久しぶりに見る病院以外の真っ白な天井。こちらもシミなんて存在しないが、真昼は息が乱れるほど興奮していた。なんてったって、真昼がデパートに来るのは小学生以来、時間にして四年、正確に言うと七年ぶりである。それが改装して間もないものなのだから、真昼以外の人間でもワクワクが止まらないだろう。
「わ、わ!すごい、すごいね蘭さん園子さん!やっぱりおっきいんだねぇ!」
「こら、あんまりはしゃがないの。序盤で体力使ってちゃ後半もたないでしょ?」
園子が肩を抑えながら落ち着かせる。真昼の息は少々静かになったが、目のキラメキは止まらない。蘭は真昼ちゃんらしいな、と静かに微笑んでいた。
「…で、本当に体調は大事なのよね?ガキンチョ達と一緒だと体力もいるわよ?」
園子が、声のトーンを落とし聞く。真昼も動きを止め、しっかりと園子の目を見て自分の今を話した。目のキラメキは健在である。
「うん。今日のために体力もつけたし、先生からも退院の許可もらったんだもん。大丈夫、絶対」
「…そ。それならいいわ!園子様のおかげでこのデパートは人も少ないんだし、存分に楽しみなさい!こんな経験二度もできないんだから」
「うんっ!ありがとう園子さん」
女子高生らしく真昼が園子に抱きつく。傍でずっと微笑んでいた蘭はハッとし、急いでそれに混ざった。女子高生仲良し三人組。真昼は経験したことのない青春を、しっかりと謳歌していた。
ひと通りイチャつきあった後、三人は足を進めながら例の計画について確認した。真昼は意気込み、園子は悪い笑みを浮かべ、蘭が足を弾ませる。
結果は、もちろん。
「うな重うめー!!」
「おいしいね」
元太の叫びに律儀に返事をする。いつもとは一味違う少年探偵団と御一行がそこにはいた。新メンバーの登場である。真昼はうな重ではなくヘルシーな白身魚定食なのだが、まあそれはいいだろう。そう、問題はそこではないのだ。いわく付きの新入りにコナンは眉を顰めていた。
「真昼お姉さん、本当に大丈夫なの?」
「もちろん。じゃないと退院なんてさせてもらえないよ」
心配するコナンにニコリと微笑み、サラリと流す。このやり取りはもう何度目だろうか。少なくとも、元太が叫んだ回数には負けていないはずだ。あまりにしつこいコナンに園子が口を挟む。
「んもー、うるさいガキンチョね。真昼も大丈夫だって言ってるんだし、ちゃんとこっちでも用意はしてあるわよ」
「んぐ…それならいいんだけどさぁ」
用意はしてある、というのは初耳だが、とりあえず好意に甘えて触れないことにしておいた。今の真昼はとにかく、わくわくしているのだ。それはもちろん、七年ぶりのデパート、も理由の一つである。しかし、それ以上に心を躍らせるものがあった。
なんとこれは、真昼にとって初めての『友達と一緒の外出』なのである。
子供だけでの外出が許され始める中学校の間、真昼はクラスで孤立こそはしていないものの、思春期特有の内気さと持ち前の病弱さが重なり、親しい友人を作れずにいた。休み時間は静かに本を読み、休日は一人ゴロゴロと過ごす。まあしかし、例え真昼に親しい友人がいたとしても、心配性の両親は友達とのショッピングを許してはくれなかっただろう。病院で多くの人とふれあい、人見知りから抜け出し始めていた真昼にとって、友達と何かを一緒に行うことは、叶うはずのない儚い夢であった。
それが今、叶っている。
発作とは違う、体が熱くなるようなドキドキを感じる。息苦しくなんてない、むしろ、心地がいい。食事を一緒にとるだけで、こんなにも心が弾む。これからもっと楽しくなるのだと考えると、自然と口角が上がった。
「…真昼ちゃん、楽しそうね」
「えぇ。園子様のプランなんだから、当然でしょう?」
こそこそと話す二人。優しい目で真昼を見つめる二人も、顔にはしっかりと笑みを浮かべていた。
こんな三人を見てしまっては、コナンはもう何も言えない。隣に座る哀に肘で突かれ、これ以上真昼に問いかけることをやめた。そして、何かあった時は可能な限り支えようと、眼鏡に隠された眼を光らせた。
雑貨店でお揃いのストラップを買った。
UFOキャッチャーでぬいぐるみをとってもらった。
まだ穴もあけていないのにピアスを買った。
子供たちにお礼をしたらその倍のお菓子を貰った。
はじめて、プリクラを撮った。
宝物が増えていく。思い出が増えていく。
決意が少し、揺らいだ。
ベンチに座り、行儀が悪いと思いながらも真昼は足を伸ばした。病院暮らしで鈍った足は、数週間のリハビリではどうにもなってくれなかったらしい。博士と一緒にアイスクリーム屋の前で楽しそうにしている探偵団の子達を見ると、自分の体力の無さを実感する。
「真昼ちゃんは何味にする?」
「うーん…私はまだお腹も空いていないし、大丈夫かな。それに、あの子達を見ているだけでお腹いっぱいになっちゃいそうだから」
メニュー表を持ち隣に座った蘭に答える。あまりお腹が強くない、というのも理由だが、嘘はついていない。そっか、と笑い蘭は輪の中へ入っていった。周りにベンチは沢山あるが、真昼の他に座っている人はいない。プレオープンだという今日のデパートは、本来の状態を考えると本当に人が少なく、静かだ。夜は仕事を終えた大人の関係者が増えるため、こんなに静かなのは昼限定だと園子は話していたが。
…遠くから聞こえる笑い声や話し声が、寂しさを感じさせた。
いいや、遠くというにはおこがましいだろうか。ほんの数メートルなのだから。それでも、真昼にとっては遠く感じた。随分と、寂しがりで我儘になったものである。
…本当に、寂しがりで我儘だ。家を出た時と比べかなり増えた荷物に目をやる。遠慮してもグイグイと来る小さな紳士たちが持ってくれたので、真昼の負担にはなっていない。そんな彼らも今は無邪気な少年だ。とても無邪気で。何も知らない。
そうだ。
きっと、まだ何も知るべきじゃない。
だから、
「真昼お姉さん?」
「…コナン君?」
心配そうに、真昼の顔を覗き込むコナン。名前を呼ばれて初めて、自分が恐ろしいことを考えていたのだと気づいた。
「大丈夫?顔色、あんまり良くないよ。体調が悪いなら」
「大丈夫!ごめんねコナン君。本当に、ちょっと、疲れちゃっただけだから。全然、元気!」
小学生に心配される程わかりやすいのか、と凹みながらも、真昼は全然膨らまない力こぶをつくり精一杯元気さをアピールしてみた。実際、体は今までにないほど元気に溢れている。ただ少し、疲れてしまって。怖いことを考えてしまっただけ。
「本当?僕、もうあんな真昼お姉さんは見たくないな…だから、何かあったらすぐに言ってね!」
「うん。ありがとう」
実に子供らしくて、かわいらしい言葉。それでいて、大人びた気遣いをふんだんに感じる。ちぐはぐだけれど、心は温まる。江戸川コナン、という少年に真昼が抱いているモノを詰め込んだような発言だった。思わず、君は本当に子供なの?と聞いてしまいそうになる。しかし、真昼の開いた口からそれが紡がれることはなかった。
「あー!コナン君が真昼お姉さんとお話してる!何のお話ー?歩美もいーれーてっ」
「もちろん、歩美ちゃん。可愛いアイスだね」
一番最初にアイスを手にした歩美が、真昼の側まで駆け寄ってきた。可愛いアイスだと褒められて、子供らしく笑う。奥に目をやれば、他の少年探偵団の子達もアイスを受け取り真昼の方へ向かっているようだった。
「あ、じゃあボクもアイスもらってくるね!」
「うん。転ばないようにね」
「見てみろよコナン!オレのアイスすっげーだろ!」
「うわ、何味だよそれ」
「全部混ぜ味だってよ!うめぇに決まってるよな!」
「元太君、声が大きいですよ!少ないとは言え他にお客さんもいるんですから」
男の子達のやり取りを歩美と並びながら真昼は眺めていた。いつの間にか反対側には哀まで座っている。
「ふふ、面白い子達だね、本当に。哀ちゃんは何味にしたの?」
「コーヒーナッツ」
「大人だねぇ」
真昼の発言に何か言いたそうな顔をしながらも、哀はそう、と一言だけ返し黙々とアイスを口にした。反対側の歩美も、小さな口でアイスにかぶりついていた。
「みんな食べ終わった?じゃあ次は…」
「あ!」
可愛らしい声に反応し、一同が歩美の指した先に目をやる。ひとつの小さな屋台が目に入った。
「あそこは…似顔絵、屋さん?」
「すごーい!とっても上手なんだね!歩美あの人知ってるよ、大統領さん!」
「わ…本当にたくさんのお店が出てるんだね」
いかにも画家、という帽子を被った青年が、よくみかける人物たちの似顔絵に囲まれて微笑んでいた。目を輝かせて彼を見つめる歩美を気にかけた真昼が、お願いしてもらおうか、と声をかけようとした時。タイミング悪く別のお客さんが席に座った。ピッシリとスーツを着こなした後ろ姿が印象的で、何故だか真昼は目をひかれた。
「ほら、次の予定は迫ってるのよ!エスカレーターでいざ二階へ!行くわよ!」
「…あぁ、はーい!今行きます、園子さん」
横にいたはずの歩美はとっくに興味をなくし哀とともに真昼を待っている。さっと踵を返し、そんな彼女達の後を追った。
脳裏では、あのスーツを着た男性の後ろ姿が点滅していた。
それは。一階へと下るエスカレーターに足をかけた、ちょうどその時のことだった。
「ひっ…い、イヤァアアアアアアアア!!!!!」
けたたましい叫び声が、ぼんやりと余韻に浸る真昼の脳をつらぬいた。そして、真昼のすぐ横を何かが通り過ぎる。一階のステージでショーでも始まったのかと、おもむろに顔をあげた。
下降とともに近づく地面の、その先で。
へたり込む人と、倒れている人。
パイプ椅子に隠される前に確かに見えた、真っ赤なそれは、明らかに───
「っ───前を見ないでっ、目を閉じて!」
真昼の後ろに並んでいた少年少女たちに見せていい光景ではない。どうにか悲鳴を噛み殺し、声をあげ、真後ろの哀を抱きしめた。誰か一人だけでも、ほんの数秒でも、この光景から遠ざけたい。
「…みんな、後ろを向いて。ごめんね、大きな声を出したからびっくりしたよね」
子供たちは困惑しつつも、真昼の必死な様子に気圧され後ろを向いた。不安そうな顔で、最後尾の阿笠博士を見つめている。後ろを向き哀を抱きしめ顔を青くしている真昼には、前にいる友人二人を気遣う余裕などはなく、もちろん、博士の前にいるはずのコナンがおらず、先程横を過ぎていった何かが彼であるということにも気づいてはいない。
「…真昼ちゃん、そろそろ、一階につくから」
「っ…ありがとう、蘭さん。ごめんね、私…」
蘭の誘導に従いエスカレーターからおりると同時にようやく真昼から解放された哀だったが、いつにも増して顔の青い真昼から離れることはできなかった。冷えているその手を引き、エスカレーター下のベンチまで連れていく。自分よりいくつも下の子に心配をかけていることを不甲斐なく思いつつも、うまく頭が回らない真昼はベンチに腰かけ、ぐったりと背もたれへもたれかかった。発作とは違う不快感が、真昼の胸を締め付ける。
あんなにも楽しかった一日が、全てあの光景に上書きされる。子供たちの人生に、今日という日が刻まれてしまう。どうすることもできない、やるせない。
死とはやはり、恐ろしいものだ。
だから────
「真昼お姉さん、大丈夫?」
「ぁ…歩美、ちゃん。心配かけてごめんね。うん…もう、大丈夫。歩美ちゃんは、皆は大丈夫?怖いの、見なかった?」
俯く真昼に寄り添っていた歩美は、彼女が少しでも元気になるようにと、できるだけ元気に、笑顔で答えた。
「ちょっとだけ見えちゃったけど、大丈夫!歩美たち、ぜーんぜん怖くなかったよ!ねー、光彦くん!」
「えぇ!ボク達は少年探偵団ですから!事件にはちょっとだけ、慣れてるんです!」
「あんなの、いつもみたいにすぐオレたちが犯人見つけてやるからさ!真昼ねーちゃんもよ、そんなに心配すんなよな!」
子どもらしい思いから出た一言だった。ただただ、目の前の真昼を元気づけたかった。
「慣れて、る…?いつも…みたい、に…?」
状況やこの後のことを聞いてきていた蘭と園子が、現場に張り付こうとしているコナンを無理やり引っ張って戻ってきたその時だった。
真昼の透き通った、よく通る声は、小さくとも何故か耳に入ってくる。だから、その声が震えていて、何かにショックをうけているのだろうということを、理解せざるを得なかった。
「みんなは、怖く、ないの?」
「えっ…?あ、うん!歩美たち、怖くない!だから真昼お姉さん、大丈夫だよ!歩美たちがいるから、大丈夫!」
「…真昼ちゃん?」
「そっ、かぁ…」
子供たちに顔を向けている真昼の姿は、蘭からは見えなかった。名前を呼んでも、聞こえていない様子で。ただ。
「…うん。ありがとう、みんな」
ただ、やはり。その声は、どこまでも、悲しそうな匂いがした。
少年探偵団からは、よく武勇伝を聞いていた。近所の猫を助けた話から、悪徳マフィアを打ち倒した話まで、たくさん。そのどれもを、必死に紡いでいく彼らがかわいくて、愛おしくて。真昼はその時間が好きだった。
目を輝かせて、自分の感情と友達のかっこいい所を述べる歩美ちゃん。
どこか遠慮しているようで、やっぱり誇らしげな光彦くん。
周りから指摘をいれられつつも、胸を張り大きな声で笑う元太くん。
すました顔で、でもとても楽しそうにしている哀ちゃん。
いつも話題の中心にいて、それなのに誤魔化したように笑うコナンくん。
この子達の輝く目が好きだった。真昼は、好きだったのだ。
汚いことから目を背けさせることが、彼らを守ることだろうか。凄惨な景色から遠ざけることが、彼らを守ることだろうか。分からなくなってしまう。
ただ、彼らが死を恐れず、死というものに慣れてしまっていることは。
それは、きっとあってはいけないことだ。
今の真昼が、今生きていることのように。
子供たちに、死を身近に味わわせてはいけない。それなら、今のままでいいのではないか。ちょっとだけ、そう思ってしまっていた。ただ自分が生きていたいだけなのに、子供たちのせいにしてしまおうとしていた。
死ぬべき人間が、生きる理由なんて持っていいわけないのに。
だから。
私は確かに死んでみせよう。
死ぬべき運命を、絶対に取り戻そう。
子供達が死に慣れてしまう世界なんて、あってはいけないのだから。
これが真昼の決意だ。
もう絶対に揺らいだりはしない。
「真昼ちゃん、大丈夫…?」
「あ、蘭さんに園子さん。ごめんね、心配かけて。みんなのおかげで、だいぶよくなったから」
こちらに気づいた真昼の顔色は、蘭が想像していたものより良く、さっき聞こえてきていた声が嘘であったかのように、声色もしっかりとしていた。少し不思議な気もするが、真昼が元気ならば、それが一番だ。
「よかった…今から放送があると思うけど、係員さんの指示に従って───」
哀だけは、真昼から目をはなせずにいた。彼女の表情の変化を、この場にいる誰よりも理解できていたから。だからこそ、突然顔色をよくしたことが理解できなかった。
「灰原、ちょっと確かめたいことが…って、灰原?」
「…何?」
「いや、なんか険しそうな顔してるから」
「別に。人が一人亡くなってるんだもの。険しい顔くらいするわ」
「な、なんだよいきなり…」
真昼の気持ちを、この場にいる誰よりも分かっている。真昼が子供達にそうであってほしいと願うように、哀も、子供達に、そして真昼にそうあってほしいと願っているから。
それでも、哀にはどうしても真昼を理解することができないのだろう。
哀は生きることを決意した人間で。
真昼は死ぬことを決意した人間であるのだから。
遅くなってしまい申し訳ありません(約三年)
難産なので修正たくさんいれるかもしれません