がっこうぐらし!ver2.0_RTA 『一人ぼっちの留年』ルート≪参考記録≫ 作:ゆキチ
こちらも抜かねば、無作法というもの……。
……ちょこっと突貫工事なので。
ひっそりと直したりするかもです。
ーーーーーーーーーーーーーー
――
一瞬。
なにもかもスローモーションになったような錯覚を受けた。
血の臭いと一緒に押し寄せてくる、在りし日の隣人たちの波。
怯えて、恐慌に包まれる私たち。
――離れる手。
私たちの為に立ち向かおうとする小さな背中。
波に溺れるように――『かれら』に飲まれる愛しいあの子。
ひりつく喉も強張る顔も、喉奥から込み上げる吐き気さえも。
それすら吹き飛ぶ絶望が、私を包み込んだ。
私のせいで。
先生が、私が……もっとちゃんとしていれば。
あの子は――
手に握っていた私の意思が、ひどく空虚なものになった気がした。
『――やーくん!!』
ゆきちゃんの叫びで、私は我に返ったのを覚えている。
体の感覚が戻って……でも、目を背けたくなる絶望は私の前にあった。
『なぎくん……!あっ、いっ、いやぁぁ!!!』
ゆうりさんは、顔を真っ青にして腰を抜かしていたと思う。
からん、と床に落ちたのはあの子が作ったお手製の武器。ゆうりさんが勇気を振り絞って立ち向かおうと、握っていたものだった。
――あの子が『かれら』に飲み込まれていく。
私たちの為に立ち向かったあの子を嘲笑うように『かれら』は蹂躙した。足を掴み、手を掴み――体勢を崩して、そのまま押し倒す。
地面に叩きつけられたあの子の呻きは、おぞましい『かれら』の声にかき消されて。
『――っ!!やなぎぃ!!』
『待て!胡桃!!』
『ぐっ……離せよたかえ!!やなぎがどうなってもいいってのか!?』
『ち、ちがう!ちがっ……だって、あれじゃ、あ……お前まで……!』
『あ、ぐっそ……!あっああああああ!!!』
そこで。
這いずっていた『かれら』の一人が、あの子に覆い被さるように向かっているのが見えた気がする。
足先からゆっくりと。血に汚れた唾液で、あの子を汚しながら。
『やめて』
どこからか声が聞こえた。
おぞましいくらい感情が無い、そんな声。
横目で、呆然とこっちを見つめる皆の視線を感じた。
『やめて』
すぐに気がついた。
私の声だ。
『やめて……』
あの子を取り囲もうとするソレらの中から、私たちに近づいてきた一匹に、握っていたバールを打ち付けた。
ぐしゃりと潰れて動けなくなっても――まだソレらはたくさんいる。
早くしなきゃ――あの子が殺される。
『やめて……やめてぇ!!』
私は狂ったようにソレらを潰しながら、あの子に向かっていった。
いや、きっとあの時の私は狂ってたんだ。今もそうなんだろう。
『くっ、めぐねぇ!』
私が潰し損ねたソレが私の足首を噛む前に――くるみさんが、潰してくれた。それに感謝を言う余裕は、あの時の私には無かった。
『その子だけは……!お願い!やめて!!』
あの子を見るあまり、視界の端から襲いかかってくるソレに気づかず、首元に噛みつかれる――前に、たかえさんが拾った枝切りバサミの槍を、ソレの口に突き刺して、押し退けてくれた。
きっとあの時、私が噛まれてでもあの子を救おうとしていたんだ、と今でも思う。だからこうして生きているのはきっと二人のおかげだ。……この話を、蒸し返したいとも思わないけれど。
私は、言葉にならない声を叫びながら――あの子に手を伸ばす。
やめて。やめて。やめて。
そう叫んでもソレらに届くはずもないのに。
あのまま行ってたら、私たちは死んでいた。
『――どうして』
確か。その時聞こえた声は――ゆきちゃんだった。
もう一人の私の大切な子。ポツリと呟いただけの言葉は、今でも私の耳の奥に残っている。
あの時のゆきちゃんの目はソレらを見ているようで、見てはいなかったように思えた。それを通して、もっとちがうのを見ていた。
『どうして?――
ゆきちゃんの叫びは、私たちにも、ましてやあの子にも向いていなかった。
あの子を食らおうと、私たちを食らおうとした――ソレらに向かって。
ゆきちゃんは怒っていた。
『あんだけにいっしょにいて!あんだけで楽しそうに笑って!私の大切なやーくんとの時間を奪ってたくせに!』
ゆきちゃんは泣いていた。
『それは――やーくんなんだよ!?みんなの友達でしょ!?』
人を食べるおぞましい化け物に向けての言葉とは思わない、そんなゆきちゃんらしい、優しい言葉だった。
悲しい現実を見てないと言えばそれまでだ。私たちはなまじ、現実を見ていたせいかそんな言葉なんて考えもしなかった。
『お願いだからわかってよ……!!』
皆と仲が良いあの子を、ずっと横で見ていたゆきちゃんだからこそ。
私たちのように殺すことの無かった――夢見がちな、そんな言葉。
『……ァ』
だからこそ。
きっと、そんな奇跡は起こったんだ。
『ヤァ、ィ……』
あの子を噛み付こうとしていたソレは、固まって。
緩慢な動作で首を揺らしていた。ゆきちゃんを見て、それから覆い被さっているあの子を見て。
濁った瞳が、見開かれていたような気がした。
それからあの子を噛む訳でもなく――
『は……?』
それはきっと皆の声だったと思う。
『ソレら』はただの化け物。在りし隣人なだけで、私たちを食らうおぞましい存在のはずだった。
思い出は血に汚されて、そうであったかすらも定かではないほどに。
それがあの時、ふらりふらりとあの子から離れようと蠢いているように見えた。
まるで、自分のやろうとした事に怯えるように。
私たちに襲いかかろうとしていたソレらも動きを止めて――緩慢な動作で、倒れたあの子を見つめていた。
ソレらの呻き声は、束の間。言葉にならない声に変わっていたように思った。
『――っ!
たかえさんが叫んだ。
それになにか言う前に、たかえさんは壁に設置されていた消火栓を叩いた。
併設された警報器のスイッチが押され、けたたましい警報が鳴り響く。
『めぐねぇ!胡桃!――柳を!』
たかえさんのやろうとしている事は、流石の私もすぐにわかった。
一歩下がる。横から、引っ張り出した放水ホースを構えるたかえさんが出てきて。
勢い良く吹き出た水流が、ソレらの群れを押し退けた。
踏ん張る事も忘れたソレらは転がるように後ろに下がる。
あの子の周りに誰も居なくなるほどに。
『やなぎくんっ……!!』
すぐに私はあの子を抱き抱えた。
血と水に濡れた彼の体は本当に小さくて……こんな子に、勇気を出させるほど情けない私が許せなかった。
『ゆきっ!りーさんを助けてやって!』
『うっ、うん……!』
『胡桃!放送室に行くぞ!』
『なんで……?』
『いいから!』
雪崩れ込むように放送室に駆け込む瞬間。
ふと、私は後ろを向いた。
――ソレらは血と涎を溢しながら向かってきていた。
……やっぱり。
今思っても、あれは私の幻だったんじゃないかと思ってしまう。弱い私が見せた――“都合の良い現実”。
それでなんとかなったとしても、どうしても信じる訳にはいかなかった。
放送室に入っても状況は悪かった。
ソレらが扉を破ろうとしているのを、くるみさんが抑えて。
ゆきちゃんとゆうりさんは、あの子にすがり付いて泣いていた。
手持ち無沙汰な私を尻目に、たかえさんがテキパキと放送室の設備を操作していた。
『っっ!たかえ、何すんだよ!?』
『アレを見たろ!?アイツらにもまだ残ってるんだきっと!』
『ああ!?』
『意識とか……記憶とか!じゃなきゃ、ゆきの言葉で止まったりしない!あの夜だって、柳の言葉に耳を貸してた!』
『おっ、おい?本気か……?』
『じゃあ、今すぐ扉開けて応戦するのか!?ーーこれしかもうできる事はない……!』
たかえさんは、マイクを私に向けてきた。
目まぐるしく変わる状況に戸惑う私に、たかえさんは説明してくれた。
『アイツらはまだ聞いてくれるはず。今日がこんなに多いのも、きっと雨が降ったせい。外にいた連中が校舎に戻ったんだ――
そんなこと、と否定するのは簡単だったが。
『体が覚えているんだよ、学生の時の事を』
『じゃあ、まさか……!放送でアイツらを追い出すのか!』
『ああ!集会とかなんとか言えばきっと!……
でも、もうそれ以外選択肢はない。
私はすがり付くようにマイクに向けて、告げる。
『ぜっ、全校生徒……並びに教職員に連絡、します。これから全校集会を行いますので、しっ、至急体育館に向かって、下さい……』
先生の時に何度か言った事のある台詞。
その時は違う緊張を振り払って、何度も何度も。その言葉を繰り返した。
一分、十分、三十分。一時間も経ったかもしれない。
しばらくして。
ふと、もう扉を叩く音が聞こえなくなった。
『ま、マジ……』
くるみさんがゆっくりと扉から離れても、ソレらが破ってくるような事はない。
慎重に扉を開けて――
『いっ、居ない。あんなにいたのに……』
その言葉を聞いて、私も廊下を覗く。
隙間もないようなソレらの群れは、本当に居なくなっていた。
廊下が血とガラスに汚れている。それだけが、確かにソレらが居たという事を教えてくれている。
『やっ、やったなたかえ!おまっ――』
『ふ、わっ……!』
くるみさんがたかえさんを近づくと、すとんとたかえさんが座り込んだ。
笑いながらぽたぽたと涙がこぼして……。
『は、はは……!やったやった、私……私はやった……!』
『ああ!大手柄だよたかえ!お前……ほんとに最高!』
くるみさんは感極まってたかえさんに抱きついて。
それを見た後、私は急いであの子に近づいた。安全になったならすぐに手当てしなくちゃ、と。
現に倒れた時に何かで切ったのか、頭から血がたくさん流れていた。
私はすがりついている二人に声をかけた。
『ゆきちゃん。急いでやなぎくんを手当てしましょ。私が運びます』
『うん……』
『さっ、ゆうりさんも』
『…………て、ゃ……』
『――ゆうりさん?』
そこで、私はゆうりさんの様子がおかしい事に気がついた。
横たわるあの子の頭の傷を手で抑えて――血まみれになりながら、錯乱していた。
『……やっ、なんで……なんでまた、私の目の前で……やだ、るーちゃっ――なぎくん……!』
小さく呟く言葉を聞いている暇は私には無かった。
出てる血が多くて、ゆうりさんを気遣う余裕なんてなかった。
ゆうりさんを押し退けるように、あの子を抱き抱える。
向かう先は職員室だ。あそこなら、横たわせるのに丁度良いソファがあるし、救急箱もあった。
『めぐねぇ!はやくいこっ!やーくんが……!』
『ええ』
『あたしも行く。まだアイツらが隠れてるかもしれないからな』
『じゃあ、私と悠里はここにいるよ。動きたくないし……悠里を落ち着かせとく』
私は、たかえさんの言葉に甘えて、三人で職員室に向かった。
そこであの子を手当てして、一緒に助かった事を喜び合うのだ。
――
『……やーくん、やーくん……!』
『ほんとに居ないな。……じゃあアイツらは……』
あの時。ああ、あの時。
不安げなゆきちゃんの言葉に急かされた気持ちを感じなければ。
くるみさんの後悔するような呟きが耳に入らなければ。
――あの子はとっても頑張ったんだから。
すぐに癒して慰めて、いっぱい褒めてあげたい。抱き締めてあげたい。
なんて。
そんな自分本位な気持ちを優先しなければ。
『ァ……オァ』
いつも集会の時。生徒に渡すプリントを運ぶ――学年主任がいる事に気づけたはずなのに。
大口を開いて飛び付いてくるソレに、反射的に守ろうと身を捩る。
――痛みは訪れなかった。ふわりと香ったのは、甘い香り。
訪れたのは、悲鳴。怒号。嘆き。
潰れたソレに濃い血の臭い。
走り去っていく背中を辿る血の跡――固く閉められた扉。
私は何も出来なかった。
扉を開けろ、大丈夫だからと叫ぶ声も、扉の先から聞こえる圧し殺す泣き声も。
呆然と眺めてしまった。
腕の中にある暖かな感触。皆の、絶望に染まっていく瞳。
ふと――割れたガラスの破片に気がついて。
へらり、と歪む私の顔を写していた。
ああ
ああ
ああ
ほんの少し前に誓った約束さえ、守れない私は――いったいなんなのだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
人間。
切羽詰まれば、何も考えなくても動けるものだ。
私は、逃げ隠れたトイレの中で――無意識に便器に顔を突っ込んだ辺りから、それがずっと頭にある。
生きる為。やらなきゃいけないのは勝手にやっているんだ。
だから、ふと気づいた時――二階への道を塞ぐバリケードがなんかそれっぽく出来ていた事に驚いた。
「…………」
拙いも拙い。
工作が得意でもない小娘がやった程度、アイツらに群がられたらすぐに崩れるような……そんなもの。
それでも――ひどく安心した。私たちの場所を取り戻せた。そんな気分が、ずいぶん心を軽くする。
「……皆。大丈夫、かな」
――
どうなったか思い出したくもないほどに鮮明に覚えている。バリケード作りに没頭したのはそれを少しでも忘れたかったのかもしれない。
誰も責められない、出来事だった。
めぐねぇも胡桃も悠里も。私は……どうなんだろうか。
あの時。
集会を口実に追い出せるのは生徒が殆どで、先生は居ないのもいたのに――とか。
誘導できても、それでも化け物には変わりないのに。何故追い出した程度で安心したのか――とか。
追い出して。三階を全部見て回って、こうしてバリケードを作って。
それから初めて、生還を喜ぶべきだっただろう――とか。
そうすれば――今も私たちは笑えてたはずなのに……とか。
「……っっ!!」
頭に浮かんだ“都合の良い現実”を振り払うように、壁に拳を叩きつける。じん……と手首に響く痛みが、私に現実を教えてくれた。
逃避、している場合じゃない。
起こった事は……しょう、が……ない。のだ。
今を見据えるしか、私たちにできる事はないんだ。
「……もう夕方か」
外を見れば、朝方の雨が嘘のように――綺麗な夕日が空に浮かんでいた。
それを浴びるようにアイツらが蠢くように学校を出ていくのが見えた。
私の推測が正しいなら家に帰るのだろう。それでまた明日、何食わぬ顔で校舎を占拠するんだ。
――
「……っ。この……!」
胸の奥から湧き出すような苛立ちがむず痒い。
ああ、アイツら全員殺――
『ぐっ、ずっ…………』
そこでふと、泣き声が聞こえた。
一瞬、肝が冷えたが――
女子トイレから聞こえた声。
勝ち気な印象のはずのソレは、ひどく弱々しかった。
「…………」
私は女子トイレに入って――閉じられた扉の前に立つ。
扉の隙間からは、血で赤くなったシャベルの先が見え隠れしていた。
『…………』
「…………」
『……用を足すなら、男子の方使ってくれ……』
「ちゃうわい」
くるみがいるから躊躇しているんじゃない。
――どう、話しかけた方がいいか躊躇していただけだ。
「……バリケード、また作ったぞ」
『……そっか。わりぃ、手伝えば良かった』
「いいよ。良い気分転換にはなった」
『…………他のみんなは?』
「これから。私もさっき我に返ったって感じ」
『…………そっか』
沈黙が少し。
話したい内容は沢山あるのに――どれも話したくない。
『あたしさ。ずっとぼんやり考えててさ』
「ああ」
『どうして、あの時あたしが前に居なかったんだって。そうだったらあのハゲくらい、すぐにヤれたってのに』
「……学年主任、禿げてたっけ」
『…………そういえば。フサフサだったよな』
「カツラか」
『カツラだな』
特に知りたくもなかった。
『なんかさ。すごい辛い。先輩を殺しちゃった時よりも』
「…………」
『アレはさ。今思えば、それしか手段は無かった。怪我した先輩をほっとく訳無かったし、ああなった先輩を野放しにしてたらあたしが死んでた』
「…………」
初めて知った事だった。
胡桃の好きだったOB、死んでたのか。それも胡桃が殺して。
ああ――だからああも、殺すのに躊躇無かったのか。最初に大切な人を殺したから。
『でも、さ……あの時、もっとやれる事……たくさんあっ、たなって……!バリケードももっと頑丈にできた。もっと上手く、もっと多く、もっともっともっと――
「…………」
『後悔だな。ははは、陸上やってる時から後悔しないように全力でって。ずっとバカみたいに言ってた気がすんのにな』
胡桃も、私と同じ気持ちだった。
いや、推し量るなら胡桃の方が辛いと思う。
だって、目の前にいて。後一歩、行ってれば――間に合った。
なまじ、現場を見たから想像が止まらない。
『あーあ。トイレから出たら全部嘘でしたー。……なんて都合の良い事なんて無いよな』
「ああ。無かったな、私の時も」
このまま胡桃をほっとく訳には行かなかった。
それは理屈ではなく、経験談。
トイレにずっといると――気が参る。
「ともかく。出てきなよ。そこにいるよりかは、布団で転がってた方がいい」
『…………』
「それとも。お前も便器の水飲みたいのか?」
『…………飲んだのか?』
「んんっ!誰にも言うなよ。特に柳には」
少しして……ぎぃ、と扉が開く。
俯いた胡桃が立っていた。血と埃まみれ、見てられない格好だった。……私もか。
「出る。ついでにシャワーも浴びて寝るわ」
「おう」
「……りーさんには今日の飯はもう要らんって言っといてくれ」
「ん?悠里は部室か」
「うん……ふふ、部室か。今じゃあ少し笑っちゃうな」
「――おい」
ふと、胸から湧き上がった感情を抑えきれなかった。
言っちゃ駄目だ。それだけは。それだけは、私たちは。
「……すまん。やっぱ、疲れてるなあたし」
胡桃は視線も合わせずに、トイレを出る。
廊下を歩いていくその様は――アイツらみたいに、死んでいた。
「なぁ」
ふと、声を掛けられる。
背中越しからのその声は聞きそびれるほどに小さくて――
「
私は一回口を開きかけて――閉じて。
「――
「だよな。……っ、だよな……」
胡桃はそのままシャワー室に消えていった。
震える体も、出る頃には少しはマシになってるだろう。
ふと、耳の奥からくぐもった泣き声が甦ってきた気がした。
「……悠里か」
部室に足を進めながら、少し不安になる。
放送室の時はちょっと混乱してたし、落ち着かせる前に――あんな事になったし。
それから今まで、悠里と話した記憶はない。
ずっとあのまま。なんて事はないだろうけど。
「ご飯の話はしてたし。少しは…………むっ」
そこで、ふんわりと。
カレーのいいにおいが私の鼻を撫でた。
……特段、お腹が空いてるとは言えないけど。習慣的に涎が出てくる。
「あら、たかえちゃん」
部室に入ると――エプロン姿の悠里がキッチンにいた。
ポコポコ言う鍋をかき回しながら、目元はちょっと赤いが――元気そうに見えた。
そんな悠里は、私の顔を見て心配そうに顔を歪める。
「……お茶でも淹れる?」
「いや、そこまではいいよ」
「じゃあ、缶コーヒーでもいいから。なにか飲んだ方がいいわ」
そう言って、昨日校舎内から掻っ払ってきた段ボールの中から、コーヒーを出してくれた。
……有りがたく頂く。
「……大丈夫か?」
「大丈夫かそうじゃないかって言われれば。大丈夫じゃないわ。でも……泣いてても変わらないの。変わって、くれないの」
「……だよな」
「くるみとは話した?」
「ああ、シャワー浴びて寝るってさ。ああ、飯は要らないって」
「そう」
ぐるぐるとカレーを焦がさないようにかき回す悠里は――自嘲気味に笑った。
「それにしても。経験が活きたわ」
「……経験?」
「――家族が死んだ時」
「…………」
「辛くても苦しくても泣いても何しても――どうしようもならない。それがなきゃ、私は今も放送室にいたわ」
急にぶっこまれた重い話に私は咄嗟に反応出来なかった。
それなら……私もそうだ。考えたくないが――この状況じゃあ、私たちが奇跡だってのはわかる。
私がなにも言わなかったからか、悠里は慌てて、誤魔化すように。
「あっ、ごっ、ごめんなさい!そ、それに私には下の子がいるから……一人って訳でもないし……そのぅ……」
「ああ、悪い。黙って。……下の子って、弟?」
「…………。…………。ええ、そう。
「……そうか」
悠里とも、こうなる前は特に知り合いでもなかった。
だから小さいとこでも知れるというのは少し嬉しい。――たとえ、生存が絶望的であったとしても。
悠里はそこで「そういえば」と呟くと、食べ物を適当に詰め込んだだけの段ボールの中から、缶詰を取り出した。
なんてことはない。スイートコーンの缶。子供が好きそうな奴。
「たかえちゃんって、カレーにコーンを入れても大丈夫な人?」
「んん?食べた事は無いけど……合いそうだしいいよ」
「良かった。家じゃあ入れてたから。なぎくんも大好きでね――よく一緒に食べてたの」
「へぇー」
……柳の好物ってコーンカレーだったのか?
初めて知った。アイツ、購買のパンでもゆきの消し炭弁当でも私のおかずでも何でもうまそうに食ってたけど、そうなのか。
……うん?ていうか、一緒に食ってたの?家のカレーを?
いや、ゆきの奴が、泥棒猫を許す訳が――ああいや、私も学校の外は詳しくないし……そうだったのかも。柳、誰とも仲良かったし。
「だったら、早く起きるといいな。柳」
「……そうね。とても心配だわ」
柳は――アイツらに噛まれては居なかった。
血を拭っても、怪我らしい怪我は、頭をちょっと大きく切った傷とタンコブだけ。そこだけが不幸中の幸いだった。
あとは――アイツが目覚めてくれるだけ。残ってるのは。
「……ちょっと見てくる」
「ええ。ああ、そうだ。めぐねぇにもコーヒー持ってってあげて。きっと気を張り詰めてると思うから」
「そうだな。……ブラック?」
「めぐねぇ的にはカフェオレじゃない?甘いやつ」
「……間を取って微糖にしとくか」
「それは間って言うのかしら……」
そうして、缶コーヒーを手に――職員室に向かう。
保健室が一階にしかないのが悔やまれる。あったら万全に治療出来たかもしれないのに。
廊下を歩く。
綺麗だった。そう思い出すしかない、血に濡れた廊下を。
「…………」
トイレじゃないが――気が参る。
綺麗な時を知っていたせいで、余計に。
「ん?」
そこである教室に目が留まった。
色々グチャグチャな中で整然と並んだ綺麗な机と椅子。そしてそこに並べられた数枚の紙。
黒板には……抜き打ち、テストの……文字……。
「………っ…くそっ……」
――気が参る。
職員室の扉は空いていた。
覗くと、柔らかなソファで寝ている柳と――その横で座り込んでるめぐねぇの姿が見えた。背中を向けてて表情は見えなかったけど。
離れてても沈んでるのはよくわかった。
「無理も、ないか……」
小さく呟く。
だってめぐねぇは――張本人だ。両方の、出来事の。
胡桃も悠里も、そして私も。柳も……ゆきだって――めぐねぇを責めないだろう。
そう思えるほどには私たちはきっと仲が通じていたと思う。
私はめぐねぇに近づく。
そうして声を掛けようとして――
「どうしてこうなっちゃうんだろう」
――無機質な声に足を止めた。
「私ってどうしてこうなんだろうなぁ。成績はそれなりにいいのに、本番になるとてんで駄目。恋も駄目だったし、部活だって……就職はすぐに決まったけど。でも、顧問すら任せて貰えなかったし」
何故か、喉がひりついた。
ただの呟き。ただなんてことないような言葉なのに――妙に心がざわついた。
「それでこれでしょ?二人だけは守るって言っておきながらこの様。やなぎくんは私のせい。ゆきちゃんも私のせい。私がもっとちゃんとした先生だったら。ちゃんとした大人だったら。……あー、あー、あー。ほんと――私って使えない」
そうだ。私たちは絶対に責めない。
でも――めぐねぇだけはきっと、自分を責めるだろう。
私の知ってるめぐねぇは大人しくてどこか抜けてるふわふわとした大人な女だった。
こんな――淡々と己をなじるような人だったか。
「アレが元は人だからってなんていうだろう。罪を償うってバカみたい――
「……っ……っ」
「やなぎくん。先生……いや、私はもう絶対に間違えない。何があっても守る。……守らせて。私、なんでもする。だって――」
――これ以上、聞いてはいけない。
きっと、誰も聞いちゃいけない事。めぐねぇだけの、めぐねぇしかわかっちゃいけないものなんだ。
私は後ずさって部屋から出ようとする。
今ならまだ――
「――ああ、そうだ。もうあんなの要らないじゃない……」
――不意に立ち上がっためぐねぇから隠れるように、手頃の机の陰に蹲る。
めぐねぇの表情は髪に隠れて見る事は出来なかったがーー口許は。酷薄に歪んでいた。
「ついでに、顔を洗ってこよう。こんな顔、この子に見せられない」
そうしてふらふらと。
めぐねぇは廊下に出ていった。少しして――くしゃり、と紙を丸める音が、やけに良く聞こえた。
「…………」
私はなにも言えなかった。
きっと踏み込んでいたら――何かが壊れるのはわかっていた。もう、なにかが壊れるのは嫌だ。
私は――
柳を見る。
……顔は青かった。散らばる応急処置の本、血がついたタオル――ガタガタに歪んだ包帯。
どこを取っても痛々しい。
跪いて、手を握る――ひんやりするほど冷たくて。私の体温を奪うようだった。
「あれ?」
――柳って手の平は熱い奴じゃなかったっけ?
「えっ、あれ……えっと、あ、っと……」
いや、どうだったろう。
たまにゆきのほっぺをつまみ合う時にちょっと触れあった時は、いやあの温度はゆきのほっぺのせいか?違う、ちゃんと触った……はず。暖かった……はず。
あれ?どうだったっけ?えっ、大丈夫なのか――ほんとに、このままでいいのか?
暖めるように掌を両の手で包む。
それでも――柳の顔は青くて。あれ?そういえば、呼吸が浅いような気がする。いや、違う。眠ってる時は呼吸が深いはずで……あれ?ならこれでいいのか?悪いのか?
――
「とっ、とりあえず……悠里に頼んでタオルを温めてもらいに……」
このままでは埒が空かない。
そう思った私は、手頃なタオルを引っ付かんで廊下に出て、扉を閉める。
キッチンにいる悠里に頼んで電子レンジとかで温めて貰えば――それで。
……もし目を離した時に柳の容態が変わったらどうしよう。いや、そんな事言ったら何も……いやでも、そうして誰も居なくて――死んだら。
柳が死んだらどうする。ゆきも柳も居なくなったら。私たちは、私は――どう生きればいいんだ?
柳に助けて貰った。なら、そのお礼に柳を……皆を助けるべきで。
でも、ゆきはいなくなって。柳も死んで……いや、柳は死んでない!死んでない……いや、このまま起きなかったら?頭を打ったんだ。もしかしたら当たりどころが悪くて。
柳が死んだら。柳が死んじゃったら。
私は、生きる必要があるの?
――ガラガラッ。と。
ふと、開くはずの無い扉が空いた。
「あっ……」
視線を向けると――痛々しい姿をした柳が、私を見下ろしていた。
……見下ろす?そこで私はやっと――自分が座り込んでるのに気がついた。
「むっ、たかえちゃん発見。……他の皆は?」
そう尋ねてくる柳に――私は泣き出すのは抑えられなかった。
不安になった。どうしようもないくらいに。
ただ悪い方向に転がっていくだけの現状に、挫けそうになった。
でも、もう――今は大丈夫だ
柳がいる。柳が生きてくれている。それだけで、今は。
見落としたんだ。柳が焦ったように皆を探し回るのを。段々、段々と。柳が狂っていくのを。
自分が安心してもう大丈夫だなんて。
――ほんの少し前に後悔した事すらも忘れて。
なんとかなったはずなんだ。
泣く前に――泣かせる前に。柳に伝えるべき、大切な事が。
「大丈夫だよゆきちゃん!そりゃあ、辛い事いっぱいだったけど、生きてれば良いことあるよ!」
「僕は、ゆきちゃんと一緒にいたい。ゆきちゃんに行ってほしくない、死なないで――」
こうして。
私たちの地獄は、また一つ過ぎ去った。
新しい希望は血で汚されて。ガラスのように砕け散って。
「えっ?なに冗談だったの」
「……ごめんなさい」
「もーっ、ゆきちゃん。流石に今、その冗談はちょっとキツいよ。まあ、いいけどさぁ」
つまらなくとも暖かい日々を失い、それでも懸命に生きようとした私たちを嘲笑うように、絶望は押し寄せて。
「それよりゆきちゃん。辛かったよね……ごめんね。僕がもっと……もっと」
「ごめんなさい……!やなぎくん、ごめんなさい……!」
「――むっ。……やっぱりゆきちゃんは優しいね。あったかい」
ついには。
「だから、お願い……――」
「まあ、全部終わり良ければすべてよしだよね。僕も大丈夫だし、ゆきちゃんも大丈夫。皆大丈夫ーー万々歳!」
「――お願いだから私を見て!」
私たちがなにをしたって言うんだろう。
大それた事なんて一つも望んではいなかった。
私たちはただ……静かに、普通に……生きていたかっただけなのに。
どうして、こうなってしまったんだろう。
ーーーーーーーーーーー
※解説byWIKI
『ゆきちゃん化』
某年、『がっこうぐらし!』という作品を世界に轟かせ、当時のごちうさ難民を容赦無く爆撃した衝撃の現象。
本編でのゆきちゃんの壮絶な様から、そう呼ばれているが――ゲーム内では『解離性~~』や『夢遊病』『幻視・幻覚』がこれにあたる。
好感度の高いキャラが重傷・死亡、もしくは失踪し、その際に発生する“覚醒”イベントに失敗すると――そのキャラの“都合の良い現実”が見える(思い込む)ようになる。
これは正気度が低い状態、または互いの好感度が高いほど、確率が増加する。
主要キャラ……特に、ゆきとりーさんが起こりやすいが――主人公にも当然起こりうる。
『ゆきちゃん化』は、周囲の正気度減少抑制や好感度上昇補正などのメリットはあるが、“都合の良い現実しか理解しない”という特大のデメリットがそれの邪魔をする。
さらには、“都合の良い現実”の内容によっては――プレイヤー自身が『ゆきちゃん化』している事に気づかないというリアルゆきちゃん体験が発生する。
「全員生存エンドできたぜ!」→「は?実績解除されないやん!どうすんのこれ。運営に連絡させてもらうね」→『僕がさっき……食べちゃいました(死亡実績解除)』→「食べた!?よりにもよってこの中の中で!?(混乱)」→「はぁー……あ ほ く さ(虚無)」となる。
特に細部を確認しないRTA走者には地雷。
全員生存を基本としたチャートが組まれている事が多い為、余計に気づかない場合がある。
対策
動く奴も動かない奴も全員殺せ。
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コメント欄(114514)
・最近、がっこうが――
・またゆきちゃんが出たぞ!
・隔離しろ!
・MGNE IS DEAD
・MGNE ALIVE YOUR HEART
・全員生存できたと思ったら、欠けてる時の絶望感。誰か教えてよ……
・教えられる精神があるなら、話合わせるわけないだろいい加減にしろ!
・みーくん「笑顔には勝てなかったよ……」
・めぐねぇ「笑顔には勝てなかったよ……」
・お前は勝て
・ひどい
・美女に辛辣なホモの鑑
・ていうか、好感度上げなきゃいいんでない?
・そうすると、勝手に離反して勝手にかれらになってるか、ショッピングモールのバリケードをペットの為に退かし始めるババァ並みの害悪になる。
・殺されなければいいんだけど、たまに事故るとねぇ。大体は起きないけど、幼馴染みになってたら大抵起こる印象。
・一人生存はつまらないしなぁ
・結局殺される前に殺せばいいだけなんだけどね。
・ゆきちゃん化に気づかないまま走ったRTA走者がいるらしい。
・草
・かわいそう
・リガバーの人
・RTAのハードルを地下にめり込むほど下げた人