母の危機感と家庭の味。   作:スポポポーイ

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母の危機感と息子の彼女。

 とある日の休日。

 比企谷さンちの息子と娘はいま、ひどく困惑していた。

 

「……やだ」

「やだって言われても、もう相手は家まで来ちゃってるし、なんなら玄関で待たせてるんだが」

「会いたくないもん」

「もんってまたお母さん。子どもじゃないんだから……」

 

 自分たちの母親が年甲斐もなく拗ねて愚図って不貞腐れているのだから戸惑うのも無理はない。

 

「そもそも、連れて来いって言ったの母ちゃんだろ?」

「記憶にございません」

「……認知症?」

「ぶっとばすわよ、小町」

 

 あらぬ疑いに憤慨する母親。失礼な、まだそんな年じゃないやい。と、彼女は可愛らしく頬を膨らませてみせる。年考えろ。

 

「んあー……。お兄ちゃん、このままじゃ埒が明かないから、もう雪乃さんリビング連れてきちゃえば?」

「……だな。小町、母ちゃんのことは任せた」

「ほーい! 小町におっまかせー!」

「ちょ、八幡!? 小町!?」

「はいはーい。お母さんは大人しくソファに座ってようねー」

 

 あっさり説得をあきらめた兄妹二人。兄は玄関にお客さんをお出迎えに、妹はリビングで母親を足止めすることにしました。我が子の裏切り(母親視点)に愕然とする彼女はポツネーンと置いてけぼりです。仕方ないね。

 

「お母さん、もうここまできたんだから観念しなよ」

「うぅぅ……。ぜっ──」

「ぜ?」

 

 気落ちして項垂れる母親に嘆息した娘が呆れたように諌める。しかし、彼女は我慢ならんとばかりにフルフルと震えながら立ち上がると、胸の内に燻るもややんとした想いを吐き出すように腹の底から大絶叫。

 

 

 

「ぜぇっっったい、八幡の彼女になんて会ってやらないんだからねぇぇぇ!」

 

 

 

 高校生の息子と娘をもつ二児の母。息子に彼女ができた現実を認めたくなくて駄々をこねるの巻。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 話は数日前に遡る。

 夕食を食べ終えてリビングでダラダラしていたときに娘が発した何気ない一言から全ては始まった。

 

「そう言えば、お母さん。お兄ちゃんに彼女ができたよ」

「…………は?」

 

 娘から投げかけられた言葉を受け止めきれずにフリーズしてしまう母。ポカンと口を開けたまま思わず娘をガン見する姿は正にこっちみんなAAそのもの。

 ちなみに当事者たる息子くんはお風呂タイムなのでこの場にはいない。ついでに夫で父なあの人も例のごとく残業のため不在です。

 

「だから、お兄ちゃんに彼女ができたんだってば! それもすっごい美人の!!」

「え? なんだって?」

「急に難聴系主人公みたいにならないでよ。お兄ちゃんに彼女ができたの!!!」

 

 最近なんやかんやあって長年にわたる社畜ライフで燃え尽きてしまった母性本能を再燃させてしまったらしい二児の母。現在、絶賛過保護モードらしく、どうやら愛すべき息子に彼女ができたという現実が受け入れ難かったみたいです。

 

「小町、もうエイプリルフールは過ぎたわよ」

「ネタとかじゃないから。本当にお兄ちゃんに彼女ができたんだって。お兄ちゃんには勿体ないくらいのお金持ちの美人さん」

「……なら警察に」

「詐欺でもないから。大丈夫だから」

 

 私の息子にそんな高嶺の花みたいな彼女ができるわけがないとばかりにスマホを取り出す母。通報する気マンマンである。

 ヤバイまた地雷踏んだとメンドくさそうに眉根を寄せた娘だったが、二桁まで入力を終えているスマホのディスプレイを見て慌てて奪取。娘の気苦労は絶えない。

 

「心配しなくても、何だかんだであのお兄ちゃんが悩みに悩み抜いて決めた相手だよ? 信用してあげなよ」

「ダメ」

「いや小町にダメって言われても、もうカップル成立しちゃってるし」

「八幡に彼女とかまだ早い」

 

 やれやれと娘が諭してみるものの、彼女は頑なに認めない。母の決意は固い。

 

「まだ早いって……。なら、いつならいいのさ?」

「最低でもあと十年ぐらい」

「お母さん……。子離れしよう?」

「……いいじゃない。八幡も小町も結婚なんてしなくていいわよ。私が養うし」

 

 彼女はソファの上で三角座りを決め込むと、眉間に皺を寄せてブーブー文句を垂れる。

 

「大体どこの馬の骨よ。私に断りもなく八幡を唆すなんて……」

「別にお母さんの許可はいらないと思うけど……。それはともかく、ほら前に小町が話したじゃん。お兄ちゃんが部活に入ったって。そこの部長さんだよ」

「ああ、確かに言ってたわね。なんだったかしら……そう、『ご奉仕部』だっけ? ……なんか名前からしてもうあれね。色仕掛けでかっさらいやがったわね許すまじ」

「違う違う! 『奉仕部』だってば! あれだよ、お悩み相談とかボランティアみたいなことしてる部活。あと雪乃さんは色仕掛けとか…………無理じゃないかなぁ。色んな意味で。結衣さんならともかく」

「……俺の妹が恐れ知らず過ぎてヤヴァイ件」

 

 兄の彼女に対してわりと失礼な感想を抱く妹。そして、そんな妹に戦慄するお風呂上りなお兄ちゃん。これバレてもどうせ俺が罵倒されるんだろうなと諦め顔で彼は黄昏る。諦めって大事だよね。

 

「およ、お兄ちゃん。ナイスタイミング!」

「嘘つけ。騙されないぞ。絶対タイミング悪かっただろ。ソースは面倒臭いモードで俺に縋りつく母ちゃん」

「はちま~~~ん!」

「いやー、それが……」

「それが?」

「お兄ちゃんに彼女ができたこと、お母さんに喋っちゃった☆」

「あっ……(察し)」

 

 そういえば口止めとかしてなかったなと今更ながらに思い至り、息子はこれから訪れるであろう未来に思いを馳せて白目を剥く。……諦めって大事だよね(二回目)。

 そして、そんな息子の期待に応えるように目をギラギラとさせた母親が、息子の両肩に手を置いてにじり寄る。

 

「……八幡」

「お、おう」

「連れてきなさい」

「……はい?」

「あんたの彼女を家に連れてきなさいって言ったの!」

「ええぇ……」

 

 やっぱり面倒事になったと項垂れた彼は、藁にも縋るような想いでラブリーチャーミーな妹へと視線を向ける。そんな彼が目にしたのは、いつの間に用意したのかバスタオルやら着替えやらを左手に抱えた妹が輝かんばかりに良い笑顔で敬礼してくる姿。

 

「じゃ、お兄ちゃん。小町はお風呂に入ってくるであります!」

 

 ──逃げられた。兄がそう状況を理解する頃には、妹は逃げるが勝ちと言わんばかりにスタコラサッサとリビングを抜け出した後だった。

 

「安心しなさい、八幡! 私が八幡に相応しい女かどうか見極めてやるわ!! 肉体言語でね!!!」

 

 拳を握り、鼻息荒く闘志を燃やす母親を尻目に、遠い目をした息子が悟りの境地のような表情でぽつりと呟く。

 

 

 

「もうどーにでもなーれ」

 

 

 

 諦めって大事だよね(三回目)。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 そして現在、比企谷さンちのリビングは微妙な空気に包まれていた。

 

「……で、母ちゃんは?」

「ゴメン、お兄ちゃん。お兄ちゃん達が戻ってくる直前に逃げられちゃった」

「え、えっと……その、私はどうしたら……?」

「あー、スマン雪ノ下。いやマジで……」

 

 ノリと勢いで啖呵を切ったはいいものの、土壇場になって尻込みして逃げ出してしまった母親に頭を抱える悩める息子十七歳。心労が計り知れない。

 

「とりあえず、あれだ。小町、悪いけど雪ノ下にお茶でも出してやってくれ」

「はいはーい。あ、雪乃さんはそこのソファにでも座って寛いでてください」

「あ、ありがとう。小町さん」

 

 少女はおずおずと勧められるがままにソファへと座り、その横に彼氏たる息子くんも腰を下ろす。

 彼女からしてみたらある日突然交際相手の母親から呼び出されたと思ったら、直前になってぶっちされた状況。普段の少女を知る彼氏としてみれば、よくあの状況でブチ切れなかったなと内心安堵していたりする。まあ、わりと弁解の余地はないよね。ドタキャン、ダメ、ゼッタイ。

 

「比企谷くん。その、私はあなたのお母様からあまりよく思われていないのかしら?」

「まあ、そうな」

「……そうハッキリ言われると流石の私でもショックなのだけれど」

「つってもな、こればっかりは……」

「付き合い始めてひと月足らずで嫁姑問題とか止めてよね、お兄ちゃん」

 

 呆れまじりにそう言いながら三人分のコーヒーをトレーに載せた妹が戻ってきて、それぞれの前にそっとコーヒーカップを置いてゆく。そもそもこの事態を招いたキッカケである自分についてはしれっとスルーである。汚いなさすが末っ子きたない。

 暫し、コーヒーを啜りながら各々がこの状況をどうしたものかと思案する。しかし、肝心のママテラスオオミカミが天岩戸な自室に引きこもってしまっている現状、まさか扉の前で裸踊りをする訳にもいかず、途方に暮れるお三方。

 

 そうして誰もが諦めかけた、そのときだった──

 

 

 

「腹を割って話そう!」

 

 

 

 何故かパンツスーツ姿に着替えた母親が眼鏡をキラリと光らせてリビングへと乱入したのだった。

 

「いや、それどこのヒゲのディレクターだよ」

「うるさい。黙れ馬鹿息子。お小遣い減らすわよ」

「なにそれ理不尽」

 

 条件反射的にツッコミを入れた息子をバッサリ切り捨てながらズンズンと部屋を横切ると、彼女はダイニングテーブルに陣取り、ポカンと呆けていた少女へと声を掛ける。

 

「お嬢さん、こちらへ」

「え? あの、その……?」

「こちらへ」

 

 バンバンと右手でダイニングテーブルを叩きながら、左手で体面の椅子を指差す彼女にオロオロと狼狽えながらも少女は従う。

 そして、お互いに席に着いたところでコホンとひとつ咳払いをした後、片手で眼鏡をクイッとしながら母親は目の前に座る少女へと声を掛けたのだった。

 

「それでは、まずお名前からどうぞ」

「は、はい……。雪ノ下雪乃です」

「……雪ノ下?」

「え、ええ。そうですが……」

 

 突然始まった面接に戸惑いながらも自己紹介する少女を尻目に、何やら眉をひそめて考え込む仕草をみせる母親。その光景に息子と娘は仲良く遠い目をしながら黄昏ていた。現実逃避も慣れたもんである。

 

「……そう」

「あの、なにか?」

「いえ、いいのよ。なんでもないわ。続けましょう」

「あ、はい。……続けるのね」

 

 どうやら考え事は一区切りついたらしいお母さん。いつの間に取り出したのか、クリップボード片手になにやら書き込みながら先を促す。少女のボヤキはスルーされた。

 

「では次に、どうして八幡を選んだのか、志望動機をどうぞ」

「え?」

「どうぞ」

「うっ、それは、その……」

 

 さすがに彼氏とその妹と母親を前にして語るのは憚れるのか、少女は目を右往左往させながら言いよどむ。

 別に何か疾しいところがあるわけではないけれど、こんな恥ずかしいこと面と向かって言えるかと涙目になりつつ、少女は藁にも縋るような気持ちで彼氏へと視線で助けを求めた。しかし、母親の後ろに陣取るかたちで待ち構えていた息子は、悟ったような顔でADよろしくカンペを掲げてみせる。

 

 

 『健闘を祈る』

 

 

 まるで役に立たなかった。しかも、その横では妹が目をキラッキラに輝かせながらスマホのカメラを向けて動画を撮影している始末。此の兄にして此の妹ありである。

 さすがにイラッとして罵倒しようかと思った彼女だったけど、今はそれどころではないと思い留まり、喉元まで出かかっていた言葉の数々を必死に飲み込む。今度自分の両親の前にも引きずり出してやると決意を固めて、少女はしどろもどろになりながらも何とか口を開いた。

 後日、清々しいまでに素敵な笑顔で、この世の終わりのような顔で項垂れる彼氏の襟首を掴んで自宅へと引き摺って行く少女がいたとかいないとからしいけど、それはまた別なお話。

 

「最初は、その…あまり良い印象は抱いていなかったというか、目を背けていたというか、とにかく一緒に居ても落ち着かなくて」

「ほうほう」

「でも、いつからか彼との会話が楽しみになっていて、私と、彼と、もう一人、と…、とも……友人と三人で過ごす部活が居心地良くて」

「……ほう」

「私たちの部活は生徒のお悩み相談のようなものをやっているのですが、色々な依頼が舞い込んできて、その度に比企谷くんには助けられていたのですけど、それが悔しくて、頼もしくて、気が付いたら自分も救われていて」

「う、うん」

「擦れ違ったり、対立したり、仲直りしたり、彼と過ごしたこの一年間は本当に色々なことがあったけれど、いつの間にか彼が隣にいることが私にとっての当たり前になっていたんです。だから、その、え…と、何が言いたいかというと……自分でもどうしようもなく比企谷くんのことが、す、好きなんです!」

「……小町、コーヒーちょうだい。ブラックで」

「らじゃー」

 

 説明している間に羞恥メーターが振り切れてしまったのかもしれない。半ば自棄っぱちになった少女がキャラ崩壊も厭わずに捲くし立てる勢いで顔を真っ赤にしながら思いの丈を彼氏の母親へと盛大にぶつけた。それに対して、母親の方は苦虫を噛み潰したような表情で娘にコーヒーを注文。自分から聞いといてひどい扱いである。

 余談ながら当の彼氏はと言えば、恥ずかしさの余り、赤く染まった顔を両手で覆って蹲りながら悶えていた。爆発すればいいのに。

 

 四人のうち、半分が砂糖を吐き、もう半分が羞恥に沈む混沌とした状況。雰囲気に飲まれてなるものかとコーヒーを一気に呷った母親は、渋い顔を隠そうともせずに面接を再開させる。母は強し。

 

「……続いて、なにか特技や趣味はありますか?」

「読書。あとは映画鑑賞や乗馬でしょうか」

「乗馬、それはまた高尚な。……八幡には合いそうもない趣味ね」

「……」

 

 乗馬とかどこのお貴族様だよマザーな牧場にでも行ってろや! マザーだけに! マザーだけに!! そんな下らないことを考えながらも、彼女はここぞとばかりに嫌味を吐いてみせる。

 

「学業の方はどうなのかしら?」

「入学以来、学年首席です」

「あら凄い。優秀なのね。きっと進学先も国立や偏差値の高い大学へ進むのだろうし、文系科目だけの八幡とは大違いだわ」

「……」

 

 暗に息子とは進む道が違うと仄めかす大人げない二児の母。母は図太い。

 

「雪ノ下ということは、ご実家の方も……」

「ええ、雪ノ下建設の雪ノ下です。父は県会議員でもあります」

「あら、そう。やっぱり。名家の出で、尚且つ社長令嬢なんて万年庶民のウチからしたら想像できないわね。いやー、羨ましいわー」

 

 子ども相手にそこはかとなくお前とは住む世界が違うんだよと告げてみせる形振り構わない母親。母は逞しい。

 

「それにしても綺麗なお嬢さんよね。八幡も顔は整ってる方だと思うけど、目がアレだしねぇ……。どう? 実際モテるんでしょ?」

「……そう、ですね」

「否定しないんだ?」

「事実ですし。それに、否定したところで嫌味にしかならないでしょうから」

「……」

「……」

 

 遠まわしに、モテるんだからウチの息子じゃなくてもいいだろうと迫る息子大好きお母さん。母の愛は深い。

 

「……母親の私が言うのもなんだけど、八幡と付き合うなんて面倒臭いわよ。すぐヘタレるし、むっつりだし、ここぞってとき以外は基本怠け者だし」

「承知の上です」

「……いくらなら手を引いてくれるの?」

「お金の問題ではありません」

「ここに八幡が保育園時代の写真があるんだけど」

「なにそれみたい………………くっ、も、ももも物でなんか釣られないわ!!」

「ダメだこいつら。早くなんとかしないと」

 

 どんどんと低レベルな争いになってゆく二人の会話に、息子であり彼氏である少年が瞳を濁らせて黄昏ていた。

 そして、そんな兄の脇をニヤニヤニヨニヨした妹が悪戯気にチョンチョン小突く。

 

「いやー、お兄ちゃんも愛されてますな~」

「……他人事みたいに言ってるけどな、良く考えろ」

「うん? なにが?」

「俺でこれだぞ? もし小町に彼氏ができてみろ。この状況に親父まで参戦して、今以上にカオスな事態になるからな」

「……」

 

 兄から告げられた衝撃的な未来予想図を容易に想像できてしまい、表情を凍らせる妹。溺愛されてるから仕方ないね。

 

「お、おおおおお兄ちゃん!」

「ちなみに俺も親父や母ちゃんサイドに立つから、俺に助けを求めても無駄だぞ。孤立無援だな」

「ダメだこの家族。早くなんとかしないと」

 

 兄からの容赦ない通告に項垂れる妹。将来現れるであろう妹の彼氏くんの未来は暗い。

 そんな兄妹とは打って変わって、こちらはこちらで侃々諤々と盛り上がりをみせていた。

 

「あー可愛いなー。今の捻くれた八幡も可愛いけど、ちっちゃい頃の八幡も純粋天使可愛いなー」

「お願いします! 先っちょだけ! 先っちょだけでいいですから私にも見せてください!!」

「えーどうしよっかなー」

「う、うう……。いくらですか!? いくら払えばいいですか!?」

「お金の問題じゃないので」

「ちっきしょうめぇぇぇぇ」

 

 どこぞの太夫か総統閣下並みに絶叫する少女。あれおかしいな、これ誰だろう、俺が知ってる雪ノ下と違うと首を捻りながらぼやく彼氏くん。強く生きてほしい。

 

「……で、お兄ちゃん。いい加減雪乃さん止めなくていいの? なんかお兄ちゃんの写真をめぐってお母さんと取っ組み合いの喧嘩してるけど」

「あれッ! 急に目にゴミが入った! 見えないぞッ、二人なのかよくわからないぞッ!!(見ていない! オレは見てないぞ、なあーんにも見てないッ!)」

「いやそれ見えてるやつじゃん。心の声までしっかり喋ってるし。逃げないでよ、現実から」

 

 死んだ魚のような目で茫然としながら母と彼女のキャットファイトを見守る息子で彼氏なお兄ちゃん。最愛の妹が指摘する現実はちょっと受け止めきれないらしい。

 

「とにかく、このままじゃ終わらないからさっさと止めてきて!」

「無理」

「……学校中にお兄ちゃんの中学生時代の黒歴史ノートをばら撒くよ?」

「やってやるぜ!」

 

 羞恥と絶望で赤面したり真っ青になりながらも仲裁するために果敢にも紛争へと飛び込む兄の勇姿。その後ろ姿に妹は合掌して送り出す。

 

「たった一年かそこらの付合いで彼女面しやがって! 嫉妬深い女は彼氏からドン引きされるわよ!! ソースは私!!!」

「そちらこそいい加減に子離れしたらどうなのかしら! 過干渉する母親は子どもからしたら鬱陶しいだけよ!! ソースは私!!!」

「待ちたまえ、君たち!!」

 

 やいのやいのと言い合う二人に割って入り、なんとか宥めすかそうとして、どうしてか二人から罵詈雑言を浴びせられてダメージを負う息子であり彼氏でもあるお兄ちゃんを尻目に、娘で義妹な妹ちゃんはワクテカと楽しげにカメラを回す。

 

 こうして、面倒臭い同士な母親と息子の彼女の初顔合わせは混沌としたまま幕を閉じるのであった。

 

 

 

 *   *   *

 

 

 

 その夜、今日も今日とて休日出勤から帰ってみれば、不機嫌モード全開な妻からの『ちょっと晩酌付き合えやオラァ』というお出迎えを受けたお父さん。やれやれと溜息交じりに背広を脱いでネクタイを弛めた格好のまま、大人しくダイニングへと移動します。ドンマイ。

 

「ん」

「はいよ」

 

 ダイニングテーブルで不貞腐れたようにグラスを差し出す奥さんに、苦笑するように冷蔵庫から取り出した大吟醸を注いであげる旦那さん。尻に敷かれてるから仕方ないね。

 

「……」

「……」

 

 それから暫くの間、お互いに無言で杯を進めてゆく。

 酒の肴として用意された煮干しのご相伴にあずかろうと、いつの間にか我が物顔でダイニングテーブルに居座っている飼い猫はご愛嬌である。

 

「……で?」

「で、ってなにが?」

 

 やがて、頃合を見計らった夫が妻へと問い掛ける。

 

「今日、会ったんだろ。八幡の彼女に」

「……会った」

「それで?」

「良い子だったわよ。美人だし。ただ……」

 

 先を促す夫に、悩ましげな表情の妻が溜息混じりに言葉をこぼす。

 

「……名前、雪ノ下だって」

「雪ノ下? ……うん? え、まさか」

「そのまさか。八幡が入学式の日に事故に遭ったでしょ。そのときの事故の相手よ」

「マジかよ」

 

 事実は小説より奇なりとは良く言ったものだと呆れたような表情をみせる夫に、妻の方も頷きながら呻くように愚痴をこぼす。

 

「気になって後で詳しく小町から聞いてみたんだけどね。八幡の彼女も事故当時、その車に同乗していたらしいわ」

「それはまた……」

「しかも、八幡が去年から入った部活っていうのがその子が部長をやってる部活なんだけど、八幡以外の部員は同級生の女の子が一人いるだけで、総数三名の小さな部活でね……」

「あっ……(察し)」

「もう一人の女の子っていうのが、事故の原因になった犬の飼い主だってさ。ついでに八幡を取り合って三角関係だったらしいのよ」

「我が息子ながら何処のラブコメ主人公だと言いたくなる境遇だな」

 

 思わぬ息子の青春事情にもはや苦笑いしかできないお父さん。若干、遠い目をしているのは自身の過去を振り返っているからか。多分これ血は争えない感じだと思われる。

 

「ならあれか。息子の彼女が事故の当事者だったから気に入らないってか?」

「馬鹿にしないでよ。さすがにそこまで子どもじゃないわ。雪ノ下さんは車に同乗しただけだし、もう一人の子も飼い主として少しは責任あるかもしれないけど、話を聞く限りリードが外れちゃったのは事故みたいなものらしいし。何より轢かれそうになった犬を助けるために車に飛び込んだのは八幡自身よ? それで恨んでたら逆恨みもいいところじゃない」

「……八幡が事故に遭って病院に運ばれたって連絡受けたときに、鬼の形相で上司を蹴り飛ばして駆けつけた奴の台詞とは思えないな」

「知らないわね。過去は振り返らない主義だから」

 

 病院に到着後、命に別状はないこと、事故に巻き込まれたのではなく、自分から巻き込まれにいったことを聞かされたお母さんは、呆れと気恥ずかしさで息子が目を覚ます前にそそくさと仕事に戻ったらしい。捻くれてる性格は遺伝かもね。

 

「それじゃ、何が気に入らなかったんだ?」

「だって……そんな物語みたいな出会い方してるって、なんだか運命みたいで付け入る隙がないじゃない」

「そこは素直に祝福してやれよ」

「八幡に彼女なんてまだ早い」

「そんなこと言ったら、俺たちはどうなるんだよ。俺たちが付き合いだしたのも八幡と同じぐらいな年頃だっただろ」

「それはそれ。これはこれ」

「……おい」

 

 結局、その後も酒を呷っては『嫁入りしてきたら絶対いびってやる』『ここは家族麻雀でケリを付けるべきか』『やはり私の息子の青春ラブコメはまちがっている。』などと不穏なことを呟きつつ、息子や娘が親離れし過ぎてて寂しいと愚痴をこぼす姑(予定)で母な妻に付き合いながら、最終的には涙ぐんで寝落ちしてしまった愛妻を微笑ましく見守る夫で父なナイスミドル。

 そんな長閑な夫婦の晩酌風景を肴に煮干しをむっしゃむっしゃしていた猫が、酔い潰れてテーブルに突っ伏しながら眠る飼い主に呆れたような声音でニャーと鳴く。

 

「ふがっ……は…まん………まちぃ……うへへ………むにゃ」

「やれやれ。どんな夢を見てるんだか」

 

 幸せそうに、けれど、だらしのない寝顔でニヤつく飼い主を警戒したのか、怪訝な顔をした猫が酔っ払いの頭を肉球でペシペシする。そんな飼い猫の様子に苦笑しながらも、愛すべき妻の安眠を守るため、彼は荒ぶるお猫様をナデナデして落ち着かせ、風邪をひかないように妻の背中へと自分の背広をかけてやる。

 

「とりあえず、洗い物したら寝室まで運んでやらんとな」

 

 そろそろギックリ腰とか心配なんだけどなぁ、とぼやく一家の大黒柱に同情したのか、悟ったような表情の飼い猫がポムポムと前足で彼の腰を優しく叩くのだった。

 

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