それは、こんな内容(はなし)だった。
□祖父 grandfather□
〝儀式〟は順調だった。
念も、想いも安定していて、特に問題は無かった。
勿論、手順にだって、問題は無かった。
棕矢(そうや)が頑張ってくれたお蔭で、鉱物達も、明確な呼応を示していて…
素(もと)にする鉱物(いし)を選ぶのにも、思ったより手間が掛からなかったよ。
本当に順調だった…
途中までは。
***
「よし。やってみよう」
「はい」
先(ま)ず。いつもと同じく〝基礎〟から。つまり、精神統一。
鉱物で造られた二重の環(わ)の中に座る少年。こうやって改めて見ると、暗い中、蝋燭(ろうそく)の灯だけで浮き彫りにさせられた姿が、どこか神秘的なひとつの芸術作品の様にも映る…。古代から神聖な場や、儀式にもよく環が用いられる…。きっと、有りと有らゆるモノの力を引き出すには「御誂(おあつら)え向き」ってやつなんだろう。〝魂の終着点と出発点〟を表すにも環が用いられるくらいだ。しかし今、環の中には棕矢だけ。
今回においては、私の役目はあくまで彼の補助(サポート)だ…しかも、その全てが工匠の力と、自分の経験…という曖昧なもの頼りなので「私は環の一番外に居るべき」と判断したのだ。要するに〝主役〟の環に〝部外者〟は踏み込んではいけない。
彼と共に、私も目を閉じて集中する。私達の呼吸が、それぞれ同じ速さで、同じ深さで繰り返す。多少、結界のせいもあるだろうが、あまりに静かだった。物音ひとつしない空間は、日常からすれば不気味だったが、私は仕事上、慣れている。
それに、お蔭で棕矢も、ちゃんと集中している様だしな。一先(ひとま)ずは良かった。
少しして。私は、棕矢が完全に落ち着いたところを見計らって、水差しに触れた。
カタ
小さな音と、水の揺れる音。そのまま、彼の前に置かれた木製の浅い器に、水を注いでゆく。見事に、棕矢は驚きもせず、集中も切らしていない。よし…大丈夫だ。
「両手を出して」
棕矢は素直に、ゆっくりと手を前へ突き出す。私は彼の掌(てのひら)を上に向け、そのままの状態で両手をくっ付ける。手で椀を作る感じだ。そして、その小さな手の上に〝ルナの鉱物(いし)〟を、そっと乗せた。
「そのまま器に、手を入れて」
ゆっくりと〝手と鉱物〟が下りてゆく。
器の水に手の甲が触れたのか、一瞬、棕矢の動きが止まった。
「水に手、全体を浸して」
恐る恐る、手を器に沈めていく少年に、次の指示を出す。
「もう一度〝基礎〟…焦るなよ」
『ここが一番肝心な工程だからな』と、心の中で言う。
「…………」
***
「そう。僕は、そこで涙を流したんだ…。 だから、それを零さない様に手に集めて…」
「うん。だから、おじいちゃんも、その時に鉱物(いし)を二つ、器に入れたんだよ」
…器に入れた〝燐灰石(アパタイト)〟と〝金紅石(ルチル)〟は、確かに、環(わ)の中で明瞭に呼応していたから。
「…うん」
***
棕矢が、ふと目を開けた。
感極まっているのか、頬は紅潮し目は今にも泣き出しそうな程、潤んでいる。
その視線が、不安そうに空(くう)を、さ迷う。
「棕矢…目を閉じて」
優しく。諭し、語り掛ける様に言う。
ひとつ息を吐いた彼は、再び目を閉じる。
私は、それと同時に術をかけた。
工匠の混合術を。
器の水は緩い渦を巻き、鉱物達はより呼応し…
ルナの鉱物(いし)は、碧い光を纏いながら、溶け出し…蝋燭の灯が、水面で踊る。
〝混ざり切る〟頃には、感情の波が少し引いたのか、少年は安らかな表情(かお)になっていた。
でも。
そう安心した、次の瞬間。
……?!
少年の眉間に皺が寄り、これは明らかに何かが起こったと私に知らせる。
目を瞑(つむ)ったままの彼は、後(のち)の数秒で肩の力を抜いたものの、全身の緊張はまだ解けていない。
***
「あ…!」
……!!
唐突に、棕矢が発した声は、同時に〝奇跡の合図〟と化した。
私の目に映った、その人……いや、〝その子〟は…少女の姿をしていたのだ。
目の前。環の中に。
「私達がよく知っている子」の姿をした……
〝存在(カタチ)〟が横たわって居たのだ。
ふんわりとした輪郭線(シルエット)の白い薄手のワンピースが、風も無いのに微かに揺れる。
傍に置かれたままの〝器の中身〟は、一滴も滴(したた)る事なく、消えていた。
存在(カタチ)…いや。恭が戻って来た。
カエッテキタ…。
計画は成功した…
しかし。
束(つか)の間、〝鮮やかな夢〟は一瞬にして崩れた。
衣(きぬ)擦れの音。見ると、恭(カタチ)が起き上がっていた。そして、私を見た。
「ひっ…」
声にならない悲鳴を上げる。
この瞬間(とき)。一瞬で、私の歓喜は恐怖に塗り替えられた。全身の毛穴が開き、皮膚が粟立つ。
……私は〝彼女〟と目が合った瞬間を一生、忘れないだろう。
何故なら。
〝その子〟の瞳には、色が無かったからだ。
色素が薄いとか、比喩とか、そう言う話では無い。一切無い。
色の無い瞳は…まるで無機質な人形の目や、深海の生物をも連想させる。
背筋が凍り、愕然と現実から、かけ離れた恐怖の情景を眺める。
他人事の様に。
金縛りの様に暫く、彼女から目を離せないでいた私は…
更なる恐怖を味わう事となった。
近くで鈍い音がした。
何かが床に落ち……違う。
存在(カタチ)の直ぐ後ろ。
棕矢が朦朧(もうろう)とした表情(かお)で、床に倒れている。
私は咄嗟に環の中に飛び込み、棕矢を抱き締めた。
突然の出来事に〝彼女への恐怖心〟など吹き飛んでいた。
……これは、〝あの夜〟と同じ?
いや、違う。あの時とは違った…。
抱き締めた少年の身体は完全に力が抜け、鉛の様に重い。
それは、まるで糸が切れて主を失った操り人形(マリオネット)。
焦点が合っていない瞳が、辛うじて私を捉える。
……!!
目に映ったのは、最悪の光景だった。
少年の瞳は虚ろで、身体も徐々に冷たくなっていく。
碧い瞳は、片方だけ色を失っていて…いや、正確には、失いつつあって…
虚ろと呼ぶにも呼べない、無機質なものへと、着実に変化していく。
そう…〝彼女〟と同じ瞳に。
彼女の方を見ると…彼女の左目だけに変化があった。
……碧い。
無機質だった瞳が、碧く染まる。
布に、色の付いた水を染み込ませるみたいに…。
段々…段々。じわじわ じわじわ…
棕矢の〝左目の碧〟が薄れる度、恭の〝左目の碧〟は濃くなってゆく。
私は気付いた。
「このままでは、棕矢の命が危ない!」直感が、私の中でけたたましく警鐘を鳴らす。
………棕矢の瞳が、恭と〝共鳴〟している!!
もう、どんな言葉を掛けていたのかなんて、覚えていない。無我夢中で、どうしたら良いのか思考を巡らせた。
あれは、火事場の馬鹿力、と言うのか…。
気が付いた時には、私の手は〝金紅石(ルチル)〟が包含(ほうがん)された石英を掴んでいた。
****
「金紅石…RUTILE(ルチル)」
金紅石(TiO2)
正方晶系。柱状、または膝頭(Knee sharp)状の接触双晶。双晶でなく塊状のものもある。
結晶には、条線と呼ばれる細かな筋を持つものが多い。
あるいは、金黄色の繊細な結晶(針~繊維状結晶)として、石英や、コランダム等の透明な鉱物中に形成され……それは〝ルチル入り水晶〟と呼ばれている。
因みに、水晶に含まれる、針状結晶が金色に見える理由としては、可視光の反射率と、吸収特性が、金と近いからと考えられる。
色は、赤褐色か赤、黄色、黒と様々で…研磨の仕方によっては、キャッツ・アイ効果が得られる。
条痕(じょうこん)(鉱物を素焼の磁器に擦りつけた時に生じる筋)は淡褐色から黄色まで。
劈開(へきかい)(割れやすい性質)は、伸長方向に平行で、明瞭。
断口(劈開面以外の方向の断面)は貝殻状の凹凸(おうとつ)。
閃緑岩、花崗岩、角閃岩。
及び、片麻岩…要に、長石、石英、雲母、角閃石等から成る鉱物…と、
それ等、多種鉱物の、副成分鉱物として生成する。
それから、補足すると…
ルチルと言う名は、諸説あるが、ラテン語で「rutilus 赤味を帯びた」の意。
勿論、和名も字の如く、然り。
同成分の鉱物は、鋭錐石と、板チタン石という鉱物なのだが。
・鋭推石「アナテース」は…ギリシア語で「Anatase(アナターゼ) 引き伸ばす」の意。和名は、鋭利な見た目から。
・板チタン石「ブルッカイト」は…英国の鉱物学者「H.J.Brooke(ブルカイト)(1771-1857)」から。此方の和名も、見た目から。
それ等の中で、ルチルは最も産出頻度が高い。
****
結論から言うと、この金色の針状結晶には高密度な治癒能力が宿っている。
更に「潜在能力を引き出す力」もあるとされている。
曖昧な記憶を辿ると…多分、私はルチルを含む石英から、ルチルだけを抽出したんだ。工匠の技術に「抽出」と言うものは無いが、きっとどれか他の術を応用した。
元々、塊状のルチルも部屋(ここ)にあったが、それは恭の〝素〟で使い切っていたから咄嗟に、その選択肢を選んだのだろう。
私は〝金色(ルチル)〟を〝色が抜け落ちた瞳〟に流し込んだ。
…工匠の混合術で。
抱き抱えていた棕矢の左目に、私が創った色が染み込んでゆく。
生気(いろ)の失われた、無機質な瞳の中で蠢(うごめ)く複雑な陰影は、器で渦巻いていた存在(カタチ)を、脳裏にフラッシュバックさせる。
……良かった。少しだけ体温が戻ったか。
と、視界の端で、何かが動いた。恭(カタチ)だった。また、彼女と瞳(め)が合う。
「そうか…」
私の喉の奥から、低い声が漏れる。
……やはり。この奇怪な光景の理由は、彼等二人の〝呼応と言う名の共鳴〟だったのだ。
「禁忌には、代償が必要…か」
此方を、ぼんやり見詰める〝彼女〟の瞳も。
今、私の腕の中に居る少年と同じ…〝碧色と金色〟をしていた。
恭の右目は〝金紅石(ルチル)の金〟、左目は〝棕矢が分け与えた碧〟だった。
つまり。
私が補ったものは、〝この子〟にも反映された。
目を逸らし、下を向く。頭は現状を、こんなにも冷静に推察、分析しているのに。
なのに、感情(こころ)が追い付いていない。予想外の事が起こり過ぎて、もう自分が冷静なのか、混乱しているのかも判らなかった。
それでも。
……ここで「諦めてなるものか」
私は覚悟を決めた。顔を上げて言う。
「お帰り、恭(きょう)」
そして、この時。
無防備な少年が、自分に何が起こっていたのか、なんて知る由(よし)もなかった。
◆棕矢 Sohya◆
説明を聞き終えた僕は、「ひとりにさせてください」と頼んだ。
お祖父様(じいさま)は「わかってるさ」と言いたげに、困った様な、優しい様な表情(かお)で頷くと、静かに部屋から出て行った。
ベッドの上へ、背中から倒れる様にして寝転ぶ。
大きくて弾力あるベッドは、僕の身体を上下に揺する。
ふわふわ…ふわふわ…
……ああ。このまま、もう一度、寝ちゃおうかな。
今の状況を、まだ漠然としか捉えられていないし、恭と再会する事が出来た喜びは冷めていないのに、モヤモヤとする。ここ一ヶ月間の計画(プロジェクト)で、僕の努力と根気は、使い果たしたのだろうか。
「会えた時は、あんなに嬉しかったのにな…」
誰に言うでもなく呟いた。それから僕は、ごろごろと寝返りを打っていたが、結局、一階に下りる事にした。
部屋を出る。臙脂色(えんじいろ)の絨毯(カーペット)の床を少し歩くと、その先に同じ色の絨毯が敷かれた階段が在る。大きな階段…それは「未知の世界に続く回廊」に思えた。普段は、こんな感想を抱いた事すら無かったのに…。
*
カウンターのある部屋に着く。
俯き加減のまま、黙って自分のカウンター席…恭の隣に座る。〝前〟と同じ様に、大好きな妹が直ぐ隣に居ると言うのに、心はまだ複雑だった。
お祖父様とお祖母様(ばあさま)が、心配そうな目でこっちを見ているのが分かった。
きっと、お祖母様は、既にお祖父様から全部、聞いているんだろうな…。
「お兄様」
急に恭が、僕の事を呼んだ。見ると、恭はそわそわと落ち着かない様子で、僕の反応を待っている。だから僕は、出来るだけ〝普段通り〟を装って「なあに?」と返す。と、妹は「待ってました!」とばかりに、にっこりして、カウンターの影から小袋を取り出した。
「じゃん!」
袋には、拙い字で〝おにいさまへ〟と書いてある。
「プレゼント」
それを、おずおずと両手で僕に差し出す。ほんのりと桃色になった頬と、上目遣いで見詰めて来る姿に「女の子って、ずるいな…」と思った。
僕が「有り難う」と受け取ると、恭は、ますます頬を赤らめて瞳(め)を輝かせた。
「はい!」
睫毛(まつげ)が長くて、ぱっちりした可愛らしい〝碧と金の瞳〟が必然的に視界の中で強調される…
また、ズキッと胸が痛んだ…。
その時。僕の心を察したのか、何とも絶妙なタイミングで、お祖母様が口を開いた。
「さあ、お兄ちゃん! 袋の中を見て頂戴」と。
……あ、久し振り。「お兄ちゃん」って呼ばれるの。
単なる呼び名でなく恭が居るからこそ意味を成す呼称に、僕はちょっと感動を覚える。
「うん」
小袋の口を縛ってあった細いリボンを解(ほど)いてゆく。よく見ると、袋の端にも同じリボンを束ねて作った、小さな花飾りが付いていた。
…袋の中身は、クッキーだった。
「おばあちゃんが焼いたのよ」
僕が中身を確認すると、お祖母様が嬉しそうに言う。そして「恭ちゃんが袋に詰めてくれたのよね?」と、恭に笑い掛けた。急に振られた恭は、ちょっと驚いた後、恥ずかしそうに小さく頷いた。
ふとお祖母様が、カウンターの下から、もう一個。僕と色違いの小袋を取り出す…「はい。恭ちゃんにもプレゼント」と、恭に手渡した。
恭にとっても、これはサプライズだった様で「わあっ」とか「ふふ」とか零しながら、凄く嬉しそうだ。
そんなやり取りを見ていたら、モヤモヤした気持ちも薄れていた。
寧(むし)ろ、安心感の方が勝っている。
……そう。「もう、前と同じ。恭は〝カエッテキタ〟んだ」
凄惨な日常から、在り来りで穏やかな日常に戻ったんだ。
お祖父様が、僕等の事を愉(たの)しそうに眺めていた。
その夜。
僕の部屋に、お祖父様(じいさま)が来た。ベッドに二人で腰掛ける。
「…慣れるまで気になるだろうし、変な感じがするかも知れないが、少しずつ慣れていくさ」
お祖父様は僕と目を合わせないまま、諭す様に…でも、ちょっと軽い調子で言う。気遣ってくれているのだろう。
「はい…」と、僕も俯いたまま、力無く返す。
〝何が〟とは言わなかったが、そんなの判ってたから…。二人とも黙ったままで、間(ま)が出来た…。だから僕等は、感情の余韻に浸る。
「お兄ちゃんは、妹の命を救ったんだぞ?! 誇りに思っても良いくらいだ」
僕の肩をそっと抱き寄せたお祖父様に、突然、頭を撫でられた。更に「それに、その証(あかし)が、お前達の両目なんだ。棕矢(そうや)と恭は〝二人でひとり〟なんだよ」なんて、明るい声で言ってくれるから…びっくりしたけれど、その前向きな言葉に、僕の気分も前向きになる。
……本当に、おじいちゃんの言動は、いつも「魔法」みたいだ。
術を遣っている訳じゃないのに、僕の心を、こんなにも楽にしてくれる…。
……僕の憧れで、大好きな優しい、おじいちゃん。
自然と、口角が上がっていた。僕の表情に安心したのか、お祖父様が立ち上がる。そして「そろそろ寝なさい」と電気を消して、部屋から出て行った。
「…誇っても…良いんだ」
ベッドに寝転び、ひとり噛み締める。
……よし。ちょっと元気出た。あと、少し自信を持てた気がした。
よほど嬉しかったのか、急に涙が出そうになって、目を閉じた。
「お休みなさい」
◆裏の棕矢 The back side of Sohya◆
表の私は〝お狐さま〟に逢った事が無い、と言う。
祈りの日も工匠以外の人間が来るからか、お狐さまの方も姿を見せないらしい。
〝工匠の伝え〟を知っているのに、実物を目にした事が無いというのは、何とも腑に落ちないのではないだろうか…。
「でも、彼(あいつ)は真面目で、馬鹿みたいに責任感が強いからな…」
〝逢った事も無い、お狐さま〟の事を、きっと本当に心から信じているんだろうな。
私は、傍に寄り添う〝守護神〟に、そっと触れる。
〝彼〟が目を細めた。
to be continue…