輪廻変生 作:猗窩座ァ!
「薊殿は随分と愉しんでいらっしゃる、良きかな良きかな。そのまましっかり囮役を果たしていただきたいものです」
鍛冶師や鬼殺隊士が死に絶えた事で喧騒から隔離された一角で、建物の中に居座りながら燐墓はくつくつと笑っていた。燐墓の血鬼術・此岸の畔で召喚される亡者達は、その尽くが燐墓の犠牲者である。そこに居たからという理由だけで何もかもを蹂躙されて息絶えた死者達は、そこに居たからという理由だけで目につく生者を無差別に襲う。それは召喚者の燐墓やその同胞である薊も例外ではない。亡者の成り立ちを考えれば、むしろ燐墓は積極的に襲われる側である。それを縛り、人間にのみ矛先を向けさせる為に燐墓は戦闘に参加する余裕すらない程に多大な集中力を必要とするものの、現世の存在でないが故か干渉する術がなく、術者の燐墓ですら血鬼術の解除しか根本的な対処法がない厄介な尖兵だ。
最後の安息たる死すら愚弄する。今際の際の怨嗟すら使い潰す。千年を鬼として生き、大抵の悪徳を網羅した穢すら、燐墓の悪辣さには敵わないと評する程の精神性────その悪性を存分に発揮した血鬼術といえる。
里中に張り巡らせた
「………なんと」
亡者も犠牲者も無視し、黒色の日輪刀を携えた鬼殺隊士が憤怒の形相で里の中を駆け抜けている。一直線に燐墓の潜む方向へと向かってくるその様は、明らかに燐墓の位置を特定していた。ダミーとして気配を備えた幻影を別方面へと複数潜めているにも関わらずそちらに引っかからず、別方面で盛大に暴れている薊にすら目もくれず本物の燐墓の方へと向かう様は異常と言う他あるまい。大抵の鬼殺隊士は気配で鬼の位置を察知するし見つけた鬼は決して逃がさぬとばかりに襲い掛かるが、どうも些か毛色が違うらしい。
燐墓は舌打ちした。燐墓は凶猛な気質の者が多い鬼の中では珍しく力に執着しない性格だが、数多いる鬼の中でも最精鋭たる上弦に列席している事にそれ相応のプライドを持っている。上弦の伍たる自身の隠形の術が柱に及ばない程度の能力しか持たない鬼殺隊士に見破られた事は、燐墓の自尊心に酷く傷を付けた。
「………仕方ありませんな」
念には念を。気に食わずとも見破られた事実を重く見た燐墓は、標的を結界で閉じ込めている現状と鍛冶師を粗方殺し尽くした戦果を加味した上で迎撃を決め、血鬼術を解いた。
どろり、と周囲を彷徨っていた亡者の体が溶け崩れる。それを見たカナエと時透は軽く安堵の息を吐き、結界を一瞥して燐墓の健在を確認した薊は不機嫌そうに眉を顰めた。
「全く、面倒な」
忌々しげに吐き捨てた薊は、槍を逆手に持ち替えて己に突き立てようとし────
霞の呼吸 肆ノ型
────それより先に動いた時透に弾かれる。舌打ちした薊に、時透は予測が正しい事を悟った。横薙ぎに振るわれる槍を飛び退って躱す。己の傷を移し替える血鬼術、加えて特に傷を負った様子のないカナエに対しては真面目に攻撃していた事から、一度でも直接的に傷を与えた相手に対して発動するものかとあたりをつける。無条件に発動するなら理不尽極まりないが、傷を押し付けられる相手に条件があるならやりようはある。
「………ねえ、もう一方の鬼の方に向かってくれる?」
だからこそ、カナエはここに居てはいけない。既に条件を満たしているであろう時透なら、薊からの攻撃に対してはある程度余裕がある。逆にカナエは、呼吸が使えないにも関わらず、上弦に数えられる鬼の攻撃を一切食らってはならないという極めて厳しい制約が課せられている。しかも、まかり間違って薊に攻撃を加えてしまえば、時透が傷つくというおまけ付きで。それは分かっているのか、カナエは特に反論もせずに頷いた。
「ええ………気をつけて」
心配そうに時透を一瞥し、カナエは踵を返した。その間も薊の微かな動きに反応し、時透は細かく体を動かす。
本当に厄介な血鬼術だな、と時透は思った。
現状で薊が取りうる行動は四つ。
一つ、時透を無視してカナエを追う。長時間呼吸を使えないカナエに上弦の鬼が追いつくのは容易いだろう。一撃を加えるのも同様だ。
二つ、時透に狙いを定め、攻撃を加える。時透はまさか攻撃するわけにもいかず、躱す事に集中する他ない。疲れを知らぬ鬼との耐久戦は、いずれ体力切れで薊に軍配が上がるだろう。
三つ、自傷を試みる。機動力を削ぐのも致命傷を与えるのも思いのままで、血鬼術の対象となっているであろう時透はそれを阻止するしかない。単に攻撃を躱すよりも神経を使うだろう。
四つ、何も知らない隊士の前に姿を晒す。もしその隊士が何も知らずに薊の頚を斬れば、間接的にその隊士は柱を殺めることになる。精神的なショックは計り知れまい。知ったら知ったで、攻撃できない相手など柱でもない限り薊には鴨同然。傷の押し付け先ができた事に感謝すらするかもしれない。
結論、悪辣極まりない。
再度薊が自傷を試みる。それを止めようと走り出した時透を迎撃するように唐突にくるりと向きを変えた槍の穂先が、咄嗟に身を捻った時透の体を抉った。僅かずつ、しかし確かに流れ出る時透の血を眺めて薊は嗤う。
その薊の背後に、桃色の影が現れた。
恋の呼吸 壱ノ型
霞の呼吸 陸ノ型
「えっ、」
薊の攻撃は兎も角としても甘露寺の攻撃まで防いだ時透に、甘露寺が疑問の声を上げる。しかし斬った筈の薊の腕が血すら滲んでいない事、そして時透の腕が先程と違って血塗れである事からすぐにその理由を察した。柱として厄介な異能を有する鬼としばしば相対する中で培われた、観察・分析能力の賜物である。
薊の槍が甘露寺に向けて突き出される。それをすんでのところで回避し、甘露寺は拳を握った。
轟音と共に、薊の槍が跳ね上げられる。思わぬ衝撃に薊は体勢を崩した。上空に向かって力一杯振り抜かれた甘露寺の拳が、薊の膂力すら無視して無理矢理槍の軌道を捻じ曲げている。
隙を晒した瞬間を見逃さず、甘露寺は薊を拘束する。純粋な体術による拘束は、上弦の鬼として生半な呼吸使いの剣士すら手を焼く身体能力や自傷を苦にしない再生能力、更には傷を攻撃に転用できる血鬼術を有するはずの薊を押さえ込んだ。まさに力技。傷つけず、傷つけさせず足止めする唯一に等しい手段だった。
現代において、ミオスタチン関連筋肉肥大と呼称される遺伝子疾患。それを抱える甘露寺の筋繊維は常人の八倍という常軌を逸した密度を誇る。天性の肉体が発揮する筋力、呼吸による肉体強化、鬼殺隊士として積み上げた鍛錬、女性特有のしなやかさ。それらが組み合わさり、災厄とも称される上弦の鬼の動きを封じ込める事を可能としていた。
ただし問題もある。疲労を知らず、肉体の損傷を恐れない薊がなりふり構わず抵抗できるのに対し、甘露寺は当然疲れもするし傷を負えば動きが鈍る。加えて、異常な筋肉量は剣士としての恩恵を与えるのと同時に、肉体の維持と駆動に常人とは比にならない莫大なエネルギーを要求する。そう長くは持たない。
今の内だ、と時透は考える。血鬼術には常識の通用しないものも数多あるが、決して理不尽ではない。薊の血鬼術は初見殺し極まる性能だが、一撃加えなければならないという条件では効果の凶悪さに釣り合わない緩さだ。必ず何か別の必須条件があるはず。相応に戦闘をこなすとはいえ、薊は戦闘能力の大半を血鬼術に依存した鬼。血鬼術の対処方法さえ分かれば脅威は半減する。
「今の、うちにっ……行ってぇ……!」
ぎちぎち、みしみしと肉体の軋む音がする。それは薊の全力の抵抗の証。歯を剥き出しにし、全身に血管を浮かび上がらせて拘束を解こうと悪鬼が蠢く。頑強な抵抗に抗いつつも零された声は、時透の離脱を促した。
ごう、と熱波が広がる。そちらに目を向ければ、緑の蛍光色の炎が里の一角を覆っている。尋常ならざる炎は、闇に紛れて宙に浮く二体目の悪鬼を不吉な光で照らし出していた。
時透は新たな鬼を見て、振り返って甘露寺を見、そして頷いた。次の瞬間には駆け出し、漸く姿を見せた二体目の鬼へと向かっていく。怨嗟と憤怒が入り混じった薊の咆哮が背に叩きつけられる。強壮な上弦の鬼の威圧に本能的に足が竦みかけるも、時透は無理矢理足を動かしてその場を離れた。
「絶対に……逃がさないわよ……!」
「舐めるな人間……!」
残された甘露寺と薊は、互いに死力を振り絞る。圧倒的に不利な状況にあって、甘露寺の内心は穏やかだ。時間さえ稼げれば、例え自分が斃れても仲間が薊を討ち果たしてくれるという確信があったが故に。共闘という概念が根本から欠けている鬼にはない強みだ。不意に戦友達の顔が脳裏に思い浮かび、甘露寺はくすりと柔らかな笑みを零した。