Dead Man Walking《完結》   作:田島

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光が見えても振り返ってはならない(3)

 徒党を組んだオルフェノクの潜伏場所を割り出し、王の居場所を探る。それが新たに氷川と河野に割り当てられた捜査となった。

 海堂直也には、津上翔一に護衛についてもらう事になった。

 北條はいい顔をしなかったが、翔一以上の適任者は他にいないし、翔一に人類への害意はなく、寧ろ彼が人を守ろうとする存在である事は、今までの経緯から明らかだった。無理矢理押し切る形で、氷川は北條と上層部の了解を取り付けた。

 勿論翔一だけではなく、警官も常時二名が護衛にあたる。

 海堂は、それまでの黙秘ぶりから考えると、比較的あっさりと王についての情報を明らかにしてくれた。

 驚くべき事に、海堂は王が復活し倒されるその場で、一部始終を目撃していたという。

 彼の語る話は、驚きを禁じ得ない内容ばかりだった。

 スマートブレインという会社が、オルフェノクの為に存在していた事、特に幹部以上の社員の多くがオルフェノクであった事、目覚めたオルフェノクを保護し、仲間を増やすよう教唆していた事。

 氷川と河野は、海堂の情報をもとに、元スマートブレインの幹部をあたることにした。

 海堂の話が本当ならば、スマートブレインの幹部達は王の復活を信じ、その為に動く筈だった。

 その他に聞き出せたのは、王の体を持ち去ったのが、ロブスターを模したオルフェノク、影山冴子と名乗る女、彼女は人間の姿に戻れなくなっている筈、という事だけだった。

 海堂にとっては、忌まわしい語りたくない記憶なのだろう。黙秘はしなかったが、彼の口は重く、眼差しは痛々しく沈んでいた。

 別れ際に海堂に、驚かなかったのか、と聞かれた。

 正直驚いたが、アギトやギルスを見慣れている、と答えると、海堂は呆れた顔をした。

 アンノウンの攻撃から庇ってくれた事に礼を言うと、海堂の顔はますます面白くなさそうに歪んだ。

 氷川は彼や翔一のような力を持つ事はできない、ただの人間だから、海堂が何故そんな顔をしたのかは、きっとずっと、分からないだろう。

 だけれども氷川は、海堂を信じていると、伝えたかった。氷川の目には海堂は、口が悪くてお調子者だが、根はいい人間、と映った。アギトやギルスを見てきた氷川には、彼がオルフェノク、人ならざる者というただそれだけで、拒絶する感情は起こらなかった。

 情報があまりに少ないが、とにかく一歩一歩あたるしかない。

 そんなには時間はないのだろうが、今は他に手段がなかった。

「しかしまぁ……オルフェノクがどうとか王がどうとか、正直あまり現実味が沸かんなぁ」

 右隣で氷川と並んで歩いていた河野が、やや情けない声でぼやいた。その言葉に、氷川も首を軽く縦に振ってみせた。

「僕も実は、全く同感です。情けない話ですが、オルフェノクを実際にこの目で見ても、まだ信じられないです……」

「あれだけアンノウンとやり合ってきたお前でもか?」

「ええ……また別物ですよ。オルフェノクはそもそもが人間という話ですし。並べるなら、アンノウンよりはアギトでしょうかね」

「アギトは人間が進化する可能性とか何とか言ってたが、お前は、オルフェノクってやつもそうだと思うか?」

 軽い調子の河野の質問を耳にすると、氷川はやや目を細めて、視線を斜め下に落とした。

「それは……まだ、分からない……です」

 低い声で答えると、河野はそうかと軽く応じて、それ以上口を開かなかった。

 ――言ってみりゃゾンビだ、ゾンビ!

 海堂の何気ない言葉を氷川は思い出した。

 死者が黄泉還った姿。命が生まれ潰える流れの中に理があるのならば、明らかに理に反した存在。

 海堂を含め、彼等は一度死んでいる。本来生きている筈はないのだ。

 どう対処すべきか、というのは、現時点では全く見えなかった。

 まずは王の居場所だ。アギトがこれから人と共に生きていく道を探さなくてはならないように、オルフェノクもまた、道を模索する事が出来るかもしれない。だがアンノウンの言葉を信じるのならば、王が復活すれば人は滅びる。

 スマートブレインが保有していた施設についても、破棄されたものも含め、別の者が調べを進めている。不審な点があれば、そう時間がかからずに明らかになる筈だった。

「そいつらが元は人間で、心は人間だっていうんなら、なるべく喧嘩はしたくないもんだがなぁ、そうもいかんのかね」

「僕も、そう思います」

 河野が呟いて、氷川はまた軽く頷いてみせた。

 

***

 

 スマートブレインの元幹部の足取りを追う作業は、殊の外難航した。

 そもそも、スマートブレインは、日本有数の巨大な企業だったから、幹部級の元社員だけでもその人数はかなりのものとなる。

 更に、多くの者が例によって行方不明となり、足取りの追いようがなくなっていた。

 他の企業に再就職したり、自身で事業を立ち上げた者も当然存在している。だが彼等は、オルフェノクについて質問をすると一様に、それは何なのかと、心底不思議そうな顔を見せた。

 何軒目になるかはもう数えていないが、このビルで小さな貿易商を始めた元社員からも、有益な情報は得られなかった。移動の為に、氷川と河野は、ビル地下の駐車場を歩いていた。

 停めた車の前に、四五人が立っていた。氷川と河野は不審を覚え、やや距離を開けて足を止めた。

 四五人の中から進み出た一人の女性は、非常に目立つ恰好をしていた。黒とシアンのエナメルで、体の線にぴったり沿ったスーツ。黒いボブカットに、服と同じ色合いのシアンのメッシュが入っている。

 彼女の姿には見覚えがあった。スマートブレインのテレビコマーシャルに出演していた女性だった。

「はぁい、こんにちは、氷川刑事さんに、河野刑事さん」

 女は艶然と笑みを浮かべ、語尾が甘ったるい喋り方で二人の名前を呼んだ。氷川も河野も警戒し、返事を返さなかった。

「お仕事中恐縮なんですけど、こそこそと嗅ぎ回られても邪魔なんで、死んでいただけます?」

 艶やかな笑顔のままで女が言うので、氷川も河野も、言葉の意味を把握するのに暫くの時間を使った。その間に、女の脇や後ろに立っていた男女の面に影が浮かび、影が彼等の姿を変容させていく。

「……河野さん、走って! オルフェノクです!」

 氷川が叫んで、踵を返し駆け出した。一拍遅れて河野も続いて駆け出す。

 その後を、今や完全に変容(メタモルフォーゼ)を完了させた、嘗て人であった灰色の異形が追い掛ける。

 氷川は勿論、河野も脚には自信がある。二人とも健脚自慢、聞き込みに歩き回り犯人を追い掛け続けて鍛えられた脚力は、生半な事では負けない自負がある。

 だがそれも、相手が人間であれば、の話だ。

 瞬く間に距離が詰められ、先頭を走るオルフェノクの爪の先が、氷川の後ろ髪に届かんばかりとなる。

「氷川、横に飛べ!」

 突然、鋭い声が飛んだ。聞き覚えのある声。言われた通りに氷川が横に転がると、後ろから飛び出した者が、先頭を走るオルフェノクの胸板目がけて、勢いの乗ったハイキックを浴びせた。

 食らったオルフェノクはたまらず吹っ飛び、後ろのオルフェノクも巻き込まれて、将棋倒しに倒れこんだ。

「葦原さん!」

 氷川が名を呼ぶと、カミキリムシを思わせる鋭い歯を剥いた緑の異形――ギルスは、全てを了解しているとでも言いたげに頷いた。

 葦原凉とは少し前に海堂の一件で顔を合わせていたが、葦原があの日あの場に居合わせたのは全くの偶然。ギルスである彼は今回の事件とは関わりがなく、葦原自身が何が何だか分からないという様子だった。事情聴取も短時間で終わり、(葦原凉の人当たりの悪さも手伝って)氷川は彼と旧交を温める間もなく別れていた。

 それが、何故、今ここに。

「俺の悪い予感はよく当たるんだ、お前をつけてて正解だった。お前はさっさと逃げて助けを呼べ!」

 ギルスの言葉に、氷川は深く頷いて、動きを止め固まった河野を目で促して、また走り始めた。

 氷川と河野は必死の形相で、薄暗い地下駐車場を駆け抜け、地上に通じる狭い非常階段を駆け上がった。

 踊り場で順路に従い方向転換をし、階段の上を見やると、先程置き去りにしてきた筈の、黒とシアンの女が、氷川を見下ろしていた。

 それは、汚いものでも見るような冷たさがあるのに、嫌悪の感情すら一切感じられないような、不思議な眼差しだった。

「あなたも……オルフェノク、なんです、か」

 走り続けて息が上がっていた。弾む息の間から、氷川は言葉を吐き出した。

「私が? オルフェノク? あっはは、そんな訳ないじゃないですかぁ」

 女は甲高い声で笑いを上げた。目は依然笑わず、冷たく氷川を見下ろしていた。

「ほーんと、噂通り。氷川さんって、ほんっとに、お馬鹿さんなんですねっ」

「……なっ!」

 唐突に貶められて、氷川が抗議の声を上げるが、女の表情は変わらず、貼りついた笑みが氷川を見下ろし続けた。

「あなたみたいな、正義感ばっかり強くて空気が読めない無骨な人って、ほーんと迷惑なんですよね。捜査を辞めろって命令されても言う事聞かないでしょ? そういう聞き分けのない子、お姉さん嫌いです」

 微笑ましく諭されて、氷川も後ろの河野も、唖然として女を見上げた。女は変わらず、感情の感じられない微笑を頬に浮かべていた。

「……あなたは、何者なんですか」

「お姉さんですかぁ? 通りすがりの美少女ですっ、なんちゃって!」

「ふざけないで下さい!」

 氷川が鋭く叫ぶと、女の顔から笑みが消えた。ぞっとするような太さ強さを持った視線が、氷川を見据えていた。

「……お姉さんはいつだって真剣ですよ。あなたこそ、中途半端な気持ちでオルフェノクの皆さんの邪魔をしないでくれます?」

「中途半端……?」

「だってあなた、オルフェノクが元々人間だったから、怪物なのか人間なのか分からないって、思ってるんでしょ? あなたにオルフェノクを撃つ覚悟も殺される覚悟もありはしない。それって中途半端じゃないです?」

 言われて、明らかに言葉に詰まった様子で息を飲んで、氷川は女を睨みつけた。

 女の言う事を、氷川は否定は出来なかった。オルフェノクの既に人とは思えない姿を見ても、氷川はきっと銃を握るのを躊躇するだろう。

 海堂は普段は人の姿をしていて、必要に応じて姿を変えるのだから。

 「人ではない」と思えない事が中途半端と言われるのであれば、それを否定は出来なかった。

「おい氷川! お前、真面目なのはいいが、そんな与太話にまで真面目に付き合うな!」

 後ろの河野から、鋭い声で叱責が飛んだ。はっとして氷川は、河野を振り返った。

「何で何の躊躇いもなく人間に銃を向けにゃならん! 俺達の仕事は人を撃つ事じゃない、人を守る事だろうが!」

 河野は珍しく激昂した様子で、女に対する構えは解かないながら、厳しく氷川を怒鳴りつけた。

 氷川ははっきりと二度縦に首を振って、改めて女へと向き直った。

「つまらない人達。せめて私の邪魔をしなければ、それでいいのに」

 ふん、と鼻から息を吐き出して、女は詰まらなさそうに氷川を見下ろして、踵を返した。

「待ちなさい!」

 氷川が呼び掛けると女は立ち止まり、振り向いた。そこには今は感情があった。とるに足りない物を見下し馬鹿にする、そういう視線だ。

「私が教えなきゃオルフェノクについてだって何も調べられない位無能なのに、威勢ばっかりいいなんて。ほんっと、うざったい男」

「教え……? 僕はあなたに何か教えてもらった覚えなんて……」

「警察の実験の資料、読みましたよね? あれ、スマートブレインに保管してあった分の写しなんですよ?」

 差出人不明の資料。北條宛てに届いた、オルフェノクに関する実験の記録。

 氷川は、やや信じがたい心持ちで、女を見た。

 邪魔されたくないのであれば、そんな物を送らなければいいのに、何故そんな事を。全く分からなかった。

「送った理由、分からないでしょう? だからお馬鹿さんだって言うの。ただの人間に用はないから、引っ込んでいなさい。でないと、本当に死ぬわよ」

 さも面白そうに笑ってみせて、女は踵を返して、歩いていった。

 理由など分かる筈がない。氷川が女の背中を見送って、河野が携帯電話をスーツの内ポケットから取り出した。

「河野だ、現在、オルフェノクを名乗る生命体五体とギルスが交戦中。そうだ、そのビルの地下だ。俺と氷川がオルフェノクに狙われて、ギルスが助けてくれたんだ」

 河野の声が踊り場に響き木霊する。

 氷川に銃を撃つ覚悟が、ないわけではない。

 今までだって、必要があって、人間に向けて撃った事はある。

 氷川に足りないのは恐らく、「人間を守る為に、オルフェノクを怪物と割り切って、撃ち殺す覚悟」だった。

 そんなものを、持てるだろうか。持てる筈がないように思われた。

「おい、もう少ししたら尾室が来るそうだ。奴さんのトレーラーが丁度近くにいたみたいだ。」

 氷川は頷いて、尾室率いるGトレーラーと合流する為、再度階段を登り始めた。

 

***

 

 多勢に無勢の状況だったが、ギルスは怯みはしなかった。

「ウワァアウ!」

 ギルスは既に、アギトの力を得てより進化した姿――エクシードギルスへとその姿を変えていた。

 雄叫びをあげて腕のギルススティンガーを振るうと、鞭の如く撓ったスティンガーに二体のオルフェノクが巻き込まれてもんどり打った。

 時間はだいぶ経過しているように思われる。氷川が逃げる時間は十分に稼いだだろうし、そろそろ潮時と思われた。

 そこに、車のエンジン音が近づいてくる。面倒な事になったが、五体もの異形を相手どっては即時撤退もままならず、ギルスは一体のオルフェノクが振るった棍棒のような武器の一撃を、後ろに軽く飛んで躱した。

 やがて車は姿を現し、駐車スペースではなく通路の真ん中に停止した。

 その青い車体は、ギルスも見覚えがある――警視庁未確認生命体対策班に所属するG3システムの要、Gトレーラーだった。

 五人ほど、G3に似たプロテクター姿が後部ハッチから飛び出してきて、それぞれにオルフェノクと組み合い始める。

 利なしとみたのか、オルフェノク達は適当に青いプロテクターをいなすと、三々五々退却を始めた。

「くそ、待て!」

「待ってください、葦原さん!」

 オルフェノクを追おうとしたギルスを、後部ハッチから出てきた氷川が呼び止めた。ギルスは足を止めて、その姿を葦原涼へと戻す。

「あいつら元を断たないと同じ事だろう、何で止める」

「必要ないんです」

 葦原が氷川を訝しげに見つめる。トレーラー後部から、男がもう一人降りてきて、氷川の隣に立った。

「ベタだけどね、発信機だよ。気付かれなければ奴らのアジトが分かるかもしれない」

 氷川の隣の男の言葉に、青いプロテクターの一人が握った拳を突き出して、親指を葦原に向けて立ててみせる。

 最後にトレーラーから降り立った男は、丸い顔に角刈り、背は高くなくやや丸い体型。それなりに歳は若く見えるのに、鼻の下で整えられたちょび髭は、多少背伸びをして無理をしているようにも見えた。

 見覚えがある気がするが、どうしても名前が思い出せない。葦原は不審げに顔を顰めた。

「お前、誰だ……会った事はあったか?」

 葦原の言葉に、氷川の隣に立ったためか必要以上に小さく見える男は、心外そうに顔を歪めた。


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