艦娘誕生(1)
1
日本という国は、多くの神々が登場する神話体系を持っている。八百万の神という言葉が示す通り、神とはそこら中に存在するもので、決して遠い存在ではなかった。人々は、自然の中に数多と存在する神々に、恵みがあれば感謝をし、災厄があれば祈ってきた。
もっとも、それはすでに遠い過去の話である。神話の時代はとうに終わり、人間が神々を目にすることはなくなった。神々と人間の世界は天と地よりも遠く分かたれている。人間は神に祈る代わりに、科学をもって自ら難題を解決する術を身につけてきた。
ただ、それでも、人々が神の存在を忘れ去ったわけではない。信仰、祈り、感謝の対象として、この国には今もなお神が息づいている。各地に建立された神社の数々が、その最たる証拠だ。家を建てる前にお祓いをする。大事な取引前には神社を参拝する。五穀豊穣を祈るお祭りも各地に残されている。そうした伝統の中に、神々はなおも生きている。
ただ……神が人の姿を得て、直に語りかけてくるなどという出来事が起ころうとは、科学万能の現代人には全く想像のつかないことであった。
――その日の海は、信じられないほどの青色であった。
昭和二年(一九二七年)一一月二五日。京都は舞鶴の海軍工作部にて、一隻の駆逐艦が進水の日を迎えていた。艦名を〔第三十五号駆逐艦〕という。日本海軍が新たに建造を始めた駆逐艦シリーズの一番艦であり、就役すれば世界に〔ドレッドノート〕と同等かそれ以上の衝撃をもたらすことになるであろう艦だ。全長は百十八・五メートル、基準排水量千六百八十トン。
進水式には海軍関係者と共に神職者も列席していた。艦の建造に当たっても、船渠内でお祓いは行うし、進水式においてもお清めをする。これも立派な神事と言えるだろう。また、古来より船には神や魂の類が宿るとされていた。ご神体と呼べなくもないかもしれない
一連の式次第が滞りなく終了し、最後に進水の運びとなる。注排水用のポンプが始動し、建造ドック内に海水が流れ込み始めた、正にその時であった。
突如として、〔第三十五号駆逐艦〕が眩い光に包まれた。記者たちの構えるカメラのフラッシュでも、ここまで明るくはなるまい。その場にいた全員が顔を背け、目を瞑ってしまうほどの激しい光であった。
ようやくのことで目の慣れてきた何人かが、船渠に視線を遣った。爆発が起こったわけではないようだから、一体何が原因なのかを確かめようと、無理矢理に目をこじ開ける。
眩い光の源は、〔第三十五号駆逐艦〕そのものであった。駆逐艦の艦体が、太陽のように輝いている。そう、正しく太陽だ。人工的な水銀灯やマグネシウムの発光とも、はたまた蛍のような生物的輝きとも、あるいは焼けた鉄や銅のごとき金属の煌めきでもない。それは万物の母であり、最高神たる太陽の輝きと呼んで差し支えなかった。
誰もが息を飲む。身じろぎ一つ、できる者はいない。何が起こったのかは理解できないが、おおよそ人間などとちっぽけな存在が、軽々しく触れていいものではないことだけ、全員が本能的に感じていた。神々しい光の渦に巻き込まれた舞鶴の全ての人間が、ただじっと一隻の駆逐艦を見つめる。
ふと、横方向に降り注ぐ光の中に、動くものがあることに、人々は気づき始めた。それは駆逐艦の艦首、ぽっかりと開けられたフェアリーダーの上に立っていた。
立っていたのだ。そこにいたのは、疑いようもなく、人間の女性であった。ただ、進水式に列席している諸人とは全く異なる。〔第三十五号駆逐艦〕と同じく、その体は陽光を宿して船渠に君臨していた。
参列者の全員が、同じことを思ったに違いない。あれこそが、現世へ現れ出でた神に他ならない、と。
フェアリーダーに立つ女性――仮に「彼女」と呼ぼう――は、豊かな髪を風にはためかせていた。ただし、よく観察すれば、その動きが極めて不自然であることに気づけたはずだ。第一、今の舞鶴に髪をはためかせるほど強い風は吹いていない。「彼女」の周囲だけが時の流れから隔絶されているように、その髪は緩やかにうごめいていた。黒髪にも、光の加減では白髪にも見える。「彼女」は冠のようなものをつけていたが、これはどういう理屈からか「彼女」の頭上に浮遊していた。身にまとっているのは神職者の服によく似た、しかしよくよく見ればとこどころに古めかしい装飾や構造の見られる――丁度神話に登場する神々のような衣装であった。
しばらく佇んでいた「彼女」は、やがてゆっくりと目を開く。長く白い睫毛の下に隠れていたのは、黄金色の瞳であった。その輝きはやはり天上の太陽に違いない。何人たりともそれを直視することは叶わなかった。故に、人々は極々自然な所作として、「彼女」に頭を垂れていた。
「顔をお上げなさい」
鈴を転がしたような「彼女」の声が船渠に響く。穏やかそのものの声であったが、不思議と巨大な船渠全体に響き渡る声であった。言われるまま、諸人は顔を上げる。船渠を満たしていた眩さはある程度鳴りを潜めている。辛うじて、誰もが目を開き、「彼女」を直視することができた。
「故あって、このような形で姿を現すこととなりました。本来であれば、私たちはこうして、あなた方に干渉するべきではないのでしょう。ですが、事が急を要する故、禁を破り、ここに立っているのです」
船渠をぐるりと見まわして、「彼女」が語りかける。「彼女」の語った言葉は実に曖昧で、居合わせた人間は半分も理解ができなかった。ただ一点、「彼女」の目的についてだけは、「彼女」がはっきりと口にしたために、理解することができた。
「私はミコ。天照大神の化身として、あなた方に迫る災厄を伝え、これに備えるために、現界した者です」
ミコの存在は、工作部長を通して、すぐさま海軍省に伝えられた。
工作部長が海軍省へ電話をかけたのは、ミコが船渠に現れてから二時間後のことであった。その間の彼の働きが、後にも先にも、それ以上が考えられないほどの忙しさであったことは、想像に難くない。一先ず〔第三十五号駆逐艦〕の進水を終え、ミコを艦上から庁舎へ誘導し、再度その出自や目的を確認して、興奮冷めやらぬまま電話をかけたのだ。
神の化身を名乗る女性が現れたこと。彼女が日本へ迫る危機を予言したこと。これらを可能な限り冷静に、工作部長は上層部へと伝えた。ミコはすぐに東京へ呼ばれると工作部長は予測し、秘書官には夜行列車に乗車券と出張用の鞄を用意させていた。
だが、工作部長の予測とは裏腹に、海軍省の反応は芳しくなかった。当然と言えば当然だ。ミコという、ともすれば胡散臭くさえある存在を、直に目の当たりにした工作部長と、電話越しでしか聞いていない海軍省の人間とでは、認識があまりにもかけ離れすぎていた。ミコを東京へ連れて行き、しかるべき人物と面会させようという工作部長の要請は、呆気なく却下されることとなる。
ただ、幸か不幸か、工作部長には海軍省内にちょっとした伝手があった。海上勤務時に交流のあった将校で、海軍省内でもそれなりの影響力がある。一先ず彼を頼ることにしたのだ。
普段より生真面目で知られた工作部長の人柄が、ここでは功を奏した。件の人物は「貴様がそこまで言うのならば」と、無茶苦茶なお願いを聞き届けてくれたのだ。かくして、ミコはお付きの女性士官一人を伴い、夜行電車へと飛び乗ることとなった。
東京へ到着したミコは、件の将校のもとを訪ねる。彼は時の海軍次官であった。工作部長とは同期であるが、出世が早く、階級は中将となっていた。
次官は改めてミコから話を聞き、同時にこの一件が海軍省内だけで検討できるものではないと判断した。ミコは日本の統治者と会談することを望んだからだ。
一先ず、次官はミコの話を海軍大臣へと伝えた。また、彼女のことを宮内大臣に紹介したいと具申した。当然の反応として、海軍大臣は渋った。嘘か真実かもわからないことを、まして素性すらもわからない人物を、皇室に近づけることは危険すぎた。
事態は思わぬところから動いた。舞鶴工作部におけるミコの出現が、新聞に取り上げられてしまったのだ。舞鶴工作部、そして海軍省には問い合わせが相次いだ。ただ、海軍内でも事態を把握している者はほとんどおらず、対応は後手に回らざるを得なかった。
結果として、ミコの存在は日本中の知るところとなる。時の内閣総理大臣は海軍大臣を呼び出し、ミコについて問い質した。この時、次官とミコも呼ばれ、総理と会談している。ミコは、何度目になるかわからない状況の説明を、総理に対しても行った。
――「私たちに、人の理を壊すつもりはありません。あなた方には、あなた方の決まりや順序があるのです。迅速な対応をお願いしたいのは本音ですが、そのために踏むべき手順を飛ばしては、意味がないのです」
とは、会談後に対応の遅さを詫びた総理に対する、ミコの言葉であった。
この時より、ミコの身柄は海軍省から内閣の預かりとなった。同時に、総理と宮内大臣立会いの下、天皇陛下との謁見が取り行われることが決定した。この迅速な対応については、一説には陛下がミコとの会談を強く望まれた、とされているが、真偽のほどは定かではない。
数日後に皇居内で行われた謁見の内容は、明らかにされていない。同席した誰もが固く口を閉ざしている。ともあれ、謁見から数日後には、緊急で御前会議が開催されることと相成った。内閣と宮内省の強い意向によるものであった。
御前会議には、本来立ち入りを許されない、ミコも同席した。この時、ミコは日本の首脳に、迫る災厄について説明した。
――「災厄は、異界と通ずる門、海より訪れます。人の理には属しませんから、あなた方の力で、この災厄を取り除くことはできません。ですから私たちは、あなた方に災厄を鎮める力を授けます。この力と、人類の叡智をもって、来る災厄に打ち勝つのです」
力とは何か。災厄とは何か。同席していた大臣の問いかけに、ミコは答えた。
――「力とは、神の加護をその身に宿した魂。災厄を祓うべく、十握剣を手にした戦乙女にて。災厄とは、現世の裏の世界、黄泉そのもの。あなた方が抗するべきは、黄泉の醜女にて」
2
昭和五年(一九三〇年)七月二〇日。横須賀。
岸壁に係留中の駆逐艦〔吹雪〕(元〔第三十五号駆逐艦〕。一九二八年に改名)の艦内にて、舞原誉大尉は夜の巡検を行っていた。
半舷上陸で、艦内の人間は少なくなっている。こういう時こそ、艦の見回りがおろそかになりがちだ。同じく巡検を行っている水兵には「一人で二人分観察しろ」と念を押してある。
甲板部担当の舞原は、機関室以外の艦内施設を順に巡っていた。艦橋や操舵室といった場所はもちろんのこと、乗組員の居室、食堂、非常電源室、主砲塔や魚雷発射管まで、くまなく調べる。たった一つの異常が、艦と乗組員にとって致命的な結果を招くこともある。
艦内を見終わった舞原は、当直の水兵を一人伴って、甲板に出た。舷梯やカッターを吊るすダビット、〔吹雪〕を係留している舫の様子も見なくてはならない。
七月とはいえ、夜の海には寒さすら感じる風が吹く。鋼鉄製の水密扉から出たところで、隣にいる水兵が身を震わせた。
「随分と冷えますね」
半分ほど砕けた水兵の口調に、舞原も頷いた。階級では舞原が上官になるが、実年齢と〔吹雪〕への乗艦期間は水兵の方が上だ。それに、乗組員全員が顔見知りといっても過言ではない駆逐艦の中にあって、階級だの言葉遣いだのと細かいことを気にしだしてもきりがない。艦長である岬明乃少佐の開けっ広げな性格も相まって、公式の場以外でかしこまった言葉が使われることはあまりなかった。舞原も、いわゆる将校言葉を使わなくなって久しい。
「夏場でも涼しくはあるが……ここまで冷えるのは珍しいな」
水兵と同じ感想を、舞原も抱いていた。今夜はいささか寒すぎる。
「……大尉殿、なんだか今宵は、あの噂みたいじゃあありませんか?」
「……ああ、あれか」
それは、この〔吹雪〕艦内にてまことしやかに囁かれている噂、怪談の類である。舞原も風の噂で耳に挟んでいた。
寒い日になると、〔吹雪〕には決まって、女の霊が出るという。月夜の下で踊る影を見たとか、海鳥に混じって歌う声を聞いたとか、波間で水浴びをする少女を見たとか、とにかくそうした噂話が、就役して以来〔吹雪〕には絶えなかった。
「例の、舞鶴で現れたっていう、巫女さんと関係あるんですかねえ」
これもまた、〔吹雪〕――のみならず、日本中で有名な話である。神の化身を名乗り、人類の危機に備えて日本と協力しているという女性の話は、日本人であれば誰もが耳にしたことのある話だ。しかも、彼女が最初に現れた時というのが、〔吹雪〕の進水式ときた。それだけに、「神のお使いと関わったから、この艦には不思議なことが起こる」だとか、「本来、〔吹雪〕は神様の船で、それを人が使っているから呪われた」などという憶測を呼んでいる。
舞原はかぶりを振った。霊だの呪いだのを信じるタチではない。
「早く済ませて戻ろう」
舞原は宣言して、艦首甲板へと歩き出す。〔吹雪〕と岸壁を結んでいる三本の舫を確認しなくてはならない。
フェアリーダーを通して舷外へ延びる舫の様子を観察する。今は潮が低いが、これから夜中にかけて上げ潮になる。朝方には下げ潮の状態だ。潮の上げ下げを考えて、舫の緩みが適切かどうかも判断しなければならない。
見たところ、艦首から伸びる三本については、問題がなさそうだ。ネズミ返し用の金属板も落下していない。
「異常なし、ですね」
「ああ。後部甲板に行こう」
そう言って顔を上げ、艦尾側の点検に向かおうとした時だ。
「ご精が出ますね」
こちらを労う女性の声が、二人の背後から聞こえてきた。夜に、それも突然、背中から声をかけられれば、いかに海軍軍人でも驚きはする。肩を一瞬震わせて、舞原と水兵は声の主を振り返った。
いつの間にそこまで近づかれていたのか、ほんの目と鼻の先に、ニコニコと微笑む少女の顔があった。巡検中で舫に意識がいっていたとはいえ、物音一つ、気配一つ気づかなかったというのは不気味だ。
だが、二人が驚いたのは、それだけが理由ではなかった。こちらを窺い、コテンと首を傾げる少女は、しかしその両足を地につけてはいなかった。あたかも、噂話に聞いた幽霊のごとく、夜風の中にふわふわと浮いている。少女はそれを気にした風もなく、ただ微笑んでこちらを見つめていた。
「……でっ」
もはや言葉になっていない叫び声の後、水兵はくるりと踵を返し、一目散に駆けだした。上官を放って脱兎のごとく逃げ出したその後ろ姿に、残された舞原と少女も呆気に取られてしまう。二人が見つめる中、艦内へ続く水密扉が固く閉ざされる音がした。
(……逃げ出す奴があるか)
大して非難する気にもなれず、舞原は溜め息を一つ吐いて、少女に向き直った。宙に浮いていた少女はそのままゆっくりと足を下ろし、リノリウムの上に立つ。両の足でしっかりと立っているから、幽霊の類ではないはずだ。
舞原は改めて少女を見る。顔つきや体格からして、年の頃は十四、五だろうか。まだまだあどけなさの残る表情をしているが、バランスの良い顔立ちから美人になるであろうことを窺わせた。軍港の光に照らされる黒髪は、大洋を思わせる群青を宿す。こちらを見つめるその瞳には、いつか見た南海と同じ、エメラルドグリーンの輝きが秘められていた。
「君、名前は?どこから来た?」
何だか得体のしれない少女だが、確認しないわけにはいかない。舞原の質問に対し、ぱちくりと瞬きをした少女は、さも当然のように答えた。
「吹雪、ですけど」
「……吹雪?」
思わず問い返した舞原に対し、少女は殊更困ったように首をひねった。顎に手を当てて考え込む彼女の口からは、時折「おかしいなぁ」という呟きが漏れてくる。少女がこれほど困惑している理由には、皆目見当もつかない。むしろ許されるのなら、こちらが首を傾げたいくらいなのだ。
十秒ほど悩んでいた少女は、舞原の瞳を覗き込み、確認するようにして尋ねた。
「えっと……ミコさんからは、何か聞かされていませんか?」
少女が「ミコ」と呼んだ人物の見当はすぐについた。丁度先程話に出た、神の使いを名乗る女性のことだ。今は宮内省がその身を預かっており、公式には「御子」の名で呼ばれている。少女は、御子と知り合いなのだろうか。
(だとすると、この艦の噂は、あながち的外れでもなかったわけか)
噂の幽霊であろう少女と、〔吹雪〕に現れた神の使いには、何らかの関係性があったわけだ。
こちらの表情である程度事情を察したのか、少女は改めて、先よりも幾分か詳しく、自己紹介をしてくれた。
「はじめまして、吹雪と申します。駆逐艦〔吹雪〕の船魂を、ミコさんの力を借りて、人の姿へと形作りました。わたしこそが、予言された災厄を祓う力となります」
きわめて実直で、真っ直ぐな言葉に、舞原は無言のうち、直立不動となっていた。もはやその言葉を疑うことはない。それだけの説得力と信頼感が、少女の言葉にはあった。
生真面目な表情から一転、先程と同じように柔らかな微笑みを浮かべた少女は、その右手をそっと差し出してくる。舞原もまた、無言のうちに手を出し、少女の手と重ねた。思わず相好が崩れる。彼女の手は見た目相応に小さかったが、それでも随分と力強く感じられた。
吹雪を含め、船魂が少女の姿を得た存在は、のちに「艦娘」と呼ばれるようになった。一九三〇年の吹雪出現を皮切りに、ぽつりぽつりと、何人かの艦娘たちが現れ始める。彼女らこそが、御子が予言した神が授ける力の象徴、十握剣を手にした戦乙女。
ここに予言の正しさは証明された。同時に、もう一つの予言、来る災厄への危機感が、日本国内で高まっていくこととなる。