世界中で猛威を振るうコロナウィルス。
それはここ千葉県も例外ではなかった。矢継ぎ早に出される外出自粛要請、叫ばれるソーシャルディスタンス、求められる3密対策とマスクの着用に手指の消毒。
そんな同調圧力だらけの世界で、誰もがストレスを溜め込んでいた。当然だろう。あれもダメ、これもダメ。そんな制限だらけな状況を喜ぶ人などいるわけがないのだから。
「んふ……。んっふっふ~ん」
いや、やっぱり一部例外も存在するみたいです。
「あ、そろそろWEB会議の時間ね」
自室のテーブルでノートPCのキーボードを叩きながら、ご機嫌な様子で鼻歌を垂れ流すこの人物。
誰あろう、最近になって過保護を拗らせて息子の彼女に嫉妬しちゃってるお母さんです。字面だけ見るとヤベー奴だな。
「んーしょっ、と。もしもーし! 繋がってるー?」
『──はい。比企谷マネージャー、繋がってますよ。他のメンバーもみんな揃ってます』
「ありゃ、待たせちゃった?」
『いえ、まだ予定時間前なので大丈夫です。直前だと繋がらなかったときに慌てるので、みんな早めに入室していただけなので』
「ん、了解。それじゃ、ちょっと早いけどミーティング始めちゃおっか」
昨今の時勢の流れに乗ったのかどうかは知らないけれど、ブラック臭がプンプンするぜッーーー! でお馴染みな彼女が勤める会社でも在宅勤務が奨励されているらしく、ここ最近は家にいることが多いお母さん。今日も自宅からオンラインでお送りしております。
画面の向こうに映る部下や同僚たち相手に横文字だらけなビジネス用語を適切に使いこなす姿はまさにキャリアウーマン。最近のポンコツ具合が嘘のようです。……え、誰これ?
「──よし。喫緊の課題はそんなところね。他になにか話しておきたいことがある人はいる?」
『いえ、大丈夫です』
『僕も問題ありません』
『自分も』『私も』『我も』『右に同じく』『以下同文』
そんな言葉がスピーカー越しに続き、よっしゃ今日も問題なしだなやっぱりあの出しゃばりな部長が会議に参加しないと話が早い。仕事がめっちゃ捗る。そんな感じで彼女が満足そうにウンウンと頷いていると、ノックも無しに部屋の扉がガチャリと音を立てて開けられた。
「母ちゃーん! 昼飯の用意できたけど食べ…………あっ、ごめ…し、失礼しましたぁー……」
どうやら短縮授業の影響で早々に帰宅していた息子が気を利かせてお昼ご飯を準備してくれたようです。
しかし、無遠慮に母親の自室に入ったはいいものの、肩ごしにこちらを振り返った姿勢のまま驚き固まる母親。その肩ごしに映るPCのディスプレイに映し出されている母親の同僚と思わしき老若男女。彼は三秒ほど硬直して事態を把握した後、ものすごーく気まずそうにしながら扉を閉めて去っていきました。ノックって大事だよね。
「……」
『『『 …… 』』』
突然の息子の乱入に、俯いたまま無言でプルプルと震える母。
そんな彼女の様子にどうしたもんかと戸惑う同僚部下の方々。
「みっ……」
『……比企谷マネージャー?』
職場での厳しい顔を身を持って理解している部下たち。怒るととんでもなく恐ろしいということを過去の経験から知っている同僚たち。
彼らは扉の奥へと消えていった息子くんの末路を憂い、冥福を祈り、憐憫の眼差しを────向けてはいなかった。
「見たっ! ねぇ、見たウチの息子の反応!?」
『えぇ、えぇ、見ました。見ましたとも』
『すっごい申し訳なさそうな顔してましたよね!』
「そうなの! そうなのよ! もう顔面にデカデカと『ヤバイ、仕事の邪魔しちゃった! 母ちゃんに怒られるっ!?』って書いてあるの。素直か! 普段あれだけ捻くれてるくせにそういうところは素直かっ!? ウチの息子マジ捻くれ素直カワイイ」
息子の失態に大興奮する母親。それに引き摺られるようにテンションが爆アゲボンバーな女子社員共。そんな彼女たちを呆れたような眼差しで眺めながらそっと回線を切断していく男性社員たち。
そう。在宅勤務である以上、このようなトラブルは一度や二度ではない。他の同僚たちだって大なり小なり似たようなトラブルを起こしている。だから、誰も彼もが息子くんがWEB会議に乱入してしまったこと自体は気にしていない。何なら息子の焦った姿見たさに油断して乱入してき易い時間帯に、あえてWEB会議を開催している節すらあるお母さんです。歪みねぇな。
『いやー、今日も良いもの観れました。これで定時まで戦えますよ』
『さすが比企谷マネージャー、いい仕事してますね!』
『最初に見たときは眼つきがヤバ気な感じだなーって思いましたけど……慣れると愛着が湧いてきますよね』
『それね。ホントそれ』
『てゆーか、高校生の息子がお昼ご飯作ってくれるって何? 家のバカ息子と交換して欲しいんだけど』
『それなら私のところのワガママ娘と取り換えて欲しいわ。もう二十代半ばだっていうのにカレーすらまともに作れないんだから』
『それはアンタの教育が悪いんでしょ』
『カレーすら作れないのはちょっと……』
銘々に好き勝手なことを話しながら画面の向こうでお弁当を広げる彼女たち。
ちょうど昼休憩の時間帯ということもあり、オンライン上の会議室を占有したままやりたい放題である。きっと上司の影響だね。間違いない。
しかし、そんな自由奔放な彼女たちの更に上をいくのが天下無双傍若無人を地でいくお母さんです。彼女はこれ見よがしにドヤ顔を浮かべて言い放つ。
「さぁーてと、それじゃ私は息子が作ってくれた愛情たっぷりのお昼ご飯でも食べてこよーっと!」
『なん…だと……!?』
『ズルい! ズルいぞーーー!!』
『息子の手料理とか何だそれ幻想か! この年になっても未だ独身のあたしにも食べさせろ!?』
ニヤニヤと勝ち誇ったような笑みを浮かべる母親。
既婚未婚問わず、憤慨し、不平不満を爆発される女子社員たち。
『比企谷マネージャーによる息子君の独占を許すなー!!』
『いい加減に子離れしろー!』
『親バカしやがって! 正直羨ましいんだよ、コンチクショー!!』
「うっるさーいっ! 母親が自分の息子を可愛がって何が悪い! 八幡の愛情は私が独り占めじゃーーー!!」
何故、彼女たちがこんなにも荒ぶっているのか。
それにはもちろん理由がある。というか、このお母さんが元凶です。
『だから愛が重いんだよっ』
『息子くん逃げてー! いますぐ逃げてー!!』
『そんなことより息子君が作ってくれたお昼ご飯についてkwsk』
「あ、それもそうね。ちょっと聞いてみる。──おおーい、はちまーん! 今日のお昼ってなーにー?」
『愛が重いってツッコミはスルーしやがった!?』
『いつものことでしょ』
最近ひょんなことから母性愛を再燃させてしまったお母さん。ダイエットをした後のリバウンドが激しいように、どうやら親子愛の揺り戻しも大きかったようです。
親バカを炸裂させ、暇さえあれば職場で息子と娘を自慢しまくる母。職場での人間関係を鑑みて、愛想笑いで応える同僚部下の方々。しかし、彼女たちは甘くみていた。日々、面倒臭い上司や顧客へのレビューで鍛えられたトーク力、止め処なく溢れ出す母性から伝わる重すぎるほどの情愛、若干美化とか誇張された幼少時から現在に至るまでの子どもたちの成長エピソード。
毎回、五分~十分ほどの短時間で繰り広げられる親バカトークはしかし、濃厚なドキュメンタリー映画とも、続きが気になって仕方がない海外ドラマのようでもあり、気がつけば彼女たちは会ったこともない高校生兄妹をまるで我が子のように錯覚するほど絆されていた。
……どうみても洗脳です。本当にありがとうございました。
「聞いてきたわよ。似非とんこつ風牛乳塩ラーメンと野菜炒めだって」
『うわぁ……。昼からガッツリ。でも羨ましい』
『……え、待ってください。似非とんこつ風ってなんですか?』
『それよりもラーメンに牛乳ってなに? アリなの!?』
「確かにちょっと不安になるレシピだけど……。だがしかーし! 可愛い我が子が作ってくれた料理を無下にできようか? いいや、できるはずがない! たとえ出された品がジョ○フル本田で売っているような木炭だったとしても、そこに息子の愛情がこもっているのなら、私はその全てを喰らい尽くしてくれる!!!」
息子くんが作ってくれたメニューを聞き、俄かに騒がしくなる画面越し。
それに対して、誇らしげに、そして勇ましく完食宣言するお母さん。これこそ拗らせた母性愛のなせる技。同僚部下たちもドン引きだぜ。
『……しかし、そこはかとなく漂う手抜きレシピ感』
『牛乳はともかくとして、ラーメンは恐らく市販の袋ラーメン、野菜炒めは有り合わせの野菜を塩コショウと醤油で炒めただけとみたっ!』
『息子くんの愛…情……?』
『本当にそれ、こもってるんですかねぇ……?』
『まさかとは思いますが、その「愛情」とは、比企谷マネージャーの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか』
『(愛情なんてこもって)ないです』
『だから息子君のことは私たちに任せてもらって、どうぞ』
けれども息子大好きお母さんから薫陶を受けた彼女たちです。そうは問屋が卸しません。まるで連想ゲームのように次々と疑問を呈しては夢見がちな母親へと現実を叩きつけます。もちろん自らの願望をしれっと付け加えるのも忘れない。仕事ができる部下ってありがたいよね。
「アー、アー、キコエナーイ」
しかし、そこは本家本元である息子くんのお母さん。所詮、何を言われようとも負け犬の遠吠えとばかりに気にする素振りもありません。……その割にはしっかりと耳を塞いでるじゃんとか言ってはいけない。彼女は何も聞いていない。いいね?
『……なんて大人げない対応』
『それがいい歳した子持ちの母親がやることかっ!』
『往生際が悪いぞー! 年考えろー!!』
『比企谷マネージャーの横暴を許すなー!』
『給料上げろー!』
『休みよこせー!』
『わたしにも息子くんの手作りラーメンを食べさせろー!!』
『あ、バカっ!?』
「人が黙って聞いてれば好き勝手言ってくれちゃって……。誰があんた達に八幡が私のために作ってくれたラーメンを…………ん? ラーメン?」
止め処ない罵詈雑言の嵐。さすがの彼女も反論しようとして……気がついた。
果たして、我が子が部屋を訪れてからどれほどの時間が経過しただろうか、ということに……。
「私のラーメンが……。麺が……のびてる…だと……っ!?」
『あーあぁ、バレちゃったぁ』
『せっかく時間稼ぎしてたのにぃ……』
「貴様ら、故意犯かっ!?」
『フヒヒwwwサーセンwwww』
『のびてしまえぇ……。どんどんスープを吸い込んでのびきってしまえぇ……』
『息子くんの愛情を独り占めしようとする比企谷マネージャーなんか、麺がのびきった油そばモドキでも食べてればいいんだっ!』
『たとえ、どれだけ息子君の愛情がこもっていようとも!』
『のびきったラーメンは不味い!』
『マズいものは、マズい!』
まさか自分が同僚部下たちへドヤ顔し、優越感に浸っている裏でそのような深謀遠慮が巡らされていようとは……。
そんな心情をありありと表情に浮かべながら、彼女は愕然と立ちすくむ。動揺が、狼狽が、まるで濁流のように彼女の思考へと押し寄せては荒れ狂う。
「私は……」
今から向かってもラーメンの麺はきっとのびきっているに違いない。
でも、出来立てみたいなラーメンなんていらない。我が子が作ってくれたものではなく、愛情もこもっていないラーメンならそんなものはいらない。
彼女が欲しいのは愛息子が作ってくれたのびきったラーメンだ。
麺がのびきっても、スープが著しく少なっていても、妙に麺が肥大化していても、麺のコシが失われていようとも、スープが冷め切ってしまっていても、アツアツ出来立てが食べられなくても、息子との和気藹藹とした昼餐が許されなくても。
「それでも……」
いつの間にか出ていた声は、彼女自身でも震えているのがわかった。
「それでも、私は……」
涎が垂れそうになるのを必死で飲み込む。声も言葉も一緒に飲み込んでしまいたかったのに、声も言葉も切れ切れに出て行ってしまう。歯の根がカチカチ鳴って、勝手に絞り出されていく。
「私は、息子が作ってくれた手料理を食べたい」
目頭が熱い、視界が霞んで見える。自分自身が吐く息の音しか聞こえない。
そんな彼女の顔を同僚と部下たちが少し驚いたような顔で見ていた。
なんて無様なんだ。こんな涙声でかすれた情けない声で、他人にものをねだるなんて。こんな自分、認めたくなかった。見せたくなかった。見られたくなかった。言ってることなんて支離滅裂だ。論理も因果もどこにもない。こんなの、ただの戯言でしかない。そんな情感が彼女の全身を駆け巡る。
熱くて湿った息が彼女の喉元を震わせる。そのたびに、声が漏れそうになり、それを彼女はかみ殺す。
『比企谷マネージャー……』
画面の向こうから部下の一人が彼女を呼んで、そっと手を伸ばす。けれど、彼女たちの距離は触れられるほどに近くない。画面越しに伸ばされた手は届かなくて、力なく下ろされた。
手だけじゃない。言葉だって届いたかはわからない。
こんな言葉で何がわかるのだろう。言ってもきっとわからない。なのに、言ってしまったのはそれこそ自己満足だ。あるいは、これこそ彼女たちが忌み嫌った欺瞞なのかもしれない。どうしようもない贋作なのかもしれない。
けれど、どれだけ考えつくしても、答えなんて出なかった。どうすればいいかなんてわかりもしない。だから、本当に最後に残ったのはこんなどうしようもない願望だけだった。
『私には、……わからないわ』
未だ独身の同僚たちが静かな声を揃えてそう言った。自らの肩を抱くその手を一層強く握りしめ、辛そうに表情を歪める。
ごめんなさい、と早口に小さな声で言って、その同僚や部下たちが席を立った。そのまま、WEBカメラのレンズを見ることもなく、未婚女性たちはオンラインの回線を切断する。
『……比企谷マネージャー』
『あなた、狙ってやったわね……?』
そんななんちゃってシリアスな空気をぶち壊すように、僅かに残った既婚子持ちな同僚部下の方々がニチャァという笑みを浮かべているお母さんへ非難の眼差しを向けています。
「さぁーて、なんのことやら」
どうやら先ほどまでの茶番は息子の手料理を台無しにされた母親による意趣返しだったようです。食べものの恨みは恐ろしいって聞くからね。仕方ないね。
『はぁ……。もういいです』
『まぁ、先に悪ノリしたのはこちらですしね』
『さっさと昼食を食べに行って、どうぞ』
「はいはい。それじゃ、何か仕事で問題が起きたらいつも通り連絡ちょうだい」
『はーい』
『承知しましたぁ-』
そうしてディスプレイの向こうの人影がすべて消えたことを確認して、彼女自身もノートPCを閉じて椅子から立ち上がります。
やれやれこれで今度こそ息子が作ってくれたお昼にありつけるぞ、と意気込んだところで、唐突に彼女の業務用スマホがメッセージの通知を知らせる音色を鳴り響かせました。どうやら、さっそく仕事仲間から連絡が届いたようです。
溜め息まじりにスマホを操作したお母さん。しかし、次の瞬間には手元のディスプレイを凝視して固まってしまいます。
《やっぱり納得できない! 私たちも息子くんの手作り料理を所望しまーす》
《具体的には次の出社日に私たちの分も持ってきてください》
《息子君の愛情を私たちにもプリーズ!》
《ついでに息子くんもプリーズ!!》
《お義母さん! 私に息子君をください(便乗)》
わなわなと身体を小刻みに震わせながら額に青筋を浮かべた彼女は、声を荒げて力の限り吼え猛る。
「誰がおまえらなんかに息子をあげるかっ! ウチの息子にはもう超絶美少女な彼女がいるっつってんだろっっっ!!」
どうでもいいけど、ラーメンのびちゃうよ?
* * *
同時刻。
いつもは残業・休出と忙しない彼もまた、自室でPCと向かい合いながらミーティングに勤しんでおりました。
「……なんて?」
『いえ、ですから……また部長が先日のプロジェクトについて説明会を開いてほしいと……』
「アー、アー、キコエナーイ」
『比企谷課長。現実逃避しないでください』
『僕らじゃだけじゃ説得できないんですよぉ……』
「いや、そうは言うがな……。俺、この間のレビューで部長から承認もらったよな? その後の書面回付でもハンコもらっただろ?」
『それは…そうなんですけど』
『今日になって、やっぱりよくわからないって言い出して……』
「どういうことなの……」
普段の死んだ魚のような目をより一層濁らせて、ガックリと項垂れては茫然自失とするサラリーマンであり中間管理職でもあるお父さん。企業勤めな社畜だからね。仕方ないね。
こうやって日本企業はブラック体質に日々磨きをかけているんだろうなぁ……。
「……わかった。やる。やればいいんだろ、やれば。はいはい、やりますよ。俺の仕事は終わったはずだけど黙ってやりますよ」
『比企谷課長。そんな下っ端社員みたいな投げやりな態度を取らないでくださいよぉ』
忌々しそうに愚痴をこぼすお父さんと、情けなさそうな声で諫める部下の青年。
『……まぁ、もともと部長へのレビュー以降は僕らの担当でしたし、やはり部長への説明は僕らでやりますよ』
『そうですね。比企谷課長、話を聞いてくれてありがとうございました』
またあの面倒な部長へ説明しないといけないのかと悪態をついてしまった彼ですが、そうやって部下から殊勝な態度で接せられると、それはそれで気まずくなってしまうようです。
「その……、なんだ。俺も後半めんどくなって説明端折っちゃったからな……。悪かった、極力手伝うよ」
だがしかし、彼がそう言った瞬間部下たちの目が光った。ヤマピカリャー以下略。
『比企谷課長ならそう言ってくれるって信じてました!』
『さすがチョロ…………ゲフンゲフン。さすが部下想いな課長! 大好きです!!』
「ぶっとばすぞ、おまえら」
口々に歓声を上げる部下たちを前に、目を眇めながら剣呑なオーラを放つお父さん。ある意味、部下から信頼されてる証だよね。
しかし、そんな風に和気藹藹として盛り上がっていたWEB会議に乱入者が現れました。
「お父さーん! お昼ご飯の用意でき…………ありゃ? もしかして小町、お邪魔しちゃった?」
目に入れても痛くない愛娘が自室のドアを勢いよく開け放ち……キョトンとした顔で小首を傾げた。かわいい。
「はは、何をバカなこと言ってるんだ。お父さんが小町を邪魔に思う時間なんて一分一秒たりともあるわけないだろ。会議なんて知ったことかっ!」
「いや、突然部屋に乱入しちゃった小町が言うのもなんだけど、社会人としてその台詞はどうなの……」
鼻息荒く親バカを爆発させる父。呆れ果てたような眼差しで嘆息する娘。
そんでもって、そんな二人のやり取りを見守っていた部下の方々もざわざわと騒々しい。
『……おい、あれってもしかして比企谷課長の娘さん…なのか?』
『うそ…だろ……? 普通に美少女じゃねーかっ!?』
『待て慌てるな! これは比企谷課長の罠だ!』
『でも、さっき「お父さん」って言ってたぞ?』
『本当に血が繋がってるのか……? だって課長みたいに目が腐ってないぞ?』
『俺の上司の娘がこんなに可愛いわけがない』
言いたい放題である。
「おまえらなぁ……」
あまりの部下の物言いに、さすがにカチンときたお父さん。
おまえら全員、今期の評定下げてやろうかと口を開きかけたところで、なんとなく不穏な空気を感じ取ったらしい娘ちゃんが発言をインターセプト。
「どうもどうもー。いつも父がお世話になっておりますー」
彼女は情け容赦なく父親をカメラ前から突き飛ばすと、愛想の良い笑顔を浮かべながらお世辞を述べてペコペコ頭を下げます。
『あ、いえ……』
『こちらこそ、お父さんには…その、いつもお世話になっておりまして……』
「いえいえー。不束な父ですが、どうぞこれからもよろしくお願いしまねー!」
『……イイ』
まさか積極的に絡んでくるとは思っていなかった部下の皆様。
社会人のクセして受け答えがしどろもどろなのはご愛嬌です。若干名、どこぞの空賊みたいに頬を染めてる奴らには触れてはいけない。YES! ロリータ NO! タッチ。
「それじゃ、お父さん。小町はもう行くから。あとさっきも言ったけど、お昼できてるからね。ラーメンだからのびちゃうよ? ……あ、皆さんも、お邪魔しました! お仕事がんばってくださいねー!」
「おう」
やはり俺の娘が可愛すぎて天使なのはまちがってない。と部屋を去っていく娘の後ろ姿を眺めながらウンウン頷いているお父さん。
そして、そんな彼を問い質すかのように部下からの詰問が集中砲火。薙ぎ払えー!
『どういうことなんですか、比企谷課長!』
『そうですよ! どうして課長の娘さんがあんなに美少女なんですかっ!?』
「んだとテメェこらっ! そりゃどういう意味だ。ケンカ売ってんのか!? 俺の娘は世界一可愛いっていつも言ってんだろっ!!」
『そんな親バカ発言、真に受ける訳ないじゃないですか!』
『そうだ、そうだー! 鏡見てみろ、遺伝子仕事してないぞー!!』
ボロクソに言われとる……。ほ、ほらあれだよ。気さくで親しみやすい、腹を割って話せるような上司と部下の信頼関係を築き上げたってことだよ。きっとそうに違いない(すっとぼけ)。
「あのなぁ……。どんだけだよ……」
『いや、だってそうじゃないですか』
『先輩みたいに眼つきの悪い人から、あんな愛らしい娘さんが生まれてくるなんて詐欺だ!』
『課長みたいな悪辣な手練手管を駆使する人から、あんな天真爛漫そうな娘さんが育つなんて思えません!』
「……よし、わかった。今度の部長への説明会は俺に任せとけ。顧客からの要求定義を完璧に満たした内容に変更してやる」
『ぎゃーっ!? やっぱり性格悪いじゃないすか! やだーーー!!』
途端に阿鼻叫喚の声がスピーカーから響き渡る室内。
部下たちは犠牲になったのだ。古くから続く社畜の因縁……。その犠牲にな。
『ちくしょう……。こんな悪魔みたいな課長と、あんな天使みたいな娘さんが親子だなんてやっぱり信じられない』
『深夜残業中にオフィスの廊下で女子社員と出くわすと、未だに悲鳴あげられるくせに……』
『社内で目がヤバそうな社員ランキングで一〇年連続一位になって殿堂入りしたくせに……』
『女子の新入社員達から「ワーキング・デッド」って陰で呼ばれて避けられてるくせに……』
「……おまえら俺になんの恨みがあるっていうんだ。終いには泣くぞこら」
『別に恨みはないんですけど、強いて言うなら妬んでます』
『特に憎んでないんですけど、あえて言うなら嫉んでます』
「嫉妬心丸出しじゃねぇか」
頬をピクピク引き攣らせながら、部下からのあまりにもあんまりな言葉の暴力に割と本気で泣きたい気分のお父さん。人生ってそんなものだよね。
『……待てよ。よくよく考えたら、娘さんが比企谷課長と似てないってことは、あの容姿は奥さん似ということになるのでは?』
『そこに気づくとは……、やはり天才か』
『いや、むしろ気付きたくなかったんだが』
『可愛い娘さんだけじゃなく、美人な奥さんまでいるとか……』
『ひどいよ……。こんなの…あんまりだよ……っ』
「おまえらの方がよっぽど酷いからな。特に俺の扱いとか」
僕と契約して社畜になってよとか言い出しそうな怪しい小動物と契約したわけでもないのに、ソウルなジェムがどんどん穢れて濁っちゃいそうな部下の皆さん。
魔法少女ではなく、魔法使いの穢れが溜まりきったら何になるのかは神のみぞ知るのかもしれない。
『くそう……。本気で比企谷課長が羨ましい』
画面の向こうに映るなんかガチで悔しがっている部下の姿に、普段のようにドヤ顔でざまぁwwwとかする気にもなれず、なんとなく憐憫の眼差しを向けてしまう人生の先達であり会社の上司でもある中間管理職なお父さん。
決して部下からの理不尽な言葉の雨あられに辟易して面倒臭くなったからとかじゃない。断じてない。別に大事なことでもないからこれ以上は言わないけれど。
「まぁ、そのうちお前らにも良い出会いが……」
だからかどうかは知らないけれど、彼は同情心でも芽生えたのかついつい慰めるような言葉を部下にかけようとして──
『僕も小町ちゃんみたいな娘が欲しいです!』
『俺は小町ちゃんみたいな彼女が欲しい!』
『自分は小町ちゃんみたいな奥さんが欲しいっす!』
『お義父さん! 僕に娘さんをください(迫真)』
娘を溺愛する父親に言ってはならないNGワードにピシリと硬直した。
数秒の沈黙の後、逆鱗を引っぺがされて虎の尾の上でタップダンスを踊られたお父さんの堪忍袋の緒がブチ切れて大絶叫。
「誰がおまえらなんかに娘をあげるかっ! 小町は五歳のときにお父さんと結婚するって言ってくれたんだぞ! 誰にも嫁になんてやらんっっっ!!」
どうでもいいけど、ラーメンのびちゃうよ?
* * *
場所を移しまして比企谷家のリビング。
とっとこほほほいっとばかりに軽やかなステップで階段を降りてきた妹ちゃんがリビングへとやってきました。
「お兄ちゃん。お父さん呼んできたよー……って、およ? お母さんは?」
「声かける、ドア開ける、WEB会議中、ドア閉める、今ココ」
そう言ってリビングで正座待機している自分を指差す兄の姿に、呆れたような眼差しを向ける妹。
「何やってるのさ、お兄ちゃん。……まぁ、小町も人のこと言えないんだけど」
「あ? なに、親父も会議中だったの?」
「うん。とりあえず、お父さんがダメな感じにヤル気を漲らせてたから物理で黙らせて仕事相手の人たちに挨拶して戻ってきた」
「会議に乱入した挙句、初対面の大人相手に挨拶して帰ってくるとか、お前のメンタルどうなってるの? 鋼なの? 等価交換で真理にメンタル持ってかれちゃったの?」
物怖じしない妹の強メンタル具合に戦慄する人見知りを拗らせ気味なお兄ちゃん。
兄と妹、どうして差がついたのか……慢心、環境の違い。詳しくはWEBで!
「それより、どうする? お父さんもお母さんもまだ降りてこなそうだけど……」
「うーん……。献立をラーメンにしたのは失敗だったか。……あれだな。先に食っちまうか」
「小町も賛成! ……って言いたいところだけど、それやると……後で二人ともめんどくない?」
「……面倒だな」
親バカを拗らせてる二人の両親が耳にしたら咽び泣いてしまいそうな辛辣な評価を下す兄妹。割と容赦ないのは両親からの遺伝だと思われる。
そのとき、階上から響いてきた両親の叫び声が悩める兄弟の耳を打つ。
「「 誰がおまえらなんかに息子(娘)をあげるかっ! 」」
「……」
「……」
なんとなく無言で見つめ合ってしまう息子くんと娘ちゃん。
二人は察した。『あっ、これ長くなるやつだ』って……。
「……先に食うか」
「だね」
やれやれと言いたげに首を横に振った兄に倣い、妹も肩を竦めて苦笑する。親バカな両親の元に生まれ育った兄妹の気苦労は絶えない。
二人は仲良く『いただきます』と声を揃えると、ズルズルと少しばかりのびてしまった麺をすするのだった。
* * *
目の前の現実に愕然として、彼は膝から頽れた。
眼前の光景に唖然として、彼女は茫然と立ち尽くした。
部下たちとの喧喧囂囂とした罵り合いを戦い抜き、やっとの思いでダイニングへと辿り着いた父と母。そんな彼と彼女を待ち構えていたのは、我が子が作ってくれた温かい手料理でも、子ども達の温かな笑顔でもなく、ましてや息子と娘との温もり溢れる団欒でもなかった。
電気が消された薄暗いダイニング。
キレイに片付けられたキッチン。
人の気配が感じられないリビング。
そのどれもが、二人が待ち望んだ光景ではなかった。熱望して、切望して、渇望して、そうして訪れた────絶望。
「……また、か」
まるで譫言のように、両手を床について項垂れた父親が呟いた。
「また、
押し寄せる悔恨の情に、その身を震わせる。
「俺は、何度同じ過ちを繰り返せば……!」
やり場のない怒りに拳を振り上げて、遣り切れない現実に拳が彷徨って、遣る瀬無い感情に拳は力なく床を叩いた。
「八幡、小町……っ」
それは、彼ら夫妻にとって一種のトラウマだった。
結婚して、子どもが生まれた。
念願のマイホームを建てて、我が家ができた。
待望の第二子を授かって、我武者羅に働いて、勤めていた会社で出世した。
絵に描いたような順風満帆な人生。幸せな家庭。そのはずだった。
いつからだろうか、歯車が狂い始めたのは……。
出世によって得られた役職に伴う責任と重圧。中間管理職として上司や部下のフォローに奔走する毎日。
長引く残業。増加する休日出勤。気がつけば、家に居るよりも会社に滞在している時間の方が長くなり、家族より会社の人間と一緒にいる機会の方がずっと多い、そんな日々を送っていた。
僅かばかりの役職手当で得られたモノは、彼らにとっては到底釣り合わないナニかを犠牲にしていて……。
『おかえりなさい』──夜遅くに帰宅して玄関を開けても、その声は返ってこない。
『おやすみなさい』──既に眠ってしまった子供達の寝顔に、その言葉は届かない。
朝が早いから『おはよう』の挨拶も言えなくて、一緒に食べられないから『いただきます』も『ごちそうさま』の声も聴けなくて、自分の方が先に家を出るから『いってらっしゃい』の言葉で見送ることもできない。
思い通りにならない歯痒い想いは仕事に忙殺されて、手のかからない子どもたちに気持ちは弛み、いつしか大事なモノが擦り切れて考えることを止めた。
一つ屋根の下で暮らしている筈なのに、会話の無い家庭。彼と彼女がその現実に気がついたときには、何もかもが手遅れだった。
捻じれて、拗れて、歪んで、いつの間にか
要領が良くて、抜け目がなくて、甘え上手で、いつの間にか
自分の殻に閉じこもってしまった息子に、父親は声をかけようとして、戸惑った。
自分の殻を押しのけ投げつけてくる娘に、母親は言葉を投げようとして、躊躇った。
擦れ違い続けた代償は大きくて、見て見ぬふりし続けた報いは重すぎて、そんな現実を直視することができなくて、二人は時間がすべてを解決してくれることを願った。
『思春期だから』『難しい年頃だから』そんな言葉で自分を誤魔化して、『落ち着くまで待とう』『ゆっくり待とう』そう自分に言い聞かせて、『大人になったら分かってくれる』『ちゃんと後で話し合えば大丈夫』そうやって自分に言い訳をして、父と母は子どもたちから目を背けたのだ。それが単なる願望で幻想であることを知りながら……。
しかし、当然ながら二人が抱く不安は消えてはくれない。
だから、二人は末娘だけを溺愛した。自分たちを拒絶する息子の分を穴埋めするように、自分たちに甘えてきてくれる娘で愛情の行き場を代替したのだ。それが、この二人の兄妹をひどく傷つける代償行為であると気が付かないままに。
解決もせず、解消もされず、されども先送りされ続けた問題は月日が経つにつれて風化した。そう願った両親の忘却の彼方で、そう願われた兄妹の心の奥深くで。
「……バカみたい」
それまで茫然自失と立ち竦み、仄暗い瞳でじっと明かりの消えたダイニングを見つめていた彼女が、感情が抜け落ちたような声音でぽつりと呟いた。
「年甲斐もなく浮かれて、はしゃいで、これじゃ私たち……何も成長してないじゃない」
自嘲するように紡がれたその言葉はきっと、今日の失態に向けられたものではなく、ここ最近に端を発する子どもたちとの新たな関係性に言及したものなのかもしれない。
「もう、遅いのかしら」
それは、普段は気丈に振舞っている彼女らしくない、涙まじりの弱音だった。
「……そうなのかもな」
それは、どんな苦境に陥っても絶対に悪足掻きを止めない彼らしくない、諦めの言葉だった。
「俺たち夫婦は、遅すぎたんだよ。何もかも……」
暗い室内に響く、重苦しい、暗澹たる言葉。
言葉は霧散し、二人の頬を伝う涙は静かにこぼれて、子どもたちの姿が消えた室内の床を濡らすのだった。いつまでも、いつまでも……。
まぁ、ぜんぶ茶番なんですけどね。
「……なにやってんの。親父、母ちゃん」
「何って…………後悔に苛まれてる自分に酔いしれた父親」
「同じく、その妻で罪悪感に押しつぶされそうな母親」
「もうやだこの両親」
シリアスかと思った? 残念! ただの寸劇でした!
「……いや、重い。重いよ。重すぎるから。お兄ちゃんはともかくとしても、小町そんな病んでるようなキャラじゃないから。もっとお気軽でお気楽なキャラだから」
「小町がお気楽なのは異論ないとして、俺はともかくってどういう意味だコラ」
「えっ……? お兄ちゃん、もしかして自覚ないの?」
「そういう深刻そうな雰囲気を出すのは止めろ。なんか本気なのかと思っちゃうだろ」
真顔で心配そうに自分を窺う妹ちゃんに、割と本気でオロオロ狼狽えるお兄ちゃん。え、ウソ冗談じゃなくて? ねぇ、待って。なんでそっと目を逸らすの? ちょ、小町ぃぃぃ!? と賑やかな兄妹コミュニケーションをほわわんと和やかに見守っているお父さんとお母さん。温度差がひどい。
「それより、八幡。私たちのお昼は?」
「あ? ああ、二人ともいつ降りてくるか分からんからラーメンは鍋に戻して、野菜炒めはラップして冷蔵庫」
「野菜炒めの方はレンチンすればいいとして、ラーメンはのびちゃうから二人で食べちゃおうかってお兄ちゃんと話してたんだけどねぇ。ただ……」
「ただ?」
「自分の分を食べてる間に、どんどん麺がのびてくのを見てたら、こう……おいしくなさそうだなって」
「だから、そのまま鍋に戻して放置しといた」
気まずげにふいっと視線を逸らす愛娘と、しれっと何でもないことのように宣う愛息子。
割と雑な自分たちの扱いに頬を引き攣らせるお父さんとお母さんでしたが、そもそも遅れてやって来た自分たちの自業自得だという自覚があるため抗議の声は上げませんでした。仕方ないね。
「しゃーない。とりあえず、温めて食べちゃいましょう」
「だな。適当に鶏ガラと醤油でスープ水増しすれば食えんことはないだろ」
ガッカリしたように溜め息を吐きつつも、なんとか思考を切り替えて食事の準備に取り掛かる夫妻。
子ども達の手料理が美味しく食べられないのは残念だけれど、それでも子どもが自分たちのために作ってくれた料理を食べないという選択肢はないのです。のびてものびても、食べていくしかないんです。どんなに打ちのめされようとも。……麺だけに。
「あー……、別にいーよ。こっちでやるから」
「……八幡?」
「手ぇ出すんなら、終いまでやれって親父に教えられたしな」
「誰が窯爺だコラ。声とか渋くて超カッコイイだろ。窯爺舐めんなよ」
「はいはい。んじゃ、小町。ホットプレート出しといてくれ」
「ほーい! 小町におっ任せー! …………んぇ? ホットプレート??」
何やら言いたげなお母上をサクッと無視して、グラサンを掛けたひげモジャ六本腕親父について熱く語るお父上の言葉も右から左に聞き流し、疑惑に満ちた眼差しを向けてくる可愛い妹に背を向けた息子で兄な捻くれボーイはキッチンへ。
シンク下の収納スペースからボールを取り出すと、息子くんは小麦粉を目分量でざっくり投入。そこにお出汁な素を適当に振りかけたら、蛇口をひねって気持ち少なめにお水をそそぎます。菜箸を使ってボールの中身をしゃっかしゃっかと掻き混ぜて、ダマを潰しつつ良い感じに小麦粉が水に溶けたら、お鍋に残っていたラーメンのスープをボールにドーン!
「お兄ちゃーん。ホットプレート用意できたぁ……あああっ!? 何やってるのさ、お兄ちゃん! 只でさえラーメンのスープほとんど残ってなかったのにぃ!」
「いやいや、あんな中途半端な量でラーメン温めても仕方ないだろ。お湯で水増ししても不味いだけだし」
「えぇ……。それは分かるけど。そもそもお兄ちゃん、なに作ろうとしてるの?」
「まぁ、そこは仕上げを御覧じろってな。それより、もう準備も終わるからホットプレート温めといてくれ」
「ううーん。まぁ、小町が食べるんじゃないから別にいっかぁ。あいあい、ホットプレート温めれば良いのね。油も引いとく?」
「おう。なんか良い感じによろしく」
「はーい」
なんとも不穏な会話を繰り広げる兄妹と、それを不安な心境で見守る夫妻。
親の心子知らずを地でいく息子くんは分かってるんだか分かってないんだか、色々な感情が上乗せされてマシマシな両親からの視線は華麗にスルーです。開き直ったぼっちの強メンタルを舐めてはいけない。
「……うっし。まぁ、こんなもんだろ」
その後、冷蔵庫から取り出した野菜炒めをボールにドパパーッと流し込んでまぜまぜしたところで一息。どうやら準備が整ったようです。
「んじゃ、さっさか焼くぞー」
「あー、なるほどな」
「あんた、お好み焼き作ってたのね」
ボールに入れられたタネとホットプレートでいろいろと察したらしいお父さんとお母さん。そこはかとなく、安心と納得が顔に出ております。
ですが、そんなことは息子くんには関係ありません。ダイニングテーブルにでしっと鎮座されたホットプレートの前に立つと、躊躇なくボールの中身を熱せられたホットプレートに流し込みました。
「ああっ!? お兄ちゃん、お好み焼きにするならするって言っといてよ! ホットプレート温め過ぎちゃったじゃん! あー、もう固まり始めてる!? お兄ちゃん! 早く形整えて、はやくはやく!!」
「ちょ、まっ……そんな焦らすなよっ!? 手元が狂う……あっ、なんか四角くなった」
「ぎゃーっ!? 小町のお好み焼きがぁーーーっ!!」
「いや、なんでだよ。お前のじゃねーから」
ジュージューと音を立てて焼き上がる生地に一喜一憂する兄妹。
「およ、そろそろ良いんじゃない? ひっくり返す? 小町、ひっくり返す?」
「譲らん。譲らんからな。……やめろ、そんなキラキラわくわくした目で俺を見るな。なんか罪悪感がハンパないだろ」
それを微笑ましそうに、そしてどこか懐かしそうに目を細めて眺める父母。なんかちょっと思うところがあるみたいです。
そうこうしている間にも調理は進み、無事にホットプレートの上で宙返りを決めた生地をしげしげと観察していた妹ちゃんがぽつりと呟きました。
「でも、お兄ちゃん。野菜だけのお好み焼きって、なんか味気なくない?」
「……と、思うじゃん? はい、ここに取り出しましたるはのびにのびきったラーメンの麺でございます」
妹の率直な意見に、不敵な笑みを浮かべた兄がお鍋を手にドヤ顔しております。ドヤヤ!
だがしかし、それを見た妹ちゃんががしっと兄の腕を掴んでストップをかけました。なんだか表情が妙に深刻です。
「お兄ちゃん、そのラーメンの麺なに、何に使うの。なんかよくわかんないけど、怖いからやめて」
「知らんのか。これを入れると、お好み焼きに入れる焼きそば風になんだよ」
言いながら、鍋の中身をどばしゃっとホットプレートの空きスペースにぶっこみます。その瞬間、妹ちゃんが悲鳴を上げました。
「やめてって言ったのにー!」
「いや、コク? なんか、そのコク的なのがうまいらしいんだよ。ネットのレシピにそう書いてあった」
「え? それってまさか、自分で試したことは……」
「ラーメンなんて作ったら、その場ですぐに食っちまうだろ? ……試す機会がなくてなぁ」
ぼやくように嘯く兄の言葉に、ピシリと固まる妹ちゃん。どうやら、今回はくすんくすんと泣き真似する余裕もないみたいです。
そんな妹を気にも留めず、ホットプレートの上でジュワってるラーメンの麺を見極めて、お兄ちゃんはほいっと気軽な調子でお好み焼きの生地を麺の上に乗っけました。
「よし、これで後はヘラで押し付けながら焼いて……あっ、卵忘れてた。小町、取ってきてくれ」
「……んもーっ! お兄ちゃんのバァーカ!! 何個!?」
「二個で」
ギャースカどたばたと冷蔵庫へ走る妹ちゃんを尻目に、お兄ちゃんはのんびりマイペースに焼き具合を確認。何だかんだで兄のフォローに奔走してくれる妹です。
あーだこーだと言い合いながら、卵をかぱりと割って目玉焼きを作りあげると、その上に焼き上げたお好み焼きをパイルダーオン。
「んで、適当にソースとマヨと鰹節をかければ、なんちゃって広島風似非とんこつお好み焼きの完成だ。さぁ、おあがりよ」
「なにその色んな方面にケンカ売ってるようなお好み焼き。本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だ、問題ない」
「いやそれ、だいじょばないフラグじゃん。ダメじゃん」
大丈夫大丈夫、ヘーキヘーキとばかりに、お兄ちゃんは出来上がったお好み焼きを半分に切り分けて両親の目の前にずずいっと差し出しました。いざ、実食っ!
「……あら。案外おいしいわね、これ」
「だな。ちょっと麺がべしゃってるのが気になるが、普通に食えるぞ」
「え、本当に? ……おかーさーん! 小町も一口食べたい!!」
「はいはい。あーん」
「あむっ。……あ。意外においしい」
はふはふモグモグと口に入れたお好み焼きの味を確認したご両親の反応に、末の娘も興味津々で頬張ります。そして、唯一、作った当人である息子くんだけが驚愕に慄いておりました。
「え、マジかよ。のびたラーメンなんてどうやっても不味いと思ってたのに」
「おい待て。なんでこれ作った張本人の八幡が一番ビックリしてんだよ」
「……ふっ」
「変顔で誤魔化せると思うなよ」
「なんで変顔だよ。薄笑いだ。とぼけてんだよ」
キザったらしく笑って誤魔化そうとしたら、実の父親に変顔認定されて激オコの息子くん。遺伝だね。諦めて。
そうして賑やかに野郎共がわちゃわちゃやってる横で、てててーとキッチンに移動して何やらちゃっちゃかやっていた妹ちゃんが食材片手に現れました。
「お兄ちゃん、邪魔。次、小町が焼くから」
「は? お前、さっき昼メシ食ったじゃん」
「だって見てたらお腹すいてきちゃったんだもん。はい、お兄ちゃん、そっちのスペースで焼きそば焼いておいて」
「小町、お前ってそういうとこホント自由な」
さすが比企谷家の最終兵器。次世代型ハイブリッドぼっちは伊達じゃない。公式で『腹黒いが底が浅い』と評されただけのことはある。……可愛いから別に問題ないね。
せっせとお好み焼きのタネ作りに勤しむ妹ちゃんと、何だかんだ言いつつも素直に焼きそば作りをがんばるお兄ちゃん。そんな自由奔放な我が子たちをぼんやりと眺めながら、お母さんはかつての食卓風景を偲んで懐かしんでいるようでした。
「……」
まだ二人が小学校低学年だった頃、まだ二人の仕事がそこまで忙しくなかった頃、こうしてダイニングテーブルにホットプレートを置いて家族で食卓を囲む、そんな当たり前な光景が比企谷家でも見ることができたのかもしれません。
それは今のようにお好み焼きであったり、あるいは焼肉だったり、一風変わってたこ焼きなんて日もあったりして……。何れにせよ、子どもたちはきゃっきゃっと大はしゃぎで喜んで、そんな愛らしい姿にお母さんの口元は綻んで、その光景をお父さんはせっせとファインダーに収める。そんな、ありふれた日常で、幸福な日々。
「っ……」
そのときは、今とは立場が逆だったのでしょう。お母さんがホットプレートの前に陣取って、子ども達は仲良く並んで椅子に座って期待の眼差しを向けていて……。
『母ちゃん、おれもやる! そのクルってひっくり返すやつおれもやりたい!』
『こまちも! こまちもやるのー!!』
変わってしまった関係と、変わらなかった関係。
変わってしまったモノと、変わらなかったモノ。
『小町はヤケドするからダメだ。小町のは兄ちゃんがやってやるから』
『そうだぞ、小町。あと小町の分はお父さんが超絶キレイに焼いてやろう』
『ヤーダァァァーーー! こまちもやるーーーっ!!』
『うるさい、バカ兄妹。ケンカするなら作ってあげないわよ』
そんなことに思いを馳せていたお母さんは、気がつけば滂沱の涙を流しておりました。
「は゛ち゛ま゛ぁ゛ん゛、こ゛ま゛ち゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛」
「……うわぁい。またお母さんがめんどくさいモードになったー」
「親父、パス」
「マホカンタ」
「跳ね返されたっ!?」
そんなドタバタだらけな比企谷家のランチタイムに頓着することもなく、ふんすっとふてぶてしい表情でのっしのっし歩み寄った飼い猫がベシベシと前足で息子くんの足先を叩きます。なんなら、少し爪も立ってます。お怒りです。ご立腹です。靴下に穴あいちゃう。
「どうした、カマクラ? 今ちょっとお前に構ってやる余裕は……ちょ、痛いイタイイタイイタイ」
「あ、そういえばかーくんのお昼ゴハン。まだあげてなかったかも」
今日も比企谷家のお猫様は自由です。
「……よし、カマクラの餌は俺に任せろ。小町と親父は母ちゃんを頼む!」
「いやいや、かーくんのことは小町に任せてよ。お兄ちゃんとお父さんはお母さんをお願い!」
「しゃーねーな。ここは一家の大黒柱たるお父さんがカマクラの餌を……」
「ダメに決まってんだろ、クソ親父」
「お父さん、それは小町的にポイント低い」
「……はい」
子ども達からの冷たい眼差しに耐えかねた夫で父なナイスミドルは光の速さで白旗を掲げました。負けることに関しては最強を自負する中間管理職だから仕方ないね。全国の中間管理職なお父さんへの熱い風評被害が止まりません。
「はぁ……。仕方ない。アレやるか」
「……アレ?」
「よく見ておけよ。八幡、小町。これが、これこそがっ! これまで数多の死線を掻い潜っては鉄拳に沈んだ男の奥義だ」
やれやれと疲れた風に肩を竦めた旦那さんが、奥さんの背中を優しく擦りながら声をかけます。
「ほーら、痛いの痛いの飛んでけー!」
「誰がおちょくれっつったよ。宥めろよ」
「お父さん、それはない」
「う゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛……。こいつ、後で絶対にしばく……っ!」
「「 効果が…あった…だと……!? 」」
どうでもいいけど、とっくに昼休憩の時間終わってるけど仕事に戻らなくていいの?
* * *
その夜。
珍しく一人で晩酌を楽しんでいたお父さんの向かい側に、お風呂上りな息子くんがコーヒー風味な練乳飲料片手に腰を下ろしました。
「……」
「……」
普段から必要が無ければこれといって会話もしない親子。別に仲が悪いわけじゃないけれど、父と息子の関係なんて案外そんなものなのかもしれません。
「……んで?」
「あ? なんだよ、八幡」
でもどうやら、今日は用事があったみたいです。カシュっと音を鳴らして缶のプルタブを立てた息子くんが、缶ビールをぐびりと飲みながら目を眇めたお父さんに問いかけます。
「昼間の寸劇。なんだったんだよ、あれ。ご丁寧にモノローグっぽい語りまでやりやがって」
「……別に。単なる茶番だよ。茶番劇。あのシチュエーションなら、あれをやらにゃ漢が廃ると思ってな」
「廃れてしまえ、そんな漢気」
酔っ払っているのか、それともブラフか、冗談めかして嘯く父親に不機嫌そうな息子くんが眉を顰めます。
なんとなく険悪チックな親子の空気。そんな空気を読んだのか、それとも読まなかったのか、今日も今日とておつまみ目当てでテーブルの上に陣取っていた飼い猫がにゃーと鳴く。
「……」
「……」
お猫様効果かどうかは知らないけれど、幾分冷静になったらしい息子くんは思索に耽ります。その対面で、素知らぬ顔のお父さんが二缶目のフタをぷしゅりと開けました。
そうして暫く無言の時間が過ぎて、ふと何かに気がついて、不意に彼が口を開きます。
「……母ちゃんのためか?」
「はぁ?」
「親父、俺らが自分の部屋から出て階段降りてきたこと気付いてたんだろ」
「それで?」
「あの寸劇は親父にとって何処までが茶番で、母ちゃんにとっては何処までが茶番じゃなかったんだ?」
「……さてな」
まるで探偵のように、真実はいつもひとつとばかりに見極めようとする息子くん。
そんな我が子相手に、ポーカーフェイスで真意を読ませようとはしないお父さん。
「……」
「……」
「……」
「親父も母ちゃんも勝手なんだよ。勝手に思い詰めて、勝手に背負い込んで、俺も小町も、別に……」
「……くくっ」
「あ?」
「ぶわっははは! ダメだ、耐えらんねぇ……! なにシリアスになってんだよっ」
けれども、急に吹きだしたと思ったらお父さんはテーブルをバンバン叩いて大爆笑。どうやら、よっぽどツボにハマったみたいです。
ひーひー言いながら笑い転げる実の父に、息子くんはヒクヒクと口角を引き攣らせます。ドンマイ。
「お、親父……?」
「しかも、あんな空気醸し出しといて変顔してくるとか卑怯すぎだろっ! ぶはっ! ダメだ、思い出したらまた笑いが……」
「誰が変顔だ、クソ親父! 俺は真面目に……」
「だから変顔は止めろってw」
「してない。してないから」
「フフフフフwww」
「しばくぞ」
あんまりにも笑い過ぎて過呼吸になりながら、コヒューコパァとか変な笑い方してる高校生の息子と娘をもつ二児の父。ダメな大人の典型です。
そうこうしていると、ドタタタと廊下を疾駆してきた足音が響いたと思ったら、バーンと勢いよく扉が開いて大魔神が御降臨。
「……うるさい、バカ親子。くたばれ」
「「 アッハイ 」」
身の危険を感じた父子の行動は素早かった。即座に土下座体勢へと移行するとキレイに仲良く揃って頭を下げる父と息子。長年の調教の賜物です。何人もお母さんの眠りを妨げてはいけない、いいね?
そんなこんなで有耶無耶のうちに親子の宴は終わりを告げました。
「やれやれ、だ」
荒ぶる妻が再び眠りにつき、スッキリしない様子の息子が自室に戻って、一人ダイニングに残されたのはお父さん。
本日、三缶目になる缶ビールをグイッと呷りながら、彼は誰に聞かせるでもなく小さくぼやくのでした。
「……お前みたいな勘のいいガキは嫌いだよ」
どこか嬉しそうにしながらも苦笑する彼に、呆れたような眼差しを向ける飼い猫。にゃふんと嘆息するように一鳴きして、お猫様はもっとつまみ寄越せやとばかりにペシペシと気苦労の絶えないお父さんの腕を叩くのだった。
今日も比企谷家は平和です。