【C97サンプル】艦これ~蒼海戦線~ Ⅰ、曙光   作:瑞穂国

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戦闘は今回までとなります


艦娘戦線(3)

 

 

 

 吹き荒ぶ小口径砲弾のスコールの中を、〔吹雪〕含めた一水戦は突き進んでいた。

 眼前に迫るのは、敵駆逐艦の群れ。そしてその奥に、傷ついた二隻の戦艦。雪村は、その両方を交互に睨みつけていた。

 一水戦の目標は、最初から二隻の敵戦艦だ。元の作戦では、戦艦部隊が一隻を叩き、然る後に七戦隊の支援の下、一水戦が突入してもう一隻を撃沈する手筈であった。

 が、現状は見ての通りである。

 

「目標、右舷三十度の敵駆逐艦!砲戦始め!」

 

 雪村の隣で、吹雪が声を張り上げている。小さな体のどこから、それほどの迫力が出されているのか、いまだ雪村にはわからない。陸の上と、海の上、吹雪の印象はあまりにも違いすぎる。

 

 艦娘は、艦艇の中で何らかの役職を付与されることがほとんどである。大抵は航海長か砲術長の補佐、あるいは応急修理の指揮を執る。

 吹雪は少々特殊だ。呉所属時に短期とはいえ海大を経験した彼女は、各科の長になる資格を得て、〔吹雪〕砲術長の役職を担っている。一方、砲術長補佐の役職は、どういう訳か巡り巡って雪村のところへやって来た。

 

 吹雪の指示通りに、主砲が旋回し、咆哮する。前甲板に一基、後甲板に二基が据えられた一二・七サンチ連装砲は、小太鼓を打ち鳴らすような砲声を発する。戦艦のそれには劣るかもしれないが、至近で耳にすると随分頼もしく感じられるものだ。

 距離五千メートルもない敵駆逐艦に対して、〔吹雪〕の主砲は砲身をほぼ水平にして射撃を行っている。弾着までは十秒もない。さらに、小口径砲ゆえの発射速度も手伝って、まるで機関銃のように次々と水柱が乱立していた。

 

 当然、敵駆逐艦も撃ち返してくる。こちらとほぼ同じ口径と思われる主砲を振り立て、一水戦の突撃を阻もうと砲弾を撃ち出す。スコールや雷雨を思わせる勢いで小口径砲弾が降り注ぎ、一水戦の周囲を沸き立たせた。正しく弾雨の中を、〔神通〕を先頭とした十三隻の単縦陣が駆け抜ける。

 

 四度目の斉射で〔吹雪〕は敵艦を捉えた。射撃諸元の修正が終わったと判断し、吹雪は可能な限りの連続斉射を指示する。各砲塔では、力自慢の砲術科員たちが、揚弾された二十三・五キロの砲弾をリレーして装填していた。

 一二・七サンチとはいえ、装甲に乏しい駆逐艦には十分な脅威だ。およそ六秒おきに発射する砲弾が、次第に敵艦の艤装を抉っていく。十三度目の斉射で、ついに敵艦は炎上し擱座した。

 

「〔神通〕より、『一水戦一斉回頭、針路一四五』」

 

 丁度その時、旗艦〔神通〕から回頭の指示が飛んだ。吹雪が撃ち方待てを指示し、復唱した雪村は伝声管に取り付いて射撃指揮所へ指示を伝える。

 

「取舵一杯、針路一四五」

 

 二千トンしかない〔吹雪〕の艦体は、素直に指示を聞き届ける。甲板を右舷へと大きく傾げながら、鋭い艦首が左へ左へと海面を切り裂いた。正面に見えていた十四駆〔陽炎〕の姿が右舷へと流れる。

 一斉回頭は十秒ほどで終わった。

 

「目標、右舷正横の敵艦!準備でき次第、砲撃を再開!」

 

 砲撃再開を告げる吹雪の号令が響いた。回頭に合わせて旋回していた主砲は、すぐさま射撃の準備を整え、指揮所の命令で発砲する。海面すれすれを這うように飛んでいく砲弾。弾着までは十秒もかからない。

 

 敵駆逐艦と撃ち合っているのは、何も〔吹雪〕だけではない。一水戦の針路を阻むものを排除しようと、旗艦〔神通〕も、そして他の駆逐艦たちも、備えた主砲全てを振り立てていた。

 加えて――

 

「敵駆逐艦周囲に弾着!七戦隊です!」

 

 たった今、〔吹雪〕が射撃目標に定めた敵駆逐艦の周囲に、別の水柱が乱立する。一二・七サンチ砲弾のものよりも一回りほど大きい。

 敵艦とは反対側、左舷側の窓に目を向ければ、海軍旗を掲げる巡洋艦の姿が見えた。敵巡洋艦と撃ち合っていた七戦隊のうち、すでに敵艦を撃沈破した二隻が、今度は敵駆逐艦に向けて主砲を振り立てている。前甲板に集中した特徴的な主砲配置から、〔利根〕型軽巡の〔利根〕、〔鈴鹿〕と判断できた。

 

(ありがたい……!)

 

 駆逐艦と旧式軽巡の主砲では限界がある。その点〔利根〕型は、近年流行りの「重巡のような軽巡」だ。砲火力も、一五・五サンチ三連装砲四基十二門と、圧倒的である。敵駆逐艦を牽制する面の制圧力として、これほど適任の艦もない。

 

「〔神通〕より、『我に続け』」

 

 一水戦司令部は、この機に乗じて一気に敵戦艦へ距離を詰める腹積もりらしい。

 

「砲術長、砲撃止め」

 

 艦長の晴野みき少佐が下令する。吹雪が頷いて、雪村へと復唱した。伝声管に雪村は命令を吹き込む。

 

「砲撃止め!別命あるまで待機!」

 

 小太鼓を打ち鳴らすような砲声が止んだ。一水戦は〔神通〕を先頭にして、脇目も振らず敵戦艦を目指す。

 

「見張り、敵戦艦までの距離は?」

「八〇(八千メートル)です!」

 

(これだけ粘って二千メートルか……!)

 

 想像以上に遠い敵戦艦への距離にめまいがしそうになる。敵巡洋艦の防御網を突破して早十分以上。敵駆逐艦に応戦しつつ、逃走を図る敵戦艦へ肉薄するには、多くの時間が必要であった。

 

 先程加わった〔利根〕〔鈴鹿〕の援護によって、敵駆逐艦を無視できるようになったとはいえ、魚雷戦を仕掛ける距離まではまだ三千メートル以上。二十八ノットを発揮して逃走する敵戦艦を追いかけるのは、骨が折れる。

 

 一方、〔利根〕と〔鈴鹿〕は激しい弾雨を敵駆逐艦たちへ浴びせかけている。十二門の一五・五サンチ砲は巨砲とは言えないが、一撃で駆逐艦を砕くだけの破壊力を備えていた。

 橙色の砲炎をおよそ十秒おきに吐き出す、二隻の軽巡。その姿をちらりとだけ見遣ってから、雪村は再度〔吹雪〕の艦首方向へ目を向けた。十四駆と〔神通〕の向こうには、黒煙を噴き上げる敵戦艦の姿。

 

 その敵戦艦の艦上に、小さな炎が踊った。火災によるそれではない。明らかな砲炎だ。

 数秒後、一水戦を取り囲むように水柱が上がった。小さな水塊の群れは、先程掻い潜って来たスコールに酷似している。すなわち、敵戦艦の副砲が、一水戦を近づけまいと砲撃を始めたのだ。

 およそ六秒おきに立ち上る水柱。その合間を、一水戦は韋駄天となって駆け抜ける。

 

「……さすがは神通さんです。避ける気が全くない」

 

 額に一筋汗を伝わせて、吹雪が呟いた。

 一水戦旗艦〔神通〕の戦術は一貫している。水雷戦隊は一本の槍となり、真一文字に敵戦艦へと肉薄する。単純明快、損傷を恐れず、最短距離を突っ切るその戦術は、「逆さ落とし」の異名を取っていた。

 今回も〔神通〕は、この逆さ落としを実施している。

 

「距離七〇(七千メートル)!」

 

 小口径砲弾の弾雨を駆け抜けるうち、一水戦はさらに一千メートルの距離を詰めていた。いまだ被弾した艦はない。〔長門〕や〔扶桑〕と撃ち合ったことで、敵戦艦の射撃能力は多少なりと損害を受けている様子だ。

 このまま無傷で肉薄できるかもしれない。雪村がそんな淡い希望を抱き始めた頃だ。

 

「〔雪風〕に至近弾!」

 

 後続する十六駆の司令駆逐艦に敵弾が迫っていると、見張り員が叫んだ。

 さらに十秒後、悪い報告が届けられる。

 

「〔雪風〕被弾!」

「〔陽炎〕にも至近弾です!」

 

 新鋭駆逐艦が二隻、立て続けに危機に陥る。「ブリキ缶」と揶揄されるほど薄い駆逐艦の装甲は、最新鋭の〔陽炎〕型になろうと変わらない。装甲を犠牲にして、速度と魚雷に性能を振り分けたのが駆逐艦だ。

 六秒おきに、両艦の艦体が抉られていく。後方の〔雪風〕を直接見ることはできないが、〔陽炎〕は〔吹雪〕の目と鼻の先だ。一発の被弾ごとに炎が上がり、艤装品の破片が舞い飛ぶ。リノリウムを炎がのたうち、後甲板二基の主砲塔を炙っていた。

 

 ギリッと嫌な音がする。強く噛み締めた自分の奥歯が鳴っていた。同じように、隣の吹雪も、歯を鳴らしながら〔陽炎〕を見つめていた。

 

「〔雪風〕、速度低下!落伍していきます!」

 

 後方で〔雪風〕が限界を迎えた。その報せが飛び込んできた、次の瞬間であった。

 

 黒煙に包まれていた〔陽炎〕が、めくるめく炎の塊へと変貌した。黒煙の内側より爆ぜたのだ。火柱というにはあまりにも大きすぎる。爆発の衝撃が、数秒後に〔吹雪〕艦橋を揺らしたほどだ。と同時に、おどろおどろしい轟音が雪村の耳朶を打つ。

 雪村は息を飲む。否、雪村だけではない。隣に立つ吹雪も、艦橋にいる誰も彼も、物音一つ立てずに〔陽炎〕を見つめている。

 何が起こったかは明白であった。降り注いでいた敵弾の一発が、運悪く〔陽炎〕艦上の魚雷に直撃し、誘爆させたのだ。

 炎が晴れても、〔陽炎〕の艦体は姿を現さない。天へと昇る黒雲の塊。熱せられた海水が蒸気となり、辺りに立ち込める。その只中に、かつて艦であったであろう鉄の塊が浮かぶばかりだ。

 

(陽炎……!)

 

 明朗快活な少女の姿を思い出さずにはいられない。同じ一水戦所属として、〔吹雪〕乗組員とも交流が多く、顔見知りの同期も数知れない。あの有様では、二百人の乗員全て、逃げる暇さえなかったであろう。

 

「取舵一杯!〔陽炎〕の左舷を抜けろ!」

「取舵一杯!」

 

 晴野の指示に、慌ただしく航海長が答える。そのやり取りで、ようやく艦橋に人の動きが戻った。呆然自失としている時間はない。今は前だけを見ろ。晴野はそう言っているかのようだった。

 針路をわずかにずらした〔吹雪〕は、〔陽炎〕の左舷側を抜ける。丁度、〔陽炎〕の上げる黒煙が、敵戦艦から〔吹雪〕を隠す煙幕の役割を果たしていた。

すぐ近くに浮かぶ〔陽炎〕からは、むっとした熱気が伝わって来た。赤く染まった鋼鉄に海水が触れ、ジュウジュウと音を上げている。周辺の海面に浮かぶのは残骸ばかりで、人の姿はない。

 目礼だけで〔陽炎〕の横を抜け、〔吹雪〕は再び一水戦の隊列に戻る。

 

「〔神通〕より、『右魚雷戦用意。投雷距離は五五(五千五百メートル)』」

 

 六千メートルよりわずかに距離を詰めたところで魚雷を放つと、一水戦司令部は決断したのだ。本音は五千メートルまで距離を詰めたいところだろうが、二隻の駆逐艦が落後した今、そこまではもたないと判断したのか。

 だが今は、その距離すらも遠く感じられる。

 

「大丈夫。大丈夫……ですよ」

 

 ふと、隣の吹雪が呟くのが聞こえた。出撃前と同じく、自分自身へと言い聞かせるような声だ。ともすれば悲鳴を上げそうになる内心を、必死に押さえつけるような声だ。

 敵戦艦の副砲弾が再度降り注ぐ。〔陽炎〕を仕留めた柱口径砲弾の雨は、今度は〔吹雪〕へと迫りつつあった。先程まで水柱が生じていた海面を、鋭い艦首が切り裂いていく。

 

「距離六〇(六千メートル)!」

 

 見張り員が叫ぶ。投雷距離まではあとわずかに五百メートルだ。艦橋の誰もが拳を握り、自らの職務を果たしながらも祈り続ける。これ以上の被弾はしてくれるな、と。

 

 艦首のすぐ先で水柱が生じ、〔吹雪〕は一瞬突き上げられた形になる。しかし、〔吹雪〕そのものの重量と、波を切るのに特化した艦首形状が、すぐに水柱を踏み砕いた。崩れた水塊が特大の雨粒となって、バタバタとリノリウムの甲板を打つ。生じた波が錨鎖管を逆流して、艦首甲板へと広がっていった。

 

「水雷長」

 

 晴野の呼びかけに、水雷長が答える。

 

「一番から三番連管まで、魚雷戦用意よし。いつでも行けます」

「そうか。もうしばしの辛抱だぞ」

「はっ」

 

 六千メートル先の敵戦艦を、改めて見つめる。目と鼻の先というには遠い気もするが、海の上ではすぐ手の届く距離に違いはない。事実、敵の副砲は一水戦を包み込んでいるし、撃とうと思えば〔吹雪〕の主砲も敵戦艦を捉えられる。軍艦同士の戦闘を剣士の決闘に例えるなら、ここはすでにお互いの懐奥深く、短刀を喉元へ突きつけることのできる距離だ。

 一水戦は今、魚雷という名の短刀を、敵戦艦の喉元へ突き立てようとしている。

 

 襲い掛かる短刀を振り払わんと、敵戦艦の副砲弾が振り下ろされる。すぐ近くに弾着したことは、足元からの振動と、艦橋右舷へ叩きつけられた海水でわかった。床に足をしかと踏ん張り、雪村は右舷を見遣る。艦橋のすぐ横には、敵弾のそれとわかる、硝煙を含んだ水柱が現出していた。

 冷や汗ものだ。後十メートル、いや五メートルずれていたら、この艦橋に直撃していた。雪村含め、艦の首脳部が根こそぎ二階級特進になっていたかもしれない。

 同時に、次こそは当たるという、一種の予感があった。

 

 雪村の予感は現実のものとなる。次にやって来た敵弾の群れ、そのうちの一発が、〔吹雪〕の甲板に飛び込んできた。

 二千トンしかない艦体を激しい揺れが襲う。両足だけでは足らず、艦橋のへ(・)り(・)にまで掴まって、雪村はなんとか揺れをやり過ごす。だが――

 

「きゃ……っ」

 

 そうもいかなかった人間が一人。雪村は慌てて手を伸ばし、吹雪の体を片手で受け止めた。痛みを堪えるように眉間に皺を作る吹雪は、目線だけで礼を寄越す。

 

「被害個所は!?」

 

 晴野の声に、数秒して返答がある。被弾箇所は前部煙突の脇。短艇(カッター)が一艇犠牲になったとのことだ。

 

(これ以上、被弾してくれるな……!)

 

 投雷距離はすぐそこだ。どうかそこまでは。この魚雷を放つまでは、決して沈むわけにはいかない。

 

 届け。届け。届け。

 

「……届け」

 

 雪村の心を代弁するような声がする。

 吹雪だ。どこかが痛むのか、顔をしかめたまま、彼女は歯を食いしばって前を睨む。その瞳に、一瞬太陽の色が映った気がした。

 再び敵弾が降り注ぐ。連続する弾着の衝撃に揉みしだかれ、大海の枯葉の如く揺さぶられる〔吹雪〕。だが奇跡的に、被弾はゼロだった。先の〔陽炎〕のように、多数の中口径砲弾が〔吹雪〕の艦体を切り刻むことはない。

 

 そしてその時がやって来る。

 

「距離五五(五千五百メートル)!」

「〔神通〕より、『投雷始め』!」

「投雷始め!」

 

 見張り員と電信室からの報告に、晴野が号令で応える。そのまま、水雷長が各魚雷発射管へ投雷を下令した。連続した圧搾空気の音が響き、一番から三番までの各発射管から、魚雷が飛び出す。

 

「一番連管、発射完了」

「二番連管、発射完了」

「三番連管、発射完了」

 

 全ての発射管から魚雷発射完了が報告された。程なく、同じ十一駆の〔漣〕、〔電〕、〔五月雨〕からも魚雷発射完了が報告された。これを受け、晴野は「十一駆、発射完了」を〔神通〕へと報告する。

 すぐに〔神通〕から、一斉回頭の指示が飛んだ。

 

「取舵一杯、針路〇七〇!」

 

 晴野の言葉を航海長が復唱し、総舵手が舵輪を回す。すぐに反時計回りの加速が生じて、〔吹雪〕は左へと艦首を振った。その鼻先を掠めるように、敵弾が弾着の水柱を上げる。あのまま直進していたら、降り注ぐ砲弾の只中に頭を突っ込んでいたことだろう。

 次第に距離を取っていく〔吹雪〕たちへ、最早敵戦艦も砲弾を浴びせてくることはなかった。

 

「あの、魚雷はどうなってますか?」

 

 額の汗を拭う仕草を見せ、吹雪が尋ねる。双眼鏡は持ち合わせていないので、雪村は可能な限り目を凝らした。

 波の間に、海面を走る水泡の道筋を見つける。魚雷が無事に航走している証拠だ。

 

「問題なく航走しています」

「そうですか」

 

 吹雪が胸を撫で下ろした。

 

「水雷長、予想到達時間は?」

 

 転針の完了を確認して、晴野が水雷長へ呼びかけた。水雷長は手元のストップウォッチを見る。

 

「到達まで三分半です」

 

(三分半か……)

 

 ざっと簡単な計算式を頭で組み立てる。

〔吹雪〕より放たれた九〇式魚雷の速度はおよそ五十ノット。一水戦には、他に最新型の九三式魚雷を搭載するものもあるが、こちらも速度はほとんど変わらない。この魚雷を距離五千五百メートルで放っている。大まかでしかないが、敵の未来位置の航走距離は六千メートル弱。この距離を五十ノットの魚雷が走破するには、四分弱の時間がかかる。

 魚雷発射からすでに三十秒以上。それでもなお、命中には三分強の時間が残されている。魚雷は艦砲に比べると、命中までの時間が極めて長い。

 当然、その間に回避運動を取ることもできる。

 

(現状でその可能性は低いと思うが……)

 

 楽観的な自分の意見に内心で顔をしかめる。

 今、敵戦艦は二つの部隊に追われている。すなわち、先程まで撃ち合っていた一、二戦隊と、たった今魚雷を放った一水戦だ。

 速力差によって射撃の機会を失っているとはいえ、いまだ一、二戦隊の主力戦艦たち、中でも一戦隊の〔長門〕型戦艦二隻は、最大戦速でぴたりと敵戦艦に付けている。

 もしも、魚雷を回避しようとして舵を切り、速力を落とせば、再度四一サンチ砲の射界に捉えられることとなる。

 一度撤退を選んだ敵戦艦が、その方針を変えるとは思えなかった。

 

 それから、理由はもう一つ。敵戦艦は、こちらの魚雷の数を、()()()()()()可能性がある。

 

 雪村の想像通り、敵戦艦に魚雷を回避する素振りはなかった。やや黒煙が落ち着き始めた二隻の巨艦は、最大戦速と針路を維持し、戦場からの退避を続けている。その他の中小艦艇にしても同様だ。先程まで七戦隊を撃ち合っていた巡洋艦や駆逐艦たちも、這う這うの体で退避行動に入っている。当然、それを追って七戦隊も動き出した。

 

 追撃戦の様相を見せ始めた戦場で、魚雷を撃ち尽くした一水戦のみが戦場より距離を取っているのは、いささか不可思議な気分がする。

 

「あと三十秒です!」

 

 被弾箇所の応急手当が行われる中、水雷長が緊張の面持ちで残り時間を読み上げた。

 見張り員だけでなく、艦橋の誰もが二隻の敵戦艦へ意識を向ける。

 二水戦は、落伍した〔陽炎〕と〔雪風〕以外の十一隻が投雷に成功していた。投雷数は、全て正常に作動していれば、百二十四本を数える。

 だが、おそらく、敵戦艦からはその半数が()()()()()()

 

 発射管の構造の関係から〔吹雪〕には搭載できなかったが、〔白露〕型以降の新鋭駆逐艦には、九三式魚雷が搭載されている。この魚雷は、威力の向上もさることながら、燃焼剤に純酸素を用いることで、長大な射程を手に入れていた。さらに、純酸素使用の副産物として、航跡がほとんど残らないようになっている。たとえ日中でも、目視は不可能だ。

 配備艦の半数が九三式魚雷を運用できる一水戦では、それ故に半数の魚雷を目視できない。

 

「じかーん!」

 

 水雷長が声を張り上げた。魚雷が敵戦艦へ到達する時間だ。

 すぐには何も起こらない。艦橋の窓からは、相も変わらず、二十八ノットで驀進する敵戦艦が見えるばかりだ。その舷側に、魚雷命中の水柱は上がらない。

 じとりと汗が伝う。焦れるような時間が続く。

 

 魚雷の命中率は、お世辞にも高いとは言えない。平時の演習でも、よくて十パーセント、平均すれば数パーセントもない。百本超の魚雷を放っても、一本も当たらないという状況は考えられる。

 外したか。誰もが唇を噛み締めた、その時だった。

 

 敵二番艦の舷側に、突如として巨大な水柱が立ち上った。戦艦の主砲弾よりも遥かに巨大だ。敵二番艦の艦橋の二倍はあろうかという高さまで、その先端は達している。海神の腕が、敵二番艦にアッパーカットをお見舞いしたようにも見える。

 巨大な排水量を持つ敵戦艦が、魚雷炸裂の衝撃で震えていた。

 

 命中弾はその一発だけではない。今度は立て続けに二発、艦首付近に命中する。名状し難いほどの水塊が持ち上げられ、敵戦艦の姿を隠す。

 敵一番艦にも魚雷が命中した。左舷中央付近に一発、天をも突かんバベルの塔がそそり立つ。

 五発目の命中弾は、再び敵二番艦であった。艦尾付近で炸裂した魚雷の衝撃で、敵戦艦の巨体がわずかに浮く。見えざる何かに躓いたように、敵戦艦がつんのめった。

 六発目以降の命中弾はなかった。最終的な一水戦の戦果は、敵一番艦に一発、敵二番艦に四発。

 

「敵二番艦、速力低下!左舷へ傾斜しています!」

 

 四発を受けた敵二番艦は、すでに瀕死の状態であった。それもそのはずだ。日本海軍の魚雷は、列強でも最強の破壊力を持つ。口径は六一サンチと、欧米の多くが採用している五三・三サンチより一回り大きく、その分炸薬量も多い。その一発は、海上の鎧武者たる戦艦であろうと、致命傷になりえた。

 敵二番艦の運命は、最早決したと言っていい。

 

 一方、被雷が一発だけであった敵一番艦は、しぶとく生き残っていた。水中防御の厚い箇所に当たったのか、速力に衰えは見られない。他の残存艦を付き従えて、ひたすらに第一艦隊から距離を取っている。

 

(〔神通〕はもう一撃を加えるだろうか?)

 

 ちらと、実現性の低い可能性が、雪村の頭をよぎった。一水戦のうち、〔白露〕型以降の駆逐艦六隻には、魚雷の次発装填装置がある。これを使えば、短時間で発射管に再度魚雷を装填可能だ。残った敵戦艦一番艦にトドメを刺すべく、一水戦司令部が再突入を決断することは考えられたが――

 

「〔長門〕より、『追撃止め。逐次集まれ』」

 

 雪村の考えは、電信室からの報告で中断された。〔長門〕座上の第一艦隊司令部は、追いつけないと判断して、追撃を断念したのだろう。これが実質的に、戦闘終了の合図であることは理解できた。

 先頭の〔神通〕からは、すぐに速力を緩める指示が飛んできた。機関の回転数が落とされ、艦の轟音が鎮まっていくのに合わせ、艦橋の空気も弛緩する。

 雪村もまた、軍帽を一度取り、額に溜まった汗を拭った。じっとりとした髪を手櫛で整え、再度帽子の下に仕舞い込む。その手はといえば、戦闘中握りしめていたために、汗でべたべたであった。

 

「なんとか……なった、でしょうか」

 

 どこかぼぅっとした様子で、吹雪が呟いた。一つの戦闘を戦い切ったという実感に乏しいらしい。

 

()()()()()、なのだろうか)

 

 両の手を握ったり、開いたりして、感覚を確かめる。ありとあらゆる感情が、どこかで堰き止められているような、そんな感覚だ。気持ちが悪くなるほど、心の内からは何も出てこない。一つの感想も浮かんでこない。

 

「油断をするなよ。帰るまでが、戦闘だ」

 

 真面目腐ってはいるが、口角を吊り上げながら言った晴野の言葉に、艦橋が小さな笑いで満たされた。彼女の言う通りだ。再度気持ちを引き締めなおそうと、雪村は頬を張る。

 その様子を、隣の吹雪が微かに笑って見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 一二月二〇日。東京。

 

「艦娘艦隊大勝利!小笠原沖に敵艦隊を撃滅せり」

 

 新聞に大々的に踊る題字を、来客者は愉快そうに眺めていた。一通り文面を読んだ彼女は丁寧に新聞を折りたたみ、机の上へ置く。それから微笑を湛えて、島田の方を向いた。

 

「おめでとうございます、島田大将」

 

 連合艦隊の勝利を寿ぐ言葉にも、島田は素直に喜ぶ気分にはなれない。

 

 確かに連合艦隊は、小笠原へ来寇し、東京を目指した敵艦隊を撃退することに成功した。だが結果を見れば、ただ本土への直接攻撃を防げたに過ぎない。

 

「……トラックを攻撃された以上、そう手放しで喜ぶことはできませんよ」

 

 率直な感想を漏らしても、御子は首を傾げるばかりであった。

 

 第一艦隊が小笠原沖で敵艦隊を撃滅したのとほぼ同時に、トラック環礁も攻撃を受けたと報告があった。トラック環礁は、日本が太平洋上に獲得した委任統治領であり、海軍の大規模な泊地が整備されていた。現地に移住した日本人も多い。

 さらについ先ほど、今度は米国が統治するフィリピンに敵襲があったと報告があった。

 小笠原への一撃は、ほんの一部でしかない。深海棲艦は断続的に、太平洋の要所を攻撃して回っている。今の連合艦隊に、これを防ぐ手立てはない。

 

「最初は小さな一歩なのです。何事も最初から完璧は求められません」

 

 はたと、島田は御子を見る。今のは、励ましてくれたのだろうか。

 金色の瞳は何も語らない。

 

「あなた方は戦うことを選んだ。そして彼女たちは、そんなあなた方を選んだ。それで十分なのですよ」

 

 いつもの調子で意味深なことを言い、御子は煎茶で唇を湿らせる。島田も目の前の湯飲みに手を伸ばしかけた。が、さして乾いていない喉に思い至り、溜め息を飲み込んで手を引き戻す。

 

「そうです、島田大将。実は一つ、お願いがあるのですが」

 

 湯飲みを置くと、御子は穏やかに切り出した。島田は頷いて、先を促す。

 

「〔尾張〕に、私の部屋を用意してはいただけませんか」

 

 島田の中で「オワリ」の三文字が連合艦隊旗艦のことだと理解するのに、数秒を擁した。と同時に、別の衝撃が襲い来る。

 

「〔尾張〕にですか!?」

 

 何か問題でもありますか、と純粋な顔で首を傾げる御子。

 もちろん、部屋を用意することは可能だ。海軍の司令部系統に属さない御子であるから、島田から五十嵐辺りに一言断るだけでいい。だが、ことはそんなに簡単な話ではないのだ。

 御子は、日本にとって最も重要な人物だ。そんな彼女が、連合艦隊という実戦部隊の旗艦に乗り込むとは、いかがなものか。彼女の身を保護する宮内省も、当然内閣や海軍省も承認はするまい。

 

「……理由をお聞かせ願えますか」

「理由というほどでは。より近くで、彼女たちの戦いを、見届けたいだけです」

 

 御子は薄く微笑んで、もう一口湯飲みに口づけた。中身はすでに、ほとんど空だったようだ。副官が勧めたおかわりを、御子は首を振って断っていた。

 

「もちろん、無理にとは言いません。少々検討していただけると、ありがたいです」

 

 それを言い置いて、御子は立ち上がる。今回の要件はそれで終わりだったらしい。相変わらず、気ままに現れて、気ままに立ち去る、神の化身だ。

 

「お話はまた、宮内省の方から正式にさせていただきます」

「……わかりました。できる限りの対応を致します、としか言いようはありませんが」

「ええ、それで結構です」

 

 ころころと笑った御子は、一礼して部屋を出て行った。

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