造から二十年近いとはいえ、四一サンチ砲搭載艦である。格下の一四インチ砲クラスに、そう易々と装甲は貫けなかった。

 

 副長が消火作業の指示を出す中、〔長門〕は八度目の斉射の準備を終えた。主砲発射を告げるブザーから一拍、〔長門〕が咆哮する。八つの火炎が一つの巨大な火球となり、砲口から広がった衝撃波がさざ波を打ち消して海面にクレーターを作った。

 倉橋以下、艦橋に詰める全員が、左舷へ傾く床に足を踏ん張る。その両目だけは、敵一番艦を捉えて離さない。

 三十秒ほどの飛翔時間は、長いようで短い。高空で交錯した彼我の砲弾が、お互いの目標へと落下していく。先に到達するのは、やはり〔長門〕の砲弾だ。

 水柱が敵戦艦を包み込む。すわ、轟沈したような錯覚を受けるが、それは間違いだ。数秒後に水柱が晴れると、敵艦は再び、健在な姿を現す。

 否、今回は健在とは言えない。水柱が晴れても、敵一番艦後部の状態は、一向に見て取れない。それまでにも増して噴き出る黒煙が、艦橋から後ろの様子を丸ごと覆い隠していた。

 観測機から報された命中弾は二発。火災の火元から見て、副砲や高角砲が密集している艦中央付近に命中したのだろう。

 

 喜ぶ間もなく、今度は敵一番艦の射弾が〔長門〕を叩く。衝撃は艦橋基部から一発。さらに、眼前の二番砲塔で火花が散った。主砲塔の正面防楯が、飛んできた敵弾を弾いたのだ。

 二番砲塔内の砲術科員にも、被害はなかった。射撃に支障はなく、数秒後には〔長門〕の第九斉射が放たれた。再度飛翔していく、重量一トンの砲弾が八発。

 

 数秒遅れで、敵一番艦も斉射を放つ。爆風で一瞬だけ煙が晴れ、後部甲板の様子が露わになった。据えられた三連装砲塔は健在だ。あちらも変わらず、八門の一四インチ砲で応戦していることになる。

 

「ほう、なかなか骨のある敵と見える」

 

 ふと、隣に立つ長門の呟きが聞こえた。腕組みをして敵艦を見つめるその双眸は、笑っているように見受けられる。四一サンチ砲弾六発を受けてなお戦い続ける敵艦を、褒め称えているようでさえあった。

 

(武士、だな)

 

 優れた敵には敬意を払う、日本古来よりの精神を思い出す。長門から漂う雰囲気は、幼き日に祖父へ感じた、武人の雰囲気そのものであった。

 武人の刀が振り下ろされる。九度目の斉射が黒煙を破って敵一番艦に突き刺さり、沸き立った海水が巨壁となって敵艦の姿を隠す。

 数秒後に水柱が晴れる。現れた敵一番艦は、明らかに深手を負っている様子であった。濛々と立ち上る黒煙は、入道雲のように成長していく。甲板をのたうつ大火は勢いを増すばかりだ。炎と煙に巻かれて、敵一番艦の姿が変わってしまったようにも見える。

 

 数秒遅れで到達した敵弾は、さらに一発が〔長門〕を抉る。後部の非装甲区画に命中して大穴を穿ち、火柱を噴いた。長門が低い唸り声を漏らす。だが、依然として艦の航行や戦闘に支障はない。

 その事実を示すように、十度目の斉射が火炎を上げた。〔長門〕右舷を橙色に染め上げる火球は、数瞬後には真っ黒な雲となる。艦の前進に伴って煙が後方へ流れ、陽炎を漂わせる砲口を露わにした。

 

 一方、敵一番艦が、それ以上撃ち返してくることはなかった。

 

「敵艦隊、転針しつつあり!離脱する模様!」

 

 上空観測機からの報告を、電信員が喜色を滲ませて読み上げる。形勢不利と見て、敵艦隊は遁走し始めたのだ。針路は一三五と報告されている。

 無理もない。〔長門〕が撃ち合っていた敵一番艦は、もはや戦闘ができるような状態ではない。敵二番艦も、〔扶桑〕に対して有利に戦闘を進めていたが、決定打は与えていない。たとえ〔扶桑〕に撃ち勝ったとて、その後に形勢を逆転できるとは思えなかった。巡洋艦以下の敵艦は、七戦隊と一水戦がよく戦っている。

 海戦の精査を行えば、誰もが第一艦隊の勝利を認めるだろう。であれば、損害が拡大する前に撤退するというのは、至極もっともな判断に思えた。

 

「追撃する。可能な限り叩くぞ」

 

 倉橋の腹は決まっていた。深海棲艦の総戦力が不明な以上、できる限りここで沈めておきたい。

 逃走を図る敵艦隊に合わせ、〔長門〕以下戦艦部隊も舵を切る。相対位置の変更に伴い、射撃計算がやり直されているため、主砲の射撃は一旦止められていた。

のそりと艦首を振った〔長門〕が射撃を再開したのは、二分ほどが経過してからだ。砲術長は初弾から斉射を指示している。

 

「敵艦の速度はわかるか」

「二十八ノットです」

 

 倉橋の質問に、航海長がすぐ答えた。

 

「……存外にすばしっこい奴ですな」

 

 顔をしかめて小野田が呟いた。

 第一艦隊の戦艦群は、総じて足が遅い。同世代艦の中では平均的な性能だが、新鋭艦に比べれば、明らかにその速力は足りていない。一戦隊の〔長門〕型は揃って二十六ノット、二戦隊は二十三ノットが精々だ。二十八ノットを発揮する敵艦を追いかけるには、いささか心許ない。

 

(四一サンチ砲弾多数を被弾してもなお、機関に被害を及ぼさない敵艦の防御力を、褒め称えるべきか)

 

 転針後二度目の斉射を見届けつつ、倉橋はそんなことを考える。敵一番艦は、〔長門〕の砲撃を受けてなお、二十八ノットが発揮可能な余力を残しているのだ。艦上構造物には相当の被害を与えたはずだが、四一サンチ砲弾の破壊力は敵艦内部まで届いていない。実に頑強な艦だ。

 累計十一度目の斉射が飛翔を終える。八本の水柱が敵一番艦右舷にまとまって上がるが、命中弾はない。これまでの射撃諸元の蓄積がある分、転針後二度目の斉射にしてはかなり正確だが、敵艦を捉えるまでには至っていなかった。

 

「……敵艦、距離開きます。まもなく、三、四番主砲の射界を外れます」

 

 砲術長が苦々し気に報告する。

 転針したことで、〔長門〕はほぼ正面に向けて射撃を行っている。このまま敵艦との距離が離れると、後部の三、四番主砲の射線が艦上構造物に遮られ、射撃不能になる。前部の一、二番主砲四門だけでは、まず当たらない。

 

 砲術長の心配をよそに、〔長門〕は更なる斉射を放った。一方で、逃走中の敵戦艦は、一発も撃ち返してこない。全速力で第一艦隊と距離を取ろうとしている。随伴の巡洋艦や駆逐艦など、お構いなしといった様子だ。

 

(あちらも必死、か)

 

 深海棲艦は、黄泉の国よりやって来た、と伝え聞いている。得体のしれない怪異を想像していただけに、どことなく人間味のある行動には、妙な安心感すら覚えた。

 

「敵艦、三、四番主砲の射界から外れました」

 

 三度目の斉射が落下する頃、砲術長が悔しげな声を漏らした。〔長門〕は以降、四門での射撃となる。

 

「……そう上手くは、いかないものだな」

 

 倉橋の内心を代弁する声は、隣の長門が発したものだ。腕組みをした彼女もまた、眉間に皺を寄せ、表情を曇らせている。

 

(あとは――)

 

 四度目の砲炎を上げる前部主砲の先にある海面を見つめる。針路を変えたことで、見えるようになったものがあった。

 敵巡洋艦と撃ち合う四隻の巡洋艦。そして、その奥には――

 

「一水戦、敵戦艦へ肉薄します!距離一〇〇(一万メートル)!」

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