人の世にあるモノノ怪は斬らねばならぬ
コツ コツ コツ と乾いた革靴の音だけが寂れたアパートにひとつ虚しく鳴り響く。
今宵はもう十二時をとっくに回っていたがこれでも早く帰れた方で、それでも矢張り自分の革靴の音だけが鳴り響くのは物凄く寂しくとても憎たらしかった。
「ただいま」
1人のアパートで声を掛けても待っている人などいるはずもなく、返事も返ってこないでただ自分の声が壁に吸収されるだけだった。
手に持ったビニール袋を机の上に置き、連勤完徹の疲れを癒すためにベッドの上で横になる。すぐ様眠気は襲ってきて、私の視界と思考力を奪っていく。
明日もなるべく早く起きねばならぬと、悲観しながら眠りに落ちた。
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初めて彼を見つけたのは梅雨の昼下がり、雨がざあざあと音を立てて滝の様に流れ落ちる日の事だった。
先祖代々鬼狩りの家系である私は炎柱として日々任務にあけくれていて、其れもそれからの帰りの事であった。
藤の花の家紋の家で傘を貰い家までの帰路を闊歩する最中ふと、とある少年が目に入った。この様な大雨の日に傘もささずにズブ濡れになっている、灰色の癖っ毛をした耳の異常に尖った少年が私の目の前で落ち込むように地面に腰をかけていたのだ。
誰が見ても奇妙とさえ思えるその光景は、その時の私にとってはただの可哀想な子供としか映らなかった。
「大丈夫か...?」
横に一緒になって屈んでみては、傘の下に入る様にと近付いてみた。するとその少年は驚く様にこちらを見て来てはありがとうと一言、お礼の言葉を言ってのけた。
「なぁ、こんな所で雨に当たって...君の家族は何処にいるんだ?」
「.....家族は居ないのです、いたかどうかすら分からない。起きた時から1人でずっと彷徨い続けていました」
「......君名前は」
「それすらも」
聞くところによるとこの少年は気付いた時には親も存在せずにただ一人山の中に取り残されていたらしい。親との記憶も何も彼の中には存在せず、ただ残されていたのは少年の背中には大きすぎる薬箱のみ。薬箱の中に入っていた金や薬等の物を最小限使ったり売る事で今日まで飢えながらも生きてこれたが、それもとうとう1週間程前で殆ど尽きてしまったらしい。
自分の名も親の顔も、そして人の温もりさえ知らぬこの少年を若く情熱が滾っていた私には見過ごす事が出来なかった。
「なぁ少年、私の家に来る気はないか?」
彼に一言問うてみたが、彼の中では簡単な問だったらしい。雨で頬に垂れる水はまるで涙の様に、彼の温かさを感じられた。
「はい、有難く──」
彼のくしゃりと笑う顔は非常に、非常に美しかった。
「父上、ただ今戻りました」
扉を開ける音と共に下駄のカランという音が家に反響する。
私の部屋の中に入ってくると、今では小さくなったとさえ錯覚する薬箱を床に置き瑠火の為にと薬を取り出す。
「毎度済まないな。お陰でまた体調も回復してきている」
「其れは良かった。色々な所から薬を集めた甲斐があった」
「それで理寿郎、お前は順調にやれているか?」
頭に被せていた紫色の頭巾を脱ぎ去ると、ふぅと一息溜め息をついてから赤い隈取りの上に滲み出る汗を拭き取りこちらに向き直る。
「えぇ。最近漸く階級も甲まで上がりましたから。まぁぼちぼち...ですかね」
目の前にいる、あの日雨に打たれた名も無き少年、あの日から私達の家族となった少年はとても大きく育ってくれた。
相談もなく無断で子供を連れ帰ってくれば呆れられるのも当たり前で、瑠火にはその時こっ酷く叱られはしたがこの子供に関してはちゃんと家族として我が家に迎え入れる事が出来た。家に来た当初名前が無かった少年は煉獄家に迎え入れるにあたって理寿郎と名乗るように、そして歳は八、生まれた日は私達が家族になった六月の二十日とした。
理寿郎はとてもできた子で、何も言われずとも家事の手伝いは当たり前にこなし、時にはまだ幼い杏寿郎や体調が優れない時の瑠火の面倒まで見てくれていた。
齢十三になる頃には自ら鬼殺の道へ進みたいと志願し、稽古をつけてあげる日々が続いた。
十五になる頃には全集中の常中を、そして炎の呼吸の型を全て修得するにまで至ったが呼吸が自分に適していないからと家にあった指南書や文献読み漁り炎の呼吸と並行して水の呼吸の鍛錬を一人で積んだ。
そして鍛錬を積むと同時に理寿郎はどうやら医学の方にも手を出していたらしく時には夜なべをして体調を崩しかける事もあった。理由を聞けば千寿郎が産まれてから瑠火の体調が優れないから少しでも力になりたいとの事で、無理矢理止めさせる訳にもいかず満足のいくまでやらせる事にした。そんな鍛錬漬けの日々を過ごし、十七の頃には炎の呼吸と共に水の呼吸も完璧に習得し、その年に藤襲山で最終選別行い無事に帰ってきた。
鬼殺隊の隊士として人々を守る活動に励み始めると同時に理寿郎は任務で日本各地を転々とするとその度に瑠火の症状が少しでも回復するようにと薬を仕入れては調合し飲ませていた。それをもう3年は続けているだろうか、瑠火の体調も徐々にではあるが回復して今では千寿郎の遊び相手になるようになった。
「理寿郎、今回はどれ程家に留まっていられる」
「そうですね...恐らくは1週間は残れる────」
理寿郎が話終わる前に奥からドタドタと元気の良い音が此方へ向かってくるかと思えば勢いよく襖が開けられる。
「兄上帰っていたのですか!!」
「杏寿郎、あまり家の中を走らない方がいい」
「申し訳ありません!!」
静かに座るように促す理寿郎とそれを素直に受け入れる杏寿郎。
2人が元気に育ってくれたことを思うと、不思議と心が満たされた。
この2人が死ぬ事なく立派に育ちきってくれるよう祈りながら今宵も1人で酒を呷った。