よく晴れている。春の気配が覗き始めた空は、淡く霞んでいる。雲も、輪郭をぼんやりとさせて、風のままに漂っている。
枯れた芝生から、ようやく青く瑞々しい草いきれが立ち上り始めている。
河川敷の芝生に体を横たえて、霞む水面を見下ろす。何も考えてはいない。鋭さはない、穏やかな陽光がただひたすらに優しい。
巧は、こうして昼寝をするのが好きだった。
こうしていれば、世界は平和で事もなく、陽光降り注ぐ世界は、まるで染み一つない真っ白な洗濯物のように清々しく美しいのではないかと思えた。
決してそうではない。美しいものはあまりに脆く遠い。手を伸ばせばどんどんと離れていく。それは知っていた。
だけれども、思いたかったのだ。世界は優しく美しい、そんな世界にする事は、絵空事のようであっても、決して不可能ではない、のだと。
「乾さん?」
後ろから声をかけられ、首を動かして背後を見上げた。最近よく見る顔が、紙袋を手に持って巧を見下ろしていた。
氷川誠。警視庁の刑事というから、巧には縁遠い存在だったが、津上翔一があれやこれやと彼に料理を持たせては、西洋洗濯舗菊池に運ばせてくる。
翔一も確かに忙しいかもしれないが、刑事ならもっと忙しいだろうと思われた。だが氷川は特に嫌がる風もなく、翔一の料理やら言伝を運んできた。
「あんたか。何か用か?」
「津上さんにケーキを持たされたんですけど、行く前に連絡したら、乾さんがこの辺りで昼寝しているだろうから、連れ帰ってきて欲しいと菊池さんに頼まれたんです。そろそろ店番を交代する時間だそうですよ」
「ったりぃな、もうそんな時間か。って今度はケーキかよ」
「津上さんのケーキは本格派ですよ。僕は甘いものはあまり食べませんけど、なかなかいけます」
立ち上がらない巧の横に腰掛けて、氷川はぼんやりと目線を川面に向けた。
変な奴だ、と巧は感想を浮かべた。
大まかな話は翔一や相川始から聞いたが、聞くだに強情で意地を張る男のようだった。
面倒臭いのは嫌いだ、この男は明らかに面倒臭そうだ。だが憎めない気もするのが、変な奴と思う要因かもしれない。
「一つ、聞きたい事があるんですが」
「何だ」
「君はどうして、戦い続けられるんですか?」
「あ? 何だそりゃ」
氷川は視線を水面に落としたままだった。浅い春のぼんやりした川面は、何かを耐えるように、そんな強い眼差しで睨みつけるものではないだろう。
変な奴に変な質問、面倒臭いのは確かだった。だけれども、憎めない思いもやはりどこかにあった。
「……俺ぁ、面倒臭いのが嫌いなんだよ。オルフェノクってのは面倒臭ぇ、多分だからだろ」
「そうか、そうなんですね」
質問を投げかけておいて、投げ遣りな返事だった。氷川は視線を動かさない。
「お前は何でだよ」
「僕ですか? 僕は……やらなきゃいけないからだって思ってたんですけど、それは、やりたいからなんだって気付きました」
「……意味分かんねえな」
「そうですよね、僕もよく分かりません。でも、もし僕が戦わなくてもよくなったら、誰も悲しんだり辛いと思わない、争わない世の中になったらいいなぁって、それが僕の夢かもしれないです。変ですかね」
ぼんやりとした口調で、氷川は言葉を継いだ。巧は首を上げると、ちらと氷川の横顔を見た。
夢を見る時ですらまっすぐに迷いなく、彼の黒い瞳は前を見据えるのだろう。叶わない事の方が多いのだと知りながらそれでも。
眩しくて届かないとばかり思っている巧には、その様は、羨ましく何か寂しくも映った。
「いい夢だと思うぜ」
呟いて巧は、右の掌を陽に翳した。いつ崩れるのかなど分からない、だけれども、陽に透けて通う血が見て取れる手。
人間なんだから、いつ死ぬかなんて、分かんないよなぁ。
ぼんやりと浮かんだ言葉は霞んだ空気にすぐに溶けて消える。手を組みなおして頭を支えると、巧は昼寝を再開するため、瞼を閉じた。