輪廻変生 作:猗窩座ァ!
表面的な煌びやかさとは対照的に悍ましい欲望の蠢く地、平安京。藤原氏が摂関政治により隆盛を誇る時代に、その者は生まれた。以後千年もの間、人を食らいながら現世を彷徨う
────その名を、
はて、これはどういう事だろう。
幼子にすら届かぬ赤子の身で、その身に似合わぬ思考をつらつらと並べ立てる。それもその筈、成人には至らずとも科学の発展した世界で相応に年月を重ねた精神が不思議な事に宿っているのだから。
未熟だからか聴こえ辛い声をなんとか聞き取り、『平安京』『藤原氏』などの妙に聞き覚えのある単語を拾いつつ、一年ほどかけて自分の置かれている現状を理解した。
どうやら転生したらしい。しかも過去に。
今世の名は鬼舞辻穢。中々に物騒な名字だし、名前の漢字に至っては『けがれ』とも読む。少なくとも人名に使う漢字ではあるまい。今世の両親の感性を疑わざるを得ない。
今の時代は平安時代。丁度摂関政治の最盛期付近のようで、かの藤原道長の名も時折漏れ聞こえている。鬼舞辻家は血筋的には傍流のようで、主流である産屋敷家が藤原家と縁故を繋いでおり、その縁で鬼舞辻家も利益に与っているらしい。結果として産屋敷家に頭が上がらくなってしまっているのが目下の課題のようだ。正直穢の知った事ではない。
が、年を経る毎に問題が浮き彫りになった。とても病弱なのだ。それも床から半身を起こせれば調子が良いという有様。普段はずっと咳き込んでいるし、しばしば吐血する。肌も弱い為に日光に当たれず、健康だった記憶を持つ穢としては苛立ちが募る。健常な身体を知るからこそ、不満はより大きくなった。
それに、静かな部屋で耳を澄ませていれば聴こえてくるのだ。口さがない下女や下男達の嘲弄を含んだ声が。
『姫様は長くないんだって?』
『確かのようです、前に来た薬師が旦那様にそう告げていたのを聞いていたのだとか…』
『二十を数えるかどうか…』
『出産と引き換えに奥方がお亡くなりになられてから
『姫様は呪われておられるのかもな』
『旦那様は姫様を気にもかけないとか』
『それにしては頻繁に医師を呼んでいるが』
『病弱の一人娘に手を尽くさぬと囁かれては、外聞が悪かろう』
『呪われた一人娘というのも外聞が悪かろう、然程違いはあるまい』
『それもそうだ』
この家に味方など一人もいない。誰もが遠巻きに見るか、消極的に殺しにくるかの二択であった。周囲全てが敵だと判断しなければ、やってられなかったとも言う。親からすらも疎まれるのは心に刺さるものがあった。
乳母でもあった老女がある日から毎日持ってくる、薬湯と説明されたモノは口に含むと舌が痺れた。毒だと判断し、吐き出した血を溜める桶の中に新たな血とともに吐き捨てた。
周囲への敵意を段々と隠さなくなった穢に対し、周囲の嘲笑と殺意もまた露骨になっていった。
穢を頑なにしたのは、産屋敷家の人間が穢を見て吐き捨てた言葉が決定打だっただろう。
『使えんな』
いつの時代も、権力者が基盤を固めたり人脈を広げるのに用いる最も簡単かつ有効的な手段は政略結婚である。その延長線上として求められるのは、双方の血を継いだ子供だ。互いの血を混ぜる事で関係を強化し、他人から身内になる。特に血筋が重要視された時代、時の権力者達は神経質な程に血筋に拘った。それこそ藤原氏など血筋によって権力を固めた好例だろう。
血を継いだ子供を求めているのに、母体となる女が病弱では話にならない。妊娠・出産という難事に体が耐えきれないからだ。まして先が短いと医師から宣言されてすらいる。
故に、穢は
家という視点から見れば妥当な判断ではあるが、その言葉から穢と周囲の確執は深化した。最早誰も信じられぬとばかりに周囲を拒絶した穢と、使い物にならないと穢を排斥した周囲。その溝は最早埋められない程のものとなっていった。
盛られた毒を血と共に吐き出し、刻一刻と迫る死に怯えながら床に伏して他者を拒絶する毎日。そこに一人の医者が訪ねてきた。どうか治療をさせてくれ、と自ら頼み込む変人であった。その頃には穢の病は不治のものであると知れ渡っており、父が医師を呼ばなくなった事もあって治療しにくる人間などいない有様だった。が、報酬もないのに治療しようとする奇人の類は居たらしい。いくつもの薬を試し、時にはどこから仕入れてきたのかと聞きたくなる程に珍しい薬を持ち込んできた。しかしやはりと言うべきか一向に体調は改善しない。そこで医師は、やや躊躇いがちに一つの薬を取り出した。
聞けばこの奇特な医師が独自に調合した薬で、いまだ試作の段階かつ効き目があるかは分からないという。どうせ長くない身。死んだとしても誰も悲しまないからと、穢はその薬を口にした。
次の日から効果は現れた。
一日目。血を吐かず、身体を起こせるようになった。胸のあたりに淀んでいた不快感もさっぱりと消え去った。
二日目。寝たきりだった為に骨と皮ばかりだった身体が、心なしかふっくらとしてきた。爪や一部の歯が妙に伸びた。
三日目。見た目の肉付きはほぼ常人と変わりなくなり、己の足で立って歩けるようになった。食欲がしっかりと湧き出す。
劇的な変化である。そして四日目。効果の程を見に訪ねた医師は我が事のように喜び、腹を空かせている穢の為に食事も用意した。
検診のために横になりながら、穢は考える。
腹が空いた。何処からともなく良い匂いがする。部屋の中の食事ではない。外から漂っている訳でもない。ならば何処から────。
穢の突然の身じろぎで手元が狂った医師の手が、握っていた刃物で薄っすらと傷付いた。そこから僅かに流れ出した血の匂いが穢の鼻孔を擽り────
────ふと気が付けば、穢の目の前は真っ赤に染まっていた。鉄錆びた匂いが辺りに立ち込め、所々欠けた屍が血溜まりの上にぷかぷかと浮いている。常人ならば吐く光景を目の当たりにして、穢が覚えたのは嫌悪ではなく食欲だった。無造作に屍の腕を捥ぎ取り、齧り付く。花を手折るが如く人体を引き裂いた筋力は正しく人外のもので、血肉の甘美な味を堪能しながらも、穢はそれ程の力を発揮した己に純粋に驚いた。
衝撃でずれたのか、僅かに開いた隙間から夕日がかすかに部屋に差し込む。その光に言いようもない恐怖を覚え、穢は大きく後ろに下がった。分かるのである、
だが、日に当たれないという事実は穢の不快感を大いに刺激した。まさか苛立ちのままに日輪に殴りかかるような真似が出来るはずもなく、晴らされない不快感は常日頃の怨嗟と容易に結びついて周囲への殺意と化した。
乳母を殺した。どこか憐れむような目が不快で、その瞳ごと一息に頭蓋を踏み砕いた。
父を殺した。一瞬で手足を吹き飛ばされ達磨のような姿で転がった父は涙を一筋流し、すまない、と小さな声で謝った。今更命乞いかと嘲り、無様な姿を嗤いながら頚を引き千切って殺した。
この二人には食らう価値すらない。骸は捨て置き、騒ぎを聞きつけ集まり始めた者達をおしなべて腹に収める事を決めた穢は唇の端を吊り上げた。
かちゃかちゃと金属が擦り合う音がする。侍が戦意を示すように刀を抜き、しかしその意に相反する恐怖から体を震わせているのだ。その様を、誰のものかも分からない腕を齧りながらつまらなさそうな目で穢が眺めていた。穢の足元には、威勢良く穢に斬りかかっていった者達の成れの果てが転がっている。全て侍の同僚で、剣の腕を誇っていた者達だった。そんな彼らは穢の虫でも払うような腕の一振りで例外なく肉塊と化した。
「ひ、人の、人の所業ではない……この、悪鬼め……!」
搾り出したような声だった。その声を耳に入れた穢の目に興味が宿る。まるでたった今、ようやく侍という個人を認識したかのような反応に、侍の皮膚がぞわりと粟立つ。
「ふむ、悪鬼……鬼、鬼か」
ゆったりとした動きで一歩一歩静かに歩み寄る穢の姿に気圧されるように、侍が一歩ずつ後ろに下がっていく。侍が瞬きしたその瞬間、穢は音もなく詰め寄って侍の頭を鷲掴んだ。ひいい、と悲鳴をあげながら刀を振り回すが、斬ったそばから血が流れ出る間もない程の速度で穢の身体が癒えていく。切れ込みの入った服が、確かに斬ったのだという事実の残滓を僅かに残すばかり。
「────良い呼び名だ」
ぐしゃり。
生々しい音を残し、侍の頭は無数の肉塊となって消し飛んだ。
以降悲劇を振りまきながら千年の時を生き続ける始祖の鬼・鬼舞辻穢の誕生だった。