凛がナナスタに所属して、一週間が過ぎた。
週明けの今日、彼女はライブ配信に初めての本格参加をする予定である。
本人としては、一週間ほどでデビューライブというのは早いのではないかと思ったものの、支配人やコニー、そしてハル達の『レッスンも頑張っていたし、失敗してもサポートするから大丈夫』との言葉に後押しされ、不安に思いながらもそのスケジュールを受け入れた次第である。
土曜日も、一応はフリーだったものの、体力づくりのために走り込みや適度なトレーニングをするなど、自主レッスンは欠かしていなかった。
しかし周囲からのアドバイスもあり、適度な休息もとっているため、疲れを翌日に持ち越すようなことがなかったのは幸いといえよう。
早く追いつきたいと思う一方、それほど差がないのだから、急がなくても大丈夫だという楽観もあり、結論として若干ハードワーク気味になっているものの、支配人やコニーからもさして問題に取り上げられてはいない当たり、適度にレッスンできているのだろうと凛は思っている。
さて。そんなわけで、今日は月曜日。
凛が自身の教室に入ろうとすると、一人の女子生徒から声をかけられた。
その女子生徒には見覚えがあった。というより、その生徒は武内がスカウトしようとして必死になっている、件の少女である。
「ねぇ。渋谷凛って、あんた?」
「……? そうだけど、なに? ていうか、誰?」
とりあえず誰何を問えば、凛のことをうわさで知ったらしい彼女は、臼田スミレという名前らしかった。
なんとなく、話しかけてきた理由を察する凛。
一応、双方の気持ちがわかる凛としては、板挟みにならないように、あまり深く踏み込まないようにしようとしていたのだが――相手から話しかけてこられたのなら、話くらいは聞くつもりでいた。
「えっと、渋谷……さんは、アイドルに、なったんだよね……?」
「そう、だけど。まだ、デビュー前で、今日の配信ライブの時にデビューする予定なんだけどね」
「へぇ、そうなんだ……。成功するといいね」
「ありがとう。できるかどうか、まだ自信ないけど、やるからには全力でやるつもり」
「そっか……応援してるよ」
どことなくぎこちない感じのスミレ。
どう切り出したものかと、考えているのだろう。ややあって、スミレは凛に、こう聞いてきた。
「ねぇ、アイドルって、やっててどうなの? 楽しい?」
「う~ん、まだ、わかんない、かな。あ、でも。一度ステージに立たせてもらったときはすごく楽しかった」
実は支配人たちの情熱に負けてスカウトを受けた翌日、お披露目という名目で半ば無理やりステージに立たされたのだ。
もっとも、勧誘時にも無茶ぶりで歌わされたこともあったし、アイドルになると決めたのだからこれくらいのことなら、といった具合だったが。
しかし、参加自体は無理やりだったとしても、その中身自体は非常に感動的だった。
最初は緊張で体がこわばって思うように動けなかったものの、歌いたいように歌って、と言われて自分なりにうたった結果。
気が付けば、曲が終わり、自分というアイドルの卵に向けて、来場客の歓声が上がっていた。
その時の、何とも言えない高揚感は、決して他では味わえないものだろう。
「今日のライブでデビューって、もうしっかりステージに立ってるじゃん。それでデビューじゃないの? イミワカなんだけど」
「まぁ、正式なデビューは今日の配信ライブってことになってるからね。メジャーデビューはまだ未定だけど」
「ふ~ん、そうなんだ。…………ねぇ、私にも、アイドルってできるのかな……?」
「どうなんだろう。そもそも、アイドルになったからって、何かが変わったような感じでもないし」
まだアイドルになって間もない凛としては、そうとしか答えようのない質問内容。
しかし、それで目の前の少女は満足できなかったようだ。
「にしても。いきなり話しかけてきたかと思えば、そんな話してくるなんて、どうかした? 誰かからアイドルにならないか、って誘われてるとか?」
なので、それとなく直球に話を振ってみる凛。
「あ、いや、そんなわけじゃなくて、その、ちょっと……」
「わかりやすすぎ。……誘われてるんだ」
「…………うん。346プロの、武内って人に」
スミレは面白いくらいにうろたえた。
少しだけ逡巡してからポツリ、と答える同級生に、凛はあたりさわりのない答えを探しながら、慎重に言葉を紡いでゆく。
「そうなんだ。……それで、どう思ったの?」
「えぇ? いきなりそんなこと聞かれても……正直、アイドルなんて柄じゃないし、アタシになんて無理って思ったよ」
「まぁ、普通そうだよね。実際、私もそうだった。ステージの上でスポットライト浴びながら、歌って、踊って。観客のみんなに、笑顔を振りまいて。そんなの、自分には関係ない世界だって、思ってた」
「そうだったの? じゃあなんでアイドルになんてなったの?」
「声かけられた日の翌日からかな、同じ事務所に所属してるアイドルも、スカウトのメンバーに加わってきたんだけどね」
「それマジ? あはは、すごい偶然。アタシも先週の金曜日、似たような感じになったんだけど」
その話を聞いた瞬間、スミレの表情が、ちょっとだけギョッとしたようなものになった。
先週末か、休みの間に同じ状況になったのだろうか。だとしたら、支配人やコニーたちの手法は割と使い古された手法だということだろうか。
そうだとするとちょっと思うところがあるなぁ、などと凛は内心で嘯きながら、表面上では目の前の同級生との話を続ける。
「そうだね。……それで、その子の話聞いてるうちに、思ったんだ。羨ましいな、って」
「羨ましい? なんで?」
「とても充実してそうだったから。なんていうかね、何を考えるでもなく、ただ惰性で進学して、うわべだけの日常を送る。はっきり言って退屈だなって思ったんだ。そんな毎日がこれから先続くって思うと。でも、あの子は違った」
聞けば、ハルは過去に一度アイドルになって、挫折した過去があったという。
しかし、それでも支配人達と出会って、再びその夢に向かってひたむきに歩きだしている。
アイドルにならないか。そう誘われていた時、凛の背中を押したのは、まさしくその少女の眩しさだった。
それがなければ、凛はアイドルになどなってはいなかっただろう。
「アイドルになって、その先に何があるかはわからない。でも――そこに私が夢中になれるものがあるなら、この道を、全力で走ってみようかなって。そう思ったんだ」
「ふ~ん……なんか、渋谷さんって、すごいな。アタシは……なんか、まだちょっと、よくわかんないや」
「あはは……まぁ、普通そうだと思うよ」
しかし、スミレはそういうものの、凛は彼女との会話を通じて確かに感じていた。明らかに、アイドルに対して強い興味を示している、と。あるいは、似たような経験をしたから、そう思っただけかもしれないが。
ただ。それが当たっているのならば――武内が猛烈にアタックをかけている少女が選ぶ道は――。
考え込むようにして、それ以降言葉を発しなくなったスミレを見て、もうあとは彼女自身の問題だと凛は判断した。
そして迎えた放課後。
凛のデビューライブは、もうすぐそこまで迫っていた。
凛がナナスタへ向かうべく帰り支度をしていると、周囲から友人が近寄ってきた。
「凛、もう行くの?」
「うん。今日はナナスタに行く用事があるから」
「みたいだね。私たちも知ってるよ、ライブなんでしょ?」
「え? どうして……? 言ってなかったよね」
なんとなく、友達には恥ずかしくて説明していなかった凛であった。
だが、そのあたりは友達もきちんと調べているようで。
「凛がアイドルするっていうんだもん、私たちが調べないわけないじゃない!」
「ナナスタって、一時期はやったっぽいけどここ最近はあまりいい話聞いたことないじゃん? 例えばほら、346プロとか、そのあたりなら盤石なんだろうけど、そんなところで大丈夫なんかなーって思ったからさ。でも、配信ライブ、現地参加も可能みたいじゃない」
「そうそう。もう、これは調査――もとい、応援に駆け付けるしかないよね!」
などとのたまう友人たちを見て、呆れ顔しか返せない凛。
そこはかとなく失礼なことを言われた気もしなくはないが、心配してくれているのだと思えば、逆にありがたくもある話でもある。
結論、そのあたりにはどう答えればいいのかわからず触れないことにして、素直に見に来てくれると言っていることに対してのみ、感謝をすることにした。
「…………、まったく、みんなにはあきれるよ。でも、ありがとう。うれしいよ」
「なに言ってるの、凛」
「水臭いじゃない、友達でしょう?」
「頑張ってね、応援してるから!」
中学校時代からの友人達に励まされながら、凛は一足早く、ナナスタへと向かうのであった。
道中では、スミレの姿も見えた。
彼女は教室前で凛を待っていたらしく、凛を発見すると彼女めがけて駆け寄ってきた。
「えっと、渋谷さん」
「凛。凛って呼んで。同級生なんだし、いいでしょ。私も、スミレって呼ぶから」
「う、うん……でも、私は、ウスタって呼んでもらいたいな。なんか、自分でいうのもなんだけど、スミレって感じじゃないから」
「え……? 別に、いいけど……」
なんとなく嫌がっていそうな雰囲気で、無理にとは言えない凛は、彼女の要求通り、臼田さんと呼ぶことにした。
話題は、この後行われる配信ライブのことだ。
「ライブっていったいどれくらいのお客さん来るんだろーね」
「うーん……どうなんだろう。一応、支配人が言うには300人程度は入るって言ってたけど……」
「そんなもんなの?」
「そもそもまだそれほど知名度があるわけでもないし、現地参加の人が一人もいない時もあるみたいだけどね。大体こんなもんだと思うよ?」
「そうなんだ。うーん、なんかアイドルも大変そうだなー」
まぁ、確かに人気が出るまでは大変だとは思うが。
しかし、人気が出たら出たで、また大変になるんだろうな、とひそかに未来に向けて覚悟を決めておく凛。
二人はそのまま、ライブの話から世間話へと話題を変えて、楽しげに話しながらナナスタへ向かって歩いていく。
そして、ナナスタまであと少し、というところで、意外な人物と遭遇した。
「……臼田さん」
「スミレちゃん!?」
「あ…………」
スミレを発見し、驚いたような表情で彼女の名字を呼ぶ、武内Pと一人の少女の姿がそこにあった。