Dead Man Walking《完結》   作:田島

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林檎と見紛う実を口にし(1)

 サイドバッシャーを走らせて巧が現場に到着した時には、その河川敷添いの道には、西洋洗濯舗菊池の配達車以外には何もなかった。

 痕跡といえば、風が緩やかなせいか、風に攫われず、僅かにアスファルトに残った白い灰。それだけ。

 啓太郎は巧に気付くと、ドアを開け運転席から転がるように慌ただしく出て来た。

「たた……た、たっくん!」

「啓太郎……一体、何があった? お前の見た、何だか分からない奴ってのはどんな奴だったんだ?」

「鳥、白い鳥だった、でも二本足で立ってて、空飛んでた!」

 駆け寄ってきた啓太郎の肩を軽く受け止めて巧が訊ねると、啓太郎は興奮冷めやらぬ様子で、早口に捲し立てた。

「そりゃ飛ぶだろうな、鳥なら」

「違うんだよ、何か服か鎧みたいなのも着てて……何ていうか、オルフェノクの仲間みたいな奴だったけど、灰色じゃないし違うんだよ! 頭の上に天使の輪? みたいなの出てさ、そっから剣みたいな武器が出て来たんだよ!」

「……居眠り運転でもしてて、もう少しで天国でしたって夢じゃねぇのかそれは」

「違うよもう、信じてよ! 俺こんな大切な事で出鱈目なんか言わないの、たっくんだって知ってるでしょ!」

 疑わし気な視線が巧から啓太郎へと向けられる。啓太郎は心外と感じている事が手に取るように分かる程の勢いを乗せて、猛烈な抗議を巧へと向けた。

「わーった、わーったよ。怒鳴るな、耳が痛い」

 巧は敵わないとでも言いたげに、両手の人差し指で耳の穴を軽く塞いで目線をそらした。

 啓太郎は嘘は言わないだろう。それは巧にも分かる。しかしそれは同時に、啓太郎の言葉通りにオルフェノクではない怪物が存在する、という事を意味する。

 その存在がオルフェノクを灰に還したのは何故なのか。何の為に。

 オルフェノクは、数こそ少ないものの自然発生する。

 スマートブレインが解体され、オルフェノクを保護して仲間を増やすよう焚きつける構造は無くなったが、オルフェノクが使徒再生によって仲間を増やそうとするのはそもそも本能から行う行動だ。スマートブレインが無くなっても、人を襲うオルフェノクはいなくなりはしない。

 無論、巧にはオルフェノク個々の行動を察知する方法はない。スマートブレインの息のかかったオルフェノクから狙われる事がなくなり、巧がファイズのベルトを使って戦う事は、ゼロではないものの、殆どなくなった。

 ある意味、元に戻っただけだった。巧はただの西洋洗濯舗菊池の住み込みアルバイトとなり、ベルトの力を使って夢を守る者ではなくなった。それだけだった。

 本当ならばもっとずっと前に巧はいなくなっている筈だったが、その事も、命が永らえた訳も、誰にも話していない。

 ただ漫然と、日々を送ってきただけだった。そんな薄ぼんやりとした、何の為にもならず、掴み所のない時間が、何よりも大切なように思われた。

 それはともかく、啓太郎が目撃した鳥の意図が全く分からない。オルフェノクを殺す事に何の意味があるのか? 誰に何の利益があるというのだろう? 怨恨なのかそれとも、鳥には知性はなく、たまたま襲った相手がオルフェノクだっただけという可能性だってある。皆目見当もつかなかった。

「……ま、とにかく。ここにいてももう何も分からなさそうだ。帰るぞ」

「そりゃここではもう何も分からないだろうけど、たっくん気にならないの?」

「あ? 何がだ?」

「オルフェノクじゃない怪物がいるんだよ? 何とかしなくちゃ」

 その言葉に、巧はあからさまに顔を顰め、迷惑だと考えている雰囲気を丸出しにして啓太郎を見た。

 啓太郎の悪い癖が出ている。異常なまでのお節介さは、啓太郎の美点であり、厄介な点でもあった。

 そして今の所、啓太郎のお節介に巻き込まれて最も被害を被るのは、実際に怪物と戦う力を有している巧だった。

「何とかって……何をどうするんだよ。俺にとっちゃ、そんな怪物は本当に存在してるのかどうかも分かんねぇんだ、どうやって探すんだよ」

「だからホントに見たんだってば! 信じてないの!」

 再度啓太郎に心外そうに問い詰められて、巧は返す言葉に詰まった。

 啓太郎を信頼していないという事ではないのだ。ただ、啓太郎の言う怪物を実際に目にするまでは、巧は信じられないという、それだけだった。

「……どっちにしろ、探す方法はないんだ。別にお前を信じてないわけじゃない、ここでこうしてても仕方ねぇだろって言ってるんだよ。店だって空けたまんまだし」

 巧の言葉に、啓太郎は不服そうな顔を見せたものの、不承不承頷いた。ここでこうしていても何も進展しないのだけは確かだった。

 その時、ポケットに入れていた巧の携帯が震え、着信音が鳴り出した。ディスプレイを開くと、二年ぶりに見る名前が表示されていた。

「……三原?」

 巧は呟いて、通話ボタンを押し電話に出る。啓太郎も、巧の呟いた名前を聞いて驚いた顔を見せ、愛想悪く話す巧を見守っていた。

 

***

 

 低い塀に囲まれた、二階建ての平坦なその施設の門扉には、白く丸い字体で「創才児童園」と刻まれている。

 スマートブレインが保有していた児童養護施設だが、同社の解体後も閉鎖せずに運営が続けられていた。

 真理の義理の父親であり、スマートブレインの元社長でもあった花形の遺志により、彼が保有していた私有財産は全て、幾つかあるこうした施設の運営に充てる為の基金へと回されたらしい。

 ここで働く三原修司と阿部里奈は、流星塾と呼ばれる養護施設で育った真理の仲間だった。真理はよくここを訪れるようだったが、王を倒した後、巧は一度も来たことはない。あれから初めての訪問だった。

 三原の姿はすぐに見つかった。彼は生成のエプロンをつけ、前庭で、幾人かの男の子達とキャッチボールをしていた。

「三原さん!」

 門扉を潜り、巧の斜め後ろから啓太郎が呼びかけると、三原はすぐに気付いて動きを止め、男の子たちに、ちょっとごめん、と告げると二人の元へと小走りに駆け寄ってきた。

「ごめん、突然電話して、しかも来てもらっちゃって」

「構わないぜ、どうせ暇な店だ。それより、お前の話本当か」

「暇って何だよ! たっくんはうちの店の事ももうちょっとは考えて……」

「おい啓太郎、ちょっと黙ってろ。話が出来ねぇだろ」

 割って入った啓太郎と巧のやりとりを眺めてくすりと笑って、三原は、変わらないなぁ、と呟いた。

「外だと寒いし、中入って。お茶くらい出すから」

 三原の言葉に巧と啓太郎は頷いた。スリッパを借り、簡素で小さな部屋へと通される。四人用の大きさのテーブルにパイプ椅子が四脚、部屋の隅に段ボールがいくつか積み上げられている他は、何もない白い部屋だった。

 大きめの窓からは、冬の温度の低い陽光が斜めに射しこんでいる。子供達はキャッチボールを続けていて、三原の代わりに阿部里奈が加わっていた。

 程なくして三原が、トレイに茶碗と茶菓子を載せて入ってきた。お茶が各自に行き渡ると、三原は巧の向かいに腰掛け、一心不乱に熱い茶に息を吹き掛ける巧を見た。

「ねぇ三原さん、俺も今日さっき見たんだ、鳥人間」

 啓太郎の言葉に、三原は驚きを見せた。

 三原からの電話。電話口で三原は、『オルフェノクとは違う鳥の怪物に会った』と巧に話した。

 やや首を傾げて、熱い茶を一口啜ってから、三原も口を開いた。

「俺が、狙われたんだと思う多分。白い鳥みたいな、多分烏天狗みたいな感じで。剣を構えて、いきなり空から降りてきたんだ……でも、びっくりしてる俺を見てそいつ、『お前は違う、エノクの子ではない』って言って、飛んで行った」

「喋ったのか?」

 巧の質問に、三原ははっきりと、即座に頷いた。

「エノクの、子……? どういう意味だ」

「分からない。何で俺の前に現われたのかも……」

 巧も三原も、目を伏せ、考え込むようにやや俯いた。

 はっきりしたのは、白い鳥の怪物は知性を持ち、何らかの目的に沿って行動している、という事。三原は、彼の基準には完全に合致しなかったが、勘違いされる何かしらの要素を持っていた。そして、啓太郎の目の前で、オルフェノクが襲われ灰と化した。

「記号か……?」

「えっ……」

「オルフェノクの記号だ、三原。だから奴は勘違いして、改めて目の前にしてやっと、お前は違うと気付いた。何にしろ、その白い鳥野郎がオルフェノクを狙ってるのは、まず間違いがなさそうだ。啓太郎の前で、そいつはオルフェノクを殺してる」

 オルフェノクの記号。その単語を聞いて、三原ははっとして巧を見た。

「……そいつが、オルフェノクの正体を見破る力を持ってて、狙ってるっていうなら、君も狙われるんじゃ……」

 三原の言葉には返事を返さず、巧はただ、ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

***

 

 何かあればすぐ連絡してほしいと、別れ際に三原は巧に告げた。

 里奈と共に平穏な暮らしを掴んだ三原を巻き込むのは本意ではなかったが、現状では、彼と協力して白い鳥の怪物を探す以外に、出来る事はなさそうだった。

 いっそ、その白い鳥がさっさと目の前に現れてくれれば話が早い。

 オルフェノクは人に仇為す存在かもしれないが、必死に殺戮の本能と戦い、人として生きようとする者もいる。巧自身もオルフェノク、いつ狙われても不思議ではない。白い鳥の怪物が何故オルフェノクを狙うのか。それを知らないうちは引っ込んでなどいられなかった。

 だが巧の思惑とは裏腹に、それから一週間程は何も起こらないまま、無為に過ぎた。

 啓太郎と巧は交替で都内を走り回り、白い鳥の怪物を探したが、その行方は杳として知れなかった。

 今日も巧はサイドバッシャーで国道を流し、気紛れに横道へと入って、白い鳥の怪物を探していた。

 相変わらず成果は上がらず、そろそろ啓太郎が配達に出る時間も近付いている。巧は裏道を通って、帰りを急いでいた。

 車の通りはない細い二車線の道だった。今は通行人もない。危機察知の本能が咄嗟に働いた、といったところか。何かを感じて巧は、横に大きくハンドルを切った。

 サイドバッシャーが通るはずだった道筋を何かボールのようなものが逆に辿り、飛沫を上げて弾け飛んだ。

 塀にぶつかるすれすれでサイドバッシャーを停止させる事に成功した巧は、向かう筈だった道の先を見た。

 そこには、巧の知らない異形が立っていた。

 話に聞いていた白い鳥ではない。だが、そいつには色があった。

 やや紫掛かった灰色の皮膚は、滑り、てらりと濡れているように見えた。剥き出しの鋭い歯、ぎょろりと大きく険しい瞳は黒目がなく濁っている。そいつの姿は、何かの魚類を連想させたが、魚ではないようにも見えた。

 何か古代のローマ人のような鎧を纏っているようにも見えるが皮膚なのかもしれない、判別がつかない。魚の尾鰭のような形をした、細かい装飾が施された金属らしき板が先端に取り付けられた、杖のようなものを手にしていた。

「何だ、お前」

 バイクから急ぎ降りながら巧が呼び掛けたが、返事はなかった。異形が杖を振るうと、その先端に、先程と同じ球のようなものが生じた。

 サイドカーから素早くアタッシュケースともう一つ、同じサイズの箱型の機械を取り出すと、巧は右へ飛び退り、アスファルトの上を転がった。立ち上がり駆け出すと、やや後ろで、水で出来ていると思しき球が次々に炸裂する。

 このままではベルトを取り出して装着のうえで変身コードを入力し、ファイズになる事はできない。そんな暇を与えてくれる相手ではなさそうだった。かといって、巧はもう二度とオルフェノクの姿はとるまいと心に決めていた。

 走りながら箱型の機械――ファイズブラスターへとコードを入力する。九、八、ニ、六、エンター。

 ほんの僅かな隙さえ出来れば、ベルトを取り出して巻くことさえ出来ればそれでいい。

 巧を眼で追いながら杖を振るう異形が仰け反った。バトルモードへと変形したサイドバッシャーが、その背中へとガトリングガンを放っていた。

「よし!」

 思わず声が漏れた。出来る限り急いで地面においたアタッシュケースを開け、ベルトを取り出して腰に巻く。ファイズフォンへと、変身コードを入力する。

『Standing By――』

「変身!」

『Complete』

 畳んだ携帯電話をベルトにセットすると、システムが起動、フォトンストリームが体表を覆い、転送されたスーツが形成される。

 ファイズは異形へと駆けながら、感触を確かめるように右の手首を二三度振った。

「らあっ!」

 駆け込んだ勢いを生かし、異形の背面、脇腹へと右のストレートを放つが、全く手応えがなかった。

 ゆっくりと、異形が振り返る。つまらないものを見るかのように。

「……何?」

 ファイズが見上げるが、異形の濁った瞳に感情が浮かんでいる筈もない。異形はそのまま、杖を持たない右の腕を振るった。

「うわあああぁぁっ!」

 見えない何かの力が、ファイズを吹き飛ばした。大きく後ろへと飛ばされて、アスファルトへ叩きつけられ暫く転がった後に、身体はようやく静止した。

 身体中が痺れている、痛みがまだない。思うように動かない上半身を起こすと、異形はゆったりとファイズへと歩み寄ってきていた。サイドバッシャーの攻撃は、何かの見えない壁に防がれ、異形へは届いていなかった。

 立ち上がれない、このままでは間違いなく殺される。何とか体を捻り転がるが、そんな事で逃げ切れる筈もない。異形の動きがゆっくりとしているにも関わらず、距離はずんずんと縮まっていた。

「く……そっ」

 悔し紛れの声を漏らして覚悟を決めた時だった。エンジン音が遠くから響いてきた。

 異形もその音に気を取られ、脚を止めた。

「アギト……!」

 異形は口をやや開き、言葉を発していた。目の前のこいつが白い鳥の仲間であれば、三原から白い鳥が言葉を発した事は聞いている。別段驚くにはあたらないのかもしれない。だが、今まで無言だったものがいきなり声を発すれば、やはり多少の驚きは湧き上がる。

 やがて、エンジン音はすぐ側まで近づいて止まった。バイクから降りてきた青年は、ヘルメットを外し、異形をまっすぐに睨みつけた。

「何で……何でお前が生きてるんだ!」

 異形へと向けられた青年の叫びは、必死でもあったし悲痛でもあった。もう二度と見たくなかったものを見るような忌まわしそうな顔をして、青年は異形をまっすぐに見据えていた。

「アギト……何をしに来た。お前には用はない、邪魔をするのであれば殺す」

「何でこの人を狙う! お前達はもう、アギトを殺さないんじゃなかったのか!」

「その者はアギトではない」

「……え?」

 じゃあ何で、と、消え入りそうな声で青年は呟いた。状況を眺めている巧には二人の会話は意味が分からなかったが、当の青年も状況がうまく飲み込めないらしい。

 異形が再び杖を持った左腕を動かそうとした。青年は身構えるが、動作ははっきりとしない。躊躇いがあるように思われた。

「待て、その者を殺してはならない」

 突如、頭の上から声が響いた。ようやく身体が動くようになってきた。見上げれば、白い鳥のような――三原が話した通り、白い烏天狗のようにも見える異形が、宙に浮かんでいた。

「どういう事だ」

「まだ気付かぬか、よく見よ」

 白い鳥に言われ、魚類は改めてファイズを見据えた。しばらくじっとそうしていたかと思うと、ぷいと上に向き直る。

「……成程、分かった。なればアギトも勘違いを起こしたという訳か。アギトよ、その者は殺さぬ。だが次我々を阻めば、今度こそお前を殺す」

 言葉の末尾は風に溶けるように消えていった。魚類も白い鳥も掻き消え、いつの間にか横転してもがくサイドバッシャーの駆動音だけが、空気を震わせていた。

「……ちっ」

 舌打ちをして巧はファイズフォンをベルトから外し、変身を解除した。体を起こし立ち上がって、自分を見つめる青年に視線を返す。

「大丈夫ですか? 怪我とかないですか?」

 鮮やかなオレンジ色のダウンジャケットを羽織った、よく日焼けした丸い顔をした青年は、心底心配そうな顔をして聞いてきた。

「何て事ぁない。何だか知らないが助かった、礼を言っとく」

「いやあ、それほどでも。何もしてないですけど」

 照れくさそうに青年が笑った。やや調子を狂わされ、巧は少しだけ眉を寄せた。

「お前、あいつらの事知ってるのか」

「ええ……倒した筈なのに何で、何でまた、しかも関係の無い人を襲って……」

 巧の質問に、青年は顔を曇らせて、やや俯いた。ころころと表情が変わる。

 だが巧は、今度は青年の態度ではなく答えた内容に、調子を狂わされた。

「……倒した? お前が?」

「ええ。俺一人でじゃないですけど」

「……お前、何者だ? アギト、とか呼ばれてたが」

 胡散臭そうな巧の視線を意に介した様子もなく、問われて青年はにっこりと笑い、口を開いた。

「俺は、えっと……津上翔一、って名乗ってます。そして、アギトです」

 アギトです、と名乗られたところで、巧にそれが何なのか分かる筈がない。訝しげに津上翔一を見るが、翔一は動じた様子もなく、愛想のいい笑いを崩さなかった。


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