『理寿郎、越後ダ北ニ向エ!!』
アラームで目が覚め憂鬱な気持ちで支度をする毎日から開放されたかと思えば、此度の人生は喋る鴉に起こされる生活を送っている。
地獄の完徹を終え熟睡したかと思えば突如リーマン生活が終わりを告げ、気付いた時には何やらヤケに耳が尖り犬歯が牙のように鋭い子供の姿で新たな人生を始めなければならないと悟った時はそれはもう地獄であった。
狼狽える自分を落ち着かせる切っ掛けとなったのは横にポツンと置かれていた見覚えのある大きな薬箱であった。
「これは...薬売りの.....」
まさかと思い首にぶら下がっている鏡で自分の姿を確かめてみれば、そこに映し出されたのは赤い隈取を施された見覚えのある顔であった。
まさかこの世界はモノノ怪の世界であるのかと思い乱雑に薬箱の中を漁ってみてもあるのは蛾をモチーフにした着物に薬、春画だけで退魔の剣や天秤は存在しなかった。
この世界はどの様な世界であるのかを考えてはみるものの検討もつかず、ただ頭の中を支配するのは食料が少ない非常な現実のみであった。そこからは唯ひたすら飢えをしのぐ事のみを考えていたのだろう、生きるのに必死で今となっては何をしていたのかなんて殆ど記憶の中には残っていなかった。
そんな日々を過ごして限界も見えてきたある日、とある優しくも気高い男の人が私を拾ってくれた。名を煉獄槇寿郎、鬼殺隊───人間を屠り自分の糧とするこの世の理から外れた存在を討伐し人々を助ける使命を負った人物であった。
その人物は梅雨のとある日、雨を凌ぐものすら持ち合わせていなかった私を仏のように救い出してくれただけでなく本当の家族の様に私を育ててくれた。家族である瑠火さんや杏寿郎にしたって私を家族として迎え入れてくれていることには感謝してもしきれない程だ。
煉獄家で生活しているうちに自分の事について考える余裕もある程度できた。この世にはモノノ怪と呼ばれる人が生み出したこの世の理から外れた存在はおらず、いるのは妖や人の霊、そして鬼と呼ばれる存在だった。
何故自分が薬売りの姿でこの世に産み落とされたのかはてんで分からなかったが、自分が成さなければならない事柄だけは確りと認識する事ができた。薬売りという存在はこの世の理から外れてしまったモノ、人に害をなすモノを討ち滅ぼしている。ならば私がするべき選択はひとつしか無く、鬼殺の名のもとに人々を守る事を決意した。
父、槇寿郎のシゴキはブラック企業も体育会系のシゴキも真っ青の鍛錬であり毎日毎日がギリギリであった。胴は当たり前で時には目の上に痣を付けてくることもあったし、いつか死んでしまうのではないかと思う時もあった。
そんな日々も数年が経てば無事終わり、気付けば私は鬼殺隊として各地を駆け回る日々を送っていた。
「さて、出る支度でもするか」
鎹鴉が声高らかに告げたのは越後のとある漁村で短期間のうちで失踪事件が多発しているという事実。とあるものは家で、とあるものは店で、またとあるものは道端で神隠しにあったかの様に途端に姿を晦ますらしい。それは朝、昼、夜と時間を問わずに居なくなるそうだ。
兎にも角にも善は急げと言うもので、着物を着て頭巾を被ってから常日頃整えられている薬箱を背負って部屋を出る。
「理寿郎」
玄関にて下駄を履いていると聞き慣れた声が廊下の奥から足跡と一緒に聞こえてくる。窶れた顔が少しずつ回復してきている様子、一人で歩いてきた様子を見ても昔の元気であった姿が戻ってきたようで安心する。
「母上、今日は体調がかなり宜しいようで」
「それもこれも貴方のお陰ですよ理寿郎、貴方がいなかったら私は死んでいたかもしれないのですから」
「......あんまり縁起が悪い事を言わないでください。肝が冷える」
褒めてくれてはいるのだろうが縁起が悪いのには変わりなく、そこを指摘してみればクスクスと笑う姿は美しく父が惚れたのも少しだけだが分かる気がした。
「理寿郎、行く前にこれを」
唐突に母から手渡されたのは母の体温が少し移ったほんのりと温かいひとつの御守り。
「この前外に出れる様になったから買って来たのです。常日頃死地に身を置いているのですから気持ち程度ですが────」
「これはこれは.....うっかり怪我をして帰ってくる訳にはいかないらしい。ありがとうございます母上。とても嬉しいです」
「次帰ってきた時は今までの感謝も込めて貴方の好物を沢山作って待ってますから。だからどうか無事で帰ってきて」
一度だけ、気を抜いて重症で帰ってきた事を未だに鮮明に覚えているのだろう。今では無事に回復してはいるがそれでも心配してくれるのだ、嬉しくないわけがない。
全くどうして私の家族というものは皆人として素晴らしい人達ばかりなのだろうか、煉獄ではなくこれでは太陽様だ。
母の方へと向き直り行ってきますと一言残して玄関を出る。
此度の任務も無事で帰って来なければ祟られそうだ。
✳
昨日も、今日も、明日も明後日も、ひたすら走り続けなければならないのだろう。
乗った泥舟がいつかは壊れる事は分かっていても、既にここは堅固な牢になっている。
ここから出たいという心の叫びは目の前の理不尽に潰された。
「おい、今日もまた一人居なくなったってよ」
また同じ内容の会話が聞こえる。
最初に始まったのは2ヶ月程前の満月の夜、真夏のジメジメとした暑い夜の事だった。若くこれからを期待されていた仲のいい元気な夫婦が忽然と姿を消したのだ。特段悪い噂がある訳でもなく借金もない。なのに何故か家も家具も金目のものも全部ほっぽり出していなくなってしまったのだ。
警察に届出て捜査をしてもらっても何一つ手掛かりを掴むことは出来ずに、今となっては為す術もなく19人もの人が何者かの力によっていなくなってしまった。
宿屋を営む自分の家は良く人が集まるもので噂話なんてのは直ぐに聞こえてくるものだが流石にコレは聞き心地がいいものではなかった。
「タエ、空き部屋の掃除は済ませたのかい?」
「やったよ。ちゃんと二部屋掃除も済ませて何時でも泊まれるように用意してあるから」
ココ最近両親の機嫌もあまり良くなく、恐らくは神隠しの事で不安も苛立ちもあるのだろう。勿論自分だって何時襲われるか分からないこの状況は嫌である。
やる事も終わり時間が刻々と過ぎていき、湿った空気に時計の針が動く音だけが響き渡る。
どれくらい時間が経った頃であろうか、カランコロンと下駄の音が入口から聞こえてきた。早く出ないと怒られると受付の裏から顔を出してみれば、大きな箱を背負った紫色の頭巾の男が入口のところで佇んていた。
「宿泊の方でしたら此方に上がってくださいな」
「それは、どうも」
下駄を綺麗に脱ぎ揃えると、重そうな箱を苦にしていないように軽快に歩いてくる。近くで見ると異様に尖った耳と面妖な隈取をした綺麗な男の人であった。
「ここは何泊まで可能ですかね」
「もしかして長く滞在されます?」
「いや、長くなるかどうかは自分次第ってとこですね」
「でしたら出ていく日が分かった時点でまたお声を掛けてください。ではお部屋を案内しますから」
「ありがとうございます」
スタスタと、階段を駆け登り男の人を相手いる部屋まで案内する。狭い部屋ではあるがそれがまたこの人には心地よかったらしく少しばかり感嘆の声を漏らしていた。
宿の説明をし終えた頃だろうか、ふと何かを思い出したように男の人が口を開いた。
「少しばかりお尋ねしたい事があるのがあるのですが.....宜しいですか?」
「えっえぇ.....」
少し口角を上げたように見える男の口から言われた言葉からは驚きが隠せなかった。ここで人が殺されている噂は本当なのですか────何故この旅人がこの街の噂を知っているのかは謎であったが其れよりも、何故この男は明確に殺されると言っているのであろうか。
「.....失踪しているのはそうですが、何故殺されていると?」
「血腥いんですよ、この街。普通の場所と比べて血の匂いが少しばかり強いんです」
血腥い、そんな事を聞いたのは人生でおそらくこれで最後なのだろうと思えるくらい考えられない言葉が出てきた。慣れているから分からないなんて話ではなく、普段からいない人間でも嗅ぎ分けられる筈がなかった。
「もし、お嬢さん。貴方が宜しければこの街を、その事件の経緯を分かる範囲で教えていただけないでしょうか」
「........貴方一体何者なんです?」
「ただの薬売り、ですよ」
煉獄理寿郎 21歳 身長180cm 体重 78kg
見た目はモノノ怪の薬売り
好きなもの 天麩羅(特に鱚) 鰻の蒲焼 蕎麦 ハイカラ食
嫌いなもの 葡萄酒 (悪酔いするから)
尊敬する人 煉獄槇寿郎 (打ちひしがれてもちゃんとその事象に向き合う姿勢がとても好ましく思っている)