Dead Man Walking《完結》   作:田島

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カインの子、約束の地にて天に召され(2)

 街のあちらこちらで、逃げ惑う人々の悲鳴や、出動したパトカーやら救急車、消防車のサイレンが、響いている。

 その騒乱は、住宅街に構えられた翔一のレストランにも伝わってきた。既に常駐の刑事達に、この騒乱がオルフェノクによるものである旨も、伝わってきていた。

 情報が錯綜しており、アンノウンの動向については今のところ分からない。

 これがオルフェノクによる騒ぎなら、海堂を拘束する命令が来ても不思議ではなかったが、通達は、待機せよというものだった。

 海堂はテーブルに腰掛けて、落ち着かない様子で目線を泳がせては、靴の裏で小刻みに床を踏んでいた。

 刑事達の表情も、硬く緊張していた。外で騒ぎを起こしている者と同じ存在が目の前にいるのだから、当然かもしれない。

 海堂は彼らの前で、無口で大人しかったが、犯罪者も大抵は、普段は普通の人だろう。

 テレビは、一つだけ旅番組を流している他はどのチャンネルも、臨時ニュースでオルフェノクが全国の主要都市を中心に出現している様を伝えている。

 夕方のワイド番組のロケで市街地にいたカメラが、オルフェノクが人を殺す様を捉えていた。触手のようなものが伸びて男の胸を貫いて、男はしばらくすると、白っぽい灰になり、風にまかれて崩れ去ってしまった。

 惨い、死に方だった。

 この映像を映したカメラマンはもう生きていない事が伝えられる。会ったこともない人に降りかかった、突然の死を思った。

 この様はすぐに海を越えて海外で報じられるだろう。インターネット経由でも伝わる筈だ。もしかすると既に飛び火しているのかもしれないが、分からない。

 先程から翔一には、ひっきりなしに悲鳴が聞こえていた。他の三人に変わりがないところを見ると、聞こえているのは恐らく翔一だけだった。

 きっと、未覚醒のアギトの、悲鳴なのだろう。

 今すぐにでも飛び出して駆け付けたい衝動は強かったが、今は海堂の側を離れられないし、駆け付けるにしても数が多すぎた。どこへ向かえばいいのか、優先順位など付けられる筈がない。

 翔一は海堂の事を氷川から託されたのだ。他の事は、氷川や警察に、託したのだ。

 普段賑やかな翔一までもが沈痛な面持ちで黙りこくって、言葉を発する者はいない。重い沈黙だけが、場を支配していた。

 敵はずっと前から周到に、この決起に向けて根回しをしていたのだろう。何も知らず知らされず、死ななくていい人達が、死んでいく。それがひどく、重苦しくて辛かった。

 やがて、店のすぐ側を、甲高い悲鳴が通り過ぎた。翔一は険しい顔を上げたが、それ以上動けずに唇を噛み締めた。

「……おい、ショーイチ君」

「何ですか……?」

「俺ぁ行くぞ。もう、こんな所でじっとしてんのはうんざりだ。考えてみりゃ、何で俺様がお前らの言う事聞いて大人しくしてなきゃなんねえんだ」

 レストランの手伝いに来ていた真魚が翔一を呼ぶ呼び方が気に入ったらしく、海堂は翔一を、軽い口調に君付けで呼んでいた。

「待ってください、それは駄目ですよ、アンノウンだってまたいつ現れるか分かんないし……それに」

「それに、何だ? 外で暴れてる奴らぁ、確かに俺と同じオルフェノクだよ。けどなぁ、俺様は、弱い者いじめってやつが、大っ嫌いなんだよ」

 返答に困り翔一は二人の刑事に目線を送ったが、予想に違わず二人は、首を横に振っていた。

「……お前等なぁ、よーく考えてみろ。オルフェノクが見つからなかった時なら俺にも価値はあったろうさ。だがな、今は外にウジャウジャしてやがんだぞ。珍しくも何ともねぇ。俺は別にオルフェノクのえらーい人ってわけでもねぇ。そんな俺にかまけてる暇があんのかっつってんだ」

 焦れたような海堂の口調は強くきつかった。返す言葉がやはりなくて、翔一は目線を落として俯いた。

「だからって、海堂さんを危険な目に合わせていいって事には、なりません。俺は、頼まれてるんですから」

「バッカお前、俺様の隠密スキルを舐めんなよ。伊達にスマートブレインに狙われて生き残ってる訳じゃねぇぞ」

 言って海堂は、今度は軽く笑ってみせた。

 確かに、海堂を守り続ける事に、さしたるメリットはないだろう。海堂は話せる範囲の事は話したのだと翔一は信じているし、ずっと放浪を続けていた彼が、現在の元スマートブレイン周辺の状況に詳しいとも思えない。メリットがあるから守る訳ではないが、海堂の言うことにも理はあった。

 刑事たちにしても、外の状況から目を背けながらここを守り続けるのは、翔一と同様に、あるいはもっと、辛いだろう。二人して困った顔を見合わせた。

「……あー、もう、まどろっこしいな! わーった、じゃあこうしよう。俺が今からオルフェノクになって襲い掛かるから、お前等逃げろ!」

 海堂にぴしりと指差されると、流石の刑事達もぎょっとして海堂を見返した。

「そんな無茶な……」

「無茶も糸瓜もあるか! こうしてる間にも、事態は知らないとこで進んで、取り返しがつかなくなるんだよ!」

 翔一に嗜められても、海堂はまったく悪怯れはしなかった。だが、眉の間には確かに、焦りの色が浮かんでいた。

 海堂は止めても聞かないだろう。それは伝わってきた。翔一は困った顔のままで、刑事たちに向き直った。

「……どうやら、止めても無駄っぽいんで、海堂さんの言う通りに、お二人は襲われた事にして逃げてもらえます?」

「いや……しかしそれは」

「そのうち本当にやりかねないですし……俺が付いてますから大丈夫です。お二人は他の人と合流して、一人でも沢山、襲われてる人を助けてください。俺も、その方がいいと思います」

 翔一にも言われて、二人は大分心動いた様子で、再び顔を見合わせた。

 説き伏せられた形で刑事二人が店の駐車場に停めた車で警視庁へと戻り、見送った翔一は店の中へと戻ろうとしたが、海堂は動かなかった。

「海堂さん……?」

 立ち止まったままの海堂は翔一から目をそらして横に体を向けて、やや顔を伏せていた。

「俺を、乾に会わせろ。今すぐにだ!」

 海堂が俯いたまま、低い声で告げるが、翔一は、戸惑って眉根を寄せた。

「でも、海堂さん、いいんですか……? 外は危ないですし、明日乾さんと会うのだって、乗り気じゃなかったのに」

「いいも悪いもあるか、俺が助けてやんねぇと、あいつまた何も言わないで一人で抱え込みやがるんだ、行かなきゃなんねぇだろ! あんな七面倒臭ぇ奴放っときたいけどよ、そうもいかねぇんだよ!」

 海堂の叫びは、恐らく目の前の翔一には向いていなかった。どこにもぶつける場所がないものを、自分自身に叩きつけている。そんな感じを受けた。だから海堂はきっと、今にも泣き出しそうに、顔を歪めている。

 翔一はふっと目を細めると、淋しそうな眼差しで、海堂を見つめた。

「それが、あなたのしなきゃならない事、ですか?」

「そうだよ、俺ぁ、繰り返せねぇんだ。木場も結花も照夫も、本当は俺なんかよりもっとずっと、生きてなきゃなんなかったんだよ! 乾だって、そうなんだよ!」

 言うと海堂は、口をつぐんで黙りこくった。痛みに耐えかねるように、歯を食いしばり、ぎゅっと眉を寄せて。

 海堂はたまたま東京に戻ってきただけだと言っていたが、彼が帰ろうと何の前触れもなく頭に浮かべて実行したのは、きっと偶然ではないのだろう。

 翔一には、そう思われた。

 彼にとって、その悔恨、痛みが、乗り越えなくてはならないものであるが故に。

 乗り越えないと、一歩も足を踏みだせなくなる痛みというものは、ある。翔一にはよく分かる。乗り越えたとは言えないかもしれないが、翔一にもそんな痛みはあった。

 あの時翔一は、真魚が、自身の痛みを、アギトなんてものの為に父を理不尽に失った痛みを堪えて声を送ってくれたから、許されたのでなくても戦えた。

 姉を死に追いやったアギトの力。そんなものはいらないと、もう戦えないと思った。力なんてなければ、争いも起こらない。アギトの力なんて、必要のない、忌まわしい力に思えてならなかった。

 だけれどもそれ以上に守りたいのだと、真魚の声で思い出した。真魚を、居場所を、全ての人とアギトの居場所を、守りたかった。

 氷川と葦原涼と、木野がいてくれた。一緒に戦ってくれた。

 だから海堂にもきっと、一緒に戦ってくれる誰かが、戦ってくれと支える声が、必要だ。例え必要なんてなくても、きっとあったほうがいい。そう思った。

 翔一は彼と乾巧が如何なる関係にあるのかを、詳しくは聞いていない。巧同様、海堂は過去の事を話したくはなさそうだったし、自分が彼らの気持ちにまで、深く首を突っ込むべきではないと思われた。

 聞かなくても知らなくても、きっと力にはなれるし励ませる。そう思った。

 ただのお節介なのかもしれないが、翔一はお節介が悪い事だとは思わない。苦しそうな人を助けるのは、きっと良い事だ。

「分かりました……乾さんに会いに行きましょう。海堂さんの言う通り、一人で戦ってるかもしれません、それなら助けなきゃ」

 言うと、海堂が頭を上げて頷いた。

 

***

 

「どういう事なんです、どうして自衛隊への出動要請ができないんですか!」

「くどいぞ北條くん。これは決定事項だ、従い給え」

「黙りません! こうしてる間にも、命が失われてるんですよ、全国で! こんなもので終わるわけがない、奴らは何か切り札を持っているからこそ、こんな大々的な行動に出たに違いありません、座していれば死人が増えるだけだ! 私達に、警察官にとって、人の命を守る事こそが、何にも優先されるべき職務ではないのですか!」

「それは君の言う通りだ。だがこの決定はもう、覆らん」

「納得出来ません!」

「無理なものは無理なんだ! 話は終わりだ!」

 電話は一方的に切断された。新たな百十番通報があった事を告げるアラーム音が、甲高くノートパソコンから響いた。

 敵がもし、警察の上層部を抑えつける力を持っているのならば、新聞各紙の足並みを揃えた一斉スクープも不思議な事態ではない。

 何を考えているのか。近い未来の保身より、今この事態を放置すれば人間が滅びかねない事が、分からないのか。

 北條は人間の本質を善と考えている。自分が善人だからだ。

 だが、人には、目先の損得に惑わされ圧力に屈する、弱さもあるのだ。多くの人の中に、それは否定しようもなく存在している。

 それに負けてはいけない。人を危うくするのは、多くの場合、その弱さからくる蒙昧だ。だから聡く判断できる北條は、弱さに負けず、正しい選択を示さなくてはいけない。

「……無線を繋いでくれませんか」

「しかし、北條さん……上の決定は……」

「そんな事を気にしていれば、あのオルフェノク共が好き勝手に振る舞って、犠牲者が増えるだけです。私は警察を辞めたって仕事がないわけじゃない、でも命は取り返しがつかないんだ! あなたが責任を問われるような事にはしませんから、そんなに心配しないで下さい」

 彼も決して、自分が責任を被る事を恐れるだけで躊躇しているのではないのだろう。その恐れが一欠片もないとは言わないが、決してそれだけではない。それは北條とて理解している。上の命令は絶対、その秩序がなくては、組織は成り行かない。組織の構成員としては、至極まっとうなのだ。

 自らも警察という組織の一員である以上、北條も本来はそのように行動している筈だった。正しい行動を組織の行動として決定させる、結果として組織を正しいものへとしていく。それが北條の抱く理想だった。警察という組織の内部から改革を成す者として、自ら自負もしていた。

 だが今そんな事を言っていれば、警察という組織すら存続が怪しくなる、そんな事態も起こりうる。

 あまりに素早く為されたスマートブレインの解体。それがもし、日本に冠たるコングロマリットの財力を温存して隠匿するためだったとすれば。その財力、組織力、影響力が未だ死んでいないのだとすれば。少数のオルフェノクが街で暴れまわる程度で終わる筈がない、今まで沈黙を守ってきた者達が、行動を起こすだけの理由がある筈なのだ。

 そして彼らは、人間への敵意を表明した。ならば人間は、戦わなくてはならない。

「警視庁各局へ、未確認生命体対策班より。上層部は自衛隊への出動要請を拒否しました。増援はない、そう思って背水の陣の心構えで臨んでいただきたい。渋谷区富ケ谷で新たな百十番通報、付近を警邏中のPCは急行してください。付近住民の安全確保を最優先に行動のこと」

 簡単に告げて、無線の送信をオフにする。百十番情報をモニタした画面を見れば、都内二十三区では既に二十ヶ所近くで、百十番通報があった事を示す赤い点が打たれていた。そして、解決し消えたものはまだない。

 人を遥かに超えた力を持ち、人を灰に変える怪物。そんなものに、警察官の装備で立ち向かえと言わざるを得ない。

 せめて効率的な人員配置を。避難場所として使われるであろう学校や公園は、狙い撃ちにされる可能性がある、人員を配置しなくてはならない。

 本拠地さえ叩ければ、逆転の目はある。それまで持ちこたえなければ。きゅっと口を引き結ぶと、北條は再びノートパソコンのモニターへと視線を落とした。

 

***

 

 巧がハカランダを見張る受け持ちは、深夜から朝まで。

 冷蔵庫の中にあった食材で簡単な夕食を用意し終えて、巧はリビングでコーヒーを飲んでいた。そろそろ、三原と交代した啓太郎が帰ってくる頃だった。

 時計を見ると七時半。テレビでも付けようかと体を動かすと、携帯電話が鳴った。

「たたたた、た、たっくん! オオオ、オルフェノクが!」

「落ち着け啓太郎、ゆっくり話せ。まだハカランダか、三原は」

 受話器を耳に当てた途端に、啓太郎の悲鳴が届いた。

 とうとう来るべきものが来た、という事だった。

 この時間なら三原がそろそろハカランダに到着する。片手でコートを肩に引っ掛けるとアタッシュケースを手にとって電気を消し、巧は早足で外へと歩いた。

「まだ動いてないんだけど、四五人固まって相談してるんだ……すぐ来れる?」

「ああ、すぐ行く。お前は危ないから隠れてろ、出るんじゃねえぞ。あと見付からないように三原にも連絡しとけ、いいな」

「うん、分かった、早く来てね」

 答えた啓太郎が通話を切断する。サイドバッシャーのエンジンをかけると巧は跨って、スターターを押してエンジンを回した。

 どんなに急いでも十五分、道の混み具合によってはもっとかかる可能性もある。

 だが、大通りに出ると、予想に反して、驚く程車の数が少なかった。対向車線を救急車が、三台連なって通り過ぎていく。

 よく見れば、イルミネーションに照らされてほの明るい夜空には、幾筋か遠くの方で、黒い煙が立ち上っていた。パトカーとも何度かすれ違う。

 何か、あったのかもしれない。ニュースを一切見ていない巧にも、状況の異様さは伝わってきた。

 気ばかりが焦る。スピードを上げてハカランダを目指した。

 近づくにつれて人通りが少なくなっていくのはいつもの事だったが、人気の無さは今は不安を掻き立てる材料でしかなかった。

 やがてハカランダが道の向こうに見えてきた。あまりバイクで近付くと、警戒される危険も高い。巧はサイドバッシャーを降りると、アタッシュケースともう一つの箱型の荷物を手に取り、辺りを警戒しつつ、車が停車している筈の地点を目指した。

 目立った物音はない。三原はまだ来ていないのか、来ているが身を潜めているのか。今の時点ではどちらとも判断しかねた。

 白井虎太郎の黒い車に後ろから近付く。啓太郎はすぐにバックミラーに映った巧に気付いて、手を振ってみせた。

 軽く手を振って応えると、物音を立てないよう慎重に、運転席側からリアシートに乗り込む。

「たっくん……俺、怖かったよぉ」

「おう、よく頑張った。奴らはどうしてる? あと三原はまだか」

「あいつら、草むらの中に入っちゃって、よく分かんないんだ……三原さんも、携帯にかけても出ないんだよ」

 オルフェノクは日常的に見慣れているとはいえ、啓太郎は何の力も持っていない人間だ。余程緊張したのだろう。息浅く、弱々しくよれた声を出した。

 それにしても気になるのは三原の動向だった。基本的に几帳面で連絡なく遅刻をするような性格ではないし、まさか以前のように戦いが怖くなって逃げ出したとも考えられない。道中の様子と合わせると、何事かに巻き込まれているのかもしれない。

「……仕方ねぇ、追っ払ってくるから、お前は取り敢えず騒ぎが起きたら逃げろ。白井と橘って奴にも知らせとけ」

 言って巧は、アタッシュケースを開けると中身を取り出し、ベルトは腰に巻くと、空のアタッシュケースを啓太郎に手渡した。

 啓太郎が頷いたのを確認して、巧は口の端を薄く上げて笑いを浮かべてみせると、もう何も言わずにドアを開けた。

「気を付けてね」

 背中にかかる啓太郎の言葉に、左手を軽く上げて応じると、巧は再び外に出て、車のドアを閉じた。

 まずはオルフェノクがどこに潜んでいるかを探さなくてはならない。草むらに分け入ると、足音が立たないよう慎重に歩を進める。

 暫く進むと、密集したスズメノテッポウやヒメムカシヨモギ、薄の隙間から、灰色の異形が漏れ見えた。

 話が違う、まず巧の頭に浮かんだのはその言葉だった。

 啓太郎は四五人と言っていたが、そんな数では済まない。ぱっと見ただけでも十体以上のオルフェノクが、やや開けた空き地に集合していた。

 多分啓太郎は嘘を言ったわけではないだろう。分散していた一部分を目撃したのか後から増えたのか。どちらにせよこの数は、いくら巧でも手に余る。

 ファイズに変身をすれば、確実に気取られる。一気に勝負を決するしかない。

 そっとファイズフォンを開き、ボタンに指を置く。押し込もうとした時に、突如風が巻き起こった。

 前髪が風にまかれる。空気が一気に動き出す。顔を上げると、二体のオルフェノクが蒼い炎を上げた。

 薄くかかった雲が地上の光を照り返して、オルフェノクが横たわるみたいに広がっている暗い空。そこに、あの白い鳥――翔一がアンノウンと呼ぶ、神の使徒がいた。アンノウンが左手に構える弓に矢が番えられ、続け様に放たれた矢は動揺したオルフェノク達の頭上から容赦なく彼等を襲った。

 思わぬ横槍ではあったが、これは巧にとってはチャンスだった。変身コードを押し込み、ベルトへファイズフォンをセットする。

『Standing by――Complete』

「変身!」

 瞬時にフォトンストリームが体を包んで流れ、転送を完了したスーツが巧の姿をファイズへと変える。

「邪魔はさせませんよ、乾巧!」

 駆け出すと、聞き覚えのあるような声がファイズを呼んだ。

「お前、琢磨……」

 眼前に立ち塞がったのは、ラッキークローバーの一員として君臨し、ファイズとも幾度となく戦いを繰り広げた、センチピードオルフェノク――琢磨だった。

 あの日、王の前から逃げ出して以来、行方も知れなかった男だった。

「いい加減、うざいんだよお前は! 何企んでやがる!」

 振るわれた鞭の軌道を掻い潜り、ファイズは一気にセンチピードオルフェノクの懐へと駆け込もうとするが、横合いから現れた、どこか駱駝に見えなくもないオルフェノクの太い足から繰り出された蹴りに阻まれ、軽く吹っ飛ばされる。

「っち、うざってぇ!」

『Burst Mode』

 苛ついて軽く舌打ちをすると、ファイズはベルトから取り外したファイズフォンにコードを素早く打ち込んだ。銃形態へと変形したファイズフォンから放たれた光弾が、駱駝の追撃を遮り牽制する。

 上のアンノウンに追い立てられているオルフェノクも多いが、それよりもオルフェノクの頭数の方が勝っている。ファイズを囲んでいるのも、センチピードと駱駝を含めて五体ほどだろう。

 後ろからの斬撃を避けて横に軽く飛ぶと、着地点に狙いすましたように鞭の一撃が襲い来る。避けきれない、そう思った刹那、鞭は何かに弾かれたように進路を変えた。

 着地に成功したファイズを庇うように、白い鳥が高度を下げ、舞い降りる。

「……手前、何考えてる?」

 不審を丸出しにした声色でファイズが質問を投げ掛けると、白い鳥はちらとファイズを顧みた。

「エノクの子らは滅ばなくてはならない。お前はそれを成す者だ」

「……は?」

 白い鳥の言葉は、ファイズには理解が難しいものだった。エノクの子、という言葉がオルフェノクを指し示しているのであろう事は推察がつくが、巧自身がエノクの子であるのに、それを滅ぼすというのはどういう事なのか。

「エノクの子らは呪われている。人を滅ぼすか、自らが滅びねば、止まる事はあるまい」

 続いた白い鳥の言葉は、相変わらず意味が分からない。苛立ってファイズは叫んだ。

「どういう意味だ……お前等何がしたいんだ!」

「我らはただ、あの方の思し召しに従い、人を滅びから救わんとしている」

 あの方。それが誰なのかは分からない。だが巧には心当たりがあった。

 もし巧の心当たりが正解なら。感じていた予感通りに、この騒動を何とかする事が、巧がいらない借りを返す事になる。

 白い鳥はぷいと顔を背けると、また矢を番え、続け様に放つ。既に五体ほど白い鳥に頭数を減らされているオルフェノク達は、怯んでたたらを踏んだ。

 今なら。そう思ってファイズは、再度センチピードオルフェノクの懐へ入り込もうと狙いを定めて、駆け出した。

 集団と戦うときはまず頭を潰すのが鉄則。琢磨は不様な姿も散々晒してはいるが、並外れた力を持ったオルフェノクである事は事実だった。ならば奴が頭だ。そう考えファイズは、腰のファイズショットを取り外し、左手に握る。

 高速で迫る鞭を掻い潜り駆けつつ、ミッションメモリをファイズショットへとセット。白い鳥の牽制に、新たに二体のオルフェノクが炎を上げた頃、ファイズはセンチピードオルフェノクの鞭の内側へと入り込む事に成功した。

「手前の面は、見飽きたんだよ!」

『Exceed Charge』

 吠えてファイズは、センチピードオルフェノクが破れかぶれに繰り出した右ストレートをスウェーで躱し、ファイズフォンのエンターキーを右の人差し指で押し込んだ。

 驚きの声を高く軽く上げて、センチピードオルフェノクが後ろへと仰け反り、横からファイズに、白い鳥の矢を避け切ったオルフェノクの体当たりが炸裂する。

 ファイズショットはセンチピードオルフェノクの胸を抉り掠め、後ろにどうと倒れたセンチピードオルフェノクの胸は小さく蒼く、炎を上げる。

 吹き飛ばされたファイズが顔を上げると、真上に位置する棍棒が、今まさに振り下ろされようとしていた。体を無理矢理捻り転がして逃れる。棍棒が空振った地面は、土が抉られて土埃を上げた。

 体を起こすと、後ろから足音が近付いてくる。慌てて立ち上がり振り向くと、そこにいたのはオルフェノクではなかった。

「邪魔だ、どいてろ乾」

 この寒空に薄手のトレンチコート一枚。瞬きもせずぎょろりと大きな瞳で、目の前のオルフェノクたちを睨み付ける相川始の姿は、確かにどこか、人間から遠く離れた雰囲気があった。

 邪魔者扱いされたのが気に食わないのか、ファイズは抗議の声を上げた。

「待てよ、お前……」

「こいつ等如きが本当に俺をどうにかできると思ってるなら、随分と舐められたものだ。自分の火の粉は自分で払う。お前は適当に余ったのを始末してろ」

 不愉快そうな顔で嘯いて、始は一枚のカードを取り出した。その動作に呼応するように、始の腰にはハートを象ったと思しき緑色の宝玉のようなものがバックル部に取り付けられたベルトが出現した。

「変身」

 低い声が響いた。カードがベルト中心部のスリット――ジョーカーラウザーを滑ると、始の体の周囲に舞った水飛沫が瞬時に、黒い蟷螂を思わせる鎧へと変化した。

「おおおおぉぉぉっ!」

 獣のような雄叫びを上げると黒い蟷螂は、弓らしき武器を逆手に構えて駆け出した。

「乾さん!」

 黒い蟷螂に続こうとしたファイズは、知った声に呼び止められて振り向いた。そこには息を切らせた津上翔一ともう一人、もう二度と会う事もないだろうと思っていた男が、立っていた。

「海堂……お前、生きてたのか」

「人を勝手に殺してんな。大体、生きてたのかってのは俺の台詞だ、お前が言うんじゃねぇ。乾、お前、何でまだファイズになれる、何があった」

 海堂の質問に答えず、ファイズはぷいと後ろを向いて駆け出した。無視された海堂は肩をいからせて、抗議の声を上げた。

「あっ、こんにゃろ待ちやがれ、スルーしてんじゃねぇぞ!」

「海堂さん、その話は後です!」

 海堂を鋭い声で嗜めると、翔一は腕を突き出し構えをとった。厳しい顔つきで前を見つめる翔一に気圧されて、海堂は軽く舌を打った。

「しゃーねぇな、あれが先か!」

「変身!」

 二人もそれぞれに金と灰の異形へと変じると、オルフェノクの群れ目がけて、駆け出していった。

 

***

 

 追跡に当たっていた捜査員から最後の報告があったのは三十分程前。

 追跡対象が入っていったのは塀に囲まれた空き地、周囲に見張りらしき人影を複数確認。

 その通信は途中で、絶叫と共に不自然に途絶し、以後応答はない。

 Gトレーラー一号車は、最後の通信が発せられた地点のほど近くに停車していた。

「……この先にある空き地は、昔スマートブレインの養護施設があった場所のようだな」

 ノートパソコンを操作しながら、河野がそう告げた。

 尾室は緊張した面持ちでその言葉に頷くと、無線のスイッチを入れた。以前は小沢澄子が座っていた席に、現在は尾室がインカムを装備して陣取っている。

「G5OPより警視庁、現在、オルフェノクの潜伏場所の疑いのある廃墟付近にて待機中。次の指示を待つ」

「未確認生命体対策本部よりG5OPへ。付近を偵察調査、可能ならば潜伏したオルフェノクを殲滅されたし」

 無線を通じて北條の指示が飛んだ。あまりと言えばあまり。壁に背をもたれさせていた氷川は、思わず身を乗り出して、無線機と尾室の間に割って入った。

「ちょっと待ってください、敵はどれだけの規模か分からないんですよ? 五体のG5だけで殲滅せよとはあまりに無茶ではありませんか!」

「だからまずは偵察を指示しているんです。そちらに回せる余力はありません」

 北條の声はあくまで静かだった。余力が無いのは分かるが、この状況で敵のただ中に突っ込めば、結果は単なる無駄死にになる危険もある。

 氷川が尚も反論しようとすると、運転席から通信が入った。

「どうした」

「た、隊長、か、かこ、囲まれて、ます……」

 外をモニターしたカメラの映像を見ると、確かに暗闇の中に、人では有り得ない肩や脚が時折浮かび上がった。一種類ではなく、姿の異なる複数の個体が確認できる。

「斉藤、こっちに移動しろ、各G5は出撃、敵を殲滅!」

 尾室の檄が飛んで、あまり広くないトレーラー内部は急に慌しく動き始めた。

 後部ハッチから、既に準備を終えていた五体のG5が出撃。ドライバーの斉藤が司令室へと移動すると、運転席と司令室を結ぶドアはロックされた。

 周囲は夜の闇に包まれている為、モニターの映像は暗く不鮮明だった。G5達は勇敢に攻撃を仕掛けるものの、敵の数の多さに翻弄されているのか、攻撃は空振り、背後からの打撃を躱しきれていない。

「こんなに数がいては、うちの隊員だけでは力不足だ。氷川さん、お願いがあります」

 モニターを見つめたまま尾室が口を開いた。この段階で自分に出来る事が思い当たらず、氷川は怪訝そうに尾室の横顔を見つめた。

「……僕に? 何ですか?」

「もう一度……もう一度、G3‐Xを、使ってくれませんか」

 

 Gトレーラー後部へと移動した尾室が何かスイッチを操作すると、運転席側の壁がスライドし、懐かしい赤い複眼、青い甲冑がその姿を覗かせた。

 氷川と河野が壁の中を覗き込む。

 量産を前提としたG5は直線中心のデザインだが、これは違う。衝撃を和らげ殺し防ぐ、それだけを追求した曲線で構成されていた。

 プロトタイプなればこそ可能な性能、機能。現時点では紛うかたなき、天才・小沢澄子の最高傑作が、そこにあった。

「氷川さん、あなたの為に整備しておいたものです。こいつはやっぱり、氷川さんでなきゃ似合わないですよ」

 尾室は、昔のように、屈託なく笑った。差し出されたアンダースーツを受け取ろうとしてその手を思わず引っ込めて、氷川は俯いた。

「でも、上の許可もなしに装着したら尾室さんが……」

「全責任は僕がとります。でもさすがに免職とか嫌ですから、しっかり戦って、文句の付けられない成果を上げてください」

「でも……」

 尚も顔を上げない氷川をきっと睨むと、尾室は腹から、強く声を上げた。

「氷川さん、迷ってる暇なんかない筈だ! 今、あなたの力が必要なんです! 頼みますから、僕の部下を見殺しにしないで下さい!」

 びっくりして、氷川は顔を上げて尾室を見た。やや悲しそうに、硬い表情で尾室は氷川を見据えていた。

「氷川誠は……どんな厳しい戦いからも、逃げた事がない男です、違うんですか! 僕は隊員たちに、あなたを目指せと日々教えてきました、あなたはそれなのに、今ここで見ないふりをするんですか、出来る事があるのに!」

 尾室にそんな事を言われるとは、正直想像だにしていなかった。

 迷いの正体は、氷川自身にも分からなかった。一つ確かなのは、もう自分はG3‐Xの装着員ではないと、そう思っていた事だけだった。

 氷川は今では捜査一課所属の刑事で、もう二度とG3‐Xを身につける事は、ないと思っていたのだ。

「つべこべ言ってないで着りゃあいいだろう。俺も同意見だ、それが一番似合うのはお前だよ」

 今まで黙っていた河野が口を開いた。やや照れくさそうな笑いが、薄く頬に浮かんでいた。

 何だか悲しくなって氷川は、やや俯いた。

「すいません……」

「氷川さん、だから……」

「やります。今の僕にどれほどの事が出来るのかは分かりませんが」

 俯いたまま、それでもしっかりとした口調で告げて氷川は、尾室が差し出したままになっていたアンダースーツを受け取った。

 

***

 

 既に立っているオルフェノクは、スネークオルフェノク――海堂だけだった。風に飛ばされなかった灰が薄く積もっている。

 センチビードオルフェノクは、ファイズショットを避け切れなかったダメージを負ったままでは戦えなかったのだろう。二三体のオルフェノクと共に退却していった。

 アンノウンは、その様を空から一通り眺めると、背を向け何処かへ飛び立とうとした。それを翔一が呼び止めた。

「待ってください、あなた達の主人に、会わせてくれませんか」

 動きを止めて、アンノウンは翔一を顧みた。

「何を言うアギト。あの方の体は、お前自身が滅ぼしたのではないか。神でも使徒でもないお前が、あの方にどうやって(まみ)える」

「会う必要があれば、姿でも何でも出すでしょう、俺をアギトにした白い方だってそうでした。居場所を教えてくれないなら、自分で探しますからいいです」

 アンノウンの声色に変化はないが、翔一の表情はいつになく厳しいもので、普段の明るく悩みのなさそうな彼からは想像もできなかった。

 暫しアンノウンと翔一は無言で睨み合うが、やがてアンノウンが口を開いた。

「いいだろう……あの方もそれを望んでいる」

 そう言うと、アンノウンはふいと後ろを向いて歩きだした。翔一が後を追い歩き始める。

 巧と始、それに海堂は、その様を訳が分からず眺めていたが、ようやく我に返った巧が翔一の背中に声をかけた。

「どういうつもりだお前、こいつらの主人って……」

「人間をこの世に生み出した存在です。オルフェノクの事だって、何も知らない筈ないでしょ。神様なら」

 神様。あまりに現実味に欠ける言葉だったが、翔一はそれ以上答えないで、再びアンノウンの後を追い始めた。三人も翔一に続き、その後を追った。


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