XX13年 8月
◆裏の棕矢 The back side of Sohya◆
私が〝お狐さま〟と出逢ったのは夢の中だった。
あれは十三歳の夏だったか。雨が強く、やけに寝苦しい夜だった。
*
ふと気付くと、俺は何も無い闇の中に立って居た。
本当に何も無かった。物も人も無い。見える景色、全てが黒いインクをぶちまけたみたいに真っ黒に染まっていた。その中に、ひとりで、ぽつんと立つ俺。
しかし。突如、光を感じ、上を見ると、影みたいに真っ黒な雲が裂け…その隙間から煌々(こうこう)と碧く輝く満月が姿を現した。……闇にも光にも吸い込まれそうだと思った。
『汝(なんじ)は…』
……?!!
声が聞こえた。
『汝は…私の……に…相応しい』
「だ、誰だ?!」
言うと同時に、目の前に光が渦を巻く。
絹糸の様な白銀の光が徐々に、塊になり形になってゆく…
形作られた光の塊。
それは、四肢と尾がすらりと長く伸びた、大きな狐だった。一見、狼の様にも見える。目が爛々(らんらん)として銀色の光を全身に纏う狐…キツネ
「お狐さま…」
凛々しく、真っ直ぐに俺を見詰める〝お狐さま〟は、再び言う。
『汝は、私の右腕となり、〝工匠(おまえ)たち〟の犯した過(あやま)ちの償いを…』
頭に直接響く言葉が反芻(はんすう)される。意味が判らなかった。
……俺達が…犯した? 過ち?
「ふ、ふざけるな! 犯した? 過ち? 何だよ、それ…! そんな身に覚えの無いこと。濡れ衣だ!!」
怒鳴っていた。突然現れた彼(こいつ)に、どうして、そんな事言われるんだ! と…。
本当に意味が判らなかったんだ。
『また教えよう…』
言い残し、再び光の糸となって、彼は闇の中に消えて行った。
***
あの出逢いの夢を見てから。
不思議な事に、私は彼と同じ、テレパシーの様な会話が可能になったのだ。
出逢いの夢から数日が経った。
『汝(なんじ)は、私の右腕となり、〝工匠(おまえ)たち〟の犯した過ちの償いを…』
今でも、ふとした時に、あの声が聞こえる気がする。
そのせいか、夜になると余計に落ち着かない。
そんな日々が続いていた。
***
ある晩、俺は自分の部屋で、相変わらず悶々としていた。夕方降った雨のせいで、気持ち的にも少し憂鬱だ。「はあ…」と今日、何度目かの溜息が漏れる。
『汝は、私の右腕となり、〝工匠(おまえ)たち〟の犯した過(あやま)ちの償いを…』
また、声が聞こえた気がする…ここまで来ると、もう病気か催眠術にかかっているんじゃないかと思えて来る度合(レベル)だ。
ん? そう言えば…お狐さま「また教える、って…言ってたな」
……じゃあ、呼べば来るのかよ。
半ば、やけくそで思った俺は、声を出さずに語り掛けた。声を出さなかったのは、神への祈りと言うか…術を遣う時みたいに、念じた方が伝わるかと思ったからだ。
『お狐さま…聞こえるか?』
勿論、こんなの最初から駄目元だったさ…
……?!
突然、一気に気圧が変化した時の様な…耳に水が入った時にも似た感覚に襲われる。
耳が塞がって、もわもわとする…気持ち悪い。
『何だ』
「え?」
今、確かに声がした。しかし、耳はまだ塞がった感覚のまま。
……そ、それじゃあ「嘘…だろ?」
『否(いな)』
頭に直接流れ込み、響く声…。
「お狐さま…ほ、本当に通じた」
意思疎通が可能だと確信を持った俺は、意識を集中させる為に目を閉じた。
そして、問う。
『貴方に訊きたい事がある』
お狐さまは黙っている。
問う。
『俺は…どうして貴方に〝選ばれた〟んだ?』
返事は無い。でも、一言出て来てしまえば、次々と喉元に込み上げてくる言葉を抑えられなかった。思わず声に出ていた。
「俺達が何をしたんだ…どうして神様のあんたが、こんなに容易(たやす)く会いに来るんだ」
俺は不機嫌ではあったが、それなりに冷静だったし、語気も強くはなかった。けれど、自分でも驚くくらい低い声だった。
そこで、ようやくお狐さまが淡々とした声で答える。
『其処まで望むのなら、教えよう』と。
*
それから俺は〝〝工匠(おまえ)たち〟の犯した過ち〟とやらの説明、経緯を聞いた。
始めは〝反対側の世界〟に居るという自分と同じ名前の少年、妹と同じ名前の少女…その祖父母の話だった。彼等もまた〝対〟故、同じく代々、工匠の家系だという。…そして、祖父母が始めた「過去に亡くなった兄妹の両親を復活させる為」の研究について。更に今から二年前、お狐さま自身が〝御祈りの日〟に見初(みそ)め、連れ去った〝恭〟を復活させる為、彼等…いや、棕矢(そうや)と祖父が、再び〝禁忌の計画〟に手を染めた話。
その禁忌が〝表裏の理(ことわり)〟を崩したこと。
結果、今では「お狐さまですら対応しきれない〝表裏で起こりつつある弊害〟の数々」について…。
他にも、いくつか細かい事を聞かされた気がする。
そして彼は、最後にこう言った。
『ひとつの禁忌が、表裏の世界の天秤を傾けたのだ』
*
一通り聞き終えると、今の話は漠然とした夢物語の様で、俺の中には不思議な感覚だけが残っていた。一度に話されても、理解出来る内容じゃなかった…きっと大半を理解出来ないまま、聞き流してしまった。
しかし、俺の中で唯一ちゃんと理解できた部分がある。
「工匠(わたしたち)の秘密」
〝お狐さま〟は、〝この街の表裏〟を支えているのです。
工匠だけが知る、内密な〝言い伝え〟と、正にぴったりの内容だったから。
「本当に、裏の世界は在ったんだ…」
気付くと、いつの間にか館(みせ)の外に飛び出していた。
理由は判らないが、足は、ただ真っ直ぐに大木のもとへ駆けていた。
全力疾走で、直(す)ぐに息が上がる。所々、泥濘(ぬかる)んだ地面のせいで、足が滑りそうになる。走る俺は冷静さが吹き飛び、苛立っているのか、悲しんでいるのか、恐れているのか、はたまた非現実的な状況に興奮しているのか。そんな事は、もう判らなくなっていた。
何の手違いで、こんな事に巻き込まれてるんだ!
俺が選ばれた? あれは、本当にお狐さまなのか?
裏の世界がある? 本当に? いや…言い伝え通りなら、在る…んだ。
疑問と、その疑問を打ち消す言葉が、次々と脳内で生まれては消える。
「はあっ…はあっ…」
息が苦しくて、喉がひりひりする。大木の下に崩れる様にして、しゃがみ込んだ。
そのまま幹に凭(もた)れ、全身を預ける。
蒸し暑い夏の夜。
絶えず吹き出す汗で服が肌に密着して、蒸し暑さが倍増する。
つうっ…と、急に涙が零れて、俺は上を向く。
……久し振りに泣いたな。
見上げた空は、星がとても綺麗だった。
と。
見た事のある光が、涙で霞む夜空の星に混ざった。
一瞬幻覚かと思ったが、違うらしい…
徐々に〝それ〟は、はっきりと姿を現し始めた。
……まさか!
碧白い細い光が目の前で絡み合う。
夢と同じ…形を成してゆく。
「お…お狐さま……」
俺は呆気(あっけ)にとられ、瞬(まばた)きすら忘れていた。完全に姿を現した〝彼〟は、やはり夢で見たままの姿をしていた。
そして俺を見据え、こう言った。
『汝は、この役目を果たすのか否か…』
俺は、ついさっきまでの感情が全部抜け落ちたみたいに、無心で答える。
「一日くれ。明日、同じ頃、此処に来る」
やけに淡白な自分の声が不気味だった。お狐さまは『ふん』と鼻を鳴らすと、一応了承はしてくれたらしく、頷く。
それから、姿が朧になり…また光の糸となって解けていった。
彼の姿が…光が完全に消えたのを確認してから、俺は立ち上がった。
◇裏の恭 The back side of Kyoh◇
この頃、お兄様が相当疲れてる。いつも飄々(ひょうひょう)としているって言うか、あまりそういうものを顔に出さない人なのに。何かあったのかしら…
*
そんな八月の、ある夜。お兄様が血相を変えて、お館(みせ)を出て行ったの。たまたま目が覚めちゃって、私が部屋から出ようとしたら、バタバタって音がしたから何事かと思ったわ。私は反射的に、扉(ドア)ノブに手を掛けたまま立ち止まってしまって、ちょっと開けた扉の隙間から廊下を覗いていたの。そしたら、お兄様が前を走って行ったって訳。
それから暫く、お兄様は帰って来なかった。
そして結局、帰って来たのも、真夜中だった。
何も言わず、あんな風に慌てて出て行った事…今までに、無かったと思うわ。
心配だったけれど、何だか深追いしちゃいけない様に思えたから、今も何があったのか訊けず仕舞だわ。
それに、あれからも、お兄様は私と居る間や昼間は何事も無かったかの様に振る舞うものだから…余計に訊くタイミングが無かった。
……私は心配なの。お兄様。
◆裏の棕矢 The back side of Sohya◆
館(みせ)に帰るなり、ベッドに倒れ込んだ。
物凄く疲れていた。正直どうやって、此処まで帰って来たのかも曖昧だった。
……今は休んで、明日…考え…よう。
俺は急激な睡魔に身を委(ゆだ)ねた。
*
翌朝。大いに寝坊した俺を、お祖母様(ばあさま)が起こしに来た。
「昨日の夜、遅くまで出てたのね…? 大丈夫? 何かあったの?」と開口一番に言われる。
……やっぱり気付いてたか。
多分、庭の防犯機巧(システム)に引っ掛かったか、外の結界を解いた時、お祖父様が気付いたのだろう。でも何かあったの? と問われても…お祖母様達が件(くだん)の〝お狐さまの姿や、特殊な会話方法〟を知っているとは思えない。
だから「ううん…何でも無い。ちょっと風に当たりたくて、散歩」とかそれっぽい事を言って、誤魔化しておいた。
幸い、お祖母様は「そう。気を付けてね」とだけ言って、部屋を出て行った。
寝不足のぼうっとした頭で着替え、階段を下りる。
朝食は一応、食べられたけど、何を食べたかは覚えていない。
恭に「お兄様、どうしたの?」と何故か複雑な表情(かお)をして訊かれたが、あまりの呆け具合に溜息を吐かれる始末だった。
朝食が済み、早々に自室へ戻ろうとしていた俺が階段を上っていると、急に後ろから声を掛けられた。
「お兄様!」
「うわっ!」
ぼんやりしていた上に、声の主が突然腕に絡み付いて来るものだから、凄くびっくりして階段に躓(つまず)きそうになった。
「や、止めろよ」
怪訝そうな顔を向ける俺に構わず、恭は手を放そうとしない。そして、結局そのまま俺の部屋まで入って来た。後ろ手に部屋の扉(ドア)を閉めた彼女は、そのまま扉の前の床にぺたんと座り、俺の目を見ながら「どうしたの?」と訊く。彼女の目は、明らかに「何の事か判っているでしょう」と訴えている。
……ああ。こうなったら恭は中々諦めないんだよな。
ご覧の通り、恭が部屋の出入口をしっかりと塞いでいるので、これは観念するしかなさそうだ。
「はあ…ちょっと待ってくれ」
俺は自分の頭をわしゃわしゃと雑に掻いて、大きく溜息を吐いた。
今、頭の中が一杯なんだ。
嘘みたいな奇怪な話を自称「神様」に散々聞かされた翌日なんだから…。
ここのところ寝不足が続いていた俺の頭は、そろそろパンクしそうだ。
それに昨晩の奇妙な出来事については、先(ま)ず俺自身が殆ど整理も理解も出来ていないんだ。その状態で、誰かに説明なんて出来る訳がない。
すると、恭が不意に立ち上がった。
「良いわよ、ちょっと待っててあげる」
「え?」
宣言した彼女は俺のベッドに腰掛けると、足をぶらぶらさせた。
……今日は、何か不機嫌だな。恭こそ、何かあったんじゃないか?
数分悩んだ末、結局、俺は少しだけ話す事にした。
それに〝お狐さまとの契約〟の事や、詳しい部分を言わなければ良い話だ。
取り敢えず、手近にあった紙に昨晩の出来事、説明されたことを書き出し…整理しながら簡単な書留(メモ)を作っていく…。その間も、恭は相変わらず足をぶらぶらさせ、不機嫌そうな顔で窓の外を眺めていた。
書留(メモ)が出来上ると、俺はそこから掻い摘んで恭にも話せそうなところを話し出した。
話を聞き終えた恭は「ふーん」とだけ言った。興味がある様な、無い様な…。でも表情を見る限り一応、満足してくれたみたいだ。…が。
……あんなに、しつこく詰め寄ってきたくせして、何だよ。
思ったより薄かった反応に、労力を費やした此方側は、何とも言えない気分だ。
とにかく疲れた。寝たい。
恭が部屋から出て行くと、俺は入れ替わりにベッドへ飛び込み、そのまま泥の様に眠った。…たまには、怠惰な日があっても良いだろ?
*
普段よりだらだらとした一日を過ごす。
そして何事も無いまま、夜となった。
これで、やっと。まともに休める。
そう安堵して床に就(つ)こうとした時だった。
唐突に、今は聞きたくない声が頭に響いたんだ。
『汝(なんじ)に最初の使命を与える』
「は? 使命? 何でまた。もう本当に…何なんだよ」
けれど、口から出た言葉とは裏腹に、この時は怒りより冷静さが勝っていた。
何故なら、俺の身体が自然と聞く態勢になっていたからだ。
いや、もしかしたら語弊があって、落ち着き払っていたのは、冷静さより諦めの方が強かったからかも知れないし、多少頭の隅で予想していた状況だったからかも知れない…。
お狐さまが告げる。
『〝反対側の祖父母〟に会いに行ってこい』と。
会いに行って、昨晩、俺が聞かされた
「俺達…対の人物、対の世界の事」
「この二つの世界を繋ぐ橋である〝門の管理〟が難航している事」
また難航している理由、切っ掛けは
「〝禁忌〟を犯したことによって、表裏のバランスが崩れたからだ、という事」
「更に今の状態が続くと…近々、二つの世界で拡大し得る〝重大な弊害〟があり…
現時点で、もう既に段々と小さな弊害が起こり始めている事」
それ等を全て伝えてこい…という事らしい。
はあ…とにかく。
まだ俺の中で、完全には消化できていないというのに…
「全く、無茶な神様だ」
目まぐるしく過ぎる、非現実的な日々。気付けば、もう八月も終わろうとしていた。
俺は正直、疲れ切っていた。
「本当、何でこんな事してんだろう…」
ぽつりと呟く。
……もう全て受け入れてしまった方が楽なのかも知れない。
くよくよしていても、埒(らち)が明かない気がしていた。それに正直、認めたくはないが、きっと心のどこかでは「〝守護神〟に自分が選ばれた」という事に、少なからず舞い上がっていたんだと思う。
初めは、今までに無いくらい、あんなにも苛立っていたというのに…。
でも、お狐さまと会う度、話す度…確かに俺の中にあった筈の抵抗は薄れていた。
そう…この日。
全てを受け入れてしまった〝この瞬間(とき)〟から、俺の人生は一変したのだ。
***
『〝正門〟を通って〝表〟の世界へ』出る。
それが〝彼〟との最初の約束。
約束と言っても「一方的な頼まれ事を聞いてやるだけ」と言う、捻くれた気持ちも、まだ少しあった。
夜。お狐さまに言われた通り、ルナの大木の前まで来ると、例の如く白銀の光が現れ、頬を軽く風が撫でた。ふわりと夜の匂いがする。
「よう。神さま」
わざと感情を剥き出しにした挨拶をする。が、彼は動じることも、反応を見せることもせず、俺に鋭い目を合わせた。
『開門する』
一言だけお狐さまは告げる。
途端、彼の後ろに聳(そび)えた大きく太い幹が歪む。目がおかしくなったのかと思うくらい、ぐにゃり…と。直後、太陽を直視した時に似た、真っ白な光に視界を遮られた。
次第に目が慣れてくると、眼前には異質な光景が広がっていた。太い幹に三メートルくらいはある、大きな穴が開いていたのだ。
近しい表現をするなら、ブラックホールを純白にした感じだろうか。ただ白いだけで向こう側は一切見えない、真っ白な空間…
直立不動で目を見開き、網膜に焼き付くのではないかと思う程、視線を外せない俺に、お狐さまは淡々と言った。
『この向こう側が〝もうひとつの世界〟だ』
モウヒトツ ノ セカイ ダ
やっと我に返り…今、耳から入って来た言葉の意味を考える。
……この向こう側が〝もうひとつの世界〟
ふと肩に僅かな重さを感じる。
……?
目を細める。いつの間にか、俺の身体を真っ白な布が覆っていたのだ。
……マント?
『お前達〝人間〟が、門を通り、行き来するには〝そのマント〟が必要なのだ』便利なことに状況に応じて、このマントは勝手に現れたり、消えたりする…らしい。
何の為の装備なのか、ぴんと来なかったが、特に支障は無いので適当に相槌を打っておいた。
……もう決めたんだ。
「行って来る」
足を踏み出すと、纏った純白が舞い上がる。
お狐さまは、最後まで黙っていた。
表裏を繋ぐ真っ白な穴の中に居たのは、ほんの一瞬だった。
…いや、そう感じただけかも知れない。
サクッ
足下の感触で現実に引き戻される。下を見ると、芝生だった。俺は地面に、ちゃんと足が着いた事に安堵しつつ、顔を上げた。…思考が止まった。
〝景色が微塵も変わっていなかった〟から。
似ているとか、そういう度合(レベル)ではない。あまりにも変化が無くて、どこかで間違えて、道を逆戻りしたんじゃないか? と疑う程…。
けれど、お狐さまは確かに門を開いた筈だ。さっきの〝正門〟が幻覚だなんて思えない。それに俺だって、確かに門に踏み込んだ。
軽く混乱していると、お狐さまの声が聞こえた。
『汝(なんじ)の世界と瓜二つ。故、道は判る…』と。
まだ心の奥では、疑わしいという気持ちが渦巻いていたが、此処まで来たら、もう意地を張っていないで彼を信じるしか無い。俺は〝見慣れた帰途〟に就(つ)くのだった。
*
館(みせ)に辿り着いた。
「うわ…流石〝表裏〟と言うだけある…。本当に館まで瓜二つ、なのか」
庭の門の外から見上げた巨大な建物は、違和感が無いくらい、何もかも同じだった。
「でも、本当に此処は〝反対側〟なんだろうか?」
いちいち考えていると、頭がおかしくなりそうだ。苦笑いする。
さて。辿り着けたのは良いとして…
「どうやって入るか」
ある意味、自宅だというのに「どうやって入ろう」とか滑稽過ぎる。
素直に玄関からだろうか。
……あ。でも此方(こっち)にも「門の結界」と「防犯システムの〝機巧(しかけ)〟」があるかも知れない。ここまで瓜二つで、此方の人間も工匠ならば、その可能性は高い。第一、先(ま)ず今の時刻が時刻だった。深夜だ。仮令(たとえ)、呼び鈴を鳴らしたところで、気付くかも判らない。それに、もし気付いたとしても、初っ端から怪しまれると〝彼の命令〟が達成できなくなる率も上がる。
少し思案した後。
俺は、ある重要な事に気付いた。
「俺も〝術〟が遣えるじゃないか!」
難しく考え過ぎだった。そうだ。俺も〝同じ解除術〟が遣えるんだ。
此方の世界の封印(ロック)が解けるかは判らないが、物は試しだ。機巧(しかけ)も〝同じ〟なら多少は突破出来るかも知れない。
2019.11 4 更新⑫
□祖父 grandfather□
夜中。
コンコン
という音で、目が覚めた。
気のせいか、と再び目を瞑(つむ)ろうとすると…
コンコン
……?
それはカーテンの向こうから聞こえていた。
窓を〝叩く〟音…?
物が、ぶつかった音じゃない。明らかに、人工的に意図して鳴らされている。
コンコン…まるで、誰かが戸をノックしているかの様。
幸いにも、横に居る妻は起きていないみたいだ。
恐怖(ホラー)映画みたいで、少し気味が悪かったが、計画(プロジェクト)の事もあったからか。私は恐怖を感じていなかった。悟りを開いた…とまでは言わないし、第一そんなに大した者ではない。ただ、人より色々と「非現実を経験し過ぎてしまっただけ」だ。
ベッドから降り、一息吐いてカーテンをそっと引く。
其処に居たのは一応…人の形をしたモノだった。
え? 何故、そんな曖昧な表現をしたのか?
何故ならば…そのモノは真っ白なマントを羽織り、目元は衣(それ)と同じ純白のフードに隠れていて…。
風に吹かれ舞い上がったマントの隙間から見えた身体と、全体の輪郭線(シルエット)は一応、人の形を成していたから。でも、此処は二階だ。それなのに平然と態勢を保っているところを見ると、宙に浮いているのだろうか…?
とにかく、外見は人間でも、こんな状況下ではとても普通の人間とは思えなかったからである。
私は此方から窓を開け、慎重に声を掛けた。
「こんな夜分に、しかもこんな場所から人の家を訪ねるとは。君は…」
「すみませんね」
……?!
聞き覚えがある声。いや、聞き間違う筈の無い声だった。
「き、君は…」
目の前のモノが手で、フードを外した。顔が露(あらわ)になる。一瞬言葉を失った。
「棕(そう)…矢(や)…?」
「はい。初めまして。俺は〝反対側〟の棕矢です」
「分かった…その件は考えておく」
……私が崩し、歪めた理(ことわり)を…私が補い、組み直す。
この、Nid(ニ)=Argent(アルジャン)・Renard(ルナール)…いや、この世界の理を。
裏の棕矢(そうや)が私に課したのは〝元通りにしろ〟という事だった。
*
元通りにする……それは、簡単な訳が無い。
私は神様でも魔法使いでも無いのだ。
いくら〝工匠〟と言う肩書が付いていても、結局…ただの人間だ。
でも…それでも……
私は知恵を絞り出すしか無かった。あの始まりの日と同じ様に。
***
それから数日。私は寝る間も惜しみ、ひたすら色んな案を考えた。
…けれど、ひとつ、ふたつ閃いたからと言って、そうそう上手くいくものでもない。
よって、どの案も中々に現実的では無かった。それに今回の件については、A氏達に相談できる話では無い。
私が責任を持って対処し、私がこの手で終わらせなければならない問題なのだから。
毎日、毎日…ひとりで、ひたすら考えた。
そんな私を、妻は何も言わず見守ってくれた。孫の面倒も、店の事もよくやってくれている。
私は、先代が残した本や文書を読み漁り…ある日、やっとの事で思い付いたのが
……己の手で『中和の役目となる〝存在(カタチ)〟を創ること』だった。
工匠(わたしたち)の口碑と、存在創造計画(あのプロジェクト)からヒントを得たのである。
そして、もう
今度こそは…
「後戻り出来ないんだ…」
XX13年 10月
□祖父 grandfather□
己の手で『中和の役目となる〝存在(カタチ)〟を創ること』
しかし、今回ばかりは、もう棕矢(そうや)を巻き込みたくない…。
そこで最終的に、やむを得ず「私と妻で創(や)ろう」という事になった。が、妻は工匠の血縁では無いので、恭の時と条件が明らかに違う。
だから一先(ひとま)ず、私が作った魔性具(ましょうぐ)…要に、疑似的に工匠の術を再現、補助させる為の道具を用いる事にした。きっと、彼女がいくら念を込めても、必然的に〝存在(カタチ)〟を生み出す程の力は出せないと判断したからだ。
***
さて。
中和創造…と、漠然な案は浮かんだものの「どうやって〝中和〟というモノを創り出し、どうすれば、それで〝世界の歪みを元通りに出来るのか〟」だ。
中和…言葉にすれば三文字。でも実際、そんなに大規模で、非現実的なものを一気に達成できるという保証はどこにも無い。
…物事を崩し破壊するのは、とても簡単で一瞬のこと。でも、崩れてしまってから取り戻すには膨大な時間が掛かるのだから。
私は、また何日も悩み尽くした。
食事も忘れる程、考えた。
そして。
十月が終わる頃。
「中和……だから〝表裏の対〟となる存在(カタチ)を生み出すんだ…!」と。
やっと…ついに閃いた。
そして、対(つい)の存在を創造するのなら〝素(もと)〟を対にすれば上手くいくかも知れない!! と。
存在(カタチ)創造の儀式で〝呼応する鉱物〟は此方からは選べないので、意図的に対にするなら〝ルナの鉱物(いし)〟しか無かった。
が、偶然にも、それは好都合だった。膨大な選択肢が一つに絞られた上に「今なら〝裏側のそれ〟を入手できる確率も高い」からだ。
「裏の棕矢(きみ)に…私は懸(か)けよう」
*
翌日。次回、裏の彼に会えた時の為、考えた事と、お願いする内容を詳しく書き留めた。言葉にして紙に書き連ねると、作家になって空想の物語を書いている気分だった。しかし、私は書く…書く…書く…
XX13年 11月
件(くだん)の書留(メモ)が仕上がってから、二日後。
私は、どうしても胸騒ぎがして、深夜になっても眠れずにいた。
そして…夜中の二時を回った頃。彼は現れた。
「おや、こんばんは。…丁度、君に会いたいと思っていたところですよ」
一階…カウンターの部屋。窓を開け、庭先を眺めながら、ハーブティーを飲んでいた私は、カップをソーサーに置き視線を合わせる。
意味深な此方の科白(せりふ)に、白いマントの彼は理由を知っているのか否か「へえ」と、別段驚くことも無く、にやりとする。
「会いたかった…何故ですか?」
「それは…」
私は、ソーサーの横に置いてあった書留(メモ)を見せ説明した。
「ルナを〝元通りにする為〟には、〝其方側の鉱物(いし)〟が必要なんです。頼みます、協力して頂けませんか?」
「ほう…鉱物?」
「ああ。ルナの鉱物(いし)だ。私の勝手な思い込みかも知れないが…君が結界の解除術を遣えるという事は、君達の世界にも工匠が居るのだろう? いや…。君のお祖父(じい)さんは、工匠なのだろう?」
◆裏の棕矢 The back side of Shoya◆
目の前の男が、謙(へりくだ)って頭を下げる。
彼は、お祖父様と瓜二つだから、物凄く変な感じがする。
「ほう…鉱物?」
「ああ。ルナの鉱物(いし)だ。私の勝手な思い込みかも知れないが…君が結界の解除術を使えるという事は、君達の世界にも工匠が居るのだろう? いや…。君のお祖父(じい)さんは、工匠なのだろう?」
「…はい」
彼は、俺の返事に安心したのか息をひとつ吐く。
そして強く真っ直ぐな視線を向け、言った。
「では、それを、ほんの一欠片(かけら)…頂けませんか?」
「わかった」
反射的に俺は、深く頷いていた。きっと俺の中から自然と湧いた答えだったんだ。それに「元通りにする為に必要」と言うのなら、何も断る理由が無い。
「有り難うございます」と、彼は再び頭を下げた。
「鉱物(いし)…何とかして、貰って来ますよ」
俺は言って、館を後にした。
ルナの鉱物(いし)を持って行く、と彼方(あちら)側の祖父に宣言したものの…
「どうやって手に入れようか」
お祖父様(じいさま)から直接貰うのが、一番効率良いのは確かだ。
でも、それ相応の口実があるのかと言うと…正直、今は無い。
「興味があるので見せてください」
……うーん。今更?
「調べたいので…」
……いや、何をだよ。
「奉納品の作り方を…」
……これなら、そこまで怪しまれないか? いや。でも何で、急にこんな時期に、って思われるか?
結局、一つも、ぴんと来なかったので小難しい事は抜きにして、単刀直入に訊いてみることにした。一か八かだ。もし理由を訊ねられたら、それとなく誤魔化せば良い…。
*
「お祖父様!」
俺は、お祖父様が寝室に入ろうとしているところを呼び止めた。緊張し過ぎて、脈打つ鼓動で胸が痛い。
「ん?」
「あ、あの、急で申し訳無いんだけど…ルナの鉱物、ちょっとだけ貰っても良い?」
案の定、お祖父様は疑問符を頭に浮かべ思案する。そして軽く笑うと「良いよ」とあっさり了承してくれた。
……なんだ。そんなに心配しなくても良かったじゃないか。
お祖父様は「今年の奉納品を作った時の余りが少しある筈だから、持って行って良いよ」と言ってくれた。
「有り難う」
「ああ。お休み、棕矢(そうや)」
「うん。お休みなさい」
*
俺は早速、仕事部屋に行くと鉱物を仕舞ってある場所の結界を解く。
何度も此処に入っているから、どこに何があって、どんな結界が張ってあるか、くらいは知っている。
「あった…」
小さな欠片を手に取る。
ほぼ均等な間隔で細い筋が入る、銀色の鉱物(いし)。表面が凄く滑(なめ)らかだから、触っていても鉱物という感じがしない。けれど手に乗せた時の適度な重量感と、ひんやりとした感触が、やはり鉱物なのだと伝える。
……よし。
「お狐さま…」
…反応は無い。外で虫が鳴いているのが微かに聞こえるだけ。
『お狐さま…』
今度は目を閉じ、念じる。
『今夜…正門を開けて貰えませんか?』
『……良いだろう』
□祖父 grandfather□
十一月 十八日。
私達は、裏の棕矢(かれ)がくれた〝裏のルナの鉱物(いし)〟と、〝表(こちら)のルナの鉱物〟を、それぞれに使い〝中和の存在〟を創った。
…二つの存在は、二歳くらいの幼児のカタチをしていた。
此方側の鉱物を用いた方は、どことなく息子に似た男の子。
色は息子より薄いものの、ふわふわとした猫っ毛で、瞳の形も垂れ目気味で似ている気がする。それから、この子の瞳の色は、色素の薄い茶色(ブラウン)…まるで、息子の連れにそっくりだった。
それから、もう一方。裏側の鉱物を用いた方は、全体的な雰囲気が息子の連れに似た男の子だった。
切れ長の目と、女性的な穏やかで整った顔立ち。…しかし、艶やかな黒髪に、澄んだ紅色の瞳は誰に似ている訳でも無く、とても印象的だった。
「貴方…」
「……」
「これで、きっと…大丈夫よね」
「…きっと」
「ええ、きっと」
肩を震わせる妻の横。私はもう堪え切れなかった。
「…ごめんな」
「え?」
「ごめんな…お前まで巻き込んで…悪かった。本当に…」
この時…今更、仕方が無いのに〝代償〟の事が脳裏で重く渦巻いていたのだ。
代償。現段階では、それらしき出来事は何も起こっていない。恭の時は、直(す)ぐに代償が判ったのに、今回は違うのか…?
一体どんなものが代償になるのか、全く見当が付かない…。
妻の手が、私の手に添えられる。温かい。
「いいえ。私だって関係しているでしょう? だから、貴方だけが背負う事じゃないわ」
彼女の言葉(それ)は、子供をあやす様な声だった。
私は、童心に返った心持ちで「有り難う」と彼女の手を握る。
妻の頬からも一筋、涙が流れ落ちた。
それから、私と妻は〝中和の存在〟である二人の名を考えていた。今、二人には術を掛けてあり、眠っている。まじまじと存在(カタチ)の顔を覗き込んでいた妻が、ふと「何だか、息子達に似てるわねえ」と、染み染み(しみじみ)呟いた。私も「そうだな」と微笑んだ。
数日間、妻と考えあぐねた結果、二人とも同じ響きの名前にしようという事で落ち着き『アキラ』に決まった。
◆劍…真っ直ぐな剣(つるぎ)の様に意志強く、過酷な運命をも跳ね返す力に満ちた子になって、皆を守って欲しい。
◇惺…悟った様に心が落ち着いていて、遠くまで澄み渡る星空の様に、皆を正しく
導いて欲しい。
そんな意味を込め『劍』と『惺』になった。
◆裏の棕矢 The back side of Shoya◆
ある夜、俺は館(みせ)の門の外に立って居た。勿論、自宅(いえ)ではない。反対側の館だ。
此処からは遠目に丁度ハーブの庭が見え、辛うじてだが店内の様子も窓から少しは窺える。
ガチャ
「よし。終わった…か」
視線の先には、〝此方側の祖父〟が居る。彼が玄関から出て来たところだった。
仕事着で、ワイシャツの袖を捲り上げた恰好だ。実に様(さま)になっている。
彼は玄関に掛かった店の開店(オープン)、閉店(クローズ)を報せる看板を裏返す。俺は少し離れたところから館の周りに張ってあった結界を解き、祖父のもとへと向かう。
夜風が、マントを舞い上げた。
「こんばんは」
「こんばんは、棕矢(そうや)君」
声を掛けると、彼は此方に背を向けたまま言った。
やはり結界を一瞬でも解いただけで、この人は〝俺〟だと気付いていたらしい。
いや、まあ熟練な上〝工匠の技術〟を操れる人間なんて、高が知れてるからな。そう考えたら、別に驚く事でも無いのか。
「今日は、どうされたんですか?」と、彼が振り返りながら静かに問う。
「今日は…」
*
『彼方(あちら)側の夫婦が、動き出した』
それは、昨晩のこと。
俺のところに来たお狐さまが下した、次の使命だった。
『夫婦と〝彼等が創造したモノ〟を、大木まで連れて来い』…と。
*
「貴方達が〝創造したモノ〟と一緒に、明日の夜…ルナの大木まで来てください」
それを受け、祖父(かれ)の表情が引き締まる。
そして、何故と問う事も無く「解った」と頷いた。
□祖父 grandfather□
店に居た客が全て引き揚げると、私は玄関へと向かった。
店の看板を閉店(クローズ)にする為だ。扉(ドア)を開けると、ひんやりとした空気が流れ込んできて、気持ちが良い。
「ん?」
突然、館の周りに張っていた結界が一瞬だけ解けた…? しかし、私は何もしていない。
……ああ、彼か。
「こんばんは」
……ほらな。
「こんばんは、棕矢(そうや)君。今日は、どうされたんですか?」
背後に気配と聞き慣れた声を感じながら、ゆっくりと振り返る。
「今日は…」
私達が〝創造したモノ〟…つまり「アキラ達と一緒に、明日の夜…ルナの大木まで来て欲しい」という内容だった。
少年が去って行くと、私は玄関の扉を静かに閉める。部屋(なか)に戻ると、妻が少し不安そうに私を見詰めていた。
「貴方どうしたんですか?」
妻は、看板を裏返すだけにしては、私が長く外に留まっていたことを指して、言っているらしい。私は深く息を吸い込み、吐く。
「疲れてるところ悪い…」
妻の眉根が僅かに寄る。
「アキラ達のことだ…」
妻は一言(これ)だけで何かを感じ取ったのか「後で、寝る前に話しましょう」と言い、店の片付けを再開したのだった。
……本当に。これで表裏(ルナ)は保たれるのか?
私は固く唇を結び、大地を踏み締める。心臓が不快な程、強く脈打つ。
「私達は少しでも、罪滅ぼし出来るのでしょうか…」
横で妻が不安そうな声を出したが、今にも泣き言が溢れ出しそうな私の口では返事をしてやれない。
今、彼女の腕の中には惺(あきら)が、私の腕の中には劍(あきら)が眠っている。
二歳児くらいのアキラを抱いて丘を登るのは老体には少々堪えるが、そんな事を気にしている余裕は無かった。
肌寒い夜。裏の棕矢(そうや)の言う通り、私と妻はアキラ達を連れ、大木のもとまで来た。
無人の広い芝生の上で、私達は立ち止まる。
サクッ
しんと静まり返っていた中に音がする。
目の前に聳(そび)えた大木の幹の裏側から、白いマントを着た少年が現れた。
「どうも、こんばんは」
◆裏の棕矢 The back side of Shoya◆
遠くの方で小さな灯りが二つ、揺れている。
それは次第に大きくなり、確実に此方に近付いて来る…灯りの正体は洋灯(ランプ)だった。
此方側の祖父母が何かを抱えて、なだらかな丘を登って来ていたのだ。俺は、ルナの大木の太い幹に身を隠し、出る瞬間(タイミング)を計る。
やがて近くまで来た祖父母(ふたり)は足を止め、闇夜と静寂の中、無人の空間に視線をさ迷わせた。……よし。
サクッ
俺は踏み出した。
「どうも、こんばんは」
「こんばんは。棕矢(そうや)君」
祖父が即座に反応し、真面目な顔で返す。隣に立つ祖母は緊張気味に此方を見詰め、黙している。突然、現れた俺を前にして取り乱さないところが流石〝お祖母様(ばあさま)〟だ。
二人が抱き抱えていたのは、小さな子供の様だった。
……あれが〝中和の役目を果たす為に創造したモノ〟なのか? もしそうならば、俺が渡したルナの鉱物(いし)は何に使ったのだろう…?
と、スッと白銀の光が視界の端に漂い始めた。それを横眼だけで確認する。
……来たか。
少しして、俺の横にはっきりと姿を現したお狐さま。息を詰めじっと此方を見詰める祖父母には、白銀の光やお狐さまの姿が見えていないのか、全く反応が無い。
……さあ。役者は揃った。
『始めよう』
「教えてくれ」
口火を切ったのは祖父だった。凛とした通る声で、彼は続ける。
「君は何故、私達と…この子達を、此処に呼んだんだ?」
皆を集めた理由。最初、お狐さまに指示された時は俺だって解らなかった。
けれど〝今回の関係者〟を集め、この瞬間で姿を現したお狐さま。
俺の推測だが…彼は祖父母が連れて来た〝モノ〟が、本当に〝中和の役目を果たせるモノなのかどうか、直接確かめたかった〟んじゃないか?
『で? 貴方としては、何で皆を集めたんだ?』俺は、お狐さまに念じて問う。
『…アレが可か不可か、判断を下す為だ』
『やっぱりそうなのか』
俺は、大きく息を吸い込む。
「貴方達を呼んだ理由は…」
祖父母の緊張が、空気と共に此処まで伝わって来る。
「その子達に、中和の役目が果たせるかどうか。念の為、確認させて貰いたくて、お呼びしました」
……って事だよな?
お狐さまを見遣ると、彼は前を向いたまま小さく頷いた。
「か、確認って…」
祖父はあからさまに眉を顰(ひそ)めたが、直(す)ぐに抱いていた子供の顔を心配そうに覗き込んだ後、俺を真っ直ぐ見据え、はっきりと言った。
「分かった。頼む」
『…だってさ』
お狐さまに念じる。じっとしていた彼がゆっくりと無言で歩き出した。
四人に向かって徐々に距離を詰めて行く姿は、容姿のせいもあるのか狼が獲物を狙い、そっと忍び寄る時と、よく似ていた。
祖父母は、やはりお狐さまの事が見えていないらしく、俺の方を不安そうにじっと見ている。
沈黙。
お狐さまが子供のひとりに顔を近付ける…と、ぱっと白い光となって弾けた。
狐の姿から無数の光の線に変わった彼は、四人の間を滑(なめ)らかに何度も擦り抜ける。
そして、そのまま俺の傍まで戻って来ると、再び本来の姿に戻った。
彼が、ゆっくりと深く頷く。
「大丈夫だ。これで良い」
その瞬間(とき)、目の前に居た祖父だけが、何故か驚愕と感動が混ざった表情(かお)をしていた…。
□祖父 grandfather□
「大丈夫だ。これで良い」
少し離れた所に立って居たマントの少年が告げる。
……そうか。
喜ぶべき場面の筈なのだが、私にはそんな淡々とした感想しか生まれなかった。「そうか、安心した」と、それだけだった。
この時、私の目の前に居たのが〝少年だけでなかった〟と気付いたから。
……お狐さま。
お狐さま?
あれは…お狐さまなのか?
雄姿(ゆうし)且つ、優雅な出立(いでだ)ち。淡く銀色の光る美しい毛並みと、長い尾が風に靡(なび)かれる。
大きな体で一見狼の様にも見えるが、細部を見れば…確かに狐だった。
たった今、そのお狐さまが私達を見据え、同意を示すかの如く、深く頷いたのだ。
……お狐さま。
私は〝あの日〟の事を一生、忘れません。貴方を恨み、もう工匠なんて辞めてしまおうかと思ったこともありました。
けれど私が、禁忌と知りながら恭を取り戻し、貴方に迷惑を掛けたのも…この街の理(ことわり)を崩したのも事実です。本当に…申し訳ありませんでした。
そして、貴方にお願いがあります。
もうこれ以上、少女達の未来を奪わないでください。
私達の人生はもう短い。いっそ、この命を代償にしたって構わない。だから…
だから、もうこれ以上…これ以上……
◆棕矢 Sohya◆
十一月。
俺の目の前に、二人の赤ちゃんが並んで眠っていた。二人とも男の子だった。
ひとりは綺麗な色白の肌で、色素の薄い柔らかそうな茶髪の子。ふっくらした頬も相俟って「女の子みたい」と言う感想を抱く。
もうひとりは、黒い髪の子で、他に目立った特徴が見付からない。強いて言えば、赤ちゃんにしては顔立ちが整っている…と言う感想かな。可愛らしいと言うより、綺麗と言った方が相応しい感じ。
名前は「アキラ」と、お祖父様(じいさま)と、お祖母様(ばあさま)は言った。
「二人とも…アキラ君なんですか?」
「そうよ」
俺が訊くと、お祖母様(ばあさま)が答え、お祖父様(じいさま)が頷く。
……でも、この子達は一体?
「お祖父様…。こ、この子達は…えっと、その…どこの子なんですか?」
「おじいちゃん達の遠い親戚の、お孫さんなんだ」
「親戚…?」
話を聞くと、この子達の両親は他界されていて、アキラ君たちは、今回の依頼主の夫婦に育てられていたらしい。しかし、複雑な事情があって、もう夫婦や身近な人間では育てられなくなってしまった…と。それで、やむを得ず此処で預かる事になったのだと言う。
何故、家(うち)なのだろう…? とか、明らかに兄弟では無さそうなアキラ君たちの容姿の違いを不思議に思ったが、大人の事情には安易に首を突っ込めないと思い、何とかして納得しようと努めた。
to be continue…