邪砲覚醒(1)
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――その日は抜けるような青空の、眩しい日であった。
一九四〇年一二月八日。ハワイ準州、オアフ島。この島には、真新しい合衆国海軍の基地が置かれていた。太平洋艦隊が、サンディエゴに代わる拠点として、数年前から整備を進めている。基地機能はそのほとんどが完成状態にあるが、太平洋艦隊が本格的に拠点として使い始めるには、もう一年ほど時間が必要であると見込まれていた。
そんなオアフ島へ、今まさに入港しようとしている軍艦が一隻あった。
戦艦〔アリゾナ〕。太平洋艦隊に所属する、戦艦の一隻である。〔ペンシルヴェニア〕級二番艦であり、四五口径一四インチ砲を三連装四基十二門搭載する、海上の要塞に相応しい軍艦だ。
サンディエゴでの定期整備を終えた〔アリゾナ〕は、彼女の新たな母港となるパールハーバー基地を目指して航海してきたのだった。
そんな〔アリゾナ〕の艦橋から、ハリス
図らずも、数年前に吹雪が言った通り、彼は米海軍の中枢へ招かれたことになる。
「パールハーバーには、来たことがあるか?」
入港作業の指示を下しつつ、ロバート・リー艦長がハリスに問いかけた。階級は同じ大佐だが、戦艦の艦長を務めるだけあって、経験はリーの方が長い。そもそもハリスは、どちらかといえば軍政一筋でやってきた人間だ。現場でやってきた人間とは、経験が天と地ほど開きがある。
「練習航海の際に、一度だけではありますが。住むにはいいところという印象です」
「人間にとっては、な。だが、この〔アリゾナ〕にとって、住みよいところとなるだろうか」
艦を預かる人間らしい心配だと思った。戦艦とは存外に、繊細な精密機械の塊と言える。最高のパフォーマンスを維持するためには、それ相応の備えが必要だ。扱う人間の訓練はもちろん、設備や機材の揃った母港も、艦を十全に保つには必要不可欠である。いまだ完成に至っていないパールハーバーの基地が、それだけの能力を有しているのか、リーは懐疑的な様子であった。
未完成のパールハーバーに太平洋艦隊が進出を急いだのは、それなりの理由がある。近年活動を活発化させている、日本海軍へ睨みを利かせるためだ。一九三六年のワシントン条約失効以降、大規模な建艦計画によって海軍力の増大に努める日本海軍は、同時に太平洋地域に持つ島嶼の基地機能強化も進めている。こうした動きに対抗する形で、太平洋艦隊もハワイ諸島の基地化を急いだのだ。
(災厄の時が近いのか。あるいは他に狙いがあるのか)
いずれにしろ、日本は再三、合衆国に対して「基地能力強化は米国の安全保障を脅かすものではない」と説明している。ハリスとしてはその言を信用したいところだが、そう悠長に構えていてはいけないのが、軍事の世界でもあった。
いらぬ思考を、かぶりを振って打ち消す。
「住めば都、という言葉もあります。結局のところ、実際に生活してみなければ、わからないことも多いものです。軍港も同じではないでしょうか」
「……今はそう考えるとしよう」
そう答えて、リーは入港準備に戻っていく。丁度、入港時の部署配置が終わったタイミングであった。
異変が起きたのは、〔アリゾナ〕がパールハーバーの湾口まで二マイルに迫ったところであった。
「か、艦長!パールハーバーが!」
見張り員の一人が叫んだ。状況を正確に伝えていない言葉に、ハリスもパールハーバーの方を見遣る。
一見しただけでは何も見えない。パールハーバーの港湾施設に異変はなく、穏やかな海が広がるばかりだ。
だが――
(なんだ、あれは……?)
天然の要害となる湾内に違和感の正体を見つけて、ハリスは双眼鏡を覗き込んだ。拡大された視界の中に、映るはずのないものが映っていた。ハリスは息を飲む。
パールハーバーの湾内に、暗雲が立ち込めている。大質量を伴っているような、実に重厚な雲が、湾内に広がっていく。黒雲の中には時折稲光が走り、その度に生物の如く雲がのたうつ。腕のように伸びた雲海は湾の隅々まで至り、海を、艦を、港湾施設を、次々に飲み込んでいった。
正体はわからない。あれの正体を知る人間などいない。ただ、それがとてつもなく恐ろしいものであることを、本能が感じ取っていた。決して触れてはいけない。もっと言えば――今すぐに、ここを離れなければならない。
「ハリス大佐、あれに心当たりはあるか」
リーが問いかける。これより数秒前、彼はすでに操舵室へ〔アリゾナ〕の反転を命じていた。
ハリスは首を振る。
「いいえ……皆目見当もつきません」
「そうか。――詳しい状況を知りたいところだが、今は艦の保全を最優先にさせてもらう」
「はい」
程なくして、〔アリゾナ〕は艦首を右へと振りだした。戦闘時でなければやらないような、急速回頭だ。艦橋の床が、遠心力で左舷へと傾く。黒い物体に覆われたパールハーバーの景色が、視界の左方向へと流れていった。
ハリスは再度、双眼鏡を覗き込む。
黒雲はすでにパールハーバーを覆いつくしていた。うねる触手は、すでにその目標を陸上へと向けているようだ。砂嵐を思わせる暗雲の渦が、じわじわと湾内から溢れ出ていた。
その只中、最も稲光の激しい場所に、ハリスは目を凝らす。妙なものを見た気がしたからだ。
低く低く広がり続ける黒雲の中に、半透明の球体が浮いていた。それほど大きなものではない。ハリスの双眼鏡では倍率不足だ。
見張り員用の大きな双眼鏡を借り受ける。先程と同じ場所にレンズを向け、球体の様子を確認した。より大きく映った球体は、雲と同じくさながら生物のように、脈動していた。膜のような表面が波打ち、それに合わせてわずかに拡縮を繰り返す。球体の中央付近には、稲妻を纏った黒い水晶のようなものが浮いていた。
ハリスが球体を見ている間も、〔アリゾナ〕は回頭を続けている。艦はまもなく、パールハーバーへ完全に背を向けようとしており、ハリスの位置からその様子を観察できなくなるのも時間の問題だ。
艦上構造物の影に、パールハーバーが隠れる、まさにその時であった。全くもって信じがたいものを、ハリスの目が捉えたのだ。
うごめく球体の前に、人影が見える。その人影は金色に輝いていた。光をまとった髪が風の中ではためく。あたかも雲海を従えるようにして中空に浮かぶその姿は、ハリスには女性に見えた。と同時に、「彼女」から放たれるきらめきを、ハリスはどこかで目にしたような気がした。
次の瞬間、ハリスの視界を艦上構造物が遮った。ここからでは、もはやパールハーバーの姿は見えない。最後の足掻きで艦橋の縁から身を乗り出し、自前の双眼鏡を覗いてみたが、彼女の姿をはっきりと捉えるには倍率が足りなかった。果たして、ハリスの目にしたものが夢幻か否か、確かめる術はない。
ハリスを乗せた〔アリゾナ〕は、異常事態に飲み込まれたパールハーバーから遠ざかっていく。水上偵察機が準備される中、暗雲はいよいよ、オアフ島全てを覆わんとしていた。