母の危機感と家庭の味。   作:スポポポーイ

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母の危機感と家庭の味。

 ある日の休日。

 比企谷家ヒエラルキーの頂点に君臨する彼女は、我が子である息子と娘を引き連れて、南船橋駅前の大型商業施設へと足を運んでいた。

 何か目的があった訳ではない。なんとなく虫の知らせのようなものを感じて、渋る息子をおど……説き伏せ、訝しがる娘をばいしゅ……お小遣いをチラつかせることで自宅から連れ出したのだ。

 

「……んで? 何買うんだよ、母ちゃん」

「ん? 特にこれといってないけど?」

「え、じゃあ俺いらないじゃん。荷物持ちとか不要じゃん」

「どっちかと言えば、お兄ちゃんがお荷物だもんね」

「……そう思うならもっと大事に扱え。お兄ちゃんのガラスのハートが割れちゃうでしょ」

「なら『取扱注意』のシールでも貼っとく? お兄ちゃん、ちゃんと体重を二十五キロ以下まで落としてね」

「やだこの妹、実の兄をゆ○パックする気まんまん!?」

 

 背後で交わされる愉快な兄妹の会話。頭痛を堪えるように額へ手をやる母の心境は如何に。

 

「……黙れ馬鹿兄妹。お菓子買ってあげないわよ」

「俺らは小学生か」

「お兄ちゃん、シャラップ!」

「お菓子で釣られよった、この妹……」

 

 呆れたようにツッコミを入れる兄とは対照的に、目をキラキラと輝かせて兄を黙らせにかかる妹。

 どうやらそんな餌に釣られたクマならぬ妹が一匹いたらしい。

 

「よし、小町は好きなお菓子買っていいわよ」

「やったー! なら小町はあそこのスイパラ行くね!!」

「……やっぱり駄菓子で我慢しろ、この馬鹿兄妹」

「なぜ俺まで巻き込まれたし」

 

 言質はとったとばかりにスイーツ食べ放題のお店へ突撃しようとした娘の襟首を掴み、溜息を吐く悩める二児の母。

 ぼやく息子に娘を預け、広いショッピングモール内を当てもなくフラフラと歩き出す。

 

「……やっぱり家に引き籠ってれば良かったかしら」

 

 思わず零れた悩める母の呟き。どろどろと瞳を濁らせながら、彼女はふと今に至る経緯を振り返るのだった。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 珍しく残業のない金曜日だった。彼女は久しぶりに同僚たちと飲み歩き、帰宅したのは結局日を跨いだ後のこと。そして、これまた珍しいことに休日出勤のなかった土曜日。彼女は泥のように眠り続け、気付けば一日が終わっていた。

 

「あ゛ー……」

 

 明くる日の日曜日。存分に休息を得た彼女は、丸一日寝続けたことで凝り固まった体を解すように、バキボキと関節を鳴らしながら比企谷家のリビングへと顔を出した。

 比企谷家を象徴するアホ毛をヘニャンとさせつつ、しぱしぱと目を瞬かせ、覚束ない手つきで眼鏡を掛けるその女性。

 

「およ? お母さんが目覚めた」

「ついに、はじまったか……」

「……私の寝起きでカタストロフィを語るな」

 

 母は比企谷家にて最強を地でいく彼女は、不機嫌そうに言葉を返す。

 彼女の視線の先にいるのは、現役受験生と元受験生の兄妹二人。高校三年生となり、今年から受験生になったというのに居間のソファで読書に耽る息子と、そんな息子に背中を預け、受験が終わったからか何処か気が抜けたようにスマホをいじくる高校一年生の愛娘。

 

「八幡。あんた勉強は?」

「んー、今やろうと思ってたところー」

「……小町は?」

「小町もー、いまー、やろうと思ってたところかなー」

「小学生か、貴様ら」

「実の子どもに貴様て……」

 

 そんな会話を挟みつつ、ダイニングテーブルへ置かれた食パンを手に取り、一齧り。

 焼かれてもいなければ、ジャムも何もつけられていない素の食パン。素材の味を楽しむ? いいえ、面倒なだけです。

 

「あー、お母さん。また食パンそのまま食べてるー」

「別にいいでしょ? お腹に入れば一緒よ」

「……そーいう面倒臭がりで屁理屈こねるとこ、お母さんとお兄ちゃんって似てるよね」

「………………小町、ジャムってどこだっけ?」

「冷蔵庫のドアポケットにあるよ」

「……ねえ、ちょっと。流れ弾で無関係の俺が被弾してるんですけど? むしろ狙撃される勢いでヘッドショット決まってるんですけど」

 

 『ドン勝? ドン勝されちゃってるの、俺?』と目を腐らせながら不平不満を漏らす息子には取り合わず、冷蔵庫から取り出したブルーベリージャムを親の仇かという眼つきで食パンへと塗りたくる母。娘は『冷蔵庫に昨日の夕飯で作ったサラダが入ってるから、ついでに食べてねー』と伝えると、仕事は終わったとばかりにグテッとソファへ横たわった。

 

「……ジャム塗り過ぎた」

 

 冷蔵庫から回収したサラダをテーブルへ置き、自身もまた席へ着くとジャムパンと化した食パンを齧り倒す。

 口の周りをジャムらせながらパンを食べ終えると、良い感じにヒエヒエとなったサラダを頬張り、モシャモシャと咀嚼する。そのまま三~四口で食べ終えたサラダの器を脇へ追いやり、とりあえず一杯とばかりにコーヒーを入れようとして、彼女は席を立った。

 

「……」

 

 そのとき、何の気なしに見た光景。

 相変わらず、リビングのソファでだるんだるんと寛ぐ二人の兄妹。

 ダイニングテーブルで食事をとる自分。

 

「……あれ?」

 

 何とも言いようのない違和感に彼女が首を傾げる。

 

「ねえ、八幡、小町……」

「あ?」

「なーにー?」

「……」

 

 思わず我が子へ声を掛けてみたものの、何か答えが得られるわけでもない。

 言い知れぬ、どこか漠然とした不安のようなものが彼女の脳裏を過るが、その正体が掴めない。

 

「母ちゃん?」

「お母さん?」

 

 訝しがるように彼女へと顔を向ける子どもたち。

 

「……二人とも、買い物行くわよ」

 

 二人からの呼び掛けに窮して、彼女の口から咄嗟に出たのは、そんな言葉だった。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 そんなこんなでわざわざ電車を乗り継いで訪れた駅前の大型商業施設。

 回想を終えた彼女は、ふと我に返り、そして気付く。後ろから付いて来ていたはずの我が子二人の姿がないことに……。

 

「兄妹揃ってあの歳で迷子とか……」

 

 一瞬、迷子放送でもしてやろうかと真剣に悩んだ彼女だったが、その考えはすぐに無用なものとなった。

 彼女から数メートル離れた先、若い男性に何やら説明を受けている我が子二人の姿を発見したからである。どうやら街頭アンケートの類らしく、クリップボード片手に何やら書き込んでいる様子だった。

 

「何してんのよ、あんたら」

「あ、お母さん!」

「いや、何か小町がアンケートに応じちまってな。仕方なく協力してるとこ」

 

 その言葉の通り、娘はフンスと鼻息荒くアンケートに取り組み、息子の方は『立ってるのダルい』『書くのメンドくせぇ』『もう帰りたいよぅ』という心情をありありと表情に出しながらアンケート用紙を睨みつけている。そんな我が子二人の様子に興味を引かれたのか、彼女も二人の背後からアンケートの内容を覗き込んだ。

 アンケート自体はよくありがちな若者向けの意識調査のようなもので、なんの変哲もない内容。だからだろうか、今どきの若者たる二人も特に悩む素振りもなくスラスラと記入していく。

 

「……」

「……」

 

 だが、それまで快調に筆を走らせていた二人の手がとある設問でピタリと止まったかと思うと、しばし黙考し出した。その様子に彼女も疑問に思ったのだろう。訝しげな表情で設問の内容を覗き見る。

 

 

 

 【あなたにとっての『家庭の味』とは? (例:肉じゃが、カレーライス、等)】

 

 

 

 どうやら、何の料理を挙げるかで悩んでいるようだった。

 そんな二人の様子に彼女はくすりと笑い、思案する。さて、我が子はいったいどんな答えを書くのやら、と。

 

「……」

「……」

 

 やがて、考えがまとまったらしい二人が同時にアンケート用紙に書き込み始める。

 そんなところまで兄妹仲良く揃わなくてもいいだろうと思いながらも、彼女は我が子の回答へと思いを馳せる。手間のかからないものだったら、久しぶりに今晩作ってあげようかしらん、なんてほくそ笑みながら二人の回答へと目をやり、そして絶句した。

 

 

 

 【妹が作ったオムライス】

 【お兄ちゃんが作ってくれた適当にく野菜炒め】

 

 

 

「っ……」

 

 ガツンっと、頭を殴りつけられたような衝撃が彼女を襲う。

 これが父子家庭とか、特別な事情がある家庭だとか、そういうことなら彼女だって納得はするだろう。だが、両親が健在にも関わらず、『家庭の味』と聞かれて母親ではなく、兄妹の作った料理を挙げる二人の子どもたち。そして、それをまざまざと見せつけられた母親。

 別に彼女は料理が苦手という訳ではない。現に最近は減ったとはいえ、長らく比企谷家の台所を守ってきたのは彼女であり、二人に料理を教えたのも彼女だ。それにも関わらず、我が子が突きつけた容赦ない答え。

 

「……ふぅ。終わった終わった…って、どうした母ちゃん?」

「え? あ、別に……?」

「でも、お母さん。なんか顔色悪いよ?」

「そ、そんなことないから!」

 

 自覚なく問いかける息子と娘。そんなキョトンとした二人の表情を見て、これがただの嫌味だとか、そんなチャチなものでは断じてないと、彼女は否が応でも自覚させられる。

 どんどんと湧きあがる焦燥がぐるぐると頭の中を駆け巡るなか、彼女はようやく自宅で感じた違和感の正体に気付くことができた。同時、タラリと、彼女の頬を嫌な汗が一筋伝い、地面へ滴り落ちる。

 

「それより! も、もう帰るわよ!!」

「え、マジで? いや、帰れるんなら俺としてはそっちの方が嬉しいけど……」

「えー! 小町、まだ全然見て回れてなーい!!」

「いいから! あと、帰りにスーパー寄ってくから!!」

「あ? ああ、それは別に……」

「それと、今日の夕飯は私が作るわよ!」

「お、お母さん?」

 

 足早に帰路へ就こうとする彼女を追いかけるように、二人の子ども達が困惑したように歩き出す。

 背後で息子と娘がヒソヒソと自分のことを疑わしそうに話していることなど気にも留めず、彼女は刻々と募っていく不安から逃げるように、今晩の献立に思考を巡らせるのだった。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 帰りに寄ったスーパーで、彼女は絶望していた。

 

「ウソ…でしょ……?」

 

 今夜は二人の好物にしようと思い、いざ食材を買おうと意気込んで、愕然とする。

 

 

 ──思い出せないのだ。

 

 

 息子が、美味しいと笑ってくれた自分の手料理は、なんだっただろうか?

 娘が、作り方を教えてほしいとお願いしてきた自分の得意料理は、なんだっただろうか?

 

「……」

 

 そんな苦悩する母の心情など露知らず、兄妹は買い物カートを押しながらワイワイガヤガヤと店内を進んでゆく。

 

「あ、お兄ちゃん! 今日はキャベツが安いよ! あと卵も!!」

「あー、じゃあ買ってくか。ついでにマッカンも買い溜めしとこ」

 

 自分に構うこともなく、当たり前のように二人で買い物を進める二人を茫然と見送りながら、なんとか彼女も再起動。買い物カゴ片手に、自分が得意だったと思われるレパートリーの中から二人が好きそうなものを予想する。

 

「……まだ、間に合うかしら」

 

 目についた食材を買い物カゴへ放り込みながら、懸命に何かを思い出そうと、彼女は歯を食いしばる。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 帰宅した比企谷家のキッチンは、もはや戦場と化していた。

 

「──ッ」

 

 当然のようにエプロンを着込み、台所へ立とうとした娘をキッチンから追い出し、気遣うように手伝いを申し出た息子をテレビでも見てろとキッチンから叩き出した母。

 だがその結果、彼女の調理は遅々として進まなかった。

 

「あ、あれ? ミキサーってこの棚に入ってなかったっけ!?」

「ミキサーなら、電子レンジの下にある収納スペースだよー」

 

 中学生になった娘が家事全般を取り仕切るようになり、包丁を握る機会が減った彼女だが、それでもまったく家事をしなくなったわけではない。仕事が早く終わった日や、休日などは普通に台所へ立っていた。

 だから、包丁とか、菜箸だとか、基本的な調理器具や調味料の位置などは彼女だって把握している。仮に、いつものように有り合わせの材料でちゃっちゃと料理をするなら、こんなことにはならなかっただろう。

 

「ねえ、青くておっきいお皿って、戸棚にあったはずじゃ……」

「あー、なんかデカくて平たいヤツ? それなら、流しの下んとこの棚に入ってるぞ。戸棚だと小町が届かないから、大分前に移した気がする」

 

 けれど、滅多に使わない調理器具とか、食器だとかが彼女の把握していた収納場所と食い違う。かつて彼女専用だったキッチンは、今では息子と娘が使いやすいようにカスタマイズされていた。

 

「ど、どうしてよ……。なんでこんな上手くいかないの……?」

 

 零れる弱音、目尻に滲む涙、震えそうになる手。それを下唇を噛んで必死に耐える彼女。

 ほんの小さなズレが、作業の効率をどんどんと下げていく。そして、そのことが不必要な焦りを生み、プレッシャーとなって彼女の手元を狂わせた。

 

「っ……」

 

 早く挽回しようと、普段以上のスピードで振るっていた包丁が、食材ではなく補助するように添えていた彼女の指先を切り裂いた。

 久しぶりに感じた包丁で手を切るという痛み。プツリと割けた指先の傷口から、赤い液体がどくどくと溢れ出す。

 

「あっ」

 

 一向に出来上がらない料理。久しく忘れていた痛みと出血。そして自分が犯した包丁で手を切るという凡ミスに、彼女は動揺していた。だからだろうか、包丁を持つ手が震えて、うっかり取り落としてしまったのは……。

 

「ひっ!?」

 

 彼女は落下する包丁から逃れようと咄嗟に後ずさる。幸いにも、落ちた包丁は彼女を避けるように床を転がっていったため、彼女がこれ以上の怪我を負うことは無かった。しかし、後退するとき反射的に薙いだ腕が、中途半端な位置に置かれていた大きな平皿とぶつかってしまう。

 腕がぶつかった勢いで大きな平皿が床へとダイブし、彼女の足元へと着地を決め……ようとして、ガシャンと盛大な音を立てて割れるお皿。ご臨終である。

 

「お、おい。大丈夫かよ、母ちゃん?」

「あー! お皿割っちゃ……あり? なんか焦げ臭くない?」

 

 床に飛び散った破片を茫然と見下ろしていた彼女が、娘からの指摘にハッとする。

 

「やばっ! オーブンにお肉入れっぱな──あっつ!?」

 

 本来なら耐熱ミトンをはめて取り出すところだが、指先を怪我していたことと、これ以上失敗を重ねてなるものかという焦りから近くにあった布巾でどうにかしようとしてしまう。動転した母親が慌ててオーブンを開けてお肉を救出しようと手を伸ばし、勢い余って熱せられた鉄皿部分に指先が触れてしまい、思わず鉄皿から手を放してしまったのは必然だったのかもしれない。

 ガランガランと鈍い音を響かせながら床でバウンドする鉄皿。その上に鎮座していたお肉の塊は、落下したのが低位置だったということもあり、鉄皿から転がり落ちることもなく奇跡的に無事であった。ただし、その出来栄えは散々なもの。迸るはずの肉汁を失い、黒く焦げた塊へと変貌した牛モモ肉。今日は奮発しちゃうぞと思い切って買った国産和牛が台無しだった。

 

「ううっ……」

「火傷したのかよ? なら、早く冷やして……つーか、手も切ってんじゃねーか。おい、小町。救急箱と、あと掃除機持って来い」

「アイアイサー!」

 

 床に散らばったお皿の破片や包丁、焦げたお肉を器用に避けて、蹲る母親へ近付いていく。彼は強引に自らの母親を引っ張り起こすと、水道の蛇口を捻り、包丁で切ってしまい出血している彼女の左手と、火傷した右手の指先を流水へと押し当てた。

 

「……たくっ! 何やってんだよ、母ちゃん。なに? 熱でもあんの?」

「……」

 

 苛立たしげな息子の問いかけに、力なく首を振る彼女。

 

「お兄ちゃーん! 救急箱そこのテーブルに置いといたから、お母さん連れてそっち行って? 小町、掃除機で床の破片とか片付けちゃうから」

「いや、皿の破片で小町まで怪我したらどうすんだよ。俺がやっから、小町は母ちゃんヨロシク」

「ほーい! んじゃ、お母さんはこっちに……お母さん?」

 

 掃除機と、ついでに箒とチリトリを持ってきた妹が声を掛け、それに応えた兄がテキパキと指示を出す。

 彼女が起き抜けに見た、だるんとソファでだらけきっていた兄妹と同一人物とは思えない、的確に動くその勇姿。それが得も言われぬ彼女の感情の起伏を刺激し、自らの不甲斐なさとか、子どもの成長を見れた嬉しさだとか、我が子に置いて行かれる寂しさなんかと綯交ぜになって、ポタポタと溢れ出す。

 

「……うぅ」

「母ちゃん?」

「お母さん?」

「うわぁぁぁん!」

 

 高校生の息子と娘をもつ二児の母、マジ泣き。

 

「ちょ、なに泣いてんだよ!? え、そんなに火傷と怪我痛かったの?」

「ぢ、ち゛か゛う゛の゛ぉ゛~」

「おおおお母さん!? お兄ちゃん! お母さんになに言ったのさ!?」

「は? いや知らん。違う、俺じゃない。俺は無実だ!!」

「……お兄ちゃん。犯人は、みんなそう言うんだよ?」

「雪ノ下みたいなこと言うのは止めろ。ショックで俺の心臓が止まっちゃうだろ」

「ぢ、ぢがうのぉぉぉ! はぢまん゛は悪くないのぉぉぉ」

 

 いい歳した母親が号泣する様を見せつけられて、動揺を隠せない息子と娘。

 互いにアイコンタクトを交わして原因を探るものの、心当たりがてんで思い浮かばず、途方に暮れてしまう。

 

「はぢまぁぁぁん! ごまぢぃぃぃ!」

 

 とりあえず、この絶賛ご乱心状態なお母上をどうにかするかと頷き合い、泣き崩れる彼女を二人でよっこらせとリビングへ担いで運ぶのだった。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

「……つまりだ。家族なのになんか俺らから壁みたいなものを感じとったと?」

「……うん」

「『うん』ってお母さん、そんな子どもじゃないんだから……」

 

 未だに鼻をすすりながらも、なんとか泣き止んだ母親から事の次第を事情聴取した二人の兄妹は、めっちゃ困惑していた。

 彼女は言うのだ。曰く、同じ空間に居るはずなのに、まるで他人のような空気を感じたと。血の繋がる実の親子とは認識されている。けれどそれは、法で定められた親族という括りの話であって、そこに家族の情だとか、親子の情愛といったものが欠如しているのではないかと、そう思い至ったと。

 

「……」

「……」

「……」

 

 なんとなく返す言葉が思い浮かばず、黙り込む息子と娘。

 そんな二人の反応に、やっぱりかと絶望して言葉を失う母親。

 ちなみに、今はリビングのソファで母親を挟む形で息子と娘で三人横並びに座っている。

 

「……ただの勘違いだろ、そんなの」

「そ、そうだよ! 小町、別にお母さんのこと何とも思ってないよ!?」

「なんとも……。やっぱり、どうでもいいと……」

「うわあああ!? 違うから! そういう意味じゃないから!!」

 

 なんか面倒臭いモードな母親と、そんな母親の地雷を踏まないように当たり障りのない言葉でお茶を濁そうとした息子と、盛大に地雷を踏み抜いた娘。

 ズーン、ジメジメ、ハァ…、アワアワ、ズズーン、ウヘェ…、ウジウジ、ムムムッ、ヌルポ、ガッ! そんな擬音が飛び交う比企谷家のリビングは、まるでお通夜のような雰囲気で沈んでいた。

 そして、そんな重苦しい空気に耐え兼ねたように彼が口を開く。

 

「……あのな。俺も小町も、親父や母ちゃんに隔意なんてないし、二人が仕事で忙しいのだって理解してる」

「そうだよ! 小町だって仕方なく家事をやってるわけじゃないからね! 小町がやりたいからやってるの!!」

 

 まるで聞き分けのない幼い子供へ言い聞かせるように、優しく言葉を紡ぐ二人の子ども達。そんな彼らの言葉に、母親である彼女は──

 

「……でも、八幡と小町にとっての『家庭の味』は、私の手料理じゃないんでしょ?」

「お、おうふ」

「あー……。さっきのアンケート、小町たちの回答見たんだ……」

 

 息子と娘は、母の指摘にバツが悪そうに視線を逸らした。

 

「……いいのよ。今更だもの。私たち夫婦が仕事を言い訳にして、家を空けていたのは事実なんだし」

 

 苦笑するように儚げに笑った彼女は、何かを悔いるように視線を落とした。

 

「特に八幡には、偶の家族サービスでも除け者にするようなことしちゃってるし……」

「か、母ちゃん……」

「……いや、それはお兄ちゃんの自業自得な部分もあると思うけど」

「こ、小町ェ……」

 

 どこかシリアスになりきれない親子の会話。けれど、それこそがこの面倒臭い親子が、親子である所以なのかもしれない。

 ワイワイ、ギャースカ、ウルウル、ヨシヨシ、ナデナデ、イイハナシダナーっと、久しぶりに訪れたゆったりすっきりのーんびりーな母子共の団欒。それはまるで、長い年月のなかで少しずつ広がってしまった親子の溝を埋めるようで、実に微笑ましく、ぎこちない母と息子と娘のやり取りだった。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 ──その夜。

 急な休日出勤を強いられ、朝から家を空けていた比企谷家の大黒柱こと父は、息子より三割増しな腐り目で帰宅した。

 そんなお疲れな彼をリビングで出迎えた光景。

 

「……やれやれ」

 

 甘えるように、縋るように、息子と娘の手を握り、安心したように眠る愛妻と、久しく見ることの叶わなかった子ども”たち”の穏やかな寝顔。唯一、飼い猫である無愛想なオス猫だけが彼を労うようにニャアと一鳴きして出迎える。

 空気を読んで『あれ? 俺の存在忘れられてね?』とか『俺の晩飯は?』という疑問をどうにか飲み込み、適当に茶漬けでも食べるかとキッチンへと足を運ぶ彼。

 

「こりゃまた……」

 

 そこで目にしたキッチンの惨状に、彼は思わず溜息を吐きながら頭をガシガシと掻いた。

 チラリと、今もまだリビングで眠る三人へと視線を送るも、やがて諦めたように首を横に振る。

 

「……本当に、やれやれだ」

 

 穏やかに寝息を立てる妻と息子と娘を起こさないように、静かにせっせと片付けに取り掛かる夫で父なナイスミドル。

 終わったら俺も三人に混ざってやると決意しながら、彼は一人寂しく床に散らばった破片を箒で集めていく。

 

「……次の週末は、久しぶりに家族サービスでもしますかね」

 

 そんな彼の独り言に応えるように、すまし顔をした猫が彼の足をポンとひとつ叩くのだった。

 

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