凛がアイドルになる、という話はたちまちのうちに学校内で広まった。
特に、劇場型スタジオ『777(スリーセブン)』、通称『ナナスタ』は、2年前に突如解散した、セブンスシスターズというアイドルユニットがもともと所属していた事務所でもあり、なかなか名の知れたところであったからなおさらである。
ただし、凛の友達は凛と部活動ができないことを少々残念がっていたが。
ある日のこと。レッスンのためにナナスタへと向かう凛は、途中、ドーナツ好きのマネージャーにドーナツでも差し入れを用意しておこうか、と駅のテナントに店を構えている店で買い物をすることにした。
その日のそれがなければ、ナナスタに直行していただろうから、おそらくこの出会いはなかっただろう。
なんでこうなったんだろうか。
凛は目付きの悪い男から差し出されている名刺を見ながら、そう思わざるを得なかった。
ドーナツ屋から出て、ナナスタに向かおうとしたところで、少年に呼び止められた凛。
なにやら少年はおもちゃを片手に泣き腫らしており、とても放っては置けない様子であった。
どうかしたのか。そう思いながら見ていると、少年は凛が次の一歩を踏み出そうとした先の地面に手を伸ばして、なにかを拾い上げた。
と、そこへ偶然が重なったのか、近くの交番から出張ってきた警察官が凛と少年に話しかけてきたのだ。
自他ともに認める、無愛想な見た目の凛と、年端もいかない、しかも泣き腫らした少年。見る人が見ればとても分かりやすい構図だ。
すなわち、『凛が何かをしでかして、結果少年を泣かしてしまった』と。
警察官もおそらくはそう思ったのだろう。
結果として、事態は予想外に(凛にとって)面倒くさい方向へ。ありもしない容疑をかけられた凛は、問い詰める警察官に反論するも、聞き入れてもらえず。
どうしようかと迷っているところへ現れたのが、今凛の目の前にいる男だ。
男は突然凛たちのやり取りに介入するや否や、少年がただ単純におもちゃのネジを落としてしまっただけであることを聞き出し、警察官の勘違いであることをたちまち証明してみせたのだ。
無論、人目につかないように、交番へ移動してからの話ではあるが。
そうして事態が収束し、やれやれと思いながら時計を見てみればおおよそいい時間。
ゆっくり歩いていては間に合わないものの、普通に歩いて行けばレッスンの予定時刻には間に合う時間になっていて、凛は男に辞して今度こそナナスタへ向かおうとした。
しかし、話を切り出すのは男の方が早かった。
「あの……私、こういうものですが。アイドルに、興味はありませんか」
しかも、凛にとってはうんざりすることこの上ない勧誘。
ついこの間、その手の勧誘に負けてアイドルになったばかりなのに、数日たってまたこの有り様だ。凛としては、たまったものではなかった。
所属契約も交わしてしまっている手前、なんにしても男の勧誘は乗れないのだが……。
(これ、支配人とかコニーさんの勧誘と同じくらい面倒くさい奴だ……)
「ごめん。そういうの、間に合ってるから」
ナナスタの支配人兼プロデューサーと、自称敏腕マネージャーの顔を思い浮かべながら、凛は冷たくあしらってその場を辞した。
その翌日も男は遭遇したものの、凛がすでにナナスタに所属していることを伝えると、男はすんなりと納得して、凛の勧誘をやめたので、それ以降は気にすることもなくなったが。
――ちなみに、一応、名刺だけでもと言われ、それくらいならばと受け取った名刺には、『346プロダクション シンデレラプロジェクトプロデューサー 武内』と記されていた。
しかし。
しかしである。
凛の第一印象からして、武内の風貌は『警察から勘違いされやすそうな人』であることに違いはない。
ゆえに、それらしい人材が見つかるまで武内もスカウトを続けるのだろうと思うと、どことなく無事に済ませられるかどうかが少しだけ心配になってしまう凛だった。
そして、その心配は現実のものとなってしまう。
それはある日の放課後のこと。
凛が道を歩いていると、途中で外回りの仕事からナナスタに帰社する途中の支配人とコニーの二人に遭遇。
この後のレッスンの予定もあり、合流して一緒にナナスタへ向かう運びとなった。
そこまではよかったのだが。
「あれ。あの子、アイドルの素質ありそうじゃないですか、コニーさん?」
「ん、あ~、あの子ね。私もこの前遭遇して声かけようと思ったんだけど、遠目だったし別の会社のスカウトマンさんにつかまってたぽいから様子見ってとこかな。もちろん、コニーさん的にはいつでも声をかけられるように、隙を窺っているところなんだけどね」
「なるほどね……」
視線の先に、いかにも今どきの女子高生、といった感じのギャル風の少女が、凛にとって見覚えのある長身・強面の武内にスカウトを受けているという光景が見えた。
少女のほうは偶然にも、凛と同じ学校の制服を着ていた。もうだいぶ付きまとわれているのだろう。それなりに疲れたような、辟易しているような表情をしている。
「でも、なんかあのスカウトマン、カタブツそうだなー。コニーさんなら、狙ったら片手で数えられる日数でGETできる自信があるんだけどね」
「まぁ、そのあたりは人それぞれだと思いますけど……ん、あれは…………」
自身をスカウトしに来た時の二人の手腕を思い返し、苦笑しながらあの人はあの人なりのやり方でやっているのだろう、と今にも手伝いといいながら介入しそうなコニーを凛がたしなめていると、少女とスカウトマンへ向かう二人の男性――警察の制服を着ていることからもちろん、警察官だろう――が視線に入った。
繰り返しになってしまうが、武内の風貌からして、街頭スカウトをすれば警察官のお世話になるに違いないだろう。
加えて、凛の学校ではここ最近、不審者が出没するとここ近日のもっぱらのウワサになっており、彼がその噂の男と勘違いされているのも間違いない。
ほとんど面識がないとはいえ、恩のある人物が冤罪で任意同行とはいえ(悪い意味で)警察署に連れていかれるのは、凛としても目覚めが悪い。
凛があの少女の立ち位置だったなら、あるいは話は変わるかもしれないが――
「ごめん、ちょっと行ってくる」
「行ってくるって、ちょ、凛ちゃん?!」
コニーたちの制止もいとわず、凛は職質を受けている男の許へ全力疾走した。
「その……申し訳、ありませんでした」
「ん、いいよ、別に。私としても、あんたには恩があるから、あのまま連行されるのは目覚めが悪かったし」
場所は変わって、どこぞにあるカフェ。
そこに、凛と、武内。そして、あとから追いかけてきた支配人とコニーはいた。
「しかし、熱心なスカウトマンさんがまさか346のプロデューサーだとは気づかなかったず。コニーさん一生の不覚」
「いやそんな大げさな……」
「まぁ、私も、見ただけならどこの所属とか、わからないと思う」
実際、凛も名刺を出されなければどこの人かはわからなかっただろう。
「でも、武内Pもあの子相手にだいぶ粘ってるんじゃない? ずいぶんと迷惑そうな顔してたけど、見込みありそうなの?」
「…………実は、あまり思わしくはありません。せめて、名刺だけでも受け取ってもらいたいと思っているのですが……」
そして、ここでもやはり名詞である。
もういっそのこと、『妖怪名詞だけでも』と名付けてしまおうか、と思ったのは凛だけの秘密である。
その後は、他愛もない話を少しだけしてから、レッスンの時間が迫っているということもあり、その場はお開きとなった。
――なお、その後のナナスタではこんなやりとりがあったとか。
「へぇ、そんなことがあったんだ……」
「うん。まぁ、コニーさんらしいのかな」
「全く、あの人ってば……ナナスタ関連ならともかく、よその会社の領分にまで手を出すなんて……。でも、そういうことがあったなら、遅れちゃうのも無理ないわね。さぁ、レッスンレッスン! 凛も遅れた分、しっかり取り戻さなきゃね」
「そうだね。少しでも配信ライブに備えないと……!」
そうして、今日もアイドルとしてデビューするためのレッスンが、始まった。
「うん。それじゃ、レッスン頑張りましょう――こら、杏! いつまで寝てるの! レッスンに行くわよ!」
「えー、めんどくさいからいいよー。杏はここで寝てるから、杏の分まで頑張って」
「いや、意味わかんないんだけど……」
「寝るのはあとでもできるでしょう! 今はレッスンが先!」
――レッスンが、始まった。
※物語の補足
武内Pのウワサ
最近の悩みはスポ根系アニメのDVD代がかさんでいることらしい