片桐朝茶子は容姿端麗純粋無垢な人殺しである   作:茶蕎麦

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 花は大概において、己が華であることを知っている。

 しかし、朝茶子にとって、そんな自己認識はどうでもいいから一番に忘れるようなことだった。だからか、端からは彼女が自分の美しさすら知らないように見えてしまう。

 別段、無垢は無知と同じではないというのに、周囲はそんな、錯誤をするのだった。

 

 日差しを受けて、朝茶子は目を細める。照る睫毛の重なり、それは綿毛の煌めきのよう。

 思わず、艶やかな唇を開いて何か呟くその様ですら、開花の広がり。急がない朝茶子は一体優しげで、角一つない平面下の花のよう。札を営業中と取り替える作業の一コマですら、美しき自然の相似、フラクタルな世界の精緻を表してしまう。

 それほどに、良く出来た見目の乙女。しかしそんな体躯に抱かれた内側は絹の稜線。取っ掛かり一つ無い内面には拘るもの一つもなかった。

 たとえば、昨日夜分に失くしたハンカチーフの残念だって、眼前の世界を愛する邪魔にはならない。大きく息を吸って、吐いて。艶やかにラインを変える少女は言った。

 

「頑張ろう」

 

 そうして始まった彼女の一日。だが口ほどにも朝茶子は頑張らないのだった。

 何せ、彼女は自分が頑なに有りすぎると全てが台無しになってしまうことを知っているから。凶器は、必要以上に尖ることはなかった。

 

「もう、開いてるかな?」

「あ、いらっしゃいませー」

 

 だから、お辞儀一つだって大切にしながらも、それに囚われ過ぎはしない。草臥れきった老いの前でも朗らかに、刹那でしかない愛を持ってして。

 朝茶子は今日も無闇の中で輝くのだった。

 

 

 

「わあい。落とし物、わざわざ持ってきてくれるなんて、ありがとう!」

「はは……どういたしまして」

 

 確かに口の端弧を描いているというのに歪み一つ感じられない微笑みが、咲く。それは、彼には初めて見受けられた種類のものだった。

 つまり、大崎まひるにとって、目の前の少女はとんでもない未知である。思わず胸元が、恐怖のような緊張できゅっと縮まるような思いがした。

 美人は遠く知っている。性格のいい子とはよく話す。しかし、眼前のこれはそれどころではない。

 

 敏感な、彼には察せた。子供の内面をした陶磁器になんて、一体どう触れて良いものか。ついまひるが対面に困ってしまうのも仕方のない。

 半笑いのまひるの前で、朝茶子は子供の踊りを披露する。飛び跳ね、くるん。一連の仕草が意図なく流麗であるのは、何のいたずらなのだろうか。

 まるで嘘の塊のような少女が、まひるの目の前で、微笑む。

 

「ふふー。このハンカチ、おじさんおばさん達に買ってもらったものだったから、失くして悪いなあって思ってたの」

「喜んでくれたなら良かったよ」

「でもでも、どうしてあたしのだって分かったの?」

「タグに茶子さんっていう名前と龍鳴軒ってあったから……キミのかなって」

「あ、ホントだー。おばさん、書いておいてくれたんだ!」

 

 わあわあ言いながら、朝茶子はまひるとの距離を知らずに縮める。

 ほの甘いその薫りよりも突き刺さるは、もはや暴力的な視覚情報。整いきった細胞の羅列に、陰は一つも見当たらない。

 整いきらない自分とはまるで別。そうまひるが思ってしまうくらいに朝茶子は孤独にも完結していた。

 故に、そんな満点の答案を訂された少年は言うのだ。

 

「大丈夫?」

「え? どうしてそう思うの?」

「いや……ごめん。何となく」

「ふふ、おかしいんだっ」

 

 上手く、ふつと湧き出た想いを言語化出来なかったまひるは、続いた謝罪までもを朝茶子に変なものと笑われる。

 けれども、おかしいのは彼よりも彼女の方だった。ひさしで半分になった陽光の全てを捉えているかのような燦々を笑顔にして、零している姿はあまりに自由。

 感情を表すのがまともな人体であれば、不如意な結果で終わるのが当然であるというのに。しかし、透明に嬉々を映した朝茶子の表はまことに眩しい。

 加算的とはいえこんな異常が世に排斥されないなんて、嘘。そう思ってしまうのは当然であるとはいえ、そんなこと、当の少女は無垢に考えもしない。

 だから、少女が客にまた来てくださいと言ったところを少年が捕まえたからこその、軒下での会話はこうも不通になったのだった。

 だがそれでも愉快ではある。言いたいことが判らない、しかしだからこそ朝茶子は話をそっと添わせてみるのだった。

 

「そんなにあたし、頼りない? やっちゃった後で説得力ないかもしれないんだけど、これでも普段は落とし物なんて、殆どしないんだよ?」

「ええと、そういうのじゃなくて……」

「じゃなくて?」

「そんなにしていて。痛くは、ないのかな、って」

 

 非具体的にも、まひるはそう言う。でも、それは朝茶子を認めた誰にだって、起きる疑問だった。

 赤子の肌を、大事に抱くのは人心を持ったものの当たり前。無防備を認められないのは、刺激により対象が受けるだろう痛みが経験によって想起されてしまうため。

 朝茶子から伺い知れてしまう、あんまりなまでの剥き出し振りから、まひるはその無垢に感じるだろう痛みを想像してしまったのだ。

 

「あは」

 

 しかし、不感症の少女は笑う。

 

「キミって、怖がり。世界ってとっても優しいよ?」

 

 やがてそのまま嘘のような本音を、朝茶子は続ける。その後ほら、と優しく手を掴んだ掌の感触に、まひるは黙す。意外にも、彼女はやけに冷たい手をしていた。

 彼の心に応じたのか、一時、風は止んで辺りの動きは死んだ。光は木々の間を走ることなくなり、周囲にどこか淡さが消える。

 少年の心は明確な拍動を始めた。

 

「……キミと呼ばれるのは何となく嫌だな。ボクは、大崎まひる」

「まひる君って言うんだ。あのね、あたしは片ぎ……じゃなかった。松崎朝子って言うんだ」

「そうみたいだね……名札に書いてある通りだ」

「あ、これ見せれば一発だったねー! うっかりしてたー」

 

 胸元にぶらりと下がった名札を持ち上げ、少女は全身を傾げさせる。

 こうすれば笑ってくれるという経験則から、素直に戯ける朝茶子を見て、まひるはこの日初めて心から笑んだ。

 少年は思う。なるほど、この子はとても面白い。そして本物なのだ、と。

 

「はは。朝子さんは、珍しい子なんだね」

「そう?」

「だって、ほら。未だ手繋いだままじゃないか……あまり、異性に無遠慮に触れる人って居ないよ? ボクは止めといたほうが良いと思うな」

「えー。男の人の手って、ごつごつしていて面白いから好きなんだけど……うーん」

 

 残念がる朝茶子を前に、まひるは繋がったその手をそっと離すことを選択する。

 名残惜しげな視線に心惑うのが、少年には面白くすらあった。ああ、絆されてしまったのだな、と。

 まひるは数多の塩粒の中から、砂糖を一欠片見つけた、そんなような心地を覚えていた。

 塩辛さの中から別種を発見した少年は、それが染まらないようにと願う。

 だから、深く触れ合うこともなく早々にそのまま背を向けてから、言うのだった。

 

「また、来るよ」

 

 再訪、それは何のためでもなく、自分のため。萌芽のような好きを大事にするために、ほとんど独り言のように、彼は小さく溢した。

 

「また来てねー」

 

 去るまひるの背中には、そんな声が掛けられる。弾けるように周囲に響いた朝茶子の音色を、まひるはよく覚えた。

 

 やがて彼は心中に転がす。また来よう。何かの前に彼女を守ってあげるために、と。

 ためらいなど、ない。けれどもそれを表すことすら相手を変えてしまうことなら、ずっと秘めておこう。

 それでも。出来るならば彼女と。

 

「はぁ」

 

 呼気に熱が入るのは久しぶりの体験。

 

 この日。大崎まひるはそこはかとなく、恋をした。

 

 

 

「まひる?」

「なんだよ、夕梨(ゆうり)」

「あ、あのさ。お前はさ。私のこと…………い、いや、何でもない」

「……そっか」

 

 そう、すぐ隣に燃え盛る愛を忘れて、人殺し、なんかに。

 

 

 果たして、雪がれた罪は、守られるべきものなのだろうか。

 

 

 

 血は穢れであると、彼は考える。故に、それを浴びて生まれた全ては何もかもが度し難い。そも、血潮を生かす衆生のあり方こそが罪ならば。

 考える。産穢の是非を論ずるつもりはなくとも、その内に確と結論付けて。彼にとっては生まれ落ち血を帯びたことこそが呪いだった。

 

 だからこそ。

 

「ごめん、なさい……」

 

 その死の際にて目にした穢れの海に呑まれた筈の彼女が、今まで見た何よりも何よりも美しかった、清廉でしかなかったことは。

 それこそ、彼にとって唯一の祝いだったのかもしれなかった。

 

 

 


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